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満つる月の如し: 仏師・定朝 (徳間文庫 さ 31-7) 文庫 – 2014/10/3
澤田瞳子
(著)
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時は藤原道長が権勢を誇る平安時代。若き仏師・定朝はその才能を早くも発揮していた。道長をはじめとする顕官はもちろん、一般庶民も定朝の仏像を心の拠り所とすがった。が、定朝は煩悶していた。貧困、疫病が渦巻く現実を前に、仏像づくりにどんな意味があるのか、と。華やかでありながら権謀術数が渦巻く平安貴族の世界と、渦中に巻き込まれた定朝の清々しいまでの生涯を鮮やかに描く。第32回新田次郎文学賞受賞作。
- 本の長さ476ページ
- 言語日本語
- 出版社徳間書店
- 発売日2014/10/3
- 寸法10.7 x 1.8 x 14.9 cm
- ISBN-104198938997
- ISBN-13978-4198938994
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商品の説明
著者について
1977年京都府生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士前期課程修了。2011年、デビュー作『孤鷹の天』で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。13年『満つる月の如し 仏師・定朝』で、本屋が選ぶ時代小説大賞2012ならびに第32回新田次郎文学賞を受賞。その他の著書に『ふたり女房』『関越えの夜 東海道浮世がたり』(以上徳間書店)『日輪の賦』(幻冬舎)『夢も定かに』(中央公論新社)、エッセイ『京都はんなり暮し』(徳間文庫)がある。
登録情報
- 出版社 : 徳間書店 (2014/10/3)
- 発売日 : 2014/10/3
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 476ページ
- ISBN-10 : 4198938997
- ISBN-13 : 978-4198938994
- 寸法 : 10.7 x 1.8 x 14.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 93,385位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 446位徳間文庫
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年8月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
壮大な素晴らしい、歴史仏教ロマン小説だが、藤原王朝、仏教、仏像どれも消化不良。内容が壮大過ぎて、どれも描き切れていないのが残念。最初に藤原氏・天皇家関係図が記載されているが、もう1ページ登場人物の人間関係図;「定朝、隆範、道雅」、「彰子、小式部、中務(宥子)、敦明親王、教通」関係図をのせて置いて頂くと読みやすかったと思います。
2023年7月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容は面白いですが、奈良時代に「僕」という表現は使われていたのでしょうか?
セリフの部分になると、近現代を描いた小説を読んでいるような気がしてなりませんでした。
セリフの部分になると、近現代を描いた小説を読んでいるような気がしてなりませんでした。
2022年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
