三井物産代表取締役を経て後、国鉄総裁をこだわりにて無給で務めた正に稀代の豪傑。
通時的にみて時代性が許すものだとか、この方の前にはそういうものも突き抜けて憧れを抱くものではないでしょうか。
素晴らしい「筋道のあざやかな生き方」を見せていただきました。
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粗にして野だが卑ではない: 石田禮助の生涯 単行本 – 1988/6/30
城山 三郎
(著)
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三井物産に三十五年間在職、華々しい業績をあげた後、七十八歳で財界人から初めて国鉄総裁になった“ヤング・ソルジャー"の堂々たる人生を描く大ベストセラー長篇。 解説・佐高信
- 本の長さ232ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日1988/6/30
- ISBN-104163423702
- ISBN-13978-4163423708
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (1988/6/30)
- 発売日 : 1988/6/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 232ページ
- ISBN-10 : 4163423702
- ISBN-13 : 978-4163423708
- Amazon 売れ筋ランキング: - 306,712位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 530位ビジネス人物伝 (本)
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- - 51,570位文学・評論 (本)
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著者について
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(1927-2007)名古屋生まれ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎えた。一橋大学卒業後、愛知学芸大学に奉職、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』により文学界新人賞、1959年『総会屋錦城』で直木賞を受け、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞受賞の『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『黄金の日日』『役員室午後三時』『毎日が日曜日』『官僚たちの夏』『もう、きみには頼まない』『硫黄島に死す』『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく―』等、多彩な作品群は幅広い読者を持つ。1996(平成8)年、菊池寛賞を、2002(平成14)年、朝日賞を受賞。2007年3月22日没。享年79。没後発見された愛妻への遺稿『そうか、もう君はいないのか』と、愛妻が倒れる前年から最晩年まで自らを励ますかのように綴られた手帳の記述をまとめた『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』は世代を超えたベストセラーとなった。
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ビジネスパーソンとして活躍後、公職をまっとうした男の生涯
こんにちは、古舘 健です。「そんなことはない。神々が見ている」とギリシアの彫刻家ファイディアスは言った。アテネの会計官に「誰にも見えない部分まで掘って、請求してくるとは何ごとか」と支払いを拒まれたからだ。紀元前四四〇年ころ、ファイディアスが完成させたパルテノン神殿の屋根の彫刻群は、今もなお西洋最高とされている。(プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編)) P100を一部抜粋、改変し引用)本書を読んでいで、見られていなくても完全を追究しつづけるドラッカー氏の教訓が頭をよぎりました。本書は、ビジネスパーソンとして活躍後に解任、晴耕雨読の生活から抜擢され、公職をまっとうした男の生涯が書かれています。「国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。『粗にして野だが卑ではないつもり』(P12)」本書は、第五代国鉄総裁、石田禮助(いしだれいすけ)氏の生涯が書かれた本です。石田氏が三井物産で働いていたときにビジネスパーソンとして大成功をおさめたエピソードも紹介されています。その中でシアトル、大連、ニューヨークの三つが印象的でした。一つ目のシアトルでは、船の運賃が暴騰すると読み、高性能の大型船を多数チャーターします。その読みは当たり、莫大な利益をあげます。しかし、潰れかけたニューヨークとダラスの店を助けたために多額の損失を計上し、男気をかけたために帰国を命じられてしまいます。二つ目の大連では、大豆の前金100%を払うリスク大の先物取引をしながら、商品相場、銀相場、為替相場、船賃の変動リスクをとりました。