希代の国際政治学者高坂正堯は多くの著書を残し、講演を数多く熟してきた。公的、私的に関わらず
政治的な集まりでの存在も目立っていた。然しながら、高坂の人生や著書、思考の推移などを系統的に
捉えた作品は非常に少ない。弟の高坂節三氏が記した高坂正顕・正堯親子を追った「昭和の宿命を見つめた眼」
ぐらいか。本書「高坂正堯 戦後日本と現実主義」は、完璧に高坂正堯の評伝であり、彼の著書や思考の
流れを極めて系統的に綴った解説書である。著者は、京大法学部の出身であはあるが、正確な意味で
高坂の教え子ではない。だが、入学して間もないころには高坂の著書をすべて読破していたというほどの
高坂ウォッチャーである。高坂に近すぎないことで、このような客観的な評伝が書けたのだろうと思う。
高坂に対する敬意を最大限に表しながら、高坂の意見の変遷や、予見の間違いなどをきちっと指摘
している。高坂が国際政治学者として生きた時代は、高坂を筆頭とする「現実主義者」と「理想主義者」
の葛藤の歴史であった。今でこそ「現実主義」は「理想主義」を凌駕して来ていると言えるが、
当時は学生運動も過激であった時代で、その攻撃目標には必ず猪木正道や高坂たち現実主義者が
いた。私自身、学生運動が一時期の全盛期よりは些かピークアウトしていたとは言え、高坂のゼミ生として
すべてのゼミを過激派学生に壊され、大学内でゼミが出来ずに、お寺を借りて高坂教授のゼミを受けた
経験を持っている。高坂先生にとっては、一人のゼミ生に過ぎない私だが、やはり先生の教えは
今までの私の政治や経済を考えるうえでの指針となっており、先生の著書の多くは書棚にある。
著者は最後に「いまも高坂は多くの日本人の心に生きている」と結ぶが、これは決して大げさな
美辞麗句ではなく、高坂と些かでも接点のあった人間には間違いなく共通している心情であると
私は思っている。
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高坂正堯―戦後日本と現実主義 (中公新書) 新書 – 2018/10/19
服部 龍二
(著)
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日本における国際政治学の最大の巨人・高坂正堯(1934~96)。中立志向の理想主義が世を覆う60年代初頭、28歳で論壇デビューした高坂は、日米安保体制を容認、勢力均衡という現実主義から日本のあり方を説く。その後の国際政治の動向は彼の主張を裏付け、確固たる地位を築いた。本書は、高坂の主著、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにする。
- 本の長さ424ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2018/10/19
- ISBN-104121025121
- ISBN-13978-4121025128
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商品の説明
著者について
服部龍二
中央大学総合政策学部教授.1968年東京都生まれ.92年京都大学法学部卒業.97年神戸大学大学院法学研究科単位取得退学.拓殖大学政経学部助教授などを経て現職.著書に『広田弘毅』(中公新書,2008年),『日中国交正常化――田中角栄,大平正芳,官僚たちの挑戦』(中公新書,2011年,大佛次郎論壇賞,アジア・太平洋賞特別賞受賞)『大平正芳――理念と外交 (岩波現代全書,2014年),『外交ドキュメント歴史認識』(岩波新書,2015年)、『中曽根康弘』(中公新書、2015年)他多数
中央大学総合政策学部教授.1968年東京都生まれ.92年京都大学法学部卒業.97年神戸大学大学院法学研究科単位取得退学.拓殖大学政経学部助教授などを経て現職.著書に『広田弘毅』(中公新書,2008年),『日中国交正常化――田中角栄,大平正芳,官僚たちの挑戦』(中公新書,2011年,大佛次郎論壇賞,アジア・太平洋賞特別賞受賞)『大平正芳――理念と外交 (岩波現代全書,2014年),『外交ドキュメント歴史認識』(岩波新書,2015年)、『中曽根康弘』(中公新書、2015年)他多数
登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2018/10/19)
