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革命について (ちくま学芸文庫 ア 7-2) 文庫 – 1995/6/7
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- 本の長さ478ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1995/6/7
- ISBN-10448008214X
- ISBN-13978-4480082145
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1995/6/7)
- 発売日 : 1995/6/7
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 478ページ
- ISBN-10 : 448008214X
- ISBN-13 : 978-4480082145
- Amazon 売れ筋ランキング: - 200,219位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
恐ろしく難解な著作である。学生時代(昭和54年頃)から何度も挑戦し、そのたびに途中で挫折。今年(令和2年)、ようやく読み切った。ホッブズ、ルソー、マキアヴェリなど、西欧思想史の大御所たちの学説についてある程度知っておく必要がある。アレントの立論は、読者がそういう知識をそなえていることを暗黙の前提としているので。
2021年9月18日に日本でレビュー済み
普遍たらん一切の活動は、この世の健康維持にすぎない。ただ普遍たらんとする活動が、この世の思いでになるのであったーーそれは絶対の美であろうか。西洋のフランス革命、東洋の国共内戦、両者の方向性は違うようだけれども、両者はこの世の思いでになっていると言えよう。革命や戦争が健康維持や思いでというのは滑稽至極であるが、それがこの世なのであろう。ここでこの世というのは私のイメージであり、世界とは何かというのは旧態依然としてつかめない。ただ世界とは何かを知らんとする心的態度が普遍たるのだと思われる。
2019年12月23日に日本でレビュー済み
〇本書では、革命を切り口に、統治と自由の諸問題を考えることになる。革命とは、「政治的な被支配者が支配者にのし上がる(つまりは政治的自由を求める)ことである」と考える著者は、アメリカ独立運動を正真正銘の革命だったとしたいようだ。それではフランス革命は違うのかと言いたくなるが、著者によれば、フランス革命では、目的が政治的自由から途中で貧困の克服に移ってしまったから、ダメなのだという。著者は、別の著作(人間の条件)で、生存のためのlaborよりも作品を残すworkを高く評価し、それよりも政治活動actionに高い価値を置いている。そのような視点から、革命たるもの徹頭徹尾actionであって欲しかったと考え、Laborの問題である貧困解決に向かった仏革命を残念に思っているように思う。著者の結論に賛同するにせよ、しないにせよ、刺激的で啓発的な本だと思う。
〇また、本書に限らずアーレントの特徴は、論旨を進める合間に挟まれる饒舌なおしゃべりだ。古今の文献がすべて頭にはいっているかのような自由自在な議論である。論旨とは直接の関係は無いようにも思われるが、その博識に触れて楽しむこともアーレントを読む楽しみである。
〇以下には私なりに整理した本書のポイントをまとめる。興味があればご覧ください。
〇1.革命の意味:被支配者が支配者にのし上がるという意味での革命は、近代の産物であり、仏革命が嚆矢である。イギリスの無血「革命」などは、復古であり被支配者が支配者の地位に就いたのではない。そもそもrevolutionは天体用語で循環的な意味を持つ。仏革命もアメリカ革命も当初はかつて手にしていた権利を再び取り戻すという意識で始めた。革命が目指したものは、自由でもあり解放でもある。いわゆる「自由」には、抑圧からの解放liberationを意味するlibertyと積極的に公共体での役割を図るfreedomとがある。ギリシャポリスの自由は、libertyのみではなくfreedomを前提にしていた。仏革命の当初はfreedomを目指したが、下層民が登場するにおよんで貧困からの解放が主題となった。
〇2.社会問題:フランス革命は政治的自由(参加)を求めて始まったが、パリ下層民が前面に出てくることによって貧困からの解放と言う社会問題の解決が目的となった。これに対してアメリカの新世界では以前から貧困・貧窮は解決されていたから(奴隷制に目をつぶればということだが)、革命は最後まで政治的であり新しい統治体制の確立が目的であり続けた。
