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ぼくが愛したゴウスト (中公文庫 う 25-4) 文庫 – 2008/10/1
打海 文三
(著)
- 本の長さ313ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2008/10/1
- ISBN-10412205060X
- ISBN-13978-4122050600
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2008/10/1)
- 発売日 : 2008/10/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 313ページ
- ISBN-10 : 412205060X
- ISBN-13 : 978-4122050600
- Amazon 売れ筋ランキング: - 408,676位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一昔前、単行本で読んで「ハルビン・カフェ」の方が面白いな・・と思った。ここの「あかちゃん」さんのレビューを見て、久しぶりに読んでみるかと探したけど出てこないので、文庫本で再読。小泉さんではないが「感動した!!。」自分が年を取ったこと、打海さんが今はいないこと、伊坂さんの愛情あふれる解説、いろんな要因があるけど、私にとっては「ハルビン・・」、「裸者・愚者・覇者」と並ぶ大事な作品にランクアップ。したり顔のレビュアーの皆さん(いろんなとこにいらっしゃいます)に惑わされず、先入観なしに味わう。その後、解説を読む。「五つ星」の読書体験ができる(はずです)。内容については、ほかのレビュー(ちゃんとしたやつ)を見てね。それにしても、「覇者と覇者」の完結編を読みたいなあ・・・。
2011年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
個人的に相対性理論(バンド)が好きで、音楽雑誌の相対性理論に関する記事でこの「ぼくが愛したゴウスト」が紹介されていて興味を持ち読んでみました。
少年がある日を境に、人々に感情がないパラレルワールドに迷い込んでしまう話。
なぜパラレルワールドの人間に感情がないのかについても緻密に綴られていてなぜかリアルに感じる作品でした。
SFなのに妙にリアルっていう雰囲気は伊坂幸太郎みたいだなと思ったら解説が伊坂幸太郎っていう偶然というか必然に運命的なものを感じました。
少年がある日を境に、人々に感情がないパラレルワールドに迷い込んでしまう話。
なぜパラレルワールドの人間に感情がないのかについても緻密に綴られていてなぜかリアルに感じる作品でした。
SFなのに妙にリアルっていう雰囲気は伊坂幸太郎みたいだなと思ったら解説が伊坂幸太郎っていう偶然というか必然に運命的なものを感じました。
2008年8月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
かねがね「裸者と裸者」のシリーズに登場するパンプキン・ガールズはヘンリー・ダーガーの描くヴィヴィアン・ガールズを連想させると思っていたが、ここでは実名で登場して、しかも主人公を非現実の世界へ導く存在となっているのが嬉しい。
死ぬ、眠る。眠ればきっと夢をみる―そう、厄介なのはそこだ。(松岡和子訳)とはハムレットの言だが、きっと甘美でもあるのだろう。作者の魂はいまも非現実の世界をさまよっているのだろうか。
死ぬ、眠る。眠ればきっと夢をみる―そう、厄介なのはそこだ。(松岡和子訳)とはハムレットの言だが、きっと甘美でもあるのだろう。作者の魂はいまも非現実の世界をさまよっているのだろうか。
2005年5月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
打海文三は、主人公が子供であっても、容赦なく、非情に、過酷に彼を叩きのめす。完膚なきまで厳しく、彼を、彼の心を、鋭く打ち据える。そうした修羅の中に、いつも味方がいる。味方らしき人がいる。仲間がいる。切なく、暖かい、焦がれがあり、包み込んでくれる大きな存在が、どこかで彼を見守っている。
読み始めて驚いたのは、作者らしからぬSFファンタジーかと見誤る。軽いイージーな読書をさっと終えてしまおうか、とため息をつく。作者への軽い失望、読者への裏切りとなるかもしれない。不安要素いっぱいのストーリー展開に、当惑する。
