田澤耕の本の中で1番面白いと思った。特に終章「辞書と私」。
今までいろいろなテーマで著書が出ているが、やはり<辞書屋>なのだと。
外国語の辞書をひとりで編んだ著者を改めて尊敬する。
加えて、ドラマとして選んだ辞書のチョイスがいい。
大言語と、身近な言語と、少数言語がバランスよく選ばれている。

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〈辞書屋〉列伝 - 言葉に憑かれた人びと (中公新書 2251) 新書 – 2014/1/24
田澤 耕
(著)
ドラマのない辞書はない! オックスフォード英語辞典、日本初の国語辞典「言海」、ヘボンが作った和英辞典など、苦闘と情熱を描く
- 本の長さ266ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2014/1/24
- ISBN-104121022513
- ISBN-13978-4121022516
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2014/1/24)
- 発売日 : 2014/1/24
- 言語 : 日本語
- 新書 : 266ページ
- ISBN-10 : 4121022513
- ISBN-13 : 978-4121022516
- Amazon 売れ筋ランキング: - 407,045位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 1,744位中公新書
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年9月10日に日本でレビュー済み
最終章は本人さんのミニ伝記になっている。
カタルーニャの地域と文化と言語にはまってしまい辞典まで作って
しまう話に感動した。
田澤氏の近著を必ず読もうという気になった。
カタルーニャの地域と文化と言語にはまってしまい辞典まで作って
しまう話に感動した。
田澤氏の近著を必ず読もうという気になった。
2016年8月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「新書」という制約のため いろいろ網羅せず 特定のある種に限って 簡素ではありながらも 新たに思わされる内容が 掲載されている○
これまで発刊された同種の(専門的書籍を含み)書籍にみられなかった 裏事情も端々にある○
特に「カタルーニャ語辞典」については複雑な経緯が示されており 筆者の実体験も活かされているようだ○
スルスルと通読でき 興も深いので 語学(日本語・英語・etc,etc・・・)に少しでも携わる 又は 興味のある 諸子には 雑誌・ゲームに充てる時間を 当該小誌通読に 是非とも充てることを奨める○
これまで発刊された同種の(専門的書籍を含み)書籍にみられなかった 裏事情も端々にある○
特に「カタルーニャ語辞典」については複雑な経緯が示されており 筆者の実体験も活かされているようだ○
スルスルと通読でき 興も深いので 語学(日本語・英語・etc,etc・・・)に少しでも携わる 又は 興味のある 諸子には 雑誌・ゲームに充てる時間を 当該小誌通読に 是非とも充てることを奨める○
2014年3月18日に日本でレビュー済み
この本は、面白い!
辞典愛好家でなくとも、ぜひ一読をお奨めしたい。1つの辞書が世に出るには、多くの出来事を経ている。
人に歴史あり。辞書に歴史あり。というわけで、海外各国の言語に関する辞書にも詳しく言及している。
「国の成立のためには母国語の辞書が必要だ」という辞書編纂者の言葉には深く感銘を受けた。
日本の『言海』の編纂者・大槻文彦先生の艱難辛苦についてはもう少し頁をさいて詳述してほしかった。
この本が読者を魅了する理由は、読者をぐいぐい引き込む著者の筆致によるところが大きい。
辞典愛好家でなくとも、ぜひ一読をお奨めしたい。1つの辞書が世に出るには、多くの出来事を経ている。
人に歴史あり。辞書に歴史あり。というわけで、海外各国の言語に関する辞書にも詳しく言及している。
