まず、僕には哲学は難解でわからない。
けど、この本は、難しいことはわかりやすくパラフレーズしてくれていて、他のレビューワーの人と同じ意見で、読みやすいです。
後半、聞いたことのあるドゥルーズが語られていて、これがドゥルーズ語りか!と思う。
ウルフマン、じゃなくてウルフソンは初めて聞いた、グーグルで調べてもよくわからない。
さらに後半で、コミュニケーション能力の無い人たちの表現が表面と呼ばれている。
僕はコミュニケーション能力が無いので、表面なのか?
率直に思うのは、表面なんだから、何にも無いよ!
ボーッと生きてるんじゃよ!ということ。
明らかに前半の、ダイモーンとかに触発されたアイデアのほうが創造的にに思える、大問題だよ、これは。
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創造と狂気の歴史 プラトンからドゥルーズまで (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2019/3/13
松本 卓也
(著)
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「創造」と「狂気」には切っても切れない深い結びつきがある──ビジネスの世界でも知られるこの問題は、実に2500年にも及ぶ壮大な歴史をもっている。プラトン、アリストテレスに始まり、デカルト、カント、ヘーゲルを経て、ラカン、デリダ、ドゥルーズまで。未曾有の思想史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい1冊である。まさに待望の書がここに堂々完成!
アップル社の最高経営責任者だったスティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、企業に創造性をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきである、と説いている。ビジネスの世界でも「創造」と「狂気」には切っても切れないつながりがあることを、一流の企業人は理解していると言えるだろう。
だが、この「創造と狂気」という問題は、実に2500年にも及ぶ長い歴史をもっている。本書は、その広大にして無尽蔵な鉱脈を発掘していく旅である。
その旅は、「神的狂気」について論じたプラトン(前427-347年)から始まる。次いで、メランコリーと創造の結びつきを取り上げたアリストテレス(前384-322年)から《メレンコリアI》を描いた画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、そこに見出される創造性を追求したマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)を経て、われわれは近代の始まりを告げるルネ・デカルト(1596-1650年)の登場に立ち会う。
デカルトに見出される狂気と不可分のものとしての哲学を受けて、あとに続いたイマヌエル・カント(1724-1804年)は狂気を隔離し、G. W. F. ヘーゲル(1770-1831年)は狂気を乗り越えようとした。しかし、時代は進み、詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843年)が象徴するように、創造をもたらす狂気は「統合失調症」としての姿をあらわにする。そのヘルダーリンの詩に触発された哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976年)が提示した問題系は、ジャック・ラカン(1901-81年)やジャン・ラプランシュ(1924-2012年)を通して精神分析の中で引き受けられる。そして、ここから現れ出た問題は、アントナン・アルトー(1896-1948年)という特異な人物を生み出しつつ、ミシェル・フーコー(1926-84年)、ジャック・デリダ(1930-2004年)、そしてジル・ドゥルーズ(1925-95年)によって展開されていく──。
このような壮大な歴史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい。まさに待望の堂々たる1冊が、ここに完成した。
アップル社の最高経営責任者だったスティーヴ・ジョブズが「師」と仰いだ起業家ノーラン・ブッシュネルは、企業に創造性をもたらすには「クレイジー」な人物を雇うべきである、と説いている。ビジネスの世界でも「創造」と「狂気」には切っても切れないつながりがあることを、一流の企業人は理解していると言えるだろう。
だが、この「創造と狂気」という問題は、実に2500年にも及ぶ長い歴史をもっている。本書は、その広大にして無尽蔵な鉱脈を発掘していく旅である。
