デレ期のクリーがとてもかわいい。萌えといってもいいくらい。
ジュライの描く主人公にはいつも胸を締め付けられます。
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最初の悪い男 (Shinchosha CREST BOOKS) 単行本 – 2018/8/24
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愛するベイビー、いつになったらまたあなたをこの腕に抱けるの? 43歳独身のシェリルは職場の年上男に片思いしながら快適生活を謳歌。運命の赤ん坊との再会を夢みる妄想がちな日々は、衛生観念ゼロ、美人で巨乳で足の臭い上司の娘、クリーが転がりこんできて一変。水と油のふたりの共同生活が臨界点をむかえたとき――。幾重にもからみあった人々の網の目がこの世に紡ぎだした奇跡。待望の初長篇。
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2018/8/24
- 寸法13.3 x 2.1 x 19.2 cm
- ISBN-104105901508
- ISBN-13978-4105901509
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2018/8/24)
- 発売日 : 2018/8/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 352ページ
- ISBN-10 : 4105901508
- ISBN-13 : 978-4105901509
- 寸法 : 13.3 x 2.1 x 19.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 259,202位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2022年12月20日に日本でレビュー済み
ご存じミランダ・ジュライの初長編。一癖も二癖もあって、一筋縄ではいかないが、反面、ストーリーには一直線なところもある、不思議な物語。
シェリルは43歳独身OL。ある日、上司から娘を預かって欲しいと言われる。そしてやってきたのは、クリーという20歳の女の子。衛生観念ゼロで足が臭く、美人で巨乳。はっきり言ってむちゃくちゃな女。このクリーとシェリルが壮大なバトルを繰りひろげる。バトルと言っても、比喩的なものではない。ホントに、肉体の派手なバトルなのである。殴るは蹴るわ、組み伏せるわで、二人とも傷だらけ。それも、何度も繰り返して、読んでいるこっちがハラハラしてしまうくらい。キャットファイトが好きな人にはたまらんだろうなあ。
しかし、そういつまでもバトルをしているわけにもいかない。そのうちにふたりの関係は変化していき、最終的には百合な関係になってしまう。なんか、男どもが狂喜乱舞してしまいそうな展開である。
そして、クリーが男の子を出産する。出産する前から里子に出すことが決まっているが、シェリルがなぜか自分の子どものように育てることになる。おむつの中に大量のうんちをしておむつが破裂したり、そりゃもう大変。
それから、シェリルはフィリップという男と付きあっていたのだが、このフィリップ、キアステンという若い女と付きあおうとして、シェリルに許可を求めようとしょっちゅう電話してくる。それも、突っ込んでもいいかとか、舐めさせてもいいかとか、思いっきりきわどいことの許可を求めようとする。なんちゅう男だ、ったく。
メタフィクションなどの難しい仕掛けがなく、すんなりと理解できる作品である。なんか、女の目から見た男とか、女の目から見た女とか、参考にもなるしね。しかし、内容は思いっきりぶっ飛んでいる。超自然的要素は皆無だが、あまりにぶっ飛んでいるので、一種のファンタジーみたいに思えてくる。まさに、「傷だらけ」の小説。「疵」じゃないよ、念のため。
シェリルは43歳独身OL。ある日、上司から娘を預かって欲しいと言われる。そしてやってきたのは、クリーという20歳の女の子。衛生観念ゼロで足が臭く、美人で巨乳。はっきり言ってむちゃくちゃな女。このクリーとシェリルが壮大なバトルを繰りひろげる。バトルと言っても、比喩的なものではない。ホントに、肉体の派手なバトルなのである。殴るは蹴るわ、組み伏せるわで、二人とも傷だらけ。それも、何度も繰り返して、読んでいるこっちがハラハラしてしまうくらい。キャットファイトが好きな人にはたまらんだろうなあ。
しかし、そういつまでもバトルをしているわけにもいかない。そのうちにふたりの関係は変化していき、最終的には百合な関係になってしまう。なんか、男どもが狂喜乱舞してしまいそうな展開である。
