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宮沢賢治の真実 ―修羅を生きた詩人 (新潮文庫) 文庫 – 2020/3/27
今野 勉
(著)
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猥、嘲、凶、呪……
不穏な文字が並ぶ詩と出会い、著者は賢治の本心を探り始めた。
信心深く自然を愛した自身を、なぜ「けだもの」と呼んだのか。?
醜聞にまみれ、病床でも自己内省を続けた妹の姿に、賢治は何を思ったのか?
名作『銀河鉄道の夜』の中に秘めた欲望とは一体何か?
緻密かつ周到な取材による謎解きの果て、修羅と化した賢治の“真実"に辿りつく。
ドキュメンタリストの執念が実った圧倒的ノンフィクション!
不穏な文字が並ぶ詩と出会い、著者は賢治の本心を探り始めた。
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緻密かつ周到な取材による謎解きの果て、修羅と化した賢治の“真実"に辿りつく。
ドキュメンタリストの執念が実った圧倒的ノンフィクション!
- 本の長さ512ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2020/3/27
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101019711
- ISBN-13978-4101019710
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登録情報
- 出版社 : 新潮社; 文庫版 (2020/3/27)
- 発売日 : 2020/3/27
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 512ページ
- ISBN-10 : 4101019711
- ISBN-13 : 978-4101019710
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 96,187位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,161位新潮文庫
- - 15,918位文学・評論 (本)
- - 19,190位ノンフィクション (本)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年11月5日に日本でレビュー済み
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これまで全く知らなかった宮沢賢治さんのことをこの本を読んで知りました。宮沢賢治さんの片想いが切なくて泣きそうになりました。
2021年2月4日に日本でレビュー済み
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宮沢賢治について、ここまで調べあげ、解読をすることができた人は、恐らく賢治以外にはいなかったろう。NHK の特別企画番組をたまたま見て知った真実の宮沢賢治が、この書籍にはさらに熱く詳しく書かれていた。後書きに書かれていたとおり、これは偶然のなす技ではあるが、私にとって何らかの意味のあるものであろう。この本に出会えて本当にようによかった。
2023年4月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
宮澤トシ(詩の中では「とし子」)と言えば、「永訣の朝」その他の詩に歌われ、高村智恵子と並んで、日本近代文芸上に清冽なイメージをとどめる女性です。そのため、聖女のように思われるからでしょう、学生時代に恋愛事件を起こしていたことは、一般にはあまり知られていません。
本書は、綿密な調査に基づき、おそらく刊本の中では一番詳細にこの事件を記したものです。もちろん、賢治についての他のことも論じられていますが、それはどうか? また、「自省録」と呼ばれることになったトシ自身の文章についての読み方など、私には違和感が持たれます。ここに現れている自分自身を壊しかねないほど強烈な倫理観こそ、兄・賢治と共通しているので、むしろ賢治のほうこそ、妹の影響を受けたんじゃないかと思えるんですが。
そして、「絶対真理」を求める旅の同行者とも頼む彼女を失った喪失感は、単なる感傷をはるかに超えて、賢治文学の根底に横たわるものだと感じられます。改めてそう思わせてくれたところに、本書の値打ちがあります。
