「マルタの鷹」よりも「血の収穫」よりも上。
内藤陳さんも、北上次郎さんもそうご指摘なさって
おられるとおりの、これぞハメットの代表作です。
(これを女性に翻訳させたのは、編集側のある意味
賭け、だったと思います)
ヘミングウェイにケンカを挑まれて、
バカバカしくって頭抱えて相手にしなかった男、ハメット。
彼の編み出した流儀は文体だけではなく、
世界観であったということが、とても良くわかるのが
この本と「血の収穫」です。
世の中の裏側で、真の意味でタフであらねばならないこと、
虚勢でも組織をバックにした強さでもない、
書くのも恥ずかしい、男の意地、という言葉が、
すべてを語る名作です。
推理小説として読むなかれ。
吉田聡さんの「湘南爆走族」や「噂の男前」、
あるいは「あしたのジョー」を読むつもりで
読んでほしい!!
名作!!
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ガラスの鍵 (光文社古典新訳文庫 Aハ 4-1) 文庫 – 2010/8/10
- 本の長さ453ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2010/8/10
- 寸法10.5 x 1.8 x 15 cm
- ISBN-104334752101
- ISBN-13978-4334752101
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2010/8/10)
- 発売日 : 2010/8/10
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 453ページ
- ISBN-10 : 4334752101
- ISBN-13 : 978-4334752101
- 寸法 : 10.5 x 1.8 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 95,288位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 327位光文社古典新訳文庫
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年7月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ハードボイルド小説の元祖ダシールハメットの小説の中でも白眉といえる作品です。ハメットは「マルタの鷹」が有名ですがこの本も傑作といって良いと思います。「マルタの鷹」よりも感情移入がしやすいかもしれません。また、新訳なのでとても読みやすいです。
2011年6月27日に日本でレビュー済み
雰囲気といい、セリフといい、かっこいいのですが、時々主人公がまぬけです。
なぜ丸腰、柵もないのに飛び込むんだ!
そこがかっこいいのか?
淡々とした語り口がクールでいいです。
なぜ丸腰、柵もないのに飛び込むんだ!
そこがかっこいいのか?
淡々とした語り口がクールでいいです。
2016年9月27日に日本でレビュー済み
男性性が挫折するからノワールは続かないし、後にマチズモを捏造するハードボイルドは連続活劇として商業化されるのだ。
2018年9月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本邦の政治家は自分達がまるでサムライであるかの様に勘違いして偉ぶるが、彼の国の政治家の実の顔は正に顔役!いわばギャングであるようだ。主人公はその右腕と云う位置づけではあるがあくまで友人という立場を崩さず振る舞うシニカルな賭事師で、その事件の本質に迫る姿には作り事めいた白々しさがなく物語はリアルを醸し出している。
2014年6月11日に日本でレビュー済み
傑作だ。”バブル崩壊と恐慌の出口無き暗黒時代”を、裏社会に身を投じた人間の側から見事に描ききっている。驚いてしまうのはこれだけの緻密な構成の作品を、NY株式市場暴落の翌年には既に発表していることである(しかもその前も長編3作をずっと書き詰めで、全く充電期間などというものを与えられていない)。ハメットの時代を見据える目の確かさと筆のはやさに感心せざるを得ない。
