20世紀アメリカを代表する小説家の一人であるサリンジャーによる小説集(1963年刊行)。本書は「グラース・サガ(グラース家の七人兄妹が登場する一連の作品群。徐々に宗教的・神秘的な雰囲気を深めていく特徴がある)」のうちの二篇であり、長兄のシーモア(やその周辺人物)について次兄のバディが語る形式になっている。『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』ではシーモアの結婚式に関する出来事が語られ、『シーモア―序章―』ではシーモアというどこか謎めいた人物に対するバディの探究が語られる。
グラース家は、ボードビル(歌・踊り・寸劇などを組み合わせた軽喜劇)の役者であった父母(レスとベシー)と七人の子供たち(シーモア(飛び級で大学進学・博士号取得後は大学の教員になった。第二次世界大戦では空軍に所属していた)・バディ(戦時に陸軍に招集された後、大学教員兼作家になる)・ブーブー(主婦)・ウォルト(陸軍兵士として日本に進駐していた時に事故で死亡)とウェイカー(カトリックの修道士)の双子・ゾーイー(テレビの人気俳優)・フラニー(新進女優))で構成される。7人の兄妹たちは全員が子供時代に人気ラジオ番組『これは神童』に出演し早熟な才知を発揮していたことから、それなりの知名度が(芸名で出演していたが)あり、この時の経験が兄妹たちの人生に大なり小なり影響を与えている。このような才能豊かな兄妹たちの中でも、長兄のシーモアは、ひときわ優れた人物と(弟妹たちに)見なされていたが、「一九四八年、三十一歳のとき妻とフロリダに旅行滞在中、自殺した(『バナナフィッシュにうってつけの日』)」。
本書の二つの作品は、兄のシーモアに強いこだわりを持つバディがシーモアの体験をたどっていくことで精神的に兄と同化し(これはバディが持つ感覚であって、実際にシーモアと同化しているかどうかは別)、シーモアの真実の一端が開示される(バディがシーモアの思想的な雰囲気をつかむ、ということであって、シーモアの心理的な動機や思想が具体的に解明されたという訳ではない)というストーリーである。
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』では、花婿シーモアが結婚式場に現れないまま時間ばかりが過ぎたため、とりあえず披露宴会場まで招待客たちがタクシーで移動する、という波乱含みの状況で展開する。偶然にバディと同じタクシーに乗り合わせた四人は、性格的に花嫁ミュリエルの家族に微妙に対応している(ミリュエル一家の友人である「(結婚式の)介添夫人」=ミュリエルの母・「中尉(「介添夫人」の夫)」=ミュリエルの父・「シルズバーン夫人」=ミュリエル・「小柄な老人」=人物的な対応関係はないが、バディの気持ちを立て直すきっかけを与えてくれる存在)。タクシーの中で「介添夫人」がシーモアに対する怒りと不信感をぶちまけることがきっかけで、バディはミュリエルの家族と付き合っているような疑似体験を経験し、“なぜシーモアは、自分の個性を理解しそうにないミュリエルと結婚しようと思ったのか”という疑問に改めて向き合うことになる。
そして『シーモア―序章―』では、『大工よ~』が時間の経過に沿って出来事を語る直線構造であるのに対して、シーモアに対する(バディと他の弟妹たちの)断片的な記憶をひたすら連ねる堂々巡りの螺旋構造で展開される。バディは「シーモアが書いた一八四篇の詩(シーモアの著作の権利は「未亡人」ミュリエルが持っている)」を発表したいと考えており、さらには「シーモアについての短編小説」を書きたいとも望んでいるが、とりあえずは「「神秘的」で「バランスを欠いたタイプの人間」でもあった」シーモアについて思い出したことから語っていく、というのが本作である。しかし、シーモアについて語れば語るほど生身のシーモアの姿を描き出すことの困難が浮かび上がってくる。何しろ「忠実で、忍耐強く、隠者のごとき純粋な」シーモアは「純粋な禅」に基づいた思考と行動を実践できる人物なのである。そうバディが考える限り、シーモアは「わたしのような俗物」には描き出せない「神秘的」な存在であり続けるだろう。
このように、『シーモア~』は全体的に宗教的な雰囲気をたたえている。日本人としては、何となく違和感が感じられるかもしれないが、アメリカではそれほど珍しい感覚ではない。
