アーレントの幾つかの論文や講演をまとめた一冊ですが、素晴らしい内容でした。
特に、「道徳哲学の幾つかの問題」と「思考と道徳の問題」は自分がこれまでに読んだカントについて書かれたどの入門書よりもカントの思想の本質を捉えており理解に導かれたのが非常に印象的でした。
アウシュヴィッツ関連のテーマは非常に重く、人間の根源的な悪性を突きつけられるようでした。
ここで描かれる戦後直後のドイツ国民の無関心ぶりと、現在の同国における犯した罪から決して目を背けず自制し続けようとする国民的姿勢との違いをもたらすに至ったことに、本書を含むアーレントの作品が与えた影響力は非常に大きいのは間違いありません。
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責任と判断 (ちくま学芸文庫) 文庫 – 2016/8/8
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思考なき世界の<凡庸な悪>とは何か?
「歯車理論」や「小物理論」の虚偽を突き、第三帝国下の殺戮における個人の責任を問う「独裁体制のもとでの個人の責任」、アウシュヴィッツ後の倫理を検討し、その道徳論を詳らかにする講義録「道徳のいくつかの問題」など、ハンナ・アレント後期の未刊行論文集。ユダヤ人である自らの体験を通して全体主義を分析し、20世紀の道徳思想の伝統がいかに破壊されたかをたどる。一方、人間の責任の意味と判断の能力について考察し、考える能力の喪失により生まれる“凡庸な悪"を明らかにする。判断の基準が失われた現代こそ、アレントを読むときだ。
「歯車理論」や「小物理論」の虚偽を突き、第三帝国下の殺戮における個人の責任を問う「独裁体制のもとでの個人の責任」、アウシュヴィッツ後の倫理を検討し、その道徳論を詳らかにする講義録「道徳のいくつかの問題」など、ハンナ・アレント後期の未刊行論文集。ユダヤ人である自らの体験を通して全体主義を分析し、20世紀の道徳思想の伝統がいかに破壊されたかをたどる。一方、人間の責任の意味と判断の能力について考察し、考える能力の喪失により生まれる“凡庸な悪"を明らかにする。判断の基準が失われた現代こそ、アレントを読むときだ。
- 本の長さ558ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2016/8/8
- 寸法10.7 x 2.2 x 14.9 cm
- ISBN-104480097457
- ISBN-13978-4480097453
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出版社より

立ち止まって考えろ! それだけが善く生きる道だ!!
アレント生前に発表された講義や論説を「責任」と「判断」の下に編む。ナチス統治下で道徳が崩壊した経緯を問い、善悪の判断を促すものを考察する。
商品の説明
出版社からのコメント
アレントは、これらの人々がいかにして自己の道徳的な規範を喪失し、あるいは他者の道徳規範にすり替えてみずから道徳的な判断を行うことを停止していたかを、詳細に検討する。そしてこうした犯罪に手を染めることを避けることができたのは、「そのようなことはできません」と、自分の信念から組織の命令を拒んだ人々だけだったことを確認したのである。(「文庫版の訳者あとがき」より)
【目次】
プロローグ(ソニング賞受賞スピーチ) 一九七五年
第1部 責任
独裁体制のもとでの個人の責任 一九六四年
道徳哲学のいくつかの問題 一九六五‐六六年
アレントの『基本的な道徳命題』の異稿
集団責任 一九六八年
思考と道徳の問題―W.H.オーデンに捧げる 一九七一年
第2部 判断
リトルロックについて考える 一九五九年
『神の代理人』―沈黙による罪? 一九六四年
裁かれるアウシュヴィッツ 一九六六年
身からでたさび 一九七五年
【目次】
プロローグ(ソニング賞受賞スピーチ) 一九七五年
第1部 責任
独裁体制のもとでの個人の責任 一九六四年
道徳哲学のいくつかの問題 一九六五‐六六年
アレントの『基本的な道徳命題』の異稿
集団責任 一九六八年
思考と道徳の問題―W.H.オーデンに捧げる 一九七一年
第2部 判断
リトルロックについて考える 一九五九年
『神の代理人』―沈黙による罪? 一九六四年
裁かれるアウシュヴィッツ 一九六六年
身からでたさび 一九七五年
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2016/8/8)
- 発売日 : 2016/8/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 558ページ
- ISBN-10 : 4480097457
- ISBN-13 : 978-4480097453
