この前読んだ著者の「数学の精神」が素晴らしかったので2冊目。
この本も素晴らしい。
今回のテーマは「数学における正しさとは何か?」
数学の歴史に沿って、数学が「正しさ」をどう担保してきたか?
数学の「正しさ」の最大の障壁である「無限」をどう回避し「正しさ」を担保してきたのか?を、最初の「なぜ?」、根本的な「なぜ?」から丁寧にわかりやすく解説している。
結局、数学における無限の取扱い、およびその回避方法の根本はギリシア時代から進化していない、変わったのは数学とりまく時代の雰囲気だ、と言う告白も衝撃的だ(^^;)
一読の価値あり。
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数学の想像力: 正しさの深層に何があるのか (筑摩選書 69) 単行本 – 2013/6/12
加藤 文元
(著)
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数学には正解がある。それはなぜ正しいのか。正しさを追い求めた先に数学者たちは大いなるパラドクスを見てしまった──。人間にとって正しさとは何かを問い直す。
- 本の長さ307ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2013/6/12
- 寸法13.1 x 2.2 x 18.8 cm
- ISBN-104480015752
- ISBN-13978-4480015754
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2013/6/12)
- 発売日 : 2013/6/12
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 307ページ
- ISBN-10 : 4480015752
- ISBN-13 : 978-4480015754
- 寸法 : 13.1 x 2.2 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 54,242位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は現代数学における幾何学、代数学、解析学の背景となった、
数学モデルの形成の歴史を辿りながら、
その構造化に至ったプロセスを考察する。
音楽体系の構造、宗教儀式の構造から、
取り尽くし法、インド位取り、アルゴリズム代数学、
中国の初等整数論、12世紀ルネサンス時代のイスラム、アラビア数学、
江戸数学(建部の無限級数展開)デカルト幾何学、微積分、
19世紀エコールポリテクニーク時代の数学体系化などを例にとり、
現代数学モデルとその関係性との演繹を行いながら、
正しさとは何かという問いにこたえていく内容となっている。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
【証明の形式化プロセス1】
・「基盤」共通の言語、抽象世界の解釈、信仰という前提、その他前提条件
・「流れ」証明、手順、儀式の遂行プロセス
・「決済」論理の落としどころ、見よ!
(観る→テオリア→不変な心理を冷静に観照する→理論)
【証明の形式化プロセス2】
・「定義」「要請」「共通概念」(原論)
・意味を精確に定める(曖昧さを排除)
・判断形式の明瞭化(議論の事務処理化)
→演繹的論証の様式化(儀式化)
【解析、近似解】
・値を復元する関数、微積
・数→長さ→線分比率→数直線モデル
・イプシロンδ(本質部分をパッケージ化)
・コーシー極限(近似パターンの収束)
・「モデルのとして正しさ」(形式的)
→計算ベースの議論スタイルを可能にした
→抽象的に構成、自然本体から一旦離れて
・近似値を証明する
→有限回、小さくする
→背理法、有限分割
【様々な対象の構造】
・Grp
→アルゴリズム数学、インド、アラビア、代数学
・Top
→ブレンド数学、解析学
・Set
→演繹数学、ユークリッド幾何、ピタゴラス、幾何学
・対象を作る=数学
→関数、数、図形
・音楽
→<終わり><中間><始まり>を持った一つのユニット=「流れ」
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
1章 背理法の音楽
2章 見よ!
3章 数を観る
4章 儀式としての証明
5章 見えない正しさ
6章 無限に対する恐怖
7章 無限の回避
8章 伝統のブレンド
9章 無限小算術
10章 西洋科学的精神
数学モデルの形成の歴史を辿りながら、
その構造化に至ったプロセスを考察する。
音楽体系の構造、宗教儀式の構造から、
取り尽くし法、インド位取り、アルゴリズム代数学、
中国の初等整数論、12世紀ルネサンス時代のイスラム、アラビア数学、
江戸数学(建部の無限級数展開)デカルト幾何学、微積分、
19世紀エコールポリテクニーク時代の数学体系化などを例にとり、
現代数学モデルとその関係性との演繹を行いながら、
正しさとは何かという問いにこたえていく内容となっている。
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【証明の形式化プロセス1】
・「基盤」共通の言語、抽象世界の解釈、信仰という前提、その他前提条件
・「流れ」証明、手順、儀式の遂行プロセス
・「決済」論理の落としどころ、見よ!