- 発売日 : 2018/10/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 424ページ
- ISBN-10 : 4121025121
- ISBN-13 : 978-4121025128
- Amazon 売れ筋ランキング: - 87,227位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 416位中公新書
- - 9,308位社会・政治 (本)
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2022年10月16日に日本でレビュー済み
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とても今の時代にマッチする。
2020年4月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は大学のゼミ課題の1つとしてこの本を読んだ。学問に関して無知な私は初めてこのような本を読んだが、とても面白くすぐに読み切ってしまった。
全体を通して非常に読みやすい印象を覚えた。高坂氏の父・高坂正顕氏について生い立ちなども書かれていて、学問に関して不自由ない環境で育ったと言える高坂氏が学問の道を進んだことも自然なことに思える。また、高坂氏から正顕氏をはじめとする家族への深い思いもこの本を通して感じられた。
著者は、高坂氏について、高坂氏が今後の国際状況についての予測を見誤ったことから、氏が執筆した本の参考文献の出版年の違いを指摘するに至るまで、細部に渡って氏を調べ上げていて尊敬した。さすがにその著者も高坂氏の本心までは知る由もないが、高坂氏が直面した様々な社会問題や政治的問題についての高坂氏の考えや、時を経て変遷していくその考えについて深く考えさせられる内容だった。この本を通して一読者である私も、高坂氏の温厚な性格や教育に関して熱心であること、また自分の生徒の学びを尊重する姿勢などを感じ、感銘を受けた。中でも私にとって最も印象深いのは著者がはしがきの部分で述べている「高坂の評伝を記す今日的意義」の1つでもある、歴代の内閣、政治と高坂氏のかかわり合いである。高坂氏は吉田茂氏をはじめ、歴代の政権に関与していた。吉田氏と高坂氏が関わりを持つようになったのは吉田氏が政界を引退することを表明する前後とされるが、その後の佐藤榮作内閣ではブレーンの役割をするなど日本の政治において重要な役割を任されていたと言える。また、本書でも取り上げられているが高坂氏は1995年に「佐藤栄作―『待ちの政治』の虚実」という佐藤氏の小伝を書いており、その中で学者・知識人と政治家とのやりとりについて「“キャッチボール”とは言い得て妙で、両者がそれぞれ独立に考え、行動しながら、お互いに啓発されるというのがあるべき姿」だと述べており、そこに高坂氏の人柄を感じる。佐藤内閣だけでなく、また違う内閣の時も高坂氏はブレーンとして起用されている。
高坂氏は政治において重宝されることもあり、その方面で忙しい時期が多かったと推測される。また高坂氏はテレビ番組にレギュラー出演するなど、他方面でも忙しさをましていく。その中にあっても自分の研究をおろそかには決してせず、さらには教え子に対しても愛情を注ぎ、大学院やゼミの生徒ではなくても学ぶ意欲のある学生には親身になって応えるなど、教育者として素晴らしい人柄であったようだ。
この本にはこの他にも高坂氏の良い人柄、たまには失敗談など高坂氏の生涯について事細かに書かれている。このような類の本を私は初めて読んだがこの本を通して、著者は意図していないかもしれないが私の学問に対する意欲がとても刺激された。この本を読んでよかったと思える一冊であった。
全体を通して非常に読みやすい印象を覚えた。高坂氏の父・高坂正顕氏について生い立ちなども書かれていて、学問に関して不自由ない環境で育ったと言える高坂氏が学問の道を進んだことも自然なことに思える。また、高坂氏から正顕氏をはじめとする家族への深い思いもこの本を通して感じられた。
