『記憶する体』(伊藤亜紗著、春秋社)には、視覚障害、四肢切断、麻痺、吃音、難病、二分脊椎症などの障害を持っている12人が、それぞれの障害にどう向き合っているかが綴られています。
「障害を持っている方と関わっていると、『この人の体は本当に一つなんだろうか?』と思うことがあります。物理的には一つの体なのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。・・・健常者としての記憶が刻まれた体で、障害のある体を生きる。これが、彼らの体が二つあるように見える原因です。『多重人格』ならぬ『多重身体』。一つの物理的な体の上で、健常者の体と障害者の体が重なり、固有のパターンを作り出します。まさに記憶が生み出すハイブリッドな体です。・・・そこからどのような固有のパターンが作り出されるか、それは障害を得た年齢やタイミング、それまでにしていた職業、趣味などによって異なります。本書では、そのいくつかの例をご紹介します」。
「障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようと格闘してきた、その長い時間の蓄積こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしているのではないか。つまり、○○であるという『属性』ではなく、その体とともに過ごした『時間』こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないか。そう思うのです。・・・本書は、このような時間的な蓄積として身体のアイデンティティが形成されていくさまを、11のケース(の12人)を通して描き出そうとしたものです」。
これからは、障害者に対する見方が大きく変わりそうです。
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記憶する体 単行本 – 2019/9/18
伊藤 亜紗
(著)
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購入オプションとあわせ買い
【第42回(2020) サントリー学芸賞〔社会・風俗部門〕受賞! 】
【紀伊國屋じんぶん大賞2020・8位入選!】
書評続々、各紙誌絶賛で話題!
○日本経済新聞(2019/10/5)
12人の体の来歴をたどることで、本人の意志を超えて体の固有性が形づくられていくさまを記述する。
○読売新聞(2019/11/3)本郷恵子氏・評
これまで無意識にしていた動作の手順をふりかえり、自分の体が発するメッセージに耳を澄ませたくなった。
○週刊読書人(2019/11/8)「対談=伊藤亜紗×平倉圭:記憶を踊ること、私を作り変えること」
(2019年10月15日に代官山蔦屋書店にて行われた『記憶する体』『かたちは思考する』刊行記念トークイベントの内容を一部載録)平倉圭氏
伊藤さんは様々な独特な体と向き合って、小説ギリギリ手前で、言葉を紡いでいく。リアルで具体的な、体についてのクリエイションをしているのだと思います。
○共同通信社書評(各紙)安田登氏・評
ふと気づくと自分の体に対する、まったく新しい視点とアプローチ方法を手に入れていることが分かるのである。
○朝日新聞(11/16)都甲幸治氏・評
人に寛容になるには、まず自分に寛容になること。この本を読んで納得できた。
○週刊文春(2019/11/21号)六車由実氏・評
ままならない体と共に生きる人の生き方に希望が見えてくる。そんな体との対話を、介護現場でもできたら、と思う。
○週刊金曜日(2019/11/22号)松村洋氏・評
私は静的な実体ではなく、記憶に作られ記憶を作る動的な過程なのだ。本書は、あらためてそう気づかせてくれる。
○週刊ポスト(2019/12/6号)「著者に訊け!」(著者インタビュー記事)
人間が豊かでより面白く思えてくる良書である。
○読売新聞(2019/12/1)「あすへの考」(著者インタビュー記事)……ほか
------------------------------------------------------------------
時間の厚みを生きる
誰もが自分だけの体のルールをもっている。階段の下り方、痛みとのつきあい方……。「その人のその体らしさ」は、どのようにして育まれるのか。経験と記憶は私たちをどう変えていくのだろう。
視覚障害、吃音、麻痺や幻肢痛、認知症などをもつ人の11のエピソードを手がかりに、体にやどる重層的な時間と知恵について考察する、ユニークな身体論。
障害を持っている方と関わっていると、「この人の体は一つなんだろうか」? と思うことがあります。物理的には一つなのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。
(中途障害者の場合は)今生きているのは障害のある体だとしても、記憶としては、健常者だったときの経験の蓄積があります。
「多重人格」ならぬ「多重身体」。記憶が生み出すハイブリッドな体です。(プロローグ)
【目次】
◆プロローグ:究極のローカル・ルール
◆エピソード1メモをとる全盲の女性
見えなくなって一〇年
真空パックされた「書く」
アンダーラインが引ける
物を介して考える
イメージ的なフィードバック
机も「見て」いる!
