2013年、カリフォルニア州バークリーにある老人ホーム「ラークハウス」に勤めるイリーナはモルドバ出身の若い女性。彼女は「ラークハウス」の入居者アルマ・ベラスコと親しくなり、仕事が終わった後に彼女専属の世話係として働くことになる。80歳を過ぎたアルマには秘められた恋があった…。
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アルマは姿を消してお忍びでどこかに出かけたかと思うとひょっこり戻り、また彼女のもとには毎週クチナシの花や手紙がどこからか届きます。さらには夫を亡くした後にレニーという老いた友人と親し気なつきあいがあるなど、どこか秘密めいた生活を送っています。ですからこの小説はミステリーの装いを見せるのです。
第二次大戦中のユダヤ人迫害や、「日本人の恋人」イチメイらの強制収容、戦後の保守的なアメリカ社会から60~70年代の若者と女性の変革の時代、そして80年代の共産主義国家の崩壊から現代のネット社会の闇まで、アルマ、そしてイリーナの人生に重ねて、ヨーロッパとアメリカの現代史が描かれていき、興趣が尽きません。
ポーランドから来たアルマ、日本の文化を持つイチメイ、モルドバ出身のイリーナと、移民社会アメリカならではの希望や葛藤を背景に、数十年にわたる機微に満ちた人間関係が徐々にその姿を現していく物語構成は見事です。
日本文化の描写について、日本刀の扱いが果たして実態に即しているのかと疑問に感じられる部分と、神社と寺院が混同されていると思われる節こそありますが、それでも、奥ゆかしくも穏やかなイチメイの性格描写は納得がいくものです。あの時代における日系人庭師とユダヤ人資産家の令嬢との恋の前にどれほどの障害が立ちはだかったことか。
そうした恋のたどる道の険しさと同時に胸に迫ったのは、老いに対する眼差しです。
「六十代のとき、死は自分とは関係のない、なにか抽象的なものと考えていた。七十代になると、話に出ないのですぐ忘れるが、いつか嫌でも訪ねてくる遠い親戚と認識した。ところが八十代に入ると、彼女になじんできて、イリーナとの会話にまで出るようになった」(180頁 アルマの心の声)
「シャワーの一滴一滴に、シャンプーで髪を洗ってくれる友人の手の感触に、夏の日のレモネードの心地よい冷たさに、至福を感じる覚醒した理性がキャシーにはあった。未来のことは考えない。今日という日があるだけだと」(189-190頁 車椅子生活を送る医師キャシーの心の声)
このように老いと折り合いをつける登場人物たちの心模様に、いつか私もたどり着くことができるだろうかと、不安と期待を感じながら頁を繰りました。
そして最後に明らかになるアルマの人生の秘密を目の当たりにしたとき、「愛と友情は老いることがない」ことの実相が確かな手ごたえとして私の手元に残りました。アルマの秘めたる人生の甘美な香りに包まれて頁を閉じたのでした。
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訳語の日本語が言葉足らずな個所がいくつもありました。必ずしも誤訳というわけではない場合もありますが、一読しただけでは意味が理解できない訳文に、読書が妨げられる思いをところどころでしました。河出書房新社の単行本ですから、いずれ文庫化されることでしょう。その際にこの翻訳が再検討されることを期待し、私が気になった訳文を以下に記しておきます。
*23頁:「どうして、きみに全財産を相続したのか?」とありますが、「相続する」とは「受け継ぐ」ことですから、財産を遺すほうがその財産を誰か【に】「相続する」ことはできません。「どうして、きみに全財産を相続させようとしたのか?」あるいは「どうして、きみに全財産を遺したのか?」とするべきです。原文の「Por qué te nombró su heredera universal?」は直訳すると、「どうしてきみを唯一の相続人に指定したのだ?」です。
*ベラスコ財団の創設者の曾孫Sethを「セツ」(29頁)、アルマのカリフォルニアに住む義理の伯父Isaacを「イサク」(44頁)、従姉Marthaを「マルタ」(45頁)、従兄Nathanielを「ナタニエル」(45頁)とカタカナ表記しています。彼らはユダヤ系だから旧約聖書風のカタカナ表記にしたのでしょうが、実際には全員アメリカで暮らしているのですからそれぞれ「セス」、「アイザック」、「マーサ」、「ナサニエル」と英語風に発音されていたはずです。
