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反コミュニケーション (現代社会学ライブラリー 11) 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/9
奥村 隆
(著)
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「よくわかりあう」コミュニケーションは、楽しいだろうか?
時空を超えて思想界の大スターを歴訪する、架空訪問記
【「序 イントロダクション」より】
私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない。たとえば電子メールというものがあって、これを仕事上使わなくてはいけない。苦痛だ。いきなり誰かからメールが来て、それに返事をしなければならない。返事をしないこともあるが、返事をしないとなぜか気持ちが重くなってしまう。いやだいやだと思いながら、返事をする。いや、必要に迫られて、自分のほうからいきなりメールを送るときも多い。相手は私と同じようにメールを送られて苦痛だと思っているのだろうな、と思いながら。
●目次
序章 イントロダクション
第1章 浸透としてのコミュニケーション――ルソー
第2章 遊戯としてのコミュニケーション――ジンメル
第3章 対話とディスコミュニケーション――ハーバーマスと鶴見俊輔
第4章 他者、承認、まなざし――レインとサルトル
第5章 葛藤、身体、ダブル・バインド――レインとベイトソン
第6章 インターミッション――ジラール
第7章 演技としてのコミュニケーション――ゴフマン(1)
第8章 儀礼としてのコミュニケーション――ゴフマン(2)
第9章 接続としてのコミュニケーション――ルーマン
第10章 パラドックスとしてのコミュニケーション――ベイトソンと吉田文五郎
第11章 純粋なコミュニケーション――ギデンズ
終章 反コミュニケーション
あとがき
時空を超えて思想界の大スターを歴訪する、架空訪問記
【「序 イントロダクション」より】
私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない。たとえば電子メールというものがあって、これを仕事上使わなくてはいけない。苦痛だ。いきなり誰かからメールが来て、それに返事をしなければならない。返事をしないこともあるが、返事をしないとなぜか気持ちが重くなってしまう。いやだいやだと思いながら、返事をする。いや、必要に迫られて、自分のほうからいきなりメールを送るときも多い。相手は私と同じようにメールを送られて苦痛だと思っているのだろうな、と思いながら。
●目次
序章 イントロダクション
第1章 浸透としてのコミュニケーション――ルソー
第2章 遊戯としてのコミュニケーション――ジンメル
第3章 対話とディスコミュニケーション――ハーバーマスと鶴見俊輔
第4章 他者、承認、まなざし――レインとサルトル
第5章 葛藤、身体、ダブル・バインド――レインとベイトソン
第6章 インターミッション――ジラール
第7章 演技としてのコミュニケーション――ゴフマン(1)
第8章 儀礼としてのコミュニケーション――ゴフマン(2)
第9章 接続としてのコミュニケーション――ルーマン
第10章 パラドックスとしてのコミュニケーション――ベイトソンと吉田文五郎
第11章 純粋なコミュニケーション――ギデンズ
終章 反コミュニケーション
あとがき
- 本の長さ228ページ
- 言語日本語
- 出版社弘文堂
- 発売日2013/12/9
- 寸法13 x 1.4 x 18.9 cm
- ISBN-104335501358
- ISBN-13978-4335501357
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登録情報
- 出版社 : 弘文堂 (2013/12/9)
- 発売日 : 2013/12/9
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 228ページ
- ISBN-10 : 4335501358
- ISBN-13 : 978-4335501357
- 寸法 : 13 x 1.4 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 340,053位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,430位社会一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2020年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
社会を理解する上で、とても良い書籍だと思います。直接は会うことが叶わない先人とのコミュニケーションと「反コミュニケーション」と言う表題のマッチングが良いです。学生との対話も幅広く読まれる要素だと思います。
2014年9月30日に日本でレビュー済み
『他者といる技法』『社会学になにができるか』『コミュニケーションの社会学』などで知られる、立教大学の社会学者によるエッセイあるいは随筆風の軽やかな考察。
