パンとサーカスは届く範囲にあるかもしれないが、アンダークラス化して弱者に
やさしく無い無関心な社会と通低で繋がっているイシューであると思った。
日本の土壌に調和せずに組む国が悪かった面も多々あり、許容さが無いということも
あるかもしれないけど、逆に今こそ必要であるかもです。
社会党の決定版と言える書籍で是非手元に置きたい一冊。
何も知らず無知であることを痛感させられてしまった。
ヨーロッパ的な立ち位置に成れなかったのは地の利が無いせいか…。
時代は社会党と親和性が高い国有化ではなく、全て民営化する
新自由主義で能力がある個人や企業と相性が良い自己責任の
世の中になってしまいましたが…。
挙句の果ては『無理ゲー社会』や『家族を想うとき』の到来で総括しております。
米ソ中国の間で揺れ動き、ドイツと韓国の間のポジショニングを
取っているような気がします。むしろ英国的!?

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戦後史のなかの日本社会党: その理想主義とは何であったのか (中公新書 1522) 新書 – 2000/3/1
原 彬久
(著)
- 本の長さ373ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日2000/3/1
- ISBN-104121015223
- ISBN-13978-4121015228
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上位レビュー、対象国: 日本
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2019年6月18日に日本でレビュー済み
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戦後史の中の日本社会党論としては、かなりまとまったものになっているが、なぜ、ああも急激に社会党が人気がなくなり、議席を大幅に減らし、瀕死の状態になった原因についての記述の解明が弱い。
2018年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
その根幹はなんであったのか、本書の突き詰めた処であるようです。
改めて考えさされたのは社会党内の権力闘争。あまりにもかけあなれすぎた左右の派閥。その辺りの理解がすすみました。
自身の課題として社会民主主義や西欧型の社会主義政党への考察が必要になりました。
また左右両派がひとつの政党に留まっていたのはその支援団体である労働組合との関係があったのでしょう。その辺りの論考を何処かに求めるべきかと考えています。
改めて考えさされたのは社会党内の権力闘争。あまりにもかけあなれすぎた左右の派閥。その辺りの理解がすすみました。
自身の課題として社会民主主義や西欧型の社会主義政党への考察が必要になりました。
また左右両派がひとつの政党に留まっていたのはその支援団体である労働組合との関係があったのでしょう。その辺りの論考を何処かに求めるべきかと考えています。
2013年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いわゆる五十五年体制について書かれた本は多い。また、政権与党であった自民党に関する分析も多い。しかし、社会党の具体的な内容については容易に分かる本がない。少なくとも寡聞にして私は知らない。これが分かり易く提示されている。ただ、右派が現実路線を党内で樹立できなかったことと、党内優位を構築した左派が国民と乖離したことは、読者は既に知っているので、それを時系列に沿って提示するだけでなく、掘り下げて欲しかった。「リベラル」と「ラディカル」は違うし、また、リベラル派と、イデオロギー政党とは同じではないので、こうした点については不足している。
2016年8月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
貴重な資料です。
低価格で日本の政治史が学べます。
今の民進党、社民党のことを知るために必読ですね。
低価格で日本の政治史が学べます。
今の民進党、社民党のことを知るために必読ですね。
2018年7月28日に日本でレビュー済み
著者の原彬久教授は、本書(2000年3月刊)を出された3年後に『岸信介証言録』(毎日新聞社2003年2月刊、のちに中公文庫2014年11月刊)でこう仰っておられる。《岸氏が戦後政界に復権しやがて政権を獲得して安保改定に向かったとき、国内各層からあれほどまでに敵視攻撃されたのはなぜか。その主な理由の一つは、戦前岸氏と同じ陣営にありながら、戦後「コペルニクス的展開」を果たした多くの人々をふくむいわゆる「進歩派」勢力が岸氏の「戦前的体質」を問題にしたからである。》