(観る→テオリア→不変な心理を冷静に観照する→理論)
【証明の形式化プロセス2】
・「定義」「要請」「共通概念」(原論)
・意味を精確に定める(曖昧さを排除)
・判断形式の明瞭化(議論の事務処理化)
→演繹的論証の様式化(儀式化)
【解析、近似解】
・値を復元する関数、微積
・数→長さ→線分比率→数直線モデル
・イプシロンδ(本質部分をパッケージ化)
・コーシー極限(近似パターンの収束)
・「モデルのとして正しさ」(形式的)
→計算ベースの議論スタイルを可能にした
→抽象的に構成、自然本体から一旦離れて
・近似値を証明する
→有限回、小さくする
→背理法、有限分割
【様々な対象の構造】
・Grp
→アルゴリズム数学、インド、アラビア、代数学
・Top
→ブレンド数学、解析学
・Set
→演繹数学、ユークリッド幾何、ピタゴラス、幾何学
・対象を作る=数学
→関数、数、図形
・音楽
→<終わり><中間><始まり>を持った一つのユニット=「流れ」
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1章 背理法の音楽
2章 見よ!
3章 数を観る
4章 儀式としての証明
5章 見えない正しさ
6章 無限に対する恐怖
7章 無限の回避
8章 伝統のブレンド
9章 無限小算術
10章 西洋科学的精神
2018年4月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は「数学における正しさとは何か」を考察する意欲的な書である。正しさを認識する基本要素として「基盤・流れ・決済」の三要素が抽出され、基盤や流れの違いによる「正しさの認識スタイル」を出来るだけ多く検討し、それを通して「現代的な<正しさ>の認識スタイルを再検討に付す」ということが目標とされている。
流れが伝統的に証明などの論証的な論理過程からなる西洋数学に対し、東洋数学では流れが計算やアルゴリズムといった計算ベースの論理過程のウエイトが高く、演繹的な証明という方法によらない「正しさの認識スタイル」があったことが、江戸時代の和算における認識スタイルを例として語られている。本書で重点的に考察されているのは、演繹的論証というスタイルに基づき正しさを留保する「ギリシャ数学」と「近代西洋数学」である。「様式化された正しさ」という認識スタイルを確立したギリシャ数学の詳しい考察と「そこで見出されたパラドクスに近代数学が自由に飛翔するための契機があった」という指摘はとても面白く読み応えがある。
通約不可能な数(無理数)の発見は、<見えない正しさ>に対する恐怖感を、また連続体の無限分割の可否の何れもが運動の不可能性を導くというゼノンの逆理に見られる「現実の存在様式と論理的思考との不一致」は、<無限>や<計算できない正しさ>への恐怖感を植えつけ、ギリシャ数学における「見るの排除」や「無限の回避」につながり、それが「ユークリッド原論」に見られるような演繹的論証という「様式化された正しさ」という認識スタイルをもたらす原動力であったと指摘されている。
次の大きな転回点は無限や無限小を<計算>ベースで扱う方法、即ち無限小算術(微分積分学)の構築にあった。連続体の無限分割の正しさの様式を確立するには大掛かりな基盤の構築が必須であり、19世紀数学が極限概念を基軸に微分積分学の基礎を固めたのは、まさにこの要請に応えるものだったと指摘されている。19世紀数学の革新性は、数学的な対象を<見る・観る>ものではなく、<作る(定義する)>ものだという意識改革をもたらしたことにあり、他の諸学や外的な自然本体とのしがらみをも断ち切って、それまでにない強力な抽象的自由性を手に入れた、標語的に言えば『19世紀の「科学的精神」は、その「様式化された正しさ」の地平に「モデルとしての正しさ」という新しい認識スタイルをもたらし、それによって数学という学問自体をも大幅に刷新した』、と的確に指摘されている。