そして、クリーが男の子を出産する。出産する前から里子に出すことが決まっているが、シェリルがなぜか自分の子どものように育てることになる。おむつの中に大量のうんちをしておむつが破裂したり、そりゃもう大変。
それから、シェリルはフィリップという男と付きあっていたのだが、このフィリップ、キアステンという若い女と付きあおうとして、シェリルに許可を求めようとしょっちゅう電話してくる。それも、突っ込んでもいいかとか、舐めさせてもいいかとか、思いっきりきわどいことの許可を求めようとする。なんちゅう男だ、ったく。
メタフィクションなどの難しい仕掛けがなく、すんなりと理解できる作品である。なんか、女の目から見た男とか、女の目から見た女とか、参考にもなるしね。しかし、内容は思いっきりぶっ飛んでいる。超自然的要素は皆無だが、あまりにぶっ飛んでいるので、一種のファンタジーみたいに思えてくる。まさに、「傷だらけ」の小説。「疵」じゃないよ、念のため。
2018年11月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
独特な「オーラ」のある小説世界でした^^
とても内容はエキサイティングだったり、喜怒哀楽やら、偏見的世界や、時としてヴァイオレンスな内容でもあるのだけども、作家ミランダさんの、これは人間性が醸し出しているのか?は分かりませんが、とても人間的根底にある優しさ、キザに言えば「愛」なのでしょうか。。。人間の根底には、誤解を恐れずに言えば、「愛」と対極的な立場にある「憎」も同時に持ち合わせていると思う、「人間」が、長編小説の中に散りばめられている気がしました。また、その非現実的な設定?!?などを、そう「シラケた読書」にさせない小説家の力も感じました。
とても空想的な主人公。
本の裏に載っているミランダ・ジュライさんの写真が、とても自分的にインパクトがあり、読書中、ずーと主人公の顔として脳裏に残像が・・・笑
世界感が、例えるなら、アメリカ画家のエドワード・ホッパーさんの情景が頭をずーと過ぎりました。自分的なイメージとして・・・
で、
最後までなんか、ほのぼのと言うか、なんだろ?うまく表現しかねますが、なんか「オーラ」を感じる本で、変に宗教的に言う訳ではありませんが、自分の傍においていたら幸せになれるんかな・・・なんて「オーラ」を想い.
とても最初から最後まで、とても幸せな気分の読書で、まだまだ読んでていたいと最後が名残惜しくもありました。
とても内容はエキサイティングだったり、喜怒哀楽やら、偏見的世界や、時としてヴァイオレンスな内容でもあるのだけども、作家ミランダさんの、これは人間性が醸し出しているのか?は分かりませんが、とても人間的根底にある優しさ、キザに言えば「愛」なのでしょうか。。。人間の根底には、誤解を恐れずに言えば、「愛」と対極的な立場にある「憎」も同時に持ち合わせていると思う、「人間」が、長編小説の中に散りばめられている気がしました。また、その非現実的な設定?!?などを、そう「シラケた読書」にさせない小説家の力も感じました。
とても空想的な主人公。
本の裏に載っているミランダ・ジュライさんの写真が、とても自分的にインパクトがあり、読書中、ずーと主人公の顔として脳裏に残像が・・・笑
世界感が、例えるなら、アメリカ画家のエドワード・ホッパーさんの情景が頭をずーと過ぎりました。自分的なイメージとして・・・
で、
最後までなんか、ほのぼのと言うか、なんだろ?うまく表現しかねますが、なんか「オーラ」を感じる本で、変に宗教的に言う訳ではありませんが、自分の傍においていたら幸せになれるんかな・・・なんて「オーラ」を想い.
とても最初から最後まで、とても幸せな気分の読書で、まだまだ読んでていたいと最後が名残惜しくもありました。
2018年11月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
8月にアトロク聞いて購入しましたが、その後の推薦図書特集で取り上げられていた本3冊買えました。
感想ですが、アトロク評論はほぼ間違いないのですが私個人は独自のルールに閉じ籠る中年おばさんにシンクロできず、いまいちです。
感想ですが、アトロク評論はほぼ間違いないのですが私個人は独自のルールに閉じ籠る中年おばさんにシンクロできず、いまいちです。
2019年6月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
妄想とはこういう風にするものなんだと思わせる物語かなと感じた。まさにどっちが現実の世界なのか間違うくらいだった。そこがとても興味深くのめり込む楽しい本であったと感じます!