本書は、綿密な調査に基づき、おそらく刊本の中では一番詳細にこの事件を記したものです。もちろん、賢治についての他のことも論じられていますが、それはどうか? また、「自省録」と呼ばれることになったトシ自身の文章についての読み方など、私には違和感が持たれます。ここに現れている自分自身を壊しかねないほど強烈な倫理観こそ、兄・賢治と共通しているので、むしろ賢治のほうこそ、妹の影響を受けたんじゃないかと思えるんですが。
そして、「絶対真理」を求める旅の同行者とも頼む彼女を失った喪失感は、単なる感傷をはるかに超えて、賢治文学の根底に横たわるものだと感じられます。改めてそう思わせてくれたところに、本書の値打ちがあります。
2020年4月12日に日本でレビュー済み
解説につられて読んだところ、確かに綿密な調査が熱く面白い。著者の調査活動に凄みを感じて引き込まれた。一方、検証内容は、根拠の決めつけや論理の飛躍が鼻をつき、時代考証があまり提示されていないことと相まって、「本当にそうなの?」という違和感が残るテレビ番組ドキュメンタリー風だった。当時の風俗から推測すると、保坂に精神的な繋がりを希求したのはあったとしても、童話にまで拡大解釈した論拠は弱い。友人を宗教に誘うよくある話、と引いて考えてなんら違和感無し。後半は読み物としてのエンターテイメントを追求したような気がする。
2020年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
驚愕した。宮沢賢治の詩や小説はわかりにくかったのだが、従来の素朴な農民や自然への愛着、テクノロジーや未来への憧れみたいなイメージは正確ではなく、物凄い「修羅」の地獄で、もがき苦しむ心情がこめられていたのだ。友人への愛着の話は、菅原氏の本で指摘され、妹トシの手記も出版されてはいたのだが、両者を組み合わせることで、賢治の初期の詩や小説の一言一句にこめられた意味が、初めて、詳しく解明されたのだ。180度逆転というくらいに変わってくる。同性の友への肉欲を伴う激しい恋情、決して報われないことの絶望、一方、同じく失恋と醜聞に苦しみ、精神的克服にもがく妹への深い同情と同志にも似た愛。心に浮かぶイメージ、心象スケッチとしての賢治の作品は、普通の意味での文芸作品ではなく、テクスト論など無力、賢治のその時々の活動や心情に寄り添うことで初めて理解できるわけだ。著者の執念と深い賢治愛に脱帽。
2020年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ジャーナリストの立場から書かれた内容はとても興味深く今までにない宮澤賢治と出会ったと思います。
2021年2月28日に日本でレビュー済み
今年の1月23日(金)と1月24日(土)に、各90分(計180分)の「映像詩 宮澤賢治 銀河への旅 ~ 慟哭の愛と祈り ~ (前編)(後編)」がNHKのBS3であり、録画を撮っておいて、本日(2月27日(土))、本書(『宮沢賢治の真実-修羅を生きた詩人』(今野勉著、令和2年4月1日、新潮文庫))読了後に見ました。本書同様、この映像詩も興味深く見ました。その番組の「参考文献」が本書のみであったり、ディレクターが今野勉で、製作・著作にテレビマンユニオンがNHKとともに併記されていたりで、この番組の今野勉と本書の関りの深さが現れていました。映像では、本書ほど、細部の詰めが細かくなく、全体としては大雑把な印象は受けましたが、保坂嘉内に関しては、彼の旧制中学時代の様々な活動・文章等も紹介されていて、盛岡高等農林時代も含めて、その思想と行動が宮沢賢治のその後の思想と行動をけっこう規定していた(その発想の原点となった)ということが分かりました(映像では、妹・とし子に関する部分は、本書と比較してですが、その省略の度合いが激しかったようにも感じられました)。
また、あの時代は、ちょうど「大正デモクラシー」(1910年代から20年代で、ほぼ大正年間に相当するようです)の時代でもあり、白樺派(武者小路実篤、有島武郎等)やトルストイ、人道・博愛主義、キリスト教等々の影響も上層市民の間には流行っていたようですし、上記「映像詩」でも、保坂嘉内の文章・言葉にも、「自己犠牲」や「美的百姓(これは、賢治の「農民芸術概論」にも通じるのでしょう)」、「みんなのほんとうの幸せ」等があったようですから、それら時代背景の問題や嘉内の大きな影響は無視できないでしょう。
