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一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫 306-5) 文庫 – 1987/8/8
山本 七平
(著)
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「帝国陸軍」とは一体何だったのか。
この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として苛酷な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す一冊。
目次より 〝大に事(つか)える主義〟/すべて欠、欠、欠……。/だれも知らぬ対米戦闘法/地獄の輸送船生活/石の雨と鼻の雨と/現地を知らぬ帝国陸軍/私物命令・気魄という名の演技/参謀のシナリオと演技の跡/組織と自殺/敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち/言葉と秩序と暴力/統帥権・戦費・実力者/組織の名誉と信義/あとがき
この、すべてが規則ずくめで超保守的な一大機構を、ルソン島で砲兵隊本部の少尉として苛酷な体験をした著者が、戦争最末期の戦闘、敗走、そして捕虜生活を語り、徹底的に分析し、追及する。現代の日本的組織の歪み、日本人の特異な思考法を透視する山本流日本論の端緒を成す一冊。
目次より 〝大に事(つか)える主義〟/すべて欠、欠、欠……。/だれも知らぬ対米戦闘法/地獄の輸送船生活/石の雨と鼻の雨と/現地を知らぬ帝国陸軍/私物命令・気魄という名の演技/参謀のシナリオと演技の跡/組織と自殺/敗戦の瞬間、戦争責任から出家遁世した閣下たち/言葉と秩序と暴力/統帥権・戦費・実力者/組織の名誉と信義/あとがき
- 本の長さ345ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1987/8/8
- ISBN-104167306050
- ISBN-13978-4167306052
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1987/8/8)
- 発売日 : 1987/8/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 345ページ
- ISBN-10 : 4167306050
- ISBN-13 : 978-4167306052
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- - 98位その他戦争関連書籍
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2024年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代の「社畜」に通じる。世界を見ない、独りよがりの基準で、組織に犠牲が強いられていて、昔も今も変わらない。人は変わらない。同じだったのだと、感じた。
2023年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
山本七平さんは御名前も創世記に由来するクリスチャンですがルソンでは砲科で闘われ当書は軍務中の事を中心に書かれています、死線を超えた彼の透徹した視線は能く日本の宿痾を抉り、今も読む価値を喪わない。保守的な論調ですが、再び屍山血河をもたらすまいという彼なりの福音なのです。小室直樹さんとは親友と申し上げてよい交友がありました、併せてお読み下さい。
2023年10月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
帝国陸軍が如何に動脈硬化を起こしていたか、のみならず現代にも通じる
点が多いことを指摘しておられ、結果として日本人論になっています。
山本さんの文章は概して論点が多方面に亘りかつ深いので、なかなか一言で
まとめるのは難しいですが、員数主義、事大主義、現場無視の戦闘指導云々
いちいち共感できる分析内容だと思いました。
