私自身、メキシコのアズテカ文明、マヤ文明などの遺跡を訪問したことがあり、中南米の先住民族の文明がスペインによって完膚なきまでに破壊された歴史について何冊かの本を読んだ。
スペインはヨーロッパを起点として西回りに勢力を伸ばし、メキシコ湾、カリブ海の諸国を「西インド諸島」と名付けた。
さて、本書はポルトガルのバスコダガマが切り開いた、ヨーロッパから東回りにアジアに到達するコースについての記述から本論に入る。日本ではバスコダガマはヨーロッパから、アフリカの南端、喜望峰を巡ってインドに到達した英雄として語られることが多いが、本書によれば通商航海とはなばかりで、艦砲射撃で徹底的に途中の諸国を痛めつけ、そのうえで有利な条件で通称を結ぶという威嚇商法であったことがわかる。
ポルトガルは、この航路開拓によってインドネシアをはじめとする香辛料の産地を勢力下に置き、大きな利益を上げることができた。
これをみた、イギリス、オランダ、フランスなどが、それぞれ「東インド会社」なるものを設立し、香辛料貿易に割って入った。本書では、それぞれの国の「東インド会社」の成り立ち、歴史など個別に詳述するのみならず、それがヨーロッパの文化にいかなる影響を与えたかについても説明されている。
わが国の歴史にも大きな足跡を残した東インド会社。日本は、これらの国の武力の餌食にならず、逆に長崎の出島経由でしか貿易を許さないという強い態度に出た。これは、当時のアジア諸国の中で、日本だけが「国民国家」として独立国の体裁を保ち、武力も強かったので、領土的野心をもっていたスペインやポルトガルをお出入り禁止にすることが出来たという。
オランダが出島に居留することによって、多くの混血児が生まれたが、ジャガタラお春など、歌謡曲でお馴染みの人物にまで説明が及んで至れり尽くせりである。
例えば、お茶は、英国の上流階級の嗜みとされているが、東インド会社が中国のお茶を輸入するまで英国にはお茶がなかったなど興味のある話である。
ここには書き尽くせないが、東インド貿易によって隆盛を極めた東インド会社も、英国に端を発した産業革命によって、アジアの綿布を取引すメリットも無くなり、次第に会社としての勢いを失い、最後には消滅してしまう。
本書は東インド会社、およびその周辺の国々の文明と歴史について細かく説明されていて、その学術的価値を認められ中国や韓国でも翻訳されている学術書である。
惜しむらくは、文庫版にギッシリと内容を詰め込んであるので、文字も小さく読みにくい。もう少し大きな活字を使ってくれたら、もっと読みやすかったろう。
一朝一夕に読み終える内容ではないが、暇なときに少しずつ咀嚼しながら読めば、東インド会社の世界史的意義を堪能できるでしょう。
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興亡の世界史 東インド会社とアジアの海 (講談社学術文庫) 文庫 – 2017/11/11
羽田 正
(著)
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17世紀のイギリス、オランダ、フランスに相次いで誕生した東インド会社。この「史上初の株式会社」の興亡を通して、世界が大きく変貌した200年を描きだす異色作。喜望峰からインド、中国、長崎にいたる海域は、この時代に「商品」で結ばれ、世界の中心となり、人々の交流の舞台となっていた。そして、綿織物や茶、胡椒などがヨーロッパの市場を刺激して近代の扉を開き、現代に続くグローバル社会の先駆けとなったのだった。
講談社創業100周年記念企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第3期の3冊目。
近年ますます進展する世界の「グローバル化」は、いつ始まったのか。ひとつの大きな転機をもたらしたのが、17世紀のヨーロッパに相次いで誕生した「東インド会社」である。本書は、この「史上初の株式会社」の興亡を通して、世界が近代に向かって大きく変貌した200年を描きだす異色作である。
ヴァスコ・ダ・ガマの「インド発見」に始まった「ポルトガル海上帝国」に代わって、16世紀末から東インド航海で大きな富を得たのが、オランダとイギリスだった。喜望峰からインド、東南アジア、中国、長崎にいたる海域、すなわち「アジアの海」が、この時、世界の中心となり、人々の交流の舞台となったのである。
イェール大学の設立に大きく寄与したイギリス東インド会社マドラス総督、エリフ・イェールや、平戸の日蘭混血児で後にオランダ東インド会社バダヴィア首席商務員の妻となったコルネリアなど、数奇な運命をたどった人びと。綿織物や茶、胡椒など、ヨーロッパの市場を刺激し、近代の扉を開いたアジアの商品。そして、東インド会社がその歴史的役割を終えた時、世界はどのように変貌していたのか。
[原本:『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』講談社 2007年刊]
