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銀行王 安田善次郎: 陰徳を積む (新潮文庫) 文庫 – 2013/5/27
北 康利
(著)
日本を代表するメガバンク・みずほフィナンシャルグループ。この巨大企業の礎を築いた安田善次郎は、渋沢栄一らと共に国立銀行の設立に尽力し「元祖銀行王」と称されている。富山の貧しい下級武士の生まれながら、たった一代で巨万の富を掌中にした安田が如何なる時も肝に銘じた「陰徳」とは――。混迷の時代に生きるビジネスマン必読。『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』改題。
- 本の長さ364ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2013/5/27
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101274916
- ISBN-13978-4101274911
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2013/5/27)
- 発売日 : 2013/5/27
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 364ページ
- ISBN-10 : 4101274916
- ISBN-13 : 978-4101274911
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 196,042位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 3,920位新潮文庫
- - 33,821位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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昭和35年12月24日生まれ。東京大学法学部卒業後、昭和59年、富士銀行入行。平成11年、富士証券投資戦略部長就任。その後、みずほ証券財務開発部 長などを経て、平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。『白洲次郎―占領を背負った男』(第14回山本七平賞受賞、講談社)など著書 多数。関西学院大学非常勤講師(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『安奈淳物語 私は歌う、命ある限り』(ISBN-10:4569778399)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年5月16日に日本でレビュー済み
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明治の実業家は徒手空拳で這い上がる人が多いので、とても面白い。
2022年12月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本作は金融王・安田善次郎の物語である。安田は、みずほ銀行の前身の富士銀行のそのまた前身である安田銀行の創業者である。明治安田生命の創業者でもある。
スケールの大きい人物であった。それゆえ、一般人には理解されないことも多かったが、本人はそんなことは意に介さず社会のために、国家のために無理難題も引き受けた。寄付などは匿名で行った。それゆえ世間に誤解された節があるが、匿名でなければ嫉妬されたに違いない。どのみち彼の目線を世間は理解できなかったであろう。
維新を成し遂げたとはいえ、明治政府にはお金がなかった。それを金融面で支えた陣列のトップが安田であった。彼がいなければ明治時代の繁栄はなかったかもしれない。
人物の評価は難しい。ある側面からは善人でも、逆側から見れば悪人かもしれない。したがって、著者の人物評が真実とは思わないが、その人物を知ることができる点で北康利氏の著書はためになる。しかも、読者を惹きつける筆力を持っている。
スケールの大きい人物であった。それゆえ、一般人には理解されないことも多かったが、本人はそんなことは意に介さず社会のために、国家のために無理難題も引き受けた。寄付などは匿名で行った。それゆえ世間に誤解された節があるが、匿名でなければ嫉妬されたに違いない。どのみち彼の目線を世間は理解できなかったであろう。
維新を成し遂げたとはいえ、明治政府にはお金がなかった。それを金融面で支えた陣列のトップが安田であった。彼がいなければ明治時代の繁栄はなかったかもしれない。
人物の評価は難しい。ある側面からは善人でも、逆側から見れば悪人かもしれない。したがって、著者の人物評が真実とは思わないが、その人物を知ることができる点で北康利氏の著書はためになる。しかも、読者を惹きつける筆力を持っている。