作品で描かれているのは、「司法も警察も私物化され、信じるべきものが何も無い時代」。だから、今日の我々の基準で主人公達の倫理観を裁くのは酷だ。これは読者に主人公への全面的共感を求める類の小説ではない。『”借りを受けた者は、それ以上のものを借主に返す”という血の掟に縛られた人間達の世界』の中で、何とか”友情”なり、”家族愛”なりを全うしようとした人間の物語である。
主人公はそんな世界でボスの参謀・部下の指揮官・敵との交渉役をこなし、更に大衆煽動の情報戦を戦い、ボスを守り抜く。そうして”自分の借りを返し”たら、これから確実にさらに悪くなる社会に見切りをつけ、もう少しはマシであろうと思われる場所へと流れていく。冷徹で、機略に富んで、何も信じていないにも拘らず人間の情を失わず、誰も文句をつけようが無いほど十分に義務を果たすことで自由を勝ち取ろうともがくネッドの姿は、悪党かもしれないが、人をひきつけるものがある。
ハメットの長編は「いずれも単に第1級の娯楽小説の枠にとどまらない別次元の何かがある」という意見に私も賛成だ。こう考えるのは私だけかもしれないが、恐らくその”何か”とは古代ギリシアのソフィスト達、或いはローマのカエサル、もしくは古代中国の孫子、諸葛孔明などと同質のもので、言葉を武器にして縦横無尽の機略を張り巡らせ、確実なものなどにも無い世界を生き抜く強靭な知性だろう。
作品で描かれているのは、「司法も警察も私物化され、信じるべきものが何も無い時代」。だから、今日の我々の基準で主人公達の倫理観を裁くのは酷だ。これは読者に主人公への全面的共感を求める類の小説ではない。『”借りを受けた者は、それ以上のものを借主に返す”という血の掟に縛られた人間達の世界』の中で、何とか”友情”なり、”家族愛”なりを全うしようとした人間の物語である。
主人公はそんな世界でボスの参謀・部下の指揮官・敵との交渉役をこなし、更に大衆煽動の情報戦を戦い、ボスを守り抜く。そうして”自分の借りを返し”たら、これから確実にさらに悪くなる社会に見切りをつけ、もう少しはマシであろうと思われる場所へと流れていく。冷徹で、機略に富んで、何も信じていないにも拘らず人間の情を失わず、誰も文句をつけようが無いほど十分に義務を果たすことで自由を勝ち取ろうともがくネッドの姿は、悪党かもしれないが、人をひきつけるものがある。
ハメットの長編は「いずれも単に第1級の娯楽小説の枠にとどまらない別次元の何かがある」という意見に私も賛成だ。こう考えるのは私だけかもしれないが、恐らくその”何か”とは古代ギリシアのソフィスト達、或いはローマのカエサル、もしくは古代中国の孫子、諸葛孔明などと同質のもので、言葉を武器にして縦横無尽の機略を張り巡らせ、確実なものなどにも無い世界を生き抜く強靭な知性だろう。
2020年7月4日に日本でレビュー済み
レイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルド、ロバート・B・パーカーとかいわゆるハードボイルド小説というジャンルでは、清水俊二に小鷹信光、菊地光など定評ある翻訳家がいます。最近では村上春樹がチャンドラーを訳してますが。
評者は、むかし、チャンドラー(代表作をいくつか読み、映画化されたものも観たけれど、記憶に何も残っていない)やギャビン・ライアル(イギリスの作家ですがこれは冒険小説作家?)、ミッキー・スピレイン(こちらは評価が低いようですが)などを読んだものの、いまひとつ興味がつづかず、このジャンルは敬して遠ざけてきたところがあります(そういえば、高校時代ロス・マクのTHE UNDERGROUND MANを原書で読もうとしてペーパーバックを買ったのに、その英語が高校生ふぜいには歯が立たなかった、というか、ストーリーがまったく追えなかったことも思い出します)。
まあ、熱烈ファンというかいろいろとこだわりをもつマニアや通のかたが多いジャンルでもあります。
ダシール・ハメット(1894-1961)にかんしては、ハンフリー・ボガート主演の有名な映画『マルタの鷹』(ジョン・ヒューストン監督、1941年公開)を、これもむかし観ただけでした。
