自虐史観から脱却するために、日本人に是非とも読んでもらいたい一冊。
日本人とは違う視点から、そしてジャーナリストとしての視点から書かれた良書。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥3,500以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。
新品:
¥880¥880 税込
ポイント: 53pt
(6%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp 販売者: Amazon.co.jp
新品:
¥880¥880 税込
ポイント: 53pt
(6%)
無料お届け日:
3月31日 日曜日
発送元: Amazon.co.jp
販売者: Amazon.co.jp
中古品: ¥8
中古品:
¥8

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書) (祥伝社新書 351) 新書 – 2013/12/2
ヘンリー・S・ストークス
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥880","priceAmount":880.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"880","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"g3xIq7hAU5OaujPxH7apw5SNxbi5nnDCP%2F8yriICbyOlYUyCGSYkL5ykWOGxYofQILVuGxJJtg7vDwuy8S0Jk6LO%2Fd05Chv6mv00VFUn8Bt%2BJD%2BGUL9fhpSjOq1GG6jOVMmCyS9fSZ0%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}, {"displayPrice":"¥8","priceAmount":8.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"8","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"g3xIq7hAU5OaujPxH7apw5SNxbi5nnDCxxCfnJBfuIB8rC2zuayLtm1nThIZBjXldtQ64Y8cWUS4StkMcmEg6uajQu6k5ZCfUNPATDqAlhXAVz%2BMBU%2BjuILAcGJvjdCWQ%2FB75ORO931F03d3sBprZSmG0XYf4hHpPGZWFCs2XMGRPULSTu9ZtA%3D%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"USED","aapiBuyingOptionIndex":1}]}
購入オプションとあわせ買い
「戦勝国史観」に取り込まれている日本人に問う 滞日五〇年、『フィナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人大物記者が、戦後、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪、南京事件、靖国参拝、従軍慰安婦と、現在俎上にある幾多の問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかける。 来日当時は戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者は、いかにして史観を大転換させるに至ったのか。そして日本人はこの提言を受けて、どう行動すべきなのか。
- 本の長さ252ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2013/12/2
- ISBN-10439611351X
- ISBN-13978-4396113513
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書) (祥伝社新書 351)
¥880¥880
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り7点(入荷予定あり)
¥858¥858
最短で4月4日 木曜日のお届け予定です
残り2点(入荷予定あり)
¥880¥880
最短で3月31日 日曜日のお届け予定です
残り3点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
出版社からのコメント
『フィナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人記者が、戦後、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。三島由紀夫が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけ、南京事件、靖国参拝問題、「従軍慰安婦」問題にも言及! 滞日50年、来日時には「日本=戦争犯罪国家」論、「南京大虐殺」を疑うことなく信じていた大物ジャーリストは、なぜ歴史観を180度転換したのか? 推薦の辞 加瀬英明 著者によると「戦勝国史観」は、有色人種を蔑視した白人優位主義から発している。それなのに、日本国民の多くが、なぜ、そのような史観を信じているのか、理解に苦しんでいる。さらに著者は「戦勝国史観」は歴史をあざむいており、日本は侵略国家ではなかったと反論する。いわゆる「南京大虐殺」や「慰安婦」問題についても、日本がいわれのない非難を蒙(こうむ)っていることを、証している。 読者の多くが、本書によって戦勝国によって強いられた歪んだ歴史観を正されることとなろう。この良書が、ひろく読まれることを、願いたい。
著者について
ヘンリー・スコット・ストークス Henry Scott-Stokes 1938年英国生まれ。61年オックスフォード大学修士課程修了後、62年フィナンシャル・タイムズ社入社。64年東京支局初代支局長、67年、ザ・タイムズ東京支局長、78年ニューヨーク・タイムズ東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に『三島由紀夫 生と死』(徳間書店)、『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』(祥伝社新書、加瀬英明氏との共著)。
登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2013/12/2)
