これまでの自分のロシアに対するイメージはなんとなく恐い、よくわからないというものでした。
息子がロシア関係の専攻に進んだのを機会に、自分でも最低限、隣国の成り立ちくらいは知っておきたいと思い、こちらを選びました。
豊富な図説もあり、かといって資料に説明がついているだけではなく、流れをたどった文章で読みやすく、手元に置いておきたい一冊です。
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図説 ロシアの歴史 (ふくろうの本) 単行本(ソフトカバー) – 2014/10/24
栗生沢 猛夫
(著)
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ロシアの壮大な歴史をコンパクトに知ることができる永久保存版。緊迫するウクライナ情勢の解説も。
- 本の長さ183ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2014/10/24
- 寸法17 x 1.2 x 21.6 cm
- ISBN-104309762247
- ISBN-13978-4309762241
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商品の説明
著者について
1944年生まれ。一橋大学経済学部卒業。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。北海道大学大学院文学研究科教授を経て、現在、北海道大学名誉教授。専門はロシア中近世史。著書に 『タタールのくびき』など多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社; 増補新装版 (2014/10/24)
- 発売日 : 2014/10/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 183ページ
- ISBN-10 : 4309762247
- ISBN-13 : 978-4309762241
- 寸法 : 17 x 1.2 x 21.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 242,820位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年6月4日に日本でレビュー済み
基本は大事だよね,ということで.
ロシア史を俯瞰的・包括的に見ることができるものとしては,まずまずの良書.
増補新装版となって,メドヴェージェフ大統領時代までを守備範囲に収める.
▼
以下,特に興味深かった箇所;
・「『上から』の改革はうまくいくこともあったが,多くの場合,支配階級の意向を優先させるあまり,中途半端で不徹底,時には大多数の国民の利益にあからさまに反するものとなった.
そうなると『改革』は信用を失い,すべてを一気に解決することを目指す革命へ,ということになる.
ロシア史ではこうした経緯がしばしば見られた.
『極端から極端へ』
といわれるロシア人の『気質』の内実である」(p.13)
ロシア関連書籍を読むに,ロシア人のものの考え方がしばしば不可解に感じられるのだが,この一節は良いヒントとなるかも.
・「17世紀におけるモスクワ国家の支配層である貴族層の出自を調べた帝政期のある学者によると,全貴族家門(915)のうちロシア出身と見られるのは210(23%),外国出身が608.
そのうち
西ヨーロッパ出身が229(25%),
ポーランド・リトアニア出身が223(24%),
タタールその他の東方出身が156(17%),
不明97(11%)
であったという.
この数字は学問的にやや問題のあるものであるが,ある程度のイメージを与えてくれる.
もし貴族層の過半が異民族出身者であったとするならば,ロシア人があまり民族にとらわれない開かれた気質の持ち主であると言ったとしても,それほど間違ってはいないだろう」(p.16)
別の書籍で「ロシア人はヨーロッパで唯一日本人を差別しない民族」というくだりがあったが,その理由はこういうところにあるわけだろうか.
・リューリクからその孫スヴァトスラフにいたるロシア史の英雄時代(p.23)
・国教選択に際し,「ルーシ人は飲むことが楽しみなのだ.それなしには生きている甲斐がない」と言ってイスラームを退けたウラジーミル(p.22)
アルコールが無い時にはオーデコロンまで飲んでしまう国民性だからなあ…
・多数いる息子たちをドイツ,ビザンツ,ハンガリー,ポーランドの貴婦人と結婚させ,娘をフランス,ハンガリー,ノルウェーの王に嫁がせたヤロスラフ(p.24-25)
・キエフの地位の低下をもたらす一つの要因となった,ドニエプル川経由の南北交易のさびれ(p.26)
・ポーランドやハンガリーの軍を退け,ガーリチ地方を統一したものの,モンゴルのハーンの下に出頭して,何とか自国の領有権を認めてもらわなければならなくなったダニール(p.28)
・この時代が直面した困難を全てモンゴル支配の故とするわけにはいかず,「あたかも全くの暗黒時代であったかのように考えるのは問題である」(p.32)
被害者意識はしばしば被害を誇大に考えがちになるということであろうか.