講談社創業100周年記念企画「興亡の世界史」の学術文庫版。大好評、第3期の3冊目。
近年ますます進展する世界の「グローバル化」は、いつ始まったのか。ひとつの大きな転機をもたらしたのが、17世紀のヨーロッパに相次いで誕生した「東インド会社」である。本書は、この「史上初の株式会社」の興亡を通して、世界が近代に向かって大きく変貌した200年を描きだす異色作である。
ヴァスコ・ダ・ガマの「インド発見」に始まった「ポルトガル海上帝国」に代わって、16世紀末から東インド航海で大きな富を得たのが、オランダとイギリスだった。喜望峰からインド、東南アジア、中国、長崎にいたる海域、すなわち「アジアの海」が、この時、世界の中心となり、人々の交流の舞台となったのである。
イェール大学の設立に大きく寄与したイギリス東インド会社マドラス総督、エリフ・イェールや、平戸の日蘭混血児で後にオランダ東インド会社バダヴィア首席商務員の妻となったコルネリアなど、数奇な運命をたどった人びと。綿織物や茶、胡椒など、ヨーロッパの市場を刺激し、近代の扉を開いたアジアの商品。そして、東インド会社がその歴史的役割を終えた時、世界はどのように変貌していたのか。
[原本:『興亡の世界史15 東インド会社とアジアの海』講談社 2007年刊]
- 本の長さ416ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/11/11
- 寸法10.8 x 1.6 x 14.8 cm
- ISBN-104062924684
- ISBN-13978-4062924689
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商品の説明
著者について
羽田 正
1953年大阪市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。パリ第3大学で博士号取得。東京大学東洋文化研究所所長を経て,現在,東京大学理事・副学長,東洋文化研究所教授。主な著書に『冒険商人シャルダン』『イスラーム世界の創造』(アジア・太平洋賞特別賞,ファーラービー国際賞)『新しい世界史へ』,編著に『地域史と世界史』『海から見た歴史』などがある。
1953年大阪市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。パリ第3大学で博士号取得。東京大学東洋文化研究所所長を経て,現在,東京大学理事・副学長,東洋文化研究所教授。主な著書に『冒険商人シャルダン』『イスラーム世界の創造』(アジア・太平洋賞特別賞,ファーラービー国際賞)『新しい世界史へ』,編著に『地域史と世界史』『海から見た歴史』などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2017/11/11)
- 発売日 : 2017/11/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 416ページ
- ISBN-10 : 4062924684
- ISBN-13 : 978-4062924689
- 寸法 : 10.8 x 1.6 x 14.8 cm
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2021年9月8日に日本でレビュー済み
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2022年10月29日に日本でレビュー済み
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東インド会社はイギリスのものが有名だが、日本にとってはオランダのものがなじみ深い。しかしそれ以前にはポルトガルが他に先駆けていたが現代から見ると影が薄い。その理由は何かということに加え、迎える側のアジア諸国、特に南アジアと東アジア、何より日本の対応との結びつきが興味深く解説されている。
イギリスもオランダもプロテスタントであり交易が目的が第一の目的だった。一方でポルトガルは本国の経済力と国力が貧弱なせいかカソリックの力を借りての進出だった。どこの国に進出するにしても宣教師がついていき、宣教をすすめて侵略するの繰り返しだった。一方でオランダはポルトガルが宣教師を使って侵略を企てていると情報を流すことで効率的に競争者を排除した。ただ、そのあと、食い込みを図った国の対応は様々だ。強力な統一政権を確立した日本では出島に押し込められたが、それ以外では植民地化を進めた。
明はポルトガルが朝貢貿易に組み込めないとみると排除したが、地方では私貿易が多すぎて規制がしり抜けになった。東南アジアやインドは政府の統治が緩い。ポルトガルやイギリス、オランダが港を求めて臨海部の小国を侵略しても内陸の大国は知らん顔をする。また欧州諸国が内陸に進出しても商品取引が盛んになって税が入れば気にしない。国の内と外、内国人と外国人の線引きがあいまいで国家意識が希薄だった。