その一方で135頁に登場する「Vera Neumann」はベラ・ニューマンと英語風にカタカナ表記されています。Nathanielを「ナタニエル」とするなら、Vera Neumannは「ヴェラ・ノイマン」としないとカタカナ表記の基準が統一されていないことにならないでしょうか。
*66頁:キャシーが施設の病人たちにマリファナを都合してやる様子を描いたくだりで、「入口の前に客が列をなす光景もめずらしくない。美味なカステラ菓子やキャンディーまでふくめた様々な方法で彼らはマリファナを手に入れていた」とあります。「~までふくめた様々な方法で」という訳文では、客たちが菓子を代金がわりに差し出してマリファナと交換したかのように読者を勘違いさせるおそれがあります。
原文は「no era raro ver una cola de clientes frente a su puerta para obtener la hierba en varias formas, incluso como deliciosos bizcochos y caramelos.」で、これは「彼女の部屋の戸口に客が列をなす光景も珍しくなかった。客たちが受け取るマリファナの形状は様々で(la hierba en varias formas)、時にはおいしいスポンジケーキやキャンディーなどに練り込んであった」という意味です。アメリカのTVドラマを見ていると、マリファナを菓子類に焼き込んで病人に与える様子が頻繁に出てきます。
*69頁:ラークハウスの住人がオバマ大統領を「無人偵察機を使用している」と非難する場面が出てきますが、この場合は「無人爆撃機を使用している」と訳すべきです。スペイン語原文はオバマ大統領批判の理由を「por los drones」(ドローンの件で)と記していますが、オバマ大統領は無人機でただ単に「偵察」だけしていたわけではありません。パキスタンなどでドローンを使って爆撃をおこない、民間人の犠牲者を多数出したからこそ国際的批判を浴びたのです。
「オバマ米政権は1日、2009~2015年の間に米軍による無人機(ドローン)攻撃で死亡した民間人の数を発表し、イラクとアフガニスタン以外の地域で64~116人が死亡したとの推計を明らかにした。【…】具体的な国名は明かされていないものの、今回の発表には戦闘地域以外で死亡した人の数も含まれている。米軍や米中央情報局(CIA)はパキスタンやイエメン、アフリカ諸国で無人機攻撃を行っているとされる。」(2016.07.02付けのCNN電子版の記事より)
*80頁:タカオが移民としてカリフォルニアに渡った時の所持品の中に「手で彩色した両親の肖像」とあるのを読んで、「手で」彩色しない「肖像」画などはありえないのではないかと首をかしげてしまいました。原文は「un retrato de sus padres coloreado a mano」で、これは「両親の手彩色肖像写真」です。「un retrato coloreado a mano」は白黒の肖像写真に後から手で色付けしたもののことです。
*83頁:「大恐慌時代の失業者ふうにパン切れと貧者のスープを台所で立ち食いして食事をすませかねなかった。」とありますが、「パン切れ」と訳された箇所のスペイン語原文は「pan grueso」で、これは「十分に挽いていない小麦粉で作ったパン」のこと。「パン切れ」と訳すと量が少ないことが強調されているように見えますが、ここはパンの食感が硬いことが暗示されていると考えたほうがよいでしょう。
さらにいえば、「sopa de pobre」の直訳にあたる「貧者のスープ」というのは日本語としてこなれていない感じがしました。最近は生物兵器や化学兵器のことを「貧者の核兵器」と呼んだりするものの、この「貧者の」という形容句はまだ日本語で広く使われているとはいえません。一方、スペイン語の「de pobre」あるいは英語の「poor man’s」は、「同類よりも劣った/安価な/手軽な」ものという意味の成句です。例えばペットボトルを銃の消音器代わりに使うと、「poor man's silencer」(サイレンサーの代用品)と言ったりします。ですから「貧者のスープ」は大恐慌時代になんとか手に入る材料で作った「間に合わせのスープ」のことで、「スープとは名ばかりの汁」あるいは「形ばかりのスープ」、「ありあわせの具しか入っていないスープ」としたほうが日本人読者には理解しやすいと思います。
