プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
日米開戦の正体――なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか 単行本(ソフトカバー) – 2015/5/12
孫崎 享
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,925","priceAmount":1925.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,925","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"fYSw3UYRrSeBnDNa5YzoEcKNTlmUkXZyUYCId6QpYhQhe%2Fus%2B03NTtKOqCV2GuzTiFd7CrlbC0scLGlf6FAhGdOAJiTGvoiO%2BSDRbaykd9OTc0dJLVFkM1yEeBmmyhbuslBJ7fq3S6k%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
■「史上最悪の愚策」を解き明かす!
それは日露戦争の勝利から始まっていた――
なぜ、日本は勝てる見込みのない戦いを仕掛けたのか?
元外務省国際情報局長が解読した歴史の真相!
■この本では、当時の人々の声で歴史を語ってもらおうと思います。
これまで、日露戦争から真珠湾攻撃までの歴史について、数多くの本が書かれてきましたが、この本では「なぜ真珠湾攻撃という愚かな道を歩んだか」という視点に絞りました。それによって、明確な糸が見えると考えたからです。
この本では、できるだけ多く、当時の人々の発言を紹介していきます。後世の人間が「後知恵」で解説するのでなくて、当時の人々自らの声で歴史を語ってもらいたいからです。
そして歴史にはいろんな選択肢があった、異なった道があった、その中でなぜ真珠湾攻撃という選択をしたのかを考えてほしいのです。(「はじめに」より)
それは日露戦争の勝利から始まっていた――
なぜ、日本は勝てる見込みのない戦いを仕掛けたのか?
元外務省国際情報局長が解読した歴史の真相!
■この本では、当時の人々の声で歴史を語ってもらおうと思います。
これまで、日露戦争から真珠湾攻撃までの歴史について、数多くの本が書かれてきましたが、この本では「なぜ真珠湾攻撃という愚かな道を歩んだか」という視点に絞りました。それによって、明確な糸が見えると考えたからです。
この本では、できるだけ多く、当時の人々の発言を紹介していきます。後世の人間が「後知恵」で解説するのでなくて、当時の人々自らの声で歴史を語ってもらいたいからです。
そして歴史にはいろんな選択肢があった、異なった道があった、その中でなぜ真珠湾攻撃という選択をしたのかを考えてほしいのです。(「はじめに」より)
- 本の長さ510ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2015/5/12
- ISBN-104396615213
- ISBN-13978-4396615215
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 日米開戦の正体――なぜ真珠湾攻撃という道を歩んだのか
¥1,925¥1,925
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り2点(入荷予定あり)
¥1,980¥1,980
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り2点 ご注文はお早めに
¥1,580¥1,580
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り1点 ご注文はお早めに
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
1943年生まれ。1966年、東京大学法学部を中退し、外務省に入省。国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。現在、東アジア共同体研究所長。ツイッターのフォロワーは8万人。さらに、ニコニコ動画を発信するなどソーシャル・メディアに注力。著作『戦後史の正体』は22万部を発行。他に『日本の国境問 題-尖 閣・竹島・北方領土』などがある。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2015/5/12)
- 発売日 : 2015/5/12
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 510ページ
- ISBN-10 : 4396615213
- ISBN-13 : 978-4396615215
- Amazon 売れ筋ランキング: - 196,643位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年7月15日に日本でレビュー済み
本作のテーマは「日米開戦」「真珠湾攻撃」。
若者から面倒臭っ、古臭っ、みたいな反応がありそうです。ただし、氏のテーマ設定の背景は深遠です。『日本は今、「あのとき」と同じ歴史的曲がり角にいます』、と冒頭で述べます。
・・・
今、TPP、原発はじめエネルギー問題、消費税増税、国の借金等問題がありながら、正論が叩き潰され、言論が密かに封殺されるような現代社会。
今なら無謀な戦いだと理解できる約80年前にも、正論が覆され、自己の保身から統治責任を放棄した政治家や軍人たち、そして現状をあおったマスコミや論壇があった、という話です。
現代を危機と捉えるものの問題には直接触れず、逆に80年前の状況を渉猟し、多くの歴史上の人物に当時を語らせることにより、どのようにして日本が破滅の道へたどったかを示します。正確には、1941年の真珠湾攻撃から遡り、満州事変、さらには日露戦争辺りまで事象の連関を探ります。
当然ながら、これは反面教師的効果を狙っています。
・・・
まず、日本は流れを読めなかった。
俗に、第二次世界大戦は、欧米に「追い込まれた」上で日本は突入したと言われることがあります。一部には正しいと思います。自国が不平等条約で酷い目に遭い、過剰適応の末、同様の事を韓国や中国でも展開しようとしたのかもしれません。また兄貴分たる欧米のやり方を踏襲しただけということなのかもしれません。
ところが辛亥革命以降、民族自決の萌芽は顕在化しつつあったわけです。中国を狙う米国すら、その民族意識や反発・またそれと対峙するコストについては勘案できていた節があるようです。日本にはそこまで読む力はなかったようです。で、石橋湛山など、こうした流れを読める言論人は世間から排斥されてしまったわけです。
現代で正論を言う人が排斥されていることはないでしょうか?
