尖閣諸島や竹島の領土問題で、我々は国土の安全保障に強い関心を持つようになった。じつは、日本の山や水源が外資に買われているというショッキングな警告を発しているのが本書である。では何が問題で、どのように対処すればいいのだろうか。
まず、林地ではなんと6割が「地籍」が未確定なのだという。どこからどこまでが誰のものかを日本人でさえ明確にできていない。平地や農地はどこからどこまでが誰のものははっきりしているが、林地はそれが確定していないそうだ。さらに、日本の法律では、林地を購入した者は林木を伐採して売ろうが、地下水を無限に汲もうが、無制限という。やりたい放題なのだ。先進国にこんなルーズな国はない。
そこで、山を護るために行うべきことは、第一に、手つかずのままの「地籍の確定」を行うこと、第二に、閉鎖的な商習慣を改め「林地市場の公開化」に踏み切ること、第三に、国土利用計画法の「監視区域」を拡大解釈して「公的な売買規制と公有林化」を行うこと、第四に、林業再生と辺境再生を目指すことだという。
国レベルでは、ようやく2011年の森林法改正で森林の所有権の移転後の届け出が義務づけられたが、それでも買収を未然に防げないでいる。そのため、北海道や埼玉県では、土地取引の事前届け出制を柱とする水源地域保全条例案が可決された。
やっと林地について、透明性のある適正な市場環境での売買が可能になったのである。
また、グローバル資本を一方的に批判するのは間違っていると思う。必要な法整備をしっかりとやってこなかった日本政府と政治家がまず批判されるべきである。外資に対する過剰反応は、我が国に対する投資を回避させ、かえって山地の合理的な保護と開発を阻害してしまうことにも留意すべきである。

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奪われる日本の森: 外資が水資源を狙っている (新潮文庫 ひ 35-1) 文庫 – 2012/7/28
- 本の長さ266ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2012/7/28
- 寸法10.7 x 1.1 x 15.2 cm
- ISBN-10410136561X
- ISBN-13978-4101365619
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2012/7/28)
- 発売日 : 2012/7/28
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 266ページ
- ISBN-10 : 410136561X
- ISBN-13 : 978-4101365619
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 641,701位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 8,876位新潮文庫
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は森林資源の買収が着々と進行する様を描いており、その深層を世界的な資源枯渇という大きな国際背景から警鐘し、それに対する日本人の無関心に対して批判的な視点を向けている。著者は林業研究に長年取り組んで来た研究者であり、その視点からも日本の森林資源について広範囲に言及している。
一方で外資は脅威ではなくどんどんと外資を活用し活力を注入するべしという森林ジャーナリスト田中澄夫氏等の意見やTPPによる平成開国議論等も存在し、日本において資源問題への国民議論の成熟が未だ不充分である事が読み進める上で痛感させられる書籍である。
日本にとって何が脅威であり、何が脅威でないのか。そして国益とは何か。頭ごなしに外資を否定するのでは無く、日本の国土が簒奪される前に充分な防護策の必要性を本書は発している。
一方で外資は脅威ではなくどんどんと外資を活用し活力を注入するべしという森林ジャーナリスト田中澄夫氏等の意見やTPPによる平成開国議論等も存在し、日本において資源問題への国民議論の成熟が未だ不充分である事が読み進める上で痛感させられる書籍である。
日本にとって何が脅威であり、何が脅威でないのか。そして国益とは何か。頭ごなしに外資を否定するのでは無く、日本の国土が簒奪される前に充分な防護策の必要性を本書は発している。
2010年12月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そんな現実が深く静かに知らないところで侵攻している。
平和裏に日本の国土資源が、・・・に奪われている。
尖閣等の辺境どころか、内陸での静かな侵攻に誰も気付いていない。
日本人は今すぐ読むべきだ。
平和裏に日本の国土資源が、・・・に奪われている。
尖閣等の辺境どころか、内陸での静かな侵攻に誰も気付いていない。
日本人は今すぐ読むべきだ。
2018年11月21日に日本でレビュー済み
平野氏(1954-)は農水省に属した経験があり、林野庁経営企画課長や中部森林管理局長を歴任と奥付にある。また安田氏(1946-)は国際日本文化研究センター教授とのこと。(出版時)
ざっくりまず書くと、安田氏の書かれている部分は本書には関係が無い様に思う。愛国心という文脈では良いのかもしれませんが。国の法整備とこれまでの林野行政がダメだったという事を自ら内部告発しているようにも思います。水という安全保障問題でもある資源、国益をどう考えるかという問題でもあるのでしょう。
平野氏はバブル期の日本の海外投資に基づく国外の土地購入や投機に関しては現地の方の不満や批判は理解出来るという立場であろう。そして、日本の森や水源地が外国資本に押さえられるのは許せないという立場。
備忘録的メモ
大面積皆伐がなされた跡地が植林されることもなく、安価で転売に次ぐ転売が繰り返され、つまり「山ころがし」され、最終的な所有者は地元とは全く縁遠い存在となっている。防災上由々しき事態だ。p42 (特に転売に関する例は示されていない) 学識経験者は全国の植林放棄地は統計の10倍あると断言する(学識経験者とは?)
