義満の皇位簒奪を肯定するにしても、否定するにしてもまずはここからと言う一冊。
本著を知らずに室町を語る人間がいれば間違いなく「もぐり」か「にわか」です。
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室町の王権: 足利義満の王権簒奪計画 (中公新書 978) 新書 – 1990/7/1
今谷 明
(著)
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- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1990/7/1
- ISBN-104121009789
- ISBN-13978-4121009784
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2019年4月6日に日本でレビュー済み
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古い貴族社会の因習を打破し、武家政権を立ち上げる義満の並々ならぬ努力が伝わってくる。
2015年3月28日に日本でレビュー済み
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王権簒奪は状況証拠としては真っ黒である。
陰謀は現れないから陰謀なのであろう。
仮説の上塗りとなるが、急死した状況についての解説が物足りない。
陰謀は現れないから陰謀なのであろう。
仮説の上塗りとなるが、急死した状況についての解説が物足りない。
2018年9月4日に日本でレビュー済み
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200年ぶりの譲位。日本人として学ぶべきこと③私たちは何という歴史を学んできたんでしょう。
2012年12月1日に日本でレビュー済み
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足利義満が自ら天皇もしくはそれに代わる立場(本書では国王)になろうとしていたことは明白である.そのことは知っていたが,義満が天皇になろうと(王権簒奪)するに,途方もない労力と時間を割いていたことは知らなかった.まさに本書が「古今未曾有,わが国歴史上最大の“乗っ取り劇”」と表現するに相応しいだけのことを義満は実行していた.これに比すれば,似たようなことを想定していたと考えられる平清盛も織田信長も,置かれていた状況や時代背景の違いを考慮しても全くの努力不足である.一代にしてわが国開闢以来の強大な権力者となった豊臣秀吉ですら,中央政権に強力な反抗者または脅威の存在が予想されるときには天皇の権威を利用した.
足利義満を知る上でも今日まで天皇制が存続している理由(一つの解釈)を知る上でも,とても興味深い一冊だった.
足利義満を知る上でも今日まで天皇制が存続している理由(一つの解釈)を知る上でも,とても興味深い一冊だった.
2002年8月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
天皇制を考える上で欠かせない名著です。
もはや古典と言ってもよいかもしれません。
中世の天皇制を巡る議論では、網野善彦氏の一連の
研究などにより、非農業民との関係が話題にされますが、
本書はそのような視点をとらず、天皇制と室町幕府
との関係を政治史的に真正面から取り上げたものと
なっています。
もはや古典と言ってもよいかもしれません。
中世の天皇制を巡る議論では、網野善彦氏の一連の
研究などにより、非農業民との関係が話題にされますが、
本書はそのような視点をとらず、天皇制と室町幕府
との関係を政治史的に真正面から取り上げたものと
なっています。
2017年12月8日に日本でレビュー済み
今谷明氏は室町や戦国(織田信長)の研究なされた方ではあるが、もはや古いと言わざるを得ない。もし皇位簒奪があったなら、教科書に乗るはずがないと思う。そういう陰謀論は英雄の生存説と同じで悪人と呼ばれる人物によくあること。今なら「室町幕府将軍列伝」が参考になる。