点が多いことを指摘しておられ、結果として日本人論になっています。
山本さんの文章は概して論点が多方面に亘りかつ深いので、なかなか一言で
まとめるのは難しいですが、員数主義、事大主義、現場無視の戦闘指導云々
いちいち共感できる分析内容だと思いました。
2023年8月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本陸軍と言う組織の駄目さを、山本先生が自身の過酷な従軍体験を背景に詳説した本。
しかし、日本陸軍に向けられたモノでは無く、今の日本も結局の所は、大日本帝国陸軍と変わらないと論じておられます。
私自身会社員で、自身の会社が経営不振に陥った時の対応や経営陣の言動が、帝国陸軍のソレで、本書に強く共感いたしました。
組織が駄目になる時に、何が起こるか、どういう考えになるのか、本書を読めば予め学習できます。
また、山本先生の従軍体験は過酷の一言で、戦記ドキュメンタリーとしても一級品です。
にしても、山本先生の記憶力の緻密さには頭が下がります。
こんなに辛い記憶を覚えている事は私では耐えられません。
惜しむらくは、長命して頂き、半藤一利先生司会で司馬遼太郎先生と対談されたら、歴史に残る対談が出来たのではないかと思いました。
しかし、日本陸軍に向けられたモノでは無く、今の日本も結局の所は、大日本帝国陸軍と変わらないと論じておられます。
私自身会社員で、自身の会社が経営不振に陥った時の対応や経営陣の言動が、帝国陸軍のソレで、本書に強く共感いたしました。
組織が駄目になる時に、何が起こるか、どういう考えになるのか、本書を読めば予め学習できます。
また、山本先生の従軍体験は過酷の一言で、戦記ドキュメンタリーとしても一級品です。
にしても、山本先生の記憶力の緻密さには頭が下がります。
こんなに辛い記憶を覚えている事は私では耐えられません。
惜しむらくは、長命して頂き、半藤一利先生司会で司馬遼太郎先生と対談されたら、歴史に残る対談が出来たのではないかと思いました。
2021年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
非常にショッキングな本だと思います。
戦争のおそろしさ・生々しさは言うに及ばす、硬直的・融通無碍で変われない帝国陸軍の構造的な欠陥にショックをうけました。
自分の祖父達が、こんなに下らない組織のためにシベリアや中国に連れていかれたのかと思うと、悲しくやるせない気持ちになります。
・・・
改めて全体を概観しますと、本作は、筆者山本氏が青学卒業と共に徴兵され、訓練を受け、その後フィリピンへ送られ、死の淵を彷徨いながらもかろうじて生還した、という話です。回想の中で語られるのは、帝国陸軍の愚かさ・駄目さ加減です。
まず、筆者は砲兵として訓練を受けます。のっけの訓練からずっこける。先ずその訓練は対ロシアを念頭に置いており、武器も旧式、そして戦術も1944年当時で既に20年前の技術だったという。しかも訓練指導者は大いに自信過剰。
『そのくせみな急いでいた、あわてていた。だがリアリティが欠けていた。そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探求も模索もない。全員が静かなる方向へ、やみくもに速度を増して駆け出しているような感じだった(P.37)』
その後、ロシアではなく対米国向け訓練を受けることになるも、教官が南方での対米戦の要諦を知らない。よって、今までの訓練を踏襲するという。つまり訓練そのものが無意味であり、それを誰もが分かっているものの変えられない固定的な低レベルの組織が浮かびあがります。
本部からの命令には歯向かうことができず、若手の幹部候補はアイディアのかけらもない。他方下級古参兵は訓練内容などには無関心(自分では決められないし)であり、ただただ、二回り以上年下の幹部に歯向かわないように組織を維持する(筆者はこれを『自転する』と表現しています)。
このような経験もあってか、筆者は、固定的な身分制度から能力本意への昇進を提案しています。このような話は官僚のキャリア制度や企業の学歴偏重にもつながる話でもあります。
