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χの悲劇 The Tragedy of χ (講談社文庫) 文庫 – 2019/5/15
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香港のトラムで起きた密室殺人と、果てしなく広がるバーチャル空間での光速の追跡劇。
天才を追い、天才に追い詰められる。
「そう。ここが私の世界だ」
香港で仕事をする島田文子のもとに男が現れた。島田が真賀田研究所にいた頃に起きた飛行機事故について質問があるという。その日、走るトラムの中で殺人が起き、死者の手に「χ」の文字が遺される。乗客として警察の捜査に応じた島田だったが、そこである交換条件を持ちかけられ……。Gシリーズ後期三部作開幕!
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2019/5/15
- 寸法10.5 x 1.4 x 15 cm
- ISBN-104065142539
- ISBN-13978-4065142530
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商品の説明
著者について
作家。工学博士。1957年12月生まれ。名古屋大学工学部助教授として勤務するかたわら、1996年に『すべてがFになる』(講談社)で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。以後、続々と作品を発表し、人気を博している。小説に『スカイ・クロラ』シリーズ、『ヴォイド・シェイパ』シリーズ(ともに中央公論新社)、『相田家のグッドバイ』(幻冬舎)、『喜嶋先生の静かな世界』(講談社)など、小説のほかに『自由をつくる、自在に生きる』(集英社新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)など多数の著作がある。2010年には、Amazon.co.jpの10周年記念で殿堂入り著者に選ばれた。ホームページは、「森博嗣の浮遊工作室」。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2019/5/15)
- 発売日 : 2019/5/15
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 352ページ
- ISBN-10 : 4065142539
- ISBN-13 : 978-4065142530
- 寸法 : 10.5 x 1.4 x 15 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 103,593位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について

1957年愛知県生まれ。工学博士。
某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。
ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)、『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書)など新書の著作も多数ある。
ホームページ「森博嗣の浮遊工作室」(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/)
●これから出る本→予定表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/timetable.html)
●作者による作品の紹介(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/myst_index.html)
●出版された本の一覧→出版年表(http://www001.upp.so-net.ne.jp/mori/myst/nenpyo.html)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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プライバシィのなにとなにとなにとを守りたいのか、とか。
具体的にやらないと守れそうにないな、と思う。無限に考えるつもりなのだろうか。
情報セキュリティなら、どのように守られているのか。古典暗号と現代の暗号はどう違うか。
なんでこのネットワークブーム(禍?)にネットワークのお勉強をやろうとしないのか。新世代に期待とかは言ってられない。30代後半はロートルかもしれないが、ネットワークセキュリティのお勉強も面白いと思っている。
何故つながるのか?も重要だけど何故つながらないのか?も大変な苦労あってのものだ。
長年エンジニアが何故つながらないのかを考えてつながるようにしてきただろう、と想像する。
今近くにあるネットワークに接続する機器はどのような通信方法を用いているか。それから知っていこうよ、と思う。
ルーターもスイッチも様々なインターネット器材が面白いから。
面白いから勧めたいけど。面白いだけじゃダメなのか?
僕が面白いと思ってるだけか?
著者風に言うと境界条件を定めて、あり得ない状況から排除していく。
多くは動機。それを考えると無数にありすぎるから、考えたくない。人の数だけと経過時間分だけ。
動機と実行手法は無関係だ。ことさら、できそうか否かについては。
やりたいことの目的を明確にするのは大切かもしれないけど。守りたい側にとっては、何者かを想定するのはとても広い範囲の実行者(攻撃者)を考えることになる。なによりも守りたいだけなのだから。
それより理論上で良いから攻撃を守る手法を考える。そうすると自然に防衛に対しても信頼が置ける。
そのうちにネットワークに興味が出てDHCPも面白いよ!といえる時代が来てくれないかな、と思っている。
可能性が確率ではダメなのか。
その防衛の学習過程を踏めば攻撃を受けたことにも気づけるし、対処も増やせる。
何故それができるのか?を考えることはセキュリティでも働く。
鹵獲した武器を拾うような形を情報セキュリティはもっていない、と僕は考える。それを拾うということは、もうセキュリティは破綻した、と考えているからだ。
セキュリティを組む側には誰しもがなれるはずだ。
数の相手を考えることはそこまで面白くないことだろうか?