・・・
次にお偉方の監督責任です。
五・一五事件や二・二六事件は一般に若手将校の先走りと解されていると思います。ひいては満州国設立の差し金たる関東軍の横暴です。で、そういう暴挙に対して、偉い人たちは何をやっていたのかって思いませんか。
結論から言えば、傍観・責任放棄です。ただいるだけ。半藤一利氏の著作からの引用でこうあります。
『二・二六事件はひと言でいえば「恐怖の梃子」ですよ。(略)何かといえば陸軍の上に立つ人は「わたしはいいが、部下の方がどうでるか」と脅すんです。(『日米開戦の正体』P.489)』
今であればどうでしょう? 「いや部下のマネジメントこそあなたの仕事でしょう? できないんだったらとっとと辞めてください」って言いたくありませんか? もちろんこの場合は文字通り拳銃を持った部下であり、御しがたいところはあろうかと思います。内心で部下の横暴を応援していた向きも多かったと思います。ただ、政治家・軍人にはあまりにマネジメントに適さない人が多かったと思えてなりません。
現状の政界・財界はどうでしょうか。
・・・
これ以外にも、テロ(武力)をもとにした言論封殺は興味深かったです。辛くも生き延びた幣原喜重郎氏や、どう見ても陰謀の下に殺害されたとしか思えない佐分利中国公使の話など。
また、我が身を守るために世間と迎合した文学人(斎藤茂吉、山岡荘八、川端康成等多数)の責任問題など、有名人・芸能人の立場の厳しさを突き付けられた気がします。もちろん、メディアや有名人の発言をあるがまま嬉々として吸収してしまう民度の低さは言わずもがなです。
・・・
ということで孫崎氏による戦前戦中史についての作品でした。
多くの軍人・政治家・外交官の発言から、当時の空気を再構成しています。感じ取れるのは、近視眼的(よく言えば?戦略より戦術)、上層部の責任放棄、長いものに巻かれろ主義、異論を許さない不寛容、でしょうか。
今、こうした国民性に変化が無いとすれば、やはり同類同規模の悲劇が再発する恐れがあるのかもしれません。
本作、戦中史に興味がある方、外交史に興味のある方、政治に興味のある方、現代日本はおかしいんじゃないかと感じる方、等々にはお勧めできる作品かと思います。
若者から面倒臭っ、古臭っ、みたいな反応がありそうです。ただし、氏のテーマ設定の背景は深遠です。『日本は今、「あのとき」と同じ歴史的曲がり角にいます』、と冒頭で述べます。
・・・
今、TPP、原発はじめエネルギー問題、消費税増税、国の借金等問題がありながら、正論が叩き潰され、言論が密かに封殺されるような現代社会。
今なら無謀な戦いだと理解できる約80年前にも、正論が覆され、自己の保身から統治責任を放棄した政治家や軍人たち、そして現状をあおったマスコミや論壇があった、という話です。
現代を危機と捉えるものの問題には直接触れず、逆に80年前の状況を渉猟し、多くの歴史上の人物に当時を語らせることにより、どのようにして日本が破滅の道へたどったかを示します。正確には、1941年の真珠湾攻撃から遡り、満州事変、さらには日露戦争辺りまで事象の連関を探ります。
当然ながら、これは反面教師的効果を狙っています。
・・・
まず、日本は流れを読めなかった。
俗に、第二次世界大戦は、欧米に「追い込まれた」上で日本は突入したと言われることがあります。一部には正しいと思います。自国が不平等条約で酷い目に遭い、過剰適応の末、同様の事を韓国や中国でも展開しようとしたのかもしれません。また兄貴分たる欧米のやり方を踏襲しただけということなのかもしれません。
ところが辛亥革命以降、民族自決の萌芽は顕在化しつつあったわけです。中国を狙う米国すら、その民族意識や反発・またそれと対峙するコストについては勘案できていた節があるようです。日本にはそこまで読む力はなかったようです。で、石橋湛山など、こうした流れを読める言論人は世間から排斥されてしまったわけです。
現代で正論を言う人が排斥されていることはないでしょうか?