では、標題に関してですが、本書を読んでいると、賢治の多忙さはあると思いますが、妹・とし子の失恋やその後の様々な苦難・苦悩に適切に対処してやれなかったことや、嘉内に対する一方的な「恋文」や嘉内の賢治に対する態度に関しての「不感症」的な面も、彼の「天才」としての一面を表しているのかも知れませんが、対人関係(言葉・文章等々を含めての)のコミュニケーション的側面を極めて軽視しているように感じられます、つまり、相手の心情を「忖度」する能力・態度に若干欠けている面が若干ありはしないか、ということです。賢治にとって、全ての出来事が彼の「頭の中のできごと」ではないかという気がします(養老孟子の『唯脳論』(未読)という著作もあるようですから、極端に言えば、すべては「脳内現象」ということが言えるのかも知れませんが)。保坂嘉内も妹・とし子も、それをうすうす感じていたような節さえ感じます。それに言及している文章を今野勉と解説者・首藤淳哉の文章からそれぞれ長くなく引用します。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
本書については、嘉内との「恋」の詳細な検討(「修羅」という言葉は、この「同性愛」的な関係に発するという考えが、私は腑に落ちました。ただ、当時の日本で「同性愛」的関係がどのような扱いを受けていたのかは、私には判然としませんし、意外と「戦後日本」より「開けていた」ということも無きにしも非ずかな、という感じもしないこともありません。日本は昔から、「けっこうな男色天国だ」みたいな言説もありますから)や、ケンタウル祭の土星とケンタウルス座の「逢引」等の追求・検討には、しつこさ絶好調で絶賛ですし、また、「狎れて嘲笑める」「マサニエロ」についての探求のシツコサは言うに及ばないでしょう。本書は、書評者の読んだ数少ない賢治論のうちでも、見田宗介の『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』(20世紀思想家文庫 12、1984年2月29日第1刷発行、岩波書店)に匹敵する傑作だと考えています(見田宗介の本には、保坂嘉内との「恋」の話は全く出てきていないと思います)。ちくま文庫の宮沢賢治全集(全10巻)で未読の『9 書簡』と『10 農民芸術概論/手帳/ノート/他』についても読もうという気になってきました。また、本書の中でも引用・紹介されている『宮沢賢治の青春 “ ただ一人の友 ” 保坂嘉内をめぐって』(菅原千恵子、宝島社、1994年)も、刊行当初、買おうかどうしようか迷っていたことが思い出されますが、本書を読んでしまいましたので、もう買うことはないでしょう。
では引用を始めます。まずは今野勉の文章から。
【 「 考えてみれば詩「マサニエロ」の、「城のすすきの波の上」「伊太利亜製の空間」「(ロシアだよ、チェホフだよ)」などの詩句は、突拍子もなく現れ、解釈しようにも手がかりすらない。文語詩[ 狎(な)れて嘲笑(あざ)める ]も、言葉だけ取りあげても理解不可能なのだ。
もちろん、「マサニエロ」や[ 狎れて嘲笑める ]は、「労働の合間の遊び」や「楽しい遊戯」ではない。むしろ「決死のわざ」のうちに入るのかもしれない。いずれにしろ賢治の詩は、私たちがよく使う「自己表現」とは違うようなのだ。自分が感じたことや考えていることを、理解してもらうための表現ではない。
賢治は、自分が書いているものは詩ではない、とこだわった。最初の詩集『春と修羅』が出版されたとき、「心象スケッチ」とあるべきところが「詩集」とされてしまい、その文字を銅粉で消したとも伝えられている。
童話もまた、「心象スケッチ」の延長線上にあるのだろう。「ケンタウル祭」も「ジョバンニの切符」も、そして「水晶のお宮」も「空の工兵大隊」も、理解してもらうための配慮はどこにもない。すべては、賢治の心の中にあるだけなのだ。」(P.484 ~ P.485) 】
次に首藤淳哉の「解説」から引用します。
【 「 本書は文学作品の読み方の素晴らしいお手本でもある。賢治の作品には、わかりにくい表現や意味不明な言葉が、唐突に出てくることがよくある。最初の作品『春と修羅』が出版された時も、賢治は詩集ではなく「心象スケッチ」と呼ぶことにこだわった。どうやら「自分だけがわかっていればそれでいい」ということらしい。これは現代の私たちが考える「自己表現」とはまったく違うものだ。私たちの言う「自己表現」は、他者の評価を前提としている。小説でもドラマでも、最近はとかく「わかりやすい」作品ばかり求められるが、これも受け手の評価を前提とした発想だ。だが、賢治は違う。
