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武術的立場 身体を通して時代を読む (文春文庫 う 19-8) 文庫 – 2010/9/3
閉塞感のある社会に風穴を開ける2人が、縦横無尽に語り合った教育改革、若者の知的問題、飽食のジレンマなど、憂国的武術対談!
- 本の長さ314ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2010/9/3
- ISBN-104167773988
- ISBN-13978-4167773984
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2010/9/3)
- 発売日 : 2010/9/3
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 314ページ
- ISBN-10 : 4167773988
- ISBN-13 : 978-4167773984
- Amazon 売れ筋ランキング: - 642,402位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 7,461位文春文庫
- カスタマーレビュー:
著者について
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1950(昭和25)年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門はフランス現代思想。ブログ「内田樹の研究室」を拠点に武道(合気道六段)、ユダヤ、教育、アメリカ、中国、メディアなど幅広いテーマを縦横無尽に論じて多くの読者を得ている。『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第六回小林秀雄賞受賞、『日本辺境論』(新潮新書)で第三回新書大賞を受賞。二〇一〇年七月より大阪市特別顧問に就任。近著に『沈む日本を愛せますか?』(高橋源一郎との共著、ロッキング・オン)、『もういちど村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)、『武道的思考』(筑摩選書)、『街場のマンガ論』(小学館)、『おせっかい教育論』(鷲田清一他との共著、140B)、『街場のメディア論』(光文社新書)、『若者よ、マルクスを読もう』(石川康宏との共著、かもがわ出版)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良書に決まっていますが,まだいくらも読んではいないので。2人の本はどちらも読んでいますが,2人が対談するとどうだろうという期待はたしかにあります。楽しみにしています。
2015年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内田先生の身体論が対話の中で見事に表現されている。素晴らしい。
2017年7月7日に日本でレビュー済み
何回かに分けて行われた二人の対話をつなげたもの。
甲野氏の言葉は文章から、訥々と話す言葉がずれることなく
一言一言読者に向かって真っ直ぐに着実に向かってくる。が
内田氏は、きっとものすごく頭の回転が早い人なのだろう
文章なのに、すごい早口で話が左右にゆれながらこちらに
向かってくるような感じを受けて、何度も本をおきました。
甲野氏が子供に受身を覚えさせる方がいいとか、木刀の
もち方から体の動き方がどうかわるかとか、具体的な話で
非常にわかりやすいのに対し、内田氏の話は
たくさんのボキャブラリーを使って非常に饒舌であるのに
ただただマシンガンで打ちまくっているような印象でした。
きっと私の読解力が不足しているか、相性が悪いかのどちらかなのでしょう。
対話の内容は非常に興味深いものでしたが、マシンガンに疲れてしまいました。
甲野氏の言葉は文章から、訥々と話す言葉がずれることなく
一言一言読者に向かって真っ直ぐに着実に向かってくる。が
内田氏は、きっとものすごく頭の回転が早い人なのだろう
文章なのに、すごい早口で話が左右にゆれながらこちらに
向かってくるような感じを受けて、何度も本をおきました。
甲野氏が子供に受身を覚えさせる方がいいとか、木刀の
もち方から体の動き方がどうかわるかとか、具体的な話で
非常にわかりやすいのに対し、内田氏の話は
たくさんのボキャブラリーを使って非常に饒舌であるのに
ただただマシンガンで打ちまくっているような印象でした。
きっと私の読解力が不足しているか、相性が悪いかのどちらかなのでしょう。
対話の内容は非常に興味深いものでしたが、マシンガンに疲れてしまいました。
2015年6月28日に日本でレビュー済み
一流ほど、取り組んでいる対象の奥深さを知るので、
自己評価が厳しくなるのだなと思いました。
結果、常に成長過程という意識を持っていていて、
その過程を自身の未知の可能性として楽しんでいるそうです。
また、成長過程における「基本」の面白さは、
成長のステージに応じて、意味付けが変わってくるからであり、
ふと、思い出したのは、野球の例で、
山本昌選手は、キャッチボールという基本的な練習を
非常に重視されているそうです。
そして、断絶的な成長について、以下のような記述があります。
『いくら変化しても、変化の仕方が変化しない人が「凡人」であり、変化する度に、
変化する仕方そのものまで変化する人が「天才」というのではないか、と思ったのです。
…進化におけるこの断絶が天才の天才性の徴ではないかと僕は思います。』(P183)
身体論を通じた、成長するためのヒントを得るための読み方ができる作品です。
自己評価が厳しくなるのだなと思いました。
結果、常に成長過程という意識を持っていていて、
その過程を自身の未知の可能性として楽しんでいるそうです。
また、成長過程における「基本」の面白さは、
成長のステージに応じて、意味付けが変わってくるからであり、
ふと、思い出したのは、野球の例で、
山本昌選手は、キャッチボールという基本的な練習を
非常に重視されているそうです。
そして、断絶的な成長について、以下のような記述があります。
『いくら変化しても、変化の仕方が変化しない人が「凡人」であり、変化する度に、
変化する仕方そのものまで変化する人が「天才」というのではないか、と思ったのです。
…進化におけるこの断絶が天才の天才性の徴ではないかと僕は思います。』(P183)