・異民族支配の時代に正教会が大きな発展を遂げたという逆説(p.38-39)
・「偽のドミトリー」とは?(p.48)
・「塩一揆」「銅貨一揆」とは?(p.54)
・住民はかならずしもドイツ人とは限らない「ドイツ人村」(p.59)
・ピョートルにとって「不幸だったのは,改革をスウェーデンとの戦争の中で行わざるを得なかったことである.
そこから改革は実際には,当面の必要に迫られた場当たり的なものとなってしまった」(p.63)
・「至聖なる阿呆と道化の最高酔いどれ会議」を作り,「騒々しき道化総主教」を押し立てての乱痴気騒ぎに興じるピョートル(p.66)
このセンス,嫌いではない.
・「1725年に彼が没する頃には,60艘以上の大型艦船とガレー船,1万6000人から成るバルト艦隊,近代兵器を装備した21万人以上の陸軍を作り上げていた.
ヨーロッパ最大の軍事国家と言ってもよかった.
費用は全て臣民の上に重くのしかかった」(p.67)
・寵臣らへ広大な国有地を賜与し,約100万と言われる国有地農民を農奴に変えたエカチェリーナ2世.
18世紀後半には「農奴制はこの段階に至って奴隷制と変わらぬものとなったと言ってよい」(p.72)
・ロシア遠征の折,「ある軍事史家によれば,ナポレオン軍は総数61万4000人(大砲1420門,その後の増援軍を含めると65万5000人),12の国の兵士から成る混成軍であった.
うちフランス人が半数をやや下回り,残りはオーストリア,ドイツ,イタリア,スペインなどナポレオンの同盟国ないしその支配下にあった国や地域の兵士であった.
特に目立ったのは,独立国家最高の夢をナポレオンに託した9万のポーランド人(リトアニア人を含む)であった.
彼らは率先してロシアに向かったと言われている」(p.82-83)
ありがちな話.
・デカブリストの乱は「サンクト・ペテルブルクの元老院広場に北方結社の将校らが諸部隊を率いて集まり,即位の宣誓式を終えたばかりのニコライに対し示威行動をするという形で行われたが,準備不足もあり,総指揮官も現れず,いたずらに時間を費やすうちに,ニコライが集めた軍に囲まれ大砲を撃ち込まれ,蹴散らされてしまった」(p.87)
この詰めの甘さ,いい加減さは,いかにもロシア人らしいと思うのは当方だけだろうか?
・即位後まず皇帝直属官房第3部(秘密警察)をもうけたニコライ一世(p.88)
・皇帝個人を狙った最初の暗殺の試みであるアレクサンドル二世暗殺未遂事件(p.97-98)
・自由主義的改革案を裁可した当日に暗殺されたアレクサンドル(p.98-99)
歴史は皮肉と逆説に満ちている.
・多発するポグロム(p.102,107)
・エスエル党戦闘団によるテロ続発(p.107)
・幾多の暗殺事件(p.109-113)
・鉄道省を押さえたことで,鎮圧軍の首都への移動を阻止することができた国会臨時委員会(p.117)
・水兵反乱とその他の反乱(p.127)
・正教会による飢餓救済活動を制止したボリシェヴィキ政権(p.129-130)
・「しかしこのときの[農業]集団化が,その意味で成功を収めたかどうか,実は不明である.
この時期の統計が実際の生産高を示すものとなっていないからである」(p.134)
・「30年代の工業発展全体をどう見るかについても,第一次計画の場合と同様,そう簡単に判断できない.
もちろん当時は大成果を挙げたと大々的に宣伝されたが,後になって,実際の伸びはそれほどでもなかったとする見解も出されたのである.
たとえば1929~41年の国民所得の伸びは1.5倍に過ぎなかったこと(公式統計では5.46倍),年平均成長率は3.2%(同13.9%),労働生産性の伸びに至っては1.19倍(同44.33倍)でしかなかったことを主張する研究者がいる.
