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清らかな厭世: 言葉を失くした日本人へ 単行本 – 2007/10/1
阿久 悠
(著)
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- 本の長さ255ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2007/10/1
- ISBN-10410470802X
- ISBN-13978-4104708024
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2007/10/1)
- 発売日 : 2007/10/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 255ページ
- ISBN-10 : 410470802X
- ISBN-13 : 978-4104708024
- Amazon 売れ筋ランキング: - 249,966位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年12月3日に日本でレビュー済み
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サンケイ新聞への投稿を拝見していましたが、見落としていた原稿を含め、素晴らしい切り口にただ圧巻。
2016年8月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作詞家である著者の巧みな言葉の数々を用いて、現代の日本の世間の風潮や雰囲気を憂い厭いながら、アフォリズム(警句、格言、箴言)を唱えている。
2004年(平成16年)3月7日・4月3日~2007年(平成19年)6月9日に保守派の産経新聞に掲載・連載されたものをまとめた単行本であるが、当時の国政は、小泉純一郎内閣と、その後の2006年(平成18年)9月26日~2007年(平成19年)9月26日の第1次安倍晋三内閣であった。小泉首相(当時)はポピュリズムを利用して高支持率を維持して長期に政権を執ったが、逆に安倍首相(当時)は「戦後レジーム脱却」や「美しい国へ」を掲げての、官僚・マスコミ・世間と闘いながら、数々の改革を、志半ばで辞任するまでの約1年の間に断行した。著者は、その安倍首相の掲げていた「美しい国」に賛同し、安倍首相を応援していた様に読み取れる。そしてその著者も、安倍首相が辞任する直前の8月1日に逝去された。
アメリカナイズされての「戦後民主主義の催眠術」にかかり、個人の権利ばかりを主張して自由に制約をかける事無く、節度を超越し、義務や責任をなおざりにし、道徳秩序は乱れ、迷惑を気に留めず、長い歴史の上に培ってきた伝統や文化が廃れる傾向に在る。
世は欲望の対象となるものに依存して遊蕩に耽り、勤勉、汗を伴う労働、思想、創作が軽視される趨勢に在る。名誉欲、他人、メール、LINE等に依存し、自立出来ず、自助の努力を怠り、共助・公助にすがって甘えている。
「デラシネ」(根無し草)の様に、若者をはじめとして自分の内に確固たる土台を築かず、マスコミ、周囲の空気・風潮に安易に煽り乗せられて漂流して自分を見失っている。
年齢を重ねる事、性体験、結婚と子の所有、特に欲望対象の社会的経験等を判断基準にしての大人の履き違えをして、精神的には未熟な子供のままの成人たち。その未熟な精神で子供を躾ける親たち。
また、一時凌ぎ、その場凌ぎで対症療法を繰り返すのみで、一瞬一瞬の快楽、瞬間的な結果さえ良ければそれで良いとして根本的解決を図らず、根本原因や経緯・過程を軽んじて論理的思考・思索が出来ない。
クリーンなイメージでさえあれば良しとし、偽善を認め、その潔癖主義から失敗・汚点からの再起を不能とするレッテルを貼る。それ故最初から失敗する事を恐れて挑戦する事を憚り、異端扱いされて叩かれる事を恐れて行動せず口にもしない。一見すると無駄に見える事、失敗、遠回りにこそ高い値打ちが有る。失敗して痛みを知る事で、理解が深まる。
世間一般的多数派の人達は、皆同じような価値観を持ち、同じように考え、同じように判断し、同じような事を口にし行っている。同じレベル・次元にして、同じような物差し・基準を持っている為に気付き難く、空気・雰囲気に流される。しかし、その流行は消えて無くなる。流される事は無常であり、空虚、虚無となる。その空虚感、虚無感に精神が陥らない様にと、その都度その都度、際限なく一時凌ぎ、一瞬の暇つぶしを行っている。
気付きが無いのは、悪い意味での鈍感である。本当の鈍感力は敏感であり、気付いても自分の内で情報処理して不要・低俗なるものを捨て、それらに動かされない太い精神・心を持つ。
