幕末史という題名が付けられているが、
通史というよりは、幕末京都における朝廷ならびに
各藩・幕府の政治折衝史であろう。
〈攘夷〉というキーワードを大きく解釈することにより
一本筋の通ったストーリーラインになっている点は判り易いが
その筋に当てはまらない史実を盛り込まないという取捨選択は
やや恣意的な感が否めない。とはいえ、教科書的な説明を廃し、
一次資料の丁寧な読み込みから独自の解釈が頻出する点は興味深い。
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幕末史 (ちくま新書) 新書 – 2014/11/5
佐々木克
(著)
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黒船来航から明治維新まで、第一人者が一望する!
国家建設の全貌
日本が大きく揺らいだ激動の幕末。江戸が終わり、国際社会へ漕ぎだしていった時代に、いったい何が起きたのか。吉田松陰、坂本龍馬、大久保利通といった若者たちは、どのような志を抱いて生きたのか。本書は、日本を立ち直らせるために「挙国一致」で立ち向かった人々の姿を、最新の史料からダイナミックに見通していく。黒船来航から明治国家の創設まで、日本が根底から生まれ変わる軌跡を、第一人者が一望に収める。
【著者略歴】
佐々木克(ささき・すぐる)
1940年秋田県生まれ。1970年立教大学大学院文学研究科博士課程修了、京都大学教授、奈良大学教授を経て、現在京都大学名誉教授、京都大学博士(文学)。歴史学者、専門は明治維新史。主な著者に『戊辰戦争』(中公新書、1977年)、『日本近代の出発』(集英社、1992年)、『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館、1998年、吉田賞受賞)、『志士と官僚』(講談社学術文庫、2000年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)、『幕末の天皇・明治の天皇』(講談社学術文庫、2005年)、『坂本龍馬とその時代』(河出書房新社、2009年)など。
【目次】
第1章 屈辱の出発 1853-1859
第2章 尊皇攘夷運動 1860-1863
第3章 遠のく挙国一致 1863-1865
第4章 日本を立ち直らせるために 1865-1866
第5章 新政府の創設 1866-1867
第6章 明治国家の課題 1868-1890
国家建設の全貌
日本が大きく揺らいだ激動の幕末。江戸が終わり、国際社会へ漕ぎだしていった時代に、いったい何が起きたのか。吉田松陰、坂本龍馬、大久保利通といった若者たちは、どのような志を抱いて生きたのか。本書は、日本を立ち直らせるために「挙国一致」で立ち向かった人々の姿を、最新の史料からダイナミックに見通していく。黒船来航から明治国家の創設まで、日本が根底から生まれ変わる軌跡を、第一人者が一望に収める。
【著者略歴】
佐々木克(ささき・すぐる)
1940年秋田県生まれ。1970年立教大学大学院文学研究科博士課程修了、京都大学教授、奈良大学教授を経て、現在京都大学名誉教授、京都大学博士(文学)。歴史学者、専門は明治維新史。主な著者に『戊辰戦争』(中公新書、1977年)、『日本近代の出発』(集英社、1992年)、『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館、1998年、吉田賞受賞)、『志士と官僚』(講談社学術文庫、2000年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)、『幕末の天皇・明治の天皇』(講談社学術文庫、2005年)、『坂本龍馬とその時代』(河出書房新社、2009年)など。
【目次】
第1章 屈辱の出発 1853-1859
第2章 尊皇攘夷運動 1860-1863
第3章 遠のく挙国一致 1863-1865
第4章 日本を立ち直らせるために 1865-1866
第5章 新政府の創設 1866-1867
第6章 明治国家の課題 1868-1890
- 本の長さ355ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2014/11/5
- 寸法10.7 x 1.8 x 17.4 cm
- ISBN-104480068007
- ISBN-13978-4480068002