じつをいうと、今回この小説『ガラスの鍵』(1931年)を読んだのは、映画版『ガラスの鍵』(ステュワート・ヘイスラー監督、アラン・ラッド主演、1942年公開)を観る前に、まずは原作を読んでおこうと思ったためで、選択肢として複数の翻訳本があるなかでこの光文社文庫版を手にとりました。
ハヤカワ・ミステリ文庫には小鷹信光訳のものがかつてあり、さらにその前には、創元推理文庫で大久保康雄訳もあったようですが、前者はどうやら現在絶版になっているようです(ハードボイルドの古典ともいうべき作品がなぜ長く絶版状態になっているのか不思議ですが、改訳の意志でもあったのでしょうか)。
前者はしかし絶版とはいっても、古書価格はさほどではなく、そちらを手に入れて読むということもありえたのですが、まあでも新訳で読むのもいいかと思ったしだいです。
本翻訳は、意外に、というか予想以上に読みやすく、ハードボイルドな(?)台詞もけっこううまく訳されていて、これはこれでいいのでは、と読後の印象をもちました。
メリーランド州ボルティモアをモデルにした市を舞台に、登場人物として、上院議員、市政を牛耳ろうとする大物実業家、もうひとりの街の顔役とその手下、地方検事に私立探偵と、いまやアメリカの政治サスペンス映画やポリスアクション映画などでも顔を揃えるような、なんだかおなじみの階層の面々が出てきます。映画と同じくバイオレンス・シーンもあります。
ただし、主人公はその私立探偵ではなく、大物実業家の食客にして賭博稼業で生きるネッド・ボーモントです。
かれが、通りで殺されている、上院議員の息子テイラーの死体の第一発見者になったことから、その事件の真相の解明に乗りだす、というのがこの小説のメインストーリーとなっています。
ネッド・ボーモントは、世情・人情に通じ、タフにして大胆、肝っ玉が据わっていて、そのうえ女たちに好かれ、しばしば洒落た台詞を吐きます。
こういう小説ヒーローの造型、まあアメリカならではの、といってもよさそうなヒーローの造型は、それにしても、いかなる時代風土(それは文学風土でもあるし精神風土でもあるでしょうが)のなかで生まれてきたのか、とか、その造型には、どのような先蹤があったのだろうか、など気になるところではあります。
文庫解説で、ハメット専門家の諏訪部浩一氏がそのことにほんの少し触れていて、ハメットに先だってキャロル・ジョン・デイリーというハードボイルド小説の「始祖」がいたようですが、「その作品を実際読む人などもはやほとんどいない」ということになっているようです。
また、諏訪部氏がさらに言及しているように、19世紀末いらいのウエスタン小説などのいわゆるダイムノヴェルと呼ばれるアメリカ大衆小説のなかのヒーローもやはりその淵源のひとつなのかもしれません。
そうしたウエスタン小説を原作に映画化された西部劇などでも、西部の町を舞台に、この小説におけるような人物設定やストーリーはまま見られるように思います。
ただ大衆小説というのは、一時期流行し、大量に読まれても、読み捨てられたあとは顧みられること少なく、いまとなっては活字として読むことはもちろん、どのようなものが出版されたのかその追跡も不可能なのかもしれませんが(たとえばこの『ガラスの鍵』が最初掲載された『ブラックマスク』のような、20世紀前半に刊行されたパルプ・マガジンなどはいまでは覆刻されているのでしょうかね)。
たしか以前読んだ小鷹信光著『アメリカン・ヒーロー伝説』(ちくま文庫)では、フェニモア・クーパーの例の5部作「レザーストッキング・テールズ」あたりから、その種のヒーロー像がはじまっているということになっていた気が…
自然がもたらす危険と慰安にみちた森や西部の荒野で独立独行の一生をおくるナッティ・バンポーのように、大都会の危険と慰安にみちたアスファルト・ジャングルで独立独行の生き方をつらぬくのがハードボイルド小説の主人公ということになるのでしょうか。まあでも前者のそばには先住民の相棒がいたのにたいして後者のそばには女がいるのですが‥‥
それにしても、諏訪部氏は、ハメットの小説を、他のあまたのハードボイルド小説から区別し、画然と隔てるものは、ハメットの「文学性」にあるというのですが、うーん、それはどうなんでしょうか…