- 発売日 : 2013/12/2
- 言語 : 日本語
- 新書 : 252ページ
- ISBN-10 : 439611351X
- ISBN-13 : 978-4396113513
- Amazon 売れ筋ランキング: - 46,041位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 40位祥伝社新書
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
イメージ付きのレビュー

5 星
「東京裁判史観」を廃し白人至上主義の野蛮を暴き、「大東亜戦争史観」によりアジア解放・国家存亡危機への自衛戦争・精神面で負けない独立自尊日本精神を知る
著者はイギリスの記者である。英国という国は、ヨーロッパ王室権力の中心であり、「白人至上主義」で世界に多くの植民地を所有していた。そして、そのエスタブリッシュメントが持っている事と同様に、著者も狡猾さを元々持っていたのではないかと思われる。 来日前は、第二次大戦終了まで、日本がアジア各国を侵略し悪い事をしていたという「東京裁判史観」を持っていた。そして、「南京大虐殺」や「従軍慰安婦の性奴隷」等も信じていたという。 しかし来日後に様々な付き合いがある中で、特に作家の三島由紀夫氏と親しく付き合いを持った事から大きな影響を受け、日本を客観的に観る様になり、歴史観が正反対に変わった。 そしてその後「東京裁判史観」を廃し、「大東亜戦争史観」を持つこととなった。日本の事を正しく理解する様になり、日本の事が好きになり、親日家となった。 東京裁判は戦勝国の不正で行われた復讐劇、茶番であった。その裁判によって日本を悪者に仕立て、アメリカをはじめとした敵対国を正当化する為のものであった。その裁判によって、日本が悪いから、アメリカは日本に対して国際法を幾ら犯しても構わないという理屈を作り、民間人に対するアメリカの無差別爆撃も悪者の日本に対してだから構わないという理屈を作り、非人道的原爆を落とした事も悪者の日本に対して行った事だから構わないという理屈を作った。その「戦勝国史観」を米国が占領中にNHKラジオや新聞、学校の教科書等を使って洗脳し、占領後に米国の検閲が失くなった後もマスコミは自己検閲をして、国民に「東京裁判史観」を洗脳し続けて来た。それによって、日本国民の殆どが、自虐史観に陥り、自分たちの先祖が戦前まで残虐非道な事を繰り返していたと信じてしまっている。 しかし著者は、その「東京裁判史観」が間違いである事を悟り、「大東亜戦争史観」こそが正しいと確信するようになった。 「大東亜戦争史観」は、「白人至上主義」によってアジアの国々が欧米の奴隷的植民地とされていたものを解放するという大義とその実践、日本の影響を受けたアジア各国の覚醒を、素直に観る事である。また、日本の国家存亡の危機において、自衛戦争として国家の独立を維持する為には自分の命を惜しまない精神と、強い独立精神を持って、決して媚びる事無く、アメリカと戦った事を知るものである。日本は決して精神面においては米国に負けていなかったのである。そしてそこから、当時の日本人の独立精神・自尊精神の強さ、自分の命を犠牲にする高貴な精神、気高さ、高い理念・理想・信条を覚え知る。そして、日本人の先祖の方々を敬う精神、誇りに思う精神、日本人としての自尊心が培われる事となる。 そして勿論、「南京大虐殺」は無かったし、「従軍慰安婦の強制」も無かったのである。当時の慰安婦は自主的に売春を行い、日本人の慰安婦も多く存在した。当時、日本国内でも売春は合法であった。そして慰安婦の給料は、高級将校・軍人よりも高かった。 更に「大東亜戦争史観」によって、いかに欧米諸国が自己中心的で、エゴイズムで、「白人至上主義」であったかを知る事となる。欧米列強がアジア人を差別し、搾取し、奴隷的に扱っていた事を知る事となる。つまり悪者の欧米をアジアから排除して、アジア各国を解放するという日本の正義を知る事となるのである。 「東京裁判史観」というものは、戦後の日本人を「無知」にして来たものである。その歴史観と共に、謀略宣伝(プロパガンダ)の嘘の情報を流され続ける事で、日本が悪いというレッテル・イメージを作ると共に、アメリカの悪行が覆い隠されて来た。アメリカは国際法違反の常習であるが、占領中に明治憲法を改正する違反も行った。 著者は三島由紀夫氏との交流を通じて多くの感銘を受けているが、三島氏が最後に遺した「檄文」に大きく感動した様である。檄文は多方面で多くの人達により引用されており、私自身も大いに共感し納得する文章である。三島氏は日本の歴史・伝統文化を保守し、作家でありながらも最後は決行によって自分の命を犠牲にし、日本精神・魂を存続させ、自分の精神・魂をも永遠へと繋げた。三島氏は日本国を愛するが故に、数々の批判も行った。米国の傭兵となり自分を否定する護憲の軍隊となっている自衛隊、経済優先、属国憲法、国民の惰眠……。そして、存立の根拠の明確化や、自衛隊の治安出動、自衛隊の合憲を明確にする為の憲法改正をして、独立国として自主防衛する国軍化等を訴えた。 著者は、「大東亜戦争史観」に目覚め、本書に本当の歴史の一部分が綴られている。歴史を正しく修正したいという「歴史修正主義者」である。本来の歴史に戻す、本当の正しい歴史を取り戻すという意味での歴史修正である。この歴史修正は正しいのである。 アイヴァン・モリス氏の著作「高貴なる敗北」を取り上げている。日本的英雄の吉田松陰、西郷隆盛、楠木正成、正義、信念、日本人の美学、特攻隊、滅私奉公、三島由紀夫の魂、日本兵の気高さ、精神的自立……。それは、欧米が宣伝して作り上げた日本人の野蛮さのイメージ・レッテルとは正反対なものである。 1943年(昭和18年)に行われた大東亜会議。そこでアジア各国の首脳が参加し、共同宣言「相互協力、独立尊重」が謳われた。 第一次世界大戦の終わった後のパリ講和会議にて、日本は「人種差別撤廃法案」を国連に提出した。11対5の賛成多数で可決されたものの、アメリカのウィルソン議長(米大統領)が全会不一致を理由にして、採決を無効とし、・・・・・・(後略) (以下、頑狷曲捻者TNの日々雑記、沈思黙考)
フィードバックをお寄せいただきありがとうございます
申し訳ありませんが、エラーが発生しました
申し訳ありませんが、レビューを読み込めませんでした
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年12月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。以上平成26年10月22日追記)
こんな本があるとは知りませんでした。英語で出版して頂きたいです。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。
かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。
かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。
もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。
こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。日本をナチ・ドイツのように徹底的に悪者視し、それに応じて連合国側は徹底的に正義の味方であるという考えかたで、これは勝利者であるアメリカなどの連合国がわに都合のいい申し分ない見方です。中国も韓国も都合がいいから、これに同調しています。といって、中韓が真実を知っているというわけでもありませんが。
このまがった考えがアメリカなどによって広められ、いまなお広汎にいきわたっている考えです。春香クリスティーナさんの「東条とヒトラーも同じ」というのは、そこから来ています。
それゆえ、一見似てはいるが、まったく異なった二国の外交を説明させて下さい。
ナチは東欧・ロシアを征服するための戦争がしたかったのです。だから、したのです。それはナチの基本的考えであり、意図的に戦争したのです。(ドイツは昭和16年6月ソ連と戦争をする以前に、昭和14年9月イギリス、フランスと戦争をしますが、それはするつもりのない戦争でした。イギリスが宣戦したので、ヒトラーはびっくり。しばらく呆然自失しました。)
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。
アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
しかし、アメリカの理解は、そしてこの理解を世界に広めたのですが、日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。自分つまりアメリカは平和主義に徹したし、やむを得ず戦争をしたいうわけです。
これはドイツについては正しいが、日本については間違いの解釈をしています。自分アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇にストーリーで、アメリカの虚栄心を満足させる解釈です。
ナチは昭和8年(1933年)一月に政権をとると、それまで以上に大規模な宣伝と恐ろしい脅迫と遠慮なしの暴力行使によって、次々と他の政党をつぶし、一党独裁の全体主義体制をつくっていきます。(一党独裁の全体主義体制はソ連、それから毛沢東の中国です。中国は蒋介石もそうした体制をつくろうとします。一党独裁の全体主義は、歴史的に中国の王朝的体質です。DNAです。これらの専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
ナチ・ドイツは政権をとると、そのあとドイツのあらゆる組織(教会、労組、婦人会、少年団などすべて)をナチの組織として、その支配下におきます。つまり、ドイツ国民の生活を完全にナチの一元的な統制下におきます。ナチ以外の組織は存在しないことになります。
そのあと、予定にしたがって、ユダヤ人殲滅、スラブ人奴隷化の戦争をしかけ、実行します。
彼らの考えにもともとそうしたものが基本にあったのです。国内のナチ化ができて、その基本的考えを予定どおり実行したものです。
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。それどころか、国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
さて、昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。
日本は中国全土を占領しようとか、そのあとナチのように、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。
だから、また、東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。
最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、ストークさんの書いておられるように、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
(ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。)
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。
アメリカとしては戦争するのに、日本のほうから交渉を申し込んできたのは、結果としては都合がよかったという見方もあります。というのは、ルーズベルト政権は国内の孤立主義の世論にしばられ、戦争になるような強硬な態度をとることができにくかったという事情があります。ところが、日本が申し込んだ交渉は将棋(チェス)のようなものですから、相手がそう出れば、じゃあ、こちらはこう出るという具合に、アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
ストークスさんも言われるように、イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、
これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。
このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
こんなことなど、世界の人も、また日本人も知りません。なんで日本がナチと同一でしょうか。なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。
その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル・ノートで有名なハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。
ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。彼はノーベル平和賞をもらっています。ノーベル平和賞といっても、佐藤栄作ももらうぐらいですから、そう問題視することもないのかわかりませんが。
ナチがすさまじい暴力を脅迫を使ったといいましたが、皆さんご存じのように、ドイツはむかしから日常生活に暴力がありふれた社会でした。日本とはま反対です。15年ぐらいまえの新聞記事ですが、ドイツの花嫁にどんな家庭を築きたいかと問うと、90%のものが「暴力のない家庭を築きたい」と答えていました。これがドイツなのです。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。
