著者は1964年生まれで、現在は神田外語大学特任教授の肩書を持つ人物です。
私はこれまでその著作を10年以上にわたって読み継いできました。『
はじめての言語学
』(2004年)、『
その他の外国語―役に立たない語学のはなし
』(2005年)、『
ポケットいっぱいの外国語
』(2007年)、『
にぎやかな外国語の世界 (地球のカタチ)
』(2007年)、『
世界の言語入門
』(2008年)、『
外国語をはじめる前に
』(2012年)、『
寄り道ふらふら外国語
』(2014年)、『
チェコ語の隙間―東欧のいろんなことばの話
』(2015年)、『
外国語を学ぶための 言語学の考え方
』(2016年)、『
寝るまえ5分の外国語:語学書書評集
』(2016年)、『
その他の外国語 エトセトラ
』(2017年)――。 そのどれもが、「外国語って面白い!」という極めてシンプルな著者の気持ちを読者にとにかく伝えようと、自らの外国語学習歴を披露しながらエッセイ風の読み物に仕立てたものです。
そして今年(2018年)は、『
ことばはフラフラ変わる
』、『
ロシア語だけの青春: ミールに通った日々
』、そしてこの『物語を忘れた外国語』と、上梓される著作の数が例年になく多く、そのすべてに私もなんとか追いつこうと次々手にしているところです。
今回の『物語を忘れた外国語』は「小説新潮」誌上で2015年11月から2017年4月までに連載されたエッセイを加筆修正して編み上げたものです。昨今、外国語学習といえば会話偏重に走るきらいがあったり、外国語能力を向上させるには各種検定試験を利用するのが一番だと考える向きが多かったりしますが、著者は世のそういう趨勢に疑義を呈します。
「検定試験漬けで会話至上主義の空虚な外国語環境に潤いを与えてくれるのは、誰が何といおうと物語しかないのだと、わたしは固く信じている」(16頁)
そう、このエッセイ集は、「物語を忘れた外国語」の陥穽にはまることなく、外国語で書かれた書物に(原書に限らず翻訳でもよいので)当たることの重要性を訴えるのです。
著者はロシア語、英語、チェコ語といった得意な言語で原書にあたるだけではなく、日本語で書かれた三島や谷崎を英訳した書などとの出会いについても思い返していきます。
谷崎の『
細雪
』は私もかつて読みましたが、著者はそこに出てくる白系ロシア人キリレンコ家の人々をその名前の特徴からロシア人ではなくウクライナ人ではないかと推測してみたり、映画『
2001年宇宙の旅
』にわずかに登場するロシア人科学者たちの(日本語字幕が付されない)会話を聞き取ったりするのです。
ほかにも星新一『
ボッコちゃん
』や松本清張『砂の器』などを俎上にのせながら、原著の含意が翻訳先の言語の特性によって微妙にずれたり失われたりする様を味わうことに、至福の喜びを感じていく様子を綴っています。
私と年齢が近い著者・黒田龍之助氏の著作の中には私自身の外国語(学習)体験と重なる挿話がいくつも出てくる点も、魅力のひとつです。
今回でいえば、安西徹雄『
英文翻訳術
』(著者の場合はその旧版の『翻訳英文法』)を読んで「その面白さに夢中になるまで、さして時間はかからなかった」(60頁)とか、映画のDVDを見るときは「一回目は英語音声で日本語字幕、二回目は日本語吹き替えで英語字幕、あるいは英語音声で英語字幕というように、組み合わせを変えて鑑賞するという方法がある。わたしもこの方法で、数多くの映画を繰り返し観てきた」(179頁)といった具合に、ぴたりと私の経験と合致するのです。
イスカンデール作のソビエト文学『
牛山羊の星座
』に触れたくだりでは、黒田氏が紹介するその書き出し部分を読みながら私はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』との類似点を感じていました。と思っていたところ、著者自身が「ところでひょっとしたら、これを読むとサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』(白水Uブックス)の冒頭部分を思い起こす人がいるのではないか」と筆を進めるではありませんか。
さらには『
あなたの人生を変えるスウェーデン式歯みがき
』を手にしたエピソードまで記されていて、まるでこちらの心を見透かしたような書きぶりです。
やはり著者と私は同好の士なのだな、とあらためて感じた次第です。
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物語を忘れた外国語 単行本 – 2018/4/26
黒田 龍之助
(著)
いつもかたわらに物語を。小説や映画と一緒なら、語学はもっと面白い! 何のために言葉を学ぶのか? 試験や資格のための勉強では見えてこない、外国語習得の秘訣、大公開! 語学学習で大切なのは、TOEIC対策でも問題集を何周もすることでもありません。小説、映画、テレビドラマetc……、物語から学ぶこと。言葉を知れば、物語の新たな魅力も見えてくる。本当の語学の楽しさ、教えます!