「国の成立のためには母国語の辞書が必要だ」という辞書編纂者の言葉には深く感銘を受けた。
日本の『言海』の編纂者・大槻文彦先生の艱難辛苦についてはもう少し頁をさいて詳述してほしかった。
この本が読者を魅了する理由は、読者をぐいぐい引き込む著者の筆致によるところが大きい。
2014年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第1章「OED ジェームス・マレー」, 第4章「言海−大槻文彦」、第5章「明治の知識人に大きな影響を及ぼした二人の辞書屋―ウェブスターとヘボン」に関してはネタ本が少なくない。著者は英語の辞書を編集した経験はないようなので、これらの章はネタ本の孫引きであろう。既にネタ本を読んだことがある人には何も面白くない。
第2章「ヘブライ語大辞典」、第3章「カタルーニャ語辞典・バレンシア語・バレアルス語辞典」、第6章「西日辞典」、第7章「スペイン語用法辞典」は評者にその方面の予備知識がないため多少とも新鮮に読めた。最終章「辞書と私」はカタルーニャ語辞典編集に取り組んだ著者自身の奮闘記だけにもっとも迫力がある。列伝などとせず、むしろこの章にのみ集中して書いた方が読者に好感を持たれたのではないだろうか。
なお、lexicographerを「辞書屋」と呼ぶのはカタルーニャ語辞典編集のレベルではそうかもしれないが、日本語、英語の辞書編集のレベルでは妥当でないことを評者は指摘しておきたい、
第2章「ヘブライ語大辞典」、第3章「カタルーニャ語辞典・バレンシア語・バレアルス語辞典」、第6章「西日辞典」、第7章「スペイン語用法辞典」は評者にその方面の予備知識がないため多少とも新鮮に読めた。最終章「辞書と私」はカタルーニャ語辞典編集に取り組んだ著者自身の奮闘記だけにもっとも迫力がある。列伝などとせず、むしろこの章にのみ集中して書いた方が読者に好感を持たれたのではないだろうか。
なお、lexicographerを「辞書屋」と呼ぶのはカタルーニャ語辞典編集のレベルではそうかもしれないが、日本語、英語の辞書編集のレベルでは妥当でないことを評者は指摘しておきたい、
2016年1月3日に日本でレビュー済み
中には面白い事例も含まれているが、正確さや精緻さに難のあるものも含まれ、辞書編纂への理解や敬意が疑われるのは遺憾なところである。
OEDや言海は比較的よく知られた事例であるし、他レビュアー氏の指摘にあるように、堀達之助は吉村昭「黒船」の数ページに渡る引き写しなのは感心しない。(同作は名著だが、「小説」を引っ張ってきてはいけない。)
ヘブライ語のケースや筆者の体験談は目新しいが、後者は中公新書に納めるほどのことかいささか疑問がある。
OEDや言海は比較的よく知られた事例であるし、他レビュアー氏の指摘にあるように、堀達之助は吉村昭「黒船」の数ページに渡る引き写しなのは感心しない。(同作は名著だが、「小説」を引っ張ってきてはいけない。)
ヘブライ語のケースや筆者の体験談は目新しいが、後者は中公新書に納めるほどのことかいささか疑問がある。
2014年4月2日に日本でレビュー済み
映画になった小説「舟を編む」が話題になり、辞書編集者が自分の仕事術を語る新書が何冊か出ているが、本書はスケールが違う。ワールドワイドに桁外れの辞書屋10人の物語だ。「舟を編む」は、「言語という大海を渡るための船=辞書」という意味で付けられたタイトル。その喩えを借りるなら、本書の登場人物は、大海を泳ぎながら舟を編んだり、一人でタンカーを編み出したりと、無謀というか壮挙といえる。彼らがほぼ生涯を費やした、あるいは生涯かけても完成せず、後継者たちが書き継いだ辞書編集の物語は、編集者たちの人生も振り返る内容になっている。
ヘブライ語辞書、オックスフォード英語辞典、田舎の修道士が書いたカタルーニャ語大辞典など、どの辞書の物語も楽しいが、一番読み応えがあるのは、初の日本人向け日本・カタルーニャ辞典を10年かけて書いた著者自身の辞書編集者への道ではないか。会社派遣でスペインに留学して語学にハマる。さらに留学先だったバルセロナで、日本人には未知の言語・カタルーニャ語を見聞きし、たまたま学んだ辞書学で博士論文を取り、辞書作りに目覚めてしまう。銀行員から「辞書屋」へ。見えない力に背中を押され、ぐねぐねと回り道をした末に、辞書の世界に入った著者だから、誰もやったことのない辞書を書き上げた人たちの情熱が理解できたのだろう。100年たっても変わらない「辞書屋魂」がよく伝わる。
