経済評論家吉崎達彦さんのブログ記事でこの本を知り、さっそく読んでみた。もう35年も前の著作である。
後藤新平は、幕末の安政4年(1857)、現在の岩手県水沢市に仙台藩の支藩たる水沢藩留守家の家臣の子として生まれた。後藤家の本家筋には、幕末の風雲児高野長英がいて、蛮社の獄により、新平誕生の7年前に獄死していた。新平は少年時代「謀反人の子」と嘲笑されたが、「今日にては宜しく刻意励行、長英を以て期せざるべからず」と、むしろ前向きに考えて発奮したという。高野を親戚に持ったことで、天下国家や西洋文化への関心は、一段と強烈になったともいう。腕白で粗暴でさえあるが、際立った才気煥発の目立つ少年で、明治維新で設置された胆沢県大参事として赴任してきた元肥後藩士安場一平の篤い世話を得て、福島県須賀川に新設なった須賀川医学校に学んだ。しかし元来医者になる気はなく、そのうえ原書による本格的な教育も受けられず、当初は大いに不満であった。しかし支援者から厳しく叱責され、いやいやながら物理学、化学、解剖学、生理学などに触れるうち、近代科学の輝きに開眼して、にわかに猛然と勉強し始めた。20歳までになんどもさまざまな紆余曲折を経験しながら、名古屋で医師開業試験を通過し、名古屋鎮台の病院、愛知県医学校長、病院長などに20歳代前半にして上りつめた。板垣退助が岐阜で凶漢に刺され、自由党とのかかわりを恐れて医師たちが尻込みするなか、板垣を診療したのが後藤新平であった。このとき板垣は、この青年医師が政治家であったなら、と慨嘆したと伝える。
このような序章を読んだだけでも、きわめて特異な尋常ならざる才能とエネルギーが明らかである。
後藤の特徴は、まず卓越した集中力と実行力であり、周囲から高い能力を認められる人々でさえ諦めてしまうようなことを、結果的には難なく成し遂げてしまう。ただ、自分自身の能力でできる範囲ではずば抜けていても、その反面で粘り強く周囲を取り込んで組織的な努力をする能力は欠如していて、人々から不信感を招くこともままあったようだ。もうひとつの後藤の特徴は、徹底した現場主義・実践主義で、いわゆる学者的態度の正反対であった。あくまで具体的な実行力を優先し、その反面で抽象的な思想やイデオロギーには無関心・無理解であった。仕事を完遂するために、真に力ある個人に大きな期待を注いで依存もするが、群れや組織を嫌い、政治力とコミュニケーション能力に欠如していた。当時ようやくわが国で定着過程にあった政党政治に対して、とくに多数派依存・多数万能の性格を嫌い、病気の真相を正しく科学的に理解して患者を導く医師のモデルからか、愚かな世論に惑わされぬ絶対的指導者を尊重する態度であった。古代ギリシアのプラトン派がそうであったように、いわゆる「民主主義」の衆愚を憎み「貴族エリートの寡占制」を希求したようだ。
当時の先端的科学の一部たる医学から入ったためか、徹底した科学的アプローチを貫き「大調査機関」なるものをさまざまな局面で立ち上げ、確認した事実をもとに実行した。独自の科学的見識から「生物学的世界観」を主張し、国家・民族には固有の歴史・伝統・習慣があり、それを尊重しながら漸進的かつ協調的に政治を進めるべきであるとして、きわめて保守的であり、かつ互恵的・ウインウインの相互関係・国際関係しか問題解決の道はない、という理想主義的とも言える主張を貫いた。「統合主義的国際関係観」を唱え、国際関係を力の均衡に基づくゼロ・サム・ゲームでなく、ポジティブ・サム・ゲームとしてとらえるべきだとした。これにしたがい、新興勢力たるアメリカに対して、日本は中国・ロシア/ソ連との共存を重視すべきとして、現実に日本とソ連との協力関係構築などに注力した。
後藤自身が明確に表明した基本方針としてつぎの3つがあった。
①日本の文明の弱点は都市の無秩序にあり、都市政策が必要。
②日本の政党政治の弱点は多数万能にあり、政治の倫理化運動が必要。
③ 日本の外交の弱点は、生物学的世界観欠如にあり、ヨーロッパ・米国のみでなく、なにより近隣に存在する中国・ロシア/ソ連との共存の重視が必要。