・・・
次にお偉方の監督責任です。
五・一五事件や二・二六事件は一般に若手将校の先走りと解されていると思います。ひいては満州国設立の差し金たる関東軍の横暴です。で、そういう暴挙に対して、偉い人たちは何をやっていたのかって思いませんか。
結論から言えば、傍観・責任放棄です。ただいるだけ。半藤一利氏の著作からの引用でこうあります。
『二・二六事件はひと言でいえば「恐怖の梃子」ですよ。(略)何かといえば陸軍の上に立つ人は「わたしはいいが、部下の方がどうでるか」と脅すんです。(『日米開戦の正体』P.489)』
今であればどうでしょう? 「いや部下のマネジメントこそあなたの仕事でしょう? できないんだったらとっとと辞めてください」って言いたくありませんか? もちろんこの場合は文字通り拳銃を持った部下であり、御しがたいところはあろうかと思います。内心で部下の横暴を応援していた向きも多かったと思います。ただ、政治家・軍人にはあまりにマネジメントに適さない人が多かったと思えてなりません。
現状の政界・財界はどうでしょうか。
・・・
これ以外にも、テロ(武力)をもとにした言論封殺は興味深かったです。辛くも生き延びた幣原喜重郎氏や、どう見ても陰謀の下に殺害されたとしか思えない佐分利中国公使の話など。
また、我が身を守るために世間と迎合した文学人(斎藤茂吉、山岡荘八、川端康成等多数)の責任問題など、有名人・芸能人の立場の厳しさを突き付けられた気がします。もちろん、メディアや有名人の発言をあるがまま嬉々として吸収してしまう民度の低さは言わずもがなです。
・・・
ということで孫崎氏による戦前戦中史についての作品でした。
多くの軍人・政治家・外交官の発言から、当時の空気を再構成しています。感じ取れるのは、近視眼的(よく言えば?戦略より戦術)、上層部の責任放棄、長いものに巻かれろ主義、異論を許さない不寛容、でしょうか。
今、こうした国民性に変化が無いとすれば、やはり同類同規模の悲劇が再発する恐れがあるのかもしれません。
本作、戦中史に興味がある方、外交史に興味のある方、政治に興味のある方、現代日本はおかしいんじゃないかと感じる方、等々にはお勧めできる作品かと思います。
2023年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
悲劇を生んだ要因が鮮明に描かれています。
2015年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人間の決断は思考・感情・意思の一致によると思われる。David Hume (イギリスの道徳哲学者)の至言は、こんな言葉です。
「理性は常に情念の奴隷だ。情念は理性の主人である」
序文より抜粋: 「この本の特色は、私が解説することを主眼としたものではない、というものです。できるだけ多く、当時の人々の発言を紹介していきます。... 。そして歴史にはいろんな選択肢があった、異なった道があった、その中でなぜ真珠湾攻撃という選択をしたのか考えてほしいのです。」
■孫崎氏の意図は "資料をして語らせ、読者をして思考させる"こと(だと思う)
このことに成功している。大多数の書物や学術論文は、自らの発見と見解についてほとんどの文字を費やし、引用は最小限とする。もっと深く研究したい人は、参考文献を読みなさいという姿勢。書物や学術論文の文字数の半分以上が「引用」ならばオリジナリティーがほとんどなくなるから、そのようなやり方はしないのが通例。
孫崎氏はあえて、この方法を採用した。このような引用中心の書物を私は初めて読んだ。ハンナ・アレントの『暗い時代の人々 Men in Dark Times』(邦訳はみすず書房)を思い出した。Walter Benjamin ヴァルター・ベンヤミン(ドイツ系ユダヤ人、文芸評論家・哲学者。1892-1940)が「一番やりたがったことは、引用文だけからなる作品をつくることであった」(邦訳書のp190)。ベンヤミンの意図が私には全くわからなかったが、孫崎氏の新著を読んで、なるほど! と納得。この手法が有用・有効であるテーマはおそらく極めて限られることであろうとは推察していたが、どんなテーマにこの手法がふさわしいのかわからなかった。「昔のこと」(歴史の事実)を参考にして、「今進行しつつある危機・危険」について、読者をして``思考を促す''ために最良の手法なのだ。
