「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず自由で なんというか 救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……」
もはや語るまでもないぐらいには有名な「孤独のグルメ」の主人公・井之頭五郎の台詞だけれども何となく分かる様で、同時に曖昧模糊とした印象を受ける。その理由の一つに「救われる食事」ってのが上手くイメージできないという問題があるかもしれない。
「おいしい」とか「素晴らしい」は分かるけど、食事に救われるってのは一体どういう心持なのか?そしてそんな食べた人に「救われた」という想いを与える食事ってのはどんな物なのか?その考えてみると意外に奥の深いテーマに真正面から組み合ったのが行成薫の新刊となる本作では無いだろうか?
構成の方は連作短編形式。短編4作と5話に渡る幕間劇で構成されている。物語の舞台は東京から新幹線と在来線を乗り継いで3時間はかかるという地方都市。第一章はそんな大きいとは言えない街にある老舗のとんかつ店「梅屋」の大女将にして70歳を超える梅山笑子がテレビのインタビューを受けている場面から始まる。
梅屋の名物としてインタビューに来たタレントに出されたのは「カツ丼」と言いながらどうみてもオムライスにしか見えない奇妙な一皿であった。何があってこんな奇妙なカツ丼を産み出すに至ったのかと尋ねられた梅子は失踪した夫から引き継いだばかりの梅屋を30年前に訪ねて来た奇妙な客を思い出す。
明らかにやつれ切った様子のその青年は脇目もふらずにカツ丼を平らげたあとで「やっちゃった、もう終わりだ」と大仰に嘆き涙までこぼし始める。その青年・林大和は実は駆け出しのプロボクサーで試合を前に減量中だったというのだが……
相変わらず市井の人々とその繋がりを描かせたら素晴らしい作家だなと改めて思い知らされた。特に本作はその人と人の繋がりを「美味い・不味い」といった単純な価値基準を超越した大切な誰かの為に作った一食を通じて徹底的に掘り下げる事に特化している。
物語は舞台となる小さな地方都市を舞台に「食」を提供する人々が主人公。
失踪した夫を待つためにずぶの素人ながらとんかつ屋を引き継ぎ、傷だらけの若いボクサーに出会った梅子、
妻と幼い娘を抱えながら脱サラして開業準備中の店に客寄せ用のカレーを作ろうとして沼にハマった璃空、
中学時代の自分を救ってくれたラーメン屋の店長が亡くなった後、レシピも無しに味を復活させようとするすみれ、
パン屋の息子でありながら、偶然出会った食物アレルギーで食べられる物が限られた女の子を救おうと小麦を捨てた照星、
……かくの如く登場する面々は驚いた事に皆熟練の職人ではなく、経験も知識も技術も足りない半端者ばかりである。だが、そんな料理人や職人としては未熟と言って良い彼らがその未熟さを何を以て乗り越えるのか、そこにこそ本作のテーマがある。
食事に限らないが、何かを作り出そうとする時にぼんやりとした「いい物」「皆が喜んでくれるもの」を目標にすると先ず方向性が定まらない。「いい物」「すぐれた物」なんてそれこそ世の中に溢れ返っている訳で、技術も知識も上回った先達をぼんやりと目標の定まらないまま追い掛けても追いつける道理は無いのは皆さんご存知の通りかと。
各章の主人公も皆迷っている。成り行きで店を継いだ梅子は失踪した夫が帰って来るのを待つ以外の目的が無いし、万人受けするカレーを産み出そうとした璃空はスパイスの調合という底無し沼にハマり、自分の記憶だけを頼りに失われた味を蘇らせようとするすみれは自らが覚えている味の記憶に振り回され、味よりも素材を優先させねばならなくなった照星は米粉でのパン作りという絶望的な壁に挑む羽目に……
そんな彼らに道筋を与えるのは「出会い」である。梅子は駆け出しボクサーの大和との出会いで腕を磨く事に乗り出し、璃空は開業準備に追われてほったらかしにしていた妻子を迎えに行く事で沼から脱し、すみれは元陸上選手であった池田との出会いでオンリーワンの意味に気付き、照星はただ一人の女の子の為に小麦と共に歩むパン屋としての人生を放り出す……まさに自分にとって大切なものが何なのか、万人に受ける事だけが本当に全てなのかという問いに向き合う事になるのである。
飲食店をはじめとした商売は売上だけが全て、SNSの普及などで可視化されたフォロワーの数が全てみたいな価値観がまかり通る現代社会だけに道を見失う人は多いのだけど、その見失った道を再び見出す為に必要なのは意外に「誰の為に自分はこれを作ろうとしているのか」という想いを捧げる相手なのではないだろうか?作者が掘り下げようとした部分もまさにここにある。
その象徴とも言えるのが本作に収録された短編の中でも割と明確に「喜ばせたい相手」が見えている照星が、偶然出会った食物アレルギーに苦しめられていた女の子、菜乃花がようやく出来た納得のいくレベルの米粉パンを食べて見せた溢れんばかりのエネルギーを前に自分が作りたかった物に気付く場面だろう。