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商品の説明
著者について
佐々木克(ささき・すぐる)
1940年秋田県生まれ。1970年立教大学大学院文学研究科博士課程修了、京都大学教授、奈良大学教授を経て、現在京都大学名誉教授、京都大学博士(文学)。歴史学者、専門は明治維新史。主な著者に『戊辰戦争』(中公新書、1977年)、『日本近代の出発』(集英社、1992年)、『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館、1998年、吉田賞受賞)、『志士と官僚』(講談社学術文庫、2000年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)、『幕末の天皇・明治の天皇』(講談社学術文庫、2005年)、『坂本龍馬とその時代』(河出書房新社、2009年)など。
1940年秋田県生まれ。1970年立教大学大学院文学研究科博士課程修了、京都大学教授、奈良大学教授を経て、現在京都大学名誉教授、京都大学博士(文学)。歴史学者、専門は明治維新史。主な著者に『戊辰戦争』(中公新書、1977年)、『日本近代の出発』(集英社、1992年)、『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館、1998年、吉田賞受賞)、『志士と官僚』(講談社学術文庫、2000年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)、『幕末の天皇・明治の天皇』(講談社学術文庫、2005年)、『坂本龍馬とその時代』(河出書房新社、2009年)など。
登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2014/11/5)
- 発売日 : 2014/11/5
- 言語 : 日本語
- 新書 : 355ページ
- ISBN-10 : 4480068007
- ISBN-13 : 978-4480068002
- 寸法 : 10.7 x 1.8 x 17.4 cm
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大政奉還までの経緯や、それに関わる有名人の活躍を詳細に知ることができた。
ペリー来航というイベントが日本に与えた影響の大きさも初めて理解した。
岩倉使節団や伊藤博文の憲法のための渡航などの、明治における欧米での情報収集の重要さも感じた。
現代の日本の礎を築いた人々の活躍を知るのは、なんと楽しく胸踊るものだろう。
ペリー来航というイベントが日本に与えた影響の大きさも初めて理解した。
岩倉使節団や伊藤博文の憲法のための渡航などの、明治における欧米での情報収集の重要さも感じた。
現代の日本の礎を築いた人々の活躍を知るのは、なんと楽しく胸踊るものだろう。
2018年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
立教史学科の偉大なる先輩の佐々木克先生の書とあって、興味深く手に取ったのだが、正直なところ全く期待外れで、後半では読むのが苦痛になり結局何がいいたいのか気になって、あとがきをめくったら、このようなことが書かれてあった。
「本書は欧米列強にたいして手も足も出すことができなかった軍事的弱小国家日本が、屈辱をバネにして立ち直って近代化を達成した、国家建設の物語として述べられている」
述べられているとはちょっと不思議な日本語であるが、まあよしとしよう。
ここには、何も目新しい視点がないのだが、それでもこの言葉がなんともこちらの腑に落ちないのは、「欧米列強」という言葉で、西洋の軍事勢力をひとくくりに片づけてしまっていることだろう。攘夷派という言葉で片づけるなと、佐々木氏が多様な立場を描き出そうとしているのに、ご自身も同じ間違いを犯しているのではないだろうか。
そして決定的な本書における瑕疵は、欧米列強の記述がいかにも薄いという点にある。それは取り扱っている資料が、国内の古文書にほぼ限定されているためである。この時代は国際関係論を外して考えること自体が無理である。
したがって、「欧米列強」の個々の思惑の違いなどが全然記述されておらず、相変わらず視点は薩長に偏っている。どこかで読んだ話の、解釈の違いだけが本書の勝負になっており、結局そういうことに主要な関心がある人には面白いのかもしれないが、いい加減新しい視点を欲している立場からするとまったくつまらない。