絵の中で迷う
毎日がはとバスツアー
とっちらかった自分を取り戻す
◆エピソード2封印された色
『0』=濃いピンク、『1』=暗めの白
点字を触ると頭がチカチカ
頭の中のビジュアルイメージ
求めてないのにやってくる
色を割り当てる
チカチカ現象の原因
抽象化の中断
封印された色
混色できない
秘密の花園
◆エピソード3器用が機能を補う
制御マニア
オートマ制御からマニュアル制御へ
足を甘やかしていた
足の再発見
記憶と現実のズレとしての幻肢
残るのはフォルムではなく運動の記憶
幻肢の指と足の裏
切断して器用になった左足
利き足の変化
◆エピソード4痛くないけど痛い脚
腕に脚の機能もついている
階段に吸い付く動き
あくまでオートマ制御
コタツの中の脚
脚に意識を置いておく
右脚さんに悪い
痛いような気がしてくる
ラバーハンド錯覚
感覚の予期
◆エピソード5後天的な耳
集団的記憶
「席数5」のレストラン
経験のパターン
背中で思い出す記憶
雰囲気か追体験か
背後に感じる気配
推理小説と補聴器
文化的構築物としての耳
甘えん坊な音
「聞こえない」から「聞こえる」
◆エピソード6幻肢と義肢のあいだ
私の中では右腕はある
胴の中に入った幻肢
刻々と変わる幻肢痛
最後の腕の記憶
リビングがラボになる
面白がれるようになってきた
障害とテクノロジー
腕の記憶のゆくえ
◆エピソード7 左手の記憶を持たない右手
わざわざバスケ
義手との距離感
ウチとソトを分けるもの
利き手感覚の不在
右手が左手を欲してない
名前のようなもの
義手をいつ使えばいいのか分からない
◆エピソード8「通電」の懐かしさ
和服姿の求道者
読経で自分を起こす
動物になろうと思った
いざ、幻肢痛緩和VRへ!
「通電」がおとずれるまで
両手感を思い出す
テレビ画面の真ん中に白い手が
ストームトルーパーの手と差し替えた
VRと禅
◆エピソード9分有される痛み
「在日朝鮮人三世」×「難病」というダブルマイノリティー
痺れる足、薄い手
サンドイッチが飛んでいっちゃう
どもる体を逸らす工夫
夏は焚き火、冬は針に刺される痛み
これは自分ではない
体からの出られなさ
すでに痛みは分有されていた
「献身」でも「突っぱね」でもなかった家族
痺れてるのに、さらに痺れる(笑)
◆エピソード10吃音のフラッシュバック
落語のようなしゃべり
見るのが怖い
一人称を揃える
振り子モデル
花がしゃべってくれる
フラッシュバックの恐怖
引き込み現象
しゃべるシステムのもろさ
自分を超えるものとしての記憶
◆エピソード11私を楽しみ直す
言葉にならない違和感
オートマ制御の機能不全
勘を忘れる
「記憶する体」にお任せできない大変さ
状況の復元
客観と実感のギャップをうめるストーリー
◆エピローグ身体の考古学
【紀伊國屋じんぶん大賞2020・8位入選!】
書評続々、各紙誌絶賛で話題!