人生を襲った理不尽な出来事について、なぜそれが起きたのか、その意味するところは何かを苦しみながら考え抜き、創作物へと昇華させた。賢治が生み出した一連の作品は、まず何よりも、自分のために書かれたものなのかもしれない。にもかかわらず、それが独りよがりに陥っていないのは、賢治が己を極限まで突き詰めているからではないか。個を突き詰めた果てに、普遍性が現れる。著者はこの一見わかりにくいきわめてパーソナルな賢治の表現をそのまま受けとめ、まぜそのように書かざるを得なかったのか、その時々の賢治が置かれていた状況や気持ちを理解しながら解き明かしていく。本書は文学作品の深い味わい方のすぐれた実践でもある。」(P.507 ~ P.508) 】
首藤は、「これも受け手の評価を前提とした発想だ。だが、賢治は違う」と賢治を絶賛していますが、賢治は「受け手の評価」を気にしなくてもよい境遇に居られたということでもあるのでしょう。「文筆活動」で食っていく必要が無かったのでしょう、そこが非常に重要な問題です。賢治は「己を極限まで突き詰め」られる境遇に居たということです、明日の「米」を気にしなくても。確かに、賢治の作品は「普遍性」を獲得しているのでしょう、その生き方が「普遍性」を獲得できたかどうかは、知りません。
ここで、宮沢賢治がその「社会的境遇」で落ち入った「罠」に関する文章を、上記した見田宗介の著書(『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』)から引用します。その著書の「第四章 舞い降りる翼」(P.207 ~ P.253)の「二 百万匹のねずみたち ―― 生活の鑢(やすり)/生活の罠(わな)」(P.224 ~ P.235)の中の文章です。
【 「 『業の花びら』というかつての詩稿の下書稿のひとつの余白に、賢治はおそらくこの時期に、つぎのような書込みをびっしりとたたきつけている(208頁図版参照)。
あの重いくらい層積雲のそこで北上山地の一つの稜を砕(くだ)き まっしろな石灰岩抹の億噸(トン)を得て
幾万年の脱滷(だつろ)から異常にあせたこの洪積の大地に与へつめくさの白いあかりもともし
はんや高萱(たかがや)の波をひらめかすと云ってもそれを実行に移したときに
ここらの暗い経済は
恐らく微動も
しないだろう
落葉松(からまつ)から夏を冴(さ)え冴えとし銀ドろの梢から雲や風景を[ 制 ]し
まっ青な稲沼の夜を強力の電灯とひまわりの花から照射させ鬼げしを燃し(二字分空白)をしても
それらが楽しくあるためにあまりに世界は歪んでゐる
<それらが楽しくあるためにあまりに世界は歪んでいる>のは、社会の階級のゆがみだけでなく、(そのことに規定はされているとしても)農民たちの生活の共同性それ自体の歪み、その<自然性>からの剥離(はくり)と屈折の巨大さに対しての絶望でもあったはずである。(この<自然性>それ自体がふたたび、規範として純化されたかぎりでの「自然」の≪理念≫に他ならないということは、ここではべつの問題である)。
農民たちのこの位相にたいする賢治の態度にどのような動揺があったにしても、 ―― つまりひとびとのそれをどのように怒り、あるいは愛し、あるいはただ事実として容認しようとしたとしても、賢治自身は、けっして「生活」のこの功利計算の地平にその身を置くということはなく、<羅須地人協会>の活動の全期間をとおして、そこからの無垢(むく)をけっぺきに守りとおそうとした。賢治が協会の主要な活動の形態とした肥料相談は、一切無償でおこなわれたし、百姓たちがそれではすまないとせんべいの一包みを置いていったりすると、賢治はそれを集会に来た人びとに食べてもらった。そしてせんべいやソバをくれた人の名を必ずきいておき、あとから草花の種とか苗とかをちゃんと返しに出したという。また賢治は<地人協会>で農耕にも従事していたが、その作物を売却するというのではなく、自分で消費する分のほかは、リヤカーを引いて「町内に配給」したりしていた。
これらの挿話は、賢治の無欲を示すものとしてつたえられているし、それはそのとおりだけれども、賢治がほんとうの下層農民とは≪ちがって≫こういうことができたのは、中村稔が指摘するように、賢治がじぶんで生活のために稼ぐということをしなくても生きられたからである。賢治は教員時代でさえ、給与はレコード代、書籍代などに使ってしまって、生活は親に依存していた。<羅須地人協会>の土地建物自体をはじめ一切の経済援助を、賢治は商家である父母に期待することができた。