〇3.幸福の追求:米独立宣言は「幸福追求権」を定める。起草者のジェファソンは公的幸福(統治に参加して力量を発揮し称賛を浴びる幸福)と私的自由(他に煩わされずに自分の利益となることに没頭できる幸福)の双方を含意したはずであるが、後に私的自由のみを意味するように解釈されるようになってしまった。しかし、アメリカ革命の当事者は、公共の仕事にかかわり、議論をし、自らを発揮することで称賛を受けることにこの上ない喜びを感じていたことは間違いない(これは古くはソクラテスに連なる)。
〇4.自由の構成:革命はその後の統治機構を作らなくてはならない。フランス革命では、人民(実体はない)を法を超越する最高の存在と捉えて(ルソーの一般意思)、それを根拠に立憲会議で上からの憲法を作成したが、その憲法は注目も重視もされずに変遷を重ね成功しなかった。これに対してアメリカは、コロニーが集まって州を形成し、州が集まって連邦を形成するという下からの権限移譲に基づいて憲法を作った。内容的に特別新しいものはなかったが、確かな根拠(理論でしかない社会契約が存在するように見える)をもとにゆるぎない憲法となった。
〇5.新しい秩序:社会をつくるには権力だけではなく権威がいる。絶対王政は王権神授説を前提としたように、最高位の法は、権威をまとわなければならない。アメリカ革命はここを鮮やかに切り抜けた。Founding fathersが議論し合意した内容を「われわれは、これらの真実を自明のものとみなす」と宣言することによって、独立宣言の前文をさらなる理屈や説得なしに通用させる権威あるものとした。これは新しく始めることが権威の源であるということで、古代ローマに学んだもの。アメリカでは、check and balanceを徹底し、新しい工夫として、最高裁判所(議会の制御)と上院(利害ではなく普遍的意見の源)に権威を与えた。フランス革命ではかかる新しい始まりができなかったので、自然法やら神々の認証やらを考える必要があった。
〇6.革命の伝統:革命の後になると革命的精神(公的活動に参加することに幸福=公的幸福を覚える精神)が忘れられている。これは残念なことだ。実は、どの革命でもその初期の段階でジェファソンの唱えた区制のようなものが自然発生的に出現する(パリ・コミューンのセクション、評議会、ソヴィエトなど)。それは人民の公的参加の場である。さらにそれらは上位の評議会を構成し、最後は全国的な代表を選出するまでになる(アメリカの下位から上位への権限移譲そのものである)。しかし革命党は、得てしてこれらの評議会の抑圧に回る。結局のところ革命党は中央集権的な一党独裁を求め、地方組織に公的参加ではなく命令の執行を求めるのである。
〇また、本書に限らずアーレントの特徴は、論旨を進める合間に挟まれる饒舌なおしゃべりだ。古今の文献がすべて頭にはいっているかのような自由自在な議論である。論旨とは直接の関係は無いようにも思われるが、その博識に触れて楽しむこともアーレントを読む楽しみである。
〇以下には私なりに整理した本書のポイントをまとめる。興味があればご覧ください。
〇1.革命の意味:被支配者が支配者にのし上がるという意味での革命は、近代の産物であり、仏革命が嚆矢である。イギリスの無血「革命」などは、復古であり被支配者が支配者の地位に就いたのではない。そもそもrevolutionは天体用語で循環的な意味を持つ。仏革命もアメリカ革命も当初はかつて手にしていた権利を再び取り戻すという意識で始めた。革命が目指したものは、自由でもあり解放でもある。いわゆる「自由」には、抑圧からの解放liberationを意味するlibertyと積極的に公共体での役割を図るfreedomとがある。ギリシャポリスの自由は、libertyのみではなくfreedomを前提にしていた。仏革命の当初はfreedomを目指したが、下層民が登場するにおよんで貧困からの解放が主題となった。
〇2.社会問題:フランス革命は政治的自由(参加)を求めて始まったが、パリ下層民が前面に出てくることによって貧困からの解放と言う社会問題の解決が目的となった。これに対してアメリカの新世界では以前から貧困・貧窮は解決されていたから(奴隷制に目をつぶればということだが)、革命は最後まで政治的であり新しい統治体制の確立が目的であり続けた。
〇3.幸福の追求:米独立宣言は「幸福追求権」を定める。起草者のジェファソンは公的幸福(統治に参加して力量を発揮し称賛を浴びる幸福)と私的自由(他に煩わされずに自分の利益となることに没頭できる幸福)の双方を含意したはずであるが、後に私的自由のみを意味するように解釈されるようになってしまった。しかし、アメリカ革命の当事者は、公共の仕事にかかわり、議論をし、自らを発揮することで称賛を受けることにこの上ない喜びを感じていたことは間違いない(これは古くはソクラテスに連なる)。
