俳句をひねらんと思う者の必読書。
著者の高き見識に圧倒された次第。
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古池に蛙は飛びこんだか (中公文庫 は 65-2) 文庫 – 2013/9/21
長谷川 櫂
(著)
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古池はどこにあるのか、ほんとうに蛙は飛びこんだのか……。古池の句は、三〇〇年間誤解され続けてきた。芭蕉はもっとおもしろい!
- 本の長さ268ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2013/9/21
- ISBN-104122058376
- ISBN-13978-4122058378
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2013/9/21)
- 発売日 : 2013/9/21
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 268ページ
- ISBN-10 : 4122058376
- ISBN-13 : 978-4122058378
- Amazon 売れ筋ランキング: - 157,767位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,006位中公文庫
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年9月30日に日本でレビュー済み
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同じことの重複が多い 記述の進展がない
2014年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「古池や蛙飛こむ水のおと」誰でも知っている芭蕉の句。そしてこんなわかりやすい俳句はない。子規、虚子はじめ多くの俳人もただ素直に読んできた。しかし、それだけのことならなんとつまらない句ではないかとかねがね長谷川櫂は思っていた。そこで彼は「や」という切字に注目した。「古池に」ではない。なぜ「古池や」と詠んだのだろう。虚子は「や」を単に省略のための切字と考えたのに対して、長谷川はまったく逆の過程を辿ってこの上五に至ったということを弟子たちが残した資料を駆使して明らかにした。芭蕉は蛙が水に飛び込んで音がしたことにまず心に残った。中七下五は先に出来上がっていて、上五をどうするかが問題だった。基角が勧める「山吹や」を採用せず「古池や」を選んだという。すなわち、古池は現実の池ではなく芭蕉の心のなかに浮かんだ想像の古池だったのだ。かくして、後世蕉風開眼の句と称えられる「古池や蛙飛こむ水のおと」が誕生したのである。「や」という切字が現実と心の境界を示す、この発見の秘密を探し当てる手腕はまるで推理小説の謎解きを読むようなスリルを読者に与える。俳句愛好者必読の書である。
2013年10月11日に日本でレビュー済み
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蕉風俳句の開眼に関してこのような指摘をした人は他に見ません。しかも、実証的に論理的に解説をしています。従来の芭蕉の俳句論は直感的な、また他の評論家の論の蒸し返しがほとんどでしたが、長谷川氏は頑として自説を展開しています。実に納得のいく展開をしています。これは、ユニークさにおいてすごい本です。俳句の本はたくさん読んできましたが、この本ではじめて俳句に開眼でき、その奥深さに触れることが出来た思いがします。評価の星数は5個では足りません。最低でも15個は付けたいところです。
2014年9月14日に日本でレビュー済み
古池や 蛙飛び込む 水の音
この一句を巡り様々な考察をしていく中で、芭蕉の俳句の世界を巡る旅に出かける。
そして更に、
閑かさや 岩にしみ入 蝉の声
も考察し、古池の句と共通する重要な事柄を少しずつ掘り出していく。
これ以上は、本書を手に取り読んで戴いた方がよいだろう。
これは、陸奥を旅し「奥の細道」を著した芭蕉と同様に、彼の俳句の世界へと分け入る、知的冒険のガイドブックでもあるのだ。
この一句を巡り様々な考察をしていく中で、芭蕉の俳句の世界を巡る旅に出かける。
そして更に、
閑かさや 岩にしみ入 蝉の声
も考察し、古池の句と共通する重要な事柄を少しずつ掘り出していく。
これ以上は、本書を手に取り読んで戴いた方がよいだろう。
これは、陸奥を旅し「奥の細道」を著した芭蕉と同様に、彼の俳句の世界へと分け入る、知的冒険のガイドブックでもあるのだ。
2005年10月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
古池や蛙飛こむ水のおと 芭蕉
この句は三百年以上「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」と誤解去れて来たが、実は「古池に蛙は飛びこまなかった」という。
じゃあ、どこに飛びこんだかと言えば、芭蕉の心の中の幻の池なのだという。
しかし、普通の解釈は「古池があり、水の音がした。蛙が飛び込んだ」ではないか。それほど静寂だったということだ。
なぜわざわざ「幻の古池」に付き合わなければいけないのか? 作品は作者の精神の遺骸のようなものだ。「古池」に現実も幻もない。ただ「古池」という言葉があるだけだ。
「水のおと」で説明されているから、「古池」は余計だという。しかし、作者は蛙が和歌の伝統で清流に生息する河鹿のことだと解説しており矛盾する。蛙が飛び込んだのは川でなければならないではないか。
「や」という切字が芭蕉の心の世界に存在するものと現実の世界を切り離す役目があるという。そういう場合もあるだろうが、そうでない場合もある。この句に関して言えば×だろう。芭蕉は当然それまでの人生の中で古池を見ているだろうし、句を作った時に見ていなかったなどというのは、俳句とは何の関係もないナンセンスの極みだ。
この句は三百年以上「古池に蛙が飛びこんで水の音がした」と誤解去れて来たが、実は「古池に蛙は飛びこまなかった」という。
じゃあ、どこに飛びこんだかと言えば、芭蕉の心の中の幻の池なのだという。
しかし、普通の解釈は「古池があり、水の音がした。蛙が飛び込んだ」ではないか。それほど静寂だったということだ。
なぜわざわざ「幻の古池」に付き合わなければいけないのか? 作品は作者の精神の遺骸のようなものだ。「古池」に現実も幻もない。ただ「古池」という言葉があるだけだ。
「水のおと」で説明されているから、「古池」は余計だという。しかし、作者は蛙が和歌の伝統で清流に生息する河鹿のことだと解説しており矛盾する。蛙が飛び込んだのは川でなければならないではないか。
「や」という切字が芭蕉の心の世界に存在するものと現実の世界を切り離す役目があるという。そういう場合もあるだろうが、そうでない場合もある。この句に関して言えば×だろう。芭蕉は当然それまでの人生の中で古池を見ているだろうし、句を作った時に見ていなかったなどというのは、俳句とは何の関係もないナンセンスの極みだ。
2013年11月27日に日本でレビュー済み
俳句に対する深い理解や、芭蕉に対する思い、また著者が考え続けてこられて素手でつかまれたであろう俳句の真髄等を味わえる良書。
2006年3月12日に日本でレビュー済み
切字「や」の働きをあまりにも限定的にとらえすぎ。「や」は“世界”を切り離す作用をすることもあれば、悲哀や感動や驚愕をそこにこめることもあれば(!みたいなもの)、述語の省略や韻・音数を整えるなどのテクニカルな効果を持つなど、多面的な働きをおこなうというのが常識。古池の句も長谷川のように解釈してはいけない理由はないが、それが唯一正しいとか新たな発見のように喧伝するのはあきらかに言い過ぎである。
俳句はそもそも多様な解釈・鑑賞を包容するからこそ魅力があるので、本書のように正否を問うのはおかしい。極端にいえば読み人の数だけさまざな読みがあっていい。あとはその読みが他者の賛同や共感をどれだけ得られるかだが、長谷川の解釈に同意する人はあまりいないのではなかろうか。
俳句はそもそも多様な解釈・鑑賞を包容するからこそ魅力があるので、本書のように正否を問うのはおかしい。極端にいえば読み人の数だけさまざな読みがあっていい。あとはその読みが他者の賛同や共感をどれだけ得られるかだが、長谷川の解釈に同意する人はあまりいないのではなかろうか。