■どんな人に本書を読んで欲しいのか(優先順位のままに)
第一に、原発再稼働・TPP・特定秘密保護法・集団的自衛権等に賛成したり、戦後レジームからの脱却をめざす人々(韓国併合、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争などは正しかったと信じる方々)に強く推奨する。周知のように孫崎氏はそれら政策や見方に反対しているわけであるが、氏のこれまでの見解に反対するような方々が本書を手にしたら、自らの脳で思考せざるを得ないと思う。現政権の政策を本気であるいは(保身のため)仕方なく支援している国会議員・官僚(特に外務省)・学者・報道人の一人でも多くに読んで欲しい。パスカルの云う「人間は考える葦である」は自明の真理であり、すべての人間は思考する能力を有すると信じるからだ。孫崎氏自身の見解は読み飛ばして、引用文だけ読んで、考えて欲しい。人間の偉大な能力の一つは、自分自身と対話することだから。
第二に、安倍政権の逆走政策(暴走)に反対したり、民主主義・立憲主義・法の支配をないがしろにする現政権の手法を問題視する人々に強く推奨する。理由は、孫崎氏の意見を読んで自らの見解の正当性を確認できるからではない。日露戦争から日米開戦に至るまでの「なぜ、どのようにして」を語る膨大な引用文が、「他国との平和共存こそ自国の利益となるとみなすことなく、対話を拒否して、暴力と軍事力に依拠して他国民と自国民を強制・迫害した」軍人・政治家の思考・感情・意思を赤裸々に教えてくれるからだ。
反安倍政権の読者は、いわゆる「軍国主義」推進者達の感情と意思の恐るべき強さに改めて戦慄するであろう。自らの脳内における「正しい目的」のためには、言論弾圧・殺人・軍事力行使等のいかなる手段も許されると確信する人々のおざましさ - これは良く知られている。最も深刻に恐怖すべきは、軍事力による解決推進者の圧倒的な感情・意思に直面して、軍人・官僚・政治家・報道人・文化人(学者、俳人、詩人、小説家...)の大多数がひれ伏したこと。自らの良心に従って「沈黙」する(加担はしないという選択した)人は少なく、多くは保身のため(あるいは洗脳されて)に協力した事実。石橋湛山など、沈黙することなく発言した人々のことも紹介されているが、そのような人々の実践は、今現在の事態の改善に関しては、あまり参考にならないと思う。読者は、膨大な引用文を介して、信念からの「軍国主義者」と彼/彼女らへの加担者と心の中で対話することができる、そうせざるをを得なくなくなると思う。軍国主義者と彼/彼女らへの同調者の「内在的論理」と感情・意思を知ることができるのだ。日露戦争から真珠湾攻撃に至る「なぜ、どのようにして」を「理解」することなくして、今現在のここにある明白な危機を回避することはできないと思う。
■悪の凡庸さ(陳腐さ)について
本書を読みつつ、ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者、ハンナ・アーレントと内心で幾度も対話することとなった。彼女は同胞ユダヤ人の多くから大非難された著書『イェルサレムのアイヒマン Eichmann in Jerusalem』(邦訳はみすず書房)において、"悪の凡庸さ the Banality of Evil "を膨大な資料に語らせつつ、指摘した。同書と孫崎氏の本書との大きな違いは、二つ。前者は間接引用が主で、著者の思考内容の記載が膨大だということ。両書とも、膨大な生の証拠文献の(間接・直接)引用を含み、読者をして思考を促すことを目的としている。
どちらの書物も明瞭に示していることは、"悪の凡庸さ"だと思う。アーレントはアドルフ・アイヒマン」は「思考を欠如」していたと看破した。自らの脳で思考しない凡人こそが恐ろしい!! そのような凡人が、殺人・戦争をしようとする「断固たる悪人」に加担してしまった事実の重み。
