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日本の教育はダメじゃない ――国際比較データで問いなおす (ちくま新書) 新書 – 2021/2/8
小松 光
(著),
ジェルミー・ラプリー
(著)
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購入オプションとあわせ買い
「ゆとり教育の失敗」「いじめや不登校」……日本の教育への数々の批判は本当なのか? 気鋭の二人が国際比較データを駆使して教育問題に新たな視点を提供する。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2021/2/8
- 寸法10.7 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-10448007371X
- ISBN-13978-4480073716
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商品の説明
著者について
国立台湾大学准教授
京都大学大学院准教授
京都大学大学院准教授
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2021/2/8)
- 発売日 : 2021/2/8
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 448007371X
- ISBN-13 : 978-4480073716
- 寸法 : 10.7 x 1.2 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 129,860位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 54位教育史 (本)
- - 458位ちくま新書
- - 1,953位その他の語学・教育関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
元教員で英国の小学校にもインターンとして滞在した経験から「ダメじゃない。公立小学校は、世界的にむしろ良いのでは」と感じることがあり、それが本著データによって裏付けられました。国際大学ランキングの成績など、メディアや世論はとかくネガティブなニュースを取り上げます。なので一般的に自虐的な教育観を持ちがち。なんでも良いところと悪いところがあるのだから、良いところにも着目して自信を持つべき。示唆に富んだ良書でした。
2021年4月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国際比較しながら、外から見た日本の教育。
この事実や視点を得られたこが大きい。
若手はもちろん、ベテラン教員にも読んでほしい一冊。
現場が自信を持って仕事をし、意見を言える。
後書きの一文が印象に残った。
「どれだけ国際比較のデータを見せられても、自らの自らの体験をもとに、日本の学校教育に問題を感じるのであれば、その特定の観点からは、日本の学校教育には問題があるのです。」
著者の意図とは違うのだろうが、以下のように考えた。
どれだけ国際比較のデータを見せられても、体験をもとに
日本の教育に問題を感じるのは、
プラスにとらえれば、”改善思考“。
マイナスにとらえれば、”自虐思考“。
日本人は、良くも悪くも上記のような傾向があるように感じる。
ただ、自虐思考は度が過ぎると危険だ。
本書で示した国際比較で日本の教育を考えると、私たち日本人は、十分に自信を持って良い。
主観は大事だが、客観的な目で物事を捉え、本物の課題をどうするかを考えるのが最終的に子どものためになると感じた。
この事実や視点を得られたこが大きい。
若手はもちろん、ベテラン教員にも読んでほしい一冊。
現場が自信を持って仕事をし、意見を言える。
後書きの一文が印象に残った。
「どれだけ国際比較のデータを見せられても、自らの自らの体験をもとに、日本の学校教育に問題を感じるのであれば、その特定の観点からは、日本の学校教育には問題があるのです。」
著者の意図とは違うのだろうが、以下のように考えた。
どれだけ国際比較のデータを見せられても、体験をもとに
日本の教育に問題を感じるのは、
プラスにとらえれば、”改善思考“。
マイナスにとらえれば、”自虐思考“。
日本人は、良くも悪くも上記のような傾向があるように感じる。
ただ、自虐思考は度が過ぎると危険だ。
本書で示した国際比較で日本の教育を考えると、私たち日本人は、十分に自信を持って良い。
主観は大事だが、客観的な目で物事を捉え、本物の課題をどうするかを考えるのが最終的に子どものためになると感じた。
2021年11月28日に日本でレビュー済み
フィンランドはPISAで上位だったことで、一時、何かと話題になりましたが、
その後は順位が下がってきているとのことです。
ずっと上位なのはどちらも東アジアの国で、どの教科でも日本はそれなりに上位を維持している
そうです。
何かと日本の教育はうまく行っていないとメディアで取り上げられますが、
世界の中ではかなりうまく行っている方とのことです。
日本では以前から何かと大学生の学力が低下しているとの意見が出ていますが、
大学に行く層が拡がったので、これまで大学に行かなかった階層出身の、
学力がない学生が目立っているのではないでしょうか。
これまではそれなりに恵まれた家庭出身の子供が大学に行き、その中の優秀な学生が教員になったので、
その教員たちは色々とごたついている家庭や、崩壊家庭で育った人に接したことがないことから、
