ある男が書いたバスク語の回想録を翻訳しようとし・・・というお話。
民族と言語の問題を扱った小説の様に思えました。特に、スペインのバスク地方は独自の言語と歴史があるそうで、中でも言及されている過激派組織もあって、その文化や伝統を守ろうという運動が盛んだそうで、そういう歴史を小説にして国際社会に認知してもらいたい、という著者の静かな意志を感じました。
民族と言語は切っても切れない関係だそうで、ある評論家の人も日本人は円と日本語を使っている限り、日本を背負わなくてはならない、日本人が外国に行くと日本の人と紹介される、と発言してらっしゃいましたが、私も日本語しか知らないけど、日本の事を背負えと言われても大きすぎて無理な訳で、このアチャガという人みたいに自分の出自の言語や文化を守ろうという気迫に圧倒されました。
昔韓国の大統領をしていた方も、日本に留学経験があって日本語が巧い方が、来日した際公式の場ではハングル語しか使わない様にしていたという事で、やはり言語と民族性は強い関わりがあるみたいです。私の場合は日本語しか知らず、しょうがないので日本にいるという不埒な輩で、民族派の人からは怒られそうですが。あるミュージシャンの方も外国で日本人のミュージシャンと紹介されると凄く怒るとか。
サンデル教授の授業でも、多くの人を救える状況と少数の人を救える状況の選択を迫られたらどうするかとの問いに多くの人が多数を救う方をとると言ってましたが、少し少数を救うと言っていてその理由が絶滅しそうな少数民族でも救わないといけない、という理由でしたがなるほどと思いました。
という様な感想を抜きにしても、少数民族出身の人が自らのアイデンティティを探りながらもあまり暗くならずに朗らかに語ったビルドウィングス・ロマンとしても良く出来ていると思うので読んで損はないです。
著者の方は小説に精通している様で、L・P・ハートリーの文章を引用したり、随所でナボコフの名前が出てきたりとそういう部分も楽しかったです。
翻訳の方はバスク語版から翻訳したそうで、結構大変だったろうと勝手に察してしまいました。その尽力を労います(そういえば、レムの「ソラリス」も新訳はポーランド語から訳したそうで、最近はそういう少数言語が判る人が増えたみたい)。
民族と言語のアイデンティティを探った内省的で明るい小説。必読。
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アコーディオン弾きの息子 (新潮クレスト・ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2020/5/27
ベルナルド・アチャガ
(著),
金子 奈美
(翻訳)
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僕の父はファシストとして人を殺したのか。現代バスク語文学を代表する巨編。カリフォルニアで死んだ幼なじみが書いていた「アコーディオン弾きの息子」と題された私家版の回想録。親友はどんな思いで故郷バスクを去ったのか。作家は遺された言葉を元に、少年時代からの二人の物語を紡ぐ。スペイン内戦から民族解放運動まで、波乱の近現代史を描き、美食だけではないバスクの真の姿を伝える長篇小説。
- 本の長さ576ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2020/5/27
- 寸法13.2 x 3.4 x 19.3 cm
- ISBN-104105901664
- ISBN-13978-4105901660
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2020/5/27)
- 発売日 : 2020/5/27
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 576ページ
- ISBN-10 : 4105901664
- ISBN-13 : 978-4105901660
- 寸法 : 13.2 x 3.4 x 19.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 507,490位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 84,597位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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2020年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2020年7月23日に日本でレビュー済み
主人公ダビの弾くアコーディオンから流れ出る
「《パダン・パダン》の旋律が教室を満たしていった」(14頁)
という場面から始まる美しい物語です。
巻末の「訳者あとがき」を本文よりも先に読んだ方が、もっと深く読めたような気がしました。
バスク地方の政治的状況とバスク語文学の状況の解説が簡潔に紹介されていたからです。
政治的状況と文学的状況が、本書の物語に背景として強く影響していると感じたから。
《主な登場人物》
ダビ・イマス
「僕」。「みんなには<アコーディオン弾きの息子(傍点あり)>と呼ばれています」(13頁)。1949年、(架空の)村オババで生まれる。パリでアパートに住む。1999年、50歳で死亡。
「僕と伯父さんはアメリカの広大な土地にいる二匹の孤独なコオロギ」(25頁)。「僕の中のコオロギが鳴いている」(560頁)。「『手術』という言葉を聞いた瞬間、頭の中のコオロギがけたたましく鳴き始めた」(509頁)
ヨシェバ
「僕」。名前はホセ。作家。ダビの幼馴染。
「ヨシェバはトシローがよくしていたように腕を組んだ。『僕はそれをとても喜んでやると思います、同志。僕も第三インターナショナルの修正主義者たちを憎んでいます。僕は誇りあるトロツキストです』」(510頁)
メアリー・アン ダビの妻(未亡人)
リズとサラ ダビの娘たち
フアン・イマス ダビの伯父。
カルメン ダビの母。
《時代背景など》
1936年 ドン・ペドロ・ガラレタにスペイン戦争が始まったとの知らせが届く。
1949年 ダビ、生まれる。
1957年 ダビ、8歳。
1964年 ダビ、15歳。《心のリスト》(87頁)を作る。
1970年 父アンヘル、アコーディオン弾きの仕事を引き継ぐ話を持ってくる。(337頁)
1985年 ルピスの死をめぐる裁判。(449頁)
1999年 ダビ、50歳で死亡。本書の物語の幕開け。(565頁)
「トシローの話には大笑いだったわね」(547頁)
「トシローの話」とは、「バスク解放運動とトシロー」(479頁)
「トシローという日本人男性が住んでいた」(481頁)
「大阪出身で、彼も造船所で働いているのよ。船のスクリューの設置に来ているの」(481頁)
トシローは「文字どおりこう言ったんだ。『僕はそれをとても喜んでやると思います、同志。僕も第三インターナショナルの修正主義者たちを憎んでいます。僕は誇りあるトロツキストです』こっちはひっくり返るところだったぜ」(488頁)
トシローの話に、なぜ「大笑い」するのか?
