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読みやすく、今と昔の違い、忘れてる生活の意味。
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新・幸福論 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2013/12/20
内山 節
(著)
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日本はなぜ「幸せでも不幸でもない社会」となってしまったのか? 政治、経済、思想――近現代の先進諸国は、常に「目標」に向かって突き進んできた。到達すれば、幸福な社会が待っている、と。が、たどり着いたのは、手ごたえのない、充足感の薄い成熟社会だった。18世紀のヨーロッパ、明治維新後の日本まで遡り、近現代の構造と宿命を解き明かし、歴史の転換を見据える大胆な論考。
- 本の長さ174ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/12/20
- 寸法13 x 1.5 x 19.1 cm
- ISBN-104106037386
- ISBN-13978-4106037382
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森にかよう道―知床から屋久島まで― | 「里」という思想 | 怯えの時代 | 新・幸福論―「近現代」の次に来るもの― | 修験道という生き方 | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥1,430¥1,430 | ¥1,320¥1,320 | ¥1,210¥1,210 | ¥1,210¥1,210 | ¥1,320¥1,320 |
【新潮選書】内山節 作品 | 暮らしの森から経済の森へ――知床の原生林や白神山地のブナ林、木曾や熊野など、日本全国の森を歩きながら、日本人にとって「森とは何か」を問う。 | 近代化社会の申し子といえるグローバリズムは、継承される技や慣習、説話など、私たちの足元にあった「もの・こと」を次々に解体していった。その結果、私たちは手ごたえのある暮らしや幸福を喪失してしまった。確かな幸福を取り戻すヒントは「里=ローカル」にある。「現代人の不幸」を解析し、新しい生き方を提示する思索の書。 | 吸い込まれるように「先の見えない時代」へと移行している。かつて、これほどまでに人間が無力なことはなかった。問題の所在はわかっていても、「現代」を支えるシステムが複雑かつ巨大過ぎて、解決手段をもてなくなってしまったのだ。いつから私たちは「明るい未来」をなくしてしまったのか。気鋭の哲学者が「崩れゆく社会」を看破する。 | 政治、経済、思想――近現代の先進諸国は、常に「目標」に向かって突き進んできた。到達すれば、幸福な社会が待っている、と。が、たどり着いたのは、手ごたえのない、充足感の薄い成熟社会だった。18世紀のヨーロッパ、明治維新後の日本まで遡り、近現代の構造と宿命を解き明かし、歴史の転換を見据える大胆な論考。 | 修験道に目を向ける人が増えている。彼らはなぜ山に惹きつけられるのか。修験者として山中を歩くと何が見えてくるのか。そもそも日本の信仰は自然とどう関わってきたのか。日本仏教の源流とは――。修験を代表する実践者であり理論家でもある二人の高僧と「里の思想家」内山節が、日本古来の山岳信仰の歴史と現在を語り尽くす。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2013/12/20)
- 発売日 : 2013/12/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 174ページ
- ISBN-10 : 4106037386
- ISBN-13 : 978-4106037382
- 寸法 : 13 x 1.5 x 19.1 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 84,856位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16,781位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
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2018年12月19日に日本でレビュー済み
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2021年3月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
政治も経済も社会も「私」から縁遠くなり、経済発展の先にあったはずの豊かさや幸せも、科学の発展が未来を拓くという期待感も失われた。確かだと思っていたものがどんどん離れていく。筆者はこれを「遠逃」と呼ぶ。
すべてが逃げていき、不幸ではないけど幸せではない、という虚無だけが残る。それが近現代の終わりを示しているという。
近代は、共同体社会から市民社会へ移行し、国民国家という形をとるようになった。共同体社会では個々人の顔が見える社会だったが、近代は、国民、労働者、資本家といった「人々」を生みだした。コミュニティの人間関係から個々人を切り離し、国民国家という形に統合しようとした。日本では日露戦争でそれが起き、熱狂のなかで「国民」が形成された。
自らが「人々」にすぎないとう虚無感は、戦争や高度成長といった熱狂によって癒やされる。経済は成長し豊かになるというイメージが実際に現実化することで、さらにそれが実体化してきた。
それは、先進国が技術や富を独占することで可能になった。今、先進国の優位性はなくなり、経済成長が不可能になり、先進国内でも賃金格差が拡大する。国民国家の基盤が崩れ、近現代を支えてきた「イメージ」が崩れてきた。
そういう時代には新しいなにかが生み出されなければならない。それがコミュニティへの回帰であり、「関係」をつむぐオルタナティブな経済だという。
現代に蔓延していた「自分のために生きなければ損だ」というイメージに疑問を抱く人も増え、「自分のために生きる」よりも他者のために生きる方が、最終的には自分のためになると考える人々が増えつつあるという。
すべてが逃げていき、不幸ではないけど幸せではない、という虚無だけが残る。それが近現代の終わりを示しているという。
近代は、共同体社会から市民社会へ移行し、国民国家という形をとるようになった。共同体社会では個々人の顔が見える社会だったが、近代は、国民、労働者、資本家といった「人々」を生みだした。コミュニティの人間関係から個々人を切り離し、国民国家という形に統合しようとした。日本では日露戦争でそれが起き、熱狂のなかで「国民」が形成された。