佐々木氏くらいの大家になれば、いい加減実証主義的な資料解釈の枠を踏み出した、大きな歴史自体を突き動かしてきた哲学や歴史観ということを明らかにしてもよさそうである。しかしそういうものを感じさせる要素は全くない。佐々木氏は言う。
「倒幕あるいは討幕運動の歴史として書かれる幕末史には、かなり早くから違和感をもっていた。」
西郷も真木和泉も幕府を倒そうとはしていなかったというわけである。そんなことがいいたいがために書いたのだろうか。いくらなんでもみみっちすぎる問題意識じゃなかろうか。
ヘーゲル的な歴史哲学が個々の歴史家にないからこそ、一人のトインビーも生まないのである。実証史家は一本一本の木の種類の違いだけの話をされて、森の話をしないものだから、司馬遼太郎を上回る影響力を持った歴史家がいないのである。スケールが小さすぎるのだ。昔はそういう歴史家がいた。津田左右吉である。それは拙著『津田左右吉大日本帝国との対決』をお読みいただきたいが、津田の大日本帝国批判は、明治維新に対する違和感に発していた。それは大日本帝国下の軍人天皇像批判や神話解釈批判になる。彼の歴史観を継承することが、新しい明治維新像につながると確信している。
「本書は欧米列強にたいして手も足も出すことができなかった軍事的弱小国家日本が、屈辱をバネにして立ち直って近代化を達成した、国家建設の物語として述べられている」
述べられているとはちょっと不思議な日本語であるが、まあよしとしよう。
ここには、何も目新しい視点がないのだが、それでもこの言葉がなんともこちらの腑に落ちないのは、「欧米列強」という言葉で、西洋の軍事勢力をひとくくりに片づけてしまっていることだろう。攘夷派という言葉で片づけるなと、佐々木氏が多様な立場を描き出そうとしているのに、ご自身も同じ間違いを犯しているのではないだろうか。
そして決定的な本書における瑕疵は、欧米列強の記述がいかにも薄いという点にある。それは取り扱っている資料が、国内の古文書にほぼ限定されているためである。この時代は国際関係論を外して考えること自体が無理である。
したがって、「欧米列強」の個々の思惑の違いなどが全然記述されておらず、相変わらず視点は薩長に偏っている。どこかで読んだ話の、解釈の違いだけが本書の勝負になっており、結局そういうことに主要な関心がある人には面白いのかもしれないが、いい加減新しい視点を欲している立場からするとまったくつまらない。
佐々木氏くらいの大家になれば、いい加減実証主義的な資料解釈の枠を踏み出した、大きな歴史自体を突き動かしてきた哲学や歴史観ということを明らかにしてもよさそうである。しかしそういうものを感じさせる要素は全くない。佐々木氏は言う。
「倒幕あるいは討幕運動の歴史として書かれる幕末史には、かなり早くから違和感をもっていた。」
西郷も真木和泉も幕府を倒そうとはしていなかったというわけである。そんなことがいいたいがために書いたのだろうか。いくらなんでもみみっちすぎる問題意識じゃなかろうか。
ヘーゲル的な歴史哲学が個々の歴史家にないからこそ、一人のトインビーも生まないのである。実証史家は一本一本の木の種類の違いだけの話をされて、森の話をしないものだから、司馬遼太郎を上回る影響力を持った歴史家がいないのである。スケールが小さすぎるのだ。昔はそういう歴史家がいた。津田左右吉である。それは拙著『津田左右吉大日本帝国との対決』をお読みいただきたいが、津田の大日本帝国批判は、明治維新に対する違和感に発していた。それは大日本帝国下の軍人天皇像批判や神話解釈批判になる。彼の歴史観を継承することが、新しい明治維新像につながると確信している。
2016年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
近頃流行りの長州薩摩を否定的にみる傾向を躍起になって押し戻そうとしてる。
一次資料を検証する気のない一読者としては、こうして研究者の方々が解釈してくれるのを「そうですか」と飲み込むしかないのだが、
それにしても読んでいる間、著者の論に誘導されているように感じてならなかった。
後半の薩長「誓約」あたりからもう歯止めがきかなくなってグイグイ引っ張られ、もう勘弁してくれ~って感じ。
薩摩長州の目的は討幕ではなかった、と繰り返す著者が、では一体戊辰戦争を如何に描くのだろうか、、、と思って読み進めたらそこはすっ飛ばして一気に版籍奉還へ、、。
なんやねん!