トシローの言ったことに、なぜ「ひっくり返る」のか? わけがわかりませんでした。
「僕」は、トシローのような
「レーニンやトロツキーの信奉者も自分の民族文化を捨て去ることはできないのだ、と言った」(488頁)
「ヨシェバが言うように、真実はフィクションにおいてより生々しくなく、つまり受け入れやすいものとなるのかもしれない」(478頁)
なるほど。
バスク解放運動の真実は、相当生々しいものだったらしい。
それを描いた本書、長篇小説『アコーディオン弾きの息子』は、
「これまで十六の言語に翻訳され」(565頁)、近年では舞台化や映画化(2019年)も相次いでいるという。
本書の成功は、
「真実はフィクションにおいてより生々しくなく、つまり受け入れやすいものとなる」
ことを実証しているからだろうと感じました。
《正誤表》
箇所: 「訳者あとがき」568頁
誤: 本作『アコーディオンの息子』
正: 本作『アコーディオン弾きの息子』
理由: 「弾き」が脱落している。
箇所: 「訳者あとがき」571頁、および本書の「帯」
誤: 本書の末尾と冒頭の詩には
正: 本書の冒頭の詩には
理由: 本書の末尾には、詩が無いから。
「《パダン・パダン》の旋律が教室を満たしていった」(14頁)
という場面から始まる美しい物語です。
巻末の「訳者あとがき」を本文よりも先に読んだ方が、もっと深く読めたような気がしました。
バスク地方の政治的状況とバスク語文学の状況の解説が簡潔に紹介されていたからです。
政治的状況と文学的状況が、本書の物語に背景として強く影響していると感じたから。
《主な登場人物》
ダビ・イマス
「僕」。「みんなには<アコーディオン弾きの息子(傍点あり)>と呼ばれています」(13頁)。1949年、(架空の)村オババで生まれる。パリでアパートに住む。1999年、50歳で死亡。
「僕と伯父さんはアメリカの広大な土地にいる二匹の孤独なコオロギ」(25頁)。「僕の中のコオロギが鳴いている」(560頁)。「『手術』という言葉を聞いた瞬間、頭の中のコオロギがけたたましく鳴き始めた」(509頁)
ヨシェバ
「僕」。名前はホセ。作家。ダビの幼馴染。
「ヨシェバはトシローがよくしていたように腕を組んだ。『僕はそれをとても喜んでやると思います、同志。僕も第三インターナショナルの修正主義者たちを憎んでいます。僕は誇りあるトロツキストです』」(510頁)
メアリー・アン ダビの妻(未亡人)
リズとサラ ダビの娘たち
フアン・イマス ダビの伯父。
カルメン ダビの母。
《時代背景など》
1936年 ドン・ペドロ・ガラレタにスペイン戦争が始まったとの知らせが届く。
1949年 ダビ、生まれる。
1957年 ダビ、8歳。
1964年 ダビ、15歳。《心のリスト》(87頁)を作る。
1970年 父アンヘル、アコーディオン弾きの仕事を引き継ぐ話を持ってくる。(337頁)
1985年 ルピスの死をめぐる裁判。(449頁)
1999年 ダビ、50歳で死亡。本書の物語の幕開け。(565頁)
「トシローの話には大笑いだったわね」(547頁)
「トシローの話」とは、「バスク解放運動とトシロー」(479頁)
「トシローという日本人男性が住んでいた」(481頁)
「大阪出身で、彼も造船所で働いているのよ。船のスクリューの設置に来ているの」(481頁)
トシローは「文字どおりこう言ったんだ。『僕はそれをとても喜んでやると思います、同志。僕も第三インターナショナルの修正主義者たちを憎んでいます。僕は誇りあるトロツキストです』こっちはひっくり返るところだったぜ」(488頁)
トシローの話に、なぜ「大笑い」するのか?