身体論を通じた、成長するためのヒントを得るための読み方ができる作品です。
2011年12月11日に日本でレビュー済み
本書を読んで改めて身体というものを考える良い機会となった。
マラソンを走っている際に一番疲れるのは実は「脳」であるということが僕の乏しいマラソン体験からの感想である。走っている間にひたすら考えることは、走っている速度や残りの距離の計算だけではない。当然ながら足の調子、体の疲れ具合等、自分の体との「対話」を強いられる時間帯でもある。日常生活では考えないくらい体調というものを考えさせられ、その結果頭が疲れてくるのだ。僕はアマチュアのランナーなのでこれで済むが、プロのランナーは更に競争相手との駆け引きもある。本当に頭が疲れるだろうと想像する次第だ。
そうした身体との対話の中で、改めて驚くことは、走っている際にも僕らは様々な情報収集と対応策を即座に行っているということだ。路面の具合や、傾斜、小石の存在等を目だけではなく足の裏で感じ取り、一瞬に判断して走り方を変えることの連続が「走る」ということである。その際に僕らは無意識にそれをやっているし、また無意識でやれない限り、とても走るということなどは不可能である。
一言で言うと「足が考えている」ということだ。
条件反射のテストがある。脛を叩かれると足が自動的に動くという話だ。僕としては、あの不思議な現象も「足が考えている」ということなのではないかと思える。
そうした「脳以外で考える」という視点で本書を読むことは時として新鮮である。本書で紹介されている「重いものを持つ際に意外と軽いと体のバランスが崩れる」という話も、「身体が何を考えているのか」という一例として読むことも出来る。
本書を読む限り、武術とは他者との「対話」であるということらしい。その「他者」とは「他人」であることもあれば、上記の「重いもの」も「他者」に含まれると思う。もっと言うと「脳」にとっては自分の身体ですら「他者」の一つであるはずだ。
そうした「他者との対話」が武術であるという点で、本書が優れた「他者との対話法」足りえていると僕は思う。本書で展開される教育論や社会論は時としてユニークであるが、他者と自分がどう対話するのかという極めて大きなテーマを武術という切り口で切り取ることに新鮮味がある。マラソンにおいても自分の身体と脳との間の対話が疲労の一因であると考える僕にとっては非常に面白く読めた次第だ。
マラソンを走っている際に一番疲れるのは実は「脳」であるということが僕の乏しいマラソン体験からの感想である。走っている間にひたすら考えることは、走っている速度や残りの距離の計算だけではない。当然ながら足の調子、体の疲れ具合等、自分の体との「対話」を強いられる時間帯でもある。日常生活では考えないくらい体調というものを考えさせられ、その結果頭が疲れてくるのだ。僕はアマチュアのランナーなのでこれで済むが、プロのランナーは更に競争相手との駆け引きもある。本当に頭が疲れるだろうと想像する次第だ。
そうした身体との対話の中で、改めて驚くことは、走っている際にも僕らは様々な情報収集と対応策を即座に行っているということだ。路面の具合や、傾斜、小石の存在等を目だけではなく足の裏で感じ取り、一瞬に判断して走り方を変えることの連続が「走る」ということである。その際に僕らは無意識にそれをやっているし、また無意識でやれない限り、とても走るということなどは不可能である。
一言で言うと「足が考えている」ということだ。
条件反射のテストがある。脛を叩かれると足が自動的に動くという話だ。僕としては、あの不思議な現象も「足が考えている」ということなのではないかと思える。
そうした「脳以外で考える」という視点で本書を読むことは時として新鮮である。本書で紹介されている「重いものを持つ際に意外と軽いと体のバランスが崩れる」という話も、「身体が何を考えているのか」という一例として読むことも出来る。
本書を読む限り、武術とは他者との「対話」であるということらしい。その「他者」とは「他人」であることもあれば、上記の「重いもの」も「他者」に含まれると思う。もっと言うと「脳」にとっては自分の身体ですら「他者」の一つであるはずだ。
そうした「他者との対話」が武術であるという点で、本書が優れた「他者との対話法」足りえていると僕は思う。本書で展開される教育論や社会論は時としてユニークであるが、他者と自分がどう対話するのかという極めて大きなテーマを武術という切り口で切り取ることに新鮮味がある。マラソンにおいても自分の身体と脳との間の対話が疲労の一因であると考える僕にとっては非常に面白く読めた次第だ。
2013年6月16日に日本でレビュー済み
「健全なる身体には健全なる精神が宿る」として「武道」では精神的な鍛錬が重きを置かれている。しかし実態は、支配者に対する絶対服従に耐えうる我慢強さの鍛錬となり、自分ではものを考えず、ひたすら服従する者を優れた精神の持ち主だといわれる傾向がある。それに対して甲野氏は自分で能動的に考え課題を解決してゆくことに重きを置く。礼儀については重視するものの、主従のこだわりはない。
本書を読むと、伝統的な武道的な考え方と、それより古い古武術を研究する甲野氏のほうが現代人の感覚に近いように思われる。そんな甲野氏が内田樹と対談形式で現代の課題について考えを述べているが、その感覚はなぜか新鮮に感じる。武道的な考え方は現代の日本人には伝統として染みついているが、その起源は明治維新と比較的新しく、日本人の伝統はそこで一度断絶されている。それ以前の「武術」における考え方は思った以上に合理的で理にかなったもののように思われるのは私だけだろうか。
本書を読むと、伝統的な武道的な考え方と、それより古い古武術を研究する甲野氏のほうが現代人の感覚に近いように思われる。そんな甲野氏が内田樹と対談形式で現代の課題について考えを述べているが、その感覚はなぜか新鮮に感じる。武道的な考え方は現代の日本人には伝統として染みついているが、その起源は明治維新と比較的新しく、日本人の伝統はそこで一度断絶されている。それ以前の「武術」における考え方は思った以上に合理的で理にかなったもののように思われるのは私だけだろうか。
2015年3月24日に日本でレビュー済み
私は読了して投げ出してしまいました。
内田氏というのは、旦那芸で合気道をやっている程度の人なのでしょうか?
甲野師と話が噛み合っておらず、かなり我が強い人とお見受けしました。
内田氏というのは、旦那芸で合気道をやっている程度の人なのでしょうか?
甲野師と話が噛み合っておらず、かなり我が強い人とお見受けしました。