注意 これは西永良成訳の光文社古典新訳文庫へのレビューです。なぜか別の方の訳が同文庫からでることとなり、その方のバージョンにもこのレビューが表示されるようです。ちなみに西永良成訳の最新版は2015年に角川から販売されています。微妙な読点、主語の関係まで補正される徹底ぶりとのことですから、そちらを強くおすすめします。
以下、ネタバレ的に感想を書きます。未読の方は角川版のレビューを先におよみください。
読み始めたら、多くの人はびっくりするんじゃないでしょうか。ヒロインがすでに死んで不在、それはまあ特段に珍しいわけではないでしょう。ですが、そこから本筋がはじまるまでがびっくりするくらい長い。全体の二割ぐらいはあるでしょう。人によってはここで脱落する可能性すらあります。
ところが、ここが構成の妙なのです(たんに型式にしたがっのではなく有効に利用している)。ここで示されることは、娼婦がいかにエスタブリッシュメントからはさげずまれた地位にあったか、ヒロインがいかに不遇のうちに死んだか、男がどれほとヒロインの死を悲しんでいるか、といったことなのですが、「はいはい、そうですね、かわいそう」ぐらいにしか思えません。ありりがちにお涙頂戴のパターンを超えているとも思えないからです。
しかし、通読された方の多くはこの部分を読み返さざるを得なかったでしょうし、一度目とは全くちがった風景として見えたこととは思います。そこではじめて男のかなしみの意味がわかる仕組みなのではないでしょうか。つまり、そこにこの小説の深さがあると思われるのです。愛する人を失うことは誰にとっても悲しい。だが、この男の悲しみは、単なる喪失のそれではなく、ヒロインを残酷な破滅に追いやったのは自分自身に他ならなかったことを理解した人間の取り返しようのない悔悟の悲しみだと。
構成の妙はそれにとどまりません。無関係であった私を聞き手とすることで、男の語りはつねに過去の自分についてのいたらなさ、愚かしさの自己認識を示すことになります。懺悔です。ヒロインの有り様は常に男のフィルターを介して読み手たちは知ることになるのですが、最後にヒロインの手記を配することでヒロインの肉声に接することができるようになっています。さらにすばらしいのは、この手記の最後は、ヒロインの最後を看取った友人の手になるものであるため、そのヒロインをさらに別の角度で照らし出すことになるのです。
こういった構成によって、徹底して尊大な男の態度、誓っては平気に破り、許されてはまた破る。ヒロインの苦しみに近づこうとするのでなく、自分の嫉妬の苦しみに簡単に屈服してひたすら残酷にふるまう態度の底に流れているものを理解できるようになっています。それは、愛しているという言葉を楯に、相手を自分が了解可能な単純低劣なものとみなし、その勝手な優位性を根拠に愛するのも傷つけるのもこっち次第と、支配を簡単にゆるしてしまう他者への敬意の欠如にほかならないと。死ぬほど愛していると軽々しく言う口で、所詮売春婦だからとつぶやいてしまう。愛しているという思いが、この害悪をなんら防くわけでもなく、むしろたやすくしている様をつぶさ見せられることになります。
こういう愚かしさと対比するために配された最後まで礼儀ただしく接したG伯爵といった人物も効果を発揮しています。
たくさんの失敗をしてきた私には、この小説は痛くて痛くて読み進められなくなることしきりでした。ほんとうに読むに値する文学作品とはこういう作品のことだとおもえるのです。悲劇ではありますが、美しくはありません。永遠の愛たり得ていますが、それは永遠に癒されない悔悟をになってのゆえです。もし自己犠牲の物語とうつったのなら、それはヒロインが命を賭して得ようとした彼女の自由、矜持について思い到っていないとおもえるのです。そして、この他者への敬意の欠如とは、恋愛関係によらない、すべての人間の関係に潜んでいる重い重い問題だとおもえるのです。
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椿姫 (光文社古典新訳文庫 Aテ 2-2) 文庫 – 2018/2/8
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- 本の長さ463ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2018/2/8
- 寸法10.7 x 1.7 x 15.2 cm
- ISBN-104334753701
- ISBN-13978-4334753702
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2018/2/8)
- 発売日 : 2018/2/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 463ページ
- ISBN-10 : 4334753701
- ISBN-13 : 978-4334753702
- 寸法 : 10.7 x 1.7 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 175,576位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 394位光文社古典新訳文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年3月22日に日本でレビュー済み
作品について言えば、19世紀フランスらしい、恋とお金の話。ところどころ既視感があり、『マノン・レスコー』『ナナ』『ゴリオ爺さん』などが思い起こされる。ぼんやりと史的に思うのは、バルザックが世紀前半に自由闊達な筆で楽しく描いたブルジョワ物語、と、世紀後半〜末に自然主義のもと、冷徹かつドライな筆で描かれる醜さとの間に、この『椿姫』のロマンティシズムは花開いているのかな、と思う。
さて、翻訳の話。訳者の永田千奈さんはあとがきで、あるひとから「泣ける話」だと聞かされたが、それはアルマン(主人公・男)の目線なのではないか、「訳者である私はマルグリットに肩入れするあまり……」と書いていらっしゃる。
そう、この翻訳ではマルグリットの台詞が耳元で響くようで、真に迫っている。訳文の引き込まれ具合で言うと、マルグリットの台詞>地の文>男性陣の台詞といった印象がある(地の文もとてもいい、念のため)。ナイーブな感想で怒られるかもしれないが、訳者が女性だからこそ、それもやわらかく精密で折り目正しい訳文をこれまでにも練られてきた永田さんだからこそ、マルグリットがこんなにも活き活きとしゃべっているのではないか、と思う。ほんとうにおしとやかで愛情深く、ときに激情的でありながら、奥底には揺るがないものを秘めているマルグリットの有り様が浮かび上がる。。。
そうすると、本作全体がどう変わるのか?