「屈辱」に耐え「挙国一致」で臨んだ明治維新は日本の近代化において偉大なる意思を持って達成されたイベントであり、そのために流された多少の血など書くに及ばない、、、と言わんばかりだ。西南戦争への言及は無に等しい。
せっかく新たに一次資料を読み直し独自の視点を持つに至ったにもかかわらず、著者が揶揄して言う「薩長倒幕派史観」との対決に拘泥するあまり、所謂明治維新の陽の部分にのみ焦点を当てすぎて多角的な視点を欠いたように読めるのは著者の望むところではなかったろう。
(かつて「戊辰戦争」(中公新書)を書いた著者が今の目でみるとあの「内戦」はどのように映るのだろうか?)
とはいえ、あとがきを読むと著者は大病を患いながら本書を執筆したとか。なるほど、言いたいことは、今、言っておかねば、と喧嘩腰になるのも著者には必然なのか。
明治に入ってからは多くの情報を詰め込みつつ憲法制定まで一気に突っ走る。その辺り、ページ数のわりに情報過多で出来事の羅列的になってしまったのが残念だ。
欧米諸国に半開の国のレッテルを貼られた「屈辱」。それを晴らすための日本近代化の象徴である憲法制定まではどうしても本書に収めたかったのだろう
。
制限された新書の分量の中で優先順位をつければ、このバランスになるのは仕方のないところか。「内戦」の割愛は評価の別れるところだと思うが、、。
ところで、半藤一利氏の「幕末史」への反駁っぽい書き方が多かったが、何か因縁があるんかな?
と思って経歴を見ると大久保利通の御孫さんが著者の恩師だったとか。
一方、半藤氏の先祖は長岡藩士。
、、、まだ戊辰戦争は続いているようです。
一次資料を検証する気のない一読者としては、こうして研究者の方々が解釈してくれるのを「そうですか」と飲み込むしかないのだが、
それにしても読んでいる間、著者の論に誘導されているように感じてならなかった。
後半の薩長「誓約」あたりからもう歯止めがきかなくなってグイグイ引っ張られ、もう勘弁してくれ~って感じ。
薩摩長州の目的は討幕ではなかった、と繰り返す著者が、では一体戊辰戦争を如何に描くのだろうか、、、と思って読み進めたらそこはすっ飛ばして一気に版籍奉還へ、、。
なんやねん!
「屈辱」に耐え「挙国一致」で臨んだ明治維新は日本の近代化において偉大なる意思を持って達成されたイベントであり、そのために流された多少の血など書くに及ばない、、、と言わんばかりだ。西南戦争への言及は無に等しい。
せっかく新たに一次資料を読み直し独自の視点を持つに至ったにもかかわらず、著者が揶揄して言う「薩長倒幕派史観」との対決に拘泥するあまり、所謂明治維新の陽の部分にのみ焦点を当てすぎて多角的な視点を欠いたように読めるのは著者の望むところではなかったろう。
(かつて「戊辰戦争」(中公新書)を書いた著者が今の目でみるとあの「内戦」はどのように映るのだろうか?)
とはいえ、あとがきを読むと著者は大病を患いながら本書を執筆したとか。なるほど、言いたいことは、今、言っておかねば、と喧嘩腰になるのも著者には必然なのか。
明治に入ってからは多くの情報を詰め込みつつ憲法制定まで一気に突っ走る。その辺り、ページ数のわりに情報過多で出来事の羅列的になってしまったのが残念だ。
欧米諸国に半開の国のレッテルを貼られた「屈辱」。それを晴らすための日本近代化の象徴である憲法制定まではどうしても本書に収めたかったのだろう
。
制限された新書の分量の中で優先順位をつければ、このバランスになるのは仕方のないところか。「内戦」の割愛は評価の別れるところだと思うが、、。
ところで、半藤一利氏の「幕末史」への反駁っぽい書き方が多かったが、何か因縁があるんかな?
