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行人 (集英社文庫) 文庫 – 2014/4/18
夏目 漱石
(著)
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気難しい性格で、家族にも煙たがられる学者の一郎。妻の直の節操を試すため、弟の二郎に、一晩ふたりでどこかに泊まることを依頼するが…。孤独な人間の姿を描く傑作。(解説/藤山直樹 鑑賞/小池昌代)
- 本の長さ530ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2014/4/18
- 寸法10.6 x 2 x 15.2 cm
- ISBN-104087520587
- ISBN-13978-4087520583
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2014/4/18)
- 発売日 : 2014/4/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 530ページ
- ISBN-10 : 4087520587
- ISBN-13 : 978-4087520583
- 寸法 : 10.6 x 2 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 630,533位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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(1867-1916)1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生れる。
帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表し大評判となる。
翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年4月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
漱石の作品の中でも1、2を争うくらいに良い。嫂の妖艶さと兄の神経症的な思考過程。ヒリヒリするような間を振り回される私。非常に読み応えがありました。高カロリーです。
2019年8月12日に日本でレビュー済み
夏目漱石の作品の中でも、個人的にかなり知見作品の1つです。今回はオーディオブックCD版と言うことで、聞かせてもらったのですが、音声があるとここまで作品の感じも違ってくるんですね。ナレーションと、作品の感じは非常に合っていたので素晴らしかったです。
2018年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
内容が素晴らしい。私のこれまでの人生と重なる部分があり、感動しました。
2021年4月2日に日本でレビュー済み
1 読んだ直後の感想(A)
えらくぶっきらぼうな感想になってしまうが、簡単に言えば漱石は「この作品のなかの兄は正常な神経の持ち主である」ということが言いたかったのではないか。そしてそれは、兄の同僚Hによって証明された。この作品、前半から後半にかけては、密度の濃いエピソードの連続で、いろいろなことを考えさせられた。まったくさすがだと思う。ところが、Hが旅行先から送ってきた手紙の前半部は、抽象的・観念的な記述が多くて、やや分かりにくかった。特に、宗教とか絶対とかの語が出てくるところだ。例を挙げよう。
「死ぬか、気が違うか、そうでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
「まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統一を見出すな
んて、ずいぶん骨が折れるだろう。……」
私見で恐縮だが、漱石の考える宗教とはどういうことか。宗教とは、自分以外のものに頼ることであり、そんな姿勢を漱石のような探求型思考力の持ち主がとれるはずがない。むしろ宗教に頼ろうとする考えこそが不自然で、逆に苦しみを増すのではないか。「いくら考えても解決はないので、適当なところで考えるのはやめておこう」と意識的に思うのがいいのではないかと、私は考える。
そして、作品の最後の最後で内容は再び面白さを取り戻して、結末に至る。ところで、Hの提言「まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。……」は、私には余計なお世話のように思える。兄さんに対しては、計らいをやめて、素直に付き合えば、兄さん自身がいずれ解決を見出すのではないか。