戦地での話もひどい。例えば砲台を運搬する話。当初は現地では馬でも牛でもあるといって、日本からフィリピンへ送られてきた砲兵と砲台。到着すると、馬も牛もいない。山道を伝い目的地まで運べ、とその命令だけが絶対。100キロを超える砲台をどうやって運ぶというのか。一切何の考慮もない命令に、砲兵部隊の上官は「思考停止」、ましては末端の兵士も「思考停止」。兎に角やるしかない、とあきらめた先には、機械のように只々現実を耐えるしかなくなってしまう。
私は証券会社時代の営業を思い出しました。「おい、お願いだからよぉ、やってくれって言ってんだよ!困った顔してないでさっさと売って来いよぉ!」
ノルマ商品が残っている夜8時。考える時間も与えられず、とにかく動くことを強要され、結局断られた顧客にまた電話して、あんまり電話するものだから嫌がられる。自分も自分で、もう売れるわけないと思いつつ、只々今その時間が過ぎて一日終わることだけを願いつつ電話を握る日々。どうすれば断られた顧客に売れるのかなんて上司が答えを持っていない。
私のへぼい営業体験を比べるのも失礼だが、上が聞く耳を持たないと、組織の中下流にしわ寄せがきます。中間管理職もへぼい場合、あるいは問題が余りにも大きい場合、組織は「思考停止」してしまうのでしょう。
もうひとつだけ。有名なバターン死の行進についても語られています。
筆者はやや戸惑いながらも蛮行について概ね反論しています。曰く、日本兵自身はより過酷な状況におり、米軍捕虜に対しては温情をもって接していたと。ただ、米軍からすればそれは過酷過ぎたということでしょうか。豊かさの差が引き起こした悲劇かもしれません。
『あれが、”死の行進”ならオレたちの行軍は何だったのだ』『きっと”地獄の行進”だろ』『あれが”米兵への罪”で死刑になるんなら、日本軍の司令官は”日本兵への罪”で全部死刑だな』
被害関係者には申し訳ない気持ちも湧きますが、もし加害者が故意でないとすれば、その子孫である我々もまだ多少は救われるかもしれません。
・・・
これ以外にも、軍部で見られた奇々怪々なる現象が多く語られます。ドラマティック大声野郎が何故かいつの間にか舞台を動かす。なぜか上官は戦後も責任を取らず、悠々と捕虜生活を送る。兵士はおろか国民すら守る気もなかった軍幹部。
歴史を勉強していると、第二次世界大戦で日本は欧米にハメられた、という論調も時に見られますが、日本軍部の精神構造も十分腐っていたのではと思わずにはいられない作品でした。そしてその精神構造の一部は、幾分かは未だに我々が引き継いで保持しているメンタリティである気がします(プライド・意地・組織を守る等々)。
悲惨な戦争への教訓としてのみならず、腐った組織の完成形として反面教師としてパンチ力十分な教材です。学生、ビジネスマン、主婦・主夫、引退した方、組織と人を考える全ての方々に読んでいただきたい作品です。
戦争のおそろしさ・生々しさは言うに及ばす、硬直的・融通無碍で変われない帝国陸軍の構造的な欠陥にショックをうけました。
自分の祖父達が、こんなに下らない組織のためにシベリアや中国に連れていかれたのかと思うと、悲しくやるせない気持ちになります。
・・・
改めて全体を概観しますと、本作は、筆者山本氏が青学卒業と共に徴兵され、訓練を受け、その後フィリピンへ送られ、死の淵を彷徨いながらもかろうじて生還した、という話です。回想の中で語られるのは、帝国陸軍の愚かさ・駄目さ加減です。
まず、筆者は砲兵として訓練を受けます。のっけの訓練からずっこける。先ずその訓練は対ロシアを念頭に置いており、武器も旧式、そして戦術も1944年当時で既に20年前の技術だったという。しかも訓練指導者は大いに自信過剰。
『そのくせみな急いでいた、あわてていた。だがリアリティが欠けていた。そこには、はっきりした目標も、その目標に到達するための合理的な方法の探求も模索もない。全員が静かなる方向へ、やみくもに速度を増して駆け出しているような感じだった(P.37)』
その後、ロシアではなく対米国向け訓練を受けることになるも、教官が南方での対米戦の要諦を知らない。よって、今までの訓練を踏襲するという。つまり訓練そのものが無意味であり、それを誰もが分かっているものの変えられない固定的な低レベルの組織が浮かびあがります。
本部からの命令には歯向かうことができず、若手の幹部候補はアイディアのかけらもない。他方下級古参兵は訓練内容などには無関心(自分では決められないし)であり、ただただ、二回り以上年下の幹部に歯向かわないように組織を維持する(筆者はこれを『自転する』と表現しています)。