世の中を見ていると、自分の動機も(もしかしたら)なにかをしてくる人がもつ動機も不安の対象になってるように見える。
そうなってると、なにかをされるかわからない状態だ。これはなにもかもを不信にさせる状態だ。
これは、可能か否かで言うなら、犯罪小説でやられることはその条件さえ整えば可能、ということと同じだ。
それより自分の居る環境、立場からなにができるのか、なにが何者かにできそうか、を考えるべきだろう。
やっぱりなにを守りたいのか?ぐらいを考えてから守ろうとしないと、なにも守れないしなにもかもが信用できないのじゃないだろうか。
なにを失いたくないか、なにを秘匿したいか、でもいい。
プライバシーにせよ、データにせよ法人個人、様々な立場、問わず秘匿したいものは大なり小なりあるのは普通だろう。
例えば、企業が持つ利益を作るためのプロセスは、その企業から守るべきに値しないだろうか。それは判定されて大事にされるべきと思われるようなものではないのだろうか。
個々人の持つプライベートなエリアだとしてもなにを守りたいかぐらいは考えてしかるべきもののはずだ。それに、生活中に唐突に来客がやってくるときの慌て方のように、プライベートエリアの考え方は既にもっているんじゃないだろうか。慌てて片付けたりするのだから、やはり見られたくないのだろう。(それともぶら下がり健康器にかかった洗濯物とか移動させたりしないのだろうか?)
プライバシィとは個の感覚の中に入られる性質より、私室に入られるようなものではないだろうか。
それに対する攻撃は誰もができることだろうか。
(ちなみに僕の部屋の場合は踏み抜くと足の裏に刺さるものが落ちているから、あまり人が入ることは勧められないし私室だからあるものについてはあんまり問われたくない。)
ここを問うと防犯やセキュリティの目途が明瞭にしやすい。
何故私たち生活する人々は防犯をしてきたのだろうか?また、どのように達成してきたのだろうか?
文化的かもしれないが文化が守ろうとしているものは、案外大切なものだったんじゃないだろうか。
あの頃から働き続けたインターネット(ネットワーク)が、この先未来に残ろうともなんらおかしくはないが、なにか新しい仕組みに遺産的に引き継がれた言葉が残ったりすることもあるかもしれない。
例えば、DNSの歴史から見たときのhosts.txtとか。
これら様々な電子計算機と通信の歴史が膨大だとしても、膨大に見えたとしても、ただただ、ただ、ただ、お勉強をすることは禁止されてないはずだ。
何故、やってみようとしないのだろう。
頑張れば安心できる根拠を様々見つけられるかもしれない。
そういったものの解は何億年に一回という確率で形になるかもしれない。その数値的なありえなさを感じられたら安心するんじゃないだろうか。
それとも個々人の秘密の比重はその時間よりも長かったりするのだろうか?
なにかに安心していきたくないのだろうか。
不安になりそうな要素ならその不安が達成されてしまう状況が如何に困難そうなのかを自分で設問を作り解こうとすれば良い。ついでに検算あたりでもすればよい。境界条件を変えてみたりとか。
例えば、現行のプロセッサで素数の発見を何桁か定める。何秒、何分、何時間、何日、何ヶ月、何年かかるだろうか?このとき自分のもっているプロセッサあたりで良いのではないのだろうか。
スパコンの性能を指標にされても困ると思う。誰もがもっているわけではないから。
また手計算や暗算とかでも指標にはならない。苦労する形が目に見えていそうな解法だ。何故、電子計算機を使っていてそれを使わないのか。試験で使用禁止と書いてある場合とは違うと思う。
問うべきなのは何者から守られたいか、も含めるかもしれない。
相手は情報機関か。公安のような組織か。軍事関係者か。
もしもその辺に居る人なら、その辺に居る人である自分を指標にしたらどうだろうか。
もしも「特殊な手法があるかもしれない」と想像したなら最初から無限に考えることになる。
可能か否かなら可能じゃないか、と思うが、NSAとかすごい組織が僕という個人の持つデータをのぞいてみたいと思うだろうか。それだけのリソースを割くだろうか。
僕の通信は案外くだらないものばかりだ。この文面などは、通信傍受、攻撃側にとってどれほどの価値があるだろう?
ささやかなことだが、僕は小さい頃に隕石が布団に直撃してしまうことを想像した。そのときはやはりとても怖かった。
だが、本当にピンポイントで僕の布団に落ちてくる奇跡は起きるだろうか。僕はその確率を未だ知らない。
問うこととは明らかにすることで、明らかにすると安心することができそうだ。それでも、少なくとも僕の直上に隕石はまだ落ちてきてはいない。布団の上にもまだ落ちてきてはいない。
布団の面積は地球表面の面積の何分の一だろう?また隕石が地球重力にとらわれる間隔の平均はいくつぐらいだろう。僕はまだこれを求めていない。
素因数分解がむつかしいとされる根拠は一体何なのだろうか?楕円形の円周や面積を求める方法はどのようにするのだろう?