○日本経済新聞(2019/10/5)
12人の体の来歴をたどることで、本人の意志を超えて体の固有性が形づくられていくさまを記述する。
○読売新聞(2019/11/3)本郷恵子氏・評
これまで無意識にしていた動作の手順をふりかえり、自分の体が発するメッセージに耳を澄ませたくなった。
○週刊読書人(2019/11/8)「対談=伊藤亜紗×平倉圭:記憶を踊ること、私を作り変えること」
(2019年10月15日に代官山蔦屋書店にて行われた『記憶する体』『かたちは思考する』刊行記念トークイベントの内容を一部載録)平倉圭氏
伊藤さんは様々な独特な体と向き合って、小説ギリギリ手前で、言葉を紡いでいく。リアルで具体的な、体についてのクリエイションをしているのだと思います。
○共同通信社書評(各紙)安田登氏・評
ふと気づくと自分の体に対する、まったく新しい視点とアプローチ方法を手に入れていることが分かるのである。
○朝日新聞(11/16)都甲幸治氏・評
人に寛容になるには、まず自分に寛容になること。この本を読んで納得できた。
○週刊文春(2019/11/21号)六車由実氏・評
ままならない体と共に生きる人の生き方に希望が見えてくる。そんな体との対話を、介護現場でもできたら、と思う。
○週刊金曜日(2019/11/22号)松村洋氏・評
私は静的な実体ではなく、記憶に作られ記憶を作る動的な過程なのだ。本書は、あらためてそう気づかせてくれる。
○週刊ポスト(2019/12/6号)「著者に訊け!」(著者インタビュー記事)
人間が豊かでより面白く思えてくる良書である。
○読売新聞(2019/12/1)「あすへの考」(著者インタビュー記事)……ほか
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時間の厚みを生きる
誰もが自分だけの体のルールをもっている。階段の下り方、痛みとのつきあい方……。「その人のその体らしさ」は、どのようにして育まれるのか。経験と記憶は私たちをどう変えていくのだろう。
視覚障害、吃音、麻痺や幻肢痛、認知症などをもつ人の11のエピソードを手がかりに、体にやどる重層的な時間と知恵について考察する、ユニークな身体論。
障害を持っている方と関わっていると、「この人の体は一つなんだろうか」? と思うことがあります。物理的には一つなのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。
(中途障害者の場合は)今生きているのは障害のある体だとしても、記憶としては、健常者だったときの経験の蓄積があります。
「多重人格」ならぬ「多重身体」。記憶が生み出すハイブリッドな体です。(プロローグ)
【目次】
◆プロローグ:究極のローカル・ルール
◆エピソード1メモをとる全盲の女性
見えなくなって一〇年
真空パックされた「書く」
アンダーラインが引ける
物を介して考える
イメージ的なフィードバック
机も「見て」いる!
絵の中で迷う
毎日がはとバスツアー
とっちらかった自分を取り戻す
◆エピソード2封印された色
『0』=濃いピンク、『1』=暗めの白
点字を触ると頭がチカチカ
頭の中のビジュアルイメージ
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色を割り当てる
チカチカ現象の原因
抽象化の中断
封印された色
混色できない
秘密の花園
◆エピソード3器用が機能を補う
制御マニア
オートマ制御からマニュアル制御へ
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足の再発見
記憶と現実のズレとしての幻肢
残るのはフォルムではなく運動の記憶
幻肢の指と足の裏
切断して器用になった左足
利き足の変化
◆エピソード4痛くないけど痛い脚
腕に脚の機能もついている
階段に吸い付く動き
あくまでオートマ制御
コタツの中の脚
脚に意識を置いておく
右脚さんに悪い
痛いような気がしてくる
ラバーハンド錯覚
感覚の予期
◆エピソード5後天的な耳
集団的記憶
「席数5」のレストラン
経験のパターン
背中で思い出す記憶
雰囲気か追体験か
背後に感じる気配
推理小説と補聴器
文化的構築物としての耳
甘えん坊な音
「聞こえない」から「聞こえる」
◆エピソード6幻肢と義肢のあいだ
私の中では右腕はある
胴の中に入った幻肢
刻々と変わる幻肢痛
最後の腕の記憶
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面白がれるようになってきた
障害とテクノロジー
腕の記憶のゆくえ
◆エピソード7 左手の記憶を持たない右手
わざわざバスケ
義手との距離感
ウチとソトを分けるもの
利き手感覚の不在
右手が左手を欲してない
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義手をいつ使えばいいのか分からない
◆エピソード8「通電」の懐かしさ
和服姿の求道者
読経で自分を起こす
動物になろうと思った
いざ、幻肢痛緩和VRへ!
