コロナの中で生きて、命の在り方が見え難くなっている私たちが今こそ読む本当です。
ぜひ読み終えて、悲しむ事、涙流す事こそが人間だと感じてほしい。
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悲しみとともにどう生きるか (集英社新書) 新書 – 2020/11/17
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「不条理な喪失によって辛く悲しい思いに打ちひしがれている人が生き直す力を取り戻すには、(中略)喪失体験者が孤立しないでゆるやかにつながり合うことが、とても大切だ」――柳田邦男(第1章より)
「悲しみの中にいる人も、悲しみを知る者だからこそ、誰かを幸せにすることはできるし、自分自身が幸せを得ることもできるのだと思います」――若松英輔(第2章より)
「時に暴力的に作用する『大きな物語』や『マジョリティの声』に対抗するには、(中略)ただひたすらに個人の言葉を探し続けることが必要なのではないかと思います」――星野智幸(第3章より)
「重要なことは、ケアとセラピーだったら、基本はまずケアです。ケアが足りているならば、次にセラピーに移る。仮病でいえば、まずは休ませて、それでまだ何日も仮病が続くようなら、『仮病だよね』という話をしたほうがよいということですね」――東畑開人(第4章より)
「よく考えてください。被害者のケアを怠っているのは、国だけじゃありません。『準当事者』である僕たちですよ。僕たちは、ニュースで見た犯罪被害者のために、一体、何をしているのでしょうか?」――平野啓一郎(第5章より)
「社会がますます個人化され、『ともに分かち合う』ことがしにくくなっているが、宗教的な表象を引き継ぎつつ、悲嘆を『ともに分かち合う』新たな形が求められている。切実な欲求である」――島薗進(第6章より)
【まえがきーー入江杏 より】(抜粋)
「世田谷事件」を覚えておられる方はどれほどいらっしゃるだろうか?
未だ解決を見ていないこの事件で、私の二歳年下の妹、宮澤泰子とそのお連れ合いのみきおさん、姪のにいなちゃんと甥の礼くんを含む妹一家四人を喪った。
事件解決を願わない日はない。
あの事件は私たち家族の運命を変えた。
妹一家が逝ってしまってから6年経った2006年の年末。
私は「悲しみ」について思いを馳せる会を「ミシュカの森」と題して開催するようになった。(中略)
犯罪や事件と直接関係のない人たちにも、それぞれに意味のある催しにしたい。そしてその思いが、共感と共生に満ちた社会につながっていけばと願ったからだ。
それ以来、毎年、事件のあった12月にゲストをお招きして、集いの場を設けている。
この活動を継続することができたのは、たくさんの方々との出逢いと支えのおかげだ。
本書はこれまでに「ミシュカの森」にご登壇くださった方々の中から、6人の方の講演や寄稿を収録したものである。
【著者プロフィール】
柳田邦男:ノンフィクション作家。
若松英輔:批評家・随筆家。
星野智幸:小説家。
東畑開人:臨床心理学者。
平野啓一郎:小説家。
島薗進:宗教学者。
【編著者プロフィール】
入江杏:「ミシュカの森」主宰。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師。
「悲しみの中にいる人も、悲しみを知る者だからこそ、誰かを幸せにすることはできるし、自分自身が幸せを得ることもできるのだと思います」――若松英輔(第2章より)
「時に暴力的に作用する『大きな物語』や『マジョリティの声』に対抗するには、(中略)ただひたすらに個人の言葉を探し続けることが必要なのではないかと思います」――星野智幸(第3章より)
「重要なことは、ケアとセラピーだったら、基本はまずケアです。ケアが足りているならば、次にセラピーに移る。仮病でいえば、まずは休ませて、それでまだ何日も仮病が続くようなら、『仮病だよね』という話をしたほうがよいということですね」――東畑開人(第4章より)
「よく考えてください。被害者のケアを怠っているのは、国だけじゃありません。『準当事者』である僕たちですよ。僕たちは、ニュースで見た犯罪被害者のために、一体、何をしているのでしょうか?」――平野啓一郎(第5章より)
「社会がますます個人化され、『ともに分かち合う』ことがしにくくなっているが、宗教的な表象を引き継ぎつつ、悲嘆を『ともに分かち合う』新たな形が求められている。切実な欲求である」――島薗進(第6章より)
【まえがきーー入江杏 より】(抜粋)
「世田谷事件」を覚えておられる方はどれほどいらっしゃるだろうか?