後発ながら唯一勝ちつづけ満州大豆の6割を商売するまでになったそうです。三つ目のニューヨークでは、本社の営業部長から「身を滅ぼしたくなかったら、錫だけはよせ(P72)」という忠告に耳をかさず、2年かけて実績と信頼を積み上げ、世界最大手の錫供給会社の総代理店になり、アメリカの錫輸入の26%を扱うようになっています。大きなリスクをとる勝負師だったのですね。石田氏は、世界を舞台に成功をおさめ、三井物産で代表取締役までのぼりつめます。一方、海外生活28年10年間をアメリカで過ごし、日米の国力差を目のあたりにしてたため、開戦に反対して、解任されてしまいます。「昭和十六年十月十五日(中略)石田は米内米政とも親しく、そのころ日米関係の雲行きを心配していた。(中略)『なんとして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。(中略)戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条さんに申しあげたいと思う。』(P97)」給与と勲章を辞退し、誇りをもって仕事をしていたというエピソードが多く紹介される中、以下の言葉がささりました。「『私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要がないもんな。私の柄にはあわないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ。』(P157)」かっこいい。日常や仕事において、低姿勢になることを求められる場面があります。卑しいことをしていないのであれば、胸を張って堂々としていようと私は思いました。仕事や人生に対する姿勢を見つめる上でオススメの一冊です。以下はメモのために抜粋します。------------------------------------------------P27「『ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ』と、国鉄職員に訴えている、」P32「『“なにとぞよろしくお願いします”と“申しわけございません”の二言さえあれば』(中略)とにかく平身低頭の姿勢を通さなくては。 ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会に出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、『諸君』と話しかけた。『先生方』ではない。」P34「『生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキ―が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあればよろしくお許し願いたい』(中略)『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある』 思いもよらぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。」P88「軍部の干渉は強まるばかりであった。三井を自由主義的、アメリカとの貿易量の多い三井物産を親米的として非難し、一方ではことごとに三菱系を引き立てる。 石田としても、おもしろくない日々が続いた。」P90「石田はとにかくオープンで、ざっくばらん。多勢の前で、『おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ』などと大声で訊く。」P94「石田が支店長時代のことである。(中略)秘密会議が開かれた。(中略)重役賞与を減らし支店長に配分せよ―と要求しようというのである。とたんに石田は、『やめろ、そんなこと』と叫んだ。その中で、石田は続けた。『いまの重役諸侯をみてみろ。(中略)あまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ』」P161「『国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ』『仕事の質がちがう』(中略)それを伝えるつもりで、国会に出かける。国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。 石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同志としてしかみていない。同志を前に何を憶することがあろうか。」P169「国鉄総裁の許へは毎日のように、路線を引け、駅をつくれなど、さまざまな陳情がもちこまれる。政治がからむものもあれば、利権の匂いのするものもある。 石田は、陳情にとり合おうとしなかった。 その多くは、それぞれの部署が専門的な判断で決めることであり、総裁が口出しすれば、組織は混乱し、意欲を失わせる。総裁として黙殺すべきだ、という考えからであった。」P199-200「背をまっすぐ伸ばして歩き、ほぼ中央の座席にその姿勢のまま腰掛けて、三十分ほどは何かを読み、その後も姿勢は崩さず瞑目している。一種凛とした空気がそこだけに在った。 私の家内は、電車内でたまたま石田の隣席に坐ったが、印象的だったと言う。『背をまっすぐしたまま、一時間ほどの間ただの一度も脇見をしない。(中略)』」P221「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は六時。 正確な時刻に、家族全員がきちっとした服装で食卓に向かう。(中略)真夏、冷房もないのに、背広姿での食事はつらい。 房之助がつい半袖シャツ姿で出ようものなら、『きみ、きみ、ちゃんとして……』(中略)服装ひとつで気持ちの張りまで失われてしまうと、石田は感じていたようである。」さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!ぜひチェックしてみてください。