最後に、作品の筋とは別の角度から一言付け加えれば、文中に見える、「子供はまだできないのか」とか「早く結婚しろ」とか、あるいは、兄が妻に暴力を振るったりする行為は、現代では許されない言動であろう。
2 読んでひと月後の感想(B)
『行人』のテーマは、次の三つくらいが考えられる。
1) 一郎が育った家族制度の問題
2) 一郎自身の問題
3) 一郎対嫂、一郎対弟、一郎対家族の問題である。
一つ目の問題とは、一郎は戦前の家父長制の下で育てられた、長男として特別扱いされた、ということだ。明治民法の家制度では次のように規定されている。「家は,戸主(家長)とその家族によって構成される。家族は家長である戸主の命令・監督に服する。」一郎は、家長の地位に収まっているところから、妻の直に対して素直になれない。また、弟の二郎に対しては長男としての特権を半ば無意識的に行使する。
ここから、二つ目、三つ目の問題が生じた。つまり、一郎は長男という特権的立場から、ひたすら学問に専心できた。そうなると、心に生じた疑問は解決するまで突き進まねば気が済まなくなる、まるでゲーテ『ファウスト』のファウストのように。社会の発展、科学技術の進歩を目の当たりにすれば何が何でも追いつきたいと思う。そして、学問以外のことにエネルギーを割くことはしない。かくて、妻や弟、両親や妹との間に溝のようなものが生じた。
こういう流れのなかで、一郎は妻が信じられず疑心暗鬼に陥る。妻の方は、いつも寂しそうだ。いかに学問への情熱があろうとも、他人の心はどうにもならないのだ。弟は、長ずるにおよんで次第に兄を批判的に見るようになる。癇癪を起している兄を「与しやすい」とさえ思う(「兄」四十三)。母親は一郎をもう長い間変人扱いしてきた(「塵労」十二)。
一郎は、根っからの善人(お貞さんとか、友人Hのこと)を幸せな人だと思っている。また、二郎の実行的な性格を羨ましがっている。そうであるなら、一郎は徐々に自分をそちらの方向へ広げていくのがいいのではないか。自分の方から周囲の人たちに歩み寄るべきなのだ。そうすることで、自分が研究に汲々となっていたことに気づき、直、弟、両親や妹への態度も寛容になるのではないか。
以上が、読後ひと月経ってからの感想(B)である。不思議なことに、読んだ直後の感想(A)の方がずっとリアルなような気がする。
えらくぶっきらぼうな感想になってしまうが、簡単に言えば漱石は「この作品のなかの兄は正常な神経の持ち主である」ということが言いたかったのではないか。そしてそれは、兄の同僚Hによって証明された。この作品、前半から後半にかけては、密度の濃いエピソードの連続で、いろいろなことを考えさせられた。まったくさすがだと思う。ところが、Hが旅行先から送ってきた手紙の前半部は、抽象的・観念的な記述が多くて、やや分かりにくかった。特に、宗教とか絶対とかの語が出てくるところだ。例を挙げよう。
「死ぬか、気が違うか、そうでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
「まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那を捕えて、そこに二つの統一を見出すな
んて、ずいぶん骨が折れるだろう。……」
私見で恐縮だが、漱石の考える宗教とはどういうことか。宗教とは、自分以外のものに頼ることであり、そんな姿勢を漱石のような探求型思考力の持ち主がとれるはずがない。むしろ宗教に頼ろうとする考えこそが不自然で、逆に苦しみを増すのではないか。「いくら考えても解決はないので、適当なところで考えるのはやめておこう」と意識的に思うのがいいのではないかと、私は考える。
そして、作品の最後の最後で内容は再び面白さを取り戻して、結末に至る。ところで、Hの提言「まず兄さんの頭を取り巻いている雲を散らしてあげたらいいでしょう。……」は、私には余計なお世話のように思える。兄さんに対しては、計らいをやめて、素直に付き合えば、兄さん自身がいずれ解決を見出すのではないか。
最後に、作品の筋とは別の角度から一言付け加えれば、文中に見える、「子供はまだできないのか」とか「早く結婚しろ」とか、あるいは、兄が妻に暴力を振るったりする行為は、現代では許されない言動であろう。
2 読んでひと月後の感想(B)
『行人』のテーマは、次の三つくらいが考えられる。
1) 一郎が育った家族制度の問題
2) 一郎自身の問題
3) 一郎対嫂、一郎対弟、一郎対家族の問題である。
