ディケンズのアメリカ紀行を読んで、当時のアメリカの様子を知りたいと思い本書を読み始めました。
リンカーンの伝記の体裁をとっていますが、リンカーンのまわりの人間模様が丹念に書かれています。
特に大統領選挙や、政治の場面で、政策や信念が人間関係を伴って実現されていく(あるいは断念されていく)
様子は、長い文章を飽きさせません。
オバマ大統領が本書(原書)を読まれたであろう、という訳者の解説も納得です。

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リンカーン(上) - 大統領選 (中公文庫 ク 8-1) 文庫 – 2013/2/23
ドリス・カーンズ・グッドウィン
(著),
平岡 緑
(翻訳)
政敵を巧みに操り、合衆国分裂の危機を乗り越えた稀代の大統領の知られざる政治手腕を描く決定版評伝。上巻では、揺るがない信念で政界進出を果たす。
- 本の長さ502ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2013/2/23
- ISBN-104122057639
- ISBN-13978-4122057630
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2013/2/23)
- 発売日 : 2013/2/23
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 502ページ
- ISBN-10 : 4122057639
- ISBN-13 : 978-4122057630
- Amazon 売れ筋ランキング: - 57,236位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 273位中公文庫
- - 12,153位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2013年4月11日に日本でレビュー済み
内容は資料集だと思えばさほど問題ないが、第5章で「ウォルター・ベンジャミン」と表記されてる人物は明らかに「ヴァルター・ベンヤミン」だという詰まらないミスが出て来るようでは資料集としての価値も疑わしくなる。
訳者には猛省を促したい。
訳者には猛省を促したい。
2013年3月2日に日本でレビュー済み
スピルバーグの映画「リンカーン」の原作であり、
アメリカ・アマゾンでは1300のレビューが出ており、
軒並み高評価である。
のだが、、、、、、
ぜんっぜん面白くない。
その理由として考えられるのは、
あまりに膨大な引用文献にまみれすぎたこと
と
今となってはどうでもいい細部の情報にあふれすぎていること
である。
本邦のセキガクであった宮崎市定博士はいみじくもゆうた。
「参考文献を引きながら書かれた歴史書などはどうにもならん」
と。
、、、、、、女性の評論家ってのはどうして細部にこだわって本質を逃してまうんかなあ。
上野千鶴子とかさ。
「その理論は面白くない。まちがってさえいない」
とか、
「留保条件の多すぎる説明は意味を失う」
って言葉をしらないのかなあ。。
「これだけ資料を積み上げといたらどこからも文句はこないでしょっ」
っていう、その根性がだねえ、
すばらしいのだよ。
っすばらしいんかいっ。
えーっと、
本質を逃したような気がするので
この作品の良いところを
むりやり探すとすれば、
資料が多いだけに
リンカーンの少年時代のエピソードや
リンカーンの演説の上手さについての話が
あふれかえっている
ところである。
そんなところを
ヒマなときに、
フラフラと漁ってみるのも面白いかもしれん。
ま、評伝ものは、パールバックみたいな女性小説家におまかせやな。
パールバックの「聖書物語」は驚天動地の分かりやすさと面白さやったなあ。
あ、関係ないか。
ああ、「リンカーン」のDVD 買えばよかったなあ、、、、、、
アメリカ・アマゾンでは1300のレビューが出ており、
軒並み高評価である。
のだが、、、、、、
ぜんっぜん面白くない。