澤田瞳子さんの作品の虜になっています
2023年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
平安時代の貴族政治のゴタゴタは見る(読む)に耐えない。でも結末は良かった。
自らを犠牲にすることで罪を償い、自らの心を救う行動が印象的。そこに美しさを感じてしまう。
自らを犠牲にすることで罪を償い、自らの心を救う行動が印象的。そこに美しさを感じてしまう。
2021年8月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
時代設定当時の生活の様子も見えて、
歴史好き、仏像マニアも楽しめる、非常に面白い一冊である。
歴史好き、仏像マニアも楽しめる、非常に面白い一冊である。
2015年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『若冲』に続いて読みました。
「エンタメ」という批評や感想を見かけるとおり、青春の絶唱ストーリーの一面を感じました。
造仏の世界に寄木造という新たな工法と美を生み出し、多くの弟子をも世に出した稀代の仏師・定朝。
天賦の才に恵まれながら、貧しい人々の暮らしに触れて「この世に仏はおわすのか」と懊悩する定朝が、晩年、宇治平等院鳳凰堂の建築・造仏に至るまでの物語です。
藤原道長の専横に巻き込まれる殿上人、都の路地に生きる極貧層双方の世界を知る立場にあった定朝は、道長に駆追された名家出身の比叡山の学僧・隆範という庇護者を得て出世し、不遇の前帝皇女・中務の慈愛の姿に真の仏の姿も得て、造仏が盛んだった時代を生き抜きます。
隆範は、多忙を極める定朝に「そのような者たち(貧しき人々)のために仏を彫って何になるのか」と口走った一言によって、自罰の淵に沈み、もっぱら学僧としての修業に励みます。変わることなく定朝を庇護し、彼による仏姿の具現化を善として、捨身成仏のような最期を遂げます。しかし、その定朝が理想の仏を見出したのは、女房・中務の、慈愛というにはあまりに悲惨な最期の姿の中だったことに、苦い後味が残りました。つまるところ彼は、己の芸術欲や職人魂に獲って喰われていたのでは?芸術家って、ひどい。みたいな。。。「仏の存在を信じられなければ仏を信じる者を信じればよいのじゃ」と比叡山の稚児・甘楽丸に諭され、仕事に励むようになったた若き日の定朝に思い入れて読んでいたのに。。。でも、多感な時期の彼が見た下層民へのまなざしがそう簡単に消えるはずはない。彼が直接観ることができなかった仏を中務が観たのだ。それを貧しい人々にも!との強い衝動がきっかけとなったと信じるほかはありません。
定朝が理想の御仏像を(それも藤原氏の菩提のために)作り出すために、中務、隆範はじめ多くの人々の人生が、かく語られなければならなかったと思うと、平等院へ阿弥陀様に会いに行くのさえ、ためらわれるような気がしちゃいました。
全体として、小一条院、藤原道雅、小式部内侍など実在の人物の事件と主人公の行動がからめてあって、軽い知識欲を満たせます。当時の歴史物語なども読んでみたくなります。
また、一時に世界を絡め取ろうとするかのような道長の専横ぶりを、唯一、口に出して批判できた娘・彰子。この父娘の物語などにも、想像が膨らみます。
ひとりだけ、怨憎に巻き込まれることなく淡々と暮らす排斥された皇女がちらっと顔を出しますが、この人物の生き方も気になります。
終盤、彰子は、思いのたけをぶちまけて道長の不興をかいます。それが、宮中に外戚関係を張り巡らせるために利用された娘たちの声を代弁するものであっても、唐突で説明的に終わっているように思います。なにか、親子関係にまつわる作者の意図が隠れているのかな。
また、中務の死以降、定朝が平等院の造仏を成し遂げるまで、ジェットコースターのように話が流れてしまうのは残念でした。仏師集団の頂として大成してゆく過程や、配流後の隆範の生きざまについても、書き込んでほしかったです。結末へと、先を急いでいる感がありました。