その世間の趨勢・傾向・流行に抗う様にして、私は天の邪鬼であり、ひねくれ者であり、へそ曲がりであり、偏屈である。そして、世間を客観視してそこに埋没せずに、群れから離れて単独者として存在し、境界線を引いて身を引き避けている。
以下、本書より引用する。
「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」より、「ぼくたちはいつの頃か、…(中略)…背負わされたのは、『無』である。無関心、無感動、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。」。
「無責任な拍手喝采よりも 無言の反応に価値ありと信じて 堂々と歩いてほしい」より、「人間は面白いだけでも、軽妙なだけでもなく、寡黙で近寄り難くても、心に響く言葉を持ち、独特の美意識を備えた人もいるのである。その人は本当に嬉しくないと笑わないし、サルのように手も打たないが、寄るとあたたかいし、語ると深いのである。」。
「若者はほっといても若者だが 大人は努力なしでは 大人になれない」より、「もう一段上の哲学をまぶさなければ」、「大人の世界に価値観もマーケットもないのである。今、文化に関わろうとする人は誰も、幼稚を競い合う。」、「かくして、日本は、若者のための若者による若者文化の社会になり、誰も大人になろうとしない奇っ怪な価値観の国になっている。大人よ!」。
「マジメでオトナシイとは その子のことを何も 見ていなかったということだ」
「たまには本を読む姿を 子どもたちに見せるだけで 家族の半分は固まる」より、「父や母がダレた姿を見苦しい振る舞いを見せないことである。そして、教養に対して謙虚に向き合っている姿を見せつづけることである。インテリジェンスの欠落の不安を、子供たちに与えないようにする。」、「いい姿で、深い本を読む。没頭する。」。
「親にうしろ姿がないのだから 見て育つにも 育ちようがないじゃないか」より、「ファミリーで行動を始めた途端に、ゴミをバラ撒き、立て札を引き抜き、マナーを踏みにじり、言葉つきまで下品になる」。
「すると老いた老人は、『日本人はね、他人の目だけが恐くて神が恐くない不思議な民族でね。他人が見ていなければ、どんなハレンチでも平気でやる。だから…(中略)…何から何まで決まりごとにしなければならなかったのだ。そうだろう。その証拠に自由を覚えたとたんに、ハレンチし放題じゃないか。そうだろう。』」。
「時代おくれ」(作詞: 阿久悠氏)より
「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことはむりをせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい」
「ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず」
2004年(平成16年)3月7日・4月3日~2007年(平成19年)6月9日に保守派の産経新聞に掲載・連載されたものをまとめた単行本であるが、当時の国政は、小泉純一郎内閣と、その後の2006年(平成18年)9月26日~2007年(平成19年)9月26日の第1次安倍晋三内閣であった。小泉首相(当時)はポピュリズムを利用して高支持率を維持して長期に政権を執ったが、逆に安倍首相(当時)は「戦後レジーム脱却」や「美しい国へ」を掲げての、官僚・マスコミ・世間と闘いながら、数々の改革を、志半ばで辞任するまでの約1年の間に断行した。著者は、その安倍首相の掲げていた「美しい国」に賛同し、安倍首相を応援していた様に読み取れる。そしてその著者も、安倍首相が辞任する直前の8月1日に逝去された。
アメリカナイズされての「戦後民主主義の催眠術」にかかり、個人の権利ばかりを主張して自由に制約をかける事無く、節度を超越し、義務や責任をなおざりにし、道徳秩序は乱れ、迷惑を気に留めず、長い歴史の上に培ってきた伝統や文化が廃れる傾向に在る。
世は欲望の対象となるものに依存して遊蕩に耽り、勤勉、汗を伴う労働、思想、創作が軽視される趨勢に在る。名誉欲、他人、メール、LINE等に依存し、自立出来ず、自助の努力を怠り、共助・公助にすがって甘えている。
「デラシネ」(根無し草)の様に、若者をはじめとして自分の内に確固たる土台を築かず、マスコミ、周囲の空気・風潮に安易に煽り乗せられて漂流して自分を見失っている。
年齢を重ねる事、性体験、結婚と子の所有、特に欲望対象の社会的経験等を判断基準にしての大人の履き違えをして、精神的には未熟な子供のままの成人たち。その未熟な精神で子供を躾ける親たち。
また、一時凌ぎ、その場凌ぎで対症療法を繰り返すのみで、一瞬一瞬の快楽、瞬間的な結果さえ良ければそれで良いとして根本的解決を図らず、根本原因や経緯・過程を軽んじて論理的思考・思索が出来ない。