著者は、高坂氏について、高坂氏が今後の国際状況についての予測を見誤ったことから、氏が執筆した本の参考文献の出版年の違いを指摘するに至るまで、細部に渡って氏を調べ上げていて尊敬した。さすがにその著者も高坂氏の本心までは知る由もないが、高坂氏が直面した様々な社会問題や政治的問題についての高坂氏の考えや、時を経て変遷していくその考えについて深く考えさせられる内容だった。この本を通して一読者である私も、高坂氏の温厚な性格や教育に関して熱心であること、また自分の生徒の学びを尊重する姿勢などを感じ、感銘を受けた。中でも私にとって最も印象深いのは著者がはしがきの部分で述べている「高坂の評伝を記す今日的意義」の1つでもある、歴代の内閣、政治と高坂氏のかかわり合いである。高坂氏は吉田茂氏をはじめ、歴代の政権に関与していた。吉田氏と高坂氏が関わりを持つようになったのは吉田氏が政界を引退することを表明する前後とされるが、その後の佐藤榮作内閣ではブレーンの役割をするなど日本の政治において重要な役割を任されていたと言える。また、本書でも取り上げられているが高坂氏は1995年に「佐藤栄作―『待ちの政治』の虚実」という佐藤氏の小伝を書いており、その中で学者・知識人と政治家とのやりとりについて「“キャッチボール”とは言い得て妙で、両者がそれぞれ独立に考え、行動しながら、お互いに啓発されるというのがあるべき姿」だと述べており、そこに高坂氏の人柄を感じる。佐藤内閣だけでなく、また違う内閣の時も高坂氏はブレーンとして起用されている。
高坂氏は政治において重宝されることもあり、その方面で忙しい時期が多かったと推測される。また高坂氏はテレビ番組にレギュラー出演するなど、他方面でも忙しさをましていく。その中にあっても自分の研究をおろそかには決してせず、さらには教え子に対しても愛情を注ぎ、大学院やゼミの生徒ではなくても学ぶ意欲のある学生には親身になって応えるなど、教育者として素晴らしい人柄であったようだ。
この本にはこの他にも高坂氏の良い人柄、たまには失敗談など高坂氏の生涯について事細かに書かれている。このような類の本を私は初めて読んだがこの本を通して、著者は意図していないかもしれないが私の学問に対する意欲がとても刺激された。この本を読んでよかったと思える一冊であった。
2020年4月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は高坂正堯氏の生涯について、その為人に始まり歴代の政権に与えた影響や氏の外交論に至るまで様々な側面から掘り下げた伝記である。著者の服部龍二氏は高坂氏の授業を受講しており(はしがき、5章)、全章を通じて氏の功績を高く評価しているが、同時に氏が国際情勢の読みを誤ったことに言及するなど(5章)、氏の生涯について客観的かつ公平に著されているように感じた。
序章は氏の生育歴への記述から始まる。氏が哲学者高坂正顕氏の息子として生まれ、幼少期から学術的に極めて恵まれた環境で育ったこと、高校2年生の時には「カール・マルクスの資本論」を英語で読んだことが記されており、教育がいかに大事であるか感じずにおれなかった。氏の勉学に向けられた熱心かつ謙虚な姿勢は生涯を通じてますます深まっている。歴代政権に対してある時はブレーンとして、またある時は一定の距離を置きながら、実際の政治にも関わったことが記されているが(3章・4章)、自らについて「自分は公共財だ」
と述べ、学問・政治・文筆の各方面に全力を尽くされた姿が描かれている。
また、氏の生涯を見れば、学問がまさに「巨人の肩の上にある」ものであることを痛感する。2章では氏が「ウィーン会議と『ヨーロッパ』」におけるヨーロッパの定義について、それを「『連邦』とも呼ぶべき政治体制を指し、『単なる力の釣合以上のものであり、道徳的、文化的紐帯を含む概念』」だとしていたことが記されている(1章)。そして、これがF.L.シューマンやハンス・モーゲンソーらに着想をえていると著者は指摘している。さらに、この概念は現代においても影響を与えていることが窺える。細谷雄一氏の「国際秩序」(中公新書、2012年)では、国際秩序の体系について、「均衡」「強調」「共同体」の3概念を用いて説明されるとして、勢力均衡と価値観の共有との関係をこのように説明している。「勢力均衡とは最も基礎的な国際秩序ということができる。なぜならば、そこにおいては価値観が共有されることや、文化的な紐帯が深まっていることはそれほど必要ではないからだ」(同書15頁)として、それらの関係は「協調の体系」、さらには「共同体の体系」へと発展すると述べている。これらの文章からは細谷氏が高坂氏の考えに影響を受けていることが推測される。このように、学問が受け継がれ、発展していくことを体験でき、感動せずにいられなかった。
