一般の明治の人が持っていた切ないまでの愛国心に感動する。今は日露戦争前の緊張した状態にあるのに弛緩しきった状態にある我が国を考えると、大戦後の占領政策の効果に驚かざるをえない。このメンタリティをもった日本人が復活してきたら?当時の欧米人には恐怖であったに違いない。
随分古くなってしまった本であるが、心ある日本人は是非読んでほしい。
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望郷の歌 - 新編・石光真清の手記(三)日露戦争 (中公文庫 い 16-7 新編・石光真清の手記 3 日露戦争) 文庫 – 2018/1/23
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石光真清(いしみつ・まきよ/1868~1942)明治元年、熊本生まれ。明治16(1883)年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。明治32年、特別任務を帯びてシベリア、満州に渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めるたりしていたが、大正6(1917)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。大正8年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和17(1942)年に死去。死後、その手記が公刊される。日露開戦。陸軍少佐となった石光は第二軍司令部付副官として出征する。終戦後も大陸への夢醒めず、幾度かの事業失敗を経て、ついに海賊稼業へ。やがて明治という時代は終演を迎える……。新編刊行に際し、未公開の手記『思い出の記 私の放浪時代』、短編小説『惨劇の夜の思い出』や、秘蔵写真多数を収録。
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2018/1/23
- 寸法10.6 x 1.4 x 15.2 cm
- ISBN-104122065275
- ISBN-13978-4122065277
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商品の説明
著者について
明治元(一八六八)年、熊本生まれ。一六年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。三二年、特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めたりしていたが、大正六(一九一七)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。八年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和一七(一九四二)年に死去。死後、その手記が公刊される。 明治三七(一九〇四)年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、昭和六(一九三一)年、東京日日新聞社に入社。一三年芝浦工作機械に転じ、戦時中、日本新聞会考査課長、日本新聞連盟用紙課長を歴任。戦後、日本新聞協会用紙課長、総務部長、業務部長を経て、日本ABC協会事務局長、専務理事。三三年、父・石光真清の手記『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の出版により、毎日出版文化賞を受賞。編著書に『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』等がある。五〇年に死去。
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2018/1/23)
- 発売日 : 2018/1/23
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 4122065275
- ISBN-13 : 978-4122065277
- 寸法 : 10.6 x 1.4 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 81,405位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 470位中公文庫
- - 13,280位文学・評論 (本)
- - 16,682位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年6月25日に日本でレビュー済み
「石光真清の手記」4部作のうちの「3」にあたるのがこれ。起承転結の「転」にあたる。集中の白眉はいうまでもなく日露戦争。
満洲の奥地の都市ハルビンに写真館を開設することに成功し、しかも「東清鉄道」の御用達し業者として満洲の西のはての満洲里から東おはてのハバロフスク、南部の中心地奉天まで支店や出張先を開設することができ、あらゆる「人」や「者」や「事」を撮影することで諜報機関として大いに腕をふるっていた著者は、どうしても最南部の旅順に拠点を作ろうと計画するが、日露の雲行きは風雲急を告げ、著者と関係者一同は何もかも打ち捨てて帰国せざるをえなくなる。懐にいれたロシア通貨は、全部ロシア官憲にまきあげられ、無一文の身の上である。ここまでが前部2「曠野の花」」の終章。今編はその続編である。
茫然自失して妻子のまつ自宅に2年ぶりに帰ったその家には、召集令状が待っていた。日清戦争後、著者はスパイ活動に身を投じるに際して軍籍を離脱し予備役になっていた。しかし、今度は陸軍大尉として第二軍司令部付きの副官に任命された。そこの管理部長は、著者が永年兄事する歩兵少佐橘周太である。
このあたりの状況は、小説だったら作家が腕にものをいわせて軍隊の組織について一席ブツところであるが、本書は手記だからこんなサービスは勿論ない。そこで読者は自分でインターネットを引いたり類書をみたりして勉強せざるを得ない。そうすると、管理部長なる職は兵站監の配下であることがわかる。(橘周太が大隊長に転出し、戦死して軍神に祭り上げられたあとは、著者が少佐に昇進して管理部長となる。このあたりのエピソードには、半藤一利氏の「日露戦争史2」がくわしい。しかし、半藤氏の最近の著書には、少しいい気な所があるので注意を要する。)
南山の激戦から、遼陽、奉天をめざして、豪雨、泥濘、劇風、蒙塵。その間、死闘また死闘である。この間にかいまみえる軍司令官奥保鞏大将の姿が印象的である。
そしてどうやら日本軍の勝利となる。著者の身にもまた、変化がおこる。
著者も大変だったろうが、著者の細君の我慢づよいのにはただ絶句あるのみ。近代日本とは、こういう名のなき人たちによって確立されてきたのであった。
満洲の奥地の都市ハルビンに写真館を開設することに成功し、しかも「東清鉄道」の御用達し業者として満洲の西のはての満洲里から東おはてのハバロフスク、南部の中心地奉天まで支店や出張先を開設することができ、あらゆる「人」や「者」や「事」を撮影することで諜報機関として大いに腕をふるっていた著者は、どうしても最南部の旅順に拠点を作ろうと計画するが、日露の雲行きは風雲急を告げ、著者と関係者一同は何もかも打ち捨てて帰国せざるをえなくなる。懐にいれたロシア通貨は、全部ロシア官憲にまきあげられ、無一文の身の上である。ここまでが前部2「曠野の花」」の終章。今編はその続編である。
茫然自失して妻子のまつ自宅に2年ぶりに帰ったその家には、召集令状が待っていた。日清戦争後、著者はスパイ活動に身を投じるに際して軍籍を離脱し予備役になっていた。しかし、今度は陸軍大尉として第二軍司令部付きの副官に任命された。そこの管理部長は、著者が永年兄事する歩兵少佐橘周太である。
このあたりの状況は、小説だったら作家が腕にものをいわせて軍隊の組織について一席ブツところであるが、本書は手記だからこんなサービスは勿論ない。そこで読者は自分でインターネットを引いたり類書をみたりして勉強せざるを得ない。そうすると、管理部長なる職は兵站監の配下であることがわかる。(橘周太が大隊長に転出し、戦死して軍神に祭り上げられたあとは、著者が少佐に昇進して管理部長となる。このあたりのエピソードには、半藤一利氏の「日露戦争史2」がくわしい。しかし、半藤氏の最近の著書には、少しいい気な所があるので注意を要する。)
南山の激戦から、遼陽、奉天をめざして、豪雨、泥濘、劇風、蒙塵。その間、死闘また死闘である。この間にかいまみえる軍司令官奥保鞏大将の姿が印象的である。
そしてどうやら日本軍の勝利となる。著者の身にもまた、変化がおこる。
著者も大変だったろうが、著者の細君の我慢づよいのにはただ絶句あるのみ。近代日本とは、こういう名のなき人たちによって確立されてきたのであった。