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廃仏毀釈 ――寺院・仏像破壊の真実 (ちくま新書) 新書 – 2021/6/10
畑中 章宏
(著)
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明治政府の神道国教化により起こった廃仏毀釈。それは、日本で長らく共存していた神道と仏教を分離し、仏教を排斥する運動だった。この出来事は寺院や仏像の破壊など民衆の熱狂による蛮行というイメージが流布しているが、実際にはどんなものだったのか? 信仰の対象であったものを破壊するのに、人々にためらいはなかったのか? 神仏が共存していた時代から説き起こし、各地の記録から丁寧にこの出来事の実際を読みとく。
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2021/6/10
- 寸法10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- ISBN-104480074074
- ISBN-13978-4480074072
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商品の説明
著者について
1962年大阪生まれ。民俗学者、作家。著書に『天災と日本人』(ちくま新書)、『日本の神様』(イーストプレス)、『柳田国男と今和次郎』(平凡社新書)、『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『五輪と万博』(春秋社)、『死者の民主主義』(トランスビュー)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『日本疫病図説』(笠間書院)など、共著に『神道の美術』(平凡社)ほかがある。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2021/6/10)
- 発売日 : 2021/6/10
- 言語 : 日本語
- 新書 : 224ページ
- ISBN-10 : 4480074074
- ISBN-13 : 978-4480074072
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 82,693位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年5月16日に日本でレビュー済み
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奈良の古代史が好きで良く本は読みますが、この本に出会った事で、明治の頃に何があったのか?何故、そんな事になったのか?がすごく整理出来ました。今見ている景色は、明治政府の作った景色なんだ…と。それもまた必要だったのかもしれない…等々、考えさせられる一冊です。
2023年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治維新と共に語られる廃仏毀釈、1000年も続いていた神仏習合が、なぜ廃されたのかと思っていたが、この本を読み理解が深まった。
今ある神社、寺が元々 習合していたこと、その面影を今度探しに行ってみようと思う。
今ある神社、寺が元々 習合していたこと、その面影を今度探しに行ってみようと思う。
2021年6月23日に日本でレビュー済み
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廃仏毀釈の概要や各地での動きについてコンパクトに知りたい人には、よくまとまっておりとてもオススメな一冊だと思います。
一方で、著者のプロフィールが民俗学者となっていると考えると、内容的に単なる廃仏毀釈の事例の羅列がメインで全く物足りない。なぜ、水戸藩や薩摩藩で激しい廃仏運動になったのか?廃仏毀釈の伝承は大袈裟に盛られている可能性があるのか?そうした問いに、アカデミックに十分な検討や考察がなされているとは言えない印象を持った。
一方で、著者のプロフィールが民俗学者となっていると考えると、内容的に単なる廃仏毀釈の事例の羅列がメインで全く物足りない。なぜ、水戸藩や薩摩藩で激しい廃仏運動になったのか?廃仏毀釈の伝承は大袈裟に盛られている可能性があるのか?そうした問いに、アカデミックに十分な検討や考察がなされているとは言えない印象を持った。