トシローの言ったことに、なぜ「ひっくり返る」のか? わけがわかりませんでした。
「僕」は、トシローのような
「レーニンやトロツキーの信奉者も自分の民族文化を捨て去ることはできないのだ、と言った」(488頁)
「ヨシェバが言うように、真実はフィクションにおいてより生々しくなく、つまり受け入れやすいものとなるのかもしれない」(478頁)
なるほど。
バスク解放運動の真実は、相当生々しいものだったらしい。
それを描いた本書、長篇小説『アコーディオン弾きの息子』は、
「これまで十六の言語に翻訳され」(565頁)、近年では舞台化や映画化(2019年)も相次いでいるという。
本書の成功は、
「真実はフィクションにおいてより生々しくなく、つまり受け入れやすいものとなる」
ことを実証しているからだろうと感じました。
《正誤表》
箇所: 「訳者あとがき」568頁
誤: 本作『アコーディオンの息子』
正: 本作『アコーディオン弾きの息子』
理由: 「弾き」が脱落している。
箇所: 「訳者あとがき」571頁、および本書の「帯」
誤: 本書の末尾と冒頭の詩には
正: 本書の冒頭の詩には
理由: 本書の末尾には、詩が無いから。
2020年12月10日に日本でレビュー済み
この本を書店で選んだときには全く意識していなかったのですが、バスクチーズケーキなどの影響なのか、今の日本はちょっとしたバスクブームのようなのですね。
そんなミーハーな状況とは関係なく、スペイン内戦という時代と、そのスペインの中でも特定の地域・民族という背景に惹かれ読み始めました。
読み進めていくと、内容の濃さとは別に、作家の意図がよくわからないと感じることが多く、なんとなく気が乗らず途中に何日も放置してはまた読む、ということを繰り返してしまいました。いささか説明的に思える導入、もっとメリハリをつけられたんじゃないかという地元オババでの青春模様--そういったレトリックとしての部分が、小説としてのこの作家の通常の書きぶりなのか、本書の重層的な構造を際立たせるために意図的にやっていることなのか、アチャガ作品を初めて読む私には判断がつかなかったのです。
が、終盤まで進むと、ああやはり全てが意図的に、それもこの作品の構造のため、というより、公式な言葉ではないため失われていく言語--それだけでなく「物語」として語られたものが残ることによって、「物語」に脚色されなかった手付かずの事実も失われていくということ—その意識と、それに伴う感傷を際立たせるための非常に優れたレトリックだったのではないか、ということに、これまたいささか唐突に思える手法によって気付かされていきます。
読後は、バスクへの興味や少数民族への共感というだけでは理解が表層的すぎる、物語を語る、ということそのものの本質までをも考えさせる傑作なのだ、ということを遅まきながら実感するに至ったのでした。
そんなミーハーな状況とは関係なく、スペイン内戦という時代と、そのスペインの中でも特定の地域・民族という背景に惹かれ読み始めました。
読み進めていくと、内容の濃さとは別に、作家の意図がよくわからないと感じることが多く、なんとなく気が乗らず途中に何日も放置してはまた読む、ということを繰り返してしまいました。いささか説明的に思える導入、もっとメリハリをつけられたんじゃないかという地元オババでの青春模様--そういったレトリックとしての部分が、小説としてのこの作家の通常の書きぶりなのか、本書の重層的な構造を際立たせるために意図的にやっていることなのか、アチャガ作品を初めて読む私には判断がつかなかったのです。
が、終盤まで進むと、ああやはり全てが意図的に、それもこの作品の構造のため、というより、公式な言葉ではないため失われていく言語--それだけでなく「物語」として語られたものが残ることによって、「物語」に脚色されなかった手付かずの事実も失われていくということ—その意識と、それに伴う感傷を際立たせるための非常に優れたレトリックだったのではないか、ということに、これまたいささか唐突に思える手法によって気付かされていきます。
読後は、バスクへの興味や少数民族への共感というだけでは理解が表層的すぎる、物語を語る、ということそのものの本質までをも考えさせる傑作なのだ、ということを遅まきながら実感するに至ったのでした。
2021年10月23日に日本でレビュー済み
スペインの独裁政権がフランコが死を迎える1977年まで続いていたことすら知らなかった私は若いダビたちが過ごした時代をちゃんと理解できただろうか。ファシズム下で生きる少数民族の苦しみや、父親が虐殺に加担していたかもしれないという苦悩、そして世界各地の抵抗活動が往々にそうであるように、ファシズムに対する善であり続けることがいかに難しいか、本書が目の前に広げて見せてくれるものは複層的でとてつもなく大きい。しかも、その語りの妙の素晴らしさ。あとになって、この章の語りはそういうことだったのかと胸をつかれる。痛快ですらあった「オババで最初のアメリカ帰りの男」の章と、その元となったドン・ペドロの手紙を比べた時、小説を書くとはどういうことで、また、現実を生きるとはずっと悲しいことだとまざまざと見せつけられたよう。それを書き分けた筆力に脱帽。ルビスの顛末を敢えて抑えて描いたところも素晴らしい。
訳者はバスク語から訳し、著者自身によるスペイン語版との差異は邦訳上の効果なども考え細かく取捨選択したとのこと。言語に対する卓越した理解と文書力をもった訳者が存在していてくれたことに感謝しかない。
訳者はバスク語から訳し、著者自身によるスペイン語版との差異は邦訳上の効果なども考え細かく取捨選択したとのこと。言語に対する卓越した理解と文書力をもった訳者が存在していてくれたことに感謝しかない。