「通電」がおとずれるまで
両手感を思い出す
テレビ画面の真ん中に白い手が
ストームトルーパーの手と差し替えた
VRと禅
◆エピソード9分有される痛み
「在日朝鮮人三世」×「難病」というダブルマイノリティー
痺れる足、薄い手
サンドイッチが飛んでいっちゃう
どもる体を逸らす工夫
夏は焚き火、冬は針に刺される痛み
これは自分ではない
体からの出られなさ
すでに痛みは分有されていた
「献身」でも「突っぱね」でもなかった家族
痺れてるのに、さらに痺れる(笑)
◆エピソード10吃音のフラッシュバック
落語のようなしゃべり
見るのが怖い
一人称を揃える
振り子モデル
花がしゃべってくれる
フラッシュバックの恐怖
引き込み現象
しゃべるシステムのもろさ
自分を超えるものとしての記憶
◆エピソード11私を楽しみ直す
言葉にならない違和感
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勘を忘れる
「記憶する体」にお任せできない大変さ
状況の復元
客観と実感のギャップをうめるストーリー
◆エピローグ身体の考古学
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2019/9/18
- 寸法19.5 x 13.8 x 2.3 cm
- ISBN-10439333373X
- ISBN-13978-4393333730
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著者について
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『情報環世界』(共著、NTT出版)がある。趣味はテープ起こし。インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします。
登録情報
- 出版社 : 春秋社 (2019/9/18)
- 発売日 : 2019/9/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 280ページ
- ISBN-10 : 439333373X
- ISBN-13 : 978-4393333730
- 寸法 : 19.5 x 13.8 x 2.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 59,251位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 13,792位人文・思想 (本)
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著者について
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イメージ付きのレビュー

5 星
障害者は、物理的には一つの体なのに、二つの体を使いこなしているように見える
『記憶する体』(伊藤亜紗著、春秋社)には、視覚障害、四肢切断、麻痺、吃音、難病、二分脊椎症などの障害を持っている12人が、それぞれの障害にどう向き合っているかが綴られています。「障害を持っている方と関わっていると、『この人の体は本当に一つなんだろうか?』と思うことがあります。物理的には一つの体なのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。・・・健常者としての記憶が刻まれた体で、障害のある体を生きる。これが、彼らの体が二つあるように見える原因です。『多重人格』ならぬ『多重身体』。一つの物理的な体の上で、健常者の体と障害者の体が重なり、固有のパターンを作り出します。まさに記憶が生み出すハイブリッドな体です。・・・そこからどのような固有のパターンが作り出されるか、それは障害を得た年齢やタイミング、それまでにしていた職業、趣味などによって異なります。本書では、そのいくつかの例をご紹介します」。「障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようと格闘してきた、その長い時間の蓄積こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしているのではないか。つまり、○○であるという『属性』ではなく、その体とともに過ごした『時間』こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないか。そう思うのです。・・・本書は、このような時間的な蓄積として身体のアイデンティティが形成されていくさまを、11のケース(の12人)を通して描き出そうとしたものです」。これからは、障害者に対する見方が大きく変わりそうです。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年2月18日に日本でレビュー済み

『記憶する体』(伊藤亜紗著、春秋社)には、視覚障害、四肢切断、麻痺、吃音、難病、二分脊椎症などの障害を持っている12人が、それぞれの障害にどう向き合っているかが綴られています。