勿論ここに至るには、近代的な実数論の構築に基づく「微分積分学の厳密化」の他に、非ユークリッド幾何学の発見からリーマンの構想に至る「空間概念の革新」が大きな要因であったことも見逃せないだろう。数学的な概念や対象は人が作るものというパラダイムは、それらを作る資材としての集合の理論を、無限集合論から公理的集合論、更にその「内的整合性という客観的な基準」(公理の無矛盾性)の構築へと向わせたことも歴史的必然と言えよう。「モデルとしての正しさ」という正しさの認識スタイルを確立し、他の諸学や現実の存在というしがらみから解放したことが、近代西洋数学が一つの「世界数学」として君臨できるに到った主要因であったことを本書の叙述で十分に認識できるのではあるまいか。
明確な問題提起、流れるような論理の展開、優れた文章力、それらが合わさってとても面白く素敵な書になっている。本書を読みながら、ギリシャ数学の素晴らしさ、微積分創造のインパクト、19世紀数学の革命的な素晴らしさ、無限と連続が織りなす数学の面白さ、などに思いをはせ、問題意識溢れる森毅『数学の歴史』や個性的な啓蒙書 小島寛之『無限を読みとく数学入門』などを参照した。これらの書も面白く参考になるので、数学と数学史を愛好する方々にあわせてお薦めしたい。
流れが伝統的に証明などの論証的な論理過程からなる西洋数学に対し、東洋数学では流れが計算やアルゴリズムといった計算ベースの論理過程のウエイトが高く、演繹的な証明という方法によらない「正しさの認識スタイル」があったことが、江戸時代の和算における認識スタイルを例として語られている。本書で重点的に考察されているのは、演繹的論証というスタイルに基づき正しさを留保する「ギリシャ数学」と「近代西洋数学」である。「様式化された正しさ」という認識スタイルを確立したギリシャ数学の詳しい考察と「そこで見出されたパラドクスに近代数学が自由に飛翔するための契機があった」という指摘はとても面白く読み応えがある。
通約不可能な数(無理数)の発見は、<見えない正しさ>に対する恐怖感を、また連続体の無限分割の可否の何れもが運動の不可能性を導くというゼノンの逆理に見られる「現実の存在様式と論理的思考との不一致」は、<無限>や<計算できない正しさ>への恐怖感を植えつけ、ギリシャ数学における「見るの排除」や「無限の回避」につながり、それが「ユークリッド原論」に見られるような演繹的論証という「様式化された正しさ」という認識スタイルをもたらす原動力であったと指摘されている。
次の大きな転回点は無限や無限小を<計算>ベースで扱う方法、即ち無限小算術(微分積分学)の構築にあった。連続体の無限分割の正しさの様式を確立するには大掛かりな基盤の構築が必須であり、19世紀数学が極限概念を基軸に微分積分学の基礎を固めたのは、まさにこの要請に応えるものだったと指摘されている。19世紀数学の革新性は、数学的な対象を<見る・観る>ものではなく、<作る(定義する)>ものだという意識改革をもたらしたことにあり、他の諸学や外的な自然本体とのしがらみをも断ち切って、それまでにない強力な抽象的自由性を手に入れた、標語的に言えば『19世紀の「科学的精神」は、その「様式化された正しさ」の地平に「モデルとしての正しさ」という新しい認識スタイルをもたらし、それによって数学という学問自体をも大幅に刷新した』、と的確に指摘されている。
勿論ここに至るには、近代的な実数論の構築に基づく「微分積分学の厳密化」の他に、非ユークリッド幾何学の発見からリーマンの構想に至る「空間概念の革新」が大きな要因であったことも見逃せないだろう。数学的な概念や対象は人が作るものというパラダイムは、それらを作る資材としての集合の理論を、無限集合論から公理的集合論、更にその「内的整合性という客観的な基準」(公理の無矛盾性)の構築へと向わせたことも歴史的必然と言えよう。「モデルとしての正しさ」という正しさの認識スタイルを確立し、他の諸学や現実の存在というしがらみから解放したことが、近代西洋数学が一つの「世界数学」として君臨できるに到った主要因であったことを本書の叙述で十分に認識できるのではあるまいか。