2022年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
廃仏毀釈が権力によって遂行されたことがよく分かる内容です。と同時に、僧侶が一日にして神官になって行く姿をどう解釈するか、権力とあらがいながら貴重な仏像や建造物を守り通した人々がいたことなど、今の日本の状況と重ねあせてみることができました。一向一揆やキリスト教徒弾圧などでも同じようなことが起きたのではないかと、新しい興味がわく内容だと思います。
2021年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一、歴史
〇日本列島では8世紀から19世紀の半ばすぎまで、1000年以上ものあいだ、神社と寺院は現実に共存していた。神社に神宮寺等があり、神殿には仏像が置かれ、僧侶が神に奉仕し、神前で読経がされるという「神仏習合」の状態にあった。
〇しかし、江戸の後期から、一部の藩では神仏分離政策がとられ、これが明治新政府の神道国教化政策によって本格化し、1968年4月5日から12月1日までの間に相次いで、「神仏分離」の布告、通達がなされた。それに伴って、神社仏閣において仏教色の排除と破壊が行われた。これを「廃仏毀釈」という。
二、テーマ
〇廃仏毀釈については、一般書やテレビ等により、神職や民衆による寺院の堂塔の放火、仏像・仏具の破壊といったイメージが先行し、暴動と破壊をともなう騒乱のように見られているが、これはどこまでが事実で、どこからが伝承か。なぜ伝承が起きたのか。
〇廃仏毀釈の起きた原因は何か。廃仏毀釈は日本列島のどこでも起こった一般的な現象だったのか。仏教の側に原因はなかったのか。
三、構成
〇序章 神仏が共存していた時代
1「神仏習合」の成立、2集合が進んだ中世、3各地の神宮寺、4近世庶民信仰の多様さ。
〇第一章 毀釈の典型ー日吉・薩摩・隠岐ほか
1廃仏毀釈はいつ始まったのか、2〈先駆〉としての日吉社、3薩摩藩における徹底的破壊、4隠岐ー離島独特の事情、5松本藩と苗木藩。
〇第二章 古都の惨状ー奈良・京都・鎌倉
1奈良ー南部仏教の凋落、2京都ー千年の都における習合の分離、3宮中の「神道化」、4鎌倉ー八幡宮の膝元で。
〇第三章 聖地の変貌ー伊勢・諏訪・住吉・四国
1伊勢ー「神都」成立の経緯、2諏訪ー御本地・御神体の現在、3住吉ー痕跡なき大寺、4四国ー遍路札所の神仏分離。
〇第四章「権現」の消滅ー吉野・出羽三山・金毘羅ほか
1「権現」のゆくえ、2山岳信仰の跡形、3「こんぴらさん」の神社化。
〇第五章「天王」の隠蔽ー八王子・祇園・大和ほか
1「天王山」と「八王子」、2天王信仰根拠地の神社化、3摂津と大和の天王信仰、4牛頭天王と天皇と疫病。
〇終章 廃仏毀釈は果たされたのか?
1それでも仏像は残った、2民衆は廃仏にどこまで積極的だったのか。
四、内容及び私的感想
〇分量は多くないが、神社仏閣探訪と文献研究成果のぎっしり詰まった感のある労作である。エピソードも豊富で、大変興味深い。
〇(いわゆる文学的な)情念過剰な描写は避けて、どちらかというと淡々と書かれているが、起きたことはかなり激烈で、行政官僚の主導による神仏分離は徹底的に行われ、寺院建物の解体によって、神仏習合の過去は大神社の歴史からも消えてしまい、二度と復活しなかったようである。
〇民衆の暴挙については、150年前に起きた出来事を検証するのは困難だが、仏教側による脚色や、郷土史家や文学者のドラマティックかつ不確かな描写により語られすぎてきた面があるとする。寺僧の抵抗が弱かったのに比して、民衆の側には信仰上の理由や、文化財的価値経済的価値から、破棄されかかった仏像等を保存したものが少なくなかったと思われる。
〇それでも、神仏分離はあくまでも神仏共存状態の解消、神か仏かはっきりさせること(神仏判然)であって、仏教信仰が国家により禁止されたわけではない。信仰の本質において一番被害を受けたのは、神とも仏とも判然としない「権現」と「牛頭天王」を祀る祠堂であった。山岳信仰の「権現」は「神社」となって生き延び、疫病よけの「牛頭天王」を祀る神社は、牛頭天王を隠したり、スサノオなどを祀る天皇神社になって生き延びた。
五、私的結論
