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謎とき『罪と罰』 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 1986/2/21
江川 卓
(著)
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- 本の長さ298ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1986/2/21
- ISBN-104106003031
- ISBN-13978-4106003035
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カスタマーレビュー |
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23
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27
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価格 | ¥1,540¥1,540 | ¥1,980¥1,980 |
【新潮選書】江川卓 作品 | 主人公はなぜラスコーリニコフと名づけられたのか? 666の謎とは? ドストエフスキーを愉しむために、種明かしする作品の舞台裏。 | 黒、罰、好色、父の死、セルビアの英雄、キリスト。カラマーゾフという名は多義的な象徴性を帯びている! 好評の『謎とき「罪と罰」』に続く第二弾。 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1986/2/21)
- 発売日 : 1986/2/21
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 298ページ
- ISBN-10 : 4106003031
- ISBN-13 : 978-4106003035
- Amazon 売れ筋ランキング: - 172,487位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 148位ロシア・ソビエト文学 (本)
- - 446位ロシア・東欧文学研究
- - 30,633位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年2月27日に日本でレビュー済み
ある程度の年齢の方であれば、よく売れたらしいので説明不要かと思いますし、タイトルからも内容は推し量れますしその通りの内容です。ドストエフスキーの『罪と罰』に仕掛けられたさまざまな謎を解き明かしてゆくという内容で、文章も読みやすくておもしろい。初読は二十代のころだったと思います。本書によってドストエフスキーの読み方を手ほどききしてもらい、愉しめるようになり、今でも手ほどき、入門の書としては良書だろうと思います。もちろん著者を通したものではありますが、ドストエフスキーの方法論を垣間見ることができ。不器用さもまた。ドストエフスキーはユーモアのある人でそれを作品に出そうとしていたが、うまくいっていないところとか。ドストエフスキー作品のイメージとして、暗く深刻で晦渋というものがありますが、少なからず誤解であることが見えてくるはずです。それは彼の初期の作品を読めば判ることでありますし、そういう感傷やロマンチシズムを後に殺したという評する方がおりますが、私は同意できかねます。不器用なユーモア、感傷、ロマンチシズムがあり、ただし、執拗で偏執ではありますが。ドストエフスキーの、特に『罪と罰』を読むと、日本文学にいかに甚大な影響を及ぼしているのかが分かるように思います。そういう楽しみもできる、という面もありますが、ドストエフスキー作品を愉しめるきっかけを得られるというのが何よりの本書の功徳ではないでしょうか。二匹目のドジョウ狙い、どころか三匹目、四匹目まで狙い(狙わされたのか)、続々と謎ときシリーズを幾冊か出されましたが、正直あまりおもしろくなく。どんどん内容が薄くなっていて、例えるならヒットした映画を次々と続編を出すが次第におもしろくなくなってゆくように。ために、手元にあるのはこの一冊だけです。