いくつかの内閣に閣僚・大臣として参画し、実際に大きな貢献もしたが、演説や説明は論理的飛躍が多く難解、もしくはいささか拙劣・乱暴で、多くの敵をつくってしまうことも多々あった。後藤の首相就任を期待する取り巻きもいたが、国家最高責任者が持つべき安定性と堅実さに欠け、ついに首相にはなれなかった。徳富蘇峰は、豪快・痛快・野蛮だが「学問がない=trained mind欠如」と評したという。後藤の女婿たる鶴見祐輔が、後藤新平の性癖を説明するために、その対比として原敬について書いた文章が、この書のなかに引用されている。
原は聡明なる政治家であった。彼は数学者のごとき精確さをもって、人生の現実を凝視して生活してゐる人間であった。ゆゑに困難なる政党首領の地に座し、紛糾錯綜する利害関係と、刻刻変転する時勢の間に処して、誤るところなく裁量し、迷ふところなく断行してゐた。彼にとっての重大関心事は今日であった。明日ではなかった。彼の眺めたる人生は、目前的利害と感情との交錯であった。星の世界に起こる夢のごとき理想ではなかった。
北岡氏が言う通り、原敬は決して単なる現実対応のみの政治家ではないが、現実離れした壮大なヴィジョンを説く後藤に欠けていた現実性を、原敬が持っていたことは事実であろう。
ともかく読んでいて痛快で楽しい伝記である。「日本人はどうしてもありきたりの人間ばかり」とありきたりの識者やコメンテーターが言うのをなんども聞いてきたが、後藤新平のようなおもしろい偉大な人物も実在した。多くの人々に愛されたのかは不明だが、多くの人々に多大な貢献をした偉人であった。
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後藤新平: 外交とヴィジョン (中公新書 881) 新書 – 1988/6/25
北岡 伸一
(著)
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- ISBN-104121008812
- ISBN-13978-4121008817
- 出版社中央公論新社
- 発売日1988/6/25
- 言語日本語
- 本の長さ272ページ
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2022年2月24日に日本でレビュー済み
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自己使用ではない為、わかりません。
2021年5月12日に日本でレビュー済み
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台湾の基礎を築いた。衛生に力を置いた活動。学校、病院の充実が人の心を打つ。後藤さんの活動の多さも凄いが、作者の資料調査、筆力も凄い。
2020年4月6日に日本でレビュー済み
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副題に「外交とヴィジョン」とある。国際政治学者ならではの視点。さて如何に説くか、興味深々で読んだ。
一言で、大成功である。
ここでは「外交」を、「権力政治」の枠を超えて、「文化・政治体制・民族・人種等が異なった国と国、あるいは民族と民族の接触から生じるもの」と捉え、「欧米優位の世界の中で日本が如何なる位置を占めるべきか」「文化的差異から生じる問題をいかに乗り越えようとしたか」を「ヴィジョン」として論じ、本書の意義を、後藤の「思想的特質を明らかにし、これを近代日本外交思想の流れのなかに位置づける」とする。
先ずは国内衛生、次いで台湾民生、更に南満州鉄道経営と、後藤の携わった各事業における、アプローチの仕方、取り組みの実際、効果・実績などを順に追い、時代状況による制約を踏まえつつ、「外交指導者」としての「功績」を明らかにする。その中で後藤が終身貫いた「思想的特質」である「各人の『生理的円満』を実現する」を詳述し、典型的「プロジェクト型リーダー」としての限界にも触れて、後藤の生い立ちから生涯を俯瞰、「矛盾と飛躍に満ちた言動」故に「政治的には敗者」たり得なかった経緯を含め、解り易い筆致で描き切る。
国際政治の実際に身を置いた筆者にして可能な「観点」から、「忘れられてしまった」側面を統合した、後藤の再発見・再評価に繋がる「列伝」と見る。特に後藤「年来の主張」である『国際関係は常に地理および歴史と伴はざるべからず』に着目した記述は、著者の熱き思いが滲む。