クリーンなイメージでさえあれば良しとし、偽善を認め、その潔癖主義から失敗・汚点からの再起を不能とするレッテルを貼る。それ故最初から失敗する事を恐れて挑戦する事を憚り、異端扱いされて叩かれる事を恐れて行動せず口にもしない。一見すると無駄に見える事、失敗、遠回りにこそ高い値打ちが有る。失敗して痛みを知る事で、理解が深まる。
世間一般的多数派の人達は、皆同じような価値観を持ち、同じように考え、同じように判断し、同じような事を口にし行っている。同じレベル・次元にして、同じような物差し・基準を持っている為に気付き難く、空気・雰囲気に流される。しかし、その流行は消えて無くなる。流される事は無常であり、空虚、虚無となる。その空虚感、虚無感に精神が陥らない様にと、その都度その都度、際限なく一時凌ぎ、一瞬の暇つぶしを行っている。
気付きが無いのは、悪い意味での鈍感である。本当の鈍感力は敏感であり、気付いても自分の内で情報処理して不要・低俗なるものを捨て、それらに動かされない太い精神・心を持つ。
その世間の趨勢・傾向・流行に抗う様にして、私は天の邪鬼であり、ひねくれ者であり、へそ曲がりであり、偏屈である。そして、世間を客観視してそこに埋没せずに、群れから離れて単独者として存在し、境界線を引いて身を引き避けている。
以下、本書より引用する。
「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」より、「ぼくたちはいつの頃か、…(中略)…背負わされたのは、『無』である。無関心、無感動、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。」。
「無責任な拍手喝采よりも 無言の反応に価値ありと信じて 堂々と歩いてほしい」より、「人間は面白いだけでも、軽妙なだけでもなく、寡黙で近寄り難くても、心に響く言葉を持ち、独特の美意識を備えた人もいるのである。その人は本当に嬉しくないと笑わないし、サルのように手も打たないが、寄るとあたたかいし、語ると深いのである。」。
「若者はほっといても若者だが 大人は努力なしでは 大人になれない」より、「もう一段上の哲学をまぶさなければ」、「大人の世界に価値観もマーケットもないのである。今、文化に関わろうとする人は誰も、幼稚を競い合う。」、「かくして、日本は、若者のための若者による若者文化の社会になり、誰も大人になろうとしない奇っ怪な価値観の国になっている。大人よ!」。
「マジメでオトナシイとは その子のことを何も 見ていなかったということだ」
「たまには本を読む姿を 子どもたちに見せるだけで 家族の半分は固まる」より、「父や母がダレた姿を見苦しい振る舞いを見せないことである。そして、教養に対して謙虚に向き合っている姿を見せつづけることである。インテリジェンスの欠落の不安を、子供たちに与えないようにする。」、「いい姿で、深い本を読む。没頭する。」。
「親にうしろ姿がないのだから 見て育つにも 育ちようがないじゃないか」より、「ファミリーで行動を始めた途端に、ゴミをバラ撒き、立て札を引き抜き、マナーを踏みにじり、言葉つきまで下品になる」。
「すると老いた老人は、『日本人はね、他人の目だけが恐くて神が恐くない不思議な民族でね。他人が見ていなければ、どんなハレンチでも平気でやる。だから…(中略)…何から何まで決まりごとにしなければならなかったのだ。そうだろう。その証拠に自由を覚えたとたんに、ハレンチし放題じゃないか。そうだろう。』」。
「時代おくれ」(作詞: 阿久悠氏)より
「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことはむりをせず 人の心を見つめつづける 時代おくれの男になりたい」
「ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず」
2011年8月13日に日本でレビュー済み
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阿久悠がアフォリズム(警句)形式で綴った憂国の書である。新聞に連載されたコラムなので各々の文章は短い。タイトルに厭世とあるが,厭世というよりはむしろ,間違った方向へ進みつつある世の中や,そのような世の中に危ういものを感じつつも為す術のない大人たちへの怒り,と言って良いだろう。
昭和から平成へと時代が移ってゆくにつれて,人の心がしだいに自己中心的に,身勝手に,大人げなく,幼稚になって行くありさまを,様々な話題を取り上げつつ描いてゆく。