「照星が作ったパンがこれだけのエネルギーを生み出したのは、初めての事だったかもしれない。それで、気がついた。誰かにエネルギーを与えられるパンっていうのは『うまいパン』じゃなかった。食べたその人が『求めていたパン』なのだ」
料理を含めたあらゆる創作物に「救われた」という想いを抱いた方も少なく無いと思うが、貴方が救われたのは必ずしも世間に名を知られた名作だろうか?膨大な作品群の中に半ば埋もれた無名の作品との偶然の出会いが自分が求め続けてきた物だったと言う事は無いだろうか?第三章の主人公、誰でもなれる派遣社員からラーメン店の店主へと自分が進むべき道を見出したすみれが気付かされた「ナンバーワンよりもオンリーワンの価値」もここに通じる。
より多くの人に救いを与える作品は確かに素晴らしいだろうが、「自分にとってどうしても必要な物」をピンポイントで与えてくれる作品によってのみ救われる魂だって存在する。そしてそんな孤独な魂を救うために万人受けを捨てて「この人の為に」と強烈な思いを注ぐ事で拓ける道だってきっとある筈なんである。
作る方も享受する側も「救われた」という想いを抱ける創作行為の素晴らしさ……世代も立場もバラバラな主人公たちが悪戦苦闘する各章に通じているのはまさにその部分に他ならない。そして幕間で主人公を務める食事に興味のない女子大生・実里が各章の主人公たちと関わりながら救われていく姿も織り込まれているのだから、話の組み立ての緻密さに大いに感心させられた。
感心させられた、という点ではもう一つ。実は本作以前作者が発表した「本日のメニューは。」の姉妹作みたいな造りになっているのだが、前作の登場人物が実に巧い具合に使ってある。腕の向上を目指した梅子が出稽古に赴いたのが口は悪いが客の胃袋を満たす事に情熱を燃やすオヤジの食堂であったり、璃空が開業準備を進める店が元は老料理人の洋食店であったり、実里の高校時代のバスケ部仲間が食事を抜いてぶっ倒れた女子高生であったりと前作を読んでいると思わずニマニマしたくなる登場の仕方をするのだからファンへのご褒美の与えた方も実に手慣れた物と言うか……憎いねえ。
作者・行成薫の人物造形の巧さ・話の組み立ての緻密さとその中で掘り下げられるテーマの深さを大いに堪能させられた。願わくばこの市井の人々が「救われた」と心から思える出会いの物語を今後も心行くまで愉しみたいし、作者にはその能力が十分に備わっている……改めて行成ワールドの奥深さを見せ付けられた感のある一冊であった。
追記
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できたてごはんを君に。 (集英社文庫) 文庫 – 2022/12/20
行成 薫
(著)
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ダイニングカフェの新規開店に向け、看板メニューのカレー開発に励む璃空。一方で、妻の杏南はワンオペ育児で疲弊していて……(「スパイスの沼」)。若きパン職人・照星は、小麦アレルギーでパンを食べられない子供と出会う。それなら小麦不使用の超絶うまい米粉パンを俺が作る! と決意するが……(「ハッピバースデー・トゥー・ユー」)。食べることの本当の幸せを教えてくれる、最高のごはん小説!
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- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2022/12/20
- 寸法10.5 x 1.4 x 15.2 cm
- ISBN-104087444678
- ISBN-13978-4087444674
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2022/12/20)
- 発売日 : 2022/12/20
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 320ページ
- ISBN-10 : 4087444678
- ISBN-13 : 978-4087444674
- 寸法 : 10.5 x 1.4 x 15.2 cm
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著者について
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1979年、宮城県生まれ。東北学院大学教養学部卒業。
2012年、『マチルダ(のち、『名も無き世界のエンドロール』に改題)』で
第25回小説すばる新人賞を受賞。
2013年、『名も無き世界のエンドロール(集英社)』でデビュー。