序章は氏の生育歴への記述から始まる。氏が哲学者高坂正顕氏の息子として生まれ、幼少期から学術的に極めて恵まれた環境で育ったこと、高校2年生の時には「カール・マルクスの資本論」を英語で読んだことが記されており、教育がいかに大事であるか感じずにおれなかった。氏の勉学に向けられた熱心かつ謙虚な姿勢は生涯を通じてますます深まっている。歴代政権に対してある時はブレーンとして、またある時は一定の距離を置きながら、実際の政治にも関わったことが記されているが(3章・4章)、自らについて「自分は公共財だ」
と述べ、学問・政治・文筆の各方面に全力を尽くされた姿が描かれている。
また、氏の生涯を見れば、学問がまさに「巨人の肩の上にある」ものであることを痛感する。2章では氏が「ウィーン会議と『ヨーロッパ』」におけるヨーロッパの定義について、それを「『連邦』とも呼ぶべき政治体制を指し、『単なる力の釣合以上のものであり、道徳的、文化的紐帯を含む概念』」だとしていたことが記されている(1章)。そして、これがF.L.シューマンやハンス・モーゲンソーらに着想をえていると著者は指摘している。さらに、この概念は現代においても影響を与えていることが窺える。細谷雄一氏の「国際秩序」(中公新書、2012年)では、国際秩序の体系について、「均衡」「強調」「共同体」の3概念を用いて説明されるとして、勢力均衡と価値観の共有との関係をこのように説明している。「勢力均衡とは最も基礎的な国際秩序ということができる。なぜならば、そこにおいては価値観が共有されることや、文化的な紐帯が深まっていることはそれほど必要ではないからだ」(同書15頁)として、それらの関係は「協調の体系」、さらには「共同体の体系」へと発展すると述べている。これらの文章からは細谷氏が高坂氏の考えに影響を受けていることが推測される。このように、学問が受け継がれ、発展していくことを体験でき、感動せずにいられなかった。
2018年10月28日に日本でレビュー済み
いや、高坂氏の伝記ですか、こんな作品が出る時代になったんですな。懐かしさでじっくりと読まさせていただきました。僕の本棚には高坂氏の作品は「国際政治」と「ガリバー旅行記を読む」の二つしかありませんが、70年代後半に国際政治学を学び始めたものにとってさえ、前者はすでに当時の時点で古典としての地位を得ていたものです。
さて本書の狙いは4つです。一つは戦後の日本の知的潮流の追体験、二つは戦後日本での国際政治学の歴史。三つ目は歴代政権への高坂氏の関与と評価。そして第四は現代への示唆。そういう意味では射程の広い、大胆な狙いの作品です。本書には注はありませんが、巻末の参考文献はかなり詳細で、関係者との面談もなされたようです。
さて出来上がりはどうでしょうか。高坂氏の生涯は丁寧に描かれました。特に青年期から日米安保のデモを横目に見ながらの米国留学の部分はこれまでは余り知られておらず、興味深い部分でした。高坂氏も戦後民主主義の申し子なんだなという当たり前の事実が再確認されます。また歴代政権への関与の部分も詳細に跡付けられており参考になります。全体を通して読んでみると、高坂氏のスタイルと価値観がそれなりに公私を通して首尾一貫したものであることが丁寧に描かれており、よくわかります。
これに関連して提示される戦後日本の知的潮流の流れは、限定的な提示にとどまっています。最初の坂本氏との論争の部分は、著者の整理の仕方がまずいのでしょうか、そこから浮かび上がる印象は高坂氏と坂本氏との間の距離の意外なほどの近さです。今から振り返ってみると、戦争と自国の軍備へのアレルギーという坂本氏の特徴を除くと、両者の差異は思っていたより小さい印象を与えます。むしろ、永井氏と高坂氏との間の差異の方が、軍事・政治リアリストという区分や吉田ドクトリンという人工的な造語に潜む陥穽や矛盾を指摘する点ではツボをついています。むしろ本書では高坂氏の度重なる現実での予測や判断の失敗が指摘されており、これは高坂氏の限界を捉える中で参考になります。