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2021年10月22日に日本でレビュー済み
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表題のとおりである。表裏なく自分の考えや意見を伝え、思うままに生きている。生き方の手本になる一冊。
2019年11月6日に日本でレビュー済み
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人柄はよくわかるのですが、戦記物のように単純にしてドロドロとしたところの深みに欠ける。作者の方向性なのでしょうか、もっと思想面、政治面、経済面、労働者、使用者のドロドロが全くありません。欲のないおじいさんが善行を施しました、感心しました。というだけでは日経新聞の宣伝みたいです。それが城山三郎の限界なのでしょうか。
2023年4月7日に日本でレビュー済み
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何度読んでもいい。私の人格の一部になっている。後輩にも勧めよう。
2016年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
こんにちは、古舘 健です。
「そんなことはない。神々が見ている」
とギリシアの彫刻家ファイディアスは言った。アテネの会計官に「誰にも見えない部分まで掘って、請求してくるとは何ごとか」と支払いを拒まれたからだ。紀元前四四〇年ころ、ファイディアスが完成させたパルテノン神殿の屋根の彫刻群は、今もなお西洋最高とされている。( プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編)) P100を一部抜粋、改変し引用)
本書を読んでいで、見られていなくても完全を追究しつづけるドラッカー氏の教訓が頭をよぎりました。本書は、ビジネスパーソンとして活躍後に解任、晴耕雨読の生活から抜擢され、公職をまっとうした男の生涯が書かれています。
「国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。『粗にして野だが卑ではないつもり』(P12)」
本書は、第五代国鉄総裁、石田禮助(いしだれいすけ)氏の生涯が書かれた本です。
石田氏が三井物産で働いていたときにビジネスパーソンとして大成功をおさめたエピソードも紹介されています。その中でシアトル、大連、ニューヨークの三つが印象的でした。
一つ目のシアトルでは、船の運賃が暴騰すると読み、高性能の大型船を多数チャーターします。その読みは当たり、莫大な利益をあげます。しかし、潰れかけたニューヨークとダラスの店を助けたために多額の損失を計上し、男気をかけたために帰国を命じられてしまいます。
二つ目の大連では、大豆の前金100%を払うリスク大の先物取引をしながら、商品相場、銀相場、為替相場、船賃の変動リスクをとりました。後発ながら唯一勝ちつづけ満州大豆の6割を商売するまでになったそうです。
三つ目のニューヨークでは、本社の営業部長から「身を滅ぼしたくなかったら、錫だけはよせ(P72)」という忠告に耳をかさず、2年かけて実績と信頼を積み上げ、世界最大手の錫供給会社の総代理店になり、アメリカの錫輸入の26%を扱うようになっています。
大きなリスクをとる勝負師だったのですね。
石田氏は、世界を舞台に成功をおさめ、三井物産で代表取締役までのぼりつめます。一方、海外生活28年10年間をアメリカで過ごし、日米の国力差を目のあたりにしてたため、開戦に反対して、解任されてしまいます。
「昭和十六年十月十五日
(中略)石田は米内米政とも親しく、そのころ日米関係の雲行きを心配していた。(中略)
『なんとして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。(中略)戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条さんに申しあげたいと思う。』(P97)」
給与と勲章を辞退し、誇りをもって仕事をしていたというエピソードが多く紹介される中、以下の言葉がささりました。
「『私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要がないもんな。私の柄にはあわないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ。』(P157)」
かっこいい。日常や仕事において、低姿勢になることを求められる場面があります。卑しいことをしていないのであれば、胸を張って堂々としていようと私は思いました。仕事や人生に対する姿勢を見つめる上でオススメの一冊です。
以下はメモのために抜粋します。