〇固有名詞の多い点が、ちょっと手強い。
〇日本列島では8世紀から19世紀の半ばすぎまで、1000年以上ものあいだ、神社と寺院は現実に共存していた。神社に神宮寺等があり、神殿には仏像が置かれ、僧侶が神に奉仕し、神前で読経がされるという「神仏習合」の状態にあった。
〇しかし、江戸の後期から、一部の藩では神仏分離政策がとられ、これが明治新政府の神道国教化政策によって本格化し、1968年4月5日から12月1日までの間に相次いで、「神仏分離」の布告、通達がなされた。それに伴って、神社仏閣において仏教色の排除と破壊が行われた。これを「廃仏毀釈」という。
二、テーマ
〇廃仏毀釈については、一般書やテレビ等により、神職や民衆による寺院の堂塔の放火、仏像・仏具の破壊といったイメージが先行し、暴動と破壊をともなう騒乱のように見られているが、これはどこまでが事実で、どこからが伝承か。なぜ伝承が起きたのか。
〇廃仏毀釈の起きた原因は何か。廃仏毀釈は日本列島のどこでも起こった一般的な現象だったのか。仏教の側に原因はなかったのか。
三、構成
〇序章 神仏が共存していた時代
1「神仏習合」の成立、2集合が進んだ中世、3各地の神宮寺、4近世庶民信仰の多様さ。
〇第一章 毀釈の典型ー日吉・薩摩・隠岐ほか
1廃仏毀釈はいつ始まったのか、2〈先駆〉としての日吉社、3薩摩藩における徹底的破壊、4隠岐ー離島独特の事情、5松本藩と苗木藩。
〇第二章 古都の惨状ー奈良・京都・鎌倉
1奈良ー南部仏教の凋落、2京都ー千年の都における習合の分離、3宮中の「神道化」、4鎌倉ー八幡宮の膝元で。
〇第三章 聖地の変貌ー伊勢・諏訪・住吉・四国
1伊勢ー「神都」成立の経緯、2諏訪ー御本地・御神体の現在、3住吉ー痕跡なき大寺、4四国ー遍路札所の神仏分離。
〇第四章「権現」の消滅ー吉野・出羽三山・金毘羅ほか
1「権現」のゆくえ、2山岳信仰の跡形、3「こんぴらさん」の神社化。
〇第五章「天王」の隠蔽ー八王子・祇園・大和ほか
1「天王山」と「八王子」、2天王信仰根拠地の神社化、3摂津と大和の天王信仰、4牛頭天王と天皇と疫病。
〇終章 廃仏毀釈は果たされたのか?
1それでも仏像は残った、2民衆は廃仏にどこまで積極的だったのか。
四、内容及び私的感想
〇分量は多くないが、神社仏閣探訪と文献研究成果のぎっしり詰まった感のある労作である。エピソードも豊富で、大変興味深い。
〇(いわゆる文学的な)情念過剰な描写は避けて、どちらかというと淡々と書かれているが、起きたことはかなり激烈で、行政官僚の主導による神仏分離は徹底的に行われ、寺院建物の解体によって、神仏習合の過去は大神社の歴史からも消えてしまい、二度と復活しなかったようである。
〇民衆の暴挙については、150年前に起きた出来事を検証するのは困難だが、仏教側による脚色や、郷土史家や文学者のドラマティックかつ不確かな描写により語られすぎてきた面があるとする。寺僧の抵抗が弱かったのに比して、民衆の側には信仰上の理由や、文化財的価値経済的価値から、破棄されかかった仏像等を保存したものが少なくなかったと思われる。
〇それでも、神仏分離はあくまでも神仏共存状態の解消、神か仏かはっきりさせること(神仏判然)であって、仏教信仰が国家により禁止されたわけではない。信仰の本質において一番被害を受けたのは、神とも仏とも判然としない「権現」と「牛頭天王」を祀る祠堂であった。山岳信仰の「権現」は「神社」となって生き延び、疫病よけの「牛頭天王」を祀る神社は、牛頭天王を隠したり、スサノオなどを祀る天皇神社になって生き延びた。
五、私的結論
〇固有名詞の多い点が、ちょっと手強い。
2021年9月26日に日本でレビュー済み
ここ10年ほど、ずっと気になっているテーマ、「廃仏毀釈」。
だいぶ前に「神々の明治維新」という作品を読んだが、明治維新で大きな断絶が民衆の精神世界に起きていたというその作品の主張はその後も頭の中に残ったままだ。
僕たちが神社を訪れて手を合わせるとき、前にたたずむ神社そのものが、この明治維新時に物理的にもその中身も大きな変貌を国家によって強制されたという事実はどうもおさまりが悪い。この明治維新時に、神宮寺は廃絶され、少なからぬ寺社は神社へと変貌し、祀られていた祭神まで変えられたケースがあるというのだ。なだたる神宮、明治神宮はいうまでもなく、近江神宮に至っては昭和15年に建造。いったい僕らは何に手を合わせているのだ。