そのように問うことで安心することはできないだろうか。目的に直接関係することを考えてみたらどうだろうか。
僕はネットワークのスペシャリストでも職人でもないけど、そのくらいのお勉強はする。やってみると面白いな、と思う。(ちなみに僕はお坊さんだ。)
何故電子計算機なのか。何故デジタルなのか。ずっと問うてもいいが、何故これらが数学なのかを問うことが一番先に疑問にならないのだろうか。
それを考えることも工学なのではないか、と僕は考えている。
ひとりひとりが工学をする時代になればいいのに、と思う。
工学ほど手堅い分野もないのではないか、と思う。
確かにグラフィカルで美しくて格好よいとはかぎらない。(場合と見方によってはそうなるかもしれないが。)
そうだとしても、面白いものだと僕は思ってる。
なにかを組み立てていく形に堅実さがなくてどうするのだろう。それが安心の組み立てだとしたなら、安心するための過程はどのように考えたら良いのか、を問いたいと思う。
現実とはなにか。現実を考えるときに存在するもの。
だいたい概念なら当てはまりそうだ。
ラーメンを食べたい気持ちとはなにか。
ラーメンを食べたい気持ちを考えているときに存在するもの。(強弁)
でも、プライバシィとはなにか、とかも成立しそうだ。
必要なのは現代語辞典だけだろうか?
国語辞典も英和辞典も必要なんじゃないだろうか。
少なくとも不安定化していく気持ちより、向き合う形の方が建設的なのではないだろうか。重要ならなおのこと考えるべきなのではないか。
ちなみに極めつけの余談だが、著者は遠心力に関わることが大好きなのかなーと僕は思っている。
確かに、見えない力ってすごいもんね。僕には電子が見えないから、等価回路と実配線の違いがとても面白く見えている。
ここから、ようやく感想が書けるが、気付いてしまったことがあまりに大きすぎると、秘匿するしかないだろう。頭の中に、が一番多い。人には言えないからだ。
それを用いるときは人生を賭けるほどのアドベンチャーだろう。
長い長い我慢の果てに、自分の技量をすべて解放したなら、とてもとても満足だろう。それを行う意図が不明でも。
ただそれを解放するまでの時間が長すぎたのなら。涙を流したくなるほどだ。
僕の場合、技術の話は少しも言う機会を持たないし、言いたいとも思わない。言う必要が出たときだけ言うだろう。
ただその技術の話はやっぱり言う機会はほとんどなかったりする。
近年詰問されて考えて悩んだほどだ。何故知っているのか。
そういえばネットワーク技術のお勉強は二十年ほどひとりでしかやってこなかったな、と気付いた。
そのときは何故だかとても焦りとても悲しくなった。
でも今はまた孤独とお友達だ。
ただひたすらやりたいことをやっていたいからだ。
本の裏側が謎の液体が少し付着していたので星4
凄い。この本は凄い。Gシリーズを完全に甘く見ていた。いや、森博嗣を甘く見ていたと言うべきか…
特に作中の、チームを組んでサーバに侵入するシーンのスリリングな描写はすべてがFになる以来というか、髣髴とさせるものである。この手に汗握る(古い表現だが)文章を書かせたら森博嗣の右に出るものはいまい。
この部分だけでも読む価値がある。
エラリィ・クイーンの「Xの悲劇」は森博嗣が初めて読んだミステリィだという。それだけに、この一作にかける力も大きかったのではないか。
正に、Gシリーズの他の作品とは明らかに一線を画する。「s&M」「Vシリーズ」「Xシリーズ」含めて、鍵となる極めて重要な作品である。
個人的には、「最後の十文字」が、「さむけ」がした。
クイーンは「悲劇3部作」がある。そして、森博嗣もこのカイの悲劇含めて3部作の悲劇シリーズを始めるという。マジでわくわくするではないか…。
森先生のすべての作品は、【F】で描き切れなかった四季博士の思考を埋めるためにあります。
今作品では”らしい”会話もしています、大満足。
文庫とはいえ帯がイマイチ、新人の練習作かな、シリーズを分かってない雰囲気が出ています。
装丁(カバー)はいいだけに残念。
トリックですが、【F】に近いですね。
久しく離れていた人にも勧められる作品だと思います。
希望を言えば、文庫落ちした作品は想定年月(2030年とか)を書いてほしい。
Vが終わって(アレを隠す必要がなくなったんだから)、ちょっとインデックスが欲しいです。