明確な問題提起、流れるような論理の展開、優れた文章力、それらが合わさってとても面白く素敵な書になっている。本書を読みながら、ギリシャ数学の素晴らしさ、微積分創造のインパクト、19世紀数学の革命的な素晴らしさ、無限と連続が織りなす数学の面白さ、などに思いをはせ、問題意識溢れる森毅『数学の歴史』や個性的な啓蒙書 小島寛之『無限を読みとく数学入門』などを参照した。これらの書も面白く参考になるので、数学と数学史を愛好する方々にあわせてお薦めしたい。
2019年5月5日に日本でレビュー済み
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数学はストーリィテラーとなる有機質なもの。算数の様なバラ売リ授業がつまらない理由。もっと早く読みたかった。
2023年8月10日に日本でレビュー済み
背理法の音楽
見よ!
数を観る
◆儀式としての証明
見えない正しさ
◆無限に対する恐怖
無限の回避
伝統のブレンド
無限小算術
西洋科学的精神
見よ!
数を観る
◆儀式としての証明
見えない正しさ
◆無限に対する恐怖
無限の回避
伝統のブレンド
無限小算術
西洋科学的精神
2013年12月24日に日本でレビュー済み
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面白かったけれど、言っていることは素人の仮説のレベル。「見ること」から「論証すること」への移行としてユークリッドの原論という説、数学史的に根拠付けられているのでしょうか。数学的正しさの背景には「宗教的なもの」もあるという、ちょっと相対主義的な視点を出して見たという程度の作品。数学者が一般向けの本を書くと哲学的になるが、そのくせ本当に哲学を学んで書いているわけでもないという不真面目さを感じます。
2013年11月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
数学の正しさとは何か。正しさの深層に何があるのか。"数学の想像力"と題したこの書は、音楽と数学が似ていることから語り始める。証明には"流れ"があることが音楽に共通するとしている。本書の狙いは四千年の数学の思潮を丹念に検証しながら、正しさを求める"証明と計算"について深耕していくことにある。
数学には時代性と地域性があった。古代ギリシャ数学では、ユークリッド原論にみてとれるように、直観的に見ることを排して演繹的に論理を組み立てて証明することに徹した。そして、この書の中心にある仮説:"証明とは宗教儀式であったと"主張する。ここで、数学にあって音楽にない背理法という証明方法を語る。背理法がなければギリシャ的な演繹証明は成り立たない。
一方、インドや東洋では直観や見ることが重要だった(現代数学の礎に大きな貢献をしたインドの天才ラマヌジャンがそのいい例だ)。彼の数学では、演繹的に論理を組み立てていく証明がむしろ特異だった。西洋数学は、抽象性、自由性、力動性をもっている。東洋の数学にはそれらがない故に現代数学の主流にはなり得なかった。
次に数学的最大のアポリアである無限の考察について語る。ここで発明されるのが"取り尽くし法"だ。これは無限分割を回避する方法だった。現代の初学生や生徒が接する数学の殆どは18、19世紀の西欧数学である。西欧の数学はローマ帝国崩壊後長い間衰退していた。イスラムの数学や科学を取り入れて復興したのが西欧数学だ。60進法は古代バビロニアで発明されたし、現代数学で使われる10進法表記はインド数学が起源だ。ルネッサンス後、微小算術といった新しい計算が西欧に芽生えた。微小算術すなわち解析学だが、当初あやふやなものだった。極限概念は、本質的には古代ギリシャの頃から用いられていた原理と同じだ。しかもそのスタイルは、計算ではなく文章による古代ギリシャ的な論証スタイルも必要上復活した。