そのような家庭で育った人の学力や教養、常識の無さについて知らなかったので
教員になってから驚いているのではないでしょうか。
これまでは社会階級や階層というものに、多くの教員が無自覚だったのでしょう。
その後は順位が下がってきているとのことです。
ずっと上位なのはどちらも東アジアの国で、どの教科でも日本はそれなりに上位を維持している
そうです。
何かと日本の教育はうまく行っていないとメディアで取り上げられますが、
世界の中ではかなりうまく行っている方とのことです。
日本では以前から何かと大学生の学力が低下しているとの意見が出ていますが、
大学に行く層が拡がったので、これまで大学に行かなかった階層出身の、
学力がない学生が目立っているのではないでしょうか。
これまではそれなりに恵まれた家庭出身の子供が大学に行き、その中の優秀な学生が教員になったので、
その教員たちは色々とごたついている家庭や、崩壊家庭で育った人に接したことがないことから、
そのような家庭で育った人の学力や教養、常識の無さについて知らなかったので
教員になってから驚いているのではないでしょうか。
これまでは社会階級や階層というものに、多くの教員が無自覚だったのでしょう。
2021年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
目からうろこだった。PISAのデータによると、自分の数学能力に自信を持てない子が多い国ほど数学テストの点が高い。また、アクティブラーニングが先行している国よりも日本の方が創造的思考力テストの点も高いようだ。ある調査では、日本の方が別解なども含めて教える質の高い授業が行われているそうだ。
2021年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
国際的に有名なデータを用いて日本の教育の「実態」を描き出している。教育は誰もが関わり、社会にとって最も重要な要素と認識されているがゆえ、個人的な経験や部分的な根拠をもとに論じられ、最終的に実態とかけ離れた議論に陥ることが多く、本書を通じてデータに従って検証していくことの重要性が実感できる。このような本が純粋な日本の教育学の研究者の中からは出てこなかったことが日本の教育学の弱みを反映しているようにも思える(作者は元々農学研究者であった方や外国籍の研究者)。日本の教育研究の一石を投じるという意味でも本書の意義は大きい。
他方、紙面が限られた新書にもかかわらず、あまりにも多くの内容を詰め込みすぎてしまっている。併せて14の通説をデータに基づいて論破していく形式で書かれているが、多くても2つぐらいのデータのみを論拠としており、一つ一つの検証が浅く、予想され得る反論に耐えきれない印象も感じられた。これらの通説は、たとえそれが主観的なものであるにしろ一定の説得力を持ったものであり、一つ二つのデータのみで反論するのが難しいものばかりである。本書のような短い検証では、恣意的にデータを選択しているようにも見えてしまい、かえってデータに基づき客観的な分析を行うという優れた研究を損なうことにもなり得る。
研究手法や文末に示された各種の提言は極めて真っ当なものである一方、新書という紙面が限られた媒体で論じるには消化不良の部分が多く、ちょっと残念だった。
他方、紙面が限られた新書にもかかわらず、あまりにも多くの内容を詰め込みすぎてしまっている。併せて14の通説をデータに基づいて論破していく形式で書かれているが、多くても2つぐらいのデータのみを論拠としており、一つ一つの検証が浅く、予想され得る反論に耐えきれない印象も感じられた。これらの通説は、たとえそれが主観的なものであるにしろ一定の説得力を持ったものであり、一つ二つのデータのみで反論するのが難しいものばかりである。本書のような短い検証では、恣意的にデータを選択しているようにも見えてしまい、かえってデータに基づき客観的な分析を行うという優れた研究を損なうことにもなり得る。
研究手法や文末に示された各種の提言は極めて真っ当なものである一方、新書という紙面が限られた媒体で論じるには消化不良の部分が多く、ちょっと残念だった。
2021年5月28日に日本でレビュー済み
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高校教員です。近頃やたらと「主体的対話的で深い学び」とか言うことが言われ、モデルも示せないくせにしきりと新しい教育を主張する国と教育委員会の口車に乗り、グループワークこそが教育の正しいやり方だという若い教員が多いなかで、我々が受けてきた詰め込み教育の正しさと、それを評価してくれる外国人の存在を知り、本当に嬉しく思いました。我々は間違っていなかった。それはPisaやPiacという海外のデータが端的に証明してくれている。日本人はこのことにもっと目を向けて、自信を持っていいんだと思いました。この本を読んだ後、苅谷剛彦氏の「追いついた近代、消えた近代」を読み、先日学校訪問に来た教育委員会の指導主事の方々にレクチャーをしてあげました。もちろん、彼らは出世の事しか考えていないので教育について見識があるわけはなく、私の説明にうなずくだけでなんの反論もできまでんでした。現在私は、認知科学に基づく教育の研究をしています。この研究もやはり、かつての日本の教育が正しかったことを示しています。詳しくは別の機会に書きますが、要するに教育というのは、我々の持つ「スキーマ」の形成のことであり、それには「知識」の形成が最大の役割を果たしているということです。
我々の社会も教育も、ダメだダメだと言われる今日、いや、昔の教育のほうが結果も出していたし、正しかったんだと胸を張って言えます。
こんな風に、この本は私のアイデンティティを回復させてくれるものでした。
著者には感謝致します。