ナチは国内を一元化してから戦争を予定どおりはじめますが、日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。
また、一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。ナチは議会はもう死んでいました。
意外だと思われるかもしれませんし、ウソだろうとも思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
また詳述はできませんが、陸軍に反対したからといって、ドイツのように消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。第一強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。
その他日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出を読むと、陸軍軍人が戦争は下手だが、国民にたいして威張るのが好きだし、また上手だったことがわかります。向田邦子の小説も時代をあらわしています。古い本ですが、芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。
アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。
ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、これとてもナチの生存権思想のアジア版だとされていますが、まったく違います。日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。
当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
学生のとき、日本外交史ゼミの先生とたまたま東条の話になりました。そのゼミの堀川先生が、「東条、東条と世間の人は東条が悪者のようにいうが、あんなの陸軍の小物なんだっ!」と言われたことがあります。丸山真男などでもそういう意見です。保坂さんや半藤さんの本を読んでも、同じ考えだと思います。
ヒトラーはナチの運動の旗手をつとめていた小物ではありません。「俺についてこい。従わねば殺すぞ」というわけです。
またナチの運動において、指導者は無法者(猪木正道)であり、精神異常者(丸山真男)が多かったわけです。日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。ナチ・ドイツの場合、「もう負けるのだ。勝てないようなドイツ民族は生存の権利はない」と、ドイツの社会インフラなどが次々と破壊されていきます。ヒトラーは「俺たちがやられるときは、みな道連れだ」と生前いっています。
日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
それなのに、ナチと一緒くたなど、とんでもありません。
ただ、東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条を無条件に、かつすべての面で擁護はできませんが、しかし、東条がしなかったこと、東条が意図しなかったことを、「やった」とか「意図した」と彼を非難することはできません。東条は親英米主義者ではありませんでしたが、しかし、反英米主義者でもありませんでした。何度もいいますが、中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。
昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍軍人のなかで、反英米主義を見い出すのはむずかしいと思います。そもそも陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
東条らが靖国に祀られていますが、私は反対です。(決して中国や韓国の言い分を支持しているのではありません。)
靖国は戦場で倒れたもの、もしくは戦場での負傷などがもとで亡くなったものが祀られているところだったそうです。だから、看護婦さんなども祀られているとか。また、たとえば日露戦争の英雄乃木将軍とか東郷元帥は祀られていません。彼らは戦場で死んだのではありません。
東条などはそうしたカテゴリーにはいらないのであり、彼らを祀るというのは、戦死者にたいする大いなる非礼です。
また、東条は戦死者やその遺族にたいし、また犠牲者にたいし、「申し訳ございませんでした」と謝罪すべき存在です。そうしたものまでも一緒に祀るというのは、おかしいと思います。
日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。
ただ国際的にナチと同一化同一視されており、これは大間違いですから、こういう「国際包囲網」は知識と啓発によって、忍耐つよく解いていかなくてはと思います。
ストークスさんはこの本の最後のところで、ドイツは早い段階で謝罪したと書いておられます。これには同意できません。いま記録を調べていませんが、ヴァイツゼッカーがドイツの大統領になった昭和の終わりごろに、「ドイツ人はみごとに謝った」というようなことが言いふらされるようになった気がします。ヴァイツゼッカーさんの演説は美辞麗句にみちていますが、その謝罪は欺瞞にみち、ドイツ人一般は悪くないが責任をとるというような、ドイツ的傲慢さをみせたにすぎません。
これに気づいている東欧人はいるようです。ただ、東欧人は世界の世論にたいして、インパクトにかけています。ドイツ人はたとえばロシアに謝罪したのですか。賠償をしたのですか。
ヴァイツゼッカーの父親はナチドイツ外務省の外務次官で、ミュンヘン会談や日独伊三国同盟のお膳立てをしました。ヴァイツゼッカー(息子)はペテン師で、ドイツ人はドイツ観念論(ヘーゲルを思い出して下さい!)があり、こんな手品ぐらい簡単です。
またその兄の一人は物理学者で、ナチドイツの原爆開発にたずさわったと読んだことがあります。これは本当でしょうか。中傷でしょうか。
ドイツの文化はヒューマニズムとはかけ離れた伝統をもちます。これについては、「ドイツロマン主義とナチズム」への西のコメントをぜひお読み頂きたいと思います。
橋本大阪市長が沖縄駐留米軍司令官にいった例の問題発言のとき、秦郁彦さんがNHKテレビで、「慰安婦問題については、日本でいい本がたくさん書かれている。なぜこれを英語に訳さないのか」といっておられました。