そもそもアメリカはヨーロッパ各国から、キリスト教の様々な宗派(カトリック・清教徒・クエーカー教徒・オランダ改革派・ルター派など)に属する人々が、開拓をするためにやって来ることで形をなした国である。お互いの宗派争いを避けつつ共同体の中で共通の道徳意識を持つために、ジョン・ロック(1632~1704 イギリスの思想家)の『寛容についての手紙』や『キリスト教の合理性』で説かれる“信仰の異なる人への寛容と政教分離(政治の場に宗派争いを持ち出さない)”と“道徳としてのキリスト教(宗派の違いを超えた道徳性をキリスト教は持っている)”という思想が、建国以来アメリカでは非常に重んじられた。このような歴史から、総じてアメリカでは“倫理的な問題”や“社会についてどのように考えれば良いのか”などの指針を宗教(基本的にはキリスト教)に求める傾向が(日本よりも)強いのである。
それが、本書では何故「禅」なのか、については、極めて早熟な才子だったシーモアが幼少期から東洋の文学や宗教に対して深い興味を持っていて自らの気質に合うと思っていたから、という以外に小説のなかでは説明がない。とはいえ、「彼(シーモア)にはハインツの食品(訳注 アメリカの有名な食品会社の製品で五十七種類もある)のようにバラエティに富んだ個性があり、(弟妹たちのそれぞれの)感受性とか敏感さの度合いに応じて、それぞれ年代的に間隔をおいて、我が家の未成年者(弟妹)を一人残らず飲酒にかりたてる(夢中にさせる)恐れがあった」と語られるシーモアは、生前も死後も弟妹達にとって精神的な「支え」でありつつも“大いなる謎”であり続けている。弟妹たちにとっては、シーモアの存在自体が宗教なのかもしれない。
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大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫) 文庫 – 1980/8/27
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個性的なグラース家七人兄妹の精神的支柱である長兄、シーモアの結婚の経緯と自殺の真因を、弟バディが愛と崇拝をこめて語る傑作。
- 本の長さ285ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1980/8/27
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-10410205703X
- ISBN-13978-4102057032
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ナイン・ストーリーズ | 大工よ、屋根の梁を高く上げよシーモア─序章─ | フラニーとズーイ | 彼女の思い出/逆さまの森 | |
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【新潮社】J・D・サリンジャー 作品 | はかない理想と暴虐な現実との間にはさまれて、抜き差しならなくなった人々の姿を描き、鋭い感覚と豊かなイメージで造る九つの物語。 | どこまでも優しい魂を持った魅力的な小説……『キャッチャー・イン・ザ・ライ』に続くサリンジャーの傑作を、村上春樹が新訳! | 個性的なグラース家七人兄妹の精神的支柱である長兄、シーモアの結婚の経緯と自殺の真因を、弟バディが愛と崇拝をこめて語る傑作。 | 留学中に出会った美少女の記憶、行方不明になった天才詩人の末路。『ライ麦』以前の初期短篇を集めた、最後のナイン・ストーリーズ。 |
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トップレビュー
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2022年9月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
良い本です。
2023年3月2日に日本でレビュー済み
ナインストーリーは話自体が面白い
