佐藤先輩より一回り下の浦高OBです。
浦和高校で得たものは尊敬できる生涯の友人と先生方、そして佐藤先輩が仰るような高度な教養。
もちろん肉体面も大いに鍛えていただきました。
小職は早稲田の文系に進学し、のちに生保会社のリスク管理部門に勤務した経験があります。
同僚は旧帝早慶の理系院卒、アクチュアリー資格保持者ばかり。
そこで役に立ったのはやはり浦和高校で培った数学力・コミュニケーション力・熱意です。
文系の拙い数学力でも、最低限の数学的会話ができること、
文系ならではの視野や感覚を持っていること。本気で組織を改善しようと考えていたこと。
これらを駆使することでなんとか仕事を成就することができました。
数学や語学を回忌嫌忌して形だけの学歴職歴を得ることはできるのでしょうが、
それでは通用しない場面も社会では往々にしてある。
浦和高校はそういった場面での対応力をつけてくれる学校です。
浦高卒でなければ自分はあそこ(生保)でつぶされていたかもしれない。
生きる力を鍛えてくれたのは、間違いなく浦和高校です。
(子供にもいかせたいけど、女の子なので入れない、、、。そこだけは残念です)
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埼玉県立浦和高校 人生力を伸ばす浦高の極意 (講談社現代新書) 新書 – 2018/3/15
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購入オプションとあわせ買い
理想求めて集えり我等――受験特化型の進学校にも、富裕層向け私立校にも負けない公立高校の使命とは。浦高OBの佐藤優氏が徹底解説
私、佐藤優は1975年に埼玉県立浦和高等学校に入学、78年3月に卒業した。在学中、卒業当時は意識することはなかったが、作家として活動し、複数の大学で教鞭をとるうちに浦高のような地方の伝統校には教育上の深い知恵が詰まっているのではないかと思うようになった。2015年に母校で講演を行ったのを契機に約2年間をかけてまとめあげたものが本書である。
本書は、「高校時代の生き方」「大学受験」全般に関する極意について論じたものだ。書籍化にあたっては浦高の生徒や保護者だけではなく、全国の高校生・浪人生やその保護者、とくにお母さん方の参考になるような加除修正を心がけた。世界で通用するために身につけるべき分野は何か、なぜ文系は数学を、理系は世界史を勉強しなければいけないのかといった学習全般に関する話から、浪人は何浪までしてよいか、海外留学にはどの程度の資金が必要か、心に不調をきたした場合はどうすべきかなどといった、受験産業が教えてくれないような話まで率直に記している。
特に強調しておきたかったことは2点ある。一点目は「総合知」の重要性だ。東大合格者の出身校ランキングなどを見ると急に名前が登場したような高校がある。だが、こうした学校の多くは生徒の進学先を適性とは関係なしに振り分け、受験科目以外の勉強は捨てさせるようなシステムを採っている。時間をかけてでも、すべての科目を学ばせる、総合的な教養の礎=総合知を高校時代に築いておくことは重要だと考える。もう一点は、浦和高のような地方の伝統県立高校は、「経済格差=教育格差」というテーゼに対するアンチテーゼになりえるのではないかという視点である。有名私立進学校に富裕層の子女しか通えないようになっている現状に対して、浦和高校のような、一定の学力があれば経済環境とは関係なく入学・学べる公立高校の重要性は「機会の平等」という側面からもっと論じられるべきだ。
2020年度からはセンター試験に替わって新テストが始まる。この流れは「受験生の学力を測る」という意味では概ね正しく、施行後、10年ほどで高スペックの大卒者の数が増えるだろう。だが、それは、いまの高校生、大学生、20~30代の社会人にとって強力なライバルが出現するということでもある。これからの激動の受験時代をどう乗り越え、生きていくべきかを真剣に考えるすべての人に本書を読んでほしい。
私、佐藤優は1975年に埼玉県立浦和高等学校に入学、78年3月に卒業した。在学中、卒業当時は意識することはなかったが、作家として活動し、複数の大学で教鞭をとるうちに浦高のような地方の伝統校には教育上の深い知恵が詰まっているのではないかと思うようになった。2015年に母校で講演を行ったのを契機に約2年間をかけてまとめあげたものが本書である。
本書は、「高校時代の生き方」「大学受験」全般に関する極意について論じたものだ。書籍化にあたっては浦高の生徒や保護者だけではなく、全国の高校生・浪人生やその保護者、とくにお母さん方の参考になるような加除修正を心がけた。世界で通用するために身につけるべき分野は何か、なぜ文系は数学を、理系は世界史を勉強しなければいけないのかといった学習全般に関する話から、浪人は何浪までしてよいか、海外留学にはどの程度の資金が必要か、心に不調をきたした場合はどうすべきかなどといった、受験産業が教えてくれないような話まで率直に記している。
特に強調しておきたかったことは2点ある。一点目は「総合知」の重要性だ。東大合格者の出身校ランキングなどを見ると急に名前が登場したような高校がある。だが、こうした学校の多くは生徒の進学先を適性とは関係なしに振り分け、受験科目以外の勉強は捨てさせるようなシステムを採っている。時間をかけてでも、すべての科目を学ばせる、総合的な教養の礎=総合知を高校時代に築いておくことは重要だと考える。もう一点は、浦和高のような地方の伝統県立高校は、「経済格差=教育格差」というテーゼに対するアンチテーゼになりえるのではないかという視点である。有名私立進学校に富裕層の子女しか通えないようになっている現状に対して、浦和高校のような、一定の学力があれば経済環境とは関係なく入学・学べる公立高校の重要性は「機会の平等」という側面からもっと論じられるべきだ。
2020年度からはセンター試験に替わって新テストが始まる。この流れは「受験生の学力を測る」という意味では概ね正しく、施行後、10年ほどで高スペックの大卒者の数が増えるだろう。だが、それは、いまの高校生、大学生、20~30代の社会人にとって強力なライバルが出現するということでもある。これからの激動の受験時代をどう乗り越え、生きていくべきかを真剣に考えるすべての人に本書を読んでほしい。
- 本の長さ208ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2018/3/15
- 寸法10.6 x 1 x 17.4 cm
- ISBN-104062884704
- ISBN-13978-4062884709
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商品の説明
著者について
佐藤 優
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析第一課に配属。主任分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。2005年に著した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で鮮烈なデビューを飾り、翌2006年の『自壊する帝国』(いずれも新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。現代新書に『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』、『現代語訳 貧乏物語』(訳・解説)がある。
