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十一代目團十郎と六代目歌右衛門: 悲劇の「神」と孤高の「女帝」 (幻冬舎新書 な 1-4) 新書 – 2009/1/1
中川 右介
(著)
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- 本の長さ359ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2009/1/1
- ISBN-104344981111
- ISBN-13978-4344981119
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上位レビュー、対象国: 日本
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2016年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
面白く読んだ。著者の好奇心の発露のまま過去の記事に当たり、劇界の様々な事象が時系列でまとめられている。ただ、途中で息切れを感じる部分があり、また結局この2名の何を描きたかったのかが汲み取れなかった。推測なら推測と断った上でもっと持論を展開しても良かったのではないだろうか。何かに遠慮したのか、ドキュメンタリーと呼ぶには緻密さに欠ける。著者が見出したいテーマに筆力と検証が追いついていないために、中途半端な印象をぬぐい切れなかった。
2010年1月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は歌舞伎を見てまだまだ日が浅いのですが、
この本は歌舞伎に興味を持った頃、歌右衛門さんがどなたなのか、團十郎と言う名前は聞いたことがある…そんなレベルで「たまたま」何かで見て興味が出たので買いました。
何も知らないからこそすんなり読めたのかもしれません。
書かれていることがそのまま真実だとは申しませんが歌右衛門、團十郎ともにどんな方なのかまったく知らない者としてはとても興味深く読めました。
私はその後、参考文献としてこの本に載っていたものを購入したりそこからまた広がったり、歌舞伎役者さんや歌舞伎そのものに対しての世界がぐんと広がりました。そういう意味で★4つつけさせていただきました。
この本は歌舞伎に興味を持った頃、歌右衛門さんがどなたなのか、團十郎と言う名前は聞いたことがある…そんなレベルで「たまたま」何かで見て興味が出たので買いました。
何も知らないからこそすんなり読めたのかもしれません。
書かれていることがそのまま真実だとは申しませんが歌右衛門、團十郎ともにどんな方なのかまったく知らない者としてはとても興味深く読めました。
私はその後、参考文献としてこの本に載っていたものを購入したりそこからまた広がったり、歌舞伎役者さんや歌舞伎そのものに対しての世界がぐんと広がりました。そういう意味で★4つつけさせていただきました。
2009年3月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昭和歌舞伎の残り香が、未だ濃厚に立ち込める現・歌舞伎座。
その歌舞伎座を舞台に活躍した、戦後の歌舞伎界を代表する2大スターのタブーを描いたこと、特に歌右衛門に関しては全面的に肯定するような“梨園記事”ばっかりの中「良くぞ書いてくれた!」という声、実はとても多いと思う。
(2大スターが共にその名跡の直系ではないことなど、知ってはいるけれど中々活字に書きにくい)
欲を言えば、何故大成駒が晩年あそこまで巨大な権力を握ったのか・・
あと一歩踏み込んだ表現や内容を書いてくれ、そしてそれらを踏まえたうえで、現在の松竹主体の歌舞伎興行について筆者ナリの考察や展望があれば、読み物としてもっと値打ちのあるものになったし、歌舞伎座建て替えに関する議論が盛んな今、出版された意義があった。
でも読み物としては面白いので、芝居好きなら読んで頂いてもまぁまぁおススメです。
その歌舞伎座を舞台に活躍した、戦後の歌舞伎界を代表する2大スターのタブーを描いたこと、特に歌右衛門に関しては全面的に肯定するような“梨園記事”ばっかりの中「良くぞ書いてくれた!」という声、実はとても多いと思う。
(2大スターが共にその名跡の直系ではないことなど、知ってはいるけれど中々活字に書きにくい)
欲を言えば、何故大成駒が晩年あそこまで巨大な権力を握ったのか・・