その点、日本の場合は隋以来、中国との外交関係から国の違いに敏感であり、法的な整理も進んでいた。政府が国の内と外を意識して外国人をきちんと管理することで内政への影響を避けるという近代的な考え方だったことは特筆すべきだろう。間違っても外国人が自由に流れ込む雑居状態を良しとする今時の風潮で豊臣および徳川政権の決定を批判してはならない。むしろそれが正しいのだ。本書には若干そうしたぶれがある。
対比としては適当ではないと思うが、イギリスはマドラスを租借した結果、最終的にインドを併合した。アジアで植民地化を免れたのはタイと日本のみだが、タイは勢力の緩衝地帯としての独立であり、実状は日本のみが独立を維持できた。その前提条件は敵である欧米帝国主義と同等の政治、軍事、法制があることだが、その基盤は豊臣および徳川政権が用意したことは間違いない。
それにしても不思議なのはポルトガルもオランダも人口は100万から150万の小国だということだ。当時の欧州で日本と同じくらいの人口があったのはおそらく、フランスだけだ。フランスも東インド会社を持つが日本までは到達しなかった。それだけ航海に耐える人的資源と資金は欧州であっても希少だったということだ。
恐らく、豊臣および徳川政権はオランダやポルトガルの船団を見てその国力を見抜いていたのだろう。本気で日本に攻め込む力などなく、それゆえに管理も容易だから情報源として利用することにしたということだろう。
歴史学者には悪癖があり欧米は強力で日本の政府は無能で右往左往していたという色眼鏡で論じる者が多い。本書はそうした悪癖からは多少は自由だと感じる。
イギリスもオランダもプロテスタントであり交易が目的が第一の目的だった。一方でポルトガルは本国の経済力と国力が貧弱なせいかカソリックの力を借りての進出だった。どこの国に進出するにしても宣教師がついていき、宣教をすすめて侵略するの繰り返しだった。一方でオランダはポルトガルが宣教師を使って侵略を企てていると情報を流すことで効率的に競争者を排除した。ただ、そのあと、食い込みを図った国の対応は様々だ。強力な統一政権を確立した日本では出島に押し込められたが、それ以外では植民地化を進めた。
明はポルトガルが朝貢貿易に組み込めないとみると排除したが、地方では私貿易が多すぎて規制がしり抜けになった。東南アジアやインドは政府の統治が緩い。ポルトガルやイギリス、オランダが港を求めて臨海部の小国を侵略しても内陸の大国は知らん顔をする。また欧州諸国が内陸に進出しても商品取引が盛んになって税が入れば気にしない。国の内と外、内国人と外国人の線引きがあいまいで国家意識が希薄だった。
その点、日本の場合は隋以来、中国との外交関係から国の違いに敏感であり、法的な整理も進んでいた。政府が国の内と外を意識して外国人をきちんと管理することで内政への影響を避けるという近代的な考え方だったことは特筆すべきだろう。間違っても外国人が自由に流れ込む雑居状態を良しとする今時の風潮で豊臣および徳川政権の決定を批判してはならない。むしろそれが正しいのだ。本書には若干そうしたぶれがある。
対比としては適当ではないと思うが、イギリスはマドラスを租借した結果、最終的にインドを併合した。アジアで植民地化を免れたのはタイと日本のみだが、タイは勢力の緩衝地帯としての独立であり、実状は日本のみが独立を維持できた。その前提条件は敵である欧米帝国主義と同等の政治、軍事、法制があることだが、その基盤は豊臣および徳川政権が用意したことは間違いない。
それにしても不思議なのはポルトガルもオランダも人口は100万から150万の小国だということだ。当時の欧州で日本と同じくらいの人口があったのはおそらく、フランスだけだ。フランスも東インド会社を持つが日本までは到達しなかった。それだけ航海に耐える人的資源と資金は欧州であっても希少だったということだ。
恐らく、豊臣および徳川政権はオランダやポルトガルの船団を見てその国力を見抜いていたのだろう。本気で日本に攻め込む力などなく、それゆえに管理も容易だから情報源として利用することにしたということだろう。
歴史学者には悪癖があり欧米は強力で日本の政府は無能で右往左往していたという色眼鏡で論じる者が多い。本書はそうした悪癖からは多少は自由だと感じる。
2020年8月8日に日本でレビュー済み
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名前は誰でも知っている東インド会社の実態を知ることができた。オランダの会社とイギリスの会社の違い。日本での活動など、大変興味深い。
2017年11月17日に日本でレビュー済み