〇4.自由の構成:革命はその後の統治機構を作らなくてはならない。フランス革命では、人民(実体はない)を法を超越する最高の存在と捉えて(ルソーの一般意思)、それを根拠に立憲会議で上からの憲法を作成したが、その憲法は注目も重視もされずに変遷を重ね成功しなかった。これに対してアメリカは、コロニーが集まって州を形成し、州が集まって連邦を形成するという下からの権限移譲に基づいて憲法を作った。内容的に特別新しいものはなかったが、確かな根拠(理論でしかない社会契約が存在するように見える)をもとにゆるぎない憲法となった。
〇5.新しい秩序:社会をつくるには権力だけではなく権威がいる。絶対王政は王権神授説を前提としたように、最高位の法は、権威をまとわなければならない。アメリカ革命はここを鮮やかに切り抜けた。Founding fathersが議論し合意した内容を「われわれは、これらの真実を自明のものとみなす」と宣言することによって、独立宣言の前文をさらなる理屈や説得なしに通用させる権威あるものとした。これは新しく始めることが権威の源であるということで、古代ローマに学んだもの。アメリカでは、check and balanceを徹底し、新しい工夫として、最高裁判所(議会の制御)と上院(利害ではなく普遍的意見の源)に権威を与えた。フランス革命ではかかる新しい始まりができなかったので、自然法やら神々の認証やらを考える必要があった。
〇6.革命の伝統:革命の後になると革命的精神(公的活動に参加することに幸福=公的幸福を覚える精神)が忘れられている。これは残念なことだ。実は、どの革命でもその初期の段階でジェファソンの唱えた区制のようなものが自然発生的に出現する(パリ・コミューンのセクション、評議会、ソヴィエトなど)。それは人民の公的参加の場である。さらにそれらは上位の評議会を構成し、最後は全国的な代表を選出するまでになる(アメリカの下位から上位への権限移譲そのものである)。しかし革命党は、得てしてこれらの評議会の抑圧に回る。結局のところ革命党は中央集権的な一党独裁を求め、地方組織に公的参加ではなく命令の執行を求めるのである。
2014年9月30日に日本でレビュー済み
革命について、という題名からは、フランス革命とロシア革命について書いているのかな?と想像した。
実際は、フランス革命とアメリカ独立について、その特徴を比較している内容になっている。
アメリカのイギリスからの独立について、最初は、革命、という言葉の意味とは、すぐには結びつかなかった。
しかし、本書を読み進むにつれて、どうしてアレントがアメリカの独立を取り上げたのかが、徐々にわかってくる。
アレントによれば、アメリカの独立は、アメリカ国民が、国政に参加できる仕組みを作り上げたため、成功し、
フランス革命は、それに失敗したのだという。
生涯にわたり、人間の社会的な活動をテーマに思想を展開したアーレントらしい内容になってる。
実際は、フランス革命とアメリカ独立について、その特徴を比較している内容になっている。
アメリカのイギリスからの独立について、最初は、革命、という言葉の意味とは、すぐには結びつかなかった。
しかし、本書を読み進むにつれて、どうしてアレントがアメリカの独立を取り上げたのかが、徐々にわかってくる。
アレントによれば、アメリカの独立は、アメリカ国民が、国政に参加できる仕組みを作り上げたため、成功し、
フランス革命は、それに失敗したのだという。
生涯にわたり、人間の社会的な活動をテーマに思想を展開したアーレントらしい内容になってる。
2008年8月5日に日本でレビュー済み
本書をホブズボームの「革命の時代 ヨーロッパ 1789−1848」(邦題「市民革命と産業革命」)を読む際に同時並行で読んだ。書名が「革命について」(原題On revolution)となっているが、ここで語られているのはいわゆる「フランス革命」と「アメリカ革命」「ロシア革命」のそれぞれ「自由の創設」の経緯を記述して比較考量する、という目的に終わることなく、例えばジョン・スチュアート・ミルの「自由論」(原題On liberty)で展開されていた議論を継承した性質、特に、イギリスの市民革命で開発されていたにしろ、実質的にはフランス革命の勃発とジャコバン独裁、テルミドール反動、ブリュメール18日、第一帝政といった出来事の連鎖によって出来あがり、ナポレオンの遠征によって他のヨーロッパ大陸諸国にも広がり、採用され、ウィーン体制後にも浸透し続け、現在に至るまで採用されたり棄却されたりしている近代政治上の概念、政治体制の諸々についての再検討というのがアレント自身の真の狙いだったのではないかと思える。