2020年8月4日に日本でレビュー済み
主人公のシェリルは40代半ばの女性。独身で特に親しいといえる友人もおらず、幼少期に出会った赤ちゃんクベルコ・ボンディとの再会を何度も繰り返す妄想しがちな生活を送っている。
自宅ではフライパンから直接食事で、皿は洗う手間が出るから使わない。
家の中の物や人の移動を最小限にするべく、本は本棚の横で立って読む。本棚に戻すのが手間だから。いっそ読まない。
"相乗り"と称して何かをする時ついでになにかをして合理化を図る。トイレットペーパーは顔の油を拭いてから下を拭く。
自宅が完璧に自分のシステム下におかれた本人にとっては完璧な生活を送っている。それが豊かな生活とは言い難いが。
事実シェリルは30年以上ヒステリー球に悩まされている。泣けない体質で感情を内に込めてしまう。
「わたしの生活は尖った部分を取り除かれ、生きることに付きもののささくれもごたごたもなくなって、毎日が夢のように快適になった。長年そうやって独りで暮らしているうちに、毎日の手触りはつるつるになって、もはや自分で自分を感じられないような、自分が存在していないような気にさえなった」
自分自身を召使のようにして、感情をないものとして生きている時、シェリルは会社のボス夫婦から20になった娘のクリーを職場とアパートが見つかるまで預かる羽目になる。
クリーはそこそこ美人だけど衛生観念ゼロで風呂にも入らず足が臭い。
感情をストレートに出すし、時折シェリルに対して暴力も振るう。
シェリルの箱庭的なシステムはことごとく打ち壊されていく。
我慢の限界を超えてシェリルはクリーに反撃を加え毎日バトルを繰り広げるのが2人のお約束になっていく。
ここまで読むと単なる変わった女同士の友情話なのかと思うが、物語としてはまだ序盤でしかない。この後展開が二転三転する。
誰もが自分の中でシステムを作り、鈍感に他者を自分のステレオタイプに当てはめて生きている。
それを否応なくぶち壊してくる存在が他者であり
そこには大きな喪失もあるけど、シェリルは言葉通りその「生きている」現実を受け入れていく。
自分のこれまでの行動を肯定していく。
最後のありありと映像が浮かぶ場面は涙を禁じ得なかった。
訳者が泣きながら訳したと言うのも頷けるラストだった。
自宅ではフライパンから直接食事で、皿は洗う手間が出るから使わない。
家の中の物や人の移動を最小限にするべく、本は本棚の横で立って読む。本棚に戻すのが手間だから。いっそ読まない。
"相乗り"と称して何かをする時ついでになにかをして合理化を図る。トイレットペーパーは顔の油を拭いてから下を拭く。
自宅が完璧に自分のシステム下におかれた本人にとっては完璧な生活を送っている。それが豊かな生活とは言い難いが。
事実シェリルは30年以上ヒステリー球に悩まされている。泣けない体質で感情を内に込めてしまう。
「わたしの生活は尖った部分を取り除かれ、生きることに付きもののささくれもごたごたもなくなって、毎日が夢のように快適になった。長年そうやって独りで暮らしているうちに、毎日の手触りはつるつるになって、もはや自分で自分を感じられないような、自分が存在していないような気にさえなった」
自分自身を召使のようにして、感情をないものとして生きている時、シェリルは会社のボス夫婦から20になった娘のクリーを職場とアパートが見つかるまで預かる羽目になる。
クリーはそこそこ美人だけど衛生観念ゼロで風呂にも入らず足が臭い。
感情をストレートに出すし、時折シェリルに対して暴力も振るう。
シェリルの箱庭的なシステムはことごとく打ち壊されていく。
我慢の限界を超えてシェリルはクリーに反撃を加え毎日バトルを繰り広げるのが2人のお約束になっていく。
ここまで読むと単なる変わった女同士の友情話なのかと思うが、物語としてはまだ序盤でしかない。この後展開が二転三転する。
誰もが自分の中でシステムを作り、鈍感に他者を自分のステレオタイプに当てはめて生きている。
それを否応なくぶち壊してくる存在が他者であり
そこには大きな喪失もあるけど、シェリルは言葉通りその「生きている」現実を受け入れていく。
自分のこれまでの行動を肯定していく。
最後のありありと映像が浮かぶ場面は涙を禁じ得なかった。
訳者が泣きながら訳したと言うのも頷けるラストだった。
2018年10月6日に日本でレビュー済み
この本の書名の『最初の悪い男』とは、誰のことなのでしょうか? 何が悪いというのでしょうか?