- 本の長さ191ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2018/4/26
- 寸法12.5 x 1.5 x 19.3 cm
- ISBN-104103517212
- ISBN-13978-4103517214
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2018/4/26)
- 発売日 : 2018/4/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 191ページ
- ISBN-10 : 4103517212
- ISBN-13 : 978-4103517214
- 寸法 : 12.5 x 1.5 x 19.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 529,758位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2018年5月19日に日本でレビュー済み
2023年10月22日に日本でレビュー済み
大学時代一年間親しく交流した友の著書であります。本書の中で大学時代に感じた雰囲氣、感触が思ひ出されて来ました。当時、彼から借りた中津燎子著「何で英語をやるの?」、中公新書「私の外国語」を取り出して眺めたりもしました。当時もかなりの一家言を持ってゐました。
今回、外国語と物語に拘泥(こだは)る彼の一貫した在り方を再発見しました。そして、自分のイズムを柔軟に前向きにとり、味はふ姿勢は変はらないなあと思ひました。多くのスラブ諸語(ロシア、チェコ、ウクライナ、ベルルーシ、クロアチア等)に取組み、原書を買ひに現地に行く積極性は凄いですし、物語、小説の面白さを映像、原書で確認する楽しみは贅沢な味はひと言へさうです。一般人にも外国語の楽しみを紹介してくれるサービス精神には敬意を表します。
私も大学時代に共に学んだロシア語を少しでも生かせられたらと感じてゐる所です。懐かしの世界と興味深い世界を提供いただき、有難うございました。
今回、外国語と物語に拘泥(こだは)る彼の一貫した在り方を再発見しました。そして、自分のイズムを柔軟に前向きにとり、味はふ姿勢は変はらないなあと思ひました。多くのスラブ諸語(ロシア、チェコ、ウクライナ、ベルルーシ、クロアチア等)に取組み、原書を買ひに現地に行く積極性は凄いですし、物語、小説の面白さを映像、原書で確認する楽しみは贅沢な味はひと言へさうです。一般人にも外国語の楽しみを紹介してくれるサービス精神には敬意を表します。
私も大学時代に共に学んだロシア語を少しでも生かせられたらと感じてゐる所です。懐かしの世界と興味深い世界を提供いただき、有難うございました。
2018年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本が出版される10日程前に友人に送ったメールの一部。「題名から想像するに、『内容の薄っぺらい文章を読まされるのは堪えられない』ということではないかと期待しているところです。自分の誕生日に、周囲の人々にプレゼントを買ってきた女の子、『少女エレナ』や『帰って来て、ルイーズ』といった物語だと読む価値があるので。」と、ここまでは物語風にしてみました。読み終えて、期待に違わず。大学入試の外国語に論説文が多く出題されるようになったせいか、教科書の材料も論説・説明文ばかりになってしまい、読む楽しみが減ってしまった気がします。日本語で読めば済むようなデータ伝達でしかないものばかりになってしまいました。物を語る文章が少なくなり、それを読み取るという楽しみが薄れていると感じます。言語学習には入試や検定試験を目的にする以外にも楽しみがあると知らせてくれます。いつものごとく、ユーモアあり。
2018年8月14日に日本でレビュー済み
ユーモアあふれるエッセイ。外国語能力を向上させようとするときに、用いる方法の主流は外国語学校と検定試験。しかし、著者は「物語を選」ぶという。著者にとっては「物語を読むことが食事をとるのと同じくらい自然なのである」。
「30代の終わりから40代の初めにかけて大学の英語教師に突然なってしまったとき、もちろん英語力をもっと上げなきゃと考えたのだが、そのとき始めたのはヘンリー・フィールディングの『トム・ジョーンズ』を原書で読むことだった」と記す。