しかもこれですら,農民,労働者,そして国民全体の多大の犠牲の上に得られた『成果』であった.
この程度の成果のために,あれほど苦しむ必要はあったのか,という疑問の声が出たとしても不思議ではない」(p.138)
・「払われた犠牲は強制的な集団化の際に特にみられたような,数々の悲劇にのみ留まるものではなかった.
労働者は,ドンバス炭鉱でノルマの14倍の採炭を達成したスタハーノフの名をとって大々的に行われた運動の時のように,政府の宣伝に従い,常に過大な労働力の提供を余儀なくされたのみならず,労働者手帳制度の下に規律が強化され,僅かな遅刻・欠勤にさえ刑事罰を科されたのである」(同)
・「パスポート制度が敷かれ,自由な労働移動も禁止さえた.
農民に至ってはこのパスポートすら付与されず,移動など思いもよらなかった.
土地に縛り付けられているという意味では帝政期の農奴と同じであった」(同)
中学校や高校で教えられた「大きな躍進」は嘘っぱちだった模様.
▼
・キーロフ暗殺事件にかこつけた大テロル(p.139-141)
▼
それにしても驚かされるのは,たびたび大量死が発生している点.
しかもそれは疫病などではなく,殺戮や人災.
・10万人と見積もる学者もいる,サンクト・ペテルブルク建設の際の犠牲者数(p.67)
・「46~47年にかけて,ウクライナなど穀倉地帯を中心に,旱魃による飢饉が発生し,農民を中心に100万と言われるが死者を出した.
それでも政府の工業重視政策は相変わらずで,農業への投資は十分にはなされなかった.
それどころか,収穫の殆ど半分を,それに見合う対価無しに供出させる農業収奪政策が続いたのである」(p.152)
▼
ロシア革命の経過についてやけに詳細に書かれているが,大半の読者にはさほど興味はないだろう.
ハンガリー1956年革命へのソ連軍による弾圧についての記述が,「ハンガリーの反ソ蜂起とソ連軍による鎮圧」という僅か18文字で済まされているのとは対照的.
明らかにバランスを欠いている.
▼
図版も多く,記憶に残り易し.
スタート・キットとしてなら.
【関心率,約80%:全ページ中,当方が個人的に,手元に残したいページがどれだけあるかの割合.当方の主観基準】
ロシア史を俯瞰的・包括的に見ることができるものとしては,まずまずの良書.
増補新装版となって,メドヴェージェフ大統領時代までを守備範囲に収める.
▼
以下,特に興味深かった箇所;
・「『上から』の改革はうまくいくこともあったが,多くの場合,支配階級の意向を優先させるあまり,中途半端で不徹底,時には大多数の国民の利益にあからさまに反するものとなった.
そうなると『改革』は信用を失い,すべてを一気に解決することを目指す革命へ,ということになる.
ロシア史ではこうした経緯がしばしば見られた.
『極端から極端へ』
といわれるロシア人の『気質』の内実である」(p.13)
ロシア関連書籍を読むに,ロシア人のものの考え方がしばしば不可解に感じられるのだが,この一節は良いヒントとなるかも.
・「17世紀におけるモスクワ国家の支配層である貴族層の出自を調べた帝政期のある学者によると,全貴族家門(915)のうちロシア出身と見られるのは210(23%),外国出身が608.
そのうち
西ヨーロッパ出身が229(25%),
ポーランド・リトアニア出身が223(24%),
タタールその他の東方出身が156(17%),
不明97(11%)
であったという.
この数字は学問的にやや問題のあるものであるが,ある程度のイメージを与えてくれる.
もし貴族層の過半が異民族出身者であったとするならば,ロシア人があまり民族にとらわれない開かれた気質の持ち主であると言ったとしても,それほど間違ってはいないだろう」(p.16)
別の書籍で「ロシア人はヨーロッパで唯一日本人を差別しない民族」というくだりがあったが,その理由はこういうところにあるわけだろうか.