*95頁:日系アメリカ人が強制収容所で暮らすようになった「翌年」のトイレの話題が出てくるくだりで、「初期の病院の白人職員や、日系人医師と看護師の手にも負いきれなかった」という記述がありますが、「翌年」の話なのに「初期(=最初のころ)の病院」とあるのに首をかしげてしまいました。
原文は「el rudimentario hospital」で、rudimentarioには確かに「初期の」という意味はありますが、ここでは「ごく初歩的なつくりの病院」、「まだ設備やスタッフが充実していない医療施設」ということです。収容所暮らしも2年目になろうというのに医療環境はまだ万全とはいえない状態だといっているのです。
*119-120頁:「長老派の司祭」という言葉が出てきますが、プロテスタントである長老派には「司祭」はいません。原文では「un pastor presbiteriano」となっていて、これは「長老派の牧師」です。確かにスペイン語ではカトリックの聖職者にもpastorを使う例はありますが、日本語で訳す時は、カトリックは「司祭」、プロテスタントは「牧師」です。
*140頁:「強制収容所の開放」とありますが、原文は「la liberación del campo」ですから「開放(出入りが自由な状態にする)」ではなく「解放(束縛を解いて自由の身にする)」ではないでしょうか。
*164頁:老人ホームの図書館のことを指して「共通エリア」という訳語が出てきますが、集合住宅などの「la área común」は「共有エリア」あるいは「共用エリア」と訳すほうが一般的だと思います。
*164頁:「悲惨な群れをなして通りをうろつく犬をサンフランシスコに連れてきて、敏感な心の持ち主にひきとってもらおうという慈善団体だ」とありますが、「敏感な心の持ち主」という訳語がわかりにくいと感じました。原文は「y los traía a San Francisco para darlos en adopción a almas proclives a ese tipo de caridad」、つまり「犬をサンフランシスコに連れてきて、こうした慈善事業に関心を持っている人たちにひきとってもらっていた」ということです。
*188頁:「悠久の歴史をもつ僧侶なみの知恵」とありますが、原文は「su sabiduría de monje milenario」で、これは「千年生きた僧侶なみの智慧」ということ。「知恵」が「悠久の歴史を持つ」のではなく、「僧侶」が「千年生きた」ということです。ジョニー・デップやジュード・ロウ、コリン・ファレルが出演した映画『
Dr.パルナサスの鏡
』に登場するパルナサス博士が「1000年生きた僧侶」で、彼のことをスペイン語の記事では「un monje milenario」と紹介しています。「不死身の僧侶」といった感じでしょうか。
*191頁:「モルドバのような国々がアラブ首長国連邦やヨーロッパの娼館に若い女性の肉体を供給している」ことを「性的密売」と呼ぶ場面が出てきます。原文の「tráfico sexual」に日本語の定訳は確かにありませんが、「tráfico sexual」を含めた「tráfico de persona」つまり英語の「human trafficking」に対して日本政府は「人身取引」という訳語をあてて啓発活動をおこなっています。朝日新聞や毎日新聞、日経新聞も「人身取引」という用語でこの問題を報じてきました。ですから「tráfico sexual」には「性的密売」という耳慣れない言葉をあてるよりも、「性的搾取を目的とした人身取引」としたほうが日本人読者の耳には人口に膾炙した日本語として聞こえると思います。
「犯罪組織や悪質なブローカーが、女性や子どもを始めとした弱い立場にある人を、暴力や脅迫、誘拐、詐欺などの手段によって支配下に置いたり、引き渡したりして、売春や強制労働などの目的で搾取する『人身取引』。『トラフィッキング(Trafficking)』ともいわれる国際的な犯罪です。」(日本政府広報オンラインより引用)