さて、本書の結論を端的に示しておこう。現代数学には計算できることとできないことがある。後者は数学をモデルとして考えることで解決する。すなわち、現代数学はモデル論なのだ。数学はモデル論になったことで自由へと解放された。”数学のゲーム化”ともいえる。別の言葉でいえば、正しさの意味が異なってきたのだ。これからの数学では”理性と信仰”を深く考えねばならない。ゲーデルの不完全性定理によれば往々にして確認不可能な基準があればこそ、数学を一つの巨大な知的ゲームと見做し公理をそのルールと見做す現代的な視点が生まれた。いわばこれが内的整合性という客観的な基準への信仰の姿である。哲学書のように難解な書であったが、良書である。
数学には時代性と地域性があった。古代ギリシャ数学では、ユークリッド原論にみてとれるように、直観的に見ることを排して演繹的に論理を組み立てて証明することに徹した。そして、この書の中心にある仮説:"証明とは宗教儀式であったと"主張する。ここで、数学にあって音楽にない背理法という証明方法を語る。背理法がなければギリシャ的な演繹証明は成り立たない。
一方、インドや東洋では直観や見ることが重要だった(現代数学の礎に大きな貢献をしたインドの天才ラマヌジャンがそのいい例だ)。彼の数学では、演繹的に論理を組み立てていく証明がむしろ特異だった。西洋数学は、抽象性、自由性、力動性をもっている。東洋の数学にはそれらがない故に現代数学の主流にはなり得なかった。
次に数学的最大のアポリアである無限の考察について語る。ここで発明されるのが"取り尽くし法"だ。これは無限分割を回避する方法だった。現代の初学生や生徒が接する数学の殆どは18、19世紀の西欧数学である。西欧の数学はローマ帝国崩壊後長い間衰退していた。イスラムの数学や科学を取り入れて復興したのが西欧数学だ。60進法は古代バビロニアで発明されたし、現代数学で使われる10進法表記はインド数学が起源だ。ルネッサンス後、微小算術といった新しい計算が西欧に芽生えた。微小算術すなわち解析学だが、当初あやふやなものだった。極限概念は、本質的には古代ギリシャの頃から用いられていた原理と同じだ。しかもそのスタイルは、計算ではなく文章による古代ギリシャ的な論証スタイルも必要上復活した。
さて、本書の結論を端的に示しておこう。現代数学には計算できることとできないことがある。後者は数学をモデルとして考えることで解決する。すなわち、現代数学はモデル論なのだ。数学はモデル論になったことで自由へと解放された。”数学のゲーム化”ともいえる。別の言葉でいえば、正しさの意味が異なってきたのだ。これからの数学では”理性と信仰”を深く考えねばならない。ゲーデルの不完全性定理によれば往々にして確認不可能な基準があればこそ、数学を一つの巨大な知的ゲームと見做し公理をそのルールと見做す現代的な視点が生まれた。いわばこれが内的整合性という客観的な基準への信仰の姿である。哲学書のように難解な書であったが、良書である。
2014年12月8日に日本でレビュー済み
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加藤文元氏の数学啓蒙書は、どれも一読の価値があります。科学的厳密性からはやや距離のある分野に身を置くレビュアーにとっても、「第1章 背理法と音楽」「第10章 西洋科学的精神」などはとくに興味深く読むことができました。教養課程の自然科学系概論講義等のノートがベースになっているからでしょうか、論述展開もよく練られています。数学者である加藤氏の透明性の高い文章にもいつもながら感心します。数学から遠ざかっている文科系の学生諸君が数理の魔力を再確認するための教養書として、是非とも推奨したい一冊です。