自国の短期的利益のみ追求する公職者、自らの私的利益にしか関心がない人物(アーレントのいう public freedom/happiness を知らず、private freedom/happinessのみ追求)、どちらも凡庸・陳腐な人物と言える。逆走・暴走する(と私がみなす)安倍政権を支持する人も同政権の諸政策に反対する人も、本書を読むことにより、「普通の人」が迫害・殺人・戦争をしようとするごく一部の人々に加担したからこそ、あのような悲劇が現実となつたことを思考と感情の二つの次元で「理解」することになろう。
■おわりに
日露戦争こそ日本国が決定的に道をはずした契機だと私はみてきたが、この見解の正当性を示唆する書物を初めて読んだ。
孫崎氏の次の著作として期待するのは「明治国家の正体」。明治維新自体は欧米列強の脅威に対応しての必要な反応であったと考えられるが、国家を大急ぎで作ったためにいろいろなひずみが生じた。明治国家が総力を挙げて完遂したのが日露戦争であり、その戦争こそが真珠湾につながったのであるが、明治国家においても様々な選択肢があった。日露戦争に至らない道筋を取る可能性はあった。西郷隆盛と江藤新平の敗北の「なぜ、どのように」が鍵の二つと思う。
「理性は常に情念の奴隷だ。情念は理性の主人である」
序文より抜粋: 「この本の特色は、私が解説することを主眼としたものではない、というものです。できるだけ多く、当時の人々の発言を紹介していきます。... 。そして歴史にはいろんな選択肢があった、異なった道があった、その中でなぜ真珠湾攻撃という選択をしたのか考えてほしいのです。」
■孫崎氏の意図は "資料をして語らせ、読者をして思考させる"こと(だと思う)
このことに成功している。大多数の書物や学術論文は、自らの発見と見解についてほとんどの文字を費やし、引用は最小限とする。もっと深く研究したい人は、参考文献を読みなさいという姿勢。書物や学術論文の文字数の半分以上が「引用」ならばオリジナリティーがほとんどなくなるから、そのようなやり方はしないのが通例。
孫崎氏はあえて、この方法を採用した。このような引用中心の書物を私は初めて読んだ。ハンナ・アレントの『暗い時代の人々 Men in Dark Times』(邦訳はみすず書房)を思い出した。Walter Benjamin ヴァルター・ベンヤミン(ドイツ系ユダヤ人、文芸評論家・哲学者。1892-1940)が「一番やりたがったことは、引用文だけからなる作品をつくることであった」(邦訳書のp190)。ベンヤミンの意図が私には全くわからなかったが、孫崎氏の新著を読んで、なるほど! と納得。この手法が有用・有効であるテーマはおそらく極めて限られることであろうとは推察していたが、どんなテーマにこの手法がふさわしいのかわからなかった。「昔のこと」(歴史の事実)を参考にして、「今進行しつつある危機・危険」について、読者をして``思考を促す''ために最良の手法なのだ。
■どんな人に本書を読んで欲しいのか(優先順位のままに)
第一に、原発再稼働・TPP・特定秘密保護法・集団的自衛権等に賛成したり、戦後レジームからの脱却をめざす人々(韓国併合、満州国建国、日中戦争、太平洋戦争などは正しかったと信じる方々)に強く推奨する。周知のように孫崎氏はそれら政策や見方に反対しているわけであるが、氏のこれまでの見解に反対するような方々が本書を手にしたら、自らの脳で思考せざるを得ないと思う。現政権の政策を本気であるいは(保身のため)仕方なく支援している国会議員・官僚(特に外務省)・学者・報道人の一人でも多くに読んで欲しい。パスカルの云う「人間は考える葦である」は自明の真理であり、すべての人間は思考する能力を有すると信じるからだ。孫崎氏自身の見解は読み飛ばして、引用文だけ読んで、考えて欲しい。人間の偉大な能力の一つは、自分自身と対話することだから。