一言で、大成功である。
ここでは「外交」を、「権力政治」の枠を超えて、「文化・政治体制・民族・人種等が異なった国と国、あるいは民族と民族の接触から生じるもの」と捉え、「欧米優位の世界の中で日本が如何なる位置を占めるべきか」「文化的差異から生じる問題をいかに乗り越えようとしたか」を「ヴィジョン」として論じ、本書の意義を、後藤の「思想的特質を明らかにし、これを近代日本外交思想の流れのなかに位置づける」とする。
先ずは国内衛生、次いで台湾民生、更に南満州鉄道経営と、後藤の携わった各事業における、アプローチの仕方、取り組みの実際、効果・実績などを順に追い、時代状況による制約を踏まえつつ、「外交指導者」としての「功績」を明らかにする。その中で後藤が終身貫いた「思想的特質」である「各人の『生理的円満』を実現する」を詳述し、典型的「プロジェクト型リーダー」としての限界にも触れて、後藤の生い立ちから生涯を俯瞰、「矛盾と飛躍に満ちた言動」故に「政治的には敗者」たり得なかった経緯を含め、解り易い筆致で描き切る。
国際政治の実際に身を置いた筆者にして可能な「観点」から、「忘れられてしまった」側面を統合した、後藤の再発見・再評価に繋がる「列伝」と見る。特に後藤「年来の主張」である『国際関係は常に地理および歴史と伴はざるべからず』に着目した記述は、著者の熱き思いが滲む。
2015年4月21日に日本でレビュー済み
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戦国時代に日本にたくさん現れた都市建設の名手がいました。藤堂高虎、加藤清正、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長。
近代では後藤新平が抜群の才覚を示して、ほかに人が思い浮かばないほどです。
近代的生活インフラの整備された都市計画と都市建設、彼らの時代に満洲や台湾で自由に辣腕が本土でもふるえていたら、東京は今より以上に快適な都市生活を享受できていたかもしれません。また仮に東京大空襲を受けたとしても、もし彼らの都市計画に基づいて東京都が大正期に再生していたら、被害を抑えることができたかもしれません。
稀代の都市建設、保健衛生の天才。植民地における産業振興の手腕などマルチな才能を遺憾なく発揮した彼の生涯をコンパクトにまとめ上げています。
いつも思うのですが、なぜ日本の近現代史はこういう現代の生活に大きな影響を与えた近代の歴史をおろそかにするのでしょう。
もっと近代人や幕末期で現代日本に大きい影響を与えた人や、今の枠組みを作った人が沢山います。
もっともっとこのような新書というコンパクトな文庫版で構わないので普及して広く世の中に知らしめて欲しいとともに、中学高校の授業でもっと近代の授業を大きく取り上げ時間を割くべきじゃないかなと思いました。
近代では後藤新平が抜群の才覚を示して、ほかに人が思い浮かばないほどです。
近代的生活インフラの整備された都市計画と都市建設、彼らの時代に満洲や台湾で自由に辣腕が本土でもふるえていたら、東京は今より以上に快適な都市生活を享受できていたかもしれません。また仮に東京大空襲を受けたとしても、もし彼らの都市計画に基づいて東京都が大正期に再生していたら、被害を抑えることができたかもしれません。
稀代の都市建設、保健衛生の天才。植民地における産業振興の手腕などマルチな才能を遺憾なく発揮した彼の生涯をコンパクトにまとめ上げています。
いつも思うのですが、なぜ日本の近現代史はこういう現代の生活に大きな影響を与えた近代の歴史をおろそかにするのでしょう。
もっと近代人や幕末期で現代日本に大きい影響を与えた人や、今の枠組みを作った人が沢山います。
もっともっとこのような新書というコンパクトな文庫版で構わないので普及して広く世の中に知らしめて欲しいとともに、中学高校の授業でもっと近代の授業を大きく取り上げ時間を割くべきじゃないかなと思いました。
2019年12月6日に日本でレビュー済み