林地の場合、農地法のような制限がない。唯一のルールは売買成立後、2週間以内に市町村を経由して知事あてに届け出を行くことだけである。p81 (であるなら、現状調査は可能では?林野庁でなぜ調べないのだろう?なぜ法制化してこなかったのだろう)
日本の地籍調査は1951年に関し、しかし52%が未了。太閤検地以降、手つかずのままの土地がある。p92 (これも林野庁は何もしなかったのでしょうか?)
問題はバランスである。p98 (外資とボーダレス化した経済問題において。まあそうでしょうね)
2030年の日本は、社会資本インフラの更新・維持・補修コストが新規投資を含めた全体コストの過半を越え、新規投資にはしだいに振り向けられなくなっていくと推計されている。今まで以上に過疎地および小都市からの撤退が続くだろう。p122(そうでしょうね)
森林に関する政策提言: 地籍の確定、林地市場の公開化、売買規制と公有林化、林業再生・辺境再生の4点 p128 (良いですね、是非! でもこれまで何故やらなかったのでしょう?) 地籍の確定なんてGPSで比較的直ぐに出来そうですが。
争いになる前にきちんとしたルール化を図ることが急務である。それは法治国家として最低限やっておかなければならない。これが本書の主張である。p158 ( まったく異論はありませんが、これまでの反省無くして前進もないと思うのです)
あとがきで、各専門分野についてご教示していただいた方のリストがある、有名林家の方の名前があるのだが、私がお話を聞いた時には外資の森林購入は殆どないと言っていたのだが。。。(2010年)
安田氏の論
ニッポンの漂流の原因は、地政学の欠如
本州以南の森は、縄文時代以来、3000年かけて30%の森が破壊されただけである。北海道は140年の間に全道の40%近くの森が消滅。
北海道は右足をクラーク博士、左足を縄文文化と稲作漁撈文明においている。中略 だが地球環境危機のこの時代に、もうクラーク博士の視点(近代欧米文明をさすらしい)だけではやっていけないのではないか。
日本の森が一神教のキリスト教を受け入れることを拒否したからである。(伝統的な宗教心を温存出来た理由)
スギが金になるという、まさに市場原理主義と同様な考えを林野行政に導入したために引き起こされた。その結果が現在の林野の荒廃と花粉症の頻発である。この林野行政における大失敗は、伝統的な日本の森の文化を切り捨てたために引き起こされた。(この部分は同意しますが、花粉症まで出さなくても(笑)
この世界には、そんなことを微塵も思わない人がいる。それは畑作牧畜民の社会で生まれた市場原理主義者である。(本当ですか???)
ざっくりまず書くと、安田氏の書かれている部分は本書には関係が無い様に思う。愛国心という文脈では良いのかもしれませんが。国の法整備とこれまでの林野行政がダメだったという事を自ら内部告発しているようにも思います。水という安全保障問題でもある資源、国益をどう考えるかという問題でもあるのでしょう。
平野氏はバブル期の日本の海外投資に基づく国外の土地購入や投機に関しては現地の方の不満や批判は理解出来るという立場であろう。そして、日本の森や水源地が外国資本に押さえられるのは許せないという立場。
備忘録的メモ
大面積皆伐がなされた跡地が植林されることもなく、安価で転売に次ぐ転売が繰り返され、つまり「山ころがし」され、最終的な所有者は地元とは全く縁遠い存在となっている。防災上由々しき事態だ。p42 (特に転売に関する例は示されていない) 学識経験者は全国の植林放棄地は統計の10倍あると断言する(学識経験者とは?)
林地の場合、農地法のような制限がない。唯一のルールは売買成立後、2週間以内に市町村を経由して知事あてに届け出を行くことだけである。p81 (であるなら、現状調査は可能では?林野庁でなぜ調べないのだろう?なぜ法制化してこなかったのだろう)
日本の地籍調査は1951年に関し、しかし52%が未了。太閤検地以降、手つかずのままの土地がある。p92 (これも林野庁は何もしなかったのでしょうか?)