「障害を持っている方と関わっていると、『この人の体は本当に一つなんだろうか?』と思うことがあります。物理的には一つの体なのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。・・・健常者としての記憶が刻まれた体で、障害のある体を生きる。これが、彼らの体が二つあるように見える原因です。『多重人格』ならぬ『多重身体』。一つの物理的な体の上で、健常者の体と障害者の体が重なり、固有のパターンを作り出します。まさに記憶が生み出すハイブリッドな体です。・・・そこからどのような固有のパターンが作り出されるか、それは障害を得た年齢やタイミング、それまでにしていた職業、趣味などによって異なります。本書では、そのいくつかの例をご紹介します」。
「障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようと格闘してきた、その長い時間の蓄積こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしているのではないか。つまり、○○であるという『属性』ではなく、その体とともに過ごした『時間』こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないか。そう思うのです。・・・本書は、このような時間的な蓄積として身体のアイデンティティが形成されていくさまを、11のケース(の12人)を通して描き出そうとしたものです」。
これからは、障害者に対する見方が大きく変わりそうです。
「障害を持っている方と関わっていると、『この人の体は本当に一つなんだろうか?』と思うことがあります。物理的には一つの体なのに、実際には二つの体を使いこなしているように見えるのです。・・・健常者としての記憶が刻まれた体で、障害のある体を生きる。これが、彼らの体が二つあるように見える原因です。『多重人格』ならぬ『多重身体』。一つの物理的な体の上で、健常者の体と障害者の体が重なり、固有のパターンを作り出します。まさに記憶が生み出すハイブリッドな体です。・・・そこからどのような固有のパターンが作り出されるか、それは障害を得た年齢やタイミング、それまでにしていた職業、趣味などによって異なります。本書では、そのいくつかの例をご紹介します」。
「障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようと格闘してきた、その長い時間の蓄積こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしているのではないか。つまり、○○であるという『属性』ではなく、その体とともに過ごした『時間』こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないか。そう思うのです。・・・本書は、このような時間的な蓄積として身体のアイデンティティが形成されていくさまを、11のケース(の12人)を通して描き出そうとしたものです」。
これからは、障害者に対する見方が大きく変わりそうです。
このレビューの画像

2022年7月9日に日本でレビュー済み
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「合理的に説明がつかない部分が必ず残る」体についての研究。中途失明、吃音、認知症など障害や病気によって思うようにならない自分の体と向き合ってきた人へのインタビュー等を重ね「時間的な蓄積としての身体のアイデンティティが形成されていくさまを……描き出そうとしたもの」。
個々のケースはいずれも興味深く、なるほどこういうふうに障害や病気に向き合うのかと感心することもたびたび。「オートマ制御からマニュアル制御への移行」という言葉や、「痛みの経験は、本質的に個人的なものです。どんなに言葉を費やしたとしても、その体の外にだすことはできない」という言葉など、つい先日まで腰痛に悩まされ、立ち上がるのにも「段取り」が必要だった自分の経験に照らしてぴったりだと思ったりする。
ただ、本書は学問書というよりはルポルタージュのように感じられる。
「小説になるギリギリ手前で踏ん張りながら……科学として扱うことはできないものか」と著者も述べているが、固有性の高い少数のケースを並べても、普遍的な「科学」にはなりにくい。
面白いと思いつつも、例えば、幻肢や幻肢痛の箇所で、「脳科学では、幻肢を感じている脳の部位はどこと特定されているのかな、幻肢痛で『発火』しているのはどういう脳細胞なのかな」等と考えてしまう。
個々のケースはいずれも興味深く、なるほどこういうふうに障害や病気に向き合うのかと感心することもたびたび。「オートマ制御からマニュアル制御への移行」という言葉や、「痛みの経験は、本質的に個人的なものです。どんなに言葉を費やしたとしても、その体の外にだすことはできない」という言葉など、つい先日まで腰痛に悩まされ、立ち上がるのにも「段取り」が必要だった自分の経験に照らしてぴったりだと思ったりする。