多くの歴史事件の絡め方にも、ちょっと強引さを感じます。
折々書かれる情景描写(七条仏所や上品蓮台寺など実在する場所から遠望する、東山・比叡山など周囲の山々)が印象に残りました。これは『若冲』を読んだときにも同じことを思ったものです。
著者は、材料をたくさんもっておられるので、いつか主題や主人公の行動の動機を別のところにおいた新作品にも期待したいと思います。
「エンタメ」という批評や感想を見かけるとおり、青春の絶唱ストーリーの一面を感じました。
造仏の世界に寄木造という新たな工法と美を生み出し、多くの弟子をも世に出した稀代の仏師・定朝。
天賦の才に恵まれながら、貧しい人々の暮らしに触れて「この世に仏はおわすのか」と懊悩する定朝が、晩年、宇治平等院鳳凰堂の建築・造仏に至るまでの物語です。
藤原道長の専横に巻き込まれる殿上人、都の路地に生きる極貧層双方の世界を知る立場にあった定朝は、道長に駆追された名家出身の比叡山の学僧・隆範という庇護者を得て出世し、不遇の前帝皇女・中務の慈愛の姿に真の仏の姿も得て、造仏が盛んだった時代を生き抜きます。
隆範は、多忙を極める定朝に「そのような者たち(貧しき人々)のために仏を彫って何になるのか」と口走った一言によって、自罰の淵に沈み、もっぱら学僧としての修業に励みます。変わることなく定朝を庇護し、彼による仏姿の具現化を善として、捨身成仏のような最期を遂げます。しかし、その定朝が理想の仏を見出したのは、女房・中務の、慈愛というにはあまりに悲惨な最期の姿の中だったことに、苦い後味が残りました。つまるところ彼は、己の芸術欲や職人魂に獲って喰われていたのでは?芸術家って、ひどい。みたいな。。。「仏の存在を信じられなければ仏を信じる者を信じればよいのじゃ」と比叡山の稚児・甘楽丸に諭され、仕事に励むようになったた若き日の定朝に思い入れて読んでいたのに。。。でも、多感な時期の彼が見た下層民へのまなざしがそう簡単に消えるはずはない。彼が直接観ることができなかった仏を中務が観たのだ。それを貧しい人々にも!との強い衝動がきっかけとなったと信じるほかはありません。
定朝が理想の御仏像を(それも藤原氏の菩提のために)作り出すために、中務、隆範はじめ多くの人々の人生が、かく語られなければならなかったと思うと、平等院へ阿弥陀様に会いに行くのさえ、ためらわれるような気がしちゃいました。
全体として、小一条院、藤原道雅、小式部内侍など実在の人物の事件と主人公の行動がからめてあって、軽い知識欲を満たせます。当時の歴史物語なども読んでみたくなります。
また、一時に世界を絡め取ろうとするかのような道長の専横ぶりを、唯一、口に出して批判できた娘・彰子。この父娘の物語などにも、想像が膨らみます。
ひとりだけ、怨憎に巻き込まれることなく淡々と暮らす排斥された皇女がちらっと顔を出しますが、この人物の生き方も気になります。
終盤、彰子は、思いのたけをぶちまけて道長の不興をかいます。それが、宮中に外戚関係を張り巡らせるために利用された娘たちの声を代弁するものであっても、唐突で説明的に終わっているように思います。なにか、親子関係にまつわる作者の意図が隠れているのかな。
また、中務の死以降、定朝が平等院の造仏を成し遂げるまで、ジェットコースターのように話が流れてしまうのは残念でした。仏師集団の頂として大成してゆく過程や、配流後の隆範の生きざまについても、書き込んでほしかったです。結末へと、先を急いでいる感がありました。
多くの歴史事件の絡め方にも、ちょっと強引さを感じます。
折々書かれる情景描写(七条仏所や上品蓮台寺など実在する場所から遠望する、東山・比叡山など周囲の山々)が印象に残りました。これは『若冲』を読んだときにも同じことを思ったものです。