問題はバランスである。p98 (外資とボーダレス化した経済問題において。まあそうでしょうね)
2030年の日本は、社会資本インフラの更新・維持・補修コストが新規投資を含めた全体コストの過半を越え、新規投資にはしだいに振り向けられなくなっていくと推計されている。今まで以上に過疎地および小都市からの撤退が続くだろう。p122(そうでしょうね)
森林に関する政策提言: 地籍の確定、林地市場の公開化、売買規制と公有林化、林業再生・辺境再生の4点 p128 (良いですね、是非! でもこれまで何故やらなかったのでしょう?) 地籍の確定なんてGPSで比較的直ぐに出来そうですが。
争いになる前にきちんとしたルール化を図ることが急務である。それは法治国家として最低限やっておかなければならない。これが本書の主張である。p158 ( まったく異論はありませんが、これまでの反省無くして前進もないと思うのです)
あとがきで、各専門分野についてご教示していただいた方のリストがある、有名林家の方の名前があるのだが、私がお話を聞いた時には外資の森林購入は殆どないと言っていたのだが。。。(2010年)
安田氏の論
ニッポンの漂流の原因は、地政学の欠如
本州以南の森は、縄文時代以来、3000年かけて30%の森が破壊されただけである。北海道は140年の間に全道の40%近くの森が消滅。
北海道は右足をクラーク博士、左足を縄文文化と稲作漁撈文明においている。中略 だが地球環境危機のこの時代に、もうクラーク博士の視点(近代欧米文明をさすらしい)だけではやっていけないのではないか。
日本の森が一神教のキリスト教を受け入れることを拒否したからである。(伝統的な宗教心を温存出来た理由)
スギが金になるという、まさに市場原理主義と同様な考えを林野行政に導入したために引き起こされた。その結果が現在の林野の荒廃と花粉症の頻発である。この林野行政における大失敗は、伝統的な日本の森の文化を切り捨てたために引き起こされた。(この部分は同意しますが、花粉症まで出さなくても(笑)
この世界には、そんなことを微塵も思わない人がいる。それは畑作牧畜民の社会で生まれた市場原理主義者である。(本当ですか???)
2010年3月18日に日本でレビュー済み
価格が安くなり、外国人の取引にまったく規制のない、山林地売買。
外国人に買いまくられているという。
外国人の参政権とセットで考えれば、日本が分割あるいは消滅する日も近い。
恐怖をかきたてられる書。 あまりに身近な恐怖に本を読み進めることが出来なくなることが何度もあった。
日本人の金融資産は外国人に奪われていずれなくなるが、今度は住む場所、飲料水がなくなるかも知れない。
日本人は自分の国土と思っている幻想にとらわれている。
死が目前に迫っていても、われわれ資金のないものはなすすべがないのか!!
日本の国土は日本人が守るものと思っておられる方必読の書と思います。
外国人に買いまくられているという。
外国人の参政権とセットで考えれば、日本が分割あるいは消滅する日も近い。
恐怖をかきたてられる書。 あまりに身近な恐怖に本を読み進めることが出来なくなることが何度もあった。
日本人の金融資産は外国人に奪われていずれなくなるが、今度は住む場所、飲料水がなくなるかも知れない。
日本人は自分の国土と思っている幻想にとらわれている。
死が目前に迫っていても、われわれ資金のないものはなすすべがないのか!!
日本の国土は日本人が守るものと思っておられる方必読の書と思います。
2011年3月28日に日本でレビュー済み
第四章に『日本の無頓着』という章がありますが、まさにその通りです。
医療もそうですが、法律が出来た時と現状とがミスマッチしているのに、全く動こうとしません。
なぜ政治家たちは、動かないのでしょうか? 自分たちが死んだ後に起こる問題だから、どうでも良いと思ってるのでしょうか?
文豪チェーホフの四大劇の一つに、『今生きている人間が忍耐をすることによって、次の世代が救われる』といった趣旨の言葉がありますが、まさに今日本が忍耐して、後世に良い環境を与えるべきだと思います。
医療もそうですが、法律が出来た時と現状とがミスマッチしているのに、全く動こうとしません。
なぜ政治家たちは、動かないのでしょうか? 自分たちが死んだ後に起こる問題だから、どうでも良いと思ってるのでしょうか?