評者は、むかし、チャンドラー(代表作をいくつか読み、映画化されたものも観たけれど、記憶に何も残っていない)やギャビン・ライアル(イギリスの作家ですがこれは冒険小説作家?)、ミッキー・スピレイン(こちらは評価が低いようですが)などを読んだものの、いまひとつ興味がつづかず、このジャンルは敬して遠ざけてきたところがあります(そういえば、高校時代ロス・マクのTHE UNDERGROUND MANを原書で読もうとしてペーパーバックを買ったのに、その英語が高校生ふぜいには歯が立たなかった、というか、ストーリーがまったく追えなかったことも思い出します)。
まあ、熱烈ファンというかいろいろとこだわりをもつマニアや通のかたが多いジャンルでもあります。
ダシール・ハメット(1894-1961)にかんしては、ハンフリー・ボガート主演の有名な映画『マルタの鷹』(ジョン・ヒューストン監督、1941年公開)を、これもむかし観ただけでした。
じつをいうと、今回この小説『ガラスの鍵』(1931年)を読んだのは、映画版『ガラスの鍵』(ステュワート・ヘイスラー監督、アラン・ラッド主演、1942年公開)を観る前に、まずは原作を読んでおこうと思ったためで、選択肢として複数の翻訳本があるなかでこの光文社文庫版を手にとりました。
ハヤカワ・ミステリ文庫には小鷹信光訳のものがかつてあり、さらにその前には、創元推理文庫で大久保康雄訳もあったようですが、前者はどうやら現在絶版になっているようです(ハードボイルドの古典ともいうべき作品がなぜ長く絶版状態になっているのか不思議ですが、改訳の意志でもあったのでしょうか)。
前者はしかし絶版とはいっても、古書価格はさほどではなく、そちらを手に入れて読むということもありえたのですが、まあでも新訳で読むのもいいかと思ったしだいです。
本翻訳は、意外に、というか予想以上に読みやすく、ハードボイルドな(?)台詞もけっこううまく訳されていて、これはこれでいいのでは、と読後の印象をもちました。
メリーランド州ボルティモアをモデルにした市を舞台に、登場人物として、上院議員、市政を牛耳ろうとする大物実業家、もうひとりの街の顔役とその手下、地方検事に私立探偵と、いまやアメリカの政治サスペンス映画やポリスアクション映画などでも顔を揃えるような、なんだかおなじみの階層の面々が出てきます。映画と同じくバイオレンス・シーンもあります。
ただし、主人公はその私立探偵ではなく、大物実業家の食客にして賭博稼業で生きるネッド・ボーモントです。
かれが、通りで殺されている、上院議員の息子テイラーの死体の第一発見者になったことから、その事件の真相の解明に乗りだす、というのがこの小説のメインストーリーとなっています。
ネッド・ボーモントは、世情・人情に通じ、タフにして大胆、肝っ玉が据わっていて、そのうえ女たちに好かれ、しばしば洒落た台詞を吐きます。
こういう小説ヒーローの造型、まあアメリカならではの、といってもよさそうなヒーローの造型は、それにしても、いかなる時代風土(それは文学風土でもあるし精神風土でもあるでしょうが)のなかで生まれてきたのか、とか、その造型には、どのような先蹤があったのだろうか、など気になるところではあります。
文庫解説で、ハメット専門家の諏訪部浩一氏がそのことにほんの少し触れていて、ハメットに先だってキャロル・ジョン・デイリーというハードボイルド小説の「始祖」がいたようですが、「その作品を実際読む人などもはやほとんどいない」ということになっているようです。
また、諏訪部氏がさらに言及しているように、19世紀末いらいのウエスタン小説などのいわゆるダイムノヴェルと呼ばれるアメリカ大衆小説のなかのヒーローもやはりその淵源のひとつなのかもしれません。
そうしたウエスタン小説を原作に映画化された西部劇などでも、西部の町を舞台に、この小説におけるような人物設定やストーリーはまま見られるように思います。
ただ大衆小説というのは、一時期流行し、大量に読まれても、読み捨てられたあとは顧みられること少なく、いまとなっては活字として読むことはもちろん、どのようなものが出版されたのかその追跡も不可能なのかもしれませんが(たとえばこの『ガラスの鍵』が最初掲載された『ブラックマスク』のような、20世紀前半に刊行されたパルプ・マガジンなどはいまでは覆刻されているのでしょうかね)。