著者は、材料をたくさんもっておられるので、いつか主題や主人公の行動の動機を別のところにおいた新作品にも期待したいと思います。
2021年8月17日に日本でレビュー済み
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定朝が人間として、仏師になって行く姿が面白く描かれ、
また支えている周りの人物も素敵でした。
また支えている周りの人物も素敵でした。
2012年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
新聞の書評で★★★★★。縄田一男さんが、現時点における今年のベストの作品とあったので、読んでみました。悲しい、とてもいい小説です。
主人公は、仏師・定朝と比叡山の隆範。藤原道長の時代で、京都は、病人や盗賊で溢れている。貧しい人たちは、貧困と病気で倒れ、貴族たちは、権謀術数、男女の恋におぼれている。定朝が、こうした荒れた世の中、地獄に仏はいないと思うが、帝になれなかった敦明親王の狼藉と、それを愛ゆえに止めようとする中務(宥子)の顔に、慈悲の面を見つける。
この小説を読むには多少、歴史をおさえておいた方がいいかもしれないが、知らなくても、小説としてはたのしめます。
藤原道長(外戚)は、第一夫人の源倫子との間に、彰子(しょうし)、妍子(けんし)、威子(いし)、嬉子(きし)、頼通(よりみち/摂政)、教通(のりみち/権大納言・左近衛大将)を、第二夫人の源明子(めいし/高松殿)との間に、頼宗(権中納言)、顕信(あきのぶ)、能信(よしのぶ/権中納言)、寛子(かんし/小一乗院殿・敦明親王の妻)、隆子をもうけた。能信の妻は址子(しし)。
明子は、醍醐帝第十皇子源高明の娘であるが、東三条院・藤原詮子(せんし)のもとで育つ。
三条帝(67)の皇后は妍子(皇太后)、一条帝(66)の皇后(二人目)は彰子(大皇太后)、一条帝と彰子の子、敦成(あつひら)親王は後の後一条帝(68)でその皇后は、威子(中宮)。隆範(内供奉・ないぐぶ/比叡山院源座主の愛弟子)はその敦成親王のお気に入り。隆範の父は、高階成忠(たかしななりただ)で、一条帝の東宮学士(学者貴族)。
一条帝の一人目の皇后は、定子(ていし/中宮)で、道長の兄道隆の娘。一条帝と定子の子供は、脩子(しゅうし)内親王と敦康(あつやす)親王。
道隆と高階貴子(名族・紀氏)の子は、定子と伊周(これちか)、隆家、原子他。伊周は道長と戦いに破れる。伊周の子は、道雅(松君/左子近衛中将/中将さま・荒三位どの)と二人の娘。
三条帝の第一皇子は小一乗院・敦明親王(後、天舜)で、皇太子を辞退(させられた)。妻は寛子。幼なじみは中務(宥子)。三条帝の外孫の敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇/69)。嬉子は皇太弟敦良の妃。
主な登場人物。隆範、定朝、敦明親王、中務(宥子)、小式部内侍(母の和泉式部は夫がありながら、冷泉帝皇子為尊親王やその弟敦道親王と関係。その血を引く。槙子)、道雅、栄暹(えいせん)、小諾、康尚(定朝の父)、平時通(検非違使大尉・近衛府)、甘楽丸(かんらまる)、面伏(悪党)など。
(小説に出て来る歌)
むらさきの 雲路に渡る鐘の音に こころの月を託してもがな 少女(小諾/こなぎ、定朝の仏像を見て)
(極楽の紫雲まで響く鐘の音に、自分の内なる信心を託したいものです・・・)
今ぞこれ 雲間を行かんかりがねの 直ぐなる道を照らす影かな 隆範(小諾への返歌の予定だったが・・・)
(帰雁が雲間の月へ帰るかの如く、空を翔けてゆく。そのような御仏に向かおうとする真直ぐなわが心を、月の光が照らしてくれることよ)
大江山 いくのの道の遠ければ まだふみもみず天橋立 小式部 (→右大弁藤原定頼)
わが心 如何にせよとて 天駆ける黛(まゆずみ)覆ふ 有明の松 道雅(幼名は松君)