2015年7月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
自営ならびに企業を経営される方はすべからく読んでおいた方が良いと思いました。
否、商売に携わるすべての人が読んでおいて損はない。
この銀行王は、勤勉さ、丹念さ、丁寧さ、忍耐力等、商人に必要な要素すべてを持ってらっしゃる。
商売が余りに上手すぎて摩擦を引き起こしてしまったのか、銀行王の最期はなにかを考えさせてくれる。
否、商売に携わるすべての人が読んでおいて損はない。
この銀行王は、勤勉さ、丹念さ、丁寧さ、忍耐力等、商人に必要な要素すべてを持ってらっしゃる。
商売が余りに上手すぎて摩擦を引き起こしてしまったのか、銀行王の最期はなにかを考えさせてくれる。
2013年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
全く新鮮な感じで読み進められました。
最後がとても残念な人生。
生きていたら別の今があったかも。
最後がとても残念な人生。
生きていたら別の今があったかも。
2013年11月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
安田善次郎の伝記として興味深く読むことができた。深堀りはないが一般人にも読みやすくよい本だと感じます。
2010年10月9日に日本でレビュー済み
安田善次郎という人が築いた財産がどれほどのものか、亡くなった当時の資産は2億円。
大正10年の年間国家予算は15億9,100万。国家予算の1/8に相当する富を1代で築いた
個人資産家です。
一般には、「ケチ」と呼ばれて、そのためにも誤解を生み、
最後は社会運動家を名乗る男に刺されて悲劇的な死を迎えるのです。
日本経済を作りだした「金融の神様」であり、金を無造作にばらまくのではなく、
生かして使う。企業を支える黒子に徹するのが銀行の役目である、との信念を貫きます。
伝記ものの楽しさは、その人の子供時代、若いころに触れられることです。
子供の頃から心がけが違っているし、健気だなー、すごいなー、ほほえましい。
厳しい父から自分を律して勤倹を旨とし、向上心を持って日々を送る大切さを
徹底的にたたきこまれた。
特に「陰徳を積め」誰にも知られずとも人のためになることを、
黙々と行っていくことこそ人格は磨かれていく。
この父の教えを、大金持ちになっても終生肝に銘じて実践していくんです。
大富豪となっても、質素な生活を守りつづけたくさんの親孝行をします。
銀行家として、国立銀行をどんどん開業していき、近代的銀行制度を充実させていきました。
そして、今の日銀立ち上げに全力を傾ける。
それから、銀行の経営指導、破たん銀行の経営再建、不良債権処理に手腕を発揮します。
数多くの銀行再建をおこなって、金融界の危機を救うのです。
安田銀次郎がいかに銀行家としてすぐれていたか、大きな功績を残したかは、
著者自身が銀行出身なので感嘆しながら、わかりやすく描かれています。
潤沢な資金で社会資本整備に尽力。鉄道網整備や惚れ込んだ人材、大きな事業を
やってのける人にはとことん、融資をし、応援し、亡くなった後も面倒をみました。
安田善次郎の成功のキーワードは、「勤倹 克己心 向上心」
たいていの人は、自分はこれをやった、これだけやった、自分のしたことを
自己PRされるのではないでしょうか。
陰徳を積みながらも、世間には誤解されることもあり、報われなかったことが残念ですが、
「積善の家に必ず余慶あり」(易経)と、いいますが、安田財閥はその後も善次郎の
陰徳の余慶によって、繁栄をつづけるんですね。
偉人の伝記というのは、死後、えてして美化されることもありますが、
同じ人間として、または、日本人として、これだけ素晴らしい人がいたんだ、
こんな知恵と勇気と行動があったんだ、自分たちも頑張ろうと背中を押されます。
大正10年の年間国家予算は15億9,100万。国家予算の1/8に相当する富を1代で築いた
個人資産家です。
一般には、「ケチ」と呼ばれて、そのためにも誤解を生み、
最後は社会運動家を名乗る男に刺されて悲劇的な死を迎えるのです。
日本経済を作りだした「金融の神様」であり、金を無造作にばらまくのではなく、
生かして使う。企業を支える黒子に徹するのが銀行の役目である、との信念を貫きます。
伝記ものの楽しさは、その人の子供時代、若いころに触れられることです。
子供の頃から心がけが違っているし、健気だなー、すごいなー、ほほえましい。
厳しい父から自分を律して勤倹を旨とし、向上心を持って日々を送る大切さを
徹底的にたたきこまれた。
特に「陰徳を積め」誰にも知られずとも人のためになることを、
黙々と行っていくことこそ人格は磨かれていく。
この父の教えを、大金持ちになっても終生肝に銘じて実践していくんです。
大富豪となっても、質素な生活を守りつづけたくさんの親孝行をします。
銀行家として、国立銀行をどんどん開業していき、近代的銀行制度を充実させていきました。