そして、ドストエフスキー作品も訳がいろいろありますので、読みくらべ自分に合うものを読まれたらよいと思います。新しいのがよくて、古いものは劣る、などということはなく、翻訳の寿命は五十年と村上春樹先生はおっしゃいますが、そんなことはありませんしね。人それぞれ好みがありますし、古くても味があって読みやすいものもあれば、新し、訳としては正確なものであっても、品のない粗雑な印象をうけるものはありますからね。ドストエフスキー作品のどこに魅力を感じるのか、私は。いろいろなレベルで満たされるから、のような気がされます。ストーリーを追う、もしくは翻弄されることや、ひとりびとりに異様にのめり込んでゆくさまにシンクロしてゆくところとか、仕組まれている思想や笑いなどを完全につかめぬまでも感じとれるところ。一言でいえば、豊かなところです。ドストエフスキー作品の豊かさの一端に気づかせてくれるのが、本書です。
2018年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
罪と罰の解説を期待しましたが、それよりディープな内容でした。江川さんのすごさはわかります。
2020年2月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素早い対応ありがとうございます。楽しん読んでます。
2007年2月10日に日本でレビュー済み
著者はロシア文学翻訳家として知られており、著者の訳でドストエフスキー他、ロシア文学に接した方も多いだろう。私の頃は米川正夫氏だった。その著者が「罪と罰」に仕掛けられた謎を究明するという探求本。その後、「謎とき「カラマーゾフの兄弟」」も上梓している。
正直、一つの作品をここまで深読みできるとは思わなかった。ドストエフスキーの脳の構造が常人離れしており、作品に刻まれた圧倒的な心理描写、行動原理については少しは理解しているつもりだったが、ここまでとはね。著者は作品のテキストを読み込む事によって謎を少しづつ解明して行く。ラスコーリニコフの名前がアンチ・キリストに由来しているくらいなら、まあ少しの研究で分かるかもしれないし、読者が無意識に想定している事と合致する。それよりも被害者の家の敷居を「またぐ」という一般的単語が、「一般社会の倫理の境界を踏み越えて罪の世界に入り込む」という意味の単語から派生している点の指摘などは鋭いと思う。こうした指摘が随所にあり、文学を読む際、原語を理解する重要性を感じさせる。だからと言って、これからロシア語をマスターするのは困難なのだが...。そして、これは単に原語を理解するだけではなく、文学的な理解力も必要とされる作業なのだが。また、「聖なる娼婦」ソーニャは早い段階でラスコーリニコフと(娼婦として)肉体的関係を持ったのだが、作品の構想が大きく、また崇高になるに連れ、精神面だけが強調されているという指摘も、なるほどと思った。
通俗小説として読んでも面白く、原罪を背負った人々の魂の救済を描いたキリスト教的背景を持った小説として読んでも面白い「罪と罰」。そのような多重構造を持った小説を平易に解説してくれる貴重な道案内の学究本。
正直、一つの作品をここまで深読みできるとは思わなかった。ドストエフスキーの脳の構造が常人離れしており、作品に刻まれた圧倒的な心理描写、行動原理については少しは理解しているつもりだったが、ここまでとはね。著者は作品のテキストを読み込む事によって謎を少しづつ解明して行く。ラスコーリニコフの名前がアンチ・キリストに由来しているくらいなら、まあ少しの研究で分かるかもしれないし、読者が無意識に想定している事と合致する。それよりも被害者の家の敷居を「またぐ」という一般的単語が、「一般社会の倫理の境界を踏み越えて罪の世界に入り込む」という意味の単語から派生している点の指摘などは鋭いと思う。こうした指摘が随所にあり、文学を読む際、原語を理解する重要性を感じさせる。だからと言って、これからロシア語をマスターするのは困難なのだが...。そして、これは単に原語を理解するだけではなく、文学的な理解力も必要とされる作業なのだが。また、「聖なる娼婦」ソーニャは早い段階でラスコーリニコフと(娼婦として)肉体的関係を持ったのだが、作品の構想が大きく、また崇高になるに連れ、精神面だけが強調されているという指摘も、なるほどと思った。
通俗小説として読んでも面白く、原罪を背負った人々の魂の救済を描いたキリスト教的背景を持った小説として読んでも面白い「罪と罰」。そのような多重構造を持った小説を平易に解説してくれる貴重な道案内の学究本。