------------------------------------------------
P27
「『ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ』と、国鉄職員に訴えている、」
P32
「『“なにとぞよろしくお願いします”と“申しわけございません”の二言さえあれば』(中略)とにかく平身低頭の姿勢を通さなくては。
ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会に出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、
『諸君』
と話しかけた。『先生方』ではない。」
P34
「『生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキ―が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあればよろしくお許し願いたい』
(中略)『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある』
思いもよらぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。」
P88
「軍部の干渉は強まるばかりであった。
三井を自由主義的、アメリカとの貿易量の多い三井物産を親米的として非難し、一方ではことごとに三菱系を引き立てる。
石田としても、おもしろくない日々が続いた。」
P90
「石田はとにかくオープンで、ざっくばらん。多勢の前で、
『おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ』
などと大声で訊く。」
P94
「石田が支店長時代のことである。(中略)秘密会議が開かれた。
(中略)重役賞与を減らし支店長に配分せよ―と要求しようというのである。
とたんに石田は、
『やめろ、そんなこと』
と叫んだ。その中で、石田は続けた。
『いまの重役諸侯をみてみろ。(中略)あまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ』」
P161
「『国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ』『仕事の質がちがう』(中略)それを伝えるつもりで、国会に出かける。
国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。
石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同志としてしかみていない。同志を前に何を憶することがあろうか。」
P169
「国鉄総裁の許へは毎日のように、路線を引け、駅をつくれなど、さまざまな陳情がもちこまれる。政治がからむものもあれば、利権の匂いのするものもある。
石田は、陳情にとり合おうとしなかった。
その多くは、それぞれの部署が専門的な判断で決めることであり、総裁が口出しすれば、組織は混乱し、意欲を失わせる。総裁として黙殺すべきだ、という考えからであった。」
P199-200
「背をまっすぐ伸ばして歩き、ほぼ中央の座席にその姿勢のまま腰掛けて、三十分ほどは何かを読み、その後も姿勢は崩さず瞑目している。一種凛とした空気がそこだけに在った。
私の家内は、電車内でたまたま石田の隣席に坐ったが、印象的だったと言う。
『背をまっすぐしたまま、一時間ほどの間ただの一度も脇見をしない。(中略)』」
P221
「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は六時。
正確な時刻に、家族全員がきちっとした服装で食卓に向かう。
(中略)真夏、冷房もないのに、背広姿での食事はつらい。
房之助がつい半袖シャツ姿で出ようものなら、
『きみ、きみ、ちゃんとして……』
(中略)服装ひとつで気持ちの張りまで失われてしまうと、石田は感じていたようである。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
ぜひチェックしてみてください。
「そんなことはない。神々が見ている」
とギリシアの彫刻家ファイディアスは言った。アテネの会計官に「誰にも見えない部分まで掘って、請求してくるとは何ごとか」と支払いを拒まれたからだ。紀元前四四〇年ころ、ファイディアスが完成させたパルテノン神殿の屋根の彫刻群は、今もなお西洋最高とされている。( プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編)) P100を一部抜粋、改変し引用)
本書を読んでいで、見られていなくても完全を追究しつづけるドラッカー氏の教訓が頭をよぎりました。本書は、ビジネスパーソンとして活躍後に解任、晴耕雨読の生活から抜擢され、公職をまっとうした男の生涯が書かれています。
「国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。『粗にして野だが卑ではないつもり』(P12)」
本書は、第五代国鉄総裁、石田禮助(いしだれいすけ)氏の生涯が書かれた本です。
石田氏が三井物産で働いていたときにビジネスパーソンとして大成功をおさめたエピソードも紹介されています。その中でシアトル、大連、ニューヨークの三つが印象的でした。