フラニートズーイーは内容も、文章も面白い
これらと比べると、この作品はバディの語りがグネグネしてるし、登場人物も平坦気味で核心にもなかなか触れないのでちょっと読むのに時間がかかった
そこまで一家に興味無いんだけどな、という思いを封印しつつ最後まで読んだが心に残るものもあったのでよかった
頭が良いシーモアも望むものはそんなに変わらないんだなとか、世間的なもののくだらなさとか
人生を楽しむには?今に集中して幸運に感謝しようみたいなのとかは良いなと思った(違ったらすまない)
結局シーモアは何で自殺したの?に対する答えとしては、終盤の「突如猛烈に走り出したバディにやっと追いついたシーモアは息を切らしていた」という部分なのかなー、と思った
フラニートズーイーは内容も、文章も面白い
これらと比べると、この作品はバディの語りがグネグネしてるし、登場人物も平坦気味で核心にもなかなか触れないのでちょっと読むのに時間がかかった
そこまで一家に興味無いんだけどな、という思いを封印しつつ最後まで読んだが心に残るものもあったのでよかった
頭が良いシーモアも望むものはそんなに変わらないんだなとか、世間的なもののくだらなさとか
人生を楽しむには?今に集中して幸運に感謝しようみたいなのとかは良いなと思った(違ったらすまない)
結局シーモアは何で自殺したの?に対する答えとしては、終盤の「突如猛烈に走り出したバディにやっと追いついたシーモアは息を切らしていた」という部分なのかなー、と思った
2014年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
サリンジャーの伝記読了後に本棚を探しても見つからなかったので、急ぎ購入。頁をめくり始めた途端、いろいろなことを思い出しました。自分が好きな小説は、こんな作品だつたんだ、と若かりし苦悶の日々を鮮やかに蘇させられる一冊でした。
2022年3月31日に日本でレビュー済み
内容については、今更、言うまでもないかと思います。若い頃に読んだきり、今回、手元に見当たらなかったので、ナイン・ストーリーズとともに、改めて購入。あのサリンジャー用の水玉の表紙だと信じて買ったのに、それなのにどっちも無愛想な表紙の文庫が届いた〜!!すごく、すごくがっかりした。なので、星を3つにしてしまいました。
2022年5月28日に日本でレビュー済み
サリンジャーは、尖ったティーンエイジャーのように斜かいに構えて竹割りのように削ぎおとした文章になお残る妙、巧みで緻密で、洒落ていて、硬質な言葉の運びとストーリー仕立てがニヒルでシャイで魅力的に思います。
何気なく胸に入ってくるのです。
胸抉る場面描写も散見されつつ、
総じて小気味よい読観を堪能できる、好きな作風です。
何気なく胸に入ってくるのです。
胸抉る場面描写も散見されつつ、
総じて小気味よい読観を堪能できる、好きな作風です。
2010年2月5日に日本でレビュー済み
グラース家の神であるシーモアの自死は何だったのか。
一家のほぼ全員がシーモアを神聖視する中、バディが淡々と(語ろうとして苦心惨憺で)描くシーモアの素顔。
普通は子供に最も影響を及ぼすのは親なのだが、その親すら息子の亡霊に取り憑かれている。
しかしそれはシーモア自身が望んだことではないし、寧ろそのことに傷付いている。
「おまえがぼくの意見よりもおまえ自身の意見を尊重するようであれば、まったく幸福なんだが」
バディに宛てた手紙、バディの書いた作品への批評の中に、シーモアの苦悩がある。
若い頃、「ナイン・ストーリーズ」の「バナナフィッシュにうってつけの日」の中で、
シーモアが自死したことについて、私は少女の嘘が直接の原因だと思っていた。
しかし今、サリンジャーその人の死にあたって作品群を読み返し、違う意見を持つ。
シーモアの自死そのものが、悲劇ではないということ。
彼は世界に絶望したから死を選んだ訳ではない。
少女が「バナナフィッシュを見た」と言ったことが真実だったから―
世界が完璧であるから、完璧に美しいことを見届けたから、肉体を捨てたのではないか。
この世において「見るべきものは見つ」という境地に達したから、自ら新たなステージに移行したのだ。
バナナフィッシュを見る人間を発見することが、彼にとってのゴーサイン、隻手の声だったのだ。