ストークスさんはほかに南京事件にもふれておられます。こうした問題について、英訳すべきいい本がたくさんあると思います。
(ついでに書けば、橋本さんは慰安婦問題など不勉強のまま次々発言されるように思えます。外国人記者クラブでの応答を見ると、もっと勉強しておられれば、クリーンヒットどころか長打も打てる機会だろうにと思いました。)
石平著「なぜ中国から離れると・・・」に「中国とはケンカすーんな」と題してコメントを送っています。とばし読みでも結構です、ご一読ください。
こんな本があるとは知りませんでした。英語で出版して頂きたいです。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。
かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。
かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。
もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。
こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。日本をナチ・ドイツのように徹底的に悪者視し、それに応じて連合国側は徹底的に正義の味方であるという考えかたで、これは勝利者であるアメリカなどの連合国がわに都合のいい申し分ない見方です。中国も韓国も都合がいいから、これに同調しています。といって、中韓が真実を知っているというわけでもありませんが。
このまがった考えがアメリカなどによって広められ、いまなお広汎にいきわたっている考えです。春香クリスティーナさんの「東条とヒトラーも同じ」というのは、そこから来ています。
それゆえ、一見似てはいるが、まったく異なった二国の外交を説明させて下さい。
ナチは東欧・ロシアを征服するための戦争がしたかったのです。だから、したのです。それはナチの基本的考えであり、意図的に戦争したのです。(ドイツは昭和16年6月ソ連と戦争をする以前に、昭和14年9月イギリス、フランスと戦争をしますが、それはするつもりのない戦争でした。イギリスが宣戦したので、ヒトラーはびっくり。しばらく呆然自失しました。)
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。
アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
しかし、アメリカの理解は、そしてこの理解を世界に広めたのですが、日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。自分つまりアメリカは平和主義に徹したし、やむを得ず戦争をしたいうわけです。
これはドイツについては正しいが、日本については間違いの解釈をしています。自分アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇にストーリーで、アメリカの虚栄心を満足させる解釈です。
ナチは昭和8年(1933年)一月に政権をとると、それまで以上に大規模な宣伝と恐ろしい脅迫と遠慮なしの暴力行使によって、次々と他の政党をつぶし、一党独裁の全体主義体制をつくっていきます。(一党独裁の全体主義体制はソ連、それから毛沢東の中国です。中国は蒋介石もそうした体制をつくろうとします。一党独裁の全体主義は、歴史的に中国の王朝的体質です。DNAです。これらの専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
ナチ・ドイツは政権をとると、そのあとドイツのあらゆる組織(教会、労組、婦人会、少年団などすべて)をナチの組織として、その支配下におきます。つまり、ドイツ国民の生活を完全にナチの一元的な統制下におきます。ナチ以外の組織は存在しないことになります。
そのあと、予定にしたがって、ユダヤ人殲滅、スラブ人奴隷化の戦争をしかけ、実行します。
彼らの考えにもともとそうしたものが基本にあったのです。国内のナチ化ができて、その基本的考えを予定どおり実行したものです。
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。それどころか、国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
さて、昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。
日本は中国全土を占領しようとか、そのあとナチのように、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。
だから、また、東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。
最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、ストークさんの書いておられるように、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
(ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。)
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。
アメリカとしては戦争するのに、日本のほうから交渉を申し込んできたのは、結果としては都合がよかったという見方もあります。というのは、ルーズベルト政権は国内の孤立主義の世論にしばられ、戦争になるような強硬な態度をとることができにくかったという事情があります。ところが、日本が申し込んだ交渉は将棋(チェス)のようなものですから、相手がそう出れば、じゃあ、こちらはこう出るという具合に、アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
ストークスさんも言われるように、イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、
これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。
このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
こんなことなど、世界の人も、また日本人も知りません。なんで日本がナチと同一でしょうか。なんで日本が好んで戦争をしたと言えるでしょう。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。