一つ目のシアトルでは、船の運賃が暴騰すると読み、高性能の大型船を多数チャーターします。その読みは当たり、莫大な利益をあげます。しかし、潰れかけたニューヨークとダラスの店を助けたために多額の損失を計上し、男気をかけたために帰国を命じられてしまいます。
二つ目の大連では、大豆の前金100%を払うリスク大の先物取引をしながら、商品相場、銀相場、為替相場、船賃の変動リスクをとりました。後発ながら唯一勝ちつづけ満州大豆の6割を商売するまでになったそうです。
三つ目のニューヨークでは、本社の営業部長から「身を滅ぼしたくなかったら、錫だけはよせ(P72)」という忠告に耳をかさず、2年かけて実績と信頼を積み上げ、世界最大手の錫供給会社の総代理店になり、アメリカの錫輸入の26%を扱うようになっています。
大きなリスクをとる勝負師だったのですね。
石田氏は、世界を舞台に成功をおさめ、三井物産で代表取締役までのぼりつめます。一方、海外生活28年10年間をアメリカで過ごし、日米の国力差を目のあたりにしてたため、開戦に反対して、解任されてしまいます。
「昭和十六年十月十五日
(中略)石田は米内米政とも親しく、そのころ日米関係の雲行きを心配していた。(中略)
『なんとして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。(中略)戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条さんに申しあげたいと思う。』(P97)」
給与と勲章を辞退し、誇りをもって仕事をしていたというエピソードが多く紹介される中、以下の言葉がささりました。
「『私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要がないもんな。私の柄にはあわないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ。』(P157)」
かっこいい。日常や仕事において、低姿勢になることを求められる場面があります。卑しいことをしていないのであれば、胸を張って堂々としていようと私は思いました。仕事や人生に対する姿勢を見つめる上でオススメの一冊です。
以下はメモのために抜粋します。
------------------------------------------------
P27
「『ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ』と、国鉄職員に訴えている、」
P32
「『“なにとぞよろしくお願いします”と“申しわけございません”の二言さえあれば』(中略)とにかく平身低頭の姿勢を通さなくては。
ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会に出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、
『諸君』
と話しかけた。『先生方』ではない。」
P34
「『生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキ―が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあればよろしくお許し願いたい』
(中略)『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある』
思いもよらぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。」
P88
「軍部の干渉は強まるばかりであった。
三井を自由主義的、アメリカとの貿易量の多い三井物産を親米的として非難し、一方ではことごとに三菱系を引き立てる。
石田としても、おもしろくない日々が続いた。」
P90
「石田はとにかくオープンで、ざっくばらん。多勢の前で、
『おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ』
などと大声で訊く。」
P94
「石田が支店長時代のことである。(中略)秘密会議が開かれた。
(中略)重役賞与を減らし支店長に配分せよ―と要求しようというのである。
とたんに石田は、
『やめろ、そんなこと』
と叫んだ。その中で、石田は続けた。
『いまの重役諸侯をみてみろ。(中略)あまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ』」
P161
「『国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ』『仕事の質がちがう』(中略)それを伝えるつもりで、国会に出かける。
国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。
石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同志としてしかみていない。同志を前に何を憶することがあろうか。」
P169
「国鉄総裁の許へは毎日のように、路線を引け、駅をつくれなど、さまざまな陳情がもちこまれる。政治がからむものもあれば、利権の匂いのするものもある。
石田は、陳情にとり合おうとしなかった。
その多くは、それぞれの部署が専門的な判断で決めることであり、総裁が口出しすれば、組織は混乱し、意欲を失わせる。総裁として黙殺すべきだ、という考えからであった。」