その理由として考えられるのは、
あまりに膨大な引用文献にまみれすぎたこと
と
今となってはどうでもいい細部の情報にあふれすぎていること
である。
本邦のセキガクであった宮崎市定博士はいみじくもゆうた。
「参考文献を引きながら書かれた歴史書などはどうにもならん」
と。
、、、、、、女性の評論家ってのはどうして細部にこだわって本質を逃してまうんかなあ。
上野千鶴子とかさ。
「その理論は面白くない。まちがってさえいない」
とか、
「留保条件の多すぎる説明は意味を失う」
って言葉をしらないのかなあ。。
「これだけ資料を積み上げといたらどこからも文句はこないでしょっ」
っていう、その根性がだねえ、
すばらしいのだよ。
っすばらしいんかいっ。
えーっと、
本質を逃したような気がするので
この作品の良いところを
むりやり探すとすれば、
資料が多いだけに
リンカーンの少年時代のエピソードや
リンカーンの演説の上手さについての話が
あふれかえっている
ところである。
そんなところを
ヒマなときに、
フラフラと漁ってみるのも面白いかもしれん。
ま、評伝ものは、パールバックみたいな女性小説家におまかせやな。
パールバックの「聖書物語」は驚天動地の分かりやすさと面白さやったなあ。
あ、関係ないか。
ああ、「リンカーン」のDVD 買えばよかったなあ、、、、、、
2014年8月7日に日本でレビュー済み
「奴隷解放の父」こと第十六代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、学校で教えこまれる虚像と異なり、自由のために命を賭けたりしなかった。それどころか、独裁者さながらに憲法を無視し、市民の自由を踏みにじったのである。
スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』の原作となった本書は、映画同様、リンカーンをひどく美化している。「序」で著者グッドウィンは、リンカーンを「率直であるが内面の入り組んだ、如才ないが裏表のない、感じやすいが鉄鋼の意志を持った指導者」(上巻、9頁)と歯の浮くような表現で称える。当然、本文にもリンカーンに都合の悪いことはほとんど書かれていない。それでもところどころに、自由を蹂躙した暴君の実像が垣間見える。
リンカーンが南北戦争(1861-1865)を始めたのは、世間で信じられている奴隷解放が目的ではなく、南部諸州の連邦離脱を阻止するためだった。米国自身が英国から離脱して誕生した国なのだから、南部の離脱を認めないのは自己否定である。戦争の途中から大義名分に掲げた奴隷解放にしても、米国以外の国では、奴隷反乱の起こったハイチを除き平和裏に実現されており、両軍合わせて六十万人超という当時としては米国史上空前の戦死者を出す必要などなかった。これだけでも政治指導者としてリンカーンの罪は重い。
ところがリンカーンはそれ以外にも、戦時であることを理由に、市民から言論、政治活動、人身などの自由を奪った。リバタリアンの経済史家トーマス・ディロレンゾによると、リンカーンの共和党政権が支配する北部諸州では、新聞編集者・発行人や聖職者を含む何千人もの反戦派市民が投獄された。国務長官ウィリアム・シワードは秘密警察隊を組織し、「背信行為」の疑いがあるというだけで人々を逮捕した。その際、逮捕の理由は告げられず、「犯罪」が実際にあったかどうか捜査もされず、裁判もされなかった。だが本書ではほとんど触れられない。
有名なのは、民主党の反戦派議員クレメント・ヴァランディガムが逮捕され反逆の罪で投獄された一件である。これはさすがにグッドウィンも無視できず、ヴァランディガムに「敗北主義者の扇動家」と不当なレッテルを貼ったうえではあるが、取り上げている。
オハイオ州出身の下院議員ヴァランディガムはこう訴えた。「この戦争は継続されるべきなのか?…否――戦争は一日も、否、一時間たりとも長引かせてはならない」(下巻、20頁。以下すべて下巻より)。政府軍の兵士らは深夜、ヴァランディガムの自宅に押し入り、逮捕した。「この事件で、前例のない即決裁判がおこなわれた結果、彼〔ヴァランディガム〕は有罪を宣告され」た(55頁)。当初は禁固刑だったが、これをリンカーンが「南部連合の境界線内への追放刑に軽減した」(同)と、グッドウィンはさも温情あふれる措置であるかのように持ち上げる。政府を批判し、反戦を訴えただけでたちどころに有罪になり、追放されても大したことではないらしい。