それは<甘え>であるということももちろんできる。それは正しいが、その<生計>を人びとの慈悲にゆだねきるというかたちでみずからを功利の外にげんみつに保つインドの<聖者>の生き方を、日本近代の社会の中で可能な形で獲得したのだともいえる。賢治にこれができたのは独身(プラフマチャリヤ)をとおしたからでもある。それは賢治の意志でもある。「大人」のする二つの仕事 ―― ≪生殖≫と≪生計≫の営為にその身体を汚さぬということによって、<子供でありつづけること>を、賢治はひとつの思想として選んだのである。あるいはあえていうならば、賢治の資質がその境遇の中で、ほとんど無意識に選びとらせた生き方の戦略であった。
これだけのことをここで認めたうえでなお、わたしたちは、つぎのように言わなければならないだろう。賢治がその生計を父親の<家>にゆだねることをとおしてその<無垢>を守りとおしたということは、功利というかたちの生活の重力を≪間接の≫ものとすることによって、いわば≪延べ払い≫にしただけであり、賢治はこのことの代償を、いつかは自分の思想と実践の桎梏(しっこく)としてたちあらわれるものとして支払わねばならないはずのものであった。わたしたちは、のちにみるだろう。
けれども≪このときの≫賢治の活動は、この延べ払いの決算をもとめられるよりももっと≪手前のところで≫、「生活」のもうひとつの罠(わな)にその足をすくわれて破綻(はたん)を来たしてしまう。前節でみてきたように、賢治は協会の活動の無償性をつらぬく一方で、<粗食と労働>だけは現実の下層農民に限りなく近いと観念されるところにまで同致していた。けれども賢治の、富豪の御曹司としての社会的存在を集約している≪身体≫は、下層農民のそれとおなじではありえなかった。賢治はたとえば、農耕のつかれが「頭脳の働きを低下する」という単純な事実にさえあらためて愕(がく)然としなければならなかった。」(P.228 ~ P.231) 】
「わたしたちは、のちにみるだろう。」は、是非ご自分で「見て」ください。
「「大人」のする二つの仕事 ―― ≪生殖≫と≪生計≫の営為」は、この見田宗介の著書で学んだ大きな事項の一つです。この「大人」は「人間」としても大きな間違いではないと思っています。賢治は、ビジタリアンだったようですが、その食事内容があまり芳しくなくて、それも彼の寿命を縮ませた原因のようだ、というのをBSの番組「英雄たちの選択」か何かで見ました。
最後に、今野勉の著書で教えられたことについて、いくつか追加します。
「リンゴの中を走る汽車」というイメージは、上記の見田宗介の著書を読んで、それに啓発されて、宮沢賢治の文章をちくま文庫で読み始めてから、ずっと良く分からないものだったのですが、本書で明瞭に理解できました。「林檎の「心環」(芯の部分)は品種によって形が異なる。「祝」の心環は紡錘形で、まるで凸レンズのようだった。東京に戻った私は、撮影した「祝」の心環を斜めにし、『科学体系』の螺状星雲の写真に重ねてみた。ぴったり合うではないか。」(P.355)ということでした。
また、親鸞の浄土真宗と「妙法蓮華経」の日蓮宗のちがいとして、次のように簡単にまとめていました。「両者の一番の違いを簡潔に言えば、死後に極楽浄土に行くか、現世での救済を求めるか、ということにある」(P.149)と。したがって、今日の日蓮宗各派は「現生ご利益」に執着するということになるのでしょう。
やはり、最後に再度、保坂嘉内との「恋」での「修羅」でしょうか。そして、妹・とし子の「自省録」も「収穫」でした。
また、あの時代は、ちょうど「大正デモクラシー」(1910年代から20年代で、ほぼ大正年間に相当するようです)の時代でもあり、白樺派(武者小路実篤、有島武郎等)やトルストイ、人道・博愛主義、キリスト教等々の影響も上層市民の間には流行っていたようですし、上記「映像詩」でも、保坂嘉内の文章・言葉にも、「自己犠牲」や「美的百姓(これは、賢治の「農民芸術概論」にも通じるのでしょう)」、「みんなのほんとうの幸せ」等があったようですから、それら時代背景の問題や嘉内の大きな影響は無視できないでしょう。