その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル・ノートで有名なハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。
ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。彼はノーベル平和賞をもらっています。ノーベル平和賞といっても、佐藤栄作ももらうぐらいですから、そう問題視することもないのかわかりませんが。
ナチがすさまじい暴力を脅迫を使ったといいましたが、皆さんご存じのように、ドイツはむかしから日常生活に暴力がありふれた社会でした。日本とはま反対です。15年ぐらいまえの新聞記事ですが、ドイツの花嫁にどんな家庭を築きたいかと問うと、90%のものが「暴力のない家庭を築きたい」と答えていました。これがドイツなのです。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。
ナチは国内を一元化してから戦争を予定どおりはじめますが、日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。
また、一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。ナチは議会はもう死んでいました。
意外だと思われるかもしれませんし、ウソだろうとも思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
また詳述はできませんが、陸軍に反対したからといって、ドイツのように消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。第一強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。
その他日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出を読むと、陸軍軍人が戦争は下手だが、国民にたいして威張るのが好きだし、また上手だったことがわかります。向田邦子の小説も時代をあらわしています。古い本ですが、芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。
アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。
ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、これとてもナチの生存権思想のアジア版だとされていますが、まったく違います。日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。
当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
学生のとき、日本外交史ゼミの先生とたまたま東条の話になりました。そのゼミの堀川先生が、「東条、東条と世間の人は東条が悪者のようにいうが、あんなの陸軍の小物なんだっ!」と言われたことがあります。丸山真男などでもそういう意見です。保坂さんや半藤さんの本を読んでも、同じ考えだと思います。
ヒトラーはナチの運動の旗手をつとめていた小物ではありません。「俺についてこい。従わねば殺すぞ」というわけです。
またナチの運動において、指導者は無法者(猪木正道)であり、精神異常者(丸山真男)が多かったわけです。日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。ナチ・ドイツの場合、「もう負けるのだ。勝てないようなドイツ民族は生存の権利はない」と、ドイツの社会インフラなどが次々と破壊されていきます。ヒトラーは「俺たちがやられるときは、みな道連れだ」と生前いっています。
日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
それなのに、ナチと一緒くたなど、とんでもありません。
ただ、東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条を無条件に、かつすべての面で擁護はできませんが、しかし、東条がしなかったこと、東条が意図しなかったことを、「やった」とか「意図した」と彼を非難することはできません。東条は親英米主義者ではありませんでしたが、しかし、反英米主義者でもありませんでした。何度もいいますが、中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。
昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍軍人のなかで、反英米主義を見い出すのはむずかしいと思います。そもそも陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
東条らが靖国に祀られていますが、私は反対です。(決して中国や韓国の言い分を支持しているのではありません。)
靖国は戦場で倒れたもの、もしくは戦場での負傷などがもとで亡くなったものが祀られているところだったそうです。だから、看護婦さんなども祀られているとか。また、たとえば日露戦争の英雄乃木将軍とか東郷元帥は祀られていません。彼らは戦場で死んだのではありません。
東条などはそうしたカテゴリーにはいらないのであり、彼らを祀るというのは、戦死者にたいする大いなる非礼です。
また、東条は戦死者やその遺族にたいし、また犠牲者にたいし、「申し訳ございませんでした」と謝罪すべき存在です。そうしたものまでも一緒に祀るというのは、おかしいと思います。
日本人は賢かった、勇ましかったなどとは言えません。愚かなことをしてしまったものです。
ただ国際的にナチと同一化同一視されており、これは大間違いですから、こういう「国際包囲網」は知識と啓発によって、忍耐つよく解いていかなくてはと思います。
ストークスさんはこの本の最後のところで、ドイツは早い段階で謝罪したと書いておられます。これには同意できません。いま記録を調べていませんが、ヴァイツゼッカーがドイツの大統領になった昭和の終わりごろに、「ドイツ人はみごとに謝った」というようなことが言いふらされるようになった気がします。ヴァイツゼッカーさんの演説は美辞麗句にみちていますが、その謝罪は欺瞞にみち、ドイツ人一般は悪くないが責任をとるというような、ドイツ的傲慢さをみせたにすぎません。
これに気づいている東欧人はいるようです。ただ、東欧人は世界の世論にたいして、インパクトにかけています。ドイツ人はたとえばロシアに謝罪したのですか。賠償をしたのですか。
ヴァイツゼッカーの父親はナチドイツ外務省の外務次官で、ミュンヘン会談や日独伊三国同盟のお膳立てをしました。ヴァイツゼッカー(息子)はペテン師で、ドイツ人はドイツ観念論(ヘーゲルを思い出して下さい!)があり、こんな手品ぐらい簡単です。