その旅は、「神的狂気」について論じたプラトン(前427-347年)から始まる。次いで、メランコリーと創造の結びつきを取り上げたアリストテレス(前384-322年)から《メレンコリアI》を描いた画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、そこに見出される創造性を追求したマルシリオ・フィチーノ(1433-99年)を経て、われわれは近代の始まりを告げるルネ・デカルト(1596-1650年)の登場に立ち会う。
デカルトに見出される狂気と不可分のものとしての哲学を受けて、あとに続いたイマヌエル・カント(1724-1804年)は狂気を隔離し、G. W. F. ヘーゲル(1770-1831年)は狂気を乗り越えようとした。しかし、時代は進み、詩人フリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843年)が象徴するように、創造をもたらす狂気は「統合失調症」としての姿をあらわにする。そのヘルダーリンの詩に触発された哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976年)が提示した問題系は、ジャック・ラカン(1901-81年)やジャン・ラプランシュ(1924-2012年)を通して精神分析の中で引き受けられる。そして、ここから現れ出た問題は、アントナン・アルトー(1896-1948年)という特異な人物を生み出しつつ、ミシェル・フーコー(1926-84年)、ジャック・デリダ(1930-2004年)、そしてジル・ドゥルーズ(1925-95年)によって展開されていく──。
このような壮大な歴史を大胆に、そして明快に描いていく本書は、気鋭の著者がついに解き放つ「主著」の名にふさわしい。まさに待望の堂々たる1冊が、ここに完成した。
- 本の長さ384ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2019/3/13
- 寸法13 x 2.2 x 18.8 cm
- ISBN-104065150116
- ISBN-13978-4065150115
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商品の説明
著者について
松本 卓也
1983年、高知県生まれ。高知大学医学部卒業。自治医科大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は、精神病理学。
主な著書に、『人はみな妄想する』(青土社)、『享楽社会論』(人文書院)、『〈つながり〉の現代思想』(共編、明石書店)、『症例でわかる精神病理学』(誠信書房)など。
主な訳書に、ヤニス・スタヴラカキス『ラカニアン・レフト』(共訳、岩波書店)など。
1983年、高知県生まれ。高知大学医学部卒業。自治医科大学大学院医学研究科博士課程修了。博士(医学)。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は、精神病理学。
主な著書に、『人はみな妄想する』(青土社)、『享楽社会論』(人文書院)、『〈つながり〉の現代思想』(共編、明石書店)、『症例でわかる精神病理学』(誠信書房)など。
主な訳書に、ヤニス・スタヴラカキス『ラカニアン・レフト』(共訳、岩波書店)など。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2019/3/13)
- 発売日 : 2019/3/13
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 384ページ
- ISBN-10 : 4065150116
- ISBN-13 : 978-4065150115
- 寸法 : 13 x 2.2 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 30,113位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16位講談社選書メチエ
- - 63位西洋哲学入門
- - 269位臨床医学一般 (本)
- カスタマーレビュー:
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2022年2月6日に日本でレビュー済み
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2023年8月18日に日本でレビュー済み
