
無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
国語が子どもをダメにする (中公新書ラクレ 426) 新書 – 2012/8/9
★著者 福嶋隆史さんからのコメント 【「はじめに」全文】
国語教育がめちゃくちゃだ。
このままでは、子どもがダメになる。
日本がダメになる。
ただし、この本は国語教育の重要性を訴える本、ではない。
国語が大切――そんなことは、分かりきっている。今さら言うことではない。
問題は、その大切な国語を、まともに教えていないということだ。
その大切な国語の能力を測るテストが、狂っているということだ。
学校もダメだ。進学塾もダメだ。
感性の国語、自由すぎる国語。読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義の国語。
こういった問題点を一つひとつ明らかにし、変革していかない限り、日本の子どもはダメになる。
国語力。それは、論理的思考の技術を使いこなす能力である。
端的に言えば、論理的思考力である。
これを身につけさせることこそが、国語教育である。
これは常識だ。
しかし、現状はその常識を外れている。
まず、その現状を知ることだ。
そして、改革を始めることだ。
この本は、「国語科を日本語科と呼んだらどうか」とか、「英語教育よりまず国語教育でしょ」とか、そういう話を書いた本ではない。
国語教育が抱える問題点を洗い出し、傷口を開き、内部から切り込んでいこうとする本である。
私がこれまで世に出してきた本は一〇冊ある。
それらの多くは、「治療法」重視であった。
一方、今回は、傷口を開くことに重点を置いた。
相当、痛い。
痛みに耐えて、読んでほしい。
傷を治すには、まずその傷の位置を、傷の深さを、傷の原因を、正確に知らなくてはならない。
さあ、早速、傷口を開いていくことにしよう。
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2012/8/9
- ISBN-104121504267
- ISBN-13978-4121504265
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2012/8/9)
- 発売日 : 2012/8/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 280ページ
- ISBN-10 : 4121504267
- ISBN-13 : 978-4121504265
- Amazon 売れ筋ランキング: - 755,195位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 659位中公新書ラクレ
- カスタマーレビュー:
著者について

◆サタデーオンライン講座(超安価:10回11000円)小1以上大人まで
◆読解記述オンライン講座(超安価:20回33000円)小4以上大人まで
◆通塾生/オンライン生、通年で募集中
◆全著書28冊/総発行部数95万部
◆あなたへのメッセージ:
◎ お子さまに、質問してみてください。学校あるいは塾の国語の授業のあと、「何を学んだか言える?」と。たいていの子は、「ごんぎつね」とか「説明文」とか、題材のことを言うでしょう。しかし、「ごんぎつね」を読もうが「説明文」を読もうが、「国語力」が身についたとは言えません。
◎ ふくしま国語塾の授業を受ければ、次のように答えられるようになります。
「今日は抽象化の勉強をしたよ」「対比の観点を統一して文章を書いたよ」「後件否定の形で理由を書く練習をしたよ」
それはつまり、スキル(言語技術)を学んだということです。それらをスポーツにたとえるならば、走る・跳ぶ・投げる……といった原初的な技術になるでしょう。
◎ 「ごんぎつね」を読んだ、「説明文」を読んだ、などというのは、同じくスポーツにたとえれば、「野球をやった」「バスケをやった」「リレーをやった」といったようなもの。それは「何をやったか」であって、「どうやったか」ではない。国語というのは、まず何よりも、「どう書くか、どう読むか、どう話すか・聞くか」を学ぶ教科です。「何を書くか、何を読むか、何を話すか・聞くか」ではありません。
◎ さあ、みなさん。ふくしま式問題集をチェックして興味がわいたら、ぜひ、ふくしま国語塾の門をたたいてください。実際に通塾するのがベストですが、それがかなわないならば、オンラインがあります(これまで著書の最後に"25年1月末でオンラインはやめる"と書いてきましたが撤回しました)。
◎ ふくしま国語塾の全体像:
【オンライン講座】基本:サタデーオンライン|応用:読解記述オンライン
【通常授業】通塾生・オンライン生A(添削あり)|オンライン生B(添削なし・見るだけ)
いずれも、リアルタイム受講とともにオンデマンド受講(録画視聴)ができます。
◎ いずれにせよ、今すぐ「ふくしま国語塾」で検索し、チェックしてみてください。お待ちしております。
◆部数ランキング
①22.2万部/本当の国語力が身につく問題集