では、標題に関してですが、本書を読んでいると、賢治の多忙さはあると思いますが、妹・とし子の失恋やその後の様々な苦難・苦悩に適切に対処してやれなかったことや、嘉内に対する一方的な「恋文」や嘉内の賢治に対する態度に関しての「不感症」的な面も、彼の「天才」としての一面を表しているのかも知れませんが、対人関係(言葉・文章等々を含めての)のコミュニケーション的側面を極めて軽視しているように感じられます、つまり、相手の心情を「忖度」する能力・態度に若干欠けている面が若干ありはしないか、ということです。賢治にとって、全ての出来事が彼の「頭の中のできごと」ではないかという気がします(養老孟子の『唯脳論』(未読)という著作もあるようですから、極端に言えば、すべては「脳内現象」ということが言えるのかも知れませんが)。保坂嘉内も妹・とし子も、それをうすうす感じていたような節さえ感じます。それに言及している文章を今野勉と解説者・首藤淳哉の文章からそれぞれ長くなく引用します。傍点、傍線、まるぼしは、≪ ≫で代替します。引用文全体は、【 】で囲みます。引用文中の引用は、< >で囲みます。
本書については、嘉内との「恋」の詳細な検討(「修羅」という言葉は、この「同性愛」的な関係に発するという考えが、私は腑に落ちました。ただ、当時の日本で「同性愛」的関係がどのような扱いを受けていたのかは、私には判然としませんし、意外と「戦後日本」より「開けていた」ということも無きにしも非ずかな、という感じもしないこともありません。日本は昔から、「けっこうな男色天国だ」みたいな言説もありますから)や、ケンタウル祭の土星とケンタウルス座の「逢引」等の追求・検討には、しつこさ絶好調で絶賛ですし、また、「狎れて嘲笑める」「マサニエロ」についての探求のシツコサは言うに及ばないでしょう。本書は、書評者の読んだ数少ない賢治論のうちでも、見田宗介の『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』(20世紀思想家文庫 12、1984年2月29日第1刷発行、岩波書店)に匹敵する傑作だと考えています(見田宗介の本には、保坂嘉内との「恋」の話は全く出てきていないと思います)。ちくま文庫の宮沢賢治全集(全10巻)で未読の『9 書簡』と『10 農民芸術概論/手帳/ノート/他』についても読もうという気になってきました。また、本書の中でも引用・紹介されている『宮沢賢治の青春 “ ただ一人の友 ” 保坂嘉内をめぐって』(菅原千恵子、宝島社、1994年)も、刊行当初、買おうかどうしようか迷っていたことが思い出されますが、本書を読んでしまいましたので、もう買うことはないでしょう。
では引用を始めます。まずは今野勉の文章から。
【 「 考えてみれば詩「マサニエロ」の、「城のすすきの波の上」「伊太利亜製の空間」「(ロシアだよ、チェホフだよ)」などの詩句は、突拍子もなく現れ、解釈しようにも手がかりすらない。文語詩[ 狎(な)れて嘲笑(あざ)める ]も、言葉だけ取りあげても理解不可能なのだ。
もちろん、「マサニエロ」や[ 狎れて嘲笑める ]は、「労働の合間の遊び」や「楽しい遊戯」ではない。むしろ「決死のわざ」のうちに入るのかもしれない。いずれにしろ賢治の詩は、私たちがよく使う「自己表現」とは違うようなのだ。自分が感じたことや考えていることを、理解してもらうための表現ではない。
賢治は、自分が書いているものは詩ではない、とこだわった。最初の詩集『春と修羅』が出版されたとき、「心象スケッチ」とあるべきところが「詩集」とされてしまい、その文字を銅粉で消したとも伝えられている。
童話もまた、「心象スケッチ」の延長線上にあるのだろう。「ケンタウル祭」も「ジョバンニの切符」も、そして「水晶のお宮」も「空の工兵大隊」も、理解してもらうための配慮はどこにもない。すべては、賢治の心の中にあるだけなのだ。」(P.484 ~ P.485) 】
次に首藤淳哉の「解説」から引用します。
【 「 本書は文学作品の読み方の素晴らしいお手本でもある。賢治の作品には、わかりにくい表現や意味不明な言葉が、唐突に出てくることがよくある。最初の作品『春と修羅』が出版された時も、賢治は詩集ではなく「心象スケッチ」と呼ぶことにこだわった。どうやら「自分だけがわかっていればそれでいい」ということらしい。これは現代の私たちが考える「自己表現」とはまったく違うものだ。私たちの言う「自己表現」は、他者の評価を前提としている。小説でもドラマでも、最近はとかく「わかりやすい」作品ばかり求められるが、これも受け手の評価を前提とした発想だ。だが、賢治は違う。