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精神病とクリエイティビティの関係を知りたかったが、その願いは叶わなかった。哲学が好きな人なら面白いと思うし、読みやすいと思う。狂気とタイトルには銘打っているが、統合失調症がほとんどで、あとは少し自衛症スペクトラムが出てくるだけ。うつ病はほとんど出てこない。私自身うつ病にさいなまれながら創造的活動をしているので、新しい視点から自分の仕事を俯瞰できればと期待していたが、読む本を間違えたようだ。精神病とクリエイティビティの関係を期待するなら、この本は適さない。内容自体は読みやすかったので、星四つ。
2019年3月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まさに、プラトンからドゥルーズまで、創造と狂気におけるその時代の捉え方を分かりやすくのべている。歴史的視点から過去を俯瞰しつつ、精神の病の未来を見据える為の羅針盤的な要素もあるような、そのような書籍であった。
また、持論をのべながらも、精神医学の諸先輩たちの優れた痕跡への敬意が伝わり、筆者の優れた人柄がうかがわれる。とにかく、筆者の文章は丁寧で、読み手が理解しやすいように 要所々々でこと細かく丁寧に要約してくれるので、読み手が、迷走することなく読み進められるという点でも、とても素晴らしい。(他の著作も同様に素晴らしい)
近代に入り、統合失調症の軽症化と減少、それに反して増長する発達障害…柔軟性を失い、アルゴリズム化する現代社会。今後、「父の名(神)を排除」した社会がどのようにして、狂気と向き合っていくのか。
人工的なものの中で哲学は練り上げられるというドゥルーズであるが、それでもなお人間は自然物である森林の中や森からは逃れられないはずである。ともすれば、いつかそう遠くない未来に「父の名(神)」が再帰する可能性は排除できないと感じてしまう。
また、持論をのべながらも、精神医学の諸先輩たちの優れた痕跡への敬意が伝わり、筆者の優れた人柄がうかがわれる。とにかく、筆者の文章は丁寧で、読み手が理解しやすいように 要所々々でこと細かく丁寧に要約してくれるので、読み手が、迷走することなく読み進められるという点でも、とても素晴らしい。(他の著作も同様に素晴らしい)
近代に入り、統合失調症の軽症化と減少、それに反して増長する発達障害…柔軟性を失い、アルゴリズム化する現代社会。今後、「父の名(神)を排除」した社会がどのようにして、狂気と向き合っていくのか。
人工的なものの中で哲学は練り上げられるというドゥルーズであるが、それでもなお人間は自然物である森林の中や森からは逃れられないはずである。ともすれば、いつかそう遠くない未来に「父の名(神)」が再帰する可能性は排除できないと感じてしまう。
2020年3月12日に日本でレビュー済み
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哲学、精神分析学、精神病理学、病跡学
2021年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
天才の創造と狂気について書かれています。
第一章の下記の草間彌生に関する文だけで私には価値がありました。狂気は本人にとって苦しいでしょうが、薬で常人になるよりは(あるいは廃人になるよりは)創造し続けるほうが救いになるというのは、創造する狂人に勇気をくれると思います。
薬で落ち着けると、アイデイアも作品も産出されなくなる。
自分でもそれが嫌で、薬を受け付けない。
薬は天才を殺して、くだらない常人にしてしまうのである。
死ぬほどの苦しみ、不安に悩みながら、天才的な作品を産み出して、それにやっと救いを見いだしている。〔作品の〕茸の森にしても、不安に襲われたときに、この中でころげまわっていると不思議に落ち着くのだそうである。救いのために芸術品を発明している。ここが天才の天才たる所以である。
第一章の下記の草間彌生に関する文だけで私には価値がありました。狂気は本人にとって苦しいでしょうが、薬で常人になるよりは(あるいは廃人になるよりは)創造し続けるほうが救いになるというのは、創造する狂人に勇気をくれると思います。
薬で落ち着けると、アイデイアも作品も産出されなくなる。
自分でもそれが嫌で、薬を受け付けない。
薬は天才を殺して、くだらない常人にしてしまうのである。
死ぬほどの苦しみ、不安に悩みながら、天才的な作品を産み出して、それにやっと救いを見いだしている。〔作品の〕茸の森にしても、不安に襲われたときに、この中でころげまわっていると不思議に落ち着くのだそうである。救いのために芸術品を発明している。ここが天才の天才たる所以である。
2020年3月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭はとっつきやすいか、すぐに専門的な内容になる。門外漢からは後半は読み飛ばす感じに。