そういう著者が、『物語を忘れた外国語』に偏向する世にあって、外国語にまつわる物語の数々を紹介していく。物語の中には、外国語・映画も入る。戯曲・シナリオも入る。著者の好みは喜劇であることが示される。シェイクスピアは『お気に召すまま』。版は“SHAKESPEARE MADE EASY”版が勧められる。その延長にある究極の(著者に合う)方法として「ニール・サイモン効果」について記される。
著者お勧めの外国文学・日本文学「読書案内」として読むこともできる。すべてではないが、小説、映画の簡潔な要約も示され、食指をそそられる。その意味において簡単な索引、一覧を付録として欲しかった。
「30代の終わりから40代の初めにかけて大学の英語教師に突然なってしまったとき、もちろん英語力をもっと上げなきゃと考えたのだが、そのとき始めたのはヘンリー・フィールディングの『トム・ジョーンズ』を原書で読むことだった」と記す。
そういう著者が、『物語を忘れた外国語』に偏向する世にあって、外国語にまつわる物語の数々を紹介していく。物語の中には、外国語・映画も入る。戯曲・シナリオも入る。著者の好みは喜劇であることが示される。シェイクスピアは『お気に召すまま』。版は“SHAKESPEARE MADE EASY”版が勧められる。その延長にある究極の(著者に合う)方法として「ニール・サイモン効果」について記される。
著者お勧めの外国文学・日本文学「読書案内」として読むこともできる。すべてではないが、小説、映画の簡潔な要約も示され、食指をそそられる。その意味において簡単な索引、一覧を付録として欲しかった。
2022年1月10日に日本でレビュー済み
最近、知り合いが日本語に一言では翻訳出来ない外国語に関する本を読み、幾つか例を教えてくれた。そこで偶々目に留まった本書の背表紙に、「言語学・ロシア語・チェコ語・スラブ諸語・英語・スウェーデン語」と言ったキーワードが並べられていたので、本書もエッセイとして外国語の面白さを書いているのかな?と思い読んで見る事にした。
最初に書いておくが、本書のあとがきを読むと、本書は編集者から連載しませんかと声を掛けられスタートしたエッセイを一冊に纏めたもの。だから文章能力にしろエッセイの面白さにしろ、多くのファン層が居る事を見込んでの依頼なので、一定以上の水準に有る事はプロの編集者から見ても明らか。
では何故評価が低いかと言うと、単純に文体が自分には全く馴染めなかったと言うのと、内容が面白くなかったから。そして、読み終わっても「物語を忘れた外国語」の意味が分からなかったから。
もしかしたら、この答えは本書の中で紹介している野坂昭如の小説に書かれていた事から著者が思う「(公開討論の)内容を聞きたいのではなく、英語を聞きたいという学習者が存在し、外国人を会話練習の相手としか見ていない」と言った言葉に収束されているのかも知れない。
でも、外国語を習得すると言うのはそう言う事なんでは?と思う。昔読んだ本に書いてあったが、赤ちゃんは母親の真似をしながら徐々に母国語を学び、やがて絵本の読み聞かせなどから字を覚える。だからまずは会話が重要なのだが、日本の英語教育は会話が覚束ないのに文法などを最初に学ばせる。だから話せないのに読めると言うちぐはぐな現象が起きてしまう、と。
著者は色々な言語で書かれた原書を読む事が出来る。それは恐ろしく凄い才能だと思うが、旅行に行ってそつなく英語で会話が出来ても英文を読むのは苦手と言う日本人は多い。
だから、やはり読めなくても外国語を話そうと言う気持ちだけでも十分大事な事なのだと思う。どうもこの著者はその点を一切考慮していない様に思える。
ある旅行作家が書いている。辺境地にも行くので少数民族の言語も覚えたりするのだが、最初に覚えるのは「ありがとう」と「これは何ですか?」の二つだそう。後はひたすら「これは何ですか?」を使いまくり語彙を増やしていくらしい。
自分も全くこちらの意見に賛成で、会話至上主義を嘆き物語を読む事を薦める著者に対し、自分は「書を捨て、街に(外国に)出よ!」が一番大事だと思うし、そうしている。
一応、自分はスマホを見る時間より圧倒的に日本人の書いた日本語の小説などを読む時間の方が長いが。