たしか以前読んだ小鷹信光著『アメリカン・ヒーロー伝説』(ちくま文庫)では、フェニモア・クーパーの例の5部作「レザーストッキング・テールズ」あたりから、その種のヒーロー像がはじまっているということになっていた気が…
自然がもたらす危険と慰安にみちた森や西部の荒野で独立独行の一生をおくるナッティ・バンポーのように、大都会の危険と慰安にみちたアスファルト・ジャングルで独立独行の生き方をつらぬくのがハードボイルド小説の主人公ということになるのでしょうか。まあでも前者のそばには先住民の相棒がいたのにたいして後者のそばには女がいるのですが‥‥
それにしても、諏訪部氏は、ハメットの小説を、他のあまたのハードボイルド小説から区別し、画然と隔てるものは、ハメットの「文学性」にあるというのですが、うーん、それはどうなんでしょうか…
2013年6月14日に日本でレビュー済み
この「ガラスの鍵」新訳版は大変読みやすい翻訳となっています。
(同作品は「創元推理文庫版」も発売されたことがあります。こちらは訳文が硬質な印象でしたが、表紙絵がパルプフィクションのようなイラストだった版もあり、それなりの味わいがありました。ハメットの短編集も、ボギー風の表紙イラストの版があったり、良い雰囲気でした。)
今回の新訳版は、大変すっきりした翻訳で読みやすかったです。巻末の解説もわかりやすい。
ハードボイルド小説に馴染みのない読者にも、古典の一作品として手にとってもらえるよう、配慮されていると思います。
個人的にチャンドラーの文体(マーロウの語り)が饒舌すぎて苦手で、村上春樹氏のチャンドラー作品の一連の新訳がさらに饒舌でしっくりこなかったのですが、
このガラスの鍵の新訳は、状況描写など明解な表現が多いと感じました。
欲を言えば会話部分がもう少し、ハードボイルドな乾いた言葉遣いであったら(小鷹信光氏や清水俊二氏の翻訳に出てくるような会話のセンス)、
このジャンルでは老舗の創元さんやハヤカワさんとも良い勝負ができると思いました。
小鷹氏の「マルタの鷹」新訳も良いと思います。ハメットの作品はもっと再評価されてほしいです。
余談ですが、ハメット自身をモデルにした映画にも、良い作品があります。
アメリカ映画「ジュリア」、「ハメット」は、いずれもおススメです。
映画的な虚構性はより強くとも、「ハメット」の主演フレデリック・フォレストが、とてもそれっぽく感じました。
(探偵社にいた頃のハメットの雰囲気をイメージして役作りしていると思います)
ハメットの短編に描かれるような世界観が映像化されていて、デスクの前で小説をタイピングしているところが渋くてかっこいいです。
(同作品は「創元推理文庫版」も発売されたことがあります。こちらは訳文が硬質な印象でしたが、表紙絵がパルプフィクションのようなイラストだった版もあり、それなりの味わいがありました。ハメットの短編集も、ボギー風の表紙イラストの版があったり、良い雰囲気でした。)
今回の新訳版は、大変すっきりした翻訳で読みやすかったです。巻末の解説もわかりやすい。
ハードボイルド小説に馴染みのない読者にも、古典の一作品として手にとってもらえるよう、配慮されていると思います。
個人的にチャンドラーの文体(マーロウの語り)が饒舌すぎて苦手で、村上春樹氏のチャンドラー作品の一連の新訳がさらに饒舌でしっくりこなかったのですが、
このガラスの鍵の新訳は、状況描写など明解な表現が多いと感じました。
欲を言えば会話部分がもう少し、ハードボイルドな乾いた言葉遣いであったら(小鷹信光氏や清水俊二氏の翻訳に出てくるような会話のセンス)、
このジャンルでは老舗の創元さんやハヤカワさんとも良い勝負ができると思いました。
小鷹氏の「マルタの鷹」新訳も良いと思います。ハメットの作品はもっと再評価されてほしいです。
余談ですが、ハメット自身をモデルにした映画にも、良い作品があります。
アメリカ映画「ジュリア」、「ハメット」は、いずれもおススメです。
映画的な虚構性はより強くとも、「ハメット」の主演フレデリック・フォレストが、とてもそれっぽく感じました。
(探偵社にいた頃のハメットの雰囲気をイメージして役作りしていると思います)
ハメットの短編に描かれるような世界観が映像化されていて、デスクの前で小説をタイピングしているところが渋くてかっこいいです。