P199-200
「背をまっすぐ伸ばして歩き、ほぼ中央の座席にその姿勢のまま腰掛けて、三十分ほどは何かを読み、その後も姿勢は崩さず瞑目している。一種凛とした空気がそこだけに在った。
私の家内は、電車内でたまたま石田の隣席に坐ったが、印象的だったと言う。
『背をまっすぐしたまま、一時間ほどの間ただの一度も脇見をしない。(中略)』」
P221
「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は六時。
正確な時刻に、家族全員がきちっとした服装で食卓に向かう。
(中略)真夏、冷房もないのに、背広姿での食事はつらい。
房之助がつい半袖シャツ姿で出ようものなら、
『きみ、きみ、ちゃんとして……』
(中略)服装ひとつで気持ちの張りまで失われてしまうと、石田は感じていたようである。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
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こんにちは、古舘 健です。
「そんなことはない。神々が見ている」
とギリシアの彫刻家ファイディアスは言った。アテネの会計官に「誰にも見えない部分まで掘って、請求してくるとは何ごとか」と支払いを拒まれたからだ。紀元前四四〇年ころ、ファイディアスが完成させたパルテノン神殿の屋根の彫刻群は、今もなお西洋最高とされている。([[ASIN:4478300593 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))]] P100を一部抜粋、改変し引用)
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「国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。『粗にして野だが卑ではないつもり』(P12)」
本書は、第五代国鉄総裁、石田禮助(いしだれいすけ)氏の生涯が書かれた本です。
石田氏が三井物産で働いていたときにビジネスパーソンとして大成功をおさめたエピソードも紹介されています。その中でシアトル、大連、ニューヨークの三つが印象的でした。
一つ目のシアトルでは、船の運賃が暴騰すると読み、高性能の大型船を多数チャーターします。その読みは当たり、莫大な利益をあげます。しかし、潰れかけたニューヨークとダラスの店を助けたために多額の損失を計上し、男気をかけたために帰国を命じられてしまいます。
二つ目の大連では、大豆の前金100%を払うリスク大の先物取引をしながら、商品相場、銀相場、為替相場、船賃の変動リスクをとりました。後発ながら唯一勝ちつづけ満州大豆の6割を商売するまでになったそうです。
三つ目のニューヨークでは、本社の営業部長から「身を滅ぼしたくなかったら、錫だけはよせ(P72)」という忠告に耳をかさず、2年かけて実績と信頼を積み上げ、世界最大手の錫供給会社の総代理店になり、アメリカの錫輸入の26%を扱うようになっています。
大きなリスクをとる勝負師だったのですね。
石田氏は、世界を舞台に成功をおさめ、三井物産で代表取締役までのぼりつめます。一方、海外生活28年10年間をアメリカで過ごし、日米の国力差を目のあたりにしてたため、開戦に反対して、解任されてしまいます。
「昭和十六年十月十五日
(中略)石田は米内米政とも親しく、そのころ日米関係の雲行きを心配していた。(中略)
『なんとして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。(中略)戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条さんに申しあげたいと思う。』(P97)」
給与と勲章を辞退し、誇りをもって仕事をしていたというエピソードが多く紹介される中、以下の言葉がささりました。
「『私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要がないもんな。私の柄にはあわないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ。』(P157)」
かっこいい。日常や仕事において、低姿勢になることを求められる場面があります。卑しいことをしていないのであれば、胸を張って堂々としていようと私は思いました。仕事や人生に対する姿勢を見つめる上でオススメの一冊です。
以下はメモのために抜粋します。
------------------------------------------------
P27
「『ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ』と、国鉄職員に訴えている、」
P32
「『“なにとぞよろしくお願いします”と“申しわけございません”の二言さえあれば』(中略)とにかく平身低頭の姿勢を通さなくては。
ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会に出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、
『諸君』
と話しかけた。『先生方』ではない。」
P34