2019年3月23日に日本でレビュー済み
とてもおもしろい。そして精神疾患を哲学に加えることで、その思想の見通しをよくしてくれます。しかし本書は病跡学の本ではありません。プラトンからドゥルーズまでの哲学者が「心の病と創造の関係」についてどう考えていたかをまとめたものです。病跡学としてはドイツの詩人フリードリヒ・ヘルダーリンが前半における考察の中心となります。ドゥルーズの13章では、ルイス・キャロル、レーモン・ルーセル、ルイス・ウルフソンの病跡が検討されます。
なにしろ丁寧に書かれていますから、登場する哲学者の理論の理解が進みます。一般向けの本でもないのに「精神分析」の説明があったり(p.12)、国語辞典でもないのに「尖兵」の説明があったりするのです(p.32)。それと、前説のまとめをしてから次の説明をするというスタイル、つまり繰り返しが多くあるのも理解を助けてくれます。著者の講義を聴く学生に向けて書かれたという印象です。
最近のエビデンス・ベイスド・メディスン(EBM)に基づく病跡学では、躁うつ病やうつ病のような気分障害が創造性ともっとも関係しているそうですが(p.32)、EBMしか信じない方は、本書の価値は理解できないでしょう。
本書の骨格を示しておきます。近代的主体、つまりデカルトが登場するまでは、「メランコリーと創造」が問題となっていたが、それ以後は「統合失調症と創造」の関係が問題となった(p.106-107)。しかし、総合失調症と創造の関係が見えなくなったこの時代において(p.222)、「創造と狂気」の関係を問い直すためにドゥルーズを登場させます。
・デカルト;
「われ思う故にわれあり」は、どんなに疑っても疑い得ないものと教えられてきましたが、疑っている私以外のものを信じられないなら、この私も信じられないのではないかと、かねがね思っておりました。本書においてデカルトのこのコギトは、悪霊に欺かれる可能性があるなかで、コギトのお題目を唱えるときだけ悪霊を退散させる御札のようなものという考察(p.120)は、大変おもしろいし、私の疑問も解消しました。近代的主体は狂気と無縁ではないのです。
・カント;
カントは『脳病試論』1764年において、人間能力の感性・悟性(知性)・理性に、「あたまの病」として狂気・狂疾・錯乱を対応させます(p.136-138)。狂気は感性の異常、つまり幻覚のことです。カントはルソーを例にあげています。狂疾とは、感覚の異常はないが倒錯した判断を下すこと、つまり関係妄想のことです。錯乱は狂疾が重症化した理性の無秩序状態のことです。これは、現代の視点から見てもそれほど突飛なものではありません。
感性・悟性(知性)・理性の構造は狂気とつながっています。つまり、「狂気になる可能性をもつことが、人間の条件である(p.139)」ことになります。似たような話をフロイトについても聞いたことがあります。イド・自我・超自我の構造が正常と異常をつなげたという話です。フロイトの『自我とエス』は1923年の発表ですから、カントはフロイトより159年前に、人間は内部に狂気をはらんでいることを指摘していたのです。そして、そのはらんだ狂気に対する不安を封じ込めるために生まれたのがカントの哲学だったのです(p.156)。
・ヘーゲル;
ヘーゲルは「狂気を乗り越える哲学」をつくりあげた人です(p.157)。ヘーゲルの『精神現象学』は、しばしば教養小説、主人公があまたの苦難を乗り越えつつ人格を統治していく物語になぞらえられ(p.158)、その弁証法的な過程のなかで、狂気は自己意識が絶対知に至るまでに必要とされる項だとされるのです(p.160)。
ヘーゲルと同時代の「近代精神医学の父」と呼ばれるフィリップ・ピネルは、部分狂気という概念をつくりあげました。こころの機能のすべてが狂うのではなく、一部分だけが狂っているとするものです。ピネルはそれまで鎖につながれていた精神障害者の鎖を解き、彼らに道徳療法を施しました。これは残存する理性に働きかけて治療しようとするものであり、現在の精神療法(心理療法)の原型となっています(p.163)。
・症例 ヘルダーリン;
ヘルダーリンは病跡学では統合失調症の典型ですが、二度の危機があったようです。1795年の「イエナでの抑うつ」と1799年の「新雑誌創刊に端を発する発病」です。この二つの契機を著者は「理想と現実」で説明しようとします。大詩人シラーという理想に手が届かない到達不可能性がヘルダーリンを「イエナでの抑うつ」に追い込んだ(p.193)。そして、理想実現のために新雑誌創刊という思い上がりがなされ、その必然的な挫折が種々の精神症状を導いたと分析します(p.191)。「理想と現実」の二者択一のあいだで「現実」を選んだのが「イエナでの抑うつ」で、新雑誌の創刊をもって「理想」を選んだのが統合失調症の発病ということになります(p.193)。
