野矢茂樹の記念碑的著作に、師匠・大森荘蔵からの一喝が差し込まれた、真の哲学対話。丁々発止といった様子で、師匠が弟子の議論の甘さを次々に切り結ぶ。それに対して、著者は悪戦苦闘する。
これぞ哲学。なんという強靭な思索。
我々の心を打つに十分な、最高の一冊。
だが、野矢氏が真に心ある他者に出会うのは、『心という難問』においてである。
本書はそこまでの道程を、言わば回り道を示している。しかし、その過程から和辻哲郎文学賞を受賞した『心という難問』が生まれたのだとすれば、回り道の意味を考えさせられる。
急がば回れ、といえばやや稚拙なまとめだが、なんだかそんな事を言いたくなるのである。私は今、どうしようもなく回り道をして、生き急ぎたいのである。
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心と他者 単行本 – 1995/1/25
野矢 茂樹
(著)
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- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日1995/1/25
- ISBN-104326152990
- ISBN-13978-4326152995
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
心の内と心の外という比喩から「心」を解放し、規範性および意味の観点から、新たな位置づけを試みる。大森荘蔵とウィトゲンシュタインの継承と批判。
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (1995/1/25)
- 発売日 : 1995/1/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 256ページ
- ISBN-10 : 4326152990
- ISBN-13 : 978-4326152995
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,047,097位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2023年4月23日に日本でレビュー済み
まえがき
第一章 虚と実
意識の繭
枠組としての実在
幻覚論法
実在の意味
第二章 内界という神話
心身二元論
他我のアニミズム
独我論
第三章 眺望論
視点状況とパースペクティブ
痛みと身体
相貌論
第四章 規範の他者
意味の脱神話化
記号のアニミズム
自然と規範
註
第一章 虚と実
意識の繭
枠組としての実在
幻覚論法
実在の意味
第二章 内界という神話
心身二元論
他我のアニミズム
独我論
第三章 眺望論
視点状況とパースペクティブ
痛みと身体
相貌論
第四章 規範の他者
意味の脱神話化
記号のアニミズム
自然と規範
註
2015年11月29日に日本でレビュー済み
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まだ、完全ではないというか、納得できていないところに、今まで浸りきっていた、水源地モデルの強かさに打ちのめされている。理屈ではわかるが、今までの惰性が許さないのである。
コロンブスのアメリカ大陸発見が、天動説を見切ったように、強い決断と長い苦難の航海が前途に待ち受けている行動の発動が必要なのかもしれない。
アナロジカルに考えると、ウィトゲンシュタイン前期の行為空間がもたらす、論理空間の被膜を破るような、新たな相貌の世界を恒常的なものとする世界観から見た地平を開くことであろう。これが具体的になにをもたらすのか。
これは、日本人生得の人間(人の間の世界、すなわち”心と他者”)観に他ならない予感がする。
コロンブスのアメリカ大陸発見が、天動説を見切ったように、強い決断と長い苦難の航海が前途に待ち受けている行動の発動が必要なのかもしれない。
アナロジカルに考えると、ウィトゲンシュタイン前期の行為空間がもたらす、論理空間の被膜を破るような、新たな相貌の世界を恒常的なものとする世界観から見た地平を開くことであろう。これが具体的になにをもたらすのか。
これは、日本人生得の人間(人の間の世界、すなわち”心と他者”)観に他ならない予感がする。
2012年12月24日に日本でレビュー済み
『心と他者』は哲学書です。分かりやすい文章で、一歩ずつ哲学を進めています。本書では、著者である野矢の意見に対し、師である大森荘蔵のコメントも記載されています。
例えば、p.106の〈独断的に私の意見を述べておくならば、いっさいの身体運動や状況と切り離された純粋に心の状態ないしできごととしての意志なるものなどありはしない、と私は考えている。〉とあります。この意見に対し、大森は〈これは私の意見〉とコメントし、野矢は〈はい。〉と返しています。微笑ましいですね。
本書の中で、私が素敵な表現だと思った箇所を紹介してみます。
何か〈神〉は勘違いしているのじゃないか。
勘違いしているのである。(p.103)〉
人間たちは人間どうしのつきあいをこのような心ある描写を用いる形で定着させてきた。なぜ、そうした生き方をしているのか、根拠などありはしない。ただ、長い歴史と伝統があるのみなのである。(p.117‾118)
現在のわれわれにとって、人間はけっしてたんなる物ではない。あるいは物プラス心というのでもない。人間は物とは根本的に異なった〈心あるもの〉なのである。(p.118)
たんなる世界の眺めであったものが私の心の眺めとなるには、心ある他者の存在が不可欠なのである。(p.136‾137)
