歴史を、「何が起きたか」という歴史それ自身について論じるのではなく、後世の人がそれをどう解釈し、どう認識し、語っているのかという、今現在の出来事に対して焦点を当てて論じるという、ユニークな視点を持った本。
現在の「語り」は政治的な影響も受けるし、政治的に利用されることもあると指摘しているのはその通りだ。
最後に慰安婦の問題について日本人の学生が「私たちは感情的な出来事も感情的にならずに議論出来た」的なことを言っていたのが印象的だった。そのようにありたいものだ。
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戦争の記憶 コロンビア大学特別講義 学生との対話 (講談社現代新書) 新書 – 2019/7/17
キャロル・グラック
(著)
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なぜ人々は戦争の歴史でいがみ合うのか。なぜ各国は戦争の歴史で争うのか――日本近代史の碩学が学生との対話を通じて「歴史」と「記憶」の意味を深く探っていく。ニューズウィーク日本版で大反響を呼んだコロンビア大学特別授業、待望の書籍化。
主な内容
「戦争の記憶」の語られ方/「歴史」と「記憶」の違いとは/変化する「共通の記憶」/それぞれの国で語られる「第二次世界大戦」/日系アメリカ人の物語が認知されるまで/「記憶の領域」には四つの種類が存在する/クロノポリティクス――現在が過去を変える/慰安婦問題が共通の記憶になるまで/誰が記憶に変化を起こしたか/記憶を動かす「政治的文脈」/戦争の記憶は、自国の都合のいい形につくられていく/アメリカが原爆を正当化する理由/自国の「悪い過去」にどう対処すべきか/過去と未来に対する個人の「責任」ほか
主な内容
「戦争の記憶」の語られ方/「歴史」と「記憶」の違いとは/変化する「共通の記憶」/それぞれの国で語られる「第二次世界大戦」/日系アメリカ人の物語が認知されるまで/「記憶の領域」には四つの種類が存在する/クロノポリティクス――現在が過去を変える/慰安婦問題が共通の記憶になるまで/誰が記憶に変化を起こしたか/記憶を動かす「政治的文脈」/戦争の記憶は、自国の都合のいい形につくられていく/アメリカが原爆を正当化する理由/自国の「悪い過去」にどう対処すべきか/過去と未来に対する個人の「責任」ほか
- 本の長さ200ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2019/7/17
- 寸法11.6 x 1 x 17.4 cm
- ISBN-104065154308
- ISBN-13978-4065154304
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商品の説明
著者について
キャロル・グラック
キャロル・グラック CAROL GLUCK
コロンビア大学歴史学教授。1941年、アメリカ・ニュージャージー生まれ。ウェルズリー大学卒業。1977年、コロンビア大学で博士号取得。専門は日本近現代史・現代国際関係・歴史学と記憶。1996年アジア学会会長。2006年、旭日中綬章受章。著書に『歴史で考える』(岩波書店)。共著に『日本はどこへ行くのか』(講談社学術文庫)、『思想史としての現代日本』(岩波書店)などがある。
キャロル・グラック CAROL GLUCK
コロンビア大学歴史学教授。1941年、アメリカ・ニュージャージー生まれ。ウェルズリー大学卒業。1977年、コロンビア大学で博士号取得。専門は日本近現代史・現代国際関係・歴史学と記憶。1996年アジア学会会長。2006年、旭日中綬章受章。著書に『歴史で考える』(岩波書店)。共著に『日本はどこへ行くのか』(講談社学術文庫)、『思想史としての現代日本』(岩波書店)などがある。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年8月11日に日本でレビュー済み
第二次世界大戦の歴史はいまだに現在形で存在している。それは過去の戦争の歴史を見る視点が国家間で違っていることからくるという。それぞれの国の記憶が複雑に絡み合いその立ち位置の違いによってその国の歴史を見る目が作られているからだ。グラック教授は歴史家として歴史を知るだけでなく、それぞれの社会がどのようにして自国の過去について共通の記憶を形成するのかを知ることが大事だという。
それを踏まえて、「国や社会、政治的背景がそれぞれ異なる学生たち」を集め、四つのテーマについて対話させ、その記憶がどこからきているのかを考えさせている。テーマは以下の四つ。
1.「歴史」とは何か、「記憶」とは何か
2.「戦争の記憶」はいかにして作られるのか
3.「慰安婦」の記憶
4.歴史への責任-記憶が現在に問いかけること
記憶が変化する直接的な理由は政治である。今まさに韓国と日本との間に起きている問題がそれだ。政治家やマスメディアが語る歴史が国民の記憶を凌駕し、戦争を知らない人たちの間でさえ敵対心や衝突、憎しみが生まれてしまう。