フランス革命の始まりは、中産階級の政治的不満、アメリカ独立戦争への戦費提供による宮廷財政の逼迫があったにしろ、結局決定的誘因は全土に広がる農業の不作、それによる貧民の飢饉にたいする恐れであったこと、貧民の暴動に乗じて権力を奪取したロベスピエールはルソーの説く国民の一般意志なる集中された権力概念を統治の拠り所にしたこと、その理由は先行する統治形態が絶対主義権力だったことからの帰結であったこと、仮構された国民の一般意志はジャコバン独裁という一党独裁の権力に変わってしまったこと、以上の過程はフランス革命を先例にしたロシア革命でも反復されたことを一方に置き、他方には、イギリスの植民地として植民地アメリカは100年を超える実質的自治を実践していたこと、そもそもメイフラワー協約、ヴァージニアでの権利宣言など植民者相互の双務的契約は自明の実践行為で、権利の行使は日常行為の中でなされていたこと、本国からの独立を図る際には、モンテスキューの、法や権力を超越的な原理ではなく、人間相互の関係をあらわすものとみなす理論をもとにし、又独立する先の宗主国であるイギリス自体が絶対主義には程遠い制限権力だったことによって、権力を集中する形ではなく、権力を分立させて、均衡させることで安定的な統治形態を置くことが出来たとする。
以上の話しの流れに着目すれば、アメリカ革命がフランス革命よりも優れているという結論になるが、そこに至るまでにアレントは意志と意見、権力と権威、同意と代表など政治上で作用する諸力の概念の分析、リバティとフリーダムという二つ「自由」概念、それらが関わる公的領域と私的領域などの解説も同時に行っていて、そこに本書の難解さの一端、あるいは独特の面白みがある。
そして最後の章で、いずれの革命も見失い、それ以後、第二次世界大戦後の政党政治による民主政体も見失った統治形態があるといい、それはフランスの例で言えばコミューン、ロシアの例で言えば評議会、アメリカの例でいえばタウンシップという小集団による政治参加だという。それらの仕組みは、政治の意思決定に各階層の成員を継続的に関わらせることで代表制の持つ脆弱性をファイナンスし、代表民主制を再活性化させる為にも効き目があると著者に目されている。民主主義=代表制が何年かのうちで選挙日当日にしか実質的に実現していない、という本文中に引用されている19世紀アメリカの風刺は、21世紀日本においても風刺の効き目を失っていない。
今の日本でも自明とされている統治形態は、間違いなくフランス革命の一連の過程で生まれ、ヨーロッパ諸国及びアメリカで変容した制度や思想を継承している以上、ここで展開されている「革命において」現象した政治概念・政治制度についての考察は日本人にとっても無縁ではないし、有益なのではないかと思う。上で要約した以外にも多くの論点があり、いろんな読み方の出来る深さを持った1冊だと思います。
フランス革命の始まりは、中産階級の政治的不満、アメリカ独立戦争への戦費提供による宮廷財政の逼迫があったにしろ、結局決定的誘因は全土に広がる農業の不作、それによる貧民の飢饉にたいする恐れであったこと、貧民の暴動に乗じて権力を奪取したロベスピエールはルソーの説く国民の一般意志なる集中された権力概念を統治の拠り所にしたこと、その理由は先行する統治形態が絶対主義権力だったことからの帰結であったこと、仮構された国民の一般意志はジャコバン独裁という一党独裁の権力に変わってしまったこと、以上の過程はフランス革命を先例にしたロシア革命でも反復されたことを一方に置き、他方には、イギリスの植民地として植民地アメリカは100年を超える実質的自治を実践していたこと、そもそもメイフラワー協約、ヴァージニアでの権利宣言など植民者相互の双務的契約は自明の実践行為で、権利の行使は日常行為の中でなされていたこと、本国からの独立を図る際には、モンテスキューの、法や権力を超越的な原理ではなく、人間相互の関係をあらわすものとみなす理論をもとにし、又独立する先の宗主国であるイギリス自体が絶対主義には程遠い制限権力だったことによって、権力を集中する形ではなく、権力を分立させて、均衡させることで安定的な統治形態を置くことが出来たとする。
以上の話しの流れに着目すれば、アメリカ革命がフランス革命よりも優れているという結論になるが、そこに至るまでにアレントは意志と意見、権力と権威、同意と代表など政治上で作用する諸力の概念の分析、リバティとフリーダムという二つ「自由」概念、それらが関わる公的領域と私的領域などの解説も同時に行っていて、そこに本書の難解さの一端、あるいは独特の面白みがある。