人生を襲った理不尽な出来事について、なぜそれが起きたのか、その意味するところは何かを苦しみながら考え抜き、創作物へと昇華させた。賢治が生み出した一連の作品は、まず何よりも、自分のために書かれたものなのかもしれない。にもかかわらず、それが独りよがりに陥っていないのは、賢治が己を極限まで突き詰めているからではないか。個を突き詰めた果てに、普遍性が現れる。著者はこの一見わかりにくいきわめてパーソナルな賢治の表現をそのまま受けとめ、まぜそのように書かざるを得なかったのか、その時々の賢治が置かれていた状況や気持ちを理解しながら解き明かしていく。本書は文学作品の深い味わい方のすぐれた実践でもある。」(P.507 ~ P.508) 】
首藤は、「これも受け手の評価を前提とした発想だ。だが、賢治は違う」と賢治を絶賛していますが、賢治は「受け手の評価」を気にしなくてもよい境遇に居られたということでもあるのでしょう。「文筆活動」で食っていく必要が無かったのでしょう、そこが非常に重要な問題です。賢治は「己を極限まで突き詰め」られる境遇に居たということです、明日の「米」を気にしなくても。確かに、賢治の作品は「普遍性」を獲得しているのでしょう、その生き方が「普遍性」を獲得できたかどうかは、知りません。
ここで、宮沢賢治がその「社会的境遇」で落ち入った「罠」に関する文章を、上記した見田宗介の著書(『宮沢賢治-存在の祭りの中へ』)から引用します。その著書の「第四章 舞い降りる翼」(P.207 ~ P.253)の「二 百万匹のねずみたち ―― 生活の鑢(やすり)/生活の罠(わな)」(P.224 ~ P.235)の中の文章です。
【 「 『業の花びら』というかつての詩稿の下書稿のひとつの余白に、賢治はおそらくこの時期に、つぎのような書込みをびっしりとたたきつけている(208頁図版参照)。
あの重いくらい層積雲のそこで北上山地の一つの稜を砕(くだ)き まっしろな石灰岩抹の億噸(トン)を得て
幾万年の脱滷(だつろ)から異常にあせたこの洪積の大地に与へつめくさの白いあかりもともし
はんや高萱(たかがや)の波をひらめかすと云ってもそれを実行に移したときに
ここらの暗い経済は
恐らく微動も
しないだろう
落葉松(からまつ)から夏を冴(さ)え冴えとし銀ドろの梢から雲や風景を[ 制 ]し
まっ青な稲沼の夜を強力の電灯とひまわりの花から照射させ鬼げしを燃し(二字分空白)をしても
それらが楽しくあるためにあまりに世界は歪んでゐる
<それらが楽しくあるためにあまりに世界は歪んでいる>のは、社会の階級のゆがみだけでなく、(そのことに規定はされているとしても)農民たちの生活の共同性それ自体の歪み、その<自然性>からの剥離(はくり)と屈折の巨大さに対しての絶望でもあったはずである。(この<自然性>それ自体がふたたび、規範として純化されたかぎりでの「自然」の≪理念≫に他ならないということは、ここではべつの問題である)。
農民たちのこの位相にたいする賢治の態度にどのような動揺があったにしても、 ―― つまりひとびとのそれをどのように怒り、あるいは愛し、あるいはただ事実として容認しようとしたとしても、賢治自身は、けっして「生活」のこの功利計算の地平にその身を置くということはなく、<羅須地人協会>の活動の全期間をとおして、そこからの無垢(むく)をけっぺきに守りとおそうとした。賢治が協会の主要な活動の形態とした肥料相談は、一切無償でおこなわれたし、百姓たちがそれではすまないとせんべいの一包みを置いていったりすると、賢治はそれを集会に来た人びとに食べてもらった。そしてせんべいやソバをくれた人の名を必ずきいておき、あとから草花の種とか苗とかをちゃんと返しに出したという。また賢治は<地人協会>で農耕にも従事していたが、その作物を売却するというのではなく、自分で消費する分のほかは、リヤカーを引いて「町内に配給」したりしていた。
これらの挿話は、賢治の無欲を示すものとしてつたえられているし、それはそのとおりだけれども、賢治がほんとうの下層農民とは≪ちがって≫こういうことができたのは、中村稔が指摘するように、賢治がじぶんで生活のために稼ぐということをしなくても生きられたからである。賢治は教員時代でさえ、給与はレコード代、書籍代などに使ってしまって、生活は親に依存していた。<羅須地人協会>の土地建物自体をはじめ一切の経済援助を、賢治は商家である父母に期待することができた。
それは<甘え>であるということももちろんできる。それは正しいが、その<生計>を人びとの慈悲にゆだねきるというかたちでみずからを功利の外にげんみつに保つインドの<聖者>の生き方を、日本近代の社会の中で可能な形で獲得したのだともいえる。賢治にこれができたのは独身(プラフマチャリヤ)をとおしたからでもある。それは賢治の意志でもある。「大人」のする二つの仕事 ―― ≪生殖≫と≪生計≫の営為にその身体を汚さぬということによって、<子供でありつづけること>を、賢治はひとつの思想として選んだのである。あるいはあえていうならば、賢治の資質がその境遇の中で、ほとんど無意識に選びとらせた生き方の戦略であった。