2015年5月5日に日本でレビュー済み
1990年の本。著者は横浜市立大学助教授(当時)である。
曰く・・・
室町幕府は後光厳天皇の即位を無神器で強行しているが、これは北朝と幕府の大幅な権威低下をもたらした。天皇を必要としない武家政権の樹立という将来の課題を残した。
鎌倉時代に両統迭立となると、摂関・廷臣を巻き込んでの激しい対立抗争が生じ、これが幕府の重荷になり、幕府は皇位への干与をしなくなった。これが鎌倉幕府の権威低下をもたらした。室町幕府も、その初期は(後光厳天皇の擁立などの)非常時以外は皇位不介入。皇位継承というのは断固として介入することにより幕府の権威を高めることもあるが、下手に干渉すれば武家の威光を低下させる両刃の剣でもある。
名目上の国司を立てて(名国主)、別人(知行国主)がその国を支配する知行国制が始まって以降、「・・・守」なる国司制度は形骸化する。たとえば、赤松満祐は、播磨・美作・備前の三カ国の守護に任ぜられていたが、守護は幕府の職制であって律令官位ではない。満祐の官位は大膳大夫であるが、満祐は大膳職とはなんのかかわりもなく、称号としての意味しかない。
義満は、北山第で毎月密教祈祷を行っている。従来、天皇や治天の君だけが主催者であった天変祈祷を行なうことで司祭王としての地位を奪おうとした。
15世紀は陰陽道の全盛期であり、その中心人物こそ義満である。義満は陰陽師土御門有世を従二位まで異例の出世をさせている。もともと鎌倉幕府も、朝廷の神祇に対抗して陰陽道を重視し、武家の祈祷体系を作り上げたという伏線もある。義満の陰陽師重視も天皇家に対する祭祀闘争の一環ではあるが、陰陽道祭の中国的性格が義満の中国崇拝思想とマッチした部分もあるのではないか。
義満は、叙任権・祭祀権を奪いつつ既成事実を積み上げていく。国際的に「国王」と認知されることは、簒奪の正統性の唯一といっていい保障となる。天皇を否定してしまうと、国内には義満の権威を保証する存在が皆無となってしまう。義満は、明の使者に対して、鄭重というよりは卑屈の域にあったが、これは、明の権威の高さを強調することにより簒奪の正統性を保障するための懸命のパフォーマンスだった。
義満の死後、守護層は、万世一系維持の方向に動く。足利一族から将軍と天皇を輩出し、足利家が絶対的専制君主へ転化することへの本能的反発があったと思われる。特に、足利家と対等に近い意識をもつ斯波一族はなおさら。いかに天皇権力が無力化しようとも、足利家以外に天皇家という装置(政治勢力)が存在していた方がいい。また、家職概念もある。院政期以来、王朝の官職の多くは特定氏族の世襲的独占に委ねられる。建武式目では、守護は吏務であり世襲職ではないと規定していたが義満のころから政情が安定してくると守護職が世襲ポストになった。世襲分国の支配者である宿老たちにとって、足利家が天皇家を乗っ取り、家職制の根幹を揺るがす行動を取ることは好ましくない。家職制の破壊は将来の自分たちの世襲分国制の改変につながるとして不安に思ったのではないか。
義満は、応永・明徳の乱では天皇の力をいっさい借りずにこれらを鎮圧している。義教は、永享の乱では綸旨を求めている。義教は、関東における綸旨の効果と、京都での逆効果(幕府の権威低下)のトレードオフに悩んだのではないか。
室町幕府にとっての綸旨は日銀の国債引受けのようなもの。発給すれば当面の効果は大きいが、同時に幕府の権威低下(国債の場合にはインフレによる経済混乱)につながる。麻薬みたいなもので、幕府はこれ以降、綸旨頻発に踏み込む。義教死後、管領細川持之は指導力を欠き、持之は綸旨の効果にすがろうとした。将軍の暗殺・夭折という偶然の続発と、管領の自信喪失が、綸旨頻発の契機となる。
宿老は、幕府権力の構成因子であり、国持大名として領国を支配するために幕府の権威を必要とするが、将軍が専制君主化することは警戒しなければならないという矛盾を抱えている。そのような彼らの政治的立場がかつては皇位簒奪への反対勢力となったのであり、また、綸旨頻発政策を支持する要因にもなった。