香塗れる 塔にな寄りそ 川隈(くま)の 屎鮒(くそぶな)食(は)める いたき女奴(めやっこ) 万葉集
白妙の 光にまがふ色みてや ひもとく花をかねて知るらむ 小諾 (→定朝)
池水に やどれる月はそれながら ながむる人のかげぞ変れる 敦明親王→中務(宥子)
知らざりつ 袖のみぬれてあやめ草 かかる闇路におひんものとは 敦明親王→中務(宥子)
(今まで知らずにいたことだ、泥の中に生える菖蒲を抜く際に袖が濡れるように、闇に迷う心に涙がこぼれ、このような暗い道に迷いこむとは・・・)
かすめては 嘆く心を知るとてや 西にかたぶく有明の月 中務→敦明親王
とどめおきて 誰をあはれと思うらむ 子はまさるらむ子はまさりけり 和泉式部→小式部
(引用)
「親王さま・・・・」
中務の頬を光るものが伝い、月影を浴びて白く輝いた。
(中略)
中務は濡れた頬を月光にさらしたまま、敦明親王を見つめている。憂いのあまり表情の欠落したその顔のなんと美しく、澄明であることか。
彼女のその横顔を見た瞬間、定朝の胸で何かが弾けた。罪業数知れぬ人間を深い慈悲の心で見守る阿弥陀仏の姿が、華奢な彼女の姿と重なってすぐに消えた。
(引用終)
(引用)
なぜ、中務はあれほど敦明を信じられるのであろう。(中略)そうだ、親王が狂気とも取れる振る舞いを見せたとき、彼女はどうするのだろう。絶望するのか、それともなおそれでも彼を信じ、手を差し伸べるのか。
彼女の顔にそのとき浮かぶのは、あの如来のそれと見まごう慈悲相か、あるいは裏切られた怒りに狂う、羅刹相か。
見たいーー。もし中務が彼に踏みつけにされてもなお、あの深い憂いに満ちた慈悲の相を消さぬのであれば。自分はひょっとしたらそこに、円満具足なること満つる月の如き、御仏の姿を見出せるかもしれない。(引用終)
(引用)
吸い込まれそうなほど深い慈しみを湛えた眼差し、微風に翻るかと見まごう軽やかな衲衣。
彼らが始めて見る新しい御仏が、そこにはあった。
「まるで、満つる月が如き尊容でございますな」
長い沈黙の末、覚助が吐息をもらしながら呟いたのに、小仏師たちがいっせいにうなずいた。
(隆範さま、やりましたぞーー)
不思議に充足感はなかった。ただ長年胸に溜め込んでいたものを出し切った深い空虚感に、定朝は身をひたしていた。
(引用終)
お時間あれば、読んでみて欲しい物語です。
主人公は、仏師・定朝と比叡山の隆範。藤原道長の時代で、京都は、病人や盗賊で溢れている。貧しい人たちは、貧困と病気で倒れ、貴族たちは、権謀術数、男女の恋におぼれている。定朝が、こうした荒れた世の中、地獄に仏はいないと思うが、帝になれなかった敦明親王の狼藉と、それを愛ゆえに止めようとする中務(宥子)の顔に、慈悲の面を見つける。
この小説を読むには多少、歴史をおさえておいた方がいいかもしれないが、知らなくても、小説としてはたのしめます。
藤原道長(外戚)は、第一夫人の源倫子との間に、彰子(しょうし)、妍子(けんし)、威子(いし)、嬉子(きし)、頼通(よりみち/摂政)、教通(のりみち/権大納言・左近衛大将)を、第二夫人の源明子(めいし/高松殿)との間に、頼宗(権中納言)、顕信(あきのぶ)、能信(よしのぶ/権中納言)、寛子(かんし/小一乗院殿・敦明親王の妻)、隆子をもうけた。能信の妻は址子(しし)。
明子は、醍醐帝第十皇子源高明の娘であるが、東三条院・藤原詮子(せんし)のもとで育つ。
三条帝(67)の皇后は妍子(皇太后)、一条帝(66)の皇后(二人目)は彰子(大皇太后)、一条帝と彰子の子、敦成(あつひら)親王は後の後一条帝(68)でその皇后は、威子(中宮)。隆範(内供奉・ないぐぶ/比叡山院源座主の愛弟子)はその敦成親王のお気に入り。隆範の父は、高階成忠(たかしななりただ)で、一条帝の東宮学士(学者貴族)。