そして最後の章で、いずれの革命も見失い、それ以後、第二次世界大戦後の政党政治による民主政体も見失った統治形態があるといい、それはフランスの例で言えばコミューン、ロシアの例で言えば評議会、アメリカの例でいえばタウンシップという小集団による政治参加だという。それらの仕組みは、政治の意思決定に各階層の成員を継続的に関わらせることで代表制の持つ脆弱性をファイナンスし、代表民主制を再活性化させる為にも効き目があると著者に目されている。民主主義=代表制が何年かのうちで選挙日当日にしか実質的に実現していない、という本文中に引用されている19世紀アメリカの風刺は、21世紀日本においても風刺の効き目を失っていない。
今の日本でも自明とされている統治形態は、間違いなくフランス革命の一連の過程で生まれ、ヨーロッパ諸国及びアメリカで変容した制度や思想を継承している以上、ここで展開されている「革命において」現象した政治概念・政治制度についての考察は日本人にとっても無縁ではないし、有益なのではないかと思う。上で要約した以外にも多くの論点があり、いろんな読み方の出来る深さを持った1冊だと思います。
2004年8月12日に日本でレビュー済み
ハンナ・アレントは1906年生まれのユダヤ系ドイツ人政治思想家です。 ハイデガー
やヤスパースに学んだのち、ナチスの迫害を受け、アメリカに亡命しました。ナチズム
やスターリニズムなどの全体主義を生んだ現代社会の病理を究明し、対等な対話を
する空間、そこで生まれる人々の 自由を本質とする「活動」こそが大切であると説き
ました。
アレントは自由を有する政治活動のあり方の古典的モデルとして、古代 ギリシャの
ポリスをあげています。ポリスのあり方は専制政治とは異な りますし、現代の多くの
政党政治とも異なっています。それはもっと人 びとが直接お互いの顔を見て、話し、
聞き、語り合った空間なのです。
ポリスが現代社会にそのままあてはまるとは思えません。しかし、現代 の日本の
ように、すでに「貧困」の問題は大方克服し、むしろ政治的無関心が広がりつつ
ある社会において、アレントの主張は、次の政治体制 のありかたを考えるのに
大変重要なヒントを含んでいるのではないか、 と思えます。
やヤスパースに学んだのち、ナチスの迫害を受け、アメリカに亡命しました。ナチズム
やスターリニズムなどの全体主義を生んだ現代社会の病理を究明し、対等な対話を
する空間、そこで生まれる人々の 自由を本質とする「活動」こそが大切であると説き
ました。
アレントは自由を有する政治活動のあり方の古典的モデルとして、古代 ギリシャの
ポリスをあげています。ポリスのあり方は専制政治とは異な りますし、現代の多くの
政党政治とも異なっています。それはもっと人 びとが直接お互いの顔を見て、話し、
聞き、語り合った空間なのです。
ポリスが現代社会にそのままあてはまるとは思えません。しかし、現代 の日本の
ように、すでに「貧困」の問題は大方克服し、むしろ政治的無関心が広がりつつ
ある社会において、アレントの主張は、次の政治体制 のありかたを考えるのに
大変重要なヒントを含んでいるのではないか、 と思えます。
2009年3月26日に日本でレビュー済み
社会に影響を及ぼす「革命」に対する問題を投げかけた本として「古典」と称しているが、評者にはそうは思えない。
読み更けていくと、「革命」という言葉への問題定義にかなり突っ込みを入れている。それはロシア革命からフランス革命へ鋭いメスを入れ込み、フランス革命後のジャコバン・クラブによる恐怖政治と、ロシア革命後のスターリニズムによる人民弾圧という悲惨なプロセスに批判を浴びせ、なぜ革命後の社会体制は永続できなかったのか?政治哲学というよりも、歴史の皮肉を見せ付けられているようである。
それは、フランス革命の失敗の教訓を生かせなかった問題だけではなく、今そこにある危機とも見れなくはない。それは、アジアに於いても中国の革命が文化大革命という大量虐殺化し、それがカンボジアでのキリング・フィールドを考えるときに、本書を古典として考えるべきではないだろう。
読み更けていくと、「革命」という言葉への問題定義にかなり突っ込みを入れている。それはロシア革命からフランス革命へ鋭いメスを入れ込み、フランス革命後のジャコバン・クラブによる恐怖政治と、ロシア革命後のスターリニズムによる人民弾圧という悲惨なプロセスに批判を浴びせ、なぜ革命後の社会体制は永続できなかったのか?政治哲学というよりも、歴史の皮肉を見せ付けられているようである。
それは、フランス革命の失敗の教訓を生かせなかった問題だけではなく、今そこにある危機とも見れなくはない。それは、アジアに於いても中国の革命が文化大革命という大量虐殺化し、それがカンボジアでのキリング・フィールドを考えるときに、本書を古典として考えるべきではないだろう。