原題の a perfect day for bananafish が「バナナフィッシュにとって完璧な日」、とも読めるように。
そうすれば彼が少女の土踏まずにした接吻も、説明がつくような気がする。
あれは最大の感謝の証であり、この世界への優しいお別れだ。
「テディ」で描かれた事故死と、シーモアの自死は、同じことなのだ。
シーモアの自死が世界への絶望であれば、サリンジャーが91歳まで生き切ったことの説明がつかない。
「老人と海」の老人が生き抜いたのに、ヘミングウェイが自死したのは、理想に現実が追いつかなかったからとすれば、
サリンジャーにはまだまだ見るべきものが世界にあった、ということだろう。
それでもサリンジャーには、まだグラース家を、特にブーブーや双子の世界観を書いてほしかった。
一家の中で最も安定しているように見えるブーブーの素顔を知りたかった。
作品は作家から独立したもので、作者のプロフィールは公開する必要がないと言ったサリンジャーだったから、
一切の批評を受け付けない死後に、グラースサーガが完璧な形で発表されないかと願っている。
一家のほぼ全員がシーモアを神聖視する中、バディが淡々と(語ろうとして苦心惨憺で)描くシーモアの素顔。
普通は子供に最も影響を及ぼすのは親なのだが、その親すら息子の亡霊に取り憑かれている。
しかしそれはシーモア自身が望んだことではないし、寧ろそのことに傷付いている。
「おまえがぼくの意見よりもおまえ自身の意見を尊重するようであれば、まったく幸福なんだが」
バディに宛てた手紙、バディの書いた作品への批評の中に、シーモアの苦悩がある。
若い頃、「ナイン・ストーリーズ」の「バナナフィッシュにうってつけの日」の中で、
シーモアが自死したことについて、私は少女の嘘が直接の原因だと思っていた。
しかし今、サリンジャーその人の死にあたって作品群を読み返し、違う意見を持つ。
シーモアの自死そのものが、悲劇ではないということ。
彼は世界に絶望したから死を選んだ訳ではない。
少女が「バナナフィッシュを見た」と言ったことが真実だったから―
世界が完璧であるから、完璧に美しいことを見届けたから、肉体を捨てたのではないか。
この世において「見るべきものは見つ」という境地に達したから、自ら新たなステージに移行したのだ。
バナナフィッシュを見る人間を発見することが、彼にとってのゴーサイン、隻手の声だったのだ。
原題の a perfect day for bananafish が「バナナフィッシュにとって完璧な日」、とも読めるように。
そうすれば彼が少女の土踏まずにした接吻も、説明がつくような気がする。
あれは最大の感謝の証であり、この世界への優しいお別れだ。
「テディ」で描かれた事故死と、シーモアの自死は、同じことなのだ。
シーモアの自死が世界への絶望であれば、サリンジャーが91歳まで生き切ったことの説明がつかない。
「老人と海」の老人が生き抜いたのに、ヘミングウェイが自死したのは、理想に現実が追いつかなかったからとすれば、
サリンジャーにはまだまだ見るべきものが世界にあった、ということだろう。
それでもサリンジャーには、まだグラース家を、特にブーブーや双子の世界観を書いてほしかった。
一家の中で最も安定しているように見えるブーブーの素顔を知りたかった。
作品は作家から独立したもので、作者のプロフィールは公開する必要がないと言ったサリンジャーだったから、
一切の批評を受け付けない死後に、グラースサーガが完璧な形で発表されないかと願っている。
2023年6月10日に日本でレビュー済み
ライ麦→フラニーとズーイ→本作品、の順に評価はガタ落ちです。
本作品は、約めれば10ページにも満たない内容を、引き延ばし引き延ばし、
言葉だけは豊富に語っています。
現代の英米文学で、他にもこのようなスタイルの作家は時折散見されますが、
忙しい読者の立場も少しは考慮して、簡潔明瞭を心がけて欲しいものです。
本作品は、約めれば10ページにも満たない内容を、引き延ばし引き延ばし、
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現代の英米文学で、他にもこのようなスタイルの作家は時折散見されますが、
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