高坂氏を通じて日本での国際政治学という学問の歴史をたどるという狙いはうまく果たされていないようです。私がこの学問を学び始めた70年代後半ですら、高坂氏は国際政治学者というとらえ方は余りされていなかったような記憶があります。本書の著者自身、高坂の初期の著作(西欧国家体系の重視と力・利益・価値の体系という抽象化)はかなりの部分でmorgenthau、schuman、Carrの著作に負うところが大であり、独創的な部分はあまりないと結論付けているほどです。というより、この学問自体が学という「体系」をいい意味でも悪い意味でも備えているものではないのです。高坂氏自身もこの学問を「鵺」のようなものと捉えていたような観を受けます。だからこそ、その「学」としての限界をふまえた上で、所詮はたわごとの品評会でもある学会に出ることもなく、ユニークな存在として見えない形で現実の政策形成に関与し、弟子や教え子たちの「対象」への様々なアプローチを許容していたのかもしれません。
高坂氏の湾岸戦争後のスタンスの変化を扱った6章と7章の部分は戦後民主主義の申し子でもあった氏の変貌を扱った部分です。この部分こそが本書の特色でしょう。言葉の遊びに堕した日本の戦後の到達点を目にした高坂氏が従来の京都弁を捨てて、「戦闘的」な自由主義者に変貌した姿です。高坂氏が今も存命であればどのような政策提言をしたか聞いてみたいものです。
さて本書の狙いは4つです。一つは戦後の日本の知的潮流の追体験、二つは戦後日本での国際政治学の歴史。三つ目は歴代政権への高坂氏の関与と評価。そして第四は現代への示唆。そういう意味では射程の広い、大胆な狙いの作品です。本書には注はありませんが、巻末の参考文献はかなり詳細で、関係者との面談もなされたようです。
さて出来上がりはどうでしょうか。高坂氏の生涯は丁寧に描かれました。特に青年期から日米安保のデモを横目に見ながらの米国留学の部分はこれまでは余り知られておらず、興味深い部分でした。高坂氏も戦後民主主義の申し子なんだなという当たり前の事実が再確認されます。また歴代政権への関与の部分も詳細に跡付けられており参考になります。全体を通して読んでみると、高坂氏のスタイルと価値観がそれなりに公私を通して首尾一貫したものであることが丁寧に描かれており、よくわかります。
これに関連して提示される戦後日本の知的潮流の流れは、限定的な提示にとどまっています。最初の坂本氏との論争の部分は、著者の整理の仕方がまずいのでしょうか、そこから浮かび上がる印象は高坂氏と坂本氏との間の距離の意外なほどの近さです。今から振り返ってみると、戦争と自国の軍備へのアレルギーという坂本氏の特徴を除くと、両者の差異は思っていたより小さい印象を与えます。むしろ、永井氏と高坂氏との間の差異の方が、軍事・政治リアリストという区分や吉田ドクトリンという人工的な造語に潜む陥穽や矛盾を指摘する点ではツボをついています。むしろ本書では高坂氏の度重なる現実での予測や判断の失敗が指摘されており、これは高坂氏の限界を捉える中で参考になります。
高坂氏を通じて日本での国際政治学という学問の歴史をたどるという狙いはうまく果たされていないようです。私がこの学問を学び始めた70年代後半ですら、高坂氏は国際政治学者というとらえ方は余りされていなかったような記憶があります。本書の著者自身、高坂の初期の著作(西欧国家体系の重視と力・利益・価値の体系という抽象化)はかなりの部分でmorgenthau、schuman、Carrの著作に負うところが大であり、独創的な部分はあまりないと結論付けているほどです。というより、この学問自体が学という「体系」をいい意味でも悪い意味でも備えているものではないのです。高坂氏自身もこの学問を「鵺」のようなものと捉えていたような観を受けます。だからこそ、その「学」としての限界をふまえた上で、所詮はたわごとの品評会でもある学会に出ることもなく、ユニークな存在として見えない形で現実の政策形成に関与し、弟子や教え子たちの「対象」への様々なアプローチを許容していたのかもしれません。
高坂氏の湾岸戦争後のスタンスの変化を扱った6章と7章の部分は戦後民主主義の申し子でもあった氏の変貌を扱った部分です。この部分こそが本書の特色でしょう。言葉の遊びに堕した日本の戦後の到達点を目にした高坂氏が従来の京都弁を捨てて、「戦闘的」な自由主義者に変貌した姿です。高坂氏が今も存命であればどのような政策提言をしたか聞いてみたいものです。
2020年5月21日に日本でレビュー済み
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70年代日米安保にマスコミは反対だった。沖縄返還にも反対だった。消費税導入時もそうだった。しかし、今は朝日新聞でさえ、日米安保も消費税を支持しているし、沖縄返還は追認している。高坂氏の先見の目がわかる。