・リューリクからその孫スヴァトスラフにいたるロシア史の英雄時代(p.23)
・国教選択に際し,「ルーシ人は飲むことが楽しみなのだ.それなしには生きている甲斐がない」と言ってイスラームを退けたウラジーミル(p.22)
アルコールが無い時にはオーデコロンまで飲んでしまう国民性だからなあ…
・多数いる息子たちをドイツ,ビザンツ,ハンガリー,ポーランドの貴婦人と結婚させ,娘をフランス,ハンガリー,ノルウェーの王に嫁がせたヤロスラフ(p.24-25)
・キエフの地位の低下をもたらす一つの要因となった,ドニエプル川経由の南北交易のさびれ(p.26)
・ポーランドやハンガリーの軍を退け,ガーリチ地方を統一したものの,モンゴルのハーンの下に出頭して,何とか自国の領有権を認めてもらわなければならなくなったダニール(p.28)
・この時代が直面した困難を全てモンゴル支配の故とするわけにはいかず,「あたかも全くの暗黒時代であったかのように考えるのは問題である」(p.32)
被害者意識はしばしば被害を誇大に考えがちになるということであろうか.
・異民族支配の時代に正教会が大きな発展を遂げたという逆説(p.38-39)
・「偽のドミトリー」とは?(p.48)
・「塩一揆」「銅貨一揆」とは?(p.54)
・住民はかならずしもドイツ人とは限らない「ドイツ人村」(p.59)
・ピョートルにとって「不幸だったのは,改革をスウェーデンとの戦争の中で行わざるを得なかったことである.
そこから改革は実際には,当面の必要に迫られた場当たり的なものとなってしまった」(p.63)
・「至聖なる阿呆と道化の最高酔いどれ会議」を作り,「騒々しき道化総主教」を押し立てての乱痴気騒ぎに興じるピョートル(p.66)
このセンス,嫌いではない.
・「1725年に彼が没する頃には,60艘以上の大型艦船とガレー船,1万6000人から成るバルト艦隊,近代兵器を装備した21万人以上の陸軍を作り上げていた.
ヨーロッパ最大の軍事国家と言ってもよかった.
費用は全て臣民の上に重くのしかかった」(p.67)
・寵臣らへ広大な国有地を賜与し,約100万と言われる国有地農民を農奴に変えたエカチェリーナ2世.
18世紀後半には「農奴制はこの段階に至って奴隷制と変わらぬものとなったと言ってよい」(p.72)
・ロシア遠征の折,「ある軍事史家によれば,ナポレオン軍は総数61万4000人(大砲1420門,その後の増援軍を含めると65万5000人),12の国の兵士から成る混成軍であった.
うちフランス人が半数をやや下回り,残りはオーストリア,ドイツ,イタリア,スペインなどナポレオンの同盟国ないしその支配下にあった国や地域の兵士であった.
特に目立ったのは,独立国家最高の夢をナポレオンに託した9万のポーランド人(リトアニア人を含む)であった.
彼らは率先してロシアに向かったと言われている」(p.82-83)
ありがちな話.
・デカブリストの乱は「サンクト・ペテルブルクの元老院広場に北方結社の将校らが諸部隊を率いて集まり,即位の宣誓式を終えたばかりのニコライに対し示威行動をするという形で行われたが,準備不足もあり,総指揮官も現れず,いたずらに時間を費やすうちに,ニコライが集めた軍に囲まれ大砲を撃ち込まれ,蹴散らされてしまった」(p.87)
この詰めの甘さ,いい加減さは,いかにもロシア人らしいと思うのは当方だけだろうか?
・即位後まず皇帝直属官房第3部(秘密警察)をもうけたニコライ一世(p.88)
・皇帝個人を狙った最初の暗殺の試みであるアレクサンドル二世暗殺未遂事件(p.97-98)
・自由主義的改革案を裁可した当日に暗殺されたアレクサンドル(p.98-99)
歴史は皮肉と逆説に満ちている.