- 寸法 : 10.7 x 2.2 x 14.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 158,781位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 91位イデオロギー
- - 350位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 531位ちくま学芸文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年11月23日に日本でレビュー済み
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内容的には☆5つですが、初めてアレントを読んだため、基本的な知識がないと敷居が高いと感じました。特に「道徳哲学のいくつかの問題」(P89-273)はソクラテス、プラトン、ニーチェ、カントなどについて一定の知識がない自分にとっては理解するのに苦労すると同時に、理解不能な所もありました。読み終えるのにかなりの時間がかかりましたが、参考になる部分が随所にありました。他の方もレビューで書いていましたが、代表作の「エルサレムのアイヒマン」「全体主義の起源」の再版を期待したいです。
2020年4月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
じっくり読んで、また読み返したり
重く感じて読まなかったり
映画で知ってから、ファンです。
重く感じて読まなかったり
映画で知ってから、ファンです。
2023年6月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
後記より抜粋
アレントの語る「悪の凡庸さ」と言う言葉は、ナチスの犯した犯罪の悪の巨大さを否定しようとするものではなく、普通の人々が自分で考え、自分で道徳的な判断を下すと言う当たり前のことをすることを回避したことによって、そのような巨大な犯罪が犯されたことを告発する言葉である。
自分で考える責任を回避した瞬間から、こうした凡庸な悪に手を染めるかもしれないのである。
コロナ禍における、接種ありきに対して、考えさせられる。
アレントの語る「悪の凡庸さ」と言う言葉は、ナチスの犯した犯罪の悪の巨大さを否定しようとするものではなく、普通の人々が自分で考え、自分で道徳的な判断を下すと言う当たり前のことをすることを回避したことによって、そのような巨大な犯罪が犯されたことを告発する言葉である。
自分で考える責任を回避した瞬間から、こうした凡庸な悪に手を染めるかもしれないのである。
コロナ禍における、接種ありきに対して、考えさせられる。
2016年9月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いくつかの長さの異なる論文からなる著作である。それぞれ責任、判断と題された2部構成である。道徳哲学の幾つかの問題、という論文が一番長く、テーマ的に中心である。
著者によれば、ドイツ人は2度道徳的に死んだと言う。一度目はナチのユダヤ人絶滅計画を是認した事、2度目は戦後あたかもそれを無かった事のようにして戦後体制に順応した事だ。ドイツ連邦共和国の高官は、軒並み元ナチ党員だった事がそれを証明している。それでは、そのような危機の時に、反ユダヤ主義に飲み込まれなかったごく少数の人々は、どのようにしてその態度を取ることができたのだろうか?これが本書の主題である。端的に言えば、著者はソクラテスを呼び返す。彼はこう言った、私の内部にはもう一人の私がいて、その私に対して弁明できないことを実行することはできない、これからの人生をそのような葛藤のうちに生きるくらいなら、死んだ方がましだ、という決意である。また彼はこうも言う、自分が悪をなすよりも、悪をなされる方がましだ。これはまさに、ソクラテスが冤罪を受け入れて死んで行った態度である。そうではない態度を取った人々は単に考える事を放棄したのだ。このような態度は、自分は命令されただけで他にはどうしようもなかったという他者の弁明を無効化する。ただし、その引き換えに、ソクラテス同様にナチの時代のドイツで死に赴く事になったかもしれない。評者はこの本のエッセンスを上記のようだととらえたが、実は、それだけではない。著者の文章は平易ではあるが、深い含意を考えながら読み進めなければならない。そして、意思、良心、行動、思考等について根源的に考えようとするので、評者には理解が十分ではないところもあったと思う。