自らが「人々」にすぎないとう虚無感は、戦争や高度成長といった熱狂によって癒やされる。経済は成長し豊かになるというイメージが実際に現実化することで、さらにそれが実体化してきた。
それは、先進国が技術や富を独占することで可能になった。今、先進国の優位性はなくなり、経済成長が不可能になり、先進国内でも賃金格差が拡大する。国民国家の基盤が崩れ、近現代を支えてきた「イメージ」が崩れてきた。
そういう時代には新しいなにかが生み出されなければならない。それがコミュニティへの回帰であり、「関係」をつむぐオルタナティブな経済だという。
現代に蔓延していた「自分のために生きなければ損だ」というイメージに疑問を抱く人も増え、「自分のために生きる」よりも他者のために生きる方が、最終的には自分のためになると考える人々が増えつつあるという。
2014年1月12日に日本でレビュー済み
まだ未完読のものもありますが、訳本『幸福論』ではアラン、ラッセル、和書は『新・幸福論』(五木寛之)しか読んだことありません。これらとくらべて異質だと思いました。サブタイトル「近現代の次に来るもの」の方がぴったりだと思う。哲学的にはそうなのかもしれないが、タイトルどうりの幸福論と具体的に結びついた内容を期待していたがその点は期待はずれであった。深く読み込まなくても少し違った視点から、自分の中の幸福感を分析してみる機会にはなるかもしれない。
さて、政治、経済、等々 知性で考えれば、全部が無視できない重要な課題であるのに、自分を包んでいるイメージの世界ではみんな遠くへ逃げた存在、これを「遠逃現象」と呼んでいる。例えば、だから尋ねられれば、幸福でもないし、不幸でもない状態、本当の幸福は何処かにあるのだが逃げてしまっている感覚の中にいるのだという。この辺の変遷をヨーロッパの歴史的との関連も踏まえ、鋭い分析を交えて随所に日本の近現代に対する考察が繰返し述べられている。特にかつては共同体を伴った「われわれ」であったが「人々」という一括りになり、独立した感覚の「私」を群れのなかに埋没させてしまった。そして高度成長、バブルなど熱狂の時代を生み出していったこと、しかしそんな先進国中心の時代も終わり、しいては近現代の終わりをみているのだと展開する。今日は、SNS等にも見られるように様々な分野で繋がりあう世界のなかに、ローカルな世界をみだしている意味からもローカリズムの時代であるとも。
なお、著者の別の書籍「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」もそうであったが、生活拠点を東京と群馬県上野町にされている体験をベースにした考察も随所に登場する。
さて、政治、経済、等々 知性で考えれば、全部が無視できない重要な課題であるのに、自分を包んでいるイメージの世界ではみんな遠くへ逃げた存在、これを「遠逃現象」と呼んでいる。例えば、だから尋ねられれば、幸福でもないし、不幸でもない状態、本当の幸福は何処かにあるのだが逃げてしまっている感覚の中にいるのだという。この辺の変遷をヨーロッパの歴史的との関連も踏まえ、鋭い分析を交えて随所に日本の近現代に対する考察が繰返し述べられている。特にかつては共同体を伴った「われわれ」であったが「人々」という一括りになり、独立した感覚の「私」を群れのなかに埋没させてしまった。そして高度成長、バブルなど熱狂の時代を生み出していったこと、しかしそんな先進国中心の時代も終わり、しいては近現代の終わりをみているのだと展開する。今日は、SNS等にも見られるように様々な分野で繋がりあう世界のなかに、ローカルな世界をみだしている意味からもローカリズムの時代であるとも。
なお、著者の別の書籍「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」もそうであったが、生活拠点を東京と群馬県上野町にされている体験をベースにした考察も随所に登場する。
2015年12月1日に日本でレビュー済み
個人が漠然と感じている虚無感を、歴史を通して具体的に近代を考察し、その紐解きがとてもわかりやすい。
古き良き時代に無理やり帰そうとする施策に警鐘を鳴らしつつ、人々との関係を重要視しつつ個を確立して行く将来への道筋を示しており、素晴らしい導きと感じた。手にとって大正解の本です。
古き良き時代に無理やり帰そうとする施策に警鐘を鳴らしつつ、人々との関係を重要視しつつ個を確立して行く将来への道筋を示しており、素晴らしい導きと感じた。手にとって大正解の本です。
2014年1月16日に日本でレビュー済み
大事なものが遠くに逃げていくという「遠逃現象」と、結び合う世界を失い交換可能となった「人々」をキーワードに、僕たちが生きる現代という時代を読み解く珠玉のエッセイ。実に深い内容を含んでいるにもかかわらず、平易な文体で非常に読みやすい。
個人を基調とする近現代という時代は、進歩や発展というイデオロギーの中で展開してきた。その中で人間たちはいったい何を獲得し、何を失ってきたのだろうか。本書の中で論じられているようにそのことを確認しなければ、この混迷の時代から未来を展望することなどできないだろう。人間は果たして幸福になったのだろうか。
著者は関係のなかに社会をとらえ、関係のなかに自己や個をとらえようとする。つまり幸福は「個人」の中に存在するのではなく、幸福な「関係」があるだけだと筆者は述べているのかもしれない。ぜひ多くの人に読んでほしいと思った。
個人を基調とする近現代という時代は、進歩や発展というイデオロギーの中で展開してきた。その中で人間たちはいったい何を獲得し、何を失ってきたのだろうか。本書の中で論じられているようにそのことを確認しなければ、この混迷の時代から未来を展望することなどできないだろう。人間は果たして幸福になったのだろうか。
著者は関係のなかに社会をとらえ、関係のなかに自己や個をとらえようとする。つまり幸福は「個人」の中に存在するのではなく、幸福な「関係」があるだけだと筆者は述べているのかもしれない。ぜひ多くの人に読んでほしいと思った。
2015年11月19日に日本でレビュー済み
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経済の発展から整理されて述べられ、読み易く、論点もよく理解出来た。
2020年4月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東京新聞でも執筆されているので、寄稿されている時は毎回楽しみと言いますか、何かを求める気持ちで読んでいます。哲学的な話をすると気難しい人だなあと言われてしまいますが、自分を見つめ生きることは、結構勇気がいると思いますので、一貫性がある筆者の本には助けられます。