本書が一冊を通して悩み続けてみせるのは、人と「一緒にいること」で考えさせられてしまう素朴な事象。現代人なら、よほどの鈍感でなければ「コミュニケーション」にまったく興味がない、ということはないと思う。わたしたちの多くは絶えず人と「一緒にいること」を強いられているし、そこでの悩みはつきない。本書はそこにアプローチするわけだ。
特徴的なのは、文体というか語りの形式だ。すなわち、著者たる主人公が学史に登場するような社会学者や思想家を訊ねてまわり、彼らとの対話を通して思索を深めていく、その語り口だ。言ってしまえば本書はフィクションの体裁を採っているのであり、対話の「ネタ」にされているのはもちろん「コミュニケーション」である。そこで主人公たる著者は、“のっけ”からこんなことを言っている。
「私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない」
これからコミュニケーションの話をしようという人(しかも権威のある大学の先生!)にこんなことを言われたら、けっこう動揺するかもしれない。しかし、これで少しでも先が気になる人は、ぜひとも手に取って読み進めてほしい。ズバリ、読んでもすっきりすることはないのだが(苦笑)、少なくともその心のなかのモヤモヤを著者と一緒に整理することはできる。それも優れて知的な体験として(少なくとも私にとってはそんな体験だった)。
ところで、この本の手法は教科書『コミュニケーションの社会学』(有斐閣アルマ)でも採られていたものだ。もしかすると理論や学史の解説でこうしたポップな方法を採ることに賛否は別れるのかもしれないが、興味深いアプローチだろう。議論に対話形式を用いると、どうしてプラトンらの「対話篇」を思い浮かべる教養層も多いことだろうが、必ずしもそんなふうに肩肘を張ることもない。どんなに良質な読書だって、コミュニケーションでしかないのだから(この本を読んだ後だと、こんなふうに考えさせられる)。
本書が一冊を通して悩み続けてみせるのは、人と「一緒にいること」で考えさせられてしまう素朴な事象。現代人なら、よほどの鈍感でなければ「コミュニケーション」にまったく興味がない、ということはないと思う。わたしたちの多くは絶えず人と「一緒にいること」を強いられているし、そこでの悩みはつきない。本書はそこにアプローチするわけだ。
特徴的なのは、文体というか語りの形式だ。すなわち、著者たる主人公が学史に登場するような社会学者や思想家を訊ねてまわり、彼らとの対話を通して思索を深めていく、その語り口だ。言ってしまえば本書はフィクションの体裁を採っているのであり、対話の「ネタ」にされているのはもちろん「コミュニケーション」である。そこで主人公たる著者は、“のっけ”からこんなことを言っている。
「私はコミュニケーションが嫌いだ。できれば人と会いたくない。ひとりでいたい。電話もメールもしたくない」
これからコミュニケーションの話をしようという人(しかも権威のある大学の先生!)にこんなことを言われたら、けっこう動揺するかもしれない。しかし、これで少しでも先が気になる人は、ぜひとも手に取って読み進めてほしい。ズバリ、読んでもすっきりすることはないのだが(苦笑)、少なくともその心のなかのモヤモヤを著者と一緒に整理することはできる。それも優れて知的な体験として(少なくとも私にとってはそんな体験だった)。
ところで、この本の手法は教科書『コミュニケーションの社会学』(有斐閣アルマ)でも採られていたものだ。もしかすると理論や学史の解説でこうしたポップな方法を採ることに賛否は別れるのかもしれないが、興味深いアプローチだろう。議論に対話形式を用いると、どうしてプラトンらの「対話篇」を思い浮かべる教養層も多いことだろうが、必ずしもそんなふうに肩肘を張ることもない。どんなに良質な読書だって、コミュニケーションでしかないのだから(この本を読んだ後だと、こんなふうに考えさせられる)。
2013年12月25日に日本でレビュー済み
本書は、社会学の立場からコミュニケーションについて論じているが、筆者は、コミュニケーションをアプリオリに善なるものとはしていない。
この立場は、本書の思索を根底的なものにしている。
また、本書の記述上の特徴は、コミュニケーションについて思索した思想家、社会学者と架空対談のかたちをとっていることである。ルソーやジンメル、ベイトソンなどとの架空の対話によって本書の記述は進むのだが、このおかげで、それらの思想に疎い読者に親しみやすさを与えるとともに、理解をいくらか容易にしている。
加えて、多くの書物に言及することで、これから「コミュニケーション」について考えようとする者に、読書案内の弁を与える。
本書の中で論じられている事柄は興味をそそるものが多く、コンパクトな名著であり、多くの人に繙読を勧めたい。
この立場は、本書の思索を根底的なものにしている。
また、本書の記述上の特徴は、コミュニケーションについて思索した思想家、社会学者と架空対談のかたちをとっていることである。ルソーやジンメル、ベイトソンなどとの架空の対話によって本書の記述は進むのだが、このおかげで、それらの思想に疎い読者に親しみやすさを与えるとともに、理解をいくらか容易にしている。
加えて、多くの書物に言及することで、これから「コミュニケーション」について考えようとする者に、読書案内の弁を与える。
本書の中で論じられている事柄は興味をそそるものが多く、コンパクトな名著であり、多くの人に繙読を勧めたい。