*243頁:「彼いわく“ネズミ捕り”の部屋もひきはらえと言うのだが」とありますが、「いわく」は「~が言うには」という意味ですから、その文章の最後に「と言うのだが」と書くと意味が重複してしまいます。「彼は“ネズミ捕り”の部屋もひきはらえと言うのだが」としないと日本語としては奇妙です。
*248頁:「マルガリータのカクテル」とありますが、マルガリータ自体がカクテルの一種ですから、「マルガリータのカクテル」という日本語は奇妙です。「大根の野菜」とか「マグロの魚」と言ったりしたらおかしいでしょう。原文も「las margaritas」としか書かれていません。また、こういう海外小説を手に取る日本人読者ならマルガリータがカクテルであることくらい知っているでしょうから、「カクテルの一種であるマルガリータ」というほどのこともないでしょう。
*269頁:「バーベキューの用意をし、すぐにもソーセージと薄紅葵が焼けるように待っていた」とありますが、「薄紅葵」は日本語版ウィキペディアによれば「アオイ科ゼニアオイ属の多年草で草丈は60cmから、大きいものでは2mに達することもある。初夏から夏にかけて赤紫色の花を咲かせる」植物のことです。こんなものを焼いて食べるのは理屈に合わないと思って原文にあたったところ、「asar salchichas y malvaviscos」となっていました。これは「ソーセージとマシュマロを焼く」です。
日本ではなじみがないかもしれませんが、アメリカではマシュマロはバーベキューの定番料理で、串焼きにして楽しむものです。スペイン語版Wikipediaの「malvaviscos」の項には、マシュマロの串焼き写真が掲載されています。
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日本人の恋びと 単行本(ソフトカバー) – 2018/2/24
イサベル・アジェンデ
(著),
木村裕美
(翻訳)
アメリカの高齢者向け養護施設を舞台に、生涯の愛について、人生の秘密について、ミステリ仕立てで展開。アジェンデの新作!
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2018/2/24
- 寸法14.1 x 2.6 x 19.6 cm
- ISBN-104309207375
- ISBN-13978-4309207377
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商品の説明
著者について
イサベル・アジェンデ
1942年生まれ。ペルー生まれのチリ作家。ジャーナリストとして活躍中の73年、叔父のアジェンデ大統領が軍事クーデターで暗殺され、その時代に執筆した『精霊たちの家』が絶大な反響に。作品は多数ある。
1942年生まれ。ペルー生まれのチリ作家。ジャーナリストとして活躍中の73年、叔父のアジェンデ大統領が軍事クーデターで暗殺され、その時代に執筆した『精霊たちの家』が絶大な反響に。作品は多数ある。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2018/2/24)
- 発売日 : 2018/2/24
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 320ページ
- ISBN-10 : 4309207375
- ISBN-13 : 978-4309207377
- 寸法 : 14.1 x 2.6 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 620,624位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 207位スペイン文学
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年4月23日に日本でレビュー済み
2021年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は、単なるラブストーリーだけではない。登場人物が多く、それぞれのルーツや背景が複雑で、深い傷や逆らえない運命を背負っている。時代が第二次世界大戦中の激動の中で私たちが知らない辛い移民社会の歴史、人種差別や境遇、性別をこえた様々な現代性もあわせもつ密度のある内容ですが筆致は穏やかで読み易い。作者イサベル・アジェンデは72歳でこの作品を描いていて、自身の経験も活かされていのだろう。介護施設の個性溢れる人々がユニークに語られて面白い。