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台湾人は親日である。それは、台湾民生長官として台湾の発展に貢献した後藤新平の存在が大きい。治安を確立し、阿片問題を解決し、道路・鉄道などのインフラ整備、上下水道の整備など、台湾の近代化に貢献したのが後藤新平である。そして、台湾民生長官のあと、満鉄総裁、逓信大臣、東京市長などを歴任し、近代日本の礎をつくつた人物である。後藤新平の素晴らしい点は、私利私欲とは無縁で常に人民のことを考えて政策を実行したこと、そして、長期的視点で未来を見つめて仕事をしたことだろう。
本書はそんな後藤の業績を外交とヴィジョンという視点でまとめた評伝である。業績は過不足なくコンパクトに叙述されており、後藤新平の業績を俯瞰するには好適な書である。
ただ、不満を言えば、後藤新平を内在的に理解し、後藤新平という人物の人柄や根幹に迫っているとは言えない。また、いくつか、揶揄するような表現も散見される。たとえば、「二流のポスト」であった逓信大臣への就任に際し、「後藤は大きなもの、強いものが大好きで、その点では無邪気なほど単純な俗物であった。満鉄の監督権を引き続き手中に収めたまま大臣の地位を手に入れ、後藤は大いに満足であった」と書いている。しかしながら、後藤新平は何をするかということに関心がある人であり、この表現は中傷であり、不快である。満鉄の仕事が完成していない段階で満鉄を離れることを渋る後藤に対し、首相の桂は満鉄の主管を逓信大臣に移管するという案で後藤を説得しするようでた、というのが事実である。(『正伝後藤新平 第八巻』)
あるいは、晩年、ボーイスカウトの活動を推進した後藤に対し、「たしかに後藤はもはや現実政治を動かす力を失っていた。最後に子供の教育に賭けた後藤は、政治的には敗者であったかもしれない」と書いている。しかしながら、人材育成に力を注いだ後藤とすれば、むしろ、最後に子供の教育という基本の部分の仕事をしたかったのである。また、権力(であること)ではなく、政策の実行(すること)に関心のある後藤にとっては、「政治的には敗者」などという観念はなかったのではないか、と思う。
本書は後藤新平の業績を過不足なくカバーしているが、後藤新平の人間像に深く迫っているとはいえないだろう。後藤新平の業績の根幹にある動機と人間像を知りたければ、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(山岡淳一郎著 草思社文庫)をあわせて読むことをおすすめする。こちらの本は、後藤新平という人間への共感をベースに、後藤新平の人間像が描かれている。
本書はそんな後藤の業績を外交とヴィジョンという視点でまとめた評伝である。業績は過不足なくコンパクトに叙述されており、後藤新平の業績を俯瞰するには好適な書である。
ただ、不満を言えば、後藤新平を内在的に理解し、後藤新平という人物の人柄や根幹に迫っているとは言えない。また、いくつか、揶揄するような表現も散見される。たとえば、「二流のポスト」であった逓信大臣への就任に際し、「後藤は大きなもの、強いものが大好きで、その点では無邪気なほど単純な俗物であった。満鉄の監督権を引き続き手中に収めたまま大臣の地位を手に入れ、後藤は大いに満足であった」と書いている。しかしながら、後藤新平は何をするかということに関心がある人であり、この表現は中傷であり、不快である。満鉄の仕事が完成していない段階で満鉄を離れることを渋る後藤に対し、首相の桂は満鉄の主管を逓信大臣に移管するという案で後藤を説得しするようでた、というのが事実である。(『正伝後藤新平 第八巻』)
あるいは、晩年、ボーイスカウトの活動を推進した後藤に対し、「たしかに後藤はもはや現実政治を動かす力を失っていた。最後に子供の教育に賭けた後藤は、政治的には敗者であったかもしれない」と書いている。しかしながら、人材育成に力を注いだ後藤とすれば、むしろ、最後に子供の教育という基本の部分の仕事をしたかったのである。また、権力(であること)ではなく、政策の実行(すること)に関心のある後藤にとっては、「政治的には敗者」などという観念はなかったのではないか、と思う。
本書は後藤新平の業績を過不足なくカバーしているが、後藤新平の人間像に深く迫っているとはいえないだろう。後藤新平の業績の根幹にある動機と人間像を知りたければ、『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(山岡淳一郎著 草思社文庫)をあわせて読むことをおすすめする。こちらの本は、後藤新平という人間への共感をベースに、後藤新平の人間像が描かれている。
