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現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫 コ 21-1) 文庫 – 2005/4/1

4.6 5つ星のうち4.6 15個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2005/4/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/4/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 350ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480089063
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480089069
  • カスタマーレビュー:
    4.6 5つ星のうち4.6 15個の評価

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星5つ中4.6つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2022年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かなり前(ひょっとすると20年近く前)に読んで、いま再読中。
この著書だけではなく、古東哲明氏の全著書を再読中です。とにかく面白い。

古東氏の著書はすべて、いかにして読者を存在驚愕の視点に立たせるか、をめざして書かれているように思います。
本来なら「考えるな、見よ」と言われるような事を、果敢にも言語化しよう苦闘している。語り得ぬものを前にして沈黙するのではなく、あえて饒舌に様々な角度から語り、まずは存在驚愕の視点を頭で理解させ、できれば体感できる立ち位置に導きたい。そんな意図を強く感じます。

社会的状況・経済的状況をはじめ、私たち「人間」が置かれているシチュエーションなど、哲学者(エイリアン)の視点から見れば単なる枝葉末節にすぎない。
そんな事、どーでもいい。
いまの政治は間違っている、改革だ!「はあ、そうですか」。お金が無くて苦しい。「はあ、そうですか」。
頑張って改革してもいい。努力してお金を稼いでもいい。法の整備が必要なら働きかけてもいい。

でも、古東氏が言っているのは、そんな事ではないんです。
そのような、あまりにも人間的な事柄から離れてみろ。人間という枠の外に出てこの世界を見てみろ。今日死んでしまう者の視点で周りを見てみろ。死者の視点でこの世界を見てみろ。
という事を古東氏は言っています。

人間が四苦八苦していることなんて、本当にくだらない。
政治?経済?法?そんなお話、どーでもいいわ。そんなの単なる人間の物語だろ。
なーんて言ったら、行動で表現したら、周りから問題視されそうですよね。
古代ギリシャの哲学者達はそういう問題視された人々でした。

思想ではなく、哲学。生きるためにどう考え行動するか、ではない。
どのようなシチュエーションに在ろうとも、自分が在るという事実に、世界が在るという事実に驚く。そして全ては奇跡だと気付く。
この存在驚愕という幸福の上に、あらゆるシチュエーションはある。
なんて事を考えさせてくれる本です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年7月16日に日本でレビュー済み
古代ギリシア哲学は繰り返し現在の思想的起点とされてきた。ガダマーはこの哲学の美点を「存在の理性性」と規定し、自然の中に理性を観るこの哲学の立場を現在的意義にまで高めていた。

本書は古代ギリシア哲学をこの線に重なるような方向で、読み返しを図っている。タレスから始まりパルメニデスに至る諸章では「存在」が主題として掲げられ、彼等は当時起こりかけていた科学的思考の生起と神性の希薄化に反抗しようとしていたこと、そして共通して「存在」を思惟していたことが明らかにされる。「パリントロポス・ハルモニエー」という存在規定は「モナド」あるいはヘーゲル的「存在」を想起させる。

「自然により生きることから、自然の為に生きること」という私たちの今生きる時代の精神的移行にとって、各々思想を形成しようと試みる際の一助となる本である。
8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2002年7月9日に日本でレビュー済み
 ギリシャ思想こそは現代思想の源泉、と著者は見る。ハイデガーはもちろん、アドルノやレヴィナスやドゥルーズだってギリシャ的存在論なくしては考えられない。そういえばレヴィナスはプラトンへの言及が多く、ドゥルーズなんかはストア派大好きだ。そもそもニーチェだってギリシア研究からはじめたのだった!
 あることがある、という存在、自然への驚き。それは神話の神々の死の後に生まれた発想で、科学的思考ではない。いわば存在の神秘の思想。いや、それを体験するということ。問題は身体論からその存在を生きるという倫理へと及ぶ。
 著者の博識による豊富な引用がまたこの本に説得力と深みを与えている。確かに常識はずれ、哲学史はずれの論だが、現代思想に親しみ、でもどうしても分からないことがひっかかっている読者にとってはまるで福音書のような本。 
 哲学って伝えきれないことについてほのめかす技術だったし、書き尽くされないことの語り直しなのだ。一息に読んでめから鱗ぼろぼろこぼしてくださいな。
21人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年11月21日に日本でレビュー済み
読後に気持ち悪いと感じるのは私だけだろうか。
私は以前、岩波哲学辞典にも載っている翻訳者(東大文学部哲学科卒、自称哲学者)に自分の意見を述べたことがあるが、「そんなこと誰が言ってる!どこに書いてある!」と一喝された。
私は内心「この人は自分の頭で考えることを知らない」と思い、あえて反論しなかった。
同様の内容を著名な編集者(東大法学部卒)に話したこともある。「あなたは誰もしてない事をしようとしているから、それだけしなさい。30万円出資します」と言われた。
知識人も医者と同様ピンキリで、残念ながら本書の著者は前者!
「今この時点」を重視しているが、例えば最近30年ほどの間に政府が立法化した「働き方改革」、あるいは「グローバリズム政策」「持株会社」「金融持株会社」は現在の我々の生活環境になっていることを思えば、今この時点が現実とは言えないのは明らかで、我々は過去の決定の中にどっぷりと浸かっていることを無視できないのでは。
アウレリウスの「自省録」の記述における「二重人の思想」への著者の共感はまっだく同意できない。
ヘーゲルは「法の哲学」§57で「不法がまだ法であるような世界」という才能の結晶のような言い回しをしているが、このレビューのタイトルにした言い回しはこれを変形した表現です。アウレリウス「自省録」は「不法・・・」と「非倫理・・・」の両方を生きたことの記述であり、これを達観だと肯定するのは、哲学者として本来考えなければならない問題を避けているとしか思えない。
宇宙から人間という生命体が誕生し、これに対する驚愕の念と、人間の内面の成熟度とは別尺度であろう。(こういう二元論を否定する人もいることは承知している。)「自然からの驚愕の進化」は、人間の内面の成熟度を保証するものではない。
この両方が同一歩調をとるという一元論的な解釈をするなら、どうして現実の世界がこれほどの惨事にみちているか説明不可能であろう。
この様な論者は職場放棄していて、哲学から程遠い。インド思想における「ヴェーダーンタ」の不二一元論にも同様なことが言える。
自然法則(不確実性や偶然や不可逆性を含むとしても)と、人間の内面とは別世界であり、存在は自然が与えてくれた姿をしていても、内面は爬虫類レベルなのかもしれない。ミミズ程度かもしれない。粘菌レベルかもしれない。
本書は哲学書ではなく「大衆本」。
ヴィーコの「新しい学」(世界の名著 続6)を読んでいるが、遥かに面白い。これこそが学術の水準だと思う。現代の書物に自分がどれほど毒されているか痛感する。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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