第二に、安倍政権の逆走政策(暴走)に反対したり、民主主義・立憲主義・法の支配をないがしろにする現政権の手法を問題視する人々に強く推奨する。理由は、孫崎氏の意見を読んで自らの見解の正当性を確認できるからではない。日露戦争から日米開戦に至るまでの「なぜ、どのようにして」を語る膨大な引用文が、「他国との平和共存こそ自国の利益となるとみなすことなく、対話を拒否して、暴力と軍事力に依拠して他国民と自国民を強制・迫害した」軍人・政治家の思考・感情・意思を赤裸々に教えてくれるからだ。
反安倍政権の読者は、いわゆる「軍国主義」推進者達の感情と意思の恐るべき強さに改めて戦慄するであろう。自らの脳内における「正しい目的」のためには、言論弾圧・殺人・軍事力行使等のいかなる手段も許されると確信する人々のおざましさ - これは良く知られている。最も深刻に恐怖すべきは、軍事力による解決推進者の圧倒的な感情・意思に直面して、軍人・官僚・政治家・報道人・文化人(学者、俳人、詩人、小説家...)の大多数がひれ伏したこと。自らの良心に従って「沈黙」する(加担はしないという選択した)人は少なく、多くは保身のため(あるいは洗脳されて)に協力した事実。石橋湛山など、沈黙することなく発言した人々のことも紹介されているが、そのような人々の実践は、今現在の事態の改善に関しては、あまり参考にならないと思う。読者は、膨大な引用文を介して、信念からの「軍国主義者」と彼/彼女らへの加担者と心の中で対話することができる、そうせざるをを得なくなくなると思う。軍国主義者と彼/彼女らへの同調者の「内在的論理」と感情・意思を知ることができるのだ。日露戦争から真珠湾攻撃に至る「なぜ、どのようにして」を「理解」することなくして、今現在のここにある明白な危機を回避することはできないと思う。
■悪の凡庸さ(陳腐さ)について
本書を読みつつ、ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者、ハンナ・アーレントと内心で幾度も対話することとなった。彼女は同胞ユダヤ人の多くから大非難された著書『イェルサレムのアイヒマン Eichmann in Jerusalem』(邦訳はみすず書房)において、"悪の凡庸さ the Banality of Evil "を膨大な資料に語らせつつ、指摘した。同書と孫崎氏の本書との大きな違いは、二つ。前者は間接引用が主で、著者の思考内容の記載が膨大だということ。両書とも、膨大な生の証拠文献の(間接・直接)引用を含み、読者をして思考を促すことを目的としている。
どちらの書物も明瞭に示していることは、"悪の凡庸さ"だと思う。アーレントはアドルフ・アイヒマン」は「思考を欠如」していたと看破した。自らの脳で思考しない凡人こそが恐ろしい!! そのような凡人が、殺人・戦争をしようとする「断固たる悪人」に加担してしまった事実の重み。
自国の短期的利益のみ追求する公職者、自らの私的利益にしか関心がない人物(アーレントのいう public freedom/happiness を知らず、private freedom/happinessのみ追求)、どちらも凡庸・陳腐な人物と言える。逆走・暴走する(と私がみなす)安倍政権を支持する人も同政権の諸政策に反対する人も、本書を読むことにより、「普通の人」が迫害・殺人・戦争をしようとするごく一部の人々に加担したからこそ、あのような悲劇が現実となつたことを思考と感情の二つの次元で「理解」することになろう。
■おわりに
日露戦争こそ日本国が決定的に道をはずした契機だと私はみてきたが、この見解の正当性を示唆する書物を初めて読んだ。
孫崎氏の次の著作として期待するのは「明治国家の正体」。明治維新自体は欧米列強の脅威に対応しての必要な反応であったと考えられるが、国家を大急ぎで作ったためにいろいろなひずみが生じた。明治国家が総力を挙げて完遂したのが日露戦争であり、その戦争こそが真珠湾につながったのであるが、明治国家においても様々な選択肢があった。日露戦争に至らない道筋を取る可能性はあった。西郷隆盛と江藤新平の敗北の「なぜ、どのように」が鍵の二つと思う。
2020年6月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ありがとうございました。内容もとても良かったです。