これだけのことをここで認めたうえでなお、わたしたちは、つぎのように言わなければならないだろう。賢治がその生計を父親の<家>にゆだねることをとおしてその<無垢>を守りとおしたということは、功利というかたちの生活の重力を≪間接の≫ものとすることによって、いわば≪延べ払い≫にしただけであり、賢治はこのことの代償を、いつかは自分の思想と実践の桎梏(しっこく)としてたちあらわれるものとして支払わねばならないはずのものであった。わたしたちは、のちにみるだろう。
けれども≪このときの≫賢治の活動は、この延べ払いの決算をもとめられるよりももっと≪手前のところで≫、「生活」のもうひとつの罠(わな)にその足をすくわれて破綻(はたん)を来たしてしまう。前節でみてきたように、賢治は協会の活動の無償性をつらぬく一方で、<粗食と労働>だけは現実の下層農民に限りなく近いと観念されるところにまで同致していた。けれども賢治の、富豪の御曹司としての社会的存在を集約している≪身体≫は、下層農民のそれとおなじではありえなかった。賢治はたとえば、農耕のつかれが「頭脳の働きを低下する」という単純な事実にさえあらためて愕(がく)然としなければならなかった。」(P.228 ~ P.231) 】
「わたしたちは、のちにみるだろう。」は、是非ご自分で「見て」ください。
「「大人」のする二つの仕事 ―― ≪生殖≫と≪生計≫の営為」は、この見田宗介の著書で学んだ大きな事項の一つです。この「大人」は「人間」としても大きな間違いではないと思っています。賢治は、ビジタリアンだったようですが、その食事内容があまり芳しくなくて、それも彼の寿命を縮ませた原因のようだ、というのをBSの番組「英雄たちの選択」か何かで見ました。
最後に、今野勉の著書で教えられたことについて、いくつか追加します。
「リンゴの中を走る汽車」というイメージは、上記の見田宗介の著書を読んで、それに啓発されて、宮沢賢治の文章をちくま文庫で読み始めてから、ずっと良く分からないものだったのですが、本書で明瞭に理解できました。「林檎の「心環」(芯の部分)は品種によって形が異なる。「祝」の心環は紡錘形で、まるで凸レンズのようだった。東京に戻った私は、撮影した「祝」の心環を斜めにし、『科学体系』の螺状星雲の写真に重ねてみた。ぴったり合うではないか。」(P.355)ということでした。
また、親鸞の浄土真宗と「妙法蓮華経」の日蓮宗のちがいとして、次のように簡単にまとめていました。「両者の一番の違いを簡潔に言えば、死後に極楽浄土に行くか、現世での救済を求めるか、ということにある」(P.149)と。したがって、今日の日蓮宗各派は「現生ご利益」に執着するということになるのでしょう。
やはり、最後に再度、保坂嘉内との「恋」での「修羅」でしょうか。そして、妹・とし子の「自省録」も「収穫」でした。
2022年11月20日に日本でレビュー済み
調べたいことがあり、それを中心に斜め読み。
小中高の国語の教科書に必ず出てくる賢治作品、むろん、
私自身もその洗礼を受けて育っている。
「日本語で遊ぼ」教育テレビを娘と一緒に見て、
耳から入ってくる詩の言葉の響きに改めて好きになっていた賢治だったが、
これはドキュメンタリーなのか、ワイドショーなのか、
詳しさ、著者の熱意と解釈にはなるほどと思えるものの、
ここまで知らなくても、推理されなくても、検証しなくても、
別に良かったなあと正直思う。作品そのものは読みたいが、
作者の個人的な生活、背景、生育歴を知った上で作品を解釈したいとは思わない。
「真実」が大事だとも思わない。
読んでいて引き込まれるが、疲れる読書でもある。
小中高の国語の教科書に必ず出てくる賢治作品、むろん、
私自身もその洗礼を受けて育っている。
「日本語で遊ぼ」教育テレビを娘と一緒に見て、
耳から入ってくる詩の言葉の響きに改めて好きになっていた賢治だったが、
これはドキュメンタリーなのか、ワイドショーなのか、
詳しさ、著者の熱意と解釈にはなるほどと思えるものの、
ここまで知らなくても、推理されなくても、検証しなくても、
別に良かったなあと正直思う。作品そのものは読みたいが、
作者の個人的な生活、背景、生育歴を知った上で作品を解釈したいとは思わない。
「真実」が大事だとも思わない。
読んでいて引き込まれるが、疲れる読書でもある。