世の中に悪い男なんて五万といるのに、なぜ「最初」にこだわるのでしょうか? 最初で最後なのかも。
読む前から、疑問いっぱいで読み始めました。
主人公で語り手の「わたし」は、シェリル・グリックマン。一人住まいの43歳の孤独な独身女性。
そこへ突然、上司から頼まれてその手に負えない娘クリーが同居することになるところから、物語は始まります。
彼女は、超わがままな20歳。よく言えば、(目上への口のきき方も知らない)現代風の女の子。
親子ほど世代の違う二人の間では、会話がまったく成立しません。
そのため、おんな二人は、心と心のバトルではなく、体と体を直接ぶつけ合うパンチと平手、蹴りあいと押さえつけの沈黙・暴力バトルを交わすのみの毎日。傷だらけ、ぶち身とあざだらけの体が痛い毎日。
そうするうち、なぜか二人のバトルはだんだん、本気の怒りの発散から、ゲームのバトルみたいな、遊びのような、
女子プロレスのバトル演技のようなものに変化していきます。
護身術レッスンのDVDを観ながら、二人で悪役と被害者役のまねをしながら闘っていると、
バトルを楽しむシミュレーション・ゲームのような感覚になっていきます。まるでゲームのバトルのように。
ある日、<集団から身を守る>レッスンのまねで、クリーが悪漢三人の役をひとりで演じていたときのこと。
被害者役の「わたし」は混乱して、ついていけなくなって、クリーに「ええっと、今はどの人?」と悪漢三人の内の誰の役のつもりだったのかを訊きます。
「最初の人だよ」と彼女はぶっきらぼうに言います。
「デニムの?」 「面倒に巻き込まれるのをいやがる全身デニムの男」役だったことを「わたし」は確認します。
「最初の悪い男」(112頁)とクリーは答えます。
シェリルとクリー、二人の口での会話がやっと成立した瞬間です。
体と体を直接ぶつけ合うだけの会話を通じて、おんなの心と心の会話が生まれ出た瞬間です。
「最初の悪い男」とは、この本のタイトルでもあります。原作者の意図を知りたいです。
だって、女の人生においては、悪役の男たちは、誰が誰だったか分からなくなるくらい、たくさんいます。
なぜ「最初」にこだわるのでしょう? 最初で最後だから?
結局、悪い男ばかりなかもしれません、女にとっては。男にとっても、女はみんな悪い女かもしれません。
男と女の間でも、会話するということはそう簡単なことではありません。
体と体は簡単に結び付いても、お互いの心が離れたままなんてザラにあるケースです。
体の(セックスの)快楽と、心の(恋愛の)快楽は、なかなか一致しない、というのが、この本の物語のテーマのように感じました。
男は男、女は女で、勝手に頭の中だけで、愛の快楽を想像し創造し妄想しています。
女の体の快楽は、妊娠、出産と共に日常化しますが、女の心の妄想は広がり高まるばかりです。
妄想と現実とのギャップは拡がるばかり。困ったことです。
シェリルとクリーは二人とも
「今までビデオの存在も、お互いが本気で怒っているのではなく演技をしているのだということも、口に出して認めあったことは一度もなかった」(111頁)のです。
二人とも、バトルが演技(シミュレーション・ゲーム)に変わっていったことをお互いに口に出して認めあうことは、この時が初めてだったのです。
シェリルの性的妄想は本当にひどい。ほとんど病的。ヒステリー球で息も詰まりそうなくらい、唾も飲み込めないくらいの重症。セラピストによる治療を受けています。
鼻が異常に敏感なシェリルは、特に、クリーの足の臭いにセンシティブ。においフェチ。
シェリルは、同じ職場の理事で60代の男性フリップと交際(恋愛ゲーム)中です。
あきれたことに、フィリップ・ベテルハイムは、恋愛ゲームの相手を、シェリルよりさらに若い16歳の女の子キアステンに変えようとしてシェリルに相談しているのです。
シェリルの許しをもらいたがっているのです。もう。やってられないでしょうね。
こんな大人の男女関係も奇妙で不思議でバカバカしいです。
妻でもないシェリルに、どうして許しをもらう必要があるのでしょうか?