本書でも、その断絶の事実が細かくたどられていく。神仏習合という混然を人為的に分離しようとすれば、そこには少なからぬ対立が発生する。その分離の実態が、本書では地域別(古都や聖地)や有名な寺社別にに細かくたどられていく。地域によっては、その行為は過激化していく。すべからく古社寺はすべて「近代化」されている。名だたる寺社仏閣が仏教色をとり除くというイデオロギーの下で、仏像や経典そして建物が物理的に除去され、八幡宮に至っては神社へと改組。そして当の皇室からまで仏教色が取り除かれているのだ。
「権現」の消滅と「牛頭天王」の隠蔽に至っては、衝撃的だ。この神と仏の境界線上に位置する神仏習合の裏面は、まさに現代日本の風景からはほぼ消えており、たまに山行の際に見かける程度。そういえば、飯能の山を巡っていた時に、「竹寺」という神仏習合の寺に出合ったことがある。
ただ本書でもどうもわからないのが、この「文化大革命」ともいうべき、神仏判然と神道国教化の実行者となった神祇官僚の精神構造だ。socail engineeringの権化ともいうべきこれらの人物についてはどういうわけか、僕が知る限り、わかり易い作品はない。長く続いてきた神仏習合という現実を人為的な手段で断ち切ろう、断ち切って新しくゼロから作り出せる、とする発想はまさに、神仏をも恐れぬ行為。なぜ、このようなラジカルな精神構造が日本で生み出されたのか。これは未だによくわからない。
だいぶ前に「神々の明治維新」という作品を読んだが、明治維新で大きな断絶が民衆の精神世界に起きていたというその作品の主張はその後も頭の中に残ったままだ。
僕たちが神社を訪れて手を合わせるとき、前にたたずむ神社そのものが、この明治維新時に物理的にもその中身も大きな変貌を国家によって強制されたという事実はどうもおさまりが悪い。この明治維新時に、神宮寺は廃絶され、少なからぬ寺社は神社へと変貌し、祀られていた祭神まで変えられたケースがあるというのだ。なだたる神宮、明治神宮はいうまでもなく、近江神宮に至っては昭和15年に建造。いったい僕らは何に手を合わせているのだ。
本書でも、その断絶の事実が細かくたどられていく。神仏習合という混然を人為的に分離しようとすれば、そこには少なからぬ対立が発生する。その分離の実態が、本書では地域別(古都や聖地)や有名な寺社別にに細かくたどられていく。地域によっては、その行為は過激化していく。すべからく古社寺はすべて「近代化」されている。名だたる寺社仏閣が仏教色をとり除くというイデオロギーの下で、仏像や経典そして建物が物理的に除去され、八幡宮に至っては神社へと改組。そして当の皇室からまで仏教色が取り除かれているのだ。
「権現」の消滅と「牛頭天王」の隠蔽に至っては、衝撃的だ。この神と仏の境界線上に位置する神仏習合の裏面は、まさに現代日本の風景からはほぼ消えており、たまに山行の際に見かける程度。そういえば、飯能の山を巡っていた時に、「竹寺」という神仏習合の寺に出合ったことがある。
ただ本書でもどうもわからないのが、この「文化大革命」ともいうべき、神仏判然と神道国教化の実行者となった神祇官僚の精神構造だ。socail engineeringの権化ともいうべきこれらの人物についてはどういうわけか、僕が知る限り、わかり易い作品はない。長く続いてきた神仏習合という現実を人為的な手段で断ち切ろう、断ち切って新しくゼロから作り出せる、とする発想はまさに、神仏をも恐れぬ行為。なぜ、このようなラジカルな精神構造が日本で生み出されたのか。これは未だによくわからない。
2021年8月12日に日本でレビュー済み
良くも悪くも作家さんなので、あまり論理的な構成になっていません。
「後で述べるように・・・」と書いてあるので、そのまま読み進めると、今度は「先ほど述べたように・・・」とくる。ちゃんと説明してくれないとわかりませんよ…。
「後で述べるように・・・」と書いてあるので、そのまま読み進めると、今度は「先ほど述べたように・・・」とくる。ちゃんと説明してくれないとわかりませんよ…。
2021年9月18日に日本でレビュー済み
利点としては寝っ転がってでも読める廃仏毀釈の通史、ということになる。入門書として捉えるならばよいが、それでも歴史の論評としてはちょっと物足りない感は強い。民俗学的なフィールド感もほとんど感じられない。古典的名著になるが岩波新書の安丸良夫『神々の明治維新』が同様の時代を描いたものとしては圧倒的な筆力がある。