これは、社会学者エミール・デュルケームのアノミー概念のパラフレーズである、ロバート・マートンの緊張理論(strain theory)に似ています。「理想と現実」は、「アメリカン・ドリームと成功にいたる制度的手段」に置き換わりますが。
・ハイデガー
ハイデガーは神の庇護が失われた時代、自らの存在を問う哲学を展開するために、ヘルダーリンを何度も参照します(p.213)。特に「否定神学論」にとって重要となります。否定神学論とは、「神は人間の通常の認識や言語では捉えられないものであるけれども、むしろその捉えられなさという否定性それ自体を重要なものとみなす」考え方です(p.215)。ヘルダーリンのような詩人は、隠れてしまった神々の痕跡を感知し、その痕跡に名を与えることによって、将来において神々が到来する場を準備するとハイデガーは主張するのです(p.216)。
・ドゥルーズ;
総合失調症と創造の関係が見えなくなったこの時代は、自閉症スペクトラム障害が統合失調症の代わりを務めることになります。総合失調症は、人生上のある決定的な出来事に忠実であろうとします。そうすることこそが主体を保つことになるからです。草間彌生が横尾忠則とのインタビューで、唐突にニューヨークでの成功体験の話をし出すのはそれです。一方、自閉症スペクトラム(ASD)は決定的な出来事から逃走を図ろうとするのです(p.285)。逃走は深層には至らず表面を好みます。そこにはデータとアルゴリズムがあるだけかもしれず、偶然と賭けを好みます。確かに最近の芸術は、ASD的な特徴があるように思えます。
本書の最後の文章は、「(ASD戦略は、)表象可能なものを夢や症状といったもので代理的に表象する神経症的な戦略とも、不可能なものの深淵に落ち込んでしまう精神病的な戦略とも異なる、別の仕方での不可能なものとの関係を可能にするでしょう。その 可能性に賭けることこそが、ドゥルーズを導いた三人のASD者の文学が目指したことだったように思われます(p.351)」と結ばれています。
三人とは、ルイス・キャロル、レーモン・ルーセル、ルイス・ウルフソンのことです。ルーセルとウルフソンは、ほとんど知られていませんが、キャロルとは『不思議の国のアリス』を書いた作家です。
個人的には『不思議の国のアリス』は好きではありません。というより理解できないのです。どうやら私は、人生の出来事にこだわって、おのれの主体を大事にして生きていくしかなさそうです。
なにしろ丁寧に書かれていますから、登場する哲学者の理論の理解が進みます。一般向けの本でもないのに「精神分析」の説明があったり(p.12)、国語辞典でもないのに「尖兵」の説明があったりするのです(p.32)。それと、前説のまとめをしてから次の説明をするというスタイル、つまり繰り返しが多くあるのも理解を助けてくれます。著者の講義を聴く学生に向けて書かれたという印象です。
最近のエビデンス・ベイスド・メディスン(EBM)に基づく病跡学では、躁うつ病やうつ病のような気分障害が創造性ともっとも関係しているそうですが(p.32)、EBMしか信じない方は、本書の価値は理解できないでしょう。
本書の骨格を示しておきます。近代的主体、つまりデカルトが登場するまでは、「メランコリーと創造」が問題となっていたが、それ以後は「統合失調症と創造」の関係が問題となった(p.106-107)。しかし、総合失調症と創造の関係が見えなくなったこの時代において(p.222)、「創造と狂気」の関係を問い直すためにドゥルーズを登場させます。
・デカルト;
「われ思う故にわれあり」は、どんなに疑っても疑い得ないものと教えられてきましたが、疑っている私以外のものを信じられないなら、この私も信じられないのではないかと、かねがね思っておりました。本書においてデカルトのこのコギトは、悪霊に欺かれる可能性があるなかで、コギトのお題目を唱えるときだけ悪霊を退散させる御札のようなものという考察(p.120)は、大変おもしろいし、私の疑問も解消しました。近代的主体は狂気と無縁ではないのです。
・カント;
カントは『脳病試論』1764年において、人間能力の感性・悟性(知性)・理性に、「あたまの病」として狂気・狂疾・錯乱を対応させます(p.136-138)。狂気は感性の異常、つまり幻覚のことです。カントはルソーを例にあげています。狂疾とは、感覚の異常はないが倒錯した判断を下すこと、つまり関係妄想のことです。錯乱は狂疾が重症化した理性の無秩序状態のことです。これは、現代の視点から見てもそれほど突飛なものではありません。