一般に人が学ぶ自国の歴史は、その国を中心に外の世界とを繋げる。一方向からの視点は時として誤った認識を生み出し、その理解のままに他国の歴史を学ぶことになる。こうした事態を避けるために必要なのは各視点から俯瞰的に見る力を養うことなのだろう。だがそのためには今現在の状況1つとってもあらゆる情報の中に身を置き、正しい分析で正確な事実を掴み取ることは至難の業である。
グラック教授のもとに集められた学生たちは少なくとも日本の一般的な学生より歴史知識が豊富で、自国のみならず各国の歴史についてもきちんと認識している。彼らは他者の意見もしっかりと聞き、その上で自身の歴史観を述べることができる。この学生たちの構図を今の世界にあてはめるならば戦争が起こる可能性も減るであろう。
まずは日本人としてやるべきは、若い人たちに歴史を暗記物として教えることをやめることだろう。
それを踏まえて、「国や社会、政治的背景がそれぞれ異なる学生たち」を集め、四つのテーマについて対話させ、その記憶がどこからきているのかを考えさせている。テーマは以下の四つ。
1.「歴史」とは何か、「記憶」とは何か
2.「戦争の記憶」はいかにして作られるのか
3.「慰安婦」の記憶
4.歴史への責任-記憶が現在に問いかけること
記憶が変化する直接的な理由は政治である。今まさに韓国と日本との間に起きている問題がそれだ。政治家やマスメディアが語る歴史が国民の記憶を凌駕し、戦争を知らない人たちの間でさえ敵対心や衝突、憎しみが生まれてしまう。
一般に人が学ぶ自国の歴史は、その国を中心に外の世界とを繋げる。一方向からの視点は時として誤った認識を生み出し、その理解のままに他国の歴史を学ぶことになる。こうした事態を避けるために必要なのは各視点から俯瞰的に見る力を養うことなのだろう。だがそのためには今現在の状況1つとってもあらゆる情報の中に身を置き、正しい分析で正確な事実を掴み取ることは至難の業である。
グラック教授のもとに集められた学生たちは少なくとも日本の一般的な学生より歴史知識が豊富で、自国のみならず各国の歴史についてもきちんと認識している。彼らは他者の意見もしっかりと聞き、その上で自身の歴史観を述べることができる。この学生たちの構図を今の世界にあてはめるならば戦争が起こる可能性も減るであろう。
まずは日本人としてやるべきは、若い人たちに歴史を暗記物として教えることをやめることだろう。
2019年8月27日に日本でレビュー済み
世界的な記憶の文化はあらゆる局面で謝罪が求められることが国際的に期待され無視できないという。また著者は「私は歴史家として政治化された記憶をよしとしない。記憶を政治化する時に、過去はいとも簡単に道具にされてしまうからだ。」と述べている。 世界的な記憶が政治の道具にされていてもやむを得ないと言うことか。それとも世界的な記憶は政治の道具にはなり得ないと言うことか。
一方で、著者は世界で最初の被爆国という「日本の物語」を通常爆撃による被害者の数との比較や、原爆の開発者が長期にわたる甚大な後遺症を想定していなかったという事実に基づき相対化している。 核兵器を行使されたという「日本の物語」は世界の記憶になれず、従軍慰安婦問題が世界の記憶になれたと読み取るしかないがその理由が明確でない。
結局、歴史家としても、従軍慰安婦問題が「世界の記憶」である以上、私たちの謝罪が「世界の記憶」になるまで謝罪するしかないという意見ということですよね。
もう少し深い知見が得られると思って読んだが、そこに落ち着くのかという感じです。
一方で、著者は世界で最初の被爆国という「日本の物語」を通常爆撃による被害者の数との比較や、原爆の開発者が長期にわたる甚大な後遺症を想定していなかったという事実に基づき相対化している。 核兵器を行使されたという「日本の物語」は世界の記憶になれず、従軍慰安婦問題が世界の記憶になれたと読み取るしかないがその理由が明確でない。
結局、歴史家としても、従軍慰安婦問題が「世界の記憶」である以上、私たちの謝罪が「世界の記憶」になるまで謝罪するしかないという意見ということですよね。
もう少し深い知見が得られると思って読んだが、そこに落ち着くのかという感じです。
2020年3月5日に日本でレビュー済み
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近隣諸国との軋轢も他国の視点から見ると、目から鱗、知らないことばかりだなあ、と思います。良著です
2019年9月27日に日本でレビュー済み
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改めて…自分自身の歴史認識を問い直しました。
彼女(著作者)の慧眼と努力に感謝します。
彼女(著作者)の慧眼と努力に感謝します。
2019年10月8日に日本でレビュー済み
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これまで考えつかなかった世界史的規模の視点が大変勉強になった。特に「国民の物語」や、記憶は作られるし変化していく、というのが面白かった。今必要なのはこういう冷静な分析と議論だろう。キャロル・グラック教授に心から敬意を表する。(日本人学者でこのような分析をする人はいるのだろうか?それと、日本人学生の発言の多くが日本の歴史をあまり知らないようで、心もとない。)