始めは小さな出来事だったはずだが,やがて人々の意識に変化を引き起こし,積もり積もって日本人は驚くくらい大きく変質してしまった。このような,時代と共に移りゆく人の心の変化を敏感に感じ取り,的確な言葉で表現する事に,著者ほど巧みな人を私は知らない。
「悪しきことも恥ずべきことも テレビで騒いでくれりゃ 認められたってことよ」
「そもそも誤解の始まりは セレブとイケメンが 現実と思ったからだ」
「世界に一つとか 世界の中心とか で,お隣はどうなの」
などが典型だろう。少しの誇張や悪ふざけが小さな屈折を起こす。しかしその小さな屈折が,人々が日頃から抱いている不満や満たされない欲望と方向を同じくした時,世の中を大きくカーブさせて変えて行くのだ。
筆者はアフォリズム形式を用いて,「ここが少しおかしいぞ,タガが外れすぎていないか,人の心が潤いをなくしていないか」と短い言葉で警告を発する。ただ,私としては,一種センチメンタルに警句をつぶやくだけでなく,そのような日本人の心に変化を起こした原因についても十分に語って欲しかった。
もちろん所々には原因について述べたところもある。アメリカの言う「民主主義」を無批判に呑み込んでしまった事,視聴率が取れれば良いとどんどんえげつなくなっていったテレビ番組などである。
これらをもっと深めて,どのようにこの「民主主義」が日本人の規範意識を薄くし,利己心を増長させて行ったのかの議論を展開して欲しかった。あるいは筆者も番組を作る立場だったはずのテレビが視聴者とどのように影響を及ぼし合い,エスカレートして今日のように筆者も憂慮するような事態になったのかの考察を深めて欲しかった。
昭和を代表する作詞家としては,学者や評論家のようにもっともらしく理屈をこねて戦後日本人の堕落史を論ずるなどの,野暮はしたくなかっただろう事は想像できる。ただ,結果として本書は阿久悠の遺作になってしまった。美学やスタイルに捕らわれず,野暮と無粋は承知の上で,日本人の心の変質を,最後に理屈で語っておいて欲しかった。
昭和から平成へと時代が移ってゆくにつれて,人の心がしだいに自己中心的に,身勝手に,大人げなく,幼稚になって行くありさまを,様々な話題を取り上げつつ描いてゆく。
始めは小さな出来事だったはずだが,やがて人々の意識に変化を引き起こし,積もり積もって日本人は驚くくらい大きく変質してしまった。このような,時代と共に移りゆく人の心の変化を敏感に感じ取り,的確な言葉で表現する事に,著者ほど巧みな人を私は知らない。
「悪しきことも恥ずべきことも テレビで騒いでくれりゃ 認められたってことよ」
「そもそも誤解の始まりは セレブとイケメンが 現実と思ったからだ」
「世界に一つとか 世界の中心とか で,お隣はどうなの」
などが典型だろう。少しの誇張や悪ふざけが小さな屈折を起こす。しかしその小さな屈折が,人々が日頃から抱いている不満や満たされない欲望と方向を同じくした時,世の中を大きくカーブさせて変えて行くのだ。
筆者はアフォリズム形式を用いて,「ここが少しおかしいぞ,タガが外れすぎていないか,人の心が潤いをなくしていないか」と短い言葉で警告を発する。ただ,私としては,一種センチメンタルに警句をつぶやくだけでなく,そのような日本人の心に変化を起こした原因についても十分に語って欲しかった。
もちろん所々には原因について述べたところもある。アメリカの言う「民主主義」を無批判に呑み込んでしまった事,視聴率が取れれば良いとどんどんえげつなくなっていったテレビ番組などである。
これらをもっと深めて,どのようにこの「民主主義」が日本人の規範意識を薄くし,利己心を増長させて行ったのかの議論を展開して欲しかった。あるいは筆者も番組を作る立場だったはずのテレビが視聴者とどのように影響を及ぼし合い,エスカレートして今日のように筆者も憂慮するような事態になったのかの考察を深めて欲しかった。
昭和を代表する作詞家としては,学者や評論家のようにもっともらしく理屈をこねて戦後日本人の堕落史を論ずるなどの,野暮はしたくなかっただろう事は想像できる。ただ,結果として本書は阿久悠の遺作になってしまった。美学やスタイルに捕らわれず,野暮と無粋は承知の上で,日本人の心の変質を,最後に理屈で語っておいて欲しかった。
2012年3月31日に日本でレビュー済み
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持論として、今が特別悪いものであるとは思っていないんですが、一度「今は昔に比べて悪い世の中になっている」という側の意見を持つ人の見解も見たいと思っていました。そんなある日、偶然、検索でこの本を知り、タイトルや紹介文に惹かれたのもあって縁を感じ、期待して購入しました。
一貫して、過去と現在を比べ、「過去は良く」「現在は悪い」という前提の元で話が進んでいきます。
阿久 悠氏によると日本人は「変質してしまった」ようです。が、果たしてそうでしょうか?