美しい装丁のゴッホの『花咲くアーモンドの木の枝』
初めはどうしてこの絵画にしたのだろう?と疑問に思いましたが、読み終わるとこの絵がアルマとイチと重なりしっくり合う。
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2019年12月12日に日本でレビュー済み
ゴッホ の花咲くアーモンドの木の枝の表紙が綺麗であり、日本人の恋人という海外小説のタイトルに目が惹かれました。
ジャポニズムにハマったゴッホ と木の枝という小説にも関連するセレクトは上手いですね。
序盤はすらすらと読み進める事ができる(主な登場人物の紹介ページもあるため、整理がしやすい)。
その後、話が過去に行ったり、紹介ページにない登場人物が出てきたりして、話が膨らみ、ラスト100頁辺りから登場人物の事情が明らかになっていく。
そのまま映画の脚本になりそうな物語です(こういう映画があったような気もしますが)。
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2021年1月7日に日本でレビュー済み
恋愛とは「美しき誤解」で結婚とはその「惨憺たる理解」だ、とある文芸評論家はおっしゃっていた。
確かにどんなに愛してるとその時は思っても、結婚してしまうと、その恋愛は終焉の始まりになるのかもしれない。結婚したまま恋愛し続けるというのは不可能に近い。愛が終われば、昔その人を愛していたことすら思い出せなくなる。
本当に純粋な恋愛はこの本のように、結婚に帰結しないときにこそ、続くのかもしれない。
美しい物語だった。このような人生を送ることができたなら、死ぬとき、本望だろうなあ。自分には、色々な意味でとても無理だけど。
こんな素敵な男性たちに囲まれて生き抜くことができたアルマが羨ましい。
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2021年1月19日に日本でレビュー済み
第一次世界大戦と第二次世界大戦にかけての時代、ポーランドの裕福な家に生まれ育った少女・アルマが、アメリカで暮らす親類の家に預けられ、そこで日本人移民の庭師の少年・イチメイと禁じられた恋に落ちる物語。
アルマの人生は、彼女を世話する老人介護施設のスタッフ・イリーナの視点から語られる。若き日のアルマはイチメイの子を妊娠したが中絶できず(結局流産)、全てを知りながら彼女を受け入れる従兄ナタニエルと偽装結婚し、イチメイとの密会を続ける。ナタニエルに理解がありすぎると思っていたら、物語の終盤になって、彼がエイズに冒されて亡くなり、実はバイセクシュアルだったと明かされる。やがてアルマも老衰のためにあの世へ旅立つが、臨終の瞬間にイチメイが病室の枕元に現れる…
重厚で壮大なラブロマンスを期待していたが、思ったより陳腐な内容だった。
アルマの人生は、彼女を世話する老人介護施設のスタッフ・イリーナの視点から語られる。若き日のアルマはイチメイの子を妊娠したが中絶できず(結局流産)、全てを知りながら彼女を受け入れる従兄ナタニエルと偽装結婚し、イチメイとの密会を続ける。ナタニエルに理解がありすぎると思っていたら、物語の終盤になって、彼がエイズに冒されて亡くなり、実はバイセクシュアルだったと明かされる。やがてアルマも老衰のためにあの世へ旅立つが、臨終の瞬間にイチメイが病室の枕元に現れる…
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2018年9月19日に日本でレビュー済み
感動しました。夢中で読みました。
あまり残酷でも、卑猥でもなく、たまに笑いながら素直に読めます。こういうのが最近とみに少ないと思います。
訳文の不明瞭な箇所も、他の方の卓越した解説があるのでぜひご覧になってください。すっきりしました。
作者がペルー生まれのチリの作家というところもすごいと思いました。アメリカが舞台で日本人を扱うなんて、自分だったらとても想像できません。
収穫でした!