信長と石山本願寺との争いは天皇によって調停されている。このような大名・権力者間の和平調停を天皇が行なう図式は、応仁の乱における後花園天皇にまでさかのぼる。後花園天皇は注目されるべき天皇である。信長の武力の前に最後まで抵抗を止めなかった一向一揆が、天皇の和平勧告にあっさり服従したことに信長は衝撃を受ける。これ以後、信長は安土城下に総見寺を築いて自身の神格化を構想したといわれる。とはいえ、信長は天皇に和平調停を伝奏した時点で天皇に敗北している。そのような信長に、義満のような王権簒奪構想など望むべくもない。
秀吉は、最初から天皇に迎合し、天皇権威の利用を前提として統一を完成している。王権としては未完成なもの。秀吉には血のコンプレックスがあり、家康を圧伏できなかったという弱みがある。中央政権に強力な反抗者、または、脅威が存在するとき、天皇の権威はつねに浮上してくる。
関ヶ原の戦いの直前に後陽成上皇は和平勧告しているが、家康はこれを拒絶している。家康はいったん上皇の勧告を受諾したら最後、朝廷に対して強い態度に出られなくなることを知悉している。家康の天皇観は、義満のそれに比較的近い。それでも天皇の権威はしぶとく残る。江戸幕府は、天皇の調停権を封じ込めるために腐心している。このような強硬策を取ることができたのは、強敵を排除し、幕府権力を確立できたからこそ。
家康は、天皇を京都の内裏内の一角に永遠に閉じ込めるという陰惨な政策を採っているが、これは、いつ復活するかわからない天皇権威に対する幕府の極端な恐怖を物語る。フランス王フィリップ4世が教皇をアヴィニョンに幽閉したように、徳川氏は天皇を土御門内裏に幽閉した。教皇制が維持されたように天皇制も維持される。
徳川氏が天皇を幽閉しつつも廃絶できなかったのはキリスト教の問題ではないか。秀吉が、キリシタン禁制のときに「日本は神国」と宣言しているが、この時点で秀吉は天皇制の呪縛にからまっている。外来思想を排撃するためには、当時の日本は神国思想を対置するしか方法がなかった。義満が、従来の天皇観を超克するために中国思想を借りたことが思い出される。天皇制度をなんらかの意味で改変するには、外来思想を借りることが必要で、外来思想を拒否したとき、必然的に神国思想→天皇に戻るしかない。
などなど。
曰く・・・
室町幕府は後光厳天皇の即位を無神器で強行しているが、これは北朝と幕府の大幅な権威低下をもたらした。天皇を必要としない武家政権の樹立という将来の課題を残した。
鎌倉時代に両統迭立となると、摂関・廷臣を巻き込んでの激しい対立抗争が生じ、これが幕府の重荷になり、幕府は皇位への干与をしなくなった。これが鎌倉幕府の権威低下をもたらした。室町幕府も、その初期は(後光厳天皇の擁立などの)非常時以外は皇位不介入。皇位継承というのは断固として介入することにより幕府の権威を高めることもあるが、下手に干渉すれば武家の威光を低下させる両刃の剣でもある。
名目上の国司を立てて(名国主)、別人(知行国主)がその国を支配する知行国制が始まって以降、「・・・守」なる国司制度は形骸化する。たとえば、赤松満祐は、播磨・美作・備前の三カ国の守護に任ぜられていたが、守護は幕府の職制であって律令官位ではない。満祐の官位は大膳大夫であるが、満祐は大膳職とはなんのかかわりもなく、称号としての意味しかない。
義満は、北山第で毎月密教祈祷を行っている。従来、天皇や治天の君だけが主催者であった天変祈祷を行なうことで司祭王としての地位を奪おうとした。
15世紀は陰陽道の全盛期であり、その中心人物こそ義満である。義満は陰陽師土御門有世を従二位まで異例の出世をさせている。もともと鎌倉幕府も、朝廷の神祇に対抗して陰陽道を重視し、武家の祈祷体系を作り上げたという伏線もある。義満の陰陽師重視も天皇家に対する祭祀闘争の一環ではあるが、陰陽道祭の中国的性格が義満の中国崇拝思想とマッチした部分もあるのではないか。
義満は、叙任権・祭祀権を奪いつつ既成事実を積み上げていく。国際的に「国王」と認知されることは、簒奪の正統性の唯一といっていい保障となる。天皇を否定してしまうと、国内には義満の権威を保証する存在が皆無となってしまう。義満は、明の使者に対して、鄭重というよりは卑屈の域にあったが、これは、明の権威の高さを強調することにより簒奪の正統性を保障するための懸命のパフォーマンスだった。