そして、今の日銀立ち上げに全力を傾ける。
それから、銀行の経営指導、破たん銀行の経営再建、不良債権処理に手腕を発揮します。
数多くの銀行再建をおこなって、金融界の危機を救うのです。
安田銀次郎がいかに銀行家としてすぐれていたか、大きな功績を残したかは、
著者自身が銀行出身なので感嘆しながら、わかりやすく描かれています。
潤沢な資金で社会資本整備に尽力。鉄道網整備や惚れ込んだ人材、大きな事業を
やってのける人にはとことん、融資をし、応援し、亡くなった後も面倒をみました。
安田善次郎の成功のキーワードは、「勤倹 克己心 向上心」
たいていの人は、自分はこれをやった、これだけやった、自分のしたことを
自己PRされるのではないでしょうか。
陰徳を積みながらも、世間には誤解されることもあり、報われなかったことが残念ですが、
「積善の家に必ず余慶あり」(易経)と、いいますが、安田財閥はその後も善次郎の
陰徳の余慶によって、繁栄をつづけるんですね。
偉人の伝記というのは、死後、えてして美化されることもありますが、
同じ人間として、または、日本人として、これだけ素晴らしい人がいたんだ、
こんな知恵と勇気と行動があったんだ、自分たちも頑張ろうと背中を押されます。
2011年3月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
善次郎は幼い頃、父善悦から繰り返し薫陶を受けた。「奢りをきわめ欲望をほしいままにするのは
禽獣の生活と変わるところはない。限りない欲望を抑えて暮らしてこそ真の楽しみがあるのであり、
これを味わう生活でなければ人間と生まれて恥である」この父親あってこそ安田善次郎という人間
が生まれてきたのであろう。
銀行マンは縁の下の力持ちであることに誇りを持つべきと北氏はいう。本当は人一倍情が深いのだ
が、商売を続けていくうちに、時には非情であることも必要なのだと悟った人間こそが、商売人と
して大成する。
安田善次郎ほどの人物でも善三郎への禅定には失敗している。良く聞く話ではあるが、二代目の側
近と子飼いの古参社員との間に大きな溝ができる。やがては後継者として選んだ善三郎と絶縁状態
となってしまうのは残念なことであった。後藤新平と夢見た東京の都市改造計画は何ともスケール
の大きなものだった。朝日平吾の凶刃に倒れたのは悔やまれる。「小鳥ども笑わば笑えわれはまた
世の憂きことを聞かぬみみずく」残された言葉に善次郎の心境を慮る。丈夫は棺を蓋いて事はじめ
て定まるものである。
禽獣の生活と変わるところはない。限りない欲望を抑えて暮らしてこそ真の楽しみがあるのであり、
これを味わう生活でなければ人間と生まれて恥である」この父親あってこそ安田善次郎という人間
が生まれてきたのであろう。
銀行マンは縁の下の力持ちであることに誇りを持つべきと北氏はいう。本当は人一倍情が深いのだ
が、商売を続けていくうちに、時には非情であることも必要なのだと悟った人間こそが、商売人と
して大成する。
安田善次郎ほどの人物でも善三郎への禅定には失敗している。良く聞く話ではあるが、二代目の側
近と子飼いの古参社員との間に大きな溝ができる。やがては後継者として選んだ善三郎と絶縁状態
となってしまうのは残念なことであった。後藤新平と夢見た東京の都市改造計画は何ともスケール
の大きなものだった。朝日平吾の凶刃に倒れたのは悔やまれる。「小鳥ども笑わば笑えわれはまた
世の憂きことを聞かぬみみずく」残された言葉に善次郎の心境を慮る。丈夫は棺を蓋いて事はじめ
て定まるものである。
2010年10月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実は佐々木は安田生命にお世話になった昭和35年から52年の間、管理職そして外務教育部教官等を経験しています。
が当時安田善次郎翁の詳しい歴史を聞いたことが無く、改めて偉大さを感じながら読んでいます。
もっとも仕事に追われて、勉強どころでないことは事実であったが、懐かしく思いながら読むことができて、アマゾンさんのおかげと感謝しています。
当時はお孫さんの 安田 一氏が会長でした、下っ端の佐々木は近くに寄って話すことは無かったが、会議等ではよく出られて講義を聴くチャンスが幾たびかありました。
系列の富士銀行から社長に当時専務であった竹村吉衛門氏が社長として迎えられていました。
懐かしいことが浮かんでは消えてゆくこの頃です。
が当時安田善次郎翁の詳しい歴史を聞いたことが無く、改めて偉大さを感じながら読んでいます。
もっとも仕事に追われて、勉強どころでないことは事実であったが、懐かしく思いながら読むことができて、アマゾンさんのおかげと感謝しています。
当時はお孫さんの 安田 一氏が会長でした、下っ端の佐々木は近くに寄って話すことは無かったが、会議等ではよく出られて講義を聴くチャンスが幾たびかありました。
系列の富士銀行から社長に当時専務であった竹村吉衛門氏が社長として迎えられていました。
懐かしいことが浮かんでは消えてゆくこの頃です。