感性・悟性(知性)・理性の構造は狂気とつながっています。つまり、「狂気になる可能性をもつことが、人間の条件である(p.139)」ことになります。似たような話をフロイトについても聞いたことがあります。イド・自我・超自我の構造が正常と異常をつなげたという話です。フロイトの『自我とエス』は1923年の発表ですから、カントはフロイトより159年前に、人間は内部に狂気をはらんでいることを指摘していたのです。そして、そのはらんだ狂気に対する不安を封じ込めるために生まれたのがカントの哲学だったのです(p.156)。
・ヘーゲル;
ヘーゲルは「狂気を乗り越える哲学」をつくりあげた人です(p.157)。ヘーゲルの『精神現象学』は、しばしば教養小説、主人公があまたの苦難を乗り越えつつ人格を統治していく物語になぞらえられ(p.158)、その弁証法的な過程のなかで、狂気は自己意識が絶対知に至るまでに必要とされる項だとされるのです(p.160)。
ヘーゲルと同時代の「近代精神医学の父」と呼ばれるフィリップ・ピネルは、部分狂気という概念をつくりあげました。こころの機能のすべてが狂うのではなく、一部分だけが狂っているとするものです。ピネルはそれまで鎖につながれていた精神障害者の鎖を解き、彼らに道徳療法を施しました。これは残存する理性に働きかけて治療しようとするものであり、現在の精神療法(心理療法)の原型となっています(p.163)。
・症例 ヘルダーリン;
ヘルダーリンは病跡学では統合失調症の典型ですが、二度の危機があったようです。1795年の「イエナでの抑うつ」と1799年の「新雑誌創刊に端を発する発病」です。この二つの契機を著者は「理想と現実」で説明しようとします。大詩人シラーという理想に手が届かない到達不可能性がヘルダーリンを「イエナでの抑うつ」に追い込んだ(p.193)。そして、理想実現のために新雑誌創刊という思い上がりがなされ、その必然的な挫折が種々の精神症状を導いたと分析します(p.191)。「理想と現実」の二者択一のあいだで「現実」を選んだのが「イエナでの抑うつ」で、新雑誌の創刊をもって「理想」を選んだのが統合失調症の発病ということになります(p.193)。
これは、社会学者エミール・デュルケームのアノミー概念のパラフレーズである、ロバート・マートンの緊張理論(strain theory)に似ています。「理想と現実」は、「アメリカン・ドリームと成功にいたる制度的手段」に置き換わりますが。
・ハイデガー
ハイデガーは神の庇護が失われた時代、自らの存在を問う哲学を展開するために、ヘルダーリンを何度も参照します(p.213)。特に「否定神学論」にとって重要となります。否定神学論とは、「神は人間の通常の認識や言語では捉えられないものであるけれども、むしろその捉えられなさという否定性それ自体を重要なものとみなす」考え方です(p.215)。ヘルダーリンのような詩人は、隠れてしまった神々の痕跡を感知し、その痕跡に名を与えることによって、将来において神々が到来する場を準備するとハイデガーは主張するのです(p.216)。
・ドゥルーズ;
総合失調症と創造の関係が見えなくなったこの時代は、自閉症スペクトラム障害が統合失調症の代わりを務めることになります。総合失調症は、人生上のある決定的な出来事に忠実であろうとします。そうすることこそが主体を保つことになるからです。草間彌生が横尾忠則とのインタビューで、唐突にニューヨークでの成功体験の話をし出すのはそれです。一方、自閉症スペクトラム(ASD)は決定的な出来事から逃走を図ろうとするのです(p.285)。逃走は深層には至らず表面を好みます。そこにはデータとアルゴリズムがあるだけかもしれず、偶然と賭けを好みます。確かに最近の芸術は、ASD的な特徴があるように思えます。
本書の最後の文章は、「(ASD戦略は、)表象可能なものを夢や症状といったもので代理的に表象する神経症的な戦略とも、不可能なものの深淵に落ち込んでしまう精神病的な戦略とも異なる、別の仕方での不可能なものとの関係を可能にするでしょう。その 可能性に賭けることこそが、ドゥルーズを導いた三人のASD者の文学が目指したことだったように思われます(p.351)」と結ばれています。
三人とは、ルイス・キャロル、レーモン・ルーセル、ルイス・ウルフソンのことです。ルーセルとウルフソンは、ほとんど知られていませんが、キャロルとは『不思議の国のアリス』を書いた作家です。
個人的には『不思議の国のアリス』は好きではありません。というより理解できないのです。どうやら私は、人生の出来事にこだわって、おのれの主体を大事にして生きていくしかなさそうです。
2019年9月19日に日本でレビュー済み
狂気の視点から西欧思想史を総括した書物。発想のあまりのユニークさにもかかわらず、その叙述の整合性と説得力によって私は膝を叩いてしまうこと幾度にも及んだ。ドウ―ルーズが到達地点ではないだろう。そこからどうするのかという問いかけとヒントにまで著者は到達している。