文豪チェーホフの四大劇の一つに、『今生きている人間が忍耐をすることによって、次の世代が救われる』といった趣旨の言葉がありますが、まさに今日本が忍耐して、後世に良い環境を与えるべきだと思います。
2014年12月13日に日本でレビュー済み
「これからは、顔の見えない森林所有者や地域とは直接縁のない森林所有者が
増えていく。それを想定した資源政策の必要性を強調したい。なぜなら、水とも
つながる森林は生命の維持に不可欠な資源であり、地域にとって、また下流域に
とってかけがえのない社会的資本――基本インフラであるからだ」。
「日本における土地所有権(私的財産権)は実質的に絶対不可侵に近く、土地と
いう財産を保持することの効力はおそらくどの国よりも強い」。
そうした権利の保障が持つある種の陥穽をついた議論が的外れとは思わない。
地下水源をめぐる権利や法規制の不完備についての指摘も極めて妥当。
地籍すらも公的に把握できていない、という点などはひたすら絶句させられる。
けれども、本書が孕む第一の危うさは、そもそも「なぜ森を買う?」との問い立てに
ついての回答が、あまりに論点先取で進められてしまう点にある。筆者は「水資源」に
大きなウェイトを見出そうとするのだが、言質が取れているわけでもなく、総じてみれば
憶測の域を出ない。
そもそもビジネスとして現状成立していないからこそ、「森林(林地+立木)がいま
不当に安い」という事態に陥っているわけで、いくら本書を読み進めても、なぜに
そんな不採算ジャンルに資本注入を図るのか、が杳として見えてこない。
「他には何もいらない。この美しい大地と森と水と生き物たちの世界があれば、
この地球で生きていくことができる」。
「森の力が森の中の生きとし生けるものの力が、日本人に多神教の世界を守り
通させたのである」。
本書の最大の危うさは何といっても、共著者の安田氏によるこれら文明論もどき。
略歴を参照するに、元官僚の平野氏が現状や法整備の話を担当し、安田氏が
自然科学の知見から森林を失う弊害を受け持つのか、と思いきや、氏が担うことと
いえば、抽象的で時に過激な文明批判。
「マッカーサーは日本を共産主義に対決するキリスト教の理想郷にしたいという
野望に燃えてやってきた。/彼がまず手をつけたことは、神道から魂を抜き去る
ことであった。以来、神官はみずからの哲学を語ることなく、仏教は葬式儀礼の宗教に
堕落していった。……一方、マルクス史観に対しては、マッカーサーは寛容な態度を
とった。伝統宗教を否定するマルクス史観は、日本人から伝統的な宗教心を葬り
去ろうとするマッカーサーには都合がよかったからである」。
なんだろう、この陰謀論と妄想と自然崇拝の混合物は。
そしてさらなる驚愕は、この聖典の著者が紫綬褒章の受章者であるということ。
こんなトンデモ論を盛り込んでしまった時点で、いかなる真っ当な危機意識も
すべて台なし。
増えていく。それを想定した資源政策の必要性を強調したい。なぜなら、水とも
つながる森林は生命の維持に不可欠な資源であり、地域にとって、また下流域に
とってかけがえのない社会的資本――基本インフラであるからだ」。
「日本における土地所有権(私的財産権)は実質的に絶対不可侵に近く、土地と
いう財産を保持することの効力はおそらくどの国よりも強い」。
そうした権利の保障が持つある種の陥穽をついた議論が的外れとは思わない。
地下水源をめぐる権利や法規制の不完備についての指摘も極めて妥当。
地籍すらも公的に把握できていない、という点などはひたすら絶句させられる。
けれども、本書が孕む第一の危うさは、そもそも「なぜ森を買う?」との問い立てに
ついての回答が、あまりに論点先取で進められてしまう点にある。筆者は「水資源」に
大きなウェイトを見出そうとするのだが、言質が取れているわけでもなく、総じてみれば
憶測の域を出ない。
そもそもビジネスとして現状成立していないからこそ、「森林(林地+立木)がいま
不当に安い」という事態に陥っているわけで、いくら本書を読み進めても、なぜに
そんな不採算ジャンルに資本注入を図るのか、が杳として見えてこない。
「他には何もいらない。この美しい大地と森と水と生き物たちの世界があれば、
この地球で生きていくことができる」。
「森の力が森の中の生きとし生けるものの力が、日本人に多神教の世界を守り
通させたのである」。
本書の最大の危うさは何といっても、共著者の安田氏によるこれら文明論もどき。
略歴を参照するに、元官僚の平野氏が現状や法整備の話を担当し、安田氏が
自然科学の知見から森林を失う弊害を受け持つのか、と思いきや、氏が担うことと
いえば、抽象的で時に過激な文明批判。
「マッカーサーは日本を共産主義に対決するキリスト教の理想郷にしたいという
野望に燃えてやってきた。/彼がまず手をつけたことは、神道から魂を抜き去る
ことであった。以来、神官はみずからの哲学を語ることなく、仏教は葬式儀礼の宗教に
堕落していった。……一方、マルクス史観に対しては、マッカーサーは寛容な態度を
とった。伝統宗教を否定するマルクス史観は、日本人から伝統的な宗教心を葬り
去ろうとするマッカーサーには都合がよかったからである」。
なんだろう、この陰謀論と妄想と自然崇拝の混合物は。
そしてさらなる驚愕は、この聖典の著者が紫綬褒章の受章者であるということ。
こんなトンデモ論を盛り込んでしまった時点で、いかなる真っ当な危機意識も
すべて台なし。