「『生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキ―が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあればよろしくお許し願いたい』
(中略)『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある』
思いもよらぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。」
P88
「軍部の干渉は強まるばかりであった。
三井を自由主義的、アメリカとの貿易量の多い三井物産を親米的として非難し、一方ではことごとに三菱系を引き立てる。
石田としても、おもしろくない日々が続いた。」
P90
「石田はとにかくオープンで、ざっくばらん。多勢の前で、
『おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ』
などと大声で訊く。」
P94
「石田が支店長時代のことである。(中略)秘密会議が開かれた。
(中略)重役賞与を減らし支店長に配分せよ―と要求しようというのである。
とたんに石田は、
『やめろ、そんなこと』
と叫んだ。その中で、石田は続けた。
『いまの重役諸侯をみてみろ。(中略)あまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ』」
P161
「『国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ』『仕事の質がちがう』(中略)それを伝えるつもりで、国会に出かける。
国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。
石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同志としてしかみていない。同志を前に何を憶することがあろうか。」
P169
「国鉄総裁の許へは毎日のように、路線を引け、駅をつくれなど、さまざまな陳情がもちこまれる。政治がからむものもあれば、利権の匂いのするものもある。
石田は、陳情にとり合おうとしなかった。
その多くは、それぞれの部署が専門的な判断で決めることであり、総裁が口出しすれば、組織は混乱し、意欲を失わせる。総裁として黙殺すべきだ、という考えからであった。」
P199-200
「背をまっすぐ伸ばして歩き、ほぼ中央の座席にその姿勢のまま腰掛けて、三十分ほどは何かを読み、その後も姿勢は崩さず瞑目している。一種凛とした空気がそこだけに在った。
私の家内は、電車内でたまたま石田の隣席に坐ったが、印象的だったと言う。
『背をまっすぐしたまま、一時間ほどの間ただの一度も脇見をしない。(中略)』」
P221
「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は六時。
正確な時刻に、家族全員がきちっとした服装で食卓に向かう。
(中略)真夏、冷房もないのに、背広姿での食事はつらい。
房之助がつい半袖シャツ姿で出ようものなら、
『きみ、きみ、ちゃんとして……』
(中略)服装ひとつで気持ちの張りまで失われてしまうと、石田は感じていたようである。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
ぜひチェックしてみてください。
「そんなことはない。神々が見ている」
とギリシアの彫刻家ファイディアスは言った。アテネの会計官に「誰にも見えない部分まで掘って、請求してくるとは何ごとか」と支払いを拒まれたからだ。紀元前四四〇年ころ、ファイディアスが完成させたパルテノン神殿の屋根の彫刻群は、今もなお西洋最高とされている。([[ASIN:4478300593 プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))]] P100を一部抜粋、改変し引用)
本書を読んでいで、見られていなくても完全を追究しつづけるドラッカー氏の教訓が頭をよぎりました。本書は、ビジネスパーソンとして活躍後に解任、晴耕雨読の生活から抜擢され、公職をまっとうした男の生涯が書かれています。
「国鉄総裁になり、はじめて国会へ呼ばれたとき、石田は代議士たちを前に自己紹介した。『粗にして野だが卑ではないつもり』(P12)」
本書は、第五代国鉄総裁、石田禮助(いしだれいすけ)氏の生涯が書かれた本です。
石田氏が三井物産で働いていたときにビジネスパーソンとして大成功をおさめたエピソードも紹介されています。その中でシアトル、大連、ニューヨークの三つが印象的でした。
一つ目のシアトルでは、船の運賃が暴騰すると読み、高性能の大型船を多数チャーターします。その読みは当たり、莫大な利益をあげます。しかし、潰れかけたニューヨークとダラスの店を助けたために多額の損失を計上し、男気をかけたために帰国を命じられてしまいます。
二つ目の大連では、大豆の前金100%を払うリスク大の先物取引をしながら、商品相場、銀相場、為替相場、船賃の変動リスクをとりました。後発ながら唯一勝ちつづけ満州大豆の6割を商売するまでになったそうです。
三つ目のニューヨークでは、本社の営業部長から「身を滅ぼしたくなかったら、錫だけはよせ(P72)」という忠告に耳をかさず、2年かけて実績と信頼を積み上げ、世界最大手の錫供給会社の総代理店になり、アメリカの錫輸入の26%を扱うようになっています。
大きなリスクをとる勝負師だったのですね。