原彬久教授は、『岸信介 権勢の政治家』(岩波書店1995年1月刊)で、岸氏を、戦前「同じ陣営」にあって戦後も《思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかったと説きます。一方、本書では、日本社会党を、戦前「同じ陣営」にあって戦後「コペルニクス的展開」を果たした方々が作られたと捉えます。
岸氏と社会党は、しかし、戦後、多数派と少数派、勝者と敗者という対象的な道を辿ります。その違いは何が理由だったのでしょうか。最大の理由は、議会制民主主義にたいする対応だったと言えましょう。端的に言えば、岸氏は《思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかったかもしれないが、権力を獲得する行動は断絶し、議会制民主主義を根本とした。一方、社会党は思想的には「コペルニクス的展開」を果たしたかもしれないが、権力を獲得するための《行動において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかった、すなわち少数エリートによる権力掌握と言えましょう。本書から二箇所を抜き書きし、⇄のあとに岸氏の対応を記し、対照してみます。
【議会主義の軽視】左派優位の社会党は、「政権交代」を鉄則とする通常の議会主義を軽視してきた。社会党にとって、議会はここで占めるべき「絶対多数」の恒久化によって社会主義革命を果たす一つの手段であった。しかし実際には、「絶対多数」どころか「比較多数」さえも獲得できない社会党にとって、勢い議会外の権力すなわち「大衆闘争」はきわめて有用な戦力となる院外闘争にロマンを求め、暴力革命の道をさえ閉ざさなかった…。議会を「国権の最高機関」として位置づけ、議会以外の集団、機関には国家の最終決定権(「国民投票」等の例外はある)を認めないのが、ごく常識的な議会制民主主義の姿である。社会党の議会感は、こうした通常の議会制民主主義とは明らかに異なる。 憲法擁護を叫ぶ社会党が、その憲法の根幹ともいうべき議会主義を擁護しえないという自己矛盾…。一般国民が社会党とともに「反体制」という名の「ルビコンの河」を渡れなかった理由の一つはここにある。
⇄ 【戦後政治の根本は数である】
岸;民主政治においてはね、やはり多数の人の協力ということが基本だと思うな。つまり数ですよ。それがなければ結果は出てこない。どんないい考えがあっても、民主政治においてはそうです。
原;そうしますと、岸政治の根本は数を自分の下に結集するということですか。
岸;そうそう。僕が保守合同を企てた所以でもあるんです。
原;そういう意味では、やはり戦前と戦後では違いますか。
岸;戦前とは違うね。戦前においては陛下がいて、袞竜の袖に隠れる[天子の威徳の下に隠れて自分勝手なことをする。広辞苑]ということがあった。あるいは統帥権[軍隊の最高指揮権。広辞苑]なるものがあって、要するに陛下を引っ張って来ることもできた。天皇は明治憲法の下では、数を超越していたんだから。陛下は絶対であった。政治においてこの陛下の力を用いる手があったわけです。戦後は、それはない。全然ない。だから戦後は戦前とは非常に違うんです。戦前においては、相当の数をもってしても、いざという場合に陛下のご聖断で決まった。戦後は数が重要だ。だからこそ、巣鴨をでて(日本)再建連盟をつくり、国民運動をやろうとしたんだ。『岸信介証言録』
【「多数の暴力」】;常識的な議会主義からすれば、政治的争点が何らかの決着を求められている以上、しかも審議のための「会期延長」も認められないとなれば、さて五・一九採決[1960年5月19日に自民党は安保改定案の成立を期すため、50日間会期延長の単独採決を強行]を「暴挙」ないし「非民主的」であるとして一刀両断してしまうことはそれ自体容易ではあっても、果たして他に責任ある方途は見出せたであろうか。もし仮に少数派である社会党の主張通り、そして議会外の圧力を借りて「新条約の廃棄」→「旧条約の継続」が実現されたとしたら、その「現実」が議会制民主主義と両立するかどうかは、厳しく問われなければならない。〈中略〉いずれにしても、決着としての「採決」がある種の冷徹さを伴うのは当然である。議会における「採決」は勝者と敗者を冷たく分岐するからである。その意味で敗者すなわち少数者が、多数派の勝者を「多数の暴力」として非難するのは、少なくとも情緒的には理解できることなのである。しかし「多数」という名の「暴力」が、それ自体最善ではないにしても、あらゆる暴力のうちで最も穏健かつ合理的な「暴力」であることをわれわれは歴史から学んできた。
⇄【少数派が勝利するなら…】