このような経験もあってか、筆者は、固定的な身分制度から能力本意への昇進を提案しています。このような話は官僚のキャリア制度や企業の学歴偏重にもつながる話でもあります。
戦地での話もひどい。例えば砲台を運搬する話。当初は現地では馬でも牛でもあるといって、日本からフィリピンへ送られてきた砲兵と砲台。到着すると、馬も牛もいない。山道を伝い目的地まで運べ、とその命令だけが絶対。100キロを超える砲台をどうやって運ぶというのか。一切何の考慮もない命令に、砲兵部隊の上官は「思考停止」、ましては末端の兵士も「思考停止」。兎に角やるしかない、とあきらめた先には、機械のように只々現実を耐えるしかなくなってしまう。
私は証券会社時代の営業を思い出しました。「おい、お願いだからよぉ、やってくれって言ってんだよ!困った顔してないでさっさと売って来いよぉ!」
ノルマ商品が残っている夜8時。考える時間も与えられず、とにかく動くことを強要され、結局断られた顧客にまた電話して、あんまり電話するものだから嫌がられる。自分も自分で、もう売れるわけないと思いつつ、只々今その時間が過ぎて一日終わることだけを願いつつ電話を握る日々。どうすれば断られた顧客に売れるのかなんて上司が答えを持っていない。
私のへぼい営業体験を比べるのも失礼だが、上が聞く耳を持たないと、組織の中下流にしわ寄せがきます。中間管理職もへぼい場合、あるいは問題が余りにも大きい場合、組織は「思考停止」してしまうのでしょう。
もうひとつだけ。有名なバターン死の行進についても語られています。
筆者はやや戸惑いながらも蛮行について概ね反論しています。曰く、日本兵自身はより過酷な状況におり、米軍捕虜に対しては温情をもって接していたと。ただ、米軍からすればそれは過酷過ぎたということでしょうか。豊かさの差が引き起こした悲劇かもしれません。
『あれが、”死の行進”ならオレたちの行軍は何だったのだ』『きっと”地獄の行進”だろ』『あれが”米兵への罪”で死刑になるんなら、日本軍の司令官は”日本兵への罪”で全部死刑だな』
被害関係者には申し訳ない気持ちも湧きますが、もし加害者が故意でないとすれば、その子孫である我々もまだ多少は救われるかもしれません。
・・・
これ以外にも、軍部で見られた奇々怪々なる現象が多く語られます。ドラマティック大声野郎が何故かいつの間にか舞台を動かす。なぜか上官は戦後も責任を取らず、悠々と捕虜生活を送る。兵士はおろか国民すら守る気もなかった軍幹部。
歴史を勉強していると、第二次世界大戦で日本は欧米にハメられた、という論調も時に見られますが、日本軍部の精神構造も十分腐っていたのではと思わずにはいられない作品でした。そしてその精神構造の一部は、幾分かは未だに我々が引き継いで保持しているメンタリティである気がします(プライド・意地・組織を守る等々)。
悲惨な戦争への教訓としてのみならず、腐った組織の完成形として反面教師としてパンチ力十分な教材です。学生、ビジネスマン、主婦・主夫、引退した方、組織と人を考える全ての方々に読んでいただきたい作品です。
2018年6月25日に日本でレビュー済み
平成も30年の終わりの2018年に1976年初版の兵役戦地体験談を読む。
という視点で読了。語られている戦地エピソードは南方ルソン戦線
砲兵部隊インテリ下士官から視点という意味でも興味深い点は多数ありました。
しかし執筆当時の社会情勢、一連の連合赤軍リンチから田中角栄ロッキード事件と
組織としての旧陸軍の類似性批判辺りまではまあ「そんな時代だったんだろうな」
だったのですが、昭和49年(1974)小野田寛郎さん帰国時の彼のことばや周辺の反応を
冷ややかに批判しているのには自虐史観の間違いに目覚めた(^_^;バブル世代としてはウンザリ。
山本の著作は2冊(空気の~ 日本人とユダヤ人)しか読んだことがなく、
左派左翼というほどではない作家評論家という認識だったのですが、
ここまで冷戦期左派的視点の旧軍批判エッセイも書いていたのですね。
朝日新聞は自社の出版書籍ではいまだに感情的扇動調で日本的なるものを
著者に批判させるのを得意(近例2015新書:京都ぎらい)伝統としていますが、
山本七平へも朝日からそのような執筆依頼アプローチだったのでしょうか?