・多発するポグロム(p.102,107)
・エスエル党戦闘団によるテロ続発(p.107)
・幾多の暗殺事件(p.109-113)
・鉄道省を押さえたことで,鎮圧軍の首都への移動を阻止することができた国会臨時委員会(p.117)
・水兵反乱とその他の反乱(p.127)
・正教会による飢餓救済活動を制止したボリシェヴィキ政権(p.129-130)
・「しかしこのときの[農業]集団化が,その意味で成功を収めたかどうか,実は不明である.
この時期の統計が実際の生産高を示すものとなっていないからである」(p.134)
・「30年代の工業発展全体をどう見るかについても,第一次計画の場合と同様,そう簡単に判断できない.
もちろん当時は大成果を挙げたと大々的に宣伝されたが,後になって,実際の伸びはそれほどでもなかったとする見解も出されたのである.
たとえば1929~41年の国民所得の伸びは1.5倍に過ぎなかったこと(公式統計では5.46倍),年平均成長率は3.2%(同13.9%),労働生産性の伸びに至っては1.19倍(同44.33倍)でしかなかったことを主張する研究者がいる.
しかもこれですら,農民,労働者,そして国民全体の多大の犠牲の上に得られた『成果』であった.
この程度の成果のために,あれほど苦しむ必要はあったのか,という疑問の声が出たとしても不思議ではない」(p.138)
・「払われた犠牲は強制的な集団化の際に特にみられたような,数々の悲劇にのみ留まるものではなかった.
労働者は,ドンバス炭鉱でノルマの14倍の採炭を達成したスタハーノフの名をとって大々的に行われた運動の時のように,政府の宣伝に従い,常に過大な労働力の提供を余儀なくされたのみならず,労働者手帳制度の下に規律が強化され,僅かな遅刻・欠勤にさえ刑事罰を科されたのである」(同)
・「パスポート制度が敷かれ,自由な労働移動も禁止さえた.
農民に至ってはこのパスポートすら付与されず,移動など思いもよらなかった.
土地に縛り付けられているという意味では帝政期の農奴と同じであった」(同)
中学校や高校で教えられた「大きな躍進」は嘘っぱちだった模様.
▼
・キーロフ暗殺事件にかこつけた大テロル(p.139-141)
▼
それにしても驚かされるのは,たびたび大量死が発生している点.
しかもそれは疫病などではなく,殺戮や人災.
・10万人と見積もる学者もいる,サンクト・ペテルブルク建設の際の犠牲者数(p.67)
・「46~47年にかけて,ウクライナなど穀倉地帯を中心に,旱魃による飢饉が発生し,農民を中心に100万と言われるが死者を出した.
それでも政府の工業重視政策は相変わらずで,農業への投資は十分にはなされなかった.
それどころか,収穫の殆ど半分を,それに見合う対価無しに供出させる農業収奪政策が続いたのである」(p.152)
▼
ロシア革命の経過についてやけに詳細に書かれているが,大半の読者にはさほど興味はないだろう.
ハンガリー1956年革命へのソ連軍による弾圧についての記述が,「ハンガリーの反ソ蜂起とソ連軍による鎮圧」という僅か18文字で済まされているのとは対照的.
明らかにバランスを欠いている.
▼
図版も多く,記憶に残り易し.
スタート・キットとしてなら.