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東インドとは、ヨーロッパから希望峰を回ったところに開ける世界すべてをさす、ちなみに西インドとは大西洋の先にある新世界を言うから、今のインドとは何の関係もない。最初に東インドに進出したのはヴァスコ・ダ・ガマを擁したポルトガルである。しかし、そこにはすでにイスラム商人や華人商人によって中国、ジャワ、インド沿岸部、アフリカ沿岸部を結ぶ通商が活発に行われていたし、陸地にはいくつかの帝国が存在していた。このシステムに入り込む形でポルトガルは参入し、香辛料などをヨーロッパに持ち込み大きな利益を上げた。日本の種子島にもポルトガル人はやってきた。しかしこの貿易独占は長くは続かなかった。ポルトガルは広大な”海の帝国”を維持するほどの人口や経済力を持たなかったからだ。続いて、オランダが東インド会社を設立し、イギリスが続いた。東インド会社は航海の危険を回避するため、共同出資の形をとった。利益率は高いが、季節風を利用した航海はほぼ1年がかりだし、難破や略奪のリスクも高いからだ。東インド会社は各地の港に商館を構え、現地の政治には口出しをしなかった場合が多い、ジャワなどでは沿岸部を領土化した例もあるが、鎖国までの徳川幕府とは会社はことを構えず、いろいろな制約に大人しく従った、それだけ儲かるからである。インド洋とヨーロッパの貿易のみならず、インド洋とジャワあるいは日本、中国(明朝の海禁政策をくぐり抜ける必要はあったが)などとの貿易も利が大きかった。インド洋では陸の帝国は緩やかな支配をしたが、東アジアの明朝と徳川日本はより統制的な政策をとった。
著者はこのような大きな絵図を提示しつつ、その中で生きた様々な人物の生涯を跡付けてもいく。オランダ側の人物のみならず、日本人とオランダ人の混血児でジャワに渡った女性の話などとても興味深いものがあった。多くの東インド会社幹部が会社の船を私的に利用して自己の蓄財に励む例なども人間臭い、これが会社の利益を食ってしまうことになるのだが。1500年代からの200年間でヨーロッパからアジアに向かった人が200万人、帰った人が70万人だから、かなりの人数の移動があったのだろう。
しかし、東インド会社は政治に関わらないはずだったが、ふとしたことから、ベンガル地方の徴税請負を行うようになる。徴税するとはつまり統治することであるが、深い考えもなしにズルズルとのめり込んでしまい、版図は拡大していく。この政治的負担が会社の利益を毀損し、東インド会社はその性格を変えつつ最終的には自由貿易をよしとする時代の変化の中でその命脈を閉じていくのだ。インドの植民地化は産業革命後、イギリス製の綿織物の市場としての利用価値があったのだが、それは意図せざるものとして始まったのだ。それ以前は、インドはキャラコと呼ばれる質の高い綿織物の産地で、そもそもそれを目的にヨーロッパ人が進出した。ここらあたりの経緯(在来工業の破壊)が植民地主義の罪として告発されることになる。
著者によると、本書の成り立ちは、とある帝国の興亡の歴史を依頼されたのだが、著者がそれを断り本書のような海洋貿易史のスタイルになったのだという。その試みは大いに成功していると思われる。
著者はこのような大きな絵図を提示しつつ、その中で生きた様々な人物の生涯を跡付けてもいく。オランダ側の人物のみならず、日本人とオランダ人の混血児でジャワに渡った女性の話などとても興味深いものがあった。多くの東インド会社幹部が会社の船を私的に利用して自己の蓄財に励む例なども人間臭い、これが会社の利益を食ってしまうことになるのだが。1500年代からの200年間でヨーロッパからアジアに向かった人が200万人、帰った人が70万人だから、かなりの人数の移動があったのだろう。
しかし、東インド会社は政治に関わらないはずだったが、ふとしたことから、ベンガル地方の徴税請負を行うようになる。徴税するとはつまり統治することであるが、深い考えもなしにズルズルとのめり込んでしまい、版図は拡大していく。この政治的負担が会社の利益を毀損し、東インド会社はその性格を変えつつ最終的には自由貿易をよしとする時代の変化の中でその命脈を閉じていくのだ。インドの植民地化は産業革命後、イギリス製の綿織物の市場としての利用価値があったのだが、それは意図せざるものとして始まったのだ。それ以前は、インドはキャラコと呼ばれる質の高い綿織物の産地で、そもそもそれを目的にヨーロッパ人が進出した。ここらあたりの経緯(在来工業の破壊)が植民地主義の罪として告発されることになる。
著者によると、本書の成り立ちは、とある帝国の興亡の歴史を依頼されたのだが、著者がそれを断り本書のような海洋貿易史のスタイルになったのだという。その試みは大いに成功していると思われる。
2022年10月9日に日本でレビュー済み
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現代資本主義社会の代表的活動単位である株式会社、この源流である東インド会社に焦点をあて、その勃興と隆盛、そして終焉と、経済学を専攻していなくても興味深く読み進めることができました。現代の経済情勢の様々な見方の源流とも思える見方にも触れておられるので、単なる歴史書というより、今後の現代社会を考察する上での指南書のようにも考えています。特段、肩ひじ張らずに読み進めていけますので、これからの、ご発表される著作にも、期待大です。