2019年7月26日に日本でレビュー済み
各メディアで評判になっているので読んでみた。
大筋では面白かったが、日本人学生の発言が少ないのが気になる。あと、彼らの日本史(自国の歴史)に関する知識が不正確なのもショックだ。
司会役のグラック先生。自虐史観について、「歴史修正主義者が言っていること」(42頁)と発言しているのにちょっと鼻白む。モロ、左翼的だ。ま、学生運動の牙城になったコロンビア大だからなぁ。
そしてこの発言、「1996年から」と説明しているのはさらに笑える。いやいや、自虐史観はもっと前から問題になってるよ。歴史家なのに、歴史の知識が間違ってるじゃん。
でも結局、慰安婦問題はこれからもずっと永遠に日本が叩かれ続けるんだな。戦争と女性の問題として。それだけはわかった。
大筋では面白かったが、日本人学生の発言が少ないのが気になる。あと、彼らの日本史(自国の歴史)に関する知識が不正確なのもショックだ。
司会役のグラック先生。自虐史観について、「歴史修正主義者が言っていること」(42頁)と発言しているのにちょっと鼻白む。モロ、左翼的だ。ま、学生運動の牙城になったコロンビア大だからなぁ。
そしてこの発言、「1996年から」と説明しているのはさらに笑える。いやいや、自虐史観はもっと前から問題になってるよ。歴史家なのに、歴史の知識が間違ってるじゃん。
でも結局、慰安婦問題はこれからもずっと永遠に日本が叩かれ続けるんだな。戦争と女性の問題として。それだけはわかった。
2019年8月31日に日本でレビュー済み
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「コロンビア大学の歴史学教授」というと気の利いた保守派の人ならば、それだけでピンと来るものがあるだろう。
著者は姜尚中との共著もある人と言った方が、その立ち位置が分かりやすいかも知れない。
中国大陸における日本軍は「侵略」だったという点を留保する学生に対し、頭からそれを否定し、東京裁判史観を一歩も出ていない点は致し方ないが、強制性の意味を明らかにしないまま「日本は強制性を認めない」とする点にはいつもながらうんざりする。
あと書きで著者は「政治性を帯びた歴史研究」を忌避する旨を言うのだが、これもいかにも空々しく聞こえる。
一方で挺対恊のような「記憶を作ってきた団体」を評価してい、それは女性の権利や地位向上の観点からであるが、その事を隠れ蓑にした運動体の政治性には気づかぬフリをする狡さがある。
そもそも著者は「日本軍は12~13歳の少女を慰安婦にした」言っていたと記憶するが、その点はどうなったのか。
記憶がつくられていく過程を描いた点は評価できるが、そうならばそもそもその格好の材料は韓国だろう。
また、教授が「どうすれば(日本が)悪い歴史を認めるようになるか」という問いかけに、ディラン君が「悪い過去は認めるべきだが、一方で他国がその国を指さして指摘すると、それは同時に批判してる側が「自分たちは潔白だ」と言っている事になってしまう。批判する時には同じ基準を自分たちにも当てはめなければならない」と極めて重要な指摘をするのだが、そうした点に教授はまともに答えられない。
総じてグラック教授は日本を貶めるという危険を冒す事になっても、歴史家の使命(この場合は女性の人権の昂進)というものに重きを置く。多くのリベラルの歴史家と同じで、やはり傲慢であると言わざるを得ない。
著者は姜尚中との共著もある人と言った方が、その立ち位置が分かりやすいかも知れない。
中国大陸における日本軍は「侵略」だったという点を留保する学生に対し、頭からそれを否定し、東京裁判史観を一歩も出ていない点は致し方ないが、強制性の意味を明らかにしないまま「日本は強制性を認めない」とする点にはいつもながらうんざりする。
あと書きで著者は「政治性を帯びた歴史研究」を忌避する旨を言うのだが、これもいかにも空々しく聞こえる。
一方で挺対恊のような「記憶を作ってきた団体」を評価してい、それは女性の権利や地位向上の観点からであるが、その事を隠れ蓑にした運動体の政治性には気づかぬフリをする狡さがある。
そもそも著者は「日本軍は12~13歳の少女を慰安婦にした」言っていたと記憶するが、その点はどうなったのか。
記憶がつくられていく過程を描いた点は評価できるが、そうならばそもそもその格好の材料は韓国だろう。
また、教授が「どうすれば(日本が)悪い歴史を認めるようになるか」という問いかけに、ディラン君が「悪い過去は認めるべきだが、一方で他国がその国を指さして指摘すると、それは同時に批判してる側が「自分たちは潔白だ」と言っている事になってしまう。批判する時には同じ基準を自分たちにも当てはめなければならない」と極めて重要な指摘をするのだが、そうした点に教授はまともに答えられない。
総じてグラック教授は日本を貶めるという危険を冒す事になっても、歴史家の使命(この場合は女性の人権の昂進)というものに重きを置く。多くのリベラルの歴史家と同じで、やはり傲慢であると言わざるを得ない。