あと一歩踏み込んだ表現や内容を書いてくれ、そしてそれらを踏まえたうえで、現在の松竹主体の歌舞伎興行について筆者ナリの考察や展望があれば、読み物としてもっと値打ちのあるものになったし、歌舞伎座建て替えに関する議論が盛んな今、出版された意義があった。
でも読み物としては面白いので、芝居好きなら読んで頂いてもまぁまぁおススメです。
2009年2月1日に日本でレビュー済み
著者は田中長徳さんと『カメラジャーナル』誌を出していたアルファベータの社長というイメージだったけど、こんなのも出しているんだな、と思いました。この本をひと言でいうと、稀代の女形、中村歌右衛門の芸の充実と表裏一体となった歌舞伎界での権力闘争の歴史と、役者バカであった十一世團十郎がそれに破れ、胃癌によって早世するまでの軌跡を参考資料とともに丁寧に描いた作品ということでしょうか。
カラヤンとも比較して《多くの役者は「女」や「酒」を芸の肥やしとしているようだが、世の中には権力闘争を芸の肥やしとする人もいる。歌右衛門とカラヤンはまさにそういうタイプの人だったに違いない。そして世の中には権力闘争に勝利した者だけにしか実現できない芸術も存在するのだ》(p.356)みたいな。
それにしても、歌右衛門と十一世團十郎のふたりは、若い時代にはドシヤ振りの雨の中を二人でひとつの傘をさして歩いたり、釣りに出かけたり、ほとんどカップルのようなこともあった感じ。しかも、團十郎も片岡我童と「ラブラブの時代」があったそうですが(by現在の十二世團十郎)、市川宗家との養子縁組が決まると二人は別れさせられたそうです(p.41-42)。歌右衛門さんに至っては五代目歌右衛門の養子であり(兄であり早世した福助の17歳の時の子どもという説も)、守田勘弥に失恋し(勘弥が水谷八重子と結婚)、その痛手をなぐさめられた男衆と北海道に駆け落ちしたり、初代吉右衛門に老いらくの恋をさせてしまったりと、まあ、素晴らしいw
カラヤンとも比較して《多くの役者は「女」や「酒」を芸の肥やしとしているようだが、世の中には権力闘争を芸の肥やしとする人もいる。歌右衛門とカラヤンはまさにそういうタイプの人だったに違いない。そして世の中には権力闘争に勝利した者だけにしか実現できない芸術も存在するのだ》(p.356)みたいな。
それにしても、歌右衛門と十一世團十郎のふたりは、若い時代にはドシヤ振りの雨の中を二人でひとつの傘をさして歩いたり、釣りに出かけたり、ほとんどカップルのようなこともあった感じ。しかも、團十郎も片岡我童と「ラブラブの時代」があったそうですが(by現在の十二世團十郎)、市川宗家との養子縁組が決まると二人は別れさせられたそうです(p.41-42)。歌右衛門さんに至っては五代目歌右衛門の養子であり(兄であり早世した福助の17歳の時の子どもという説も)、守田勘弥に失恋し(勘弥が水谷八重子と結婚)、その痛手をなぐさめられた男衆と北海道に駆け落ちしたり、初代吉右衛門に老いらくの恋をさせてしまったりと、まあ、素晴らしいw
2017年10月22日に日本でレビュー済み
中川右介の著書すべてに共通するが、独自に調査、分析した部分がほとんどなく、その筋にある程度詳しい人なら知っていそうな刊行物を引用して、つなぎ合わせたものと言えよう。いわば「まとめサイト」。店頭で立ち読み、あるいは図書館で1回借りれば十分な内容であり、購入に値しない。
映像も含めて、歌右衛門の舞台をちゃんと観ているのか?カラヤンとの安易な比較なぞ、浅薄極まりない。確かに、彼らは50年代に歌舞伎座で顔を合わせたことがあるのだが。
(この著書とは直接関係ないが、中川本人のTweetは一見の価値あり。彼が実に旧態依然とした極左思想に凝り固まった人物であることが良く分かる。)
映像も含めて、歌右衛門の舞台をちゃんと観ているのか?カラヤンとの安易な比較なぞ、浅薄極まりない。確かに、彼らは50年代に歌舞伎座で顔を合わせたことがあるのだが。
(この著書とは直接関係ないが、中川本人のTweetは一見の価値あり。彼が実に旧態依然とした極左思想に凝り固まった人物であることが良く分かる。)
2009年8月5日に日本でレビュー済み
筆者も記述されているように、事実関係を丹念に調べ、それに基づいた論が展開されており、納得性もあり、面白い内容です。
ただ、時代を代表する役者の覇権争奪戦について書くためには、それぞれの芸に対する姿勢についてもっと掘り下げて考察する必要があると思います。両人とも覇権を握るのが目的ではなく、自分の目指す芸を歌舞伎の本道として位置づけるために行動したのでしょう。