デタラメなノンフィクション悪書として有名な本多勝一中国の旅の初版が
昭和47年(1972年)ですが、当時の出版編集者や言論人、ひいてはアカデミズムに至るまで
どのように東京裁判自虐史観が躊躇いもなく書物や言論、メディアの世界に
一般化していったのか当のアカデミズム自身からそろそろ解明されるべきだと思います。
という視点で読了。語られている戦地エピソードは南方ルソン戦線
砲兵部隊インテリ下士官から視点という意味でも興味深い点は多数ありました。
しかし執筆当時の社会情勢、一連の連合赤軍リンチから田中角栄ロッキード事件と
組織としての旧陸軍の類似性批判辺りまではまあ「そんな時代だったんだろうな」
だったのですが、昭和49年(1974)小野田寛郎さん帰国時の彼のことばや周辺の反応を
冷ややかに批判しているのには自虐史観の間違いに目覚めた(^_^;バブル世代としてはウンザリ。
山本の著作は2冊(空気の~ 日本人とユダヤ人)しか読んだことがなく、
左派左翼というほどではない作家評論家という認識だったのですが、
ここまで冷戦期左派的視点の旧軍批判エッセイも書いていたのですね。
朝日新聞は自社の出版書籍ではいまだに感情的扇動調で日本的なるものを
著者に批判させるのを得意(近例2015新書:京都ぎらい)伝統としていますが、
山本七平へも朝日からそのような執筆依頼アプローチだったのでしょうか?
デタラメなノンフィクション悪書として有名な本多勝一中国の旅の初版が
昭和47年(1972年)ですが、当時の出版編集者や言論人、ひいてはアカデミズムに至るまで
どのように東京裁判自虐史観が躊躇いもなく書物や言論、メディアの世界に
一般化していったのか当のアカデミズム自身からそろそろ解明されるべきだと思います。
2020年11月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
同じ階級で招集をされて戦地に赴いても決定的に異なることは銃撃戦を体験したか否かである。
山本七平氏は、昭和十七年青山学院高等商業学部を戦時下の繰り上げ卒業後、二十歳で近衛野砲兵連隊に入営し、その後幹部候補生となり豊橋の予備士官学校で十か月学び、昭和19年6月、輸送船でフィリピンへ送られた。
砲兵なのに砲を運んできた船が沈んでしまったので砲がなく、米軍が初戦撤退して残していった自走砲があるのみ。
これを使えと命じられても輓馬馭者ばかりでエンジンなんかわからないし、車の運転すらだれもできない。
兵器の彼我の差はこんな一文でも想像を超えたところにあり、昭和20年1月には実戦が始まったが、敗走に次ぐ敗走で砲も部下も失って飢えと米軍の絶え間ない銃撃や砲撃にもめげず切り込み隊二番手になったが、切り込み一番隊が敗退したあと、間一髪九死に一生を得て敗戦を迎えた。
その後1年4か月米軍収容所ですごし、昭和22年1月、佐世保に帰還した。
収容所で非常に傲慢な米軍大尉でも不動の姿勢で自分の方から敬礼されるほど人間的な尊厳と冷静で静かな落ち着きをもった宇都宮参謀副長(米軍との折衝をしていた捕虜の代表)が著者と復員船も同じで、偶然列車の隣の席に掛けてきた。
・・・・・・
ヤミ屋らしい一団がどかどかと乗り込み、明らかに「兵隊やくざ」の感じのする男が、我々の前に陣取った。
そのとき、将官も兵隊も、佐世保で支給された冬服と外套を着ていたから、その男は、自分の前にいるのが復員兵だとわかっても、その正体はわからない。
彼は得々として、復員船の中でやった将校や下士官へのリンチの話をした。その話は、昔の内務班の、加害者・被害者の位置が逆転しいるだけで、内容は全く同じであった。
「かって加害者は、こういう顔をしてリンチを語ったなあ、戦争は終わっても、立場の逆転だけで、その内容は、結局何もかも同じことか」。私はそう考え、暗い気持ちになった。宇都宮参謀副長はただ黙って聞いていた。
相手はわれわれの反応が意外であったらしく、「アンタらの船にゃ、そういうことは、なかったんすか」ときいた。私は口をきく気はなかった。そのとき氏は静かに言った。
「なかったな。何もなかった・・・・・・。この人たちはみな地獄を見たのだ。本当に地獄を見たものは、そういうことはしないものだ」(P339)