またその兄の一人は物理学者で、ナチドイツの原爆開発にたずさわったと読んだことがあります。これは本当でしょうか。中傷でしょうか。
ドイツの文化はヒューマニズムとはかけ離れた伝統をもちます。これについては、「ドイツロマン主義とナチズム」への西のコメントをぜひお読み頂きたいと思います。
橋本大阪市長が沖縄駐留米軍司令官にいった例の問題発言のとき、秦郁彦さんがNHKテレビで、「慰安婦問題については、日本でいい本がたくさん書かれている。なぜこれを英語に訳さないのか」といっておられました。
ストークスさんはほかに南京事件にもふれておられます。こうした問題について、英訳すべきいい本がたくさんあると思います。
(ついでに書けば、橋本さんは慰安婦問題など不勉強のまま次々発言されるように思えます。外国人記者クラブでの応答を見ると、もっと勉強しておられれば、クリーンヒットどころか長打も打てる機会だろうにと思いました。)
石平著「なぜ中国から離れると・・・」に「中国とはケンカすーんな」と題してコメントを送っています。とばし読みでも結構です、ご一読ください。
2014年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は、『フィナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任し、
数々の歴史的な事件を担当してきた、日本外国特派員協会の最古参であると同時に最重鎮の1人である。
著者は、イギリスで、クエーカー教徒として生まれ、1964年来日している。
クエーカー教徒とは、キリスト教の少数派で、特色は、権威に対し頭を下げず、
自由と独立を信条としている点で、少数派ゆえに差別を受けてきた。
著者が日本人に親しみを感じるのは、日本人も少数派で優秀であるため、世界から「大虐殺」をしたとか、
女性を「性奴隷」としたといって憎まれている点にあると語る。
この本は、来日50年目の著者が、日本人に宛てて書いたラブレターであるとともに、真摯な提言である。
私は、これまでの人生を1週間に例えると、その1日分を米国で過ごしてきたことになる。
日本の教育では、他の国の人々を差別するなと習ってきたが、
米国で生活をすると、日本人こそがminorityで、最も差別を受ける側に立っているのではないかと感じてきた。
近年、特亜の様々なロビイスト活動を通じて、
我々が、無差別の大虐殺をし、何十万人もの女性を性奴隷とした凶悪な犯罪人の末裔であると
喧噪されている。このままでは、私たちの子供たちが、激しい差別にあって、
海外で普通に生活出来なくなる日が来るのではないかと懸念している。
この10年ほど、私は日本の歴史に関わる様々な本を読みながら、
我々が凶悪な犯罪人の末裔であるのか否かを問い続けている。
私の父は戦前の生まれであり、大学生の時に戦争の最中にあった。
父との会話を通して感じる、天皇に対する思い入れに私は1度も共感したことがなかったが、
父たちの世代がアジアを植民地から解放するという理想を真剣に信じてあの時代を生きたとする
強い思いはいつも伝わってき、その言葉に虚偽を感じたことは1度もなかった。
読書をするときに、私は著者の声をまず大切にする。
謙虚な人柄か、論理的か、虚偽に満ちていないか、読者におもねっていないかという点に注意する。
また、私が研究者であるため、著者の主張を聞くときに、オッカムの剃刀に従い、
その主張が、少ない仮定で、物事をより良く説明できるかということを重視して判断をする。
結論として、筆者の文章からは、謙虚で、真摯な人柄が感じられ、
その主張も極めて論理的であると感じられた。
本書での著者の主張は多岐にわたっており、体験に基づいた様々な記載は真摯に読書するに値すると感じられた。
著者の主張を、
著者の文章を引用して、要約すると以下の点になるのであろう。
国家には戦争する権利がある。国家にとって最も重い権利だ。
日本軍は大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰1人としてその様なことが現実に起ころうなどと夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と屈辱は察して余りある。
当時、唯一の文明世界であるはずの白人世界で最大の栄華を極めていた大英帝国が、有色人種に滅ぼされるなど思考の範囲を超えていた。西洋文明そのものが衝撃を受けた。
日本がアジア植民地を侵略したのは悪いことだったんだろうか。
侵略が悪いことなら世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米を侵略して来たのは、西欧諸国だ。しかし今日まで、西欧諸国がそうした侵略を謝罪した事は無い。
どうして日本だけが欧米の植民地を侵略したことを、謝罪しなければならないのか。
それは侵略戦争が悪いからではなく、「有色人種が、白人様の領地を侵略した」からだった。
白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、劣っている有色人種が白人を侵略するのは「犯罪」であり、神の意向に逆らう「罪」であると、正当化した。
日本ではいわゆる東京裁判史観がまかり通っている。
日本は「侵略戦争」や「南京大虐殺」を犯した「犯罪国家」であるとレッテルを貼られてしまった。
アメリカのwar guiltインフォメーション戦略によって刷り込まれた虚構を打破して、
戦前の日本はアジアを侵略したのではなく欧米による植民地支配から「アジアを解放した」事実を
世界に訴えるべきだ。
チャンドラ・ボースが説いたように、「日本はアジアの希望の光」だったのだ。
そして、日本がアジアへ進攻して、アジアを植民地として支配し搾取してきた欧米列強と戦い、
アジアから侵略者を駆逐し、「アジア人のアジア」の建設を進めた。
そのことにアジア各国の独立の志士たちは呼応し、アジア諸民族とともに、
日本は「アジア解放戦争」を闘ったのだった。
アジア諸国が第二次世界大戦後に次々と独立を達成することができたのは日本が
「アジア人のアジア」を建設するために「大東亜戦争」を戦ったからである。
私自身、著者の主張が、正しいのかどうか、さらなる読書や、戦争にまつわる博物館への訪問を通して、
真摯に問い続けたい。
外国特派員最古参の筆者によって書かれた、論理的で、謙虚な日本人へのラブレターである。
どのような立場を、歴史に対して採っているとしても、一度は傾聴する価値があると思われる。
多くの人に、推薦します。
追記:
この本の中の「南京大虐殺」を否定する部分の文章が、筆者に無断で翻訳者がかってに加筆していたとして、
共同通信(ベン・ドゥーリー、木村一浩)が報道し、それがWSJや人民日報をはじめ国内外の新聞に大々的にとりあげられたが、