未だ解決を見ていないこの事件で、私の二歳年下の妹、宮澤泰子とそのお連れ合いのみきおさん、姪のにいなちゃんと甥の礼くんを含む妹一家四人を喪った。
事件解決を願わない日はない。
あの事件は私たち家族の運命を変えた。
妹一家が逝ってしまってから6年経った2006年の年末。
私は「悲しみ」について思いを馳せる会を「ミシュカの森」と題して開催するようになった。(中略)
犯罪や事件と直接関係のない人たちにも、それぞれに意味のある催しにしたい。そしてその思いが、共感と共生に満ちた社会につながっていけばと願ったからだ。
それ以来、毎年、事件のあった12月にゲストをお招きして、集いの場を設けている。
この活動を継続することができたのは、たくさんの方々との出逢いと支えのおかげだ。
本書はこれまでに「ミシュカの森」にご登壇くださった方々の中から、6人の方の講演や寄稿を収録したものである。
【著者プロフィール】
柳田邦男:ノンフィクション作家。
若松英輔:批評家・随筆家。
星野智幸:小説家。
東畑開人:臨床心理学者。
平野啓一郎:小説家。
島薗進:宗教学者。
【編著者プロフィール】
入江杏:「ミシュカの森」主宰。上智大学グリーフケア研究所非常勤講師。
- 本の長さ240ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2020/11/17
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-104087211452
- ISBN-13978-4087211450
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2020/11/17)
- 発売日 : 2020/11/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 240ページ
- ISBN-10 : 4087211452
- ISBN-13 : 978-4087211450
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 85,702位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 46位事件一般関連書籍
- - 180位集英社新書
- - 1,993位実用・暮らし・スポーツ
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著者について
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1936年栃木県生まれ。NHK記者を経て作家活動に入る。72年『マッハの恐怖』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、79年『ガン回廊の朝』で第1回 講談社ノンフィクション賞、95年『犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日』などで菊池寛賞、97年『脳治療革命の朝』で文藝春秋読者賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 新・がん50人の勇気 (ISBN-13: 978-4163709802 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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5 星
何度も読み直したい、「誰に遠慮することなく悲しんでいい」とメッセージが詰まった一冊
「悲しんではいけない」「弱みを見せてはいけない」そう教わって育ってきた。実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田邦男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田邦男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。
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2023年2月20日に日本でレビュー済み
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私は自分のことを汚い人間だと思っている。私は汚されていて醜い。私は自分の事を芯の部分でずっとそう思いながら生き続けている。ただ、この汚れは自ら望んで引き受けたものでは決してない。私はある日突然、一人の人間に「汚れ」という烙印を押された。私は全く望まない形で心と身体を傷つけられた。それはトラウマとも呼ぶものなのかもしれない。
決して私は悪くなどない。悪いのはこうも私を傷つけた相手当人だ。そう頭で分かっていても、私の背中や頭や腹にはこの烙印のような「汚れ」がずっと残っている。私は相手のことをいまだに深く憎んでいる。例えば誰かがほんの些細な言葉や態度で、私を傷つけたとする。すると憎しみは、かつて私を傷つけた相手の姿と重なる形で心の奥底からせり上がってくる。ほんの些細な火種にまるで自らで油を注ぐように、怒りと憎しみと悔しさが暴火となって自分の中に広がっていく。だからこそ私はまた自分の事を「汚れている人間だ」と思い、その思いに苛まれる。烙印が自分の中に残っている事をその度に思い知らされ私はますます自分の事を「汚い人間だ」と思いつめる。深く傷をつけられた自分のような人間は、普通の人とは怒りの温度や爆発度が違うのだ、だから自分は汚い人間だ、そう思い知らされながら私はもう長い事生きている。