この本は、大人の恋愛ゲームを描いています。ゲームのような女の人生を描いています。
クリーは男性を遍歴しているうちに妊娠し、誰の子か分からない赤ちゃんを産みます。
フィリップはその赤ちゃんを見ても何の感情もわきません。自分と関係がないのですから、当然です。
シェリルも、フィリップと肉体的に結ばれても、妄想ほどの快楽が得られなかったことに気づきます。
クリーが出て行った後、シェリルは、その男の子を一人で育てます。わが子のように。
その子が成人して結婚し、飛行場に行って年老いたシェリルを迎える場面で、この映画のような物語は終わります。
ゲームオーバー。
備考 《男と女の大人の恋愛ゲームの意味について》
「あのメール、全部ゲームだったんだ! 大人の男と女の、ちょっとしたプレイ」(257頁)
「年に三日だけ、わたしが彼にかしずく。これは二人のゲームみたいなものなの。最高に胸のすく大人のゲームね」(79頁)
「社会の外側にいる彼は “大人のゲーム” のことを知らない」(104頁)
「人の数だけゲームはあって、どれも本人にしかその意味はわからない」(101頁)
「クリーはまだ二十歳だ。二十歳のやることにいちいち意味なんてあるはずがない」(88頁)
意味があってもなくても「最高に胸のすく大人のゲーム」(89頁)
世の中に悪い男なんて五万といるのに、なぜ「最初」にこだわるのでしょうか? 最初で最後なのかも。
読む前から、疑問いっぱいで読み始めました。
主人公で語り手の「わたし」は、シェリル・グリックマン。一人住まいの43歳の孤独な独身女性。
そこへ突然、上司から頼まれてその手に負えない娘クリーが同居することになるところから、物語は始まります。
彼女は、超わがままな20歳。よく言えば、(目上への口のきき方も知らない)現代風の女の子。
親子ほど世代の違う二人の間では、会話がまったく成立しません。
そのため、おんな二人は、心と心のバトルではなく、体と体を直接ぶつけ合うパンチと平手、蹴りあいと押さえつけの沈黙・暴力バトルを交わすのみの毎日。傷だらけ、ぶち身とあざだらけの体が痛い毎日。
そうするうち、なぜか二人のバトルはだんだん、本気の怒りの発散から、ゲームのバトルみたいな、遊びのような、
女子プロレスのバトル演技のようなものに変化していきます。
護身術レッスンのDVDを観ながら、二人で悪役と被害者役のまねをしながら闘っていると、
バトルを楽しむシミュレーション・ゲームのような感覚になっていきます。まるでゲームのバトルのように。
ある日、<集団から身を守る>レッスンのまねで、クリーが悪漢三人の役をひとりで演じていたときのこと。
被害者役の「わたし」は混乱して、ついていけなくなって、クリーに「ええっと、今はどの人?」と悪漢三人の内の誰の役のつもりだったのかを訊きます。
「最初の人だよ」と彼女はぶっきらぼうに言います。
「デニムの?」 「面倒に巻き込まれるのをいやがる全身デニムの男」役だったことを「わたし」は確認します。
「最初の悪い男」(112頁)とクリーは答えます。
シェリルとクリー、二人の口での会話がやっと成立した瞬間です。
体と体を直接ぶつけ合うだけの会話を通じて、おんなの心と心の会話が生まれ出た瞬間です。
「最初の悪い男」とは、この本のタイトルでもあります。原作者の意図を知りたいです。
だって、女の人生においては、悪役の男たちは、誰が誰だったか分からなくなるくらい、たくさんいます。
なぜ「最初」にこだわるのでしょう? 最初で最後だから?