2015年2月21日に日本でレビュー済み
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著者の知性と文筆能力を感じさせつつ後藤新平の人生を余すところなく描いた一品である。
児玉源太郎の庇護というか理解の下で、台湾統治を成功させた人・・・ぐらいの知識は知られているかもしれないが、公の任に就く・人就こうとしている人のモデル的人物を得たい人にとってはもちろんのこと、政治学者を志す人にとっても、学究のアウトプットの一つのモデルとして、良き一冊だと思う。
後藤の「生物学的『国家観』」とは、人間にも国家にも、置かれた環境に適するために生ずる「第二の天性」みたいなもの(社会の慣習や制度)があり、これを無視して統治すべきではないというもので、今で言うハンチントンの「文明の衝突」的な考えであろう。これが台湾民政長官の時に活きた。
また、東インド会社という非政府機関が、事業という形での実質的植民地経営を行ったことをモデルとし、農業や牧畜等の付帯事業・沿線事業を広く包含した形で満鉄経営を行うことで「文装的武備」と説いたところ等は、ナイのソフトパワーにも通じるところを感じる。こうした考え(援助→提携→権益問題解決)と、当時の国際関係のパワーバランスを考え抜いた満鉄総裁としての政策提言は、時代の先端を行っていた感がする。対華21か条にも、こうした根本思想から彼は反対したらしい。
むろん、国家が生物学的な有機体として動くだけではなく、イデオロギーによっても動くことがあり得ることまで後藤は認識するに至らなかったとされているが、本書によって、後藤新平という素晴らしい日本人が存在したことと、今と同様の伏魔殿的政界の中で十分に活かしきれなかったこと等、余すところなく知ることができる。
かつて「劣等感をバネにして」という本もあったが、原書から学ぶという「正則」で医学を学べず、「変則」でしかなかったことが、若き日の向学心に火を付け続けたというところ、また理路整然と話すことが苦手で自己表現力には欠いていた等の指摘は、人間・後藤新平を、等身大の人物としても描いてくれる。
一読に値する。
児玉源太郎の庇護というか理解の下で、台湾統治を成功させた人・・・ぐらいの知識は知られているかもしれないが、公の任に就く・人就こうとしている人のモデル的人物を得たい人にとってはもちろんのこと、政治学者を志す人にとっても、学究のアウトプットの一つのモデルとして、良き一冊だと思う。
後藤の「生物学的『国家観』」とは、人間にも国家にも、置かれた環境に適するために生ずる「第二の天性」みたいなもの(社会の慣習や制度)があり、これを無視して統治すべきではないというもので、今で言うハンチントンの「文明の衝突」的な考えであろう。これが台湾民政長官の時に活きた。
また、東インド会社という非政府機関が、事業という形での実質的植民地経営を行ったことをモデルとし、農業や牧畜等の付帯事業・沿線事業を広く包含した形で満鉄経営を行うことで「文装的武備」と説いたところ等は、ナイのソフトパワーにも通じるところを感じる。こうした考え(援助→提携→権益問題解決)と、当時の国際関係のパワーバランスを考え抜いた満鉄総裁としての政策提言は、時代の先端を行っていた感がする。対華21か条にも、こうした根本思想から彼は反対したらしい。
むろん、国家が生物学的な有機体として動くだけではなく、イデオロギーによっても動くことがあり得ることまで後藤は認識するに至らなかったとされているが、本書によって、後藤新平という素晴らしい日本人が存在したことと、今と同様の伏魔殿的政界の中で十分に活かしきれなかったこと等、余すところなく知ることができる。
かつて「劣等感をバネにして」という本もあったが、原書から学ぶという「正則」で医学を学べず、「変則」でしかなかったことが、若き日の向学心に火を付け続けたというところ、また理路整然と話すことが苦手で自己表現力には欠いていた等の指摘は、人間・後藤新平を、等身大の人物としても描いてくれる。
一読に値する。