単に台詞の巧拙を言うだけでは、作品全体からすればたいしたことはない。だが、この翻訳では、訳者の「肩入れ」するマルグリットに読み手が感情移入するよう促される。物語全体の語り手はアルマンであるにもかかわらず、である。そうすると、とくにアルマンとマルグリットが行き違いを起こしていく後半〜終盤、アルマンの視点を超えるほどに、マルグリットの視点が、読者にとって重さをもってくる。ここに、「マルグリットの視点から見た椿姫」という、言ってみれば新しい物語が生まれる。
これまで、男性(デュマ)が男性(アルマン)の視点で書き、男性(訳者)の翻訳を通して読まれてきた本とは、べつの世界が、永田千奈さんの訳業によって開かれたのかもしれない?
永田さんがあとがきで述べる「もどかしくて苦しくなる」感覚は僕にも伝わった。もし、アルマンの視点で一貫して読んでいれば得られたかもしれない、悲劇のカタルシスはなく、すっきりしない結末、マルグリットとともに苦しんで終わる哀しみが、読後にある。
さすが、同じタイトルの既訳が同シリーズ(光文社古典新訳文庫)にあるにもかかわらず、新訳を問うたな、と思う。
さて、翻訳の話。訳者の永田千奈さんはあとがきで、あるひとから「泣ける話」だと聞かされたが、それはアルマン(主人公・男)の目線なのではないか、「訳者である私はマルグリットに肩入れするあまり……」と書いていらっしゃる。
そう、この翻訳ではマルグリットの台詞が耳元で響くようで、真に迫っている。訳文の引き込まれ具合で言うと、マルグリットの台詞>地の文>男性陣の台詞といった印象がある(地の文もとてもいい、念のため)。ナイーブな感想で怒られるかもしれないが、訳者が女性だからこそ、それもやわらかく精密で折り目正しい訳文をこれまでにも練られてきた永田さんだからこそ、マルグリットがこんなにも活き活きとしゃべっているのではないか、と思う。ほんとうにおしとやかで愛情深く、ときに激情的でありながら、奥底には揺るがないものを秘めているマルグリットの有り様が浮かび上がる。。。
そうすると、本作全体がどう変わるのか?
単に台詞の巧拙を言うだけでは、作品全体からすればたいしたことはない。だが、この翻訳では、訳者の「肩入れ」するマルグリットに読み手が感情移入するよう促される。物語全体の語り手はアルマンであるにもかかわらず、である。そうすると、とくにアルマンとマルグリットが行き違いを起こしていく後半〜終盤、アルマンの視点を超えるほどに、マルグリットの視点が、読者にとって重さをもってくる。ここに、「マルグリットの視点から見た椿姫」という、言ってみれば新しい物語が生まれる。
これまで、男性(デュマ)が男性(アルマン)の視点で書き、男性(訳者)の翻訳を通して読まれてきた本とは、べつの世界が、永田千奈さんの訳業によって開かれたのかもしれない?
