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人生の奇跡 J・G・バラード自伝 (キイ・ライブラリー) 単行本 – 2010/10/28

5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

1930年、英国統治下の上海に育った20世紀を代表するSF作家が、自らの創作の元となったエピソードから、家族の思い出まで幅広く描く。巨匠バラードからの最後の贈り物。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 東京創元社 (2010/10/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/10/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 248ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 448801528X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4488015282
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2019年7月2日に日本でレビュー済み
イギリスのSF作家J・Gバラードの自伝。

気になった所をフリクションでチェックしたので書いてみると(長いので飛ばしてください)、

「なべて青島での休日以外では見たことのないリラックスした気楽な世界だった。そしてわたしはこの好意的な第一印象を最後まで、やがて収容所の状況が目に見えて悪くなっていっても、依然として保ちつづけた。わたしは龍華収容所の生活を楽しみ、年齢もさまざまな多くの友人を作り(大人になってからはあんなにたくさんの友人はいなかった)、いつまでも陽気で楽天的な少年でありつづけた。やがて食料配給がほとんどゼロになり、両足にできものができ、栄養失調で脱肛を起こし、大人たちがみな希望を失ってしまってもなお」
「わたしは小説『太陽の帝国」で龍華収容所のことを描いた。いくらかは自伝的で、いくらかはフィクションだが、多くのの出来事はほぼ起こった通りに描写されている。ただし同時に、これは基本的に十代の少年の記憶に基づいた小説である。」
「小説の中で、もっとも現実と異なるのは両親が龍華収容所にいないことである。これについては深く考えたが、『ジム』を戦争孤児とする方が出来事の心理学的・感情的真実にははるかに近いと思われたのだ。まちがいなく、両親の死にいたるまで徐々に広がっていった離間のはじまりがここ龍華収容所だった」
「運良く、広島と長崎に投下された原爆によって戦争は唐突に終結した。両親と、そして龍華収容所の生活を経験した人みなと同様、私は長くアメリカの原爆投下を支持してきた。降伏を告げる玉音放送を受けて、数日のうちにいまだ戦闘力をたもっていた日本軍は完全に戦闘を停止し、数百万人の中国人の、そして我々自身の命が救われた。そうならなかった場合に何が起こったかは、マニラでの熾烈な戦闘が教えてくれる。太平洋戦争で米軍による戦闘があった唯一の大都市では十万人あまりのフィリピン人市民が死亡した」
「今でも思いだすのは、二人の監視兵が、自分たちを上海から運んできてくれた、疲弊しきった中国人車夫をぶちのめして殺したことである。絶望した中国人が土下座してすすり泣く前で、日本人たちはまず、男のこの世での唯一の所有物であり唯一の収入の糧である人力車を蹴り壊し、それから今度は中国人を殴り蹴り、最後に男は血まみれで動かなくなった」
「一人が黒いズボンと白いシャツという恰好の中国人の若者をいたぶっていた。日本兵は電線を切り取って、中国人を電信柱に縛りつけていた。そのままゆっくりと絞首されつつある中国人が奇妙な歌のような声をだしていたのだ」
「悲しいかな、多くの点において、わたしの経験はヨーロッパや極東の占領地域に住んでいた数多の十代の少年たちとなんら変わるものではなかった。大いなる残虐が世界を覆っており、我々にはそれしか見えなかった」
「彼らは死が銃剣と手榴弾を握りしめて走ってくるのを見て、その死を眼前で食い止めるために戦ったのだ」
「わたしは『女たちのやさしさ』に、英国人は戦争に勝ったと言いながら、負けたかのように行動すると書いた。彼らはあきらかに戦争で疲れきっており、未来にほとんど希望を抱いていなかった。人々は群となって移動し、あらゆるものに列を作った。配給手帳と被服クーポンは何よりも大事で、いつも数えなおして不満たらたらだった。それで買える品など店に何もないのだが」
「さらに重要なのは、希望そのものが配給制であり、人々の意気さえも撓められてしまったことだった」
「わたしが出会った英国人の大人たちはほぼ全員、英国は独力で戦争に勝ったのであり、アメリカ人とロシア人はわずかに手を差し伸べてくれただけであり、たいていは邪魔しただけだったと心から信じていた。実際には、我々はたいへんな損害を受け、疲弊して貧困に沈み、ノスタルジア以外にすがりつくものは何も残っていないありさまだったのに
「英国生活に窒息させられまいとして、わたしはアメリカとヨーロッパの作家たち、モダニズムの古典作品に没頭したーヘミングウェイ、ドス・パソス、カフカ、カミュ、ジョイス、ドストエフスキー。おそらくは完全な時間の無駄だったろう」
「それから、十六歳にしてわたしはフロイトとシュルレアリストを発見した。目の前にダイナマイトが落ちてきて、渡ろうかためらっていた橋を爆破してくれたのだ」
「わたしの頭の中では半分食いちらかしたカフカとジョイス、パリの実存主義者と『無防備都市』のようなイタリアのネオリアリズモ映画、英雄的モダニズムの高潮とかが、ナチの絶滅収容所と高まりつつある核戦争の脅威を背景にせめぎあいを演じていたのである」
「戦後思想を支配していた理性と論理への信仰は、わたしには、救いがたく理想主義的なものに思えた。ドイツ人たちはヒトラーとナチスのせいで誤まった道に導かれただけだ、という一種の信仰のことである。東欧諸国での数えれぬほどの残虐行為は、そこに関与したドイツ人が大量殺人を楽しんでいた結果だ、わたしは確信していた。日本人たちが中国人をいたぶって楽しんでいたように。理性と論理では人間行動は説明できなかった。人間はしばしば非合理で危険な存在であり、精神分析は狂気と同じくらい正気について学ぶ手段でもあるのだ」
「死は決定的な終わりかもしれないが、人間の想像力と意志は自分自身の消滅をも超克できるのだ。さまざまなかたちで、わたしの全小説は上海とその後戦後世界で目撃した深層心理、核戦争の脅威からケネディ大統領の暗殺、妻の死から二十世紀最後の数十年のエンターテイメント文化の底流となる暴力までを解剖しようとしたものだ。あるいは解剖室での二年間は、上海をそれ以外の方法で生きつづけさせようとする無意識の試みだったかもしれない」
「あのとき、わたしは子供たちこそが人生の奇跡だと思った。今でもそう思っており、したがってこの自伝はあの子たちに捧げられる」
「子供たちのことはつねに誇りに思っている。共に過ごしたすべての瞬間が我が存在を温かく意味あるものにしてくれた」
「いまだ見いだされざるなんらかのかたちで、ケネディ大統領の暗殺と第二次世界大戦の数えきれないほどの死が無駄でないこと、意義さえあるのだということをしようとした」
「わたしにとって、ケネディ暗殺は六〇年代に火をつけた触媒だった」
「六〇年代は今の若者たちが思っているよりはるかに革命的な時代だった。多くの人は英国人の生活は今も昔も変わらず、ただ携帯電話と電子メール、コンピュータが加わっただけだと思っている。だがそこには社会革命があり、多くの意味で戦後労働党政権と同じくらい重要な変化が起こった。ポップ・ミュージックとスペース・エイジ、ドラッグとベトナム戦争、ファッションと消費主義がひとつに混ざり、活気あふれ今にも爆発せんばかりだった」
「政府による芸術の保護は去勢の儀式として政治的役割を果たしているのだろう。革命的衝動を押さえこみ、『アート・コミュニティ』をおとなしい羊の群にかえてしまうのだ」
「性的妄想が科学、政治、有名人と融合する一方、真実と理性は出口へと押しやられた」
「もし自分をとりまく日常そのものが神経衰弱だったなら、そのとき自分が正気なのか狂気なのか、どうしたらわかるのだろう」
「いかな儀式によれば、絶望的な不安と恐怖症から組みあげられた狂える秘跡を通じて、世界の意味を召喚できるのだろうか?」