著者がスペイン西部・カタルーニャの言語研究者ということもあって、フランコ独裁時代の左派・民族主義弾圧の話も多い。本書には学術的な要素は一切なく、人物伝や物語として楽しめる本だが、本書は「言葉は民族のアイデンティティ、文化を強く反映する」という著者の意識を感じさせる。著者に思い入れがあるとのことだが、「スペイン語用法辞典」のマリア・モリネールを入れることで男女のバランスにも目配せしている点も好感を持った。
ヘブライ語辞書、オックスフォード英語辞典、田舎の修道士が書いたカタルーニャ語大辞典など、どの辞書の物語も楽しいが、一番読み応えがあるのは、初の日本人向け日本・カタルーニャ辞典を10年かけて書いた著者自身の辞書編集者への道ではないか。会社派遣でスペインに留学して語学にハマる。さらに留学先だったバルセロナで、日本人には未知の言語・カタルーニャ語を見聞きし、たまたま学んだ辞書学で博士論文を取り、辞書作りに目覚めてしまう。銀行員から「辞書屋」へ。見えない力に背中を押され、ぐねぐねと回り道をした末に、辞書の世界に入った著者だから、誰もやったことのない辞書を書き上げた人たちの情熱が理解できたのだろう。100年たっても変わらない「辞書屋魂」がよく伝わる。
著者がスペイン西部・カタルーニャの言語研究者ということもあって、フランコ独裁時代の左派・民族主義弾圧の話も多い。本書には学術的な要素は一切なく、人物伝や物語として楽しめる本だが、本書は「言葉は民族のアイデンティティ、文化を強く反映する」という著者の意識を感じさせる。著者に思い入れがあるとのことだが、「スペイン語用法辞典」のマリア・モリネールを入れることで男女のバランスにも目配せしている点も好感を持った。
2014年5月1日に日本でレビュー済み
田澤さんは大学を出た後、東京銀行に入り、そこからバルセロナに留学させてもらう。しかし、そこでの言語はスペイン語ではなくカタルーニャ語で、この言語体験によって田澤さんは言語に対する興味を覚える。バルセロナで研修、仕事を含め3年過ごしたあと、勉学の夢さめやらず大阪外大に進み、カタルーニャ語についての修士論文を書き上げた。卒業後、長崎の短大、関西の外大に就職した。だが、その二つの大学では留学ができないと悟ると、奥さんの後押しもあってバルセロナ大学へ学位をとるために留学するのである。このときもスペイン政府の留学給付試験に通り、さらに、バルセロナ大学日本語講座の初代講師をいう職まで得るのである。どこまでも運の強い人である。そこでかれは辞書学というものを知り、カタルーニャ語と日本語の二言語辞書について博論を書きあげる。そんな田澤さんだから、本書もスペイン語、カタルーニャ語の辞書を編んだ人の伝記が中心となるのだが、OED、ウエブスター、『言海』、『英和対訳袖珍辞書』などは特に新しいものを感じられない。とりわけ、『袖珍』の編者堀達之助の記述は吉村昭の『黒船』をそのままもってきたかのような書きぶりである。しかも、この辞書の編纂過程の研究は吉村昭が『黒船』(1991)を書いたときから随分進歩しているのに、吉村段階で終わっている。日本語学の櫻井豪人の論考、少なくとも堀孝彦『開国と英和辞書 -評伝・堀達之助』(港の人)には目を通していないといけない。どこかの新聞の書評でも述べていたが、そもそも、ぼくはこのタイトルの<辞書屋>という呼び方にひっかかる。実は、一年ほど前、ぼくは『字幕屋のニホンゴ渡世奮闘記』という本の書評も自分のブクログで書いていて、そのときはほとんど抵抗を感じなかったのだが、この本にはひっかかる。田澤さん自身が、「辞書というものは理論だけではできない。極論すれば辞書に大した理論などいらない」というのは辞書編纂者に対する冒涜、侮辱ではないか。田澤さんからすれば、辞書屋は職人芸であるといいたいのだろう。しかし、辞書についてはそれを使うのはふさわしくない。ここで列伝を立てられている人たちも辞書屋と呼ばれてあの世でよろこんでいるだろうか。