結局、これは、共同通信社の誤報(というより意図的な虚報)であることがわかった。
その経緯の詳細については、GoHoo(マスコミ誤報検証・報道被害救済サイト)で著者自身のインタビューとともに
見ることができる。興味のある人は、GoHoo 英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄で検索してください。
追記2:
以下は産経新聞のインタビューでの著者のコメントです。
私こそ「リベラル」。人種的偏見や差別に反対で、草の根の声を大切にしています。
真実を壊す嘘を受け入れられません。しかし、日本でリベラルといえば、中国や旧ソ連を支持する左翼です。これはおかしい。
数々の歴史的な事件を担当してきた、日本外国特派員協会の最古参であると同時に最重鎮の1人である。
著者は、イギリスで、クエーカー教徒として生まれ、1964年来日している。
クエーカー教徒とは、キリスト教の少数派で、特色は、権威に対し頭を下げず、
自由と独立を信条としている点で、少数派ゆえに差別を受けてきた。
著者が日本人に親しみを感じるのは、日本人も少数派で優秀であるため、世界から「大虐殺」をしたとか、
女性を「性奴隷」としたといって憎まれている点にあると語る。
この本は、来日50年目の著者が、日本人に宛てて書いたラブレターであるとともに、真摯な提言である。
私は、これまでの人生を1週間に例えると、その1日分を米国で過ごしてきたことになる。
日本の教育では、他の国の人々を差別するなと習ってきたが、
米国で生活をすると、日本人こそがminorityで、最も差別を受ける側に立っているのではないかと感じてきた。
近年、特亜の様々なロビイスト活動を通じて、
我々が、無差別の大虐殺をし、何十万人もの女性を性奴隷とした凶悪な犯罪人の末裔であると
喧噪されている。このままでは、私たちの子供たちが、激しい差別にあって、
海外で普通に生活出来なくなる日が来るのではないかと懸念している。
この10年ほど、私は日本の歴史に関わる様々な本を読みながら、
我々が凶悪な犯罪人の末裔であるのか否かを問い続けている。
私の父は戦前の生まれであり、大学生の時に戦争の最中にあった。
父との会話を通して感じる、天皇に対する思い入れに私は1度も共感したことがなかったが、
父たちの世代がアジアを植民地から解放するという理想を真剣に信じてあの時代を生きたとする
強い思いはいつも伝わってき、その言葉に虚偽を感じたことは1度もなかった。
読書をするときに、私は著者の声をまず大切にする。
謙虚な人柄か、論理的か、虚偽に満ちていないか、読者におもねっていないかという点に注意する。
また、私が研究者であるため、著者の主張を聞くときに、オッカムの剃刀に従い、
その主張が、少ない仮定で、物事をより良く説明できるかということを重視して判断をする。
結論として、筆者の文章からは、謙虚で、真摯な人柄が感じられ、
その主張も極めて論理的であると感じられた。
本書での著者の主張は多岐にわたっており、体験に基づいた様々な記載は真摯に読書するに値すると感じられた。
著者の主張を、
著者の文章を引用して、要約すると以下の点になるのであろう。
国家には戦争する権利がある。国家にとって最も重い権利だ。
日本軍は大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰1人としてその様なことが現実に起ころうなどと夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と屈辱は察して余りある。
当時、唯一の文明世界であるはずの白人世界で最大の栄華を極めていた大英帝国が、有色人種に滅ぼされるなど思考の範囲を超えていた。西洋文明そのものが衝撃を受けた。
日本がアジア植民地を侵略したのは悪いことだったんだろうか。
侵略が悪いことなら世界史で、アジア、アフリカ、オーストラリア、北米、南米を侵略して来たのは、西欧諸国だ。しかし今日まで、西欧諸国がそうした侵略を謝罪した事は無い。
どうして日本だけが欧米の植民地を侵略したことを、謝罪しなければならないのか。
それは侵略戦争が悪いからではなく、「有色人種が、白人様の領地を侵略した」からだった。
白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、劣っている有色人種が白人を侵略するのは「犯罪」であり、神の意向に逆らう「罪」であると、正当化した。
日本ではいわゆる東京裁判史観がまかり通っている。
日本は「侵略戦争」や「南京大虐殺」を犯した「犯罪国家」であるとレッテルを貼られてしまった。
アメリカのwar guiltインフォメーション戦略によって刷り込まれた虚構を打破して、
戦前の日本はアジアを侵略したのではなく欧米による植民地支配から「アジアを解放した」事実を
世界に訴えるべきだ。
チャンドラ・ボースが説いたように、「日本はアジアの希望の光」だったのだ。
そして、日本がアジアへ進攻して、アジアを植民地として支配し搾取してきた欧米列強と戦い、
アジアから侵略者を駆逐し、「アジア人のアジア」の建設を進めた。
そのことにアジア各国の独立の志士たちは呼応し、アジア諸民族とともに、
日本は「アジア解放戦争」を闘ったのだった。
アジア諸国が第二次世界大戦後に次々と独立を達成することができたのは日本が
「アジア人のアジア」を建設するために「大東亜戦争」を戦ったからである。
私自身、著者の主張が、正しいのかどうか、さらなる読書や、戦争にまつわる博物館への訪問を通して、
真摯に問い続けたい。
外国特派員最古参の筆者によって書かれた、論理的で、謙虚な日本人へのラブレターである。
どのような立場を、歴史に対して採っているとしても、一度は傾聴する価値があると思われる。
多くの人に、推薦します。
追記:
この本の中の「南京大虐殺」を否定する部分の文章が、筆者に無断で翻訳者がかってに加筆していたとして、
共同通信(ベン・ドゥーリー、木村一浩)が報道し、それがWSJや人民日報をはじめ国内外の新聞に大々的にとりあげられたが、
結局、これは、共同通信社の誤報(というより意図的な虚報)であることがわかった。
その経緯の詳細については、GoHoo(マスコミ誤報検証・報道被害救済サイト)で著者自身のインタビューとともに
見ることができる。興味のある人は、GoHoo 英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄で検索してください。
追記2:
以下は産経新聞のインタビューでの著者のコメントです。
私こそ「リベラル」。人種的偏見や差別に反対で、草の根の声を大切にしています。
真実を壊す嘘を受け入れられません。しかし、日本でリベラルといえば、中国や旧ソ連を支持する左翼です。これはおかしい。