一条帝の一人目の皇后は、定子(ていし/中宮)で、道長の兄道隆の娘。一条帝と定子の子供は、脩子(しゅうし)内親王と敦康(あつやす)親王。
道隆と高階貴子(名族・紀氏)の子は、定子と伊周(これちか)、隆家、原子他。伊周は道長と戦いに破れる。伊周の子は、道雅(松君/左子近衛中将/中将さま・荒三位どの)と二人の娘。
三条帝の第一皇子は小一乗院・敦明親王(後、天舜)で、皇太子を辞退(させられた)。妻は寛子。幼なじみは中務(宥子)。三条帝の外孫の敦良(あつなが)親王(後朱雀天皇/69)。嬉子は皇太弟敦良の妃。
主な登場人物。隆範、定朝、敦明親王、中務(宥子)、小式部内侍(母の和泉式部は夫がありながら、冷泉帝皇子為尊親王やその弟敦道親王と関係。その血を引く。槙子)、道雅、栄暹(えいせん)、小諾、康尚(定朝の父)、平時通(検非違使大尉・近衛府)、甘楽丸(かんらまる)、面伏(悪党)など。
(小説に出て来る歌)
むらさきの 雲路に渡る鐘の音に こころの月を託してもがな 少女(小諾/こなぎ、定朝の仏像を見て)
(極楽の紫雲まで響く鐘の音に、自分の内なる信心を託したいものです・・・)
今ぞこれ 雲間を行かんかりがねの 直ぐなる道を照らす影かな 隆範(小諾への返歌の予定だったが・・・)
(帰雁が雲間の月へ帰るかの如く、空を翔けてゆく。そのような御仏に向かおうとする真直ぐなわが心を、月の光が照らしてくれることよ)
大江山 いくのの道の遠ければ まだふみもみず天橋立 小式部 (→右大弁藤原定頼)
わが心 如何にせよとて 天駆ける黛(まゆずみ)覆ふ 有明の松 道雅(幼名は松君)
香塗れる 塔にな寄りそ 川隈(くま)の 屎鮒(くそぶな)食(は)める いたき女奴(めやっこ) 万葉集
白妙の 光にまがふ色みてや ひもとく花をかねて知るらむ 小諾 (→定朝)
池水に やどれる月はそれながら ながむる人のかげぞ変れる 敦明親王→中務(宥子)
知らざりつ 袖のみぬれてあやめ草 かかる闇路におひんものとは 敦明親王→中務(宥子)
(今まで知らずにいたことだ、泥の中に生える菖蒲を抜く際に袖が濡れるように、闇に迷う心に涙がこぼれ、このような暗い道に迷いこむとは・・・)
かすめては 嘆く心を知るとてや 西にかたぶく有明の月 中務→敦明親王
とどめおきて 誰をあはれと思うらむ 子はまさるらむ子はまさりけり 和泉式部→小式部
(引用)
「親王さま・・・・」
中務の頬を光るものが伝い、月影を浴びて白く輝いた。
(中略)
中務は濡れた頬を月光にさらしたまま、敦明親王を見つめている。憂いのあまり表情の欠落したその顔のなんと美しく、澄明であることか。
彼女のその横顔を見た瞬間、定朝の胸で何かが弾けた。罪業数知れぬ人間を深い慈悲の心で見守る阿弥陀仏の姿が、華奢な彼女の姿と重なってすぐに消えた。
(引用終)
(引用)
なぜ、中務はあれほど敦明を信じられるのであろう。(中略)そうだ、親王が狂気とも取れる振る舞いを見せたとき、彼女はどうするのだろう。絶望するのか、それともなおそれでも彼を信じ、手を差し伸べるのか。
彼女の顔にそのとき浮かぶのは、あの如来のそれと見まごう慈悲相か、あるいは裏切られた怒りに狂う、羅刹相か。
見たいーー。もし中務が彼に踏みつけにされてもなお、あの深い憂いに満ちた慈悲の相を消さぬのであれば。自分はひょっとしたらそこに、円満具足なること満つる月の如き、御仏の姿を見出せるかもしれない。(引用終)
(引用)
吸い込まれそうなほど深い慈しみを湛えた眼差し、微風に翻るかと見まごう軽やかな衲衣。
彼らが始めて見る新しい御仏が、そこにはあった。
「まるで、満つる月が如き尊容でございますな」
長い沈黙の末、覚助が吐息をもらしながら呟いたのに、小仏師たちがいっせいにうなずいた。
(隆範さま、やりましたぞーー)
不思議に充足感はなかった。ただ長年胸に溜め込んでいたものを出し切った深い空虚感に、定朝は身をひたしていた。
(引用終)
お時間あれば、読んでみて欲しい物語です。