2006年7月16日に日本でレビュー済み
著者自身が、「主人公への感情移入を過度に重視する従来の小説理解への反撥があった」(12章)と言っているとおり、
『罪と罰』を、心理とか哲学とかの観点からよりも、ロシア語やロシア文化、キリスト教史といった観点から(やや重箱の隅をつつくように)解説しています。
その辺が本書『謎とき』の価値だと思います。
前者の観点での解説なら、シェストフや小林秀雄(他にもたくさん、山ほど出てるんだろうと思います)に任せればokだろうと思いますし。
ただ、帯にあるように「ドストエフスキーを愉しむために最初に手にすべき1冊」ではないかもしれない、です。
謎の中身ですが、たとえば、
■タイトルの「罪」が、ロシア語で、「グレーフ(神のおきてにそむく行為)」ではなくて、「プレストゥプレーニエ(人間の定めたおきて(法律や社会的規範)を『踰える』行為)」であること
■ラスコーリニコフのイニシャルが、実はアンチクリスト、悪魔を暗示していること
■ラスコーリニコフとソーニャが、実はあのときにコトに及んでいたこと
などなど、(少なくとも私にとっては)目から鱗の落ちる発見が続出でした。
蛇足ですが、ソフィーとマグダラのマリアを重ね合わせているところや、いわゆる「異教」を登場人物に見出しているところなど、はやりの『ダ・ヴィンチ・コード』にも通じるところがありました。(『謎とき『罪と罰』』の初出は、1983〜1985年です)
『罪と罰』を、心理とか哲学とかの観点からよりも、ロシア語やロシア文化、キリスト教史といった観点から(やや重箱の隅をつつくように)解説しています。
その辺が本書『謎とき』の価値だと思います。
前者の観点での解説なら、シェストフや小林秀雄(他にもたくさん、山ほど出てるんだろうと思います)に任せればokだろうと思いますし。
ただ、帯にあるように「ドストエフスキーを愉しむために最初に手にすべき1冊」ではないかもしれない、です。
謎の中身ですが、たとえば、
■タイトルの「罪」が、ロシア語で、「グレーフ(神のおきてにそむく行為)」ではなくて、「プレストゥプレーニエ(人間の定めたおきて(法律や社会的規範)を『踰える』行為)」であること
■ラスコーリニコフのイニシャルが、実はアンチクリスト、悪魔を暗示していること
■ラスコーリニコフとソーニャが、実はあのときにコトに及んでいたこと
などなど、(少なくとも私にとっては)目から鱗の落ちる発見が続出でした。
蛇足ですが、ソフィーとマグダラのマリアを重ね合わせているところや、いわゆる「異教」を登場人物に見出しているところなど、はやりの『ダ・ヴィンチ・コード』にも通じるところがありました。(『謎とき『罪と罰』』の初出は、1983〜1985年です)
2013年3月31日に日本でレビュー済み
謎ときか、妄想か判然としない本。
例えばこんな感じ、主人公の名前は
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、
これはロシアでは珍しい名前、なにか意味がある。
ロシア語でイニシャルはPPP、裏返して、666、
これは獣の数字、主人公はアンチ・キリスト。
これを謎ときととるか、妄想ととるかで、
評価の分かれる本だと思います。
例えばこんな感じ、主人公の名前は
ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ、
これはロシアでは珍しい名前、なにか意味がある。
ロシア語でイニシャルはPPP、裏返して、666、
これは獣の数字、主人公はアンチ・キリスト。
これを謎ときととるか、妄想ととるかで、
評価の分かれる本だと思います。
2011年7月1日に日本でレビュー済み
著者の岩波新書「
ドストエフスキー (岩波新書)
」がよかったので、この本も書店に並んだときすぐ買って読みました。読んだときはたいへんおもしろかったのですが、今はちょっとちがう見解を持っています。
著者が語学にすぐれたロシア文学者であり、ドストエフスキーにとりわけ深い愛着を持っていることはわかります。かつてドストエフスキーはトルストイなどに比べて作品完成度が低いとされていました。彼の小説は「思想小説」であって、文学作品としては比較的弱いと評価されていたことがあります。これはいわばリアリズム文学的評価。ドストエフスキー作品には象徴主義的な表現手法が使われており、それがわからないと作品が破綻していると思われてしまったのだと著者は主張します。著者はテクストを丹念に読み込み、作品の象徴主義的性格を解明して、そのような世間的評価を一変させました。