一つ目の問題とは、一郎は戦前の家父長制の下で育てられた、長男として特別扱いされた、ということだ。明治民法の家制度では次のように規定されている。「家は,戸主(家長)とその家族によって構成される。家族は家長である戸主の命令・監督に服する。」一郎は、家長の地位に収まっているところから、妻の直に対して素直になれない。また、弟の二郎に対しては長男としての特権を半ば無意識的に行使する。
ここから、二つ目、三つ目の問題が生じた。つまり、一郎は長男という特権的立場から、ひたすら学問に専心できた。そうなると、心に生じた疑問は解決するまで突き進まねば気が済まなくなる、まるでゲーテ『ファウスト』のファウストのように。社会の発展、科学技術の進歩を目の当たりにすれば何が何でも追いつきたいと思う。そして、学問以外のことにエネルギーを割くことはしない。かくて、妻や弟、両親や妹との間に溝のようなものが生じた。
こういう流れのなかで、一郎は妻が信じられず疑心暗鬼に陥る。妻の方は、いつも寂しそうだ。いかに学問への情熱があろうとも、他人の心はどうにもならないのだ。弟は、長ずるにおよんで次第に兄を批判的に見るようになる。癇癪を起している兄を「与しやすい」とさえ思う(「兄」四十三)。母親は一郎をもう長い間変人扱いしてきた(「塵労」十二)。
一郎は、根っからの善人(お貞さんとか、友人Hのこと)を幸せな人だと思っている。また、二郎の実行的な性格を羨ましがっている。そうであるなら、一郎は徐々に自分をそちらの方向へ広げていくのがいいのではないか。自分の方から周囲の人たちに歩み寄るべきなのだ。そうすることで、自分が研究に汲々となっていたことに気づき、直、弟、両親や妹への態度も寛容になるのではないか。
以上が、読後ひと月経ってからの感想(B)である。不思議なことに、読んだ直後の感想(A)の方がずっとリアルなような気がする。
2019年8月10日に日本でレビュー済み
人の心情というか、人と人が交わりあい、そのような繊細な部分が非常に細かく描かれています。まぁわたし的にはなのですが、夏目漱石の作品の中では、これが1番面白いかと思います。もちろん名作と言われてる作品は他にもありますが、その他のものとは比べ物にはなりません。
2014年11月24日に日本でレビュー済み
数ある漱石作品の中でも、最も強い印象を受けた作品かもしれない。
しかし小説としては評価ができないほど、ひどい。
構成が破綻しているというよりも、なにを書いてよいかもはっきりしないままに、
ただ書きすすめられたように感じられて、ひたすら冗長で、退屈だ。
だけどこの作品は漱石の他のどの作品よりも、最も現代的な意味があるように思える。
それは四部構成の最終章「塵労(じんろう)」があるからだ。
おそらく最初の章「友達」からこの小説を読みすすめると、ほとんどの人は途中で放り出しかねないので、
最終章から読みはじめることをお勧めする。
(私は最終章だけを独立させて、「塵労」という一編の小説にするのが一番良いと思っている)
「塵労」に書かれる”兄”の姿は漱石自身と言われている。
高度に洗練されすぎた精神は、同時代からはあまりにも進みすぎた。
「Einsamkeit!(孤独だ!)」
こう叫ぶ小説中の兄。
これは漱石の悲鳴だ。
この作品の評価が低いのも、同時代人にはこの漱石の悲鳴が届かなかったからではないか。
百年という時代がたって、ようやくわれわれにも漱石の悲鳴が聞こえるようになったのだろう。
この小説の最後の一文は、これほど悲しい文章は読んだことがないほどに悲しい。
しかし小説としては評価ができないほど、ひどい。
構成が破綻しているというよりも、なにを書いてよいかもはっきりしないままに、
ただ書きすすめられたように感じられて、ひたすら冗長で、退屈だ。
だけどこの作品は漱石の他のどの作品よりも、最も現代的な意味があるように思える。
それは四部構成の最終章「塵労(じんろう)」があるからだ。
おそらく最初の章「友達」からこの小説を読みすすめると、ほとんどの人は途中で放り出しかねないので、
最終章から読みはじめることをお勧めする。
(私は最終章だけを独立させて、「塵労」という一編の小説にするのが一番良いと思っている)
「塵労」に書かれる”兄”の姿は漱石自身と言われている。
高度に洗練されすぎた精神は、同時代からはあまりにも進みすぎた。
「Einsamkeit!(孤独だ!)」
こう叫ぶ小説中の兄。
これは漱石の悲鳴だ。
この作品の評価が低いのも、同時代人にはこの漱石の悲鳴が届かなかったからではないか。
百年という時代がたって、ようやくわれわれにも漱石の悲鳴が聞こえるようになったのだろう。
この小説の最後の一文は、これほど悲しい文章は読んだことがないほどに悲しい。
2020年7月12日に日本でレビュー済み
第2章と第3章の朗読が重複しています。