しかも「ヴァランディガムは人身保護令状の適用を訴えたが、却下された」(同)。人身保護令状(Habeas Corpus)とは、不当に拘束されて奪われた身柄の自由を回復するために裁判所に請求するもので、英米では伝統的に基本的人権として認められてきた。だがリンカーンは開戦直後の1861年4月、同令状の停止を宣言する。リンカーンはヴァランディガム逮捕後、新聞への寄稿で弁明し、合衆国憲法も、内乱ないしは外国からの侵略があった場合には人身保護令状の停止を特例として認めていると「念押しした」(58頁)。しかし憲法(第1条9節)で人身保護令状を停止する権限が認められているのは議会であり、大統領ではない。最高裁判所長官ロジャー・トーニーはその点を意見表明で批判したが、リンカーンはこれを無視した。
このほかにもリンカーンは、政府を批判する新聞に廃刊を強いたり、正当な補償なしに私有財産を接収したりした。しかしなんといっても最悪なのは、南部の非戦闘員への攻撃と財産の破壊・強奪を放置したことである。
当時すでに国際法違反だったこれらの行為を推し進めたのは、一部の暴走した兵士ではなく、リンカーンの右腕である北軍の将軍たちだった。たとえばウィリアム・シャーマンは、アトランタを占拠する際、昼夜を分かたず砲撃を繰り返し、家屋や建物をほとんど破壊しつくした。ディロレンゾによると、通りで女性や子供のおびただしい遺体を見た部下が思わず声を上げると、シャーマンは冷たくこう言い放った。「すばらしい眺め」だ、これで戦争が早く終わるのだから、と。
シャーマンの行いで最も悪名高いのは、1864年冬の「海への進軍」である。シャーマンは農作物を焼き、家畜を殺し、物資を消費し、公共施設を破壊する焦土作戦を繰り広げた。さすがにグッドウィンも、こうした「見境いのない破壊行為」は「南部の所有地と田園地帯を荒廃させ」、「市民一般が蒙った恐ろしい傷痕の記憶は、今でも南部に取り憑いて離れていない」(343-344頁)と記す。ディロレンゾによれば、北軍兵士による強姦も多く記録されている。最も被害を受けたのは、北軍が「解放」するはずの黒人女性だった。
こうした北軍の所業は、程度の差はあれ以前から続いており、リンカーンが知らなかったとは考えられない。シャーマンは「海への進軍」を始める際、「行軍途中で必要とする兵糧を自ら調達できる」(343頁)、つまり現地で食糧を奪うと公言してもいた。しかしリンカーンは、シャーマンが進軍で港町サヴァンナの占拠に成功すると、「名誉はすべて貴官のものだ」(同)と手放しで誉め称えた。
リンカーンに好意的なある歴史家は「もしリンカーンが独裁者だったとしたら、情け深い独裁者であったと認めなければならない」と書く。しかしここまで述べたリンカーンの行いが「情け深い」とは、ブラックユーモアでしかないだろう。リンカーンは日本でも、「人民の人民による人民のための政治」という有名な言葉とともに、偉大な政治家という誤った印象が刷り込まれている。憲法と自由を蹂躙し、不必要で野蛮な戦争を推し進めた「独裁者」を崇めてはならない。
スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『リンカーン』の原作となった本書は、映画同様、リンカーンをひどく美化している。「序」で著者グッドウィンは、リンカーンを「率直であるが内面の入り組んだ、如才ないが裏表のない、感じやすいが鉄鋼の意志を持った指導者」(上巻、9頁)と歯の浮くような表現で称える。当然、本文にもリンカーンに都合の悪いことはほとんど書かれていない。それでもところどころに、自由を蹂躙した暴君の実像が垣間見える。