と思って経歴を見ると大久保利通の御孫さんが著者の恩師だったとか。
一方、半藤氏の先祖は長岡藩士。
、、、まだ戊辰戦争は続いているようです。
2015年2月1日に日本でレビュー済み
本書は、著者が倒幕あるいは、討幕運動の歴史として語られることの多かった幕末史に一石を投じたものである。キーワードは、「攘夷」で著者は、攘夷は従来多くの意味に使われてきたが、著者は「攘夷」を条約改正に向けた「破約攘夷」と解釈することで、長州、薩摩、土佐の各藩の関係など、幕末史の新しい視点を読者に与えてくれる。
著者は、本書の執筆にあたり、先入観を捨てて資料を読み直したとのことである。幕末、明治維新史に関心があるものには、本書は必読の一冊である。
著者は、本書の執筆にあたり、先入観を捨てて資料を読み直したとのことである。幕末、明治維新史に関心があるものには、本書は必読の一冊である。
2015年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
多面的な分析がなされている。単純な形式論でなく著されている。
2014年12月6日に日本でレビュー済み
本書は、「挙国一致」と「破約攘夷(条約改正)」を幕末日本を貫くキーワードとして、幕末史を国家建設の物語として述べたものである。
それゆえ、複雑に変転する状況が非常に分かり易いメリットを得たが、勢い維新を成し遂げた側に偏ったデメリットもある。
偏りとして例えば、
1. 破約攘夷(条約改正)を国家的課題と説明しながら、改税約書に触れない。
安政の日米通商条約において日本の関税自主権が認められず、輸入関税を原則2割と定められた(p36)ことは、神奈川開港の5年後に日本側から税率引上の協議を要求できることになっていた。しかし、長州の外国船への砲撃(下関攘夷戦争)の結果、列強に5%に引き下げられ(改税約書)、アヘン戦争で敗北した清と同じ税率になって国内産業が打撃を受けたことに触れていない。開港後は出超であったのに改税約書を契機に入超になった。
関税率引き上げが実現したのは明治27年(1894年)である(p334)との説明だけである。
2. 雄藩の経済的動機は?
安政の開港によって、関税収入は全て幕府の収入となった。密貿易で収益を上げていた雄藩が幕府の統制を順守すれば打撃を受けるのではないか?「密貿易」(p146)や、第2次長州征討の勅許の頃「有力藩が断然商法(交易)などを施行して富国強兵に励み割拠の勢いを強くしている」(p186)など、藩が利益を上げるために幕府の統制から自立する動機があったのではないか?日本を再建させることだけが目的とすると綺麗すぎるのではないか?
3. 幕府が劣悪貨幣を大量に発行し続けたから超インフレになり民衆が幕府をうらみとの記述があるが(p79、p241)、なぜ改鋳したのか説明がないので幕府の悪印象だけが強く残る。
4. 薩土盟約の新政府構想(p248~p251)について
「朝廷でも幕府でもない、史上初の新政府構想」(p249)
「大久保一翁や松平春嶽、勝海舟にも、諸侯会議や公会議などの政体・政権構想についての発言があるが、それらの構想からはるかに進んだ、幕末における政権構想の到達点に位置するもの」(p250~p251)と説明している。
しかし、この薩土盟約の前月、薩摩藩の兵学教授・赤松小三郎は、松平春嶽と島津久光に対して「口上書」を提出しており、門閥貴賎に関係ない選挙による議会政治を構想した文書として日本最初のものとされる。2院制の議会、議会の決議事項に対しては天皇さえ拒否権がないとするものであり、先進的な内容であった。赤松は議会政治の導入により幕府と薩摩を融和させようと小松や西郷に働きかけた。
翌月の薩土盟約は「天下の大政を議定する全権は朝廷にあり」(p248写真)となっており、著者は「朝廷」を「政府」と訳しているが(p249)、赤松の建白書より後退しているのは否めない。
5. 王政復古後の小御所会議
岩倉らに分があって容堂・春嶽が納得したと記述している(p287)。
会議は容堂・春嶽らが優勢であったが、岩倉がいざという時は非常手段を取らざるをえない覚悟であると聞いた容堂・春嶽らが結局従ったというのが実態。(薩摩藩の3,000名を含めた雄藩の藩兵が9門を固めた中での会議であった)
6. 鳥羽伏見の戦いのきっかけ
「岩倉は慶喜が謝罪を申し出たら、即日、議定に就任させるつもりだと答えた。筋を通したのである。しかし三日、鳥羽伏見の開戦となった。強硬論者の勢いをとめようがなかったと慶喜は回想するのであるが・・・」(p287)とだけ説明し、慶喜がただの馬鹿に見える。
なぜ薩摩藩の江戸撹乱、江戸の薩摩藩邸の焼き討ち、それを知った大阪城内の幕府兵らの憤激、慶喜の「討薩表」を欠落させたのだろうか?