しかし、打海文三の方向は、甘い方向に逸れてゆくことはついになかった。思いもかけぬ展開のなかで、不思議な作中人物たちとの、夢のような、幻覚のような、日々。救いのない、出口のない、閉ざされた世界での苦しみとうめきが、体感されるような、小説技法。
起承転結の意味で言えば、最終的には破綻している物語なのかもしれない。でも、この物語に、主人公の想像したとおりの真実があるとするならば、本書はとても残酷でありながら、救いに満ちた物語であるかもしれない。
人間の心とは何であるのか? 物質では証明されがたい抽象に、物語と言う形で光を当ててゆく試みを、作家たちは繰り返す。彼らに与えられた天賦の才によって。彼らの文体によって。本書は、あまりにもストレートに、心の不在、心の存在に焦点を当てた、愛と死のファンタジーである。
読み始めて驚いたのは、作者らしからぬSFファンタジーかと見誤る。軽いイージーな読書をさっと終えてしまおうか、とため息をつく。作者への軽い失望、読者への裏切りとなるかもしれない。不安要素いっぱいのストーリー展開に、当惑する。
しかし、打海文三の方向は、甘い方向に逸れてゆくことはついになかった。思いもかけぬ展開のなかで、不思議な作中人物たちとの、夢のような、幻覚のような、日々。救いのない、出口のない、閉ざされた世界での苦しみとうめきが、体感されるような、小説技法。
起承転結の意味で言えば、最終的には破綻している物語なのかもしれない。でも、この物語に、主人公の想像したとおりの真実があるとするならば、本書はとても残酷でありながら、救いに満ちた物語であるかもしれない。
人間の心とは何であるのか? 物質では証明されがたい抽象に、物語と言う形で光を当ててゆく試みを、作家たちは繰り返す。彼らに与えられた天賦の才によって。彼らの文体によって。本書は、あまりにもストレートに、心の不在、心の存在に焦点を当てた、愛と死のファンタジーである。
2011年4月19日に日本でレビュー済み
約束していた友だちが来ずひとりでコンサートに行った翔太は、帰りに駅で人身事故に遭遇する。
そのときから彼は、自分のいる環境に違和感を抱き始める。いったい自分のいる世界は、今まで
過ごしてきた世界と同じなのか?しだいに見えてきた現実を目の当たりにしたときに、彼の取った
行動は・・・。
同じようでどこか微妙に違う世界。そこに迷い込んだ11歳の少年。不安、恐れ、とまどい、悲しみ
など、彼を襲うさまざまな感情がきめ細かく描かれていて、読み手にも翔太の心情がしっかりと
伝わってくる。読んでいてやりきれない思いや切なさを強く感じた。「パラレルワールド」を題材に
しているが、独特の感性で描かれていて斬新だと思う。けれど、「彼はどうしてもうひとつの世界に
紛れ込んでしまったのか?」「彼はもとの世界に戻れるのか?」という読み始めからずっと抱いていた
疑問への答えは曖昧さを残し、個人的には納得できるものではなかった。読後満たされない思いが
残ったが、「自分がいる世界はいつもと同じ世界なのか?」「はたして自分は本当に存在している
のか?」そう思いながら余韻に浸るのは楽しかった。
そのときから彼は、自分のいる環境に違和感を抱き始める。いったい自分のいる世界は、今まで
過ごしてきた世界と同じなのか?しだいに見えてきた現実を目の当たりにしたときに、彼の取った
行動は・・・。
同じようでどこか微妙に違う世界。そこに迷い込んだ11歳の少年。不安、恐れ、とまどい、悲しみ
など、彼を襲うさまざまな感情がきめ細かく描かれていて、読み手にも翔太の心情がしっかりと
伝わってくる。読んでいてやりきれない思いや切なさを強く感じた。「パラレルワールド」を題材に
しているが、独特の感性で描かれていて斬新だと思う。けれど、「彼はどうしてもうひとつの世界に
紛れ込んでしまったのか?」「彼はもとの世界に戻れるのか?」という読み始めからずっと抱いていた
疑問への答えは曖昧さを残し、個人的には納得できるものではなかった。読後満たされない思いが
残ったが、「自分がいる世界はいつもと同じ世界なのか?」「はたして自分は本当に存在している
のか?」そう思いながら余韻に浸るのは楽しかった。
2009年8月1日に日本でレビュー済み
読み始めたときは、単純なパラレルワールドものかと思ったけど、むしろそっちのSF的な設定はあくまでも舞台に過ぎず、「人間て何?」、「人の心、愛情って何?」ということを考えさせる深い物語。