②13.9万部/本当の国語力が驚くほど伸びる本
③10.4万部/本当の国語力が身につく問題集ベーシック
④7.3万部/本当の語彙力が身につく問題集
⑤5.9万部/200字メソッド・書く力が身につく問題集
⑥5.3万部/国語の読解問題に強くなる問題集
⑦4.5万部/本当の国語力が身につく問題集2
⑧4.0万部/200字メソッドで書く力は驚くほど伸びる
⑨2.8万部/小学生の必須常識が身につく問題集
⑩2.4万部/国語読解[完全攻略]22の鉄則
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
子供の時に受けていた国語の授業は道徳教育であったことは薄々感じていたが確信に変わった。
もともとセンター国語が嫌いだったので本書を手に取ったが、やはり国語力とはかけ離れた試験であると思った。それだけでも点数が取れない自分への慰めになったので読んで良かった。
この本は小さなお子さんを持つ親には是非読んでもらいたいと思います。この筆者がやっているようなトレーニングを小さいうちから行えば国語力だけでなく思考力も伸びると思います。
具体的な事は何も書きませんでしたが少しでも興味があれば読んで損はないと思います。
そこまででも幾らか突っ込むところはあったが、形式と内容の評価の順いづげにおいて、それだけの文でどちらが好きか決まったような素振りで書いているが、その人がどういうものであるかもわからない状態において、用途が狭い、用途が広いという対比だけを用いて、筆者がどちらか好きかを決められるかのように語っている。例えば、その後に「だが、私はそうではない側が好きである、」とでも続けられれば破綻するもので決めているのだからお笑い草だ。このレベルの国語教師がまだましというレベルなのが国語教育の残念な現状そのものなだろうことだけがわかった。
今日から、国語教育を「技能教育」として再定義する。
俺が現状を変えてやる。
本書はそうした気概にあふれている。
内容は、明快で具体的。
・国語は道徳教育ではない。読む・書く・聞く・話すの「技能」指導が大切だ。
・「自由な鑑賞」などと言い出す前に、前提として必要になる実力を「型」で身に付けよ。
・「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」が技能の本質だ。
3つの技能は、トレーニング方法を含めて詳しく解説されている。
「学習可能なメソッド」として、利用価値の高いものだ。
実物入試問題の「悪問」解説も、読み応えがある。
出題者の勘違いや浅慮、誤読がリアルに示され、そこに「技能なき国語教育」の罪を見てとることができる。
指導要領や、過去問参考書の模範解答(ミスだらけ)を「正」として教えている国語教師、講師は、顔が真っ赤になるはずだ。
受験勉強は,国語に限らず,自ずと限界があるのだ。
それは「受験勉強=学問」でないことと同じである。
本来の国語力を養うのに必要なものとは,例えば故橋本武先生のスローリーディングかもしれないが,それでは現代の受験には対応しないのである。
橋本先生の授業は,灘高では許されても,並みの進学校ではクレームの嵐であるに違いない。
著者は国語教育の場で、テキストを読ませて感想を聞く、時には戦争のテキストを読ませ「戦争は悪い」「悲しい」的な道徳の世界に踏み込んでしまう教育のあり方に異議を唱える。多くの人は忘れたかもしれないが、「ちいちゃんのかげおくり」や「夏の葬列」で鬱展開な物語を読まされ、空気を読んで「かわいそうでした」的な意見を言う。「ちいちゃん」自体に罪はないけど、国語の授業ではない。著者は国語という教科を「人と情報をやりとりするための言葉の形式、機能を学ぶ教科である」と意義付ける。論理立てて伝える、接続詞を正確に使うなど、人に伝えるための「型にハマった文章」を読んで書くべきだ、という。
だが、今の国語教育はそうではない。中学入試ですら、鷲田清一とか山崎正和、鈴木孝夫(面白い本も多いけど)経文みたいな論説文を読まされる。文章の並べ替えや、脱文挿入、「『それ』とは何か」などコミュニケーションの上達とは関係のない、悪問のオンパレード。これでは人に物事を伝える力は育たない。という意味で本来の国語ではない。
本題からそれるが、20世紀までの日本人は、以心伝心的な精神的土壌があって、「日本人ならこう感じろ」という共有すべきジャパニーズスタンダードを育てるための国語教育だったのではないか、と感じた。先述の「ちいちゃん」で言えば「戦争=悲しいもの」、「故郷」は「久しぶりの故郷は懐かしくていいもんだ」、「メロス」なら「努力・友情・勝利」か。でも今どきの日本社会は、対テロ戦争は正義、故郷は東京、昔の友達はマルチの売人かも……とか。いずれにしろ、以心伝心で察してもらうんじゃなく、多様な価値観を、きちんとした論理に基づく言葉で対話しないといけない社会だ。そんな社会を生きる術を21世紀の国語は指導すべきだろう。
そういえば、「ちいちゃん、まだ現役だったか」というのは「 国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書) 」でも感じた気がする。