あまり残酷でも、卑猥でもなく、たまに笑いながら素直に読めます。こういうのが最近とみに少ないと思います。
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2019年4月17日に日本でレビュー済み
二つの家族の歴史を背景にしたある種の大河小説といえようか。
舞台はラークハウスという老人ホーム。身体状況によって入居者はレベル1から4までに区分けされている。そこで働くイリーナ・バジーリィという若い女性と、レベル1という自立型のアパートメントに暮らす八十歳のアルマ・ベラスコが物語の中心である。
アルマには誰にも明かしていない秘密があるらしく、それを彼女の孫のセツ・ベラスコとイリーナが突き止めようとする過程と、それと前後してユダヤ人一家のベラスコ家と、そこの庭師だった日系人のフクダ家の物語が巧みに織り込まれていく。折々には日付の入った手紙も挿入される。毎週届けられるクチナシの花。転送されてくる手紙。二重、三重に張り巡らされた謎によって作品の奥行が増し、読者の興味を引き続ける。読者を不思議な謎に導きながら、登場人物たちのバックグラウンドが少しずつ明らかにされていく構成が実に見事だ。
歴史や社会の規範などによって別れることを余儀なくされた二人の恋びと。これは愛の物語ではあるが、同時に老いの物語でもあり、自立していたはずのアルマが少しずつ衰えていくその様子の描き方も秀逸だ。そしてまた、この作品がただのロマンチックな恋愛小説ではないことは、それぞれの家族の物語に歴史上の出来事がさりげなく刻まれていることにも表れている。
最後に特筆すべきは、「訳者あとがき」のすばらしさだ。これほど的確かつ簡潔にこの作品の内容とすばらしさを伝えたあとがきは読んだことがない。訳者の本作に対する強い思いが感じられるあとがきであった。
舞台はラークハウスという老人ホーム。身体状況によって入居者はレベル1から4までに区分けされている。そこで働くイリーナ・バジーリィという若い女性と、レベル1という自立型のアパートメントに暮らす八十歳のアルマ・ベラスコが物語の中心である。
アルマには誰にも明かしていない秘密があるらしく、それを彼女の孫のセツ・ベラスコとイリーナが突き止めようとする過程と、それと前後してユダヤ人一家のベラスコ家と、そこの庭師だった日系人のフクダ家の物語が巧みに織り込まれていく。折々には日付の入った手紙も挿入される。毎週届けられるクチナシの花。転送されてくる手紙。二重、三重に張り巡らされた謎によって作品の奥行が増し、読者の興味を引き続ける。読者を不思議な謎に導きながら、登場人物たちのバックグラウンドが少しずつ明らかにされていく構成が実に見事だ。
歴史や社会の規範などによって別れることを余儀なくされた二人の恋びと。これは愛の物語ではあるが、同時に老いの物語でもあり、自立していたはずのアルマが少しずつ衰えていくその様子の描き方も秀逸だ。そしてまた、この作品がただのロマンチックな恋愛小説ではないことは、それぞれの家族の物語に歴史上の出来事がさりげなく刻まれていることにも表れている。
最後に特筆すべきは、「訳者あとがき」のすばらしさだ。これほど的確かつ簡潔にこの作品の内容とすばらしさを伝えたあとがきは読んだことがない。訳者の本作に対する強い思いが感じられるあとがきであった。
2018年3月15日に日本でレビュー済み
介護施設ラークハウスで働く女性イリーナは、過去になにか謎めいた影のある女性だが、お年寄りたちの話を本当によく聞けるということで篤い信頼を得ている。ある日、自立心の強いアルマという女性入所者から、身の回りの整理などしてくれないか、と持ちかけられ、イリーナはアルマが送ってきた人生をすこしずつ垣間見ることになる。老いという重いテーマながら、表紙のアーモンドの花のように読み終わって満ち足りた気持ちになる。「愛と友情は老いることがない」というオビが全てを語っていると思う。