ただ、本書は学問書というよりはルポルタージュのように感じられる。
「小説になるギリギリ手前で踏ん張りながら……科学として扱うことはできないものか」と著者も述べているが、固有性の高い少数のケースを並べても、普遍的な「科学」にはなりにくい。
面白いと思いつつも、例えば、幻肢や幻肢痛の箇所で、「脳科学では、幻肢を感じている脳の部位はどこと特定されているのかな、幻肢痛で『発火』しているのはどういう脳細胞なのかな」等と考えてしまう。
2020年1月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
筆者とインタヴュー対象者の対話のような、または小説のようなものを読んでいる気分にさせられます。文章が上手いということもあるのでしょうが、著者の観察眼の鋭さによるのでしょう。
(平衡状態が破れるとき)
カスタマーレビューのタイトルに、著者自身がプロローグで述べる「体が作られる11の物語(p.14)」を使った理由は、法則や普遍性では説明しきれない、他には代えがたい対象者の固有性が語られているからです。それぞれの固有性は記憶だけで構成されたものではありませんから、『記憶する体』より『体が作られる11の物語』の方が、本書の内容を的確に表現していると思うのですが。
人は世界の中にあって平衡状態を保って生きています。しかしある時、ある出来事でこの平衡状態が崩れる異常事態を経験することがあります。本書でいえば、中途障害者の経験がそれになります。学術研究はそうした障害者の一般的な理論を抽出しようとしますが、本書は一般論より、個々のケースの固有性(物語)を記述しようとします。
一般論として自分の物語を作るのではなく、平衡を崩す出来事をも取り入れ、目覚めた自覚のもとに独自の物語を作り上げることで、新たな平衡状態を取り戻すことになるのです。これは障害者ばかりでなく、全ての人々に当てはまるプロセスですから、本書は障害を乗り越える全ての人に向けた物語となっています。
(幻肢と腰痛)
一方、本書の内容が障害者や健常者の区別なく、一般法則として確立されれば、大きな恩恵を人々にもたらすものと期待されます。それは国内の2,800万人の腰痛で苦しんでいる人々への恩恵です。腰痛の8割が原因不明といわれています。
本書のケースの多くが幻肢を扱っています。幻肢は、ないはずの肢があるように感じられるばかりでなく、痛み(幻肢痛)を伴うことが問題となっています(p.81)。ないはずの痛みがあるという点で、幻肢痛と腰痛は同じメカニズムなのではないかと想像されます。
「これまでの研究で、幻肢痛が緩和されるためには、義肢、鏡像、イメージなど「これは自分の体の一部だ」と思えるような対象を獲得するが有効であることが知られています。幻肢痛は、「動くだろう」という予測に対して、「実際に動きました」という結果報告が返って来ないことが原因で生じると考えられています。(p.160)」とあります。これは重要な指摘です。
そして幻肢痛緩和の方法には、筋電義手とVR(バーチャルリアリティ)を利用する方法があるそうです(p.161)。筋電義手はエピソード7で、VRの利用はエピソード8で報告されています。エピソード6は両方が上手くいかないケースなので、当事者自ら普通の義腕を作るという作業が痛みの緩和になることが期待されています。
それでは腰痛はどうするのでしょう。今のところ、安静はかえってよくないので、軽い運動が推奨されています。腰痛体操がそれです。ほかにカウンセリングという話を聞きますが、痛みの正体が分からない現状で、どんなカウンセリングをするのか疑問です。
痛みの正体とは、先ほど引用したように、動かそうと思ったとき、といっても意識して動かそうと思わなくても、その時に動かなかったら何かの不具合があると脳が警鐘を鳴らす生理作用と言い換えることはできないでしょうか。
脳科学としては、リサ・フェルドマン・バレット著『情動はこうしてつくられる─脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』(紀伊国屋書店)の、構成主義的情動理論が参考になりそうです。痛みを経験するには、痛みの概念が必要とされ、個々の痛みは痛み概念の実例ということになります。痛みを知らなければ、痛みは経験しません。過去の経験のなかで痛み概念は作られる、つまり構成されるのです。
科学者たちは、鎮痛薬を使わずに、痛みをコントロールしたり、和らげたりする方法を見つけようと努力しているところです。本書がそのあと押しをすることになれば素晴らしいことです。
(平衡状態が破れるとき)
カスタマーレビューのタイトルに、著者自身がプロローグで述べる「体が作られる11の物語(p.14)」を使った理由は、法則や普遍性では説明しきれない、他には代えがたい対象者の固有性が語られているからです。それぞれの固有性は記憶だけで構成されたものではありませんから、『記憶する体』より『体が作られる11の物語』の方が、本書の内容を的確に表現していると思うのですが。
人は世界の中にあって平衡状態を保って生きています。しかしある時、ある出来事でこの平衡状態が崩れる異常事態を経験することがあります。本書でいえば、中途障害者の経験がそれになります。学術研究はそうした障害者の一般的な理論を抽出しようとしますが、本書は一般論より、個々のケースの固有性(物語)を記述しようとします。