「虐待」への言及を例にとっても、虐待は決して現在の日本に固有の問題ではなく、過去においても日本でも海外においても存在していました。それを氏はまるで現在の変質してしまった日本人のせいかのように述べています。
過去におけるそれは折檻、捨て子、奉公という名の人身売買、間引き等々、言葉の違いこそあれ枚挙に暇がありません。
それを変質してしまった現在の日本人に固有の問題であるかのような書き方は非常に浅はかで歴史認識も足りない短絡的なものでしょう。
それとも過去における折檻や躾の一環としてなら許されていたのでしょうか?甚だ疑問です。
やはり昨今の虐待の社会問題化はどんな小さな町で起こった事件でも一瞬で全国に伝えるメディアの存在が大きいと思いますが、まぁ伝播力の違いですね。というか、そういった視点が無ければ語れない。少なくとも虐待事件の認知や過去と現在の取り扱いに違いもあるので、一概に現在の日本人が悪い方向に変質してしまったとは言い切れないと思います。
「虐待」を例に挙げましたが氏の職業作詞家としての功績には敬意を表さなければならないものの、こういった警句という形で思想めいたものを発信する程の器ではないと感じました。
警句というより年寄りのお説教というのがせいぜいといったところです。
「古き良き時代。全ての時代は古くなると良いと言われるものである」というだけではないでしょうか。
以上が共感できない点で、評価すべき点もいくつかあり、戦後輸入された民主主義を盲信しない姿勢と「小学校教育はその多くを国語に費やすべき」等で共感する所もありました。そして、すべての項目が見開きに収まっており読みやすかったです。
しかし、期待しただけに全体を通しては残念な読後感となってしまいました。確かに過去から現在にかけて変化はあるのでしょう。ただ、今が悪く、昔は良かったのか。この本を通じて説得された気にはなれませんでした。なので、星は3つ。
一貫して、過去と現在を比べ、「過去は良く」「現在は悪い」という前提の元で話が進んでいきます。
阿久 悠氏によると日本人は「変質してしまった」ようです。が、果たしてそうでしょうか?