7. 伊藤博文のスピーチ「一個の弾丸も放たず、一滴の血を流すこともなく」(p309)
廃藩置県そのものはそうだが、それに至る戊辰戦争、その後の不平士族の反乱等、封建制を近代化にするために多くの血が流れたことを薄める効果はある。
8. 挙国一致で破約攘夷(条約改正)をするために近代化しなければならないと維新を推進してきた西国の士族たちが相次いで内乱・内戦(不平士族の反乱)を起こしたことは、本書の立場からどう説明するのか?
9. 「他のアジア諸国と違って、外国資本にたよらないで・・・大久保の方針で、日本の近代化を」(p320)
間違い。明治3年、大久保は新橋横浜間の鉄道敷設のため、ロンドンでポンド建て外債を発行した。これについて日本国内で新聞等で議論になり租税共議権への関心が高まり、国会開設の建白など本書次頁と関係していく。
また、明治6年の秩禄処分のために上記鉄道の2倍以上のポンド建て外債を発行した。
専制制度で有能な人間が存分に働けば、民主的な方法より時間もコストもかからない。行政が機能不全に陥らないように強い政府の憲法を作る。そして、アジアでいち早くどの国も成しえないスピードで日本を近代化させた。偉業である。
しかし、現代人が歴史を学ぶ時、現代からの問題意識を持たなくていいのだろうかとの疑問が生じる。
本書は、大政奉還の動きあたりから著者が国家建設にそぐわないと思う事柄について読者を誤解させる省略、表現、思い込みが散見される。
権謀や脅迫、力で決まった局面でも、正義の方向へ必然的に進んでいったような印象で、合目的的に組み立て過ぎて、歴史の機微や実態が分からなくなってしまう。帯の「一望」「全貌」に期待すると失望する。
それゆえ、複雑に変転する状況が非常に分かり易いメリットを得たが、勢い維新を成し遂げた側に偏ったデメリットもある。
偏りとして例えば、
1. 破約攘夷(条約改正)を国家的課題と説明しながら、改税約書に触れない。
安政の日米通商条約において日本の関税自主権が認められず、輸入関税を原則2割と定められた(p36)ことは、神奈川開港の5年後に日本側から税率引上の協議を要求できることになっていた。しかし、長州の外国船への砲撃(下関攘夷戦争)の結果、列強に5%に引き下げられ(改税約書)、アヘン戦争で敗北した清と同じ税率になって国内産業が打撃を受けたことに触れていない。開港後は出超であったのに改税約書を契機に入超になった。
関税率引き上げが実現したのは明治27年(1894年)である(p334)との説明だけである。
2. 雄藩の経済的動機は?
安政の開港によって、関税収入は全て幕府の収入となった。密貿易で収益を上げていた雄藩が幕府の統制を順守すれば打撃を受けるのではないか?「密貿易」(p146)や、第2次長州征討の勅許の頃「有力藩が断然商法(交易)などを施行して富国強兵に励み割拠の勢いを強くしている」(p186)など、藩が利益を上げるために幕府の統制から自立する動機があったのではないか?日本を再建させることだけが目的とすると綺麗すぎるのではないか?