リンカーンが南北戦争(1861-1865)を始めたのは、世間で信じられている奴隷解放が目的ではなく、南部諸州の連邦離脱を阻止するためだった。米国自身が英国から離脱して誕生した国なのだから、南部の離脱を認めないのは自己否定である。戦争の途中から大義名分に掲げた奴隷解放にしても、米国以外の国では、奴隷反乱の起こったハイチを除き平和裏に実現されており、両軍合わせて六十万人超という当時としては米国史上空前の戦死者を出す必要などなかった。これだけでも政治指導者としてリンカーンの罪は重い。
ところがリンカーンはそれ以外にも、戦時であることを理由に、市民から言論、政治活動、人身などの自由を奪った。リバタリアンの経済史家トーマス・ディロレンゾによると、リンカーンの共和党政権が支配する北部諸州では、新聞編集者・発行人や聖職者を含む何千人もの反戦派市民が投獄された。国務長官ウィリアム・シワードは秘密警察隊を組織し、「背信行為」の疑いがあるというだけで人々を逮捕した。その際、逮捕の理由は告げられず、「犯罪」が実際にあったかどうか捜査もされず、裁判もされなかった。だが本書ではほとんど触れられない。
有名なのは、民主党の反戦派議員クレメント・ヴァランディガムが逮捕され反逆の罪で投獄された一件である。これはさすがにグッドウィンも無視できず、ヴァランディガムに「敗北主義者の扇動家」と不当なレッテルを貼ったうえではあるが、取り上げている。
オハイオ州出身の下院議員ヴァランディガムはこう訴えた。「この戦争は継続されるべきなのか?…否――戦争は一日も、否、一時間たりとも長引かせてはならない」(下巻、20頁。以下すべて下巻より)。政府軍の兵士らは深夜、ヴァランディガムの自宅に押し入り、逮捕した。「この事件で、前例のない即決裁判がおこなわれた結果、彼〔ヴァランディガム〕は有罪を宣告され」た(55頁)。当初は禁固刑だったが、これをリンカーンが「南部連合の境界線内への追放刑に軽減した」(同)と、グッドウィンはさも温情あふれる措置であるかのように持ち上げる。政府を批判し、反戦を訴えただけでたちどころに有罪になり、追放されても大したことではないらしい。
しかも「ヴァランディガムは人身保護令状の適用を訴えたが、却下された」(同)。人身保護令状(Habeas Corpus)とは、不当に拘束されて奪われた身柄の自由を回復するために裁判所に請求するもので、英米では伝統的に基本的人権として認められてきた。だがリンカーンは開戦直後の1861年4月、同令状の停止を宣言する。リンカーンはヴァランディガム逮捕後、新聞への寄稿で弁明し、合衆国憲法も、内乱ないしは外国からの侵略があった場合には人身保護令状の停止を特例として認めていると「念押しした」(58頁)。しかし憲法(第1条9節)で人身保護令状を停止する権限が認められているのは議会であり、大統領ではない。最高裁判所長官ロジャー・トーニーはその点を意見表明で批判したが、リンカーンはこれを無視した。
このほかにもリンカーンは、政府を批判する新聞に廃刊を強いたり、正当な補償なしに私有財産を接収したりした。しかしなんといっても最悪なのは、南部の非戦闘員への攻撃と財産の破壊・強奪を放置したことである。
当時すでに国際法違反だったこれらの行為を推し進めたのは、一部の暴走した兵士ではなく、リンカーンの右腕である北軍の将軍たちだった。たとえばウィリアム・シャーマンは、アトランタを占拠する際、昼夜を分かたず砲撃を繰り返し、家屋や建物をほとんど破壊しつくした。ディロレンゾによると、通りで女性や子供のおびただしい遺体を見た部下が思わず声を上げると、シャーマンは冷たくこう言い放った。「すばらしい眺め」だ、これで戦争が早く終わるのだから、と。
シャーマンの行いで最も悪名高いのは、1864年冬の「海への進軍」である。シャーマンは農作物を焼き、家畜を殺し、物資を消費し、公共施設を破壊する焦土作戦を繰り広げた。さすがにグッドウィンも、こうした「見境いのない破壊行為」は「南部の所有地と田園地帯を荒廃させ」、「市民一般が蒙った恐ろしい傷痕の記憶は、今でも南部に取り憑いて離れていない」(343-344頁)と記す。ディロレンゾによれば、北軍兵士による強姦も多く記録されている。最も被害を受けたのは、北軍が「解放」するはずの黒人女性だった。