我々の社会も教育も、ダメだダメだと言われる今日、いや、昔の教育のほうが結果も出していたし、正しかったんだと胸を張って言えます。
こんな風に、この本は私のアイデンティティを回復させてくれるものでした。
著者には感謝致します。
2021年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こういう科学的な主張が、ふつうに受け入れられる国になっていかなければならない。
アメリカの真似ばかりして、わざわざ日本の教育をスポイルしている能天気な我が国の教育政策の現状に、もっと多くの人が早く気付くべきだ。
アメリカの真似ばかりして、わざわざ日本の教育をスポイルしている能天気な我が国の教育政策の現状に、もっと多くの人が早く気付くべきだ。
2021年3月19日に日本でレビュー済み
やはりそうか。この世界も、データなしの思いつきと文科省のアリバイ作りとメディアによる肥大化の共犯なのだ。少し前に読んだ「教育格差」の裏のテーゼもそうだった。データの裏付けなしに、一方的に刷り込まれた思い込みの下で肥大化した観念の下で繰り出される効果の疑わしい様々な諸施策。
本書のスタイルは、日本の教育に伴う14の俗説を取り上げ、それぞれが国際比較の下で、その真偽が問われていく。著者のアプローチは慎重なもので、限定付きの「結論」が取り出されていく。この一連のプロセスは、読んでいただくのがいいだろう。ベンチマークはどこにも存在しない「理想の教育」ではなく、国際比較というスケールなのだ。絶対的な場所の測定ではなく、相対的な場所の確認。
結論は、「日本の教育は、全体としては、国際比較の中で見る限り、ダメじゃない、というより、どの指標でみても上位の方に来る結果を長期的に示している」。
著者の言葉遣いは柔らかく、抑えられているが、この国際比較から出された結論は辛辣なものだ。
「もうそういうのやめませんか。」
「単純な物語は描くな」。
「教育政策や制度をやたらといじりまわすのは危険だし、ほとんどの場合無益だということなのです。ゆとりが必要だったのは、子供ではなく、むしろ大人の方だったのかもしれません。大人が、.....教育や社会の複雑さに耐えることが、実は安定した教育政策のためには必要。」
明示されてはいないものの、東大教育学部を頂点とする教育学会の問題が指摘されているのは、明らかだ。最後の知性のよりどころたるべき「学会」はいまだにマルクス主義教育学のドグマの残滓に毒され、そして現在の文科省はアメリカからの横文字輸入品の食い散らかしに終始しているというお定まりの構図。
この忍耐には、「教育」に関する成熟した知性と突き放した諦観に支えられた「安定した不安」が必要なのだが、これが一番欠落しているのが「経済界」。経済界は短い期間の業績を扱う一過性の世界、そこでの成功は金銭と共に、肥大化した自信を与えてしまう。でも経済界なんて、今日の成功は明日の失敗の元であり、しょせん永遠の流行の入れ替わりでしかない。というわけで、経済界にはこのような複雑な問題に関する発言権を与えないのがいいのかもしれない。
教育の効果というものは長期的にしか測れないものであり、そしてその効果なんて、人の短いライフサイクルという期間なんかで、測れるものではない。アメリカにはアメリカなりのやり方があり、日本には日本、それぞれの社会の蓄積と価値観(毒もふくめて)を反映しており、人工的には変えられないものだし、変えてはいけないものなのだ。でも何かは変わっていく。
本書のスタイルは、日本の教育に伴う14の俗説を取り上げ、それぞれが国際比較の下で、その真偽が問われていく。著者のアプローチは慎重なもので、限定付きの「結論」が取り出されていく。この一連のプロセスは、読んでいただくのがいいだろう。ベンチマークはどこにも存在しない「理想の教育」ではなく、国際比較というスケールなのだ。絶対的な場所の測定ではなく、相対的な場所の確認。
結論は、「日本の教育は、全体としては、国際比較の中で見る限り、ダメじゃない、というより、どの指標でみても上位の方に来る結果を長期的に示している」。
著者の言葉遣いは柔らかく、抑えられているが、この国際比較から出された結論は辛辣なものだ。
「もうそういうのやめませんか。」
「単純な物語は描くな」。
「教育政策や制度をやたらといじりまわすのは危険だし、ほとんどの場合無益だということなのです。ゆとりが必要だったのは、子供ではなく、むしろ大人の方だったのかもしれません。大人が、.....教育や社会の複雑さに耐えることが、実は安定した教育政策のためには必要。」
明示されてはいないものの、東大教育学部を頂点とする教育学会の問題が指摘されているのは、明らかだ。最後の知性のよりどころたるべき「学会」はいまだにマルクス主義教育学のドグマの残滓に毒され、そして現在の文科省はアメリカからの横文字輸入品の食い散らかしに終始しているというお定まりの構図。
この忍耐には、「教育」に関する成熟した知性と突き放した諦観に支えられた「安定した不安」が必要なのだが、これが一番欠落しているのが「経済界」。経済界は短い期間の業績を扱う一過性の世界、そこでの成功は金銭と共に、肥大化した自信を与えてしまう。でも経済界なんて、今日の成功は明日の失敗の元であり、しょせん永遠の流行の入れ替わりでしかない。というわけで、経済界にはこのような複雑な問題に関する発言権を与えないのがいいのかもしれない。
教育の効果というものは長期的にしか測れないものであり、そしてその効果なんて、人の短いライフサイクルという期間なんかで、測れるものではない。アメリカにはアメリカなりのやり方があり、日本には日本、それぞれの社会の蓄積と価値観(毒もふくめて)を反映しており、人工的には変えられないものだし、変えてはいけないものなのだ。でも何かは変わっていく。