「汚い人間だ」と思う事により私は自分の事を「幸せとは不釣り合いな人間だ」と無意識のうちに思い込むようになったと思う。汚い私に幸せは不釣り合い。その無意識の思いは、私自身を自らによって何度も幸せから遠ざけてきたようにも思う。「私に幸せが似合うわけがない」「私のような憎しみの深い人間が幸せになれるわけがない」いつのまにか私の心にはそんな卑屈までも棲みついてしまったように思う。
入江さんと私の憎しみの深さは、誰にも比べようがないと思う。ただ、私は入江さんの苦しみが分かるように思う。憎しみと幸せはあまりにかけ離れていることを私は身を持って知っているからだ。憎しみと幸せというその広大すぎる余白の中を、入江さんは今までどんな思いで生き続けて来られただろう。悲しかっただろう。苦しかっただろう。やりきれなかっただろう。
入江さんが今現在、幸せで居るのかどうか私には分からない。でも、今までのどんな人の言葉よりも、入江さんが発する「幸せ」という言葉は私の中に深く沁み入った。「どんな悲しみがあっても、幸せになっていい」その言葉が私の中の傷を初めて優しく見つめてくれた。
「自分一人が幸せになるのではなく、どうすれば世の中はもっと良くなるのかを考える」入江さんの強いメッセージに心を打たれ、私は今初めて、自分に烙印があること、傷があることの意味、私だからできることを考えようとしている。私も幸せになっていい。私だけにしか分からない私の幸せの意味を、やっと考えようとしている。その先に、誰かや世の中の幸せが広がっているのだということが、この本を読むことでやっと分かったからだ。
悲しみや憎しみの中、幸せについて諦めずに考えてこられた入江さんに、心から「ありがとうございます」を申し上げたい気持ちです。この本を著して下さり本当にありがとうございました。
決して私は悪くなどない。悪いのはこうも私を傷つけた相手当人だ。そう頭で分かっていても、私の背中や頭や腹にはこの烙印のような「汚れ」がずっと残っている。私は相手のことをいまだに深く憎んでいる。例えば誰かがほんの些細な言葉や態度で、私を傷つけたとする。すると憎しみは、かつて私を傷つけた相手の姿と重なる形で心の奥底からせり上がってくる。ほんの些細な火種にまるで自らで油を注ぐように、怒りと憎しみと悔しさが暴火となって自分の中に広がっていく。だからこそ私はまた自分の事を「汚れている人間だ」と思い、その思いに苛まれる。烙印が自分の中に残っている事をその度に思い知らされ私はますます自分の事を「汚い人間だ」と思いつめる。深く傷をつけられた自分のような人間は、普通の人とは怒りの温度や爆発度が違うのだ、だから自分は汚い人間だ、そう思い知らされながら私はもう長い事生きている。
「汚い人間だ」と思う事により私は自分の事を「幸せとは不釣り合いな人間だ」と無意識のうちに思い込むようになったと思う。汚い私に幸せは不釣り合い。その無意識の思いは、私自身を自らによって何度も幸せから遠ざけてきたようにも思う。「私に幸せが似合うわけがない」「私のような憎しみの深い人間が幸せになれるわけがない」いつのまにか私の心にはそんな卑屈までも棲みついてしまったように思う。
入江さんと私の憎しみの深さは、誰にも比べようがないと思う。ただ、私は入江さんの苦しみが分かるように思う。憎しみと幸せはあまりにかけ離れていることを私は身を持って知っているからだ。憎しみと幸せというその広大すぎる余白の中を、入江さんは今までどんな思いで生き続けて来られただろう。悲しかっただろう。苦しかっただろう。やりきれなかっただろう。
入江さんが今現在、幸せで居るのかどうか私には分からない。でも、今までのどんな人の言葉よりも、入江さんが発する「幸せ」という言葉は私の中に深く沁み入った。「どんな悲しみがあっても、幸せになっていい」その言葉が私の中の傷を初めて優しく見つめてくれた。
「自分一人が幸せになるのではなく、どうすれば世の中はもっと良くなるのかを考える」入江さんの強いメッセージに心を打たれ、私は今初めて、自分に烙印があること、傷があることの意味、私だからできることを考えようとしている。私も幸せになっていい。私だけにしか分からない私の幸せの意味を、やっと考えようとしている。その先に、誰かや世の中の幸せが広がっているのだということが、この本を読むことでやっと分かったからだ。
悲しみや憎しみの中、幸せについて諦めずに考えてこられた入江さんに、心から「ありがとうございます」を申し上げたい気持ちです。この本を著して下さり本当にありがとうございました。
2024年2月3日に日本でレビュー済み
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大きな事件の遺族を題材に、被害者がいかにその後の人生を生きていくか具体的な考察とアプローチをしてる作品。著名な方々の文章よりも、私は実際の現場で働く心理療法士?カウンセラー?の文章が心に残った。日常の雑務を一緒にやりながら、心の見たくない部分に触れる時の注意点など、人が生きていく日常が想像出来た。何よりも帯が気に入って、「誰よりも幸せになっていい」の言葉はとても救われる想いがした。
2021年5月12日に日本でレビュー済み
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四人の家族を一度に失った人がいました。その人は、それからはそれ以前にもまして、悲しみを考えるようになりました。自分の悲しみを軸としながら、人間の悲しみを深めるようになりました。悲しみの友もできました。本書の著者たちもそうです。
柳田邦男さんはお子さんに先立たれました。しかし、脳死した息子さんが問いかけてきたのです。
「人は亡くなっても魂は亡くならない。精神性のいのちというものは、肉体のいのちとは異なる永遠性の要素を持っています」(p.43)。
しかし、これは、超自然現象を言っているのではないでしょう。「精神性のいのちは、肉体が消滅しても消えないで、人生を共有した人の心の中で生き続ける。それゆえ亡くなったあとも、残された人に、生き直す力を与えてくれたり、心豊かに生きる生き方に気づかせてくれたりするのだと思います」(同)。