「虐待」への言及を例にとっても、虐待は決して現在の日本に固有の問題ではなく、過去においても日本でも海外においても存在していました。それを氏はまるで現在の変質してしまった日本人のせいかのように述べています。
過去におけるそれは折檻、捨て子、奉公という名の人身売買、間引き等々、言葉の違いこそあれ枚挙に暇がありません。
それを変質してしまった現在の日本人に固有の問題であるかのような書き方は非常に浅はかで歴史認識も足りない短絡的なものでしょう。
それとも過去における折檻や躾の一環としてなら許されていたのでしょうか?甚だ疑問です。
やはり昨今の虐待の社会問題化はどんな小さな町で起こった事件でも一瞬で全国に伝えるメディアの存在が大きいと思いますが、まぁ伝播力の違いですね。というか、そういった視点が無ければ語れない。少なくとも虐待事件の認知や過去と現在の取り扱いに違いもあるので、一概に現在の日本人が悪い方向に変質してしまったとは言い切れないと思います。
「虐待」を例に挙げましたが氏の職業作詞家としての功績には敬意を表さなければならないものの、こういった警句という形で思想めいたものを発信する程の器ではないと感じました。
警句というより年寄りのお説教というのがせいぜいといったところです。
「古き良き時代。全ての時代は古くなると良いと言われるものである」というだけではないでしょうか。
以上が共感できない点で、評価すべき点もいくつかあり、戦後輸入された民主主義を盲信しない姿勢と「小学校教育はその多くを国語に費やすべき」等で共感する所もありました。そして、すべての項目が見開きに収まっており読みやすかったです。
しかし、期待しただけに全体を通しては残念な読後感となってしまいました。確かに過去から現在にかけて変化はあるのでしょう。ただ、今が悪く、昔は良かったのか。この本を通じて説得された気にはなれませんでした。なので、星は3つ。
2018年9月6日に日本でレビュー済み
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阿久悠はニヒルだが,情熱家。阿久悠の著書では一番好きで,何度も手に取ります。
おすすめします。
おすすめします。
2013年12月24日に日本でレビュー済み
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TVを酷くしたのはスポンサーなんだけど、
それを誘導した氏の懺悔録。
言葉よりダンスだもんね。今は。
それを誘導した氏の懺悔録。
言葉よりダンスだもんね。今は。
2010年8月18日に日本でレビュー済み
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作詞家の故阿久悠氏の、S新聞に掲載されていたコラムをまとめた本です。
だれにでもわかりやすい言葉で語られた、阿久流の警世の書です。
特に印象に残ったのは、「いたずらは、天使と悪魔の綱引きであり、犯罪のことは言わない」という一節です。
かつて、「いたずら」という言葉には愛嬌があった。「悪戯」という漢字でも表わされるが、戯れであり、遊びであった。近年では、「戯れて悪を為す」という悪意による犯罪に変わってしまったという一文が、もっとも心に響きました。
昨今のネット犯罪にも警鐘を鳴らす、深い言葉です。
その他にも、日本人が失ってしまったもの、大人も若者も子供も、誤った道をたどってしまった事への警句がたくさん綴られています。
どんな世代の方が読んでも、誰の心にも響く一節が必ずある、そんな本だと思いました。
だれにでもわかりやすい言葉で語られた、阿久流の警世の書です。
特に印象に残ったのは、「いたずらは、天使と悪魔の綱引きであり、犯罪のことは言わない」という一節です。
かつて、「いたずら」という言葉には愛嬌があった。「悪戯」という漢字でも表わされるが、戯れであり、遊びであった。近年では、「戯れて悪を為す」という悪意による犯罪に変わってしまったという一文が、もっとも心に響きました。
昨今のネット犯罪にも警鐘を鳴らす、深い言葉です。
その他にも、日本人が失ってしまったもの、大人も若者も子供も、誤った道をたどってしまった事への警句がたくさん綴られています。
どんな世代の方が読んでも、誰の心にも響く一節が必ずある、そんな本だと思いました。
2013年7月8日に日本でレビュー済み
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50代の私には,著者は,(J-Popではなく)「歌謡曲」というジャンルがあった時代の流行歌の作詞家として,そして「スター誕生!」の審査員として思い浮かぶ方です。もう20年以上昔になるでしょうか,ラジオの深夜放送を聴いていたら,著者がおそらくゲストDJとして番組を担当されていました。ピンク・レディーの曲の歌詞から想像していた人とは違って,とても柔らかく穏やかな語り口で,大変真面目で優しい方という印象でした。その印象をずっと持ち続けていたこともあり,本書を購入いたしました。さすが作詞家と感心させられる日本語で,各エッセー(警句?)が見開き2ページに収まるように配置されています。現代社会において日本人が失いつつある日本人としての美徳・美意識が指摘されており,大部分は共感できる内容でした。購入してよかったと思います。そういった現代社会において私たち日本人はどうしてゆけばよいのか...このことについては本書の中に答を期待するよりも,それぞれの読者が課題として考えてゆくべきでしょう。