結局、悪い男ばかりなかもしれません、女にとっては。男にとっても、女はみんな悪い女かもしれません。
男と女の間でも、会話するということはそう簡単なことではありません。
体と体は簡単に結び付いても、お互いの心が離れたままなんてザラにあるケースです。
体の(セックスの)快楽と、心の(恋愛の)快楽は、なかなか一致しない、というのが、この本の物語のテーマのように感じました。
男は男、女は女で、勝手に頭の中だけで、愛の快楽を想像し創造し妄想しています。
女の体の快楽は、妊娠、出産と共に日常化しますが、女の心の妄想は広がり高まるばかりです。
妄想と現実とのギャップは拡がるばかり。困ったことです。
シェリルとクリーは二人とも
「今までビデオの存在も、お互いが本気で怒っているのではなく演技をしているのだということも、口に出して認めあったことは一度もなかった」(111頁)のです。
二人とも、バトルが演技(シミュレーション・ゲーム)に変わっていったことをお互いに口に出して認めあうことは、この時が初めてだったのです。
シェリルの性的妄想は本当にひどい。ほとんど病的。ヒステリー球で息も詰まりそうなくらい、唾も飲み込めないくらいの重症。セラピストによる治療を受けています。
鼻が異常に敏感なシェリルは、特に、クリーの足の臭いにセンシティブ。においフェチ。
シェリルは、同じ職場の理事で60代の男性フリップと交際(恋愛ゲーム)中です。
あきれたことに、フィリップ・ベテルハイムは、恋愛ゲームの相手を、シェリルよりさらに若い16歳の女の子キアステンに変えようとしてシェリルに相談しているのです。
シェリルの許しをもらいたがっているのです。もう。やってられないでしょうね。
こんな大人の男女関係も奇妙で不思議でバカバカしいです。
妻でもないシェリルに、どうして許しをもらう必要があるのでしょうか?
この本は、大人の恋愛ゲームを描いています。ゲームのような女の人生を描いています。
クリーは男性を遍歴しているうちに妊娠し、誰の子か分からない赤ちゃんを産みます。
フィリップはその赤ちゃんを見ても何の感情もわきません。自分と関係がないのですから、当然です。
シェリルも、フィリップと肉体的に結ばれても、妄想ほどの快楽が得られなかったことに気づきます。
クリーが出て行った後、シェリルは、その男の子を一人で育てます。わが子のように。
その子が成人して結婚し、飛行場に行って年老いたシェリルを迎える場面で、この映画のような物語は終わります。
ゲームオーバー。
備考 《男と女の大人の恋愛ゲームの意味について》
「あのメール、全部ゲームだったんだ! 大人の男と女の、ちょっとしたプレイ」(257頁)
「年に三日だけ、わたしが彼にかしずく。これは二人のゲームみたいなものなの。最高に胸のすく大人のゲームね」(79頁)
「社会の外側にいる彼は “大人のゲーム” のことを知らない」(104頁)
「人の数だけゲームはあって、どれも本人にしかその意味はわからない」(101頁)
「クリーはまだ二十歳だ。二十歳のやることにいちいち意味なんてあるはずがない」(88頁)
意味があってもなくても「最高に胸のすく大人のゲーム」(89頁)
2018年9月23日に日本でレビュー済み
職場の上司から
「しばらく娘を預かってくれないか」
独身中年OLと20歳の暴力女との殴り合いから、次から次へとこちらの想像のつかない展開にページをめくる手が止まらない。
ほんとにヘンテコで切実でユーモラス、ぶっ飛んだ妄想とさらにぶっ飛んだ現実に割り切れることなんてほとんどない。
この、どう言い表わしていいか分からない感じは次第に確かに愛おしさに変わる。
それは物語に?登場人物の誰かに?その生活に?それもよく分からない、けどそれで良いし、それが良い。
「しばらく娘を預かってくれないか」
独身中年OLと20歳の暴力女との殴り合いから、次から次へとこちらの想像のつかない展開にページをめくる手が止まらない。
ほんとにヘンテコで切実でユーモラス、ぶっ飛んだ妄想とさらにぶっ飛んだ現実に割り切れることなんてほとんどない。
この、どう言い表わしていいか分からない感じは次第に確かに愛おしさに変わる。
それは物語に?登場人物の誰かに?その生活に?それもよく分からない、けどそれで良いし、それが良い。