アウシュビッツで実際にユダヤ人の処刑に携わった“小物”の裁判の傍聴記録を克明に読んだ彼女のエッセイも納められている。アウシュビッツはナチにより細部にわたって設計された効率的殺人メカニズムのはずだったが、現実には、そこでは人間による恣意的な収容者の生死の決定が行われ、気まぐれが横行していた。メンゲレは、出産した女性収容者に花束とチョコレートを贈ったと言う。収容所では、母子は生産性がないので生きている事を許されず、明日には死刑になるとしてもだ。また、収容所勤務になった親衛隊員でも、そこでの惨状に恐れをなして、転属願いを出し実際にそれは受け入れられたのだと言う。つまり、そこで勤務していた小物たちは、選抜された最悪の人々だったのだ。その彼らは、裁判では衛兵に愛想良く挨拶し、それに普通のドイツ人たる衛兵は品良く返したのだと言う。また、裁判の過程では、彼らはルドルフ・へスやヒムラー等のユダヤ人絶滅計画の立案者たちに比べて、自分たちは命令に従っただけなのだから、罪はない、また、どうしてあのようなお偉方はこの裁判の場にいないのですか、等と言った。ごく例外的に、収容者を助けるために自分にできる可能な事をして、生存者から(もちろん偶然生き残ったのだ)好意的な証言をされた人物は、己を恥じてその証言を否認し、3年半の重労働の刑に服した。
再読して、著者の言わんとする事をもう一度良く噛み締める必要があると考えさせられる読書体験だった。
著者によれば、ドイツ人は2度道徳的に死んだと言う。一度目はナチのユダヤ人絶滅計画を是認した事、2度目は戦後あたかもそれを無かった事のようにして戦後体制に順応した事だ。ドイツ連邦共和国の高官は、軒並み元ナチ党員だった事がそれを証明している。それでは、そのような危機の時に、反ユダヤ主義に飲み込まれなかったごく少数の人々は、どのようにしてその態度を取ることができたのだろうか?これが本書の主題である。端的に言えば、著者はソクラテスを呼び返す。彼はこう言った、私の内部にはもう一人の私がいて、その私に対して弁明できないことを実行することはできない、これからの人生をそのような葛藤のうちに生きるくらいなら、死んだ方がましだ、という決意である。また彼はこうも言う、自分が悪をなすよりも、悪をなされる方がましだ。これはまさに、ソクラテスが冤罪を受け入れて死んで行った態度である。そうではない態度を取った人々は単に考える事を放棄したのだ。このような態度は、自分は命令されただけで他にはどうしようもなかったという他者の弁明を無効化する。ただし、その引き換えに、ソクラテス同様にナチの時代のドイツで死に赴く事になったかもしれない。評者はこの本のエッセンスを上記のようだととらえたが、実は、それだけではない。著者の文章は平易ではあるが、深い含意を考えながら読み進めなければならない。そして、意思、良心、行動、思考等について根源的に考えようとするので、評者には理解が十分ではないところもあったと思う。
アウシュビッツで実際にユダヤ人の処刑に携わった“小物”の裁判の傍聴記録を克明に読んだ彼女のエッセイも納められている。アウシュビッツはナチにより細部にわたって設計された効率的殺人メカニズムのはずだったが、現実には、そこでは人間による恣意的な収容者の生死の決定が行われ、気まぐれが横行していた。メンゲレは、出産した女性収容者に花束とチョコレートを贈ったと言う。収容所では、母子は生産性がないので生きている事を許されず、明日には死刑になるとしてもだ。また、収容所勤務になった親衛隊員でも、そこでの惨状に恐れをなして、転属願いを出し実際にそれは受け入れられたのだと言う。つまり、そこで勤務していた小物たちは、選抜された最悪の人々だったのだ。その彼らは、裁判では衛兵に愛想良く挨拶し、それに普通のドイツ人たる衛兵は品良く返したのだと言う。また、裁判の過程では、彼らはルドルフ・へスやヒムラー等のユダヤ人絶滅計画の立案者たちに比べて、自分たちは命令に従っただけなのだから、罪はない、また、どうしてあのようなお偉方はこの裁判の場にいないのですか、等と言った。ごく例外的に、収容者を助けるために自分にできる可能な事をして、生存者から(もちろん偶然生き残ったのだ)好意的な証言をされた人物は、己を恥じてその証言を否認し、3年半の重労働の刑に服した。
再読して、著者の言わんとする事をもう一度良く噛み締める必要があると考えさせられる読書体験だった。
2018年3月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
アレントは、いつ読んでも難しい。しかし、どれを読んでも素晴らしい!!
2018年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
講義で聞いていた学生が、いたんだよね。いいなあ。人生、生活の様々な局面で、素晴らしい示唆となる言葉が多数。
2023年3月18日に日本でレビュー済み
ユダヤ人の虐殺に関わらなかった人間は自分との対話により、それを行った後、内なる自分と仲良くできるか?と自問した。全体主義に飲み込まれないために内なる自分と対話し自分の声を尊重するという考えは非常に納得できるものだった。
しかし、非常に難解であり読了できなった。
しかし、非常に難解であり読了できなった。