長い写経みたいですいません。

一読して、戦争から何とか生き延び、幸せな家族を築き、いい人生を全うできた、一人の作家の実像が浮かびあがってくる、いい自伝でした。

何よりも、ご子息のことを奇跡という所が良かったです。書いていた作品はネガティブで嫌いな方も多かったらしいですが、本人は真っ当な父親だったみたい。

自伝的小説「太陽の帝国」が戦争の部分だけ特化して語った作品だったので、その後の事まで詳しく書いた本書も読んだ方がいいです。

日本軍の残虐行為の描写は日本人には目に痛いですが、こういう事をやった人もいたという事で、目を逸らせてはいけないと思うので、素直に受け止めましょう。

自伝の傑作。必読。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2012年2月21日に日本でレビュー済み
夢中になって『沈んだ世界』『時の声』『結晶世界』『クラッシュ』『残虐行為展覧会』『夢幻会社』『永遠へのパスポート』などなど、のめり込んでいったジェームズ・グラハム・バラード(と、フルネームで書いたら他人みたいですね。やっぱり通っている名前のJ・G・バラードの方がすっきりするわ)ですが、まさかSFの世界を超克して、シュールレアリズムと精神分析学や超心理学とかが融合して、まったく今までにない斬新な文学の地平が現出するとは思ってもみなかったのでした。

手ごたえは確かなもので、この世界は人類史上初めて的確な表現で記述されたのではないかとさえ思われたのでした。

このニュー・ウエーブSFに呼応して、日本での展開を実践した山野浩一の「季刊NW−SF」(1970年〜1982年)にも熱烈な賞賛と羨望を覚えましたが、今から11,2年前にはすでに見る影もなく、私の周りの少数のSF愛好者にも無関心派が多かったように記憶しています。

そして昨年のJ・G・バラードの死去。これから新作を読むことは二度とあり得ないんだと思うと悲しくなるばかりでしたが、きっと何年かして未発表作の発見だとかがありえるはずとは思っていたら、それに先立ち自叙伝が刊行されました。

彼の半自伝的小説の映画化が1987年公開のスティーブン・スピルバーグ『太陽の帝国』でした。そこでも描かれた、1930年に上海で生まれて、幼年期まるごと第二次世界大戦の真っ只中、侵略した日本軍の収容所で思春期を送るという絶望的な人生の始まりから、イギリスで医学を修め死体を解剖し、妻となる人と出会い子供の誕生、それから別離がありまた新たなる出会いの後に死の宣告を受ける・・・人生とは楽しいことよりも苦しいことの方が多いのだと思い知らされるほどです。

彼の書く小説も絶望や破壊をテーマとするものが多いのですが、それでも尚それを克服する人間の希望への意思と融和への想像力を信じて書かれているような気がしていました。

自ら私小説的な側面をまったく持たないSFという形式を選んだのは、初めは人の百倍も苦汁を舐めた人生を封印したかったのかと思いましたが、今は違います、逆にもっと徹底的に、自分の体験を抽象化して全人類的な普遍性に高めたかったというふうに思います。

<人生の軌跡>ではなく、≪人生の奇跡≫というところがこの本の眼目で、おそらく平凡な人生を送る私たちでさえも、その一端を味わうことができる視点を教えてくれる本だといえそうな気がします。

記述日 : 2010年11月29日 09:35:36
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