義満の死後、守護層は、万世一系維持の方向に動く。足利一族から将軍と天皇を輩出し、足利家が絶対的専制君主へ転化することへの本能的反発があったと思われる。特に、足利家と対等に近い意識をもつ斯波一族はなおさら。いかに天皇権力が無力化しようとも、足利家以外に天皇家という装置(政治勢力)が存在していた方がいい。また、家職概念もある。院政期以来、王朝の官職の多くは特定氏族の世襲的独占に委ねられる。建武式目では、守護は吏務であり世襲職ではないと規定していたが義満のころから政情が安定してくると守護職が世襲ポストになった。世襲分国の支配者である宿老たちにとって、足利家が天皇家を乗っ取り、家職制の根幹を揺るがす行動を取ることは好ましくない。家職制の破壊は将来の自分たちの世襲分国制の改変につながるとして不安に思ったのではないか。
義満は、応永・明徳の乱では天皇の力をいっさい借りずにこれらを鎮圧している。義教は、永享の乱では綸旨を求めている。義教は、関東における綸旨の効果と、京都での逆効果(幕府の権威低下)のトレードオフに悩んだのではないか。
室町幕府にとっての綸旨は日銀の国債引受けのようなもの。発給すれば当面の効果は大きいが、同時に幕府の権威低下(国債の場合にはインフレによる経済混乱)につながる。麻薬みたいなもので、幕府はこれ以降、綸旨頻発に踏み込む。義教死後、管領細川持之は指導力を欠き、持之は綸旨の効果にすがろうとした。将軍の暗殺・夭折という偶然の続発と、管領の自信喪失が、綸旨頻発の契機となる。
宿老は、幕府権力の構成因子であり、国持大名として領国を支配するために幕府の権威を必要とするが、将軍が専制君主化することは警戒しなければならないという矛盾を抱えている。そのような彼らの政治的立場がかつては皇位簒奪への反対勢力となったのであり、また、綸旨頻発政策を支持する要因にもなった。
信長と石山本願寺との争いは天皇によって調停されている。このような大名・権力者間の和平調停を天皇が行なう図式は、応仁の乱における後花園天皇にまでさかのぼる。後花園天皇は注目されるべき天皇である。信長の武力の前に最後まで抵抗を止めなかった一向一揆が、天皇の和平勧告にあっさり服従したことに信長は衝撃を受ける。これ以後、信長は安土城下に総見寺を築いて自身の神格化を構想したといわれる。とはいえ、信長は天皇に和平調停を伝奏した時点で天皇に敗北している。そのような信長に、義満のような王権簒奪構想など望むべくもない。
秀吉は、最初から天皇に迎合し、天皇権威の利用を前提として統一を完成している。王権としては未完成なもの。秀吉には血のコンプレックスがあり、家康を圧伏できなかったという弱みがある。中央政権に強力な反抗者、または、脅威が存在するとき、天皇の権威はつねに浮上してくる。
関ヶ原の戦いの直前に後陽成上皇は和平勧告しているが、家康はこれを拒絶している。家康はいったん上皇の勧告を受諾したら最後、朝廷に対して強い態度に出られなくなることを知悉している。家康の天皇観は、義満のそれに比較的近い。それでも天皇の権威はしぶとく残る。江戸幕府は、天皇の調停権を封じ込めるために腐心している。このような強硬策を取ることができたのは、強敵を排除し、幕府権力を確立できたからこそ。
家康は、天皇を京都の内裏内の一角に永遠に閉じ込めるという陰惨な政策を採っているが、これは、いつ復活するかわからない天皇権威に対する幕府の極端な恐怖を物語る。フランス王フィリップ4世が教皇をアヴィニョンに幽閉したように、徳川氏は天皇を土御門内裏に幽閉した。教皇制が維持されたように天皇制も維持される。
徳川氏が天皇を幽閉しつつも廃絶できなかったのはキリスト教の問題ではないか。秀吉が、キリシタン禁制のときに「日本は神国」と宣言しているが、この時点で秀吉は天皇制の呪縛にからまっている。外来思想を排撃するためには、当時の日本は神国思想を対置するしか方法がなかった。義満が、従来の天皇観を超克するために中国思想を借りたことが思い出される。天皇制度をなんらかの意味で改変するには、外来思想を借りることが必要で、外来思想を拒否したとき、必然的に神国思想→天皇に戻るしかない。
などなど。