小生は十一代目團十郎の芸を直接見たことはありませんが、歌右衛門については最晩年ですが、その芸の極みを実感した経験があります。あの境地には、一番の根本に自分が目指す芸への求道がないと達しないと確信しています。新書版ですので、これぐらいの掘り下げ方にしかならないのでしょうが、ちょっと考察が足りないと思います。
ただ、時代を代表する役者の覇権争奪戦について書くためには、それぞれの芸に対する姿勢についてもっと掘り下げて考察する必要があると思います。両人とも覇権を握るのが目的ではなく、自分の目指す芸を歌舞伎の本道として位置づけるために行動したのでしょう。
小生は十一代目團十郎の芸を直接見たことはありませんが、歌右衛門については最晩年ですが、その芸の極みを実感した経験があります。あの境地には、一番の根本に自分が目指す芸への求道がないと達しないと確信しています。新書版ですので、これぐらいの掘り下げ方にしかならないのでしょうが、ちょっと考察が足りないと思います。
2014年6月3日に日本でレビュー済み
11世市川団十郎、6世中村歌右衛門。歌舞伎ファンなら誰でも話題に上る名優たちである。私たちの世代で団十郎といえば、昨年、この世を去った12世市川団十郎である。11世団十郎について知る人は少なくなってきた。6世中村歌右衛門は私たちの世代でも目にすることができた。この2人の名優たちを中心とした戦後歌舞伎史と見ても、内容面では問題である。
6世中村歌右衛門が政治・権力の持ち主という視点はここから始まり、「坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道」、「歌舞伎 家と血と芸」へと至る。特に、4世中村時蔵の急死について、
「歌右衛門の存在そのものが時蔵には脅威だった。」
「しかし、自分に歌右衛門を追い落とす力があるのかー時蔵のそんな懊悩に、歌右衛門は気づかない。歌右衛門は弱者の立場は理解できない人だった。」
と書いていたことについて、あたかも歌右衛門のせいだと言わんばかりである。これは中川の勝手な解釈・思い込みだろう。中川の音楽関係の著作でもこうした面が目に付くことがある。
あとがきをみても、中川は1985年、歌右衛門の舞台に接したといっても、「坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道」のあとがきで、1986年から歌舞伎を見始めたと記していたこととはあまりにも矛盾する。1985年に見たというなら、なぜ、1986年から見始めたと言うか。これはおかしいではないか。
中川右介は本当に歌舞伎を見ていないし、理解していない。坂東玉三郎を見たから歌舞伎についていけたと言っては、熱心な歌舞伎ファンになったわけではなく、渡辺保「歌右衛門伝説」を読んだからという。こんなことを書くなら、本当に歌舞伎を見ていないし、理解していないことを公言しているに過ぎない。そんな人物が多くの文献を使ったとはいえ、往年の名優を論ずる資格があるだろうか。往年の名優、名優たちの舞台を見てきた歌舞伎ファンたちへの冒涜である。
6世中村歌右衛門が政治・権力の持ち主という視点はここから始まり、「坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道」、「歌舞伎 家と血と芸」へと至る。特に、4世中村時蔵の急死について、
「歌右衛門の存在そのものが時蔵には脅威だった。」
「しかし、自分に歌右衛門を追い落とす力があるのかー時蔵のそんな懊悩に、歌右衛門は気づかない。歌右衛門は弱者の立場は理解できない人だった。」
と書いていたことについて、あたかも歌右衛門のせいだと言わんばかりである。これは中川の勝手な解釈・思い込みだろう。中川の音楽関係の著作でもこうした面が目に付くことがある。
あとがきをみても、中川は1985年、歌右衛門の舞台に接したといっても、「坂東玉三郎 歌舞伎座立女形への道」のあとがきで、1986年から歌舞伎を見始めたと記していたこととはあまりにも矛盾する。1985年に見たというなら、なぜ、1986年から見始めたと言うか。これはおかしいではないか。
中川右介は本当に歌舞伎を見ていないし、理解していない。坂東玉三郎を見たから歌舞伎についていけたと言っては、熱心な歌舞伎ファンになったわけではなく、渡辺保「歌右衛門伝説」を読んだからという。こんなことを書くなら、本当に歌舞伎を見ていないし、理解していないことを公言しているに過ぎない。そんな人物が多くの文献を使ったとはいえ、往年の名優を論ずる資格があるだろうか。往年の名優、名優たちの舞台を見てきた歌舞伎ファンたちへの冒涜である。