一般論として自分の物語を作るのではなく、平衡を崩す出来事をも取り入れ、目覚めた自覚のもとに独自の物語を作り上げることで、新たな平衡状態を取り戻すことになるのです。これは障害者ばかりでなく、全ての人々に当てはまるプロセスですから、本書は障害を乗り越える全ての人に向けた物語となっています。
(幻肢と腰痛)
一方、本書の内容が障害者や健常者の区別なく、一般法則として確立されれば、大きな恩恵を人々にもたらすものと期待されます。それは国内の2,800万人の腰痛で苦しんでいる人々への恩恵です。腰痛の8割が原因不明といわれています。
本書のケースの多くが幻肢を扱っています。幻肢は、ないはずの肢があるように感じられるばかりでなく、痛み(幻肢痛)を伴うことが問題となっています(p.81)。ないはずの痛みがあるという点で、幻肢痛と腰痛は同じメカニズムなのではないかと想像されます。
「これまでの研究で、幻肢痛が緩和されるためには、義肢、鏡像、イメージなど「これは自分の体の一部だ」と思えるような対象を獲得するが有効であることが知られています。幻肢痛は、「動くだろう」という予測に対して、「実際に動きました」という結果報告が返って来ないことが原因で生じると考えられています。(p.160)」とあります。これは重要な指摘です。
そして幻肢痛緩和の方法には、筋電義手とVR(バーチャルリアリティ)を利用する方法があるそうです(p.161)。筋電義手はエピソード7で、VRの利用はエピソード8で報告されています。エピソード6は両方が上手くいかないケースなので、当事者自ら普通の義腕を作るという作業が痛みの緩和になることが期待されています。
それでは腰痛はどうするのでしょう。今のところ、安静はかえってよくないので、軽い運動が推奨されています。腰痛体操がそれです。ほかにカウンセリングという話を聞きますが、痛みの正体が分からない現状で、どんなカウンセリングをするのか疑問です。
痛みの正体とは、先ほど引用したように、動かそうと思ったとき、といっても意識して動かそうと思わなくても、その時に動かなかったら何かの不具合があると脳が警鐘を鳴らす生理作用と言い換えることはできないでしょうか。
脳科学としては、リサ・フェルドマン・バレット著『情動はこうしてつくられる─脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』(紀伊国屋書店)の、構成主義的情動理論が参考になりそうです。痛みを経験するには、痛みの概念が必要とされ、個々の痛みは痛み概念の実例ということになります。痛みを知らなければ、痛みは経験しません。過去の経験のなかで痛み概念は作られる、つまり構成されるのです。
科学者たちは、鎮痛薬を使わずに、痛みをコントロールしたり、和らげたりする方法を見つけようと努力しているところです。本書がそのあと押しをすることになれば素晴らしいことです。
2020年7月15日に日本でレビュー済み
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全ての人が「思い通りにならない自分」を持っているものだと思います。それは障害者も健常者も変わりません。自分との付き合い方を考える上で、参考になりました。
以前の著作「目の見えない人は世界をどう見ているのか」に続いて、素晴らしい内容でした。著者の賢さには恐れ入ります。
以前の著作「目の見えない人は世界をどう見ているのか」に続いて、素晴らしい内容でした。著者の賢さには恐れ入ります。
2021年1月17日に日本でレビュー済み
良かった。障害を持つ人はいろいろ不自由なので普通の人が無意識でできることも意識的に動かさないといけないそう。あと他の人との違いについて考えることが多いから自分の体についていろいろ説明しやすくなるのだと思う。この本は障害者へのインタビューだが、障害者に限らず忘れ物が多い人やよくものにぶつかる人など自分の体が思ったとおりに行かないことはあると思う。そういうときはサポーターをあてたりメモを取ったり工夫をする。自分にとっての意識的な工夫=マニュアル制御はなんだろうと考えさせられる本だった。
2020年2月24日に日本でレビュー済み
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世の中には一見、“変な人”や“単純なこともできない人”に見える人々がいます。しかし、そのような人々を拒絶したり哀れに思うだけでは社会的理解が進化することはありません。その人の内面にどのような努力や葛藤があるかを細かく観察し理解しようとする試みは、健常者間でも有益なことでしょう。この本を読むと、人の心の深い部分に触れることができます。
2020年3月8日に日本でレビュー済み
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皆に読んでほしい。読みやすく、理解しやすい。良本です。パラリンピックを迎えるにあたり、応援前に読んでほしい