伊藤隆;自民党の単独可決については、岸内閣は反民主的だということでずいぶん批判されたものですが…。
岸;単独審議、単独決議ということをよく言われたけれど、野党が審議権を放棄して出てこないんですよ。われわれは決して野党をドアの外に閉めだして決めたわけではない。単独審議というといかにもそれらしく聞こえるけれど、審議の時間は十分とって、審議を尽くしたわけで、だから野党も一緒になって決議すべきなのに、彼らは決議に加われば決定することになるというので、審議を拒否したんだ。それでやむを得ず、単独でやったので、それを非民主的と非難するのはおかしい。だってわれわれは野党を閉め出したわけではないし、野党が審議を拒否して、審議・決定ができないとなれば、少数の方が強いということになって、それでは議会制民主主義は成り立たなくなりますからね。『岸信介の回想』
原彬久教授は、『岸信介 権勢の政治家』(岩波書店1995年1月刊)で、岸氏を、戦前「同じ陣営」にあって戦後も《思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかったと説きます。一方、本書では、日本社会党を、戦前「同じ陣営」にあって戦後「コペルニクス的展開」を果たした方々が作られたと捉えます。
岸氏と社会党は、しかし、戦後、多数派と少数派、勝者と敗者という対象的な道を辿ります。その違いは何が理由だったのでしょうか。最大の理由は、議会制民主主義にたいする対応だったと言えましょう。端的に言えば、岸氏は《思想的本質において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかったかもしれないが、権力を獲得する行動は断絶し、議会制民主主義を根本とした。一方、社会党は思想的には「コペルニクス的展開」を果たしたかもしれないが、権力を獲得するための《行動において「戦前」と「戦後」の間に断絶は》なかった、すなわち少数エリートによる権力掌握と言えましょう。本書から二箇所を抜き書きし、⇄のあとに岸氏の対応を記し、対照してみます。
【議会主義の軽視】左派優位の社会党は、「政権交代」を鉄則とする通常の議会主義を軽視してきた。社会党にとって、議会はここで占めるべき「絶対多数」の恒久化によって社会主義革命を果たす一つの手段であった。しかし実際には、「絶対多数」どころか「比較多数」さえも獲得できない社会党にとって、勢い議会外の権力すなわち「大衆闘争」はきわめて有用な戦力となる院外闘争にロマンを求め、暴力革命の道をさえ閉ざさなかった…。議会を「国権の最高機関」として位置づけ、議会以外の集団、機関には国家の最終決定権(「国民投票」等の例外はある)を認めないのが、ごく常識的な議会制民主主義の姿である。社会党の議会感は、こうした通常の議会制民主主義とは明らかに異なる。 憲法擁護を叫ぶ社会党が、その憲法の根幹ともいうべき議会主義を擁護しえないという自己矛盾…。一般国民が社会党とともに「反体制」という名の「ルビコンの河」を渡れなかった理由の一つはここにある。
⇄ 【戦後政治の根本は数である】
岸;民主政治においてはね、やはり多数の人の協力ということが基本だと思うな。つまり数ですよ。それがなければ結果は出てこない。どんないい考えがあっても、民主政治においてはそうです。
原;そうしますと、岸政治の根本は数を自分の下に結集するということですか。
岸;そうそう。僕が保守合同を企てた所以でもあるんです。
原;そういう意味では、やはり戦前と戦後では違いますか。
岸;戦前とは違うね。戦前においては陛下がいて、袞竜の袖に隠れる[天子の威徳の下に隠れて自分勝手なことをする。広辞苑]ということがあった。あるいは統帥権[軍隊の最高指揮権。広辞苑]なるものがあって、要するに陛下を引っ張って来ることもできた。天皇は明治憲法の下では、数を超越していたんだから。陛下は絶対であった。政治においてこの陛下の力を用いる手があったわけです。戦後は、それはない。全然ない。だから戦後は戦前とは非常に違うんです。戦前においては、相当の数をもってしても、いざという場合に陛下のご聖断で決まった。戦後は数が重要だ。だからこそ、巣鴨をでて(日本)再建連盟をつくり、国民運動をやろうとしたんだ。『岸信介証言録』