こうした北軍の所業は、程度の差はあれ以前から続いており、リンカーンが知らなかったとは考えられない。シャーマンは「海への進軍」を始める際、「行軍途中で必要とする兵糧を自ら調達できる」(343頁)、つまり現地で食糧を奪うと公言してもいた。しかしリンカーンは、シャーマンが進軍で港町サヴァンナの占拠に成功すると、「名誉はすべて貴官のものだ」(同)と手放しで誉め称えた。
リンカーンに好意的なある歴史家は「もしリンカーンが独裁者だったとしたら、情け深い独裁者であったと認めなければならない」と書く。しかしここまで述べたリンカーンの行いが「情け深い」とは、ブラックユーモアでしかないだろう。リンカーンは日本でも、「人民の人民による人民のための政治」という有名な言葉とともに、偉大な政治家という誤った印象が刷り込まれている。憲法と自由を蹂躙し、不必要で野蛮な戦争を推し進めた「独裁者」を崇めてはならない。
2013年5月19日に日本でレビュー済み
映画「リンカーン」の原作ということ、仕事で米国と関わりがあるので上・中・下の3巻を一網打尽で購入しましたが、いっこうに読み進めない。
リンカーン夫人が派手好きだとか、南北戦争の途中で息子が亡くなるなどのリンカーンの家族にまで描写を広げたのはいいと思うが、戦争の推移よりも
そのようなサブストーリーの描写が多すぎて、南北戦争の進み具合がまったくわからない。
映画的な展開や戦争物かと思ってのスピード感のある展開を期待されてる方は別のリンカーン伝を購入されるのをお勧めします。
リンカーン夫人が派手好きだとか、南北戦争の途中で息子が亡くなるなどのリンカーンの家族にまで描写を広げたのはいいと思うが、戦争の推移よりも
そのようなサブストーリーの描写が多すぎて、南北戦争の進み具合がまったくわからない。
映画的な展開や戦争物かと思ってのスピード感のある展開を期待されてる方は別のリンカーン伝を購入されるのをお勧めします。
2014年2月15日に日本でレビュー済み
原書を先に読んで翻訳が出たので買って読んでみた。この本はアメリカ史にある程度、素養がある人であればそれなりに楽しめる。素養がない人には登場人物がいったいどこでどうなっているのか分からなくなってしまって面白く無いかもしれない。
多くの一次史料や二次資料をこれでもかと使った労作なので専門家が参考資料として読むのには向いているかもしれない。でもそのためにエンターテイメント性は犠牲になっているような気がする。
翻訳を読んでいて時々、ひっかかる所があったので原書を照らし合わせてみると、どうも訳がおかしい箇所があります。例えばmomentという単語があります。訳語として「瞬間」がよく知られていますが、「重要性」という意味もあります。「重要性」と訳さなければ意味が通らないところで無理やり「瞬間」という訳語をあてていて、文脈に無理やり合わせようと文章の意味自体も捻じ曲げてしまっている。
特に史料がそのまま引用されている箇所は、現代英語とその当時の英語でニュアンスが違うので慎重に翻訳する必要がある。訳者がそうした知識を本当に十分に持っているのか少し疑問に思った。ただ原書を読むのは大変なので翻訳を出す意義は十分にあると思う。版を重ねた時に改善の手をいれるべき。
多くの一次史料や二次資料をこれでもかと使った労作なので専門家が参考資料として読むのには向いているかもしれない。でもそのためにエンターテイメント性は犠牲になっているような気がする。
翻訳を読んでいて時々、ひっかかる所があったので原書を照らし合わせてみると、どうも訳がおかしい箇所があります。例えばmomentという単語があります。訳語として「瞬間」がよく知られていますが、「重要性」という意味もあります。「重要性」と訳さなければ意味が通らないところで無理やり「瞬間」という訳語をあてていて、文脈に無理やり合わせようと文章の意味自体も捻じ曲げてしまっている。
特に史料がそのまま引用されている箇所は、現代英語とその当時の英語でニュアンスが違うので慎重に翻訳する必要がある。訳者がそうした知識を本当に十分に持っているのか少し疑問に思った。ただ原書を読むのは大変なので翻訳を出す意義は十分にあると思う。版を重ねた時に改善の手をいれるべき。