・・・・・・
上の・・・・・内は、本書からの引用であるが、山本七平氏は、そのあと「特攻くずれ」はあるが、「ジャングルくずれ」という言葉はなかったと記述していた。
収容所の暴力団も敗戦前に投降して、あの極限の「地獄」を知らない者が多かったと語る。
師団司令より参謀が権力を掌握した例は多く、その参謀たちの行き当たりばったりの作戦で何十万もの兵士が犠牲になったのが太平洋戦争の実態である。
本書にも登場した武藤章参謀長しかり、辻政信参謀しかり、であるが、武藤は東京裁判で死刑。
当然A戦犯として処断されるはずの辻政信は、その後国会議員になるこという不思議さを、山本七平氏は戸惑うのです。
が、もちろん評者も同じ思いでこの件を読み進んだのです。
本書『一下級将校の見た帝国陸軍』は、日本が何故このような無謀な戦争を始めたのかを明治憲法の「統帥権」までにも言及しながら検証している。
戦争を少しでも知るためにも多くの人に読んでほしい一冊である。
山本七平氏は、昭和十七年青山学院高等商業学部を戦時下の繰り上げ卒業後、二十歳で近衛野砲兵連隊に入営し、その後幹部候補生となり豊橋の予備士官学校で十か月学び、昭和19年6月、輸送船でフィリピンへ送られた。
砲兵なのに砲を運んできた船が沈んでしまったので砲がなく、米軍が初戦撤退して残していった自走砲があるのみ。
これを使えと命じられても輓馬馭者ばかりでエンジンなんかわからないし、車の運転すらだれもできない。
兵器の彼我の差はこんな一文でも想像を超えたところにあり、昭和20年1月には実戦が始まったが、敗走に次ぐ敗走で砲も部下も失って飢えと米軍の絶え間ない銃撃や砲撃にもめげず切り込み隊二番手になったが、切り込み一番隊が敗退したあと、間一髪九死に一生を得て敗戦を迎えた。
その後1年4か月米軍収容所ですごし、昭和22年1月、佐世保に帰還した。
収容所で非常に傲慢な米軍大尉でも不動の姿勢で自分の方から敬礼されるほど人間的な尊厳と冷静で静かな落ち着きをもった宇都宮参謀副長(米軍との折衝をしていた捕虜の代表)が著者と復員船も同じで、偶然列車の隣の席に掛けてきた。
・・・・・・
ヤミ屋らしい一団がどかどかと乗り込み、明らかに「兵隊やくざ」の感じのする男が、我々の前に陣取った。
そのとき、将官も兵隊も、佐世保で支給された冬服と外套を着ていたから、その男は、自分の前にいるのが復員兵だとわかっても、その正体はわからない。
彼は得々として、復員船の中でやった将校や下士官へのリンチの話をした。その話は、昔の内務班の、加害者・被害者の位置が逆転しいるだけで、内容は全く同じであった。
「かって加害者は、こういう顔をしてリンチを語ったなあ、戦争は終わっても、立場の逆転だけで、その内容は、結局何もかも同じことか」。私はそう考え、暗い気持ちになった。宇都宮参謀副長はただ黙って聞いていた。
相手はわれわれの反応が意外であったらしく、「アンタらの船にゃ、そういうことは、なかったんすか」ときいた。私は口をきく気はなかった。そのとき氏は静かに言った。
「なかったな。何もなかった・・・・・・。この人たちはみな地獄を見たのだ。本当に地獄を見たものは、そういうことはしないものだ」(P339)
・・・・・・
上の・・・・・内は、本書からの引用であるが、山本七平氏は、そのあと「特攻くずれ」はあるが、「ジャングルくずれ」という言葉はなかったと記述していた。
収容所の暴力団も敗戦前に投降して、あの極限の「地獄」を知らない者が多かったと語る。
師団司令より参謀が権力を掌握した例は多く、その参謀たちの行き当たりばったりの作戦で何十万もの兵士が犠牲になったのが太平洋戦争の実態である。
本書にも登場した武藤章参謀長しかり、辻政信参謀しかり、であるが、武藤は東京裁判で死刑。
当然A戦犯として処断されるはずの辻政信は、その後国会議員になるこという不思議さを、山本七平氏は戸惑うのです。
が、もちろん評者も同じ思いでこの件を読み進んだのです。
本書『一下級将校の見た帝国陸軍』は、日本が何故このような無謀な戦争を始めたのかを明治憲法の「統帥権」までにも言及しながら検証している。
戦争を少しでも知るためにも多くの人に読んでほしい一冊である。