3. 幕府が劣悪貨幣を大量に発行し続けたから超インフレになり民衆が幕府をうらみとの記述があるが(p79、p241)、なぜ改鋳したのか説明がないので幕府の悪印象だけが強く残る。
4. 薩土盟約の新政府構想(p248~p251)について
「朝廷でも幕府でもない、史上初の新政府構想」(p249)
「大久保一翁や松平春嶽、勝海舟にも、諸侯会議や公会議などの政体・政権構想についての発言があるが、それらの構想からはるかに進んだ、幕末における政権構想の到達点に位置するもの」(p250~p251)と説明している。
しかし、この薩土盟約の前月、薩摩藩の兵学教授・赤松小三郎は、松平春嶽と島津久光に対して「口上書」を提出しており、門閥貴賎に関係ない選挙による議会政治を構想した文書として日本最初のものとされる。2院制の議会、議会の決議事項に対しては天皇さえ拒否権がないとするものであり、先進的な内容であった。赤松は議会政治の導入により幕府と薩摩を融和させようと小松や西郷に働きかけた。
翌月の薩土盟約は「天下の大政を議定する全権は朝廷にあり」(p248写真)となっており、著者は「朝廷」を「政府」と訳しているが(p249)、赤松の建白書より後退しているのは否めない。
5. 王政復古後の小御所会議
岩倉らに分があって容堂・春嶽が納得したと記述している(p287)。
会議は容堂・春嶽らが優勢であったが、岩倉がいざという時は非常手段を取らざるをえない覚悟であると聞いた容堂・春嶽らが結局従ったというのが実態。(薩摩藩の3,000名を含めた雄藩の藩兵が9門を固めた中での会議であった)
6. 鳥羽伏見の戦いのきっかけ
「岩倉は慶喜が謝罪を申し出たら、即日、議定に就任させるつもりだと答えた。筋を通したのである。しかし三日、鳥羽伏見の開戦となった。強硬論者の勢いをとめようがなかったと慶喜は回想するのであるが・・・」(p287)とだけ説明し、慶喜がただの馬鹿に見える。
なぜ薩摩藩の江戸撹乱、江戸の薩摩藩邸の焼き討ち、それを知った大阪城内の幕府兵らの憤激、慶喜の「討薩表」を欠落させたのだろうか?
7. 伊藤博文のスピーチ「一個の弾丸も放たず、一滴の血を流すこともなく」(p309)
廃藩置県そのものはそうだが、それに至る戊辰戦争、その後の不平士族の反乱等、封建制を近代化にするために多くの血が流れたことを薄める効果はある。
8. 挙国一致で破約攘夷(条約改正)をするために近代化しなければならないと維新を推進してきた西国の士族たちが相次いで内乱・内戦(不平士族の反乱)を起こしたことは、本書の立場からどう説明するのか?
9. 「他のアジア諸国と違って、外国資本にたよらないで・・・大久保の方針で、日本の近代化を」(p320)
間違い。明治3年、大久保は新橋横浜間の鉄道敷設のため、ロンドンでポンド建て外債を発行した。これについて日本国内で新聞等で議論になり租税共議権への関心が高まり、国会開設の建白など本書次頁と関係していく。
また、明治6年の秩禄処分のために上記鉄道の2倍以上のポンド建て外債を発行した。
専制制度で有能な人間が存分に働けば、民主的な方法より時間もコストもかからない。行政が機能不全に陥らないように強い政府の憲法を作る。そして、アジアでいち早くどの国も成しえないスピードで日本を近代化させた。偉業である。
しかし、現代人が歴史を学ぶ時、現代からの問題意識を持たなくていいのだろうかとの疑問が生じる。
本書は、大政奉還の動きあたりから著者が国家建設にそぐわないと思う事柄について読者を誤解させる省略、表現、思い込みが散見される。
権謀や脅迫、力で決まった局面でも、正義の方向へ必然的に進んでいったような印象で、合目的的に組み立て過ぎて、歴史の機微や実態が分からなくなってしまう。帯の「一望」「全貌」に期待すると失望する。
2014年11月8日に日本でレビュー済み
黒船来航から禁門の変までの記述は素晴らしいと思いました。読みながら興奮してきて
怖いくらいでした。その後、憲法発布までが駆け足でサラッと書き上げた風で残念です。
最初の150頁を読むだけで十分面白いと思いました。
怖いくらいでした。その後、憲法発布までが駆け足でサラッと書き上げた風で残念です。
最初の150頁を読むだけで十分面白いと思いました。