永田さんがあとがきで述べる「もどかしくて苦しくなる」感覚は僕にも伝わった。もし、アルマンの視点で一貫して読んでいれば得られたかもしれない、悲劇のカタルシスはなく、すっきりしない結末、マルグリットとともに苦しんで終わる哀しみが、読後にある。
さすが、同じタイトルの既訳が同シリーズ(光文社古典新訳文庫)にあるにもかかわらず、新訳を問うたな、と思う。
2009年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
高級娼婦のマルグリット(椿姫)が、アルマンと出会うことにより、それまでの虚飾の生活を離れ誠実な愛の世界に生きようとする物語です。
アルマンの中にマルグリットが見たもの、それは「あなたはじぶんのためではなく、あたしのためにあたしを愛してくれるから」と言う、まさに打算のない愛情です。
それに対して、彼女もまた純粋で打算のない愛情で返そうとします。
こうした「純愛」の期間が半年続きますが、彼らを取り巻く社会は、そうした社会から隔絶した二人の生活を許しません。
そして、別れがやってくるのですが、マルグリットにとっては、アルマンの存在自体が「幸福」で、前の生活に戻っても意識は全く違うものになっています。
彼女がアルマンとの半年で得たものは、単なる「幸福」な生活を過ごしたと言うことではなく、一つ高い精神レベルに人間として高みに至ったと言うことでしょう。
一方のアルマンは、マルグリットのようにはなかなか考えられず、嫉妬心を抱いてなかなか自分に正直になれません。
このあたりの二人の心理描写が素晴らしく、単なるラブ・ストーリーに脱しておらず、現在まで名作として残っている所以でしょう。
アルマンの中にマルグリットが見たもの、それは「あなたはじぶんのためではなく、あたしのためにあたしを愛してくれるから」と言う、まさに打算のない愛情です。
それに対して、彼女もまた純粋で打算のない愛情で返そうとします。
こうした「純愛」の期間が半年続きますが、彼らを取り巻く社会は、そうした社会から隔絶した二人の生活を許しません。
そして、別れがやってくるのですが、マルグリットにとっては、アルマンの存在自体が「幸福」で、前の生活に戻っても意識は全く違うものになっています。
彼女がアルマンとの半年で得たものは、単なる「幸福」な生活を過ごしたと言うことではなく、一つ高い精神レベルに人間として高みに至ったと言うことでしょう。
一方のアルマンは、マルグリットのようにはなかなか考えられず、嫉妬心を抱いてなかなか自分に正直になれません。
このあたりの二人の心理描写が素晴らしく、単なるラブ・ストーリーに脱しておらず、現在まで名作として残っている所以でしょう。
2018年3月18日に日本でレビュー済み
いまだなにも知らぬ、人生のとばくちに立つ青年を不意に傷みは襲う。傷みをやり過ごすすべもあてどもない青年はやがて「小説」を書くこととなるだろう。
けれども「小説」は青年が体験した実人生とおなじように自由の利かぬものだ。青年は昂ぶるこころを抑えて手探りに「近代小説」の結構を辿ってゆかねばならない。
頁を開くやナレーターは小説の内容は実話であると強調する。読者に是が非にも同意してもらいたい勢いだ。しかしすでにしてナレーターは三人称でありその点を強調すればするほど作者のあどけない哀傷は滲む。傷みを傷みとして吐きだせないもどかしさ。青年は早くも作者と話者と登場人物とへの分裂を受けいれざるをえない。
アレクサンドル・デュマ・フィス「椿姫」の最大の魅力は、作者の逸るこころと近代小説の結構とが、きわめてあやういバランスの上に「小説」として成立するところにある。
語る人称の変わるたびに読者は作者のこころもとなさを感じる。その手つきの未熟はむしろみずみずしい。「近代小説」をまだ自家薬籠中のものとはせぬ青年作者のよるべなさ。ふるえる気配。
翻訳とは異言語を母国語に逐語的に置き換えていく作業ではけっしてない。そうではなく、この「椿姫」の場合なら、作者の小説へのこころもとない手さぐりぶり、近代小説へのよるべない接近のしかた、その手つき、ふるえる気配、未明の静謐さ、若さゆえの哀傷…そういったものをぜんたいの空気としてうつしとることこそが翻訳なのである。
やさしく、慎重に、まさぐるように。光文社古典新訳文庫は、原著のそなえる空気ぜんたいを掬いあげることに成功している。翻訳者のセンシティヴにして繊細きわまりないことばへの愛情。翻訳者とことばとの愛情に満ちる日日のつきあいがなければこの傑作は生まれえなかったろう、とさえ思う。…
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アレクサンドル・デュマ・フィス「椿姫」の最大の魅力は、作者の逸るこころと近代小説の結構とが、きわめてあやういバランスの上に「小説」として成立するところにある。
語る人称の変わるたびに読者は作者のこころもとなさを感じる。その手つきの未熟はむしろみずみずしい。「近代小説」をまだ自家薬籠中のものとはせぬ青年作者のよるべなさ。ふるえる気配。
翻訳とは異言語を母国語に逐語的に置き換えていく作業ではけっしてない。そうではなく、この「椿姫」の場合なら、作者の小説へのこころもとない手さぐりぶり、近代小説へのよるべない接近のしかた、その手つき、ふるえる気配、未明の静謐さ、若さゆえの哀傷…そういったものをぜんたいの空気としてうつしとることこそが翻訳なのである。
やさしく、慎重に、まさぐるように。光文社古典新訳文庫は、原著のそなえる空気ぜんたいを掬いあげることに成功している。翻訳者のセンシティヴにして繊細きわまりないことばへの愛情。翻訳者とことばとの愛情に満ちる日日のつきあいがなければこの傑作は生まれえなかったろう、とさえ思う。…