石田氏は、世界を舞台に成功をおさめ、三井物産で代表取締役までのぼりつめます。一方、海外生活28年10年間をアメリカで過ごし、日米の国力差を目のあたりにしてたため、開戦に反対して、解任されてしまいます。
「昭和十六年十月十五日
(中略)石田は米内米政とも親しく、そのころ日米関係の雲行きを心配していた。(中略)
『なんとして戦争にならぬようにする道はないかと諸君に相談したく、きょうきてもらった。(中略)戦争をすれば、十中八九負けるということを頭において日米の交渉をしてもらいたい。事情が許すなら、万難を排して戦争にならぬように持っていきたいということを、東条さんに申しあげたいと思う。』(P97)」
給与と勲章を辞退し、誇りをもって仕事をしていたというエピソードが多く紹介される中、以下の言葉がささりました。
「『私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要がないもんな。私の柄にはあわないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ。』(P157)」
かっこいい。日常や仕事において、低姿勢になることを求められる場面があります。卑しいことをしていないのであれば、胸を張って堂々としていようと私は思いました。仕事や人生に対する姿勢を見つめる上でオススメの一冊です。
以下はメモのために抜粋します。
------------------------------------------------
P27
「『ただパンのために働くのはよせ。理想の光をかかげてやれ』と、国鉄職員に訴えている、」
P32
「『“なにとぞよろしくお願いします”と“申しわけございません”の二言さえあれば』(中略)とにかく平身低頭の姿勢を通さなくては。
ところが、総裁就任の挨拶にはじめて国会に出た石田は、背をまっすぐ伸ばし、代議士たちを見下すようにして、
『諸君』
と話しかけた。『先生方』ではない。」
P34
「『生来、粗にして野だが卑ではないつもり。ていねいな言葉を使おうと思っても、生まれつきでできない。無理に使うと、マンキ―が裃を着たような、おかしなことになる。無礼なことがあればよろしくお許し願いたい』
(中略)『国鉄が今日のような状態になったのは、諸君たちにも責任がある』
思いもよらぬ挨拶。『無礼なこと』の連発である。代議士たちが怒り、あきれたのも無理はない。」
P88
「軍部の干渉は強まるばかりであった。
三井を自由主義的、アメリカとの貿易量の多い三井物産を親米的として非難し、一方ではことごとに三菱系を引き立てる。
石田としても、おもしろくない日々が続いた。」
P90
「石田はとにかくオープンで、ざっくばらん。多勢の前で、
『おれの知識ではよくわからん。もっと詳しく説明してくれ』
などと大声で訊く。」
P94
「石田が支店長時代のことである。(中略)秘密会議が開かれた。
(中略)重役賞与を減らし支店長に配分せよ―と要求しようというのである。
とたんに石田は、
『やめろ、そんなこと』
と叫んだ。その中で、石田は続けた。
『いまの重役諸侯をみてみろ。(中略)あまり長生きするようなやつはみえやせん。これからはわれわれの時代になってくるのだ。そんな連中のポケットをねらってやるのはきらいだ。やるなら勝手にやれ。わたしは不賛成だ』」
P161
「『国鉄は昼も夜も休みなく、年間五十億の命を預かって運ぶ』『仕事の質がちがう』(中略)それを伝えるつもりで、国会に出かける。
国会の中を颯爽と歩き、胸をはって答える。
石田は相変わらず、与野党を問わず国会議員を同志としてしかみていない。同志を前に何を憶することがあろうか。」
P169
「国鉄総裁の許へは毎日のように、路線を引け、駅をつくれなど、さまざまな陳情がもちこまれる。政治がからむものもあれば、利権の匂いのするものもある。
石田は、陳情にとり合おうとしなかった。
その多くは、それぞれの部署が専門的な判断で決めることであり、総裁が口出しすれば、組織は混乱し、意欲を失わせる。総裁として黙殺すべきだ、という考えからであった。」
P199-200
「背をまっすぐ伸ばして歩き、ほぼ中央の座席にその姿勢のまま腰掛けて、三十分ほどは何かを読み、その後も姿勢は崩さず瞑目している。一種凛とした空気がそこだけに在った。
私の家内は、電車内でたまたま石田の隣席に坐ったが、印象的だったと言う。
『背をまっすぐしたまま、一時間ほどの間ただの一度も脇見をしない。(中略)』」
P221
「朝食は六時、昼食は十二時、夕食は六時。
正確な時刻に、家族全員がきちっとした服装で食卓に向かう。
(中略)真夏、冷房もないのに、背広姿での食事はつらい。
房之助がつい半袖シャツ姿で出ようものなら、
『きみ、きみ、ちゃんとして……』
(中略)服装ひとつで気持ちの張りまで失われてしまうと、石田は感じていたようである。」
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます!
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2022年9月29日に日本でレビュー済み
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気になって読みたいと思っていた書籍ですが、中々書店では見つからず、アマゾンで検索したら新書(中古ではない)で有りましたので、即購入。翌日には届きましたので大満足です。