しかし象徴主義的解釈というのは実はむずかしいのです。著者はラスコーリニコフのイニシャルから主人公が悪魔を象徴していることを読み解いたといいますが、この解釈自体に根拠はないし、そのような判じ物が隠されていたからといって「罪と罰」の作品の価値を上げることにはなりません。重要なことは、悪魔のような所業を犯した根っからの近代人ラスコーリニコフがソーニャの純真さに触れて改心するのはなぜかということでしょう。不思議なことにラスコーリニコフが改心する場面は書かれていない。彼は、マルメラードフの死やスヴィドリガイロフの自殺のどさくさにまぎれてしばらく姿を消していたかと思うと、いつのまにか改心してもどってくるのです。謎といえばこれが罪と罰の最大の謎でしょう。
象徴主義は世紀末ロシアの文芸思潮として有名です。著者はパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」に象徴主義を見出しているので、ドストエフスキーも同様だと思ったのかもしれません。しかし世紀末象徴主義は、フランス象徴主義文学や新カント主義哲学に影響を受けて始まったもの。ロシア正教では象徴的解釈の伝統がありますが、だからといってロシア文化自体がとりわけ象徴主義的なわけではない。ドストエフスキーはゴーゴリのリアリズムの影響を受けて文学を始めたわけで、象徴表現よりは風刺を好んだ。そう考えるとドストエフスキーを象徴主義的に解釈するのは限界があるといわなければならないと思います。
ましてや「謎解き」などという表題をつけたので、本全体が単なる判じ物に堕してしまっている。これでは象徴主義的解釈が本末転倒でしょう。
著者が語学にすぐれたロシア文学者であり、ドストエフスキーにとりわけ深い愛着を持っていることはわかります。かつてドストエフスキーはトルストイなどに比べて作品完成度が低いとされていました。彼の小説は「思想小説」であって、文学作品としては比較的弱いと評価されていたことがあります。これはいわばリアリズム文学的評価。ドストエフスキー作品には象徴主義的な表現手法が使われており、それがわからないと作品が破綻していると思われてしまったのだと著者は主張します。著者はテクストを丹念に読み込み、作品の象徴主義的性格を解明して、そのような世間的評価を一変させました。
しかし象徴主義的解釈というのは実はむずかしいのです。著者はラスコーリニコフのイニシャルから主人公が悪魔を象徴していることを読み解いたといいますが、この解釈自体に根拠はないし、そのような判じ物が隠されていたからといって「罪と罰」の作品の価値を上げることにはなりません。重要なことは、悪魔のような所業を犯した根っからの近代人ラスコーリニコフがソーニャの純真さに触れて改心するのはなぜかということでしょう。不思議なことにラスコーリニコフが改心する場面は書かれていない。彼は、マルメラードフの死やスヴィドリガイロフの自殺のどさくさにまぎれてしばらく姿を消していたかと思うと、いつのまにか改心してもどってくるのです。謎といえばこれが罪と罰の最大の謎でしょう。
象徴主義は世紀末ロシアの文芸思潮として有名です。著者はパステルナークの「ドクトル・ジバゴ」に象徴主義を見出しているので、ドストエフスキーも同様だと思ったのかもしれません。しかし世紀末象徴主義は、フランス象徴主義文学や新カント主義哲学に影響を受けて始まったもの。ロシア正教では象徴的解釈の伝統がありますが、だからといってロシア文化自体がとりわけ象徴主義的なわけではない。ドストエフスキーはゴーゴリのリアリズムの影響を受けて文学を始めたわけで、象徴表現よりは風刺を好んだ。そう考えるとドストエフスキーを象徴主義的に解釈するのは限界があるといわなければならないと思います。
ましてや「謎解き」などという表題をつけたので、本全体が単なる判じ物に堕してしまっている。これでは象徴主義的解釈が本末転倒でしょう。
2003年5月21日に日本でレビュー済み
ドストエフスキーの『罪と罰』を多角的な視点とロシア語の語源から捉えて小説の奥に隠されている様々なメッセージを読み取っていくというまさに“謎とき”の楽しさを教えてもらえる本。
改めて『罪と罰』が読みたくなった。
改めて『罪と罰』が読みたくなった。