【「多数の暴力」】;常識的な議会主義からすれば、政治的争点が何らかの決着を求められている以上、しかも審議のための「会期延長」も認められないとなれば、さて五・一九採決[1960年5月19日に自民党は安保改定案の成立を期すため、50日間会期延長の単独採決を強行]を「暴挙」ないし「非民主的」であるとして一刀両断してしまうことはそれ自体容易ではあっても、果たして他に責任ある方途は見出せたであろうか。もし仮に少数派である社会党の主張通り、そして議会外の圧力を借りて「新条約の廃棄」→「旧条約の継続」が実現されたとしたら、その「現実」が議会制民主主義と両立するかどうかは、厳しく問われなければならない。〈中略〉いずれにしても、決着としての「採決」がある種の冷徹さを伴うのは当然である。議会における「採決」は勝者と敗者を冷たく分岐するからである。その意味で敗者すなわち少数者が、多数派の勝者を「多数の暴力」として非難するのは、少なくとも情緒的には理解できることなのである。しかし「多数」という名の「暴力」が、それ自体最善ではないにしても、あらゆる暴力のうちで最も穏健かつ合理的な「暴力」であることをわれわれは歴史から学んできた。
⇄【少数派が勝利するなら…】
伊藤隆;自民党の単独可決については、岸内閣は反民主的だということでずいぶん批判されたものですが…。
岸;単独審議、単独決議ということをよく言われたけれど、野党が審議権を放棄して出てこないんですよ。われわれは決して野党をドアの外に閉めだして決めたわけではない。単独審議というといかにもそれらしく聞こえるけれど、審議の時間は十分とって、審議を尽くしたわけで、だから野党も一緒になって決議すべきなのに、彼らは決議に加われば決定することになるというので、審議を拒否したんだ。それでやむを得ず、単独でやったので、それを非民主的と非難するのはおかしい。だってわれわれは野党を閉め出したわけではないし、野党が審議を拒否して、審議・決定ができないとなれば、少数の方が強いということになって、それでは議会制民主主義は成り立たなくなりますからね。『岸信介の回想』
2012年9月3日に日本でレビュー済み
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社会党の問題点を客観的に論じている数少ない良書です。社会党に関する本は社会主義を肯定する立場(社会主義協会や佐々木派等左派)から問題点をぼかす論じ方か、問題点にする立場では、自民党や経団連系が敵のように書くか、昔社会党にいた人が反省しながらぼやいているものがほとんどです。偏った見方があまりなくとても読みやすい本です。
終章で「日本社会党の理想主義」が20ページにわたり書かれていますが、非現実的な政策しか出せなかった要因は何であったか、階級政党から国民政党に脱皮する独社民党のゴーデスブルグ綱領のようなものの必要性をなぜ感じなかったについてユニークな分析がされていて的を得ておりすばらしい。旧社会党や共産党の人には偏った批判に見えるかも知れないが反論できるものならして欲しい。
日本は自民党と自民党的な人が実権を握っている民主党が二大政党で、成長が予想されている橋本市長の維新の会の第三勢力も自民等右派に通じています。このような主要勢力が政権を取り続けていたら、日本がアメリカ、韓国とならんで先進国中三悪の格差社会・大金持ち優遇で、自殺者(日・韓)や医療放置死・他殺者(米)が他の先進国よりも比率が異常に高い状況は改善されないでしょう。では、金持ちに擦り寄っていかない社会民主主義者の党、それはフランス社会党やドイツ社民党に近い性格をもつものと思われるが、それがなぜ日本で育たなかったのか。その答えの大部分が日本社会党の歴史とその問題点にあり、今後の社会民主主義者の党の成長を促すためにも社会党の研究は重要です。その意味でもこの本は良書であり一読をお勧めします。なお、同様の良書に「日本社会党 その組織と衰亡の歴史−岡田一郎(新時代社)」があります。
終章で「日本社会党の理想主義」が20ページにわたり書かれていますが、非現実的な政策しか出せなかった要因は何であったか、階級政党から国民政党に脱皮する独社民党のゴーデスブルグ綱領のようなものの必要性をなぜ感じなかったについてユニークな分析がされていて的を得ておりすばらしい。旧社会党や共産党の人には偏った批判に見えるかも知れないが反論できるものならして欲しい。
日本は自民党と自民党的な人が実権を握っている民主党が二大政党で、成長が予想されている橋本市長の維新の会の第三勢力も自民等右派に通じています。このような主要勢力が政権を取り続けていたら、日本がアメリカ、韓国とならんで先進国中三悪の格差社会・大金持ち優遇で、自殺者(日・韓)や医療放置死・他殺者(米)が他の先進国よりも比率が異常に高い状況は改善されないでしょう。では、金持ちに擦り寄っていかない社会民主主義者の党、それはフランス社会党やドイツ社民党に近い性格をもつものと思われるが、それがなぜ日本で育たなかったのか。その答えの大部分が日本社会党の歴史とその問題点にあり、今後の社会民主主義者の党の成長を促すためにも社会党の研究は重要です。その意味でもこの本は良書であり一読をお勧めします。なお、同様の良書に「日本社会党 その組織と衰亡の歴史−岡田一郎(新時代社)」があります。