例えばスウェーデン語を学ぶなら、観光等でスウェーデンに行くなら、翻訳本でも良いからスウェーデン人が書いた小説を読んでみると、また違った景色が見えると言うのならまだ分かるが、本書は著者が読んだ色々な国の原書(や一部翻訳本)の紹介と、著者の勉強による英語以外の会話能力のレベルアップの話しばかりで、ただただ著者の才能の凄さに驚嘆しただけだった。にも関わらず、本書の一番最後で著者は自身の事をこう書く。「なぜならわたしはすこしバカだからであります!」。
ファンなら「先生ったら、もぅ~」と笑う所なのだろうが、本書で初めて著者を知った自分からすると、ここまで自身の才能をひけらかしておいて、最後の最後でこう言う科白は興覚めするのに十分だった。
著者は、「英会話に熱中する人間は、英語話者のいうことに限って従順である」と言う。どうも他のレビューを見ると、「黒田氏に熱中する人間は、黒田氏のいうことに限って従順である」と思ってしまう。これだけ色々な言語を話して、更にはその言語で物語を読んでしまう。それだけ凄い才能にあこがれるし、それだけ凄い才能の人が言うのなら、それに従順に従おう、と。
最初に書いておくが、本書のあとがきを読むと、本書は編集者から連載しませんかと声を掛けられスタートしたエッセイを一冊に纏めたもの。だから文章能力にしろエッセイの面白さにしろ、多くのファン層が居る事を見込んでの依頼なので、一定以上の水準に有る事はプロの編集者から見ても明らか。
では何故評価が低いかと言うと、単純に文体が自分には全く馴染めなかったと言うのと、内容が面白くなかったから。そして、読み終わっても「物語を忘れた外国語」の意味が分からなかったから。
もしかしたら、この答えは本書の中で紹介している野坂昭如の小説に書かれていた事から著者が思う「(公開討論の)内容を聞きたいのではなく、英語を聞きたいという学習者が存在し、外国人を会話練習の相手としか見ていない」と言った言葉に収束されているのかも知れない。
でも、外国語を習得すると言うのはそう言う事なんでは?と思う。昔読んだ本に書いてあったが、赤ちゃんは母親の真似をしながら徐々に母国語を学び、やがて絵本の読み聞かせなどから字を覚える。だからまずは会話が重要なのだが、日本の英語教育は会話が覚束ないのに文法などを最初に学ばせる。だから話せないのに読めると言うちぐはぐな現象が起きてしまう、と。
著者は色々な言語で書かれた原書を読む事が出来る。それは恐ろしく凄い才能だと思うが、旅行に行ってそつなく英語で会話が出来ても英文を読むのは苦手と言う日本人は多い。
だから、やはり読めなくても外国語を話そうと言う気持ちだけでも十分大事な事なのだと思う。どうもこの著者はその点を一切考慮していない様に思える。
ある旅行作家が書いている。辺境地にも行くので少数民族の言語も覚えたりするのだが、最初に覚えるのは「ありがとう」と「これは何ですか?」の二つだそう。後はひたすら「これは何ですか?」を使いまくり語彙を増やしていくらしい。
自分も全くこちらの意見に賛成で、会話至上主義を嘆き物語を読む事を薦める著者に対し、自分は「書を捨て、街に(外国に)出よ!」が一番大事だと思うし、そうしている。
一応、自分はスマホを見る時間より圧倒的に日本人の書いた日本語の小説などを読む時間の方が長いが。
例えばスウェーデン語を学ぶなら、観光等でスウェーデンに行くなら、翻訳本でも良いからスウェーデン人が書いた小説を読んでみると、また違った景色が見えると言うのならまだ分かるが、本書は著者が読んだ色々な国の原書(や一部翻訳本)の紹介と、著者の勉強による英語以外の会話能力のレベルアップの話しばかりで、ただただ著者の才能の凄さに驚嘆しただけだった。にも関わらず、本書の一番最後で著者は自身の事をこう書く。「なぜならわたしはすこしバカだからであります!」。
ファンなら「先生ったら、もぅ~」と笑う所なのだろうが、本書で初めて著者を知った自分からすると、ここまで自身の才能をひけらかしておいて、最後の最後でこう言う科白は興覚めするのに十分だった。
著者は、「英会話に熱中する人間は、英語話者のいうことに限って従順である」と言う。どうも他のレビューを見ると、「黒田氏に熱中する人間は、黒田氏のいうことに限って従順である」と思ってしまう。これだけ色々な言語を話して、更にはその言語で物語を読んでしまう。それだけ凄い才能にあこがれるし、それだけ凄い才能の人が言うのなら、それに従順に従おう、と。