若松英輔さんはおつれあいの死を経験しました。本書に収められた文章で、若松さんはディケンズの「クリスマス・キャロル」を語っています。「クリスマス・キャロル」は、まさに、柳田さんが、人は「亡くなったあとも、残された人に、生き直す力を与えてくれたり、心豊かに生きる生き方に気づかせてくれたりする」と述べたとおりの物語だったのです。
若松さんはさらに言います。「死者は苦しんでいないと思う。僕は絶対にこれは疑わないですね」(p.83)。そして、その「死者の唯一の願いというのは生者の幸せだと思うのです」(p.73)と言います。
平野啓一郎さんは「僕たちの中にはいくつかの人格が一種のパターンのようにしてできていく。僕はそれを、個人という概念に対して、分人と名づけている」(p.199)と言います。
悲しい経験をした人は悲しみしかないかというと、そうではなく、喜びも秘めています。それ以外にもいくつかの想い、いくつかの形容詞を持っています。
悲しみから喜びに変わるというよりも、悲しみと重ねて、日常の小さな喜びもあれば、悲しみを通して、死者によって養われた生きる喜びもあるのではないでしょうか。
柳田邦男さんはお子さんに先立たれました。しかし、脳死した息子さんが問いかけてきたのです。
「人は亡くなっても魂は亡くならない。精神性のいのちというものは、肉体のいのちとは異なる永遠性の要素を持っています」(p.43)。
しかし、これは、超自然現象を言っているのではないでしょう。「精神性のいのちは、肉体が消滅しても消えないで、人生を共有した人の心の中で生き続ける。それゆえ亡くなったあとも、残された人に、生き直す力を与えてくれたり、心豊かに生きる生き方に気づかせてくれたりするのだと思います」(同)。
若松英輔さんはおつれあいの死を経験しました。本書に収められた文章で、若松さんはディケンズの「クリスマス・キャロル」を語っています。「クリスマス・キャロル」は、まさに、柳田さんが、人は「亡くなったあとも、残された人に、生き直す力を与えてくれたり、心豊かに生きる生き方に気づかせてくれたりする」と述べたとおりの物語だったのです。
若松さんはさらに言います。「死者は苦しんでいないと思う。僕は絶対にこれは疑わないですね」(p.83)。そして、その「死者の唯一の願いというのは生者の幸せだと思うのです」(p.73)と言います。
平野啓一郎さんは「僕たちの中にはいくつかの人格が一種のパターンのようにしてできていく。僕はそれを、個人という概念に対して、分人と名づけている」(p.199)と言います。
悲しい経験をした人は悲しみしかないかというと、そうではなく、喜びも秘めています。それ以外にもいくつかの想い、いくつかの形容詞を持っています。
悲しみから喜びに変わるというよりも、悲しみと重ねて、日常の小さな喜びもあれば、悲しみを通して、死者によって養われた生きる喜びもあるのではないでしょうか。
2023年11月16日に日本でレビュー済み
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作家の平野啓一郎氏が命について言及してる内容が共感できる「一人の人間としてこの世に生まれてきて、その命というのは絶対に尊重されなくてはいけない、役にたつから生きていいとか役に立たないから死ななきゃいけないなんて言う理屈は間違っている、すべての人の命の価値は保障されなけてはいけない」力強いメッセージである。
2020年12月28日に日本でレビュー済み
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「悲しんではいけない」
「弱みを見せてはいけない」
そう教わって育ってきた。
実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。
そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。
一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。
そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田邦男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。
その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田邦男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。
悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。
そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。
そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。
「弱みを見せてはいけない」
そう教わって育ってきた。
実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。
そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。
一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。
そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田邦男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。