彼の小説もこれで2冊目だけど、題材によらず、深い味わいのある文章を書く人だと思った。
特に今回の最後の数十ページは、意外な展開だが、美しくせつない。
彼の小説もこれで2冊目だけど、題材によらず、深い味わいのある文章を書く人だと思った。
特に今回の最後の数十ページは、意外な展開だが、美しくせつない。
2006年4月8日に日本でレビュー済み
打海さんは色々なジャンルの作品を通して同じことを表現したいようです。
この本では量子論や自己認識などちょっとSF的な舞台仕立てですが、
やっていることは、ある意味毎度同じで打海さんのファンならそこそこ楽しめるのではないでしょうか。
ただ、面白さの底が他の本に比べて浅めで、最初に読む1冊としてはオススメできません。その分読みやすくはあるんだけどね。
しかしこの表紙デザインはないよね。
ロビンソンの家では表紙をやり直して、少しは周りの編集の理解が深まっているのかと思ったんですが…
アートディレクターは、星新一とか昔の本のイメージを狙ったのでしょうか。
それにしても古いセンスで打海さんの本でなければ絶対に手を出さないデザインです。
本当にお気の毒ですね。
この本では量子論や自己認識などちょっとSF的な舞台仕立てですが、
やっていることは、ある意味毎度同じで打海さんのファンならそこそこ楽しめるのではないでしょうか。
ただ、面白さの底が他の本に比べて浅めで、最初に読む1冊としてはオススメできません。その分読みやすくはあるんだけどね。
しかしこの表紙デザインはないよね。
ロビンソンの家では表紙をやり直して、少しは周りの編集の理解が深まっているのかと思ったんですが…
アートディレクターは、星新一とか昔の本のイメージを狙ったのでしょうか。
それにしても古いセンスで打海さんの本でなければ絶対に手を出さないデザインです。
本当にお気の毒ですね。
2008年12月23日に日本でレビュー済み
日常にふわりと浮かび上がる、ともすれば意識にも上らないような微妙な違和。そうした繊細で透明な感覚を、シンプルだが極めてユニークな方法で書き留めた良作。改めて打海文三という作家が抱く人間観/世界観の珠玉を思い知らされ、その深みで強く、揺れ惑わされた。
ある日を境に、そっくり同じだが「ちがう」世界へと迷い込んでしまった「ぼく」の物語。愛する両親、敬愛する姉、大切な友人、、、その世界に暮らす人々は、これまで「ぼく」が暮らしていた世界と全く同じにようでいてその実は「ちがう」人間。幾つかの差異こそあれ、捉え様によっては「同じ」とも見做せる「ちがい」の狭間で葛藤し、痛み、苦しむ「ぼく」の姿を通じて浮かび上がる幾つかの命題は、淡々と、しかるが故に痛切な鋭さで迫ってくる。打海氏が紡ぎ出す言葉には、一切の虚飾や欺瞞が感じられない。時に残酷なまでに誠実で、偽りの無い優しさに貫かれた文章は、胸苦しくなるほどに美しく、哀しい感情を波立てる。
パラレルワールドという古典的な要素を物語軸にしてはいるが、単純なSFミステリやジュブナイルものとは明らかに一線を画している。オチがどうだとか人物造形が疑問だとか、そうした表立った取っ掛かりだけを求める人には少しもお薦めする気はしない。それでいて同時に、人間存在の考察とでも言うべき究極の深みを、慈愛と言っても良いだろう静かな文体で切実に物語っていく今作は、打海文三という作家の最も貴重な側面が強く示された傑作だとも思うのだ。
ある日を境に、そっくり同じだが「ちがう」世界へと迷い込んでしまった「ぼく」の物語。愛する両親、敬愛する姉、大切な友人、、、その世界に暮らす人々は、これまで「ぼく」が暮らしていた世界と全く同じにようでいてその実は「ちがう」人間。幾つかの差異こそあれ、捉え様によっては「同じ」とも見做せる「ちがい」の狭間で葛藤し、痛み、苦しむ「ぼく」の姿を通じて浮かび上がる幾つかの命題は、淡々と、しかるが故に痛切な鋭さで迫ってくる。打海氏が紡ぎ出す言葉には、一切の虚飾や欺瞞が感じられない。時に残酷なまでに誠実で、偽りの無い優しさに貫かれた文章は、胸苦しくなるほどに美しく、哀しい感情を波立てる。
パラレルワールドという古典的な要素を物語軸にしてはいるが、単純なSFミステリやジュブナイルものとは明らかに一線を画している。オチがどうだとか人物造形が疑問だとか、そうした表立った取っ掛かりだけを求める人には少しもお薦めする気はしない。それでいて同時に、人間存在の考察とでも言うべき究極の深みを、慈愛と言っても良いだろう静かな文体で切実に物語っていく今作は、打海文三という作家の最も貴重な側面が強く示された傑作だとも思うのだ。