私は心を登場させるその契機をこそ、〈他者〉と呼びたい。他者がいなければ世界はただ透明にその姿を現すだけであろう。他者の存在によってはじめて、世界は透明性を失い、心という襞をもつ。(p.145)
それゆえ、たんにアメとムチを与えるだけではなく、アメやムチが与えられる理由もまた、明らかにされねばならない。(p.321)
上記に挙げた記述は、前後の文脈とあわせて読むと、その妙がより深く味わえると思われます。良書なので、「心」って何だろうとか考えたことのある人は、少なくないヒントが得られると思うのでお勧めです。
例えば、p.106の〈独断的に私の意見を述べておくならば、いっさいの身体運動や状況と切り離された純粋に心の状態ないしできごととしての意志なるものなどありはしない、と私は考えている。〉とあります。この意見に対し、大森は〈これは私の意見〉とコメントし、野矢は〈はい。〉と返しています。微笑ましいですね。
本書の中で、私が素敵な表現だと思った箇所を紹介してみます。
何か〈神〉は勘違いしているのじゃないか。
勘違いしているのである。(p.103)〉
人間たちは人間どうしのつきあいをこのような心ある描写を用いる形で定着させてきた。なぜ、そうした生き方をしているのか、根拠などありはしない。ただ、長い歴史と伝統があるのみなのである。(p.117‾118)
現在のわれわれにとって、人間はけっしてたんなる物ではない。あるいは物プラス心というのでもない。人間は物とは根本的に異なった〈心あるもの〉なのである。(p.118)
たんなる世界の眺めであったものが私の心の眺めとなるには、心ある他者の存在が不可欠なのである。(p.136‾137)
私は心を登場させるその契機をこそ、〈他者〉と呼びたい。他者がいなければ世界はただ透明にその姿を現すだけであろう。他者の存在によってはじめて、世界は透明性を失い、心という襞をもつ。(p.145)
それゆえ、たんにアメとムチを与えるだけではなく、アメやムチが与えられる理由もまた、明らかにされねばならない。(p.321)
上記に挙げた記述は、前後の文脈とあわせて読むと、その妙がより深く味わえると思われます。良書なので、「心」って何だろうとか考えたことのある人は、少なくないヒントが得られると思うのでお勧めです。
2017年3月16日に日本でレビュー済み
この本はまぎれもない哲学書である。 心身二元論、現象学、ひいては独我論、そうした思想と 戦うべく、論理的に論証を重ねた労作といえるだろう。 その戦いは、一見、哲学上の局地戦に見えるかもしれない。 しかし、それは決してコップの中の嵐ではないと私は思っている。 著者は、表面的には見えにくいが、大きな問題に取り組んでいると思う。 それは、著者は哲学からはみ出して 社会学を論ずるような ことはしていないが、私はこの本を読んで社会に直結した ある危機感を感じ取った。 たとえば、独我論。 近頃の自分勝手な犯罪というものの背景に、独我論的な臭いを感じとるのは私だけだろうか。 ニーチェを知らない人でも「無神論」は知っている。 そのように、思想というのは知らないうちに社会に浸透しているのだ。 著者の戦いの意味は、おそらく、そうしたことをも含んでいるのではないだろうか。 哲学の役割というのは、そのように目立たないところで、社会のバックグラウンドを形成してゆくことなのか と教えられた気がする。 良書である。
2009年12月30日に日本でレビュー済み
哲学書は分かりにくいものが多いが、この本は私が初めて哲学を体験できた本。
自分自身にとっての「問題」について、自分の言葉で一つ一つ考えていくこと自体が哲学であることを教えてくれた。
野矢と共に一緒に考えていくことで、いつの間にか自分自身が哲学を始めていた。
そして自分の哲学を本書の余白にいっぱい書き込んでいた。
初めて読んだのは初版が出た頃だからもう何年も経ってしまい、野矢の主張自体は覚えていない。
しかし野矢が何を言っていたかは問題ではないし、哲学ではない。読んでいるうちに自分が考え始めてしまうという体験が重要なのである。
本書を初めとして野矢の著書を読むことは、知ることではなく自ら考えることを始めさせてくれるものである。
自分自身にとっての「問題」について、自分の言葉で一つ一つ考えていくこと自体が哲学であることを教えてくれた。
野矢と共に一緒に考えていくことで、いつの間にか自分自身が哲学を始めていた。
そして自分の哲学を本書の余白にいっぱい書き込んでいた。
初めて読んだのは初版が出た頃だからもう何年も経ってしまい、野矢の主張自体は覚えていない。
しかし野矢が何を言っていたかは問題ではないし、哲学ではない。読んでいるうちに自分が考え始めてしまうという体験が重要なのである。
本書を初めとして野矢の著書を読むことは、知ることではなく自ら考えることを始めさせてくれるものである。
2004年7月9日に日本でレビュー済み
心身二元論あるいは<私>と死物世界(大森荘蔵『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫より)の二元論を乗り越え、<私>のように生きる他者を描き出すこと、それが本書の試みです。
ウィトゲンシュタインによる私的言語、規則に従うこと、意味盲・アスペクト盲、意味体験に関わる議論を手がかりに、「私とは異なる意味秩序」という他者を描き出しています。
著者は言葉を尽くして他者を描き出そうとしています。しかしながら、言葉では描き出すことの出来ない他者も居るのではないか、と思います。何かモヤモヤしたものが残りました。
ウィトゲンシュタインによる私的言語、規則に従うこと、意味盲・アスペクト盲、意味体験に関わる議論を手がかりに、「私とは異なる意味秩序」という他者を描き出しています。
著者は言葉を尽くして他者を描き出そうとしています。しかしながら、言葉では描き出すことの出来ない他者も居るのではないか、と思います。何かモヤモヤしたものが残りました。