その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田邦男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。
悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。
そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。
そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。

「悲しんではいけない」
「弱みを見せてはいけない」
そう教わって育ってきた。
実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。
そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。
一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。
そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田邦男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。
その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田邦男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。
悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。
そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。
そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。
「弱みを見せてはいけない」
そう教わって育ってきた。
実際のところ、保育園にも幼稚園にも小学校にも「笑顔」やら「強い子」と標語が並ぶ。
そして、笑っている子と泣いている子を区別されるような社会に生きてきて、とてもじゃないが、「悲しい」なんて人前でいうことなどできなかった。
一方で、悲しい場面に立ち会った人には、「悲しんでいる画」を求めてしまう。例えば、何かの事件や事故にあった遺族には、涙を拭う場面を期待してしまう。そう。私たちは、「悲しみ」を他に委ねることで、その奥底にある感情から逃れようとしているのだ。
そうした性に、本書をまとめた入江杏さんは向き合ってきた。いや、言葉を丁寧に紡ぐと、悲しみを媒介とした人とのコミュニケーションを通して、自分の中にある感情や心の置き場所を見つけ出そうと、さまざまな方との言葉を編んできた。本書に言葉を寄せている柳田邦男さん、平野啓一郎さん、若松英輔さんらは、身近な人との別れを経験されてきた。入江さんもちょうど今頃、年の暮れに妹さんご一家の御命が何者かに奪われてしまった。
その日から6年、入江さんは自分の感情に蓋をしてきたという。被害者遺族に向けられる世間の眼差しは冷たい。そして、世間が期待する遺族像に苦しみ、自分の言葉との乖離にも悩まれてこられた。そうして、様々な苦しみや悲しみに向き合い、共感し合う場として毎年、「ミシュカの森」という追悼の集いを続けている。その登壇者が、先にあげた柳田邦男さんらだ。私も毎年参加させていただいているが、帯にも寄せられている「ずっと幸せになっていい」というメッセージが溢れ、そして、「悲しみ」をさまざまな言葉に置き換えながら、当然の感情として受け止める空気感を醸成し続けている。
悲しみを味わうことのない人はいなく、けれども悲しんではいけないと頑なに信じている私たちにとって大切な言葉が詰まっている。悲しみと向き合うことは、人を悲しませることではなく、幸せにすること。そう気づかせてくれた入江さんは、本当に毛糸でセーターでも仕立てるかのように、丁寧に丁寧に言葉を編み続けている。
そして、悲しみを言語化した7人の作家や文筆家の生き様に触れたあとは、それぞれのエッセーなどを味わっていただくと良いだろう。繊細な言葉を選ぶためには、やはり悲しみと向き合う経験は欠かせないことがわかると思う。
そう、悲しんでいいのだ、と、そう思える一冊であり、きっと私はまた「この本」に戻ってくるだろう。
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2021年6月10日に日本でレビュー済み
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親しい人、近しい人との突然の別れが、どのように癒されるのか、どのように癒されていかない
のかを改めて考えさせてくれる本でした。
報道される出来事としてカテゴリー化されたときに、こぼれ落ちてしまうもの...
1人称の死、2人称の死、3人称の死についても、回復が進む中で支えになる「分人」の考え方など、
私自身のこれまでの周囲との関わり方をふり返らせてもらいました。
のかを改めて考えさせてくれる本でした。
報道される出来事としてカテゴリー化されたときに、こぼれ落ちてしまうもの...
1人称の死、2人称の死、3人称の死についても、回復が進む中で支えになる「分人」の考え方など、
私自身のこれまでの周囲との関わり方をふり返らせてもらいました。
2021年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい言葉にたくさん出会えます。
去年読んだ本の中で一番心を動かされました。
入江さんには「かなしみを生きる力に」という本がありますが、合わせて読むとより一層理解が深まると思います。
去年読んだ本の中で一番心を動かされました。
入江さんには「かなしみを生きる力に」という本がありますが、合わせて読むとより一層理解が深まると思います。