【関心率,約80%:全ページ中,当方が個人的に,手元に残したいページがどれだけあるかの割合.当方の主観基準】
2018年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読みやすいし、年表や地図なども、ついているので、理解しやすい。
ロシアの歴史をさっと学ぶのに、とても良い本。
ロシアの歴史をさっと学ぶのに、とても良い本。
2015年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ロシアの歴史は特にロマノフ朝以前は非常に分かりにくいが、この本は、系図や地図もしっかり記載されており、初めての人にも分かるように工夫されている。
2022年6月11日に日本でレビュー済み
わかりやすいですが、言葉の定義が曖昧なので読みにくいのが残念。「ルーシ」や「大公」の」定義などをもう少ししっかり説明してほしいです。著者もおっしゃっていますが、こういう概説書はやはり索引が欲しいところです。
2022年4月1日に日本でレビュー済み
タイトル通りでロシアの歴史をキエフ・ルーシから現代まで書きまとめた一冊。
このシリーズは図版や写真を豊富に盛り込んでくれているので、あまり詳しくない人でもイメージを持って読みやすいと思う。
それほど厚くなく写真なども多いが、文字は小さめなので意外と中身の分量はある。
ロマノフ王朝成立より前の時代もそこそこ詳しく出ている。
通史のカバーの度合いでいうと、 ロシアとソ連邦 をもう少しやさしくしたぐらいだろうか。
ロシア帝国の拡大や植民地の話はもう少し取り上げてくれてもよかったかなと思う(特に地図などが使えるのでイメージしやすい)
全体的にはよく書けているのだが、ソ連崩壊後の話、特にプーチンの部分は、プーチンの肩をなるべく持とうとしているかのような記述が目立ち、バランスを欠いている。クリミア併合についてロシアが挙げる正当化理由をひたすら並べて「国際法違反と非難するだけでは問題が片付かない」と書いたり、マレーシア航空17便撃墜事件を欧米とロシアの両論併記のような形で書いたりと、中立を装いながら明らかに悪いものを免責しようとするような記述が目立つ。
そういうわけで、現代の部分についてはいただけないのだが、全体としてはよくまとまっているので、ロシアの歴史を知りたい人にはなかなかよい一冊ではないかと思う。
(追記:同じような趣旨のジョン・チャノン、ロバート・ハドソン ロシア (地図で読む世界の歴史) を読んだが、チャノン=ハドソン書の方が地図が豊富で読みやすく、本書の上位互換に当たると感じた。)
このシリーズは図版や写真を豊富に盛り込んでくれているので、あまり詳しくない人でもイメージを持って読みやすいと思う。
それほど厚くなく写真なども多いが、文字は小さめなので意外と中身の分量はある。
ロマノフ王朝成立より前の時代もそこそこ詳しく出ている。
通史のカバーの度合いでいうと、 ロシアとソ連邦 をもう少しやさしくしたぐらいだろうか。
ロシア帝国の拡大や植民地の話はもう少し取り上げてくれてもよかったかなと思う(特に地図などが使えるのでイメージしやすい)
全体的にはよく書けているのだが、ソ連崩壊後の話、特にプーチンの部分は、プーチンの肩をなるべく持とうとしているかのような記述が目立ち、バランスを欠いている。クリミア併合についてロシアが挙げる正当化理由をひたすら並べて「国際法違反と非難するだけでは問題が片付かない」と書いたり、マレーシア航空17便撃墜事件を欧米とロシアの両論併記のような形で書いたりと、中立を装いながら明らかに悪いものを免責しようとするような記述が目立つ。
そういうわけで、現代の部分についてはいただけないのだが、全体としてはよくまとまっているので、ロシアの歴史を知りたい人にはなかなかよい一冊ではないかと思う。
(追記:同じような趣旨のジョン・チャノン、ロバート・ハドソン ロシア (地図で読む世界の歴史) を読んだが、チャノン=ハドソン書の方が地図が豊富で読みやすく、本書の上位互換に当たると感じた。)
2015年5月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
写真や地図、家系図などが多く記載され、馴染みのないロシアの歴史もわかりやすく解説されています。地名や人名は日本人に馴染みがなさすぎて文章だけの本だと厳しいですがこの本はわかりやすかったです。
2023年3月12日に日本でレビュー済み
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「遅れてきた国ロシア」は常にヨーロッパに対して劣等感を抱き続けてきた。ピョートル大帝もエカテリーナ2世も西洋に学ぼうとしていたが、ロシアはいつも改革が中途半端で、結局、問題はいつも「ロシア対ヨーロッパ」だったことがよくわかる一冊だ。本文は2014年までを扱っているが、巻末の年表は2018年(プーチンの再選)まで追加している。近代以降の部分については、書くべき事柄がたくさんありすぎて、少し省略されているようにも感じたが、全体に、役に立つロシア通史と言えると思う。