杉山 剛士
1957年東京都生まれ。埼玉県立浦和高等学校校長。1983年、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了後、埼玉県教員となる。地理歴史科・公民科教員として3校で勤務した後、同県の教育委員会や知事部局で行政職員に。教育局文教政策室長や高校教育指導課長を歴任するなど、主に教育計画の策定や指導行政の推進に携わる。2013年より浦和高等学校第29代校長。5年間校長職を勤め、2018年3月に定年退職。
1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。1985年に同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務などを経て、本省国際情報局分析第一課に配属。主任分析官として対ロシア外交の分野で活躍した。2005年に著した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で鮮烈なデビューを飾り、翌2006年の『自壊する帝国』(いずれも新潮社)で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞。現代新書に『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』、『現代語訳 貧乏物語』(訳・解説)がある。
杉山 剛士
1957年東京都生まれ。埼玉県立浦和高等学校校長。1983年、東京大学大学院教育学研究科修士課程修了後、埼玉県教員となる。地理歴史科・公民科教員として3校で勤務した後、同県の教育委員会や知事部局で行政職員に。教育局文教政策室長や高校教育指導課長を歴任するなど、主に教育計画の策定や指導行政の推進に携わる。2013年より浦和高等学校第29代校長。5年間校長職を勤め、2018年3月に定年退職。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2018/3/15)
- 発売日 : 2018/3/15
- 言語 : 日本語
- 新書 : 208ページ
- ISBN-10 : 4062884704
- ISBN-13 : 978-4062884709
- 寸法 : 10.6 x 1 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 315,071位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 334位早期教育
- - 679位学校教育ノンフィクション
- - 1,193位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
著者について
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元外交官で文筆家。ロシア情報収集・解析のエキスパート。魚住昭/ジャーナリスト。ノンフィクションに著作多数。青木理/ジャーナリスト。元共同通信記者。『日本の公安警察』『絞首刑』など著作多数。植草一秀/経済学者。日本経済、金融論が専門。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻 (ISBN-13:978-4838721566)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2018年4月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトルは出版社さんの方でつけたのでしょうね。「人生力」とか「極意」という語彙は手あかにまみれているので、この本にはなじまない気がしました。
ネットで著者と校長先生の対談を読み、この本のことを知って購入しました。
共感する部分もあり、面白かったです。
ネットで著者と校長先生の対談を読み、この本のことを知って購入しました。
共感する部分もあり、面白かったです。
2018年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
灘高生向け講義録である
君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話―
と、中学卒業までの著者の自伝エッセーである
先生と私 (幻冬舎文庫)
を読み、高校時代に著者がどういう勉強をしたかに関心を持ち、本書にそれが書いてあるのかと期待して購読しましたが、本書の「はじめに」にあるように、本書は講演会、校長先生との対話録であり、著者個人の高校時代の経験については本書は最小限の記述しかしておらず、詳しくは、著者の自伝エッセーのシリーズである、
私のマルクス (文春文庫)
と
十五の夏 上
、およびその下巻を併読してほしい、とのことでした。本書は2018年3月刊。もとになった講演は2015/9/30、座談会は2017/12/2、対談は2017/12,2018/1/22に行われたとのことです。
「はじめに」に親切に明示してある通り、高校生や保護者が知っておくべき勉強の指針と筆者が考えていることのエッセンスをまとめてあり、講演ないし対話の記録なので、たいへん読みやすいのですが、自伝エッセーシリーズの派生商品にすぎず、情報の新しさと深さがやや足りないと思いますので、星三つ。
面白い点は以下:
文科系でも数IIIまで、理科系でも世界史を勉強することを推奨しています。同感です。実社会でも結構使います。
「総合知」の獲得を推奨しています。こういう教育を公立高校が施して、受験でも実社会でも成功する生徒を輩出できることは、親の所得に関わらずにやる気のある子に教育を施して国家や社会を強くしていくために重要です。埼玉県にはまだ有力な私立中高が少ないから浦高は成功しやすいですが、公立の中高一貫教育校を増やして、また骨太の教育を施し続けて、公立校にも良い人材を輩出して欲しいです。
池上彰、山内昌之、宮家邦彦、柄谷行人を褒めています。著者と共著のある人が多いようです。
浪人を一年以上する人は、仕事が遅そうだから採用したくない、だから、同一の大学を目指して一浪以上するな、とのこと。
独自性の強い作問力のある大学(早慶上同等)の受験には、それ専用の準備が必要だから、東大京大志望者は気をつけろ、と言っています。確かにこれらの大学入試問題には相対的に独自性がありそうですが、加えて、少数科目で競って選抜するため総合的学力差を発揮しにくいから東大京大合格者が不合格となりやすいのだと思います。それはともかく、独自性とは、本書で紹介されているように、重箱の隅をつつくような勉強が必要であること(早稲田)だとすると、ガッカリします。誰もが準備すべきである、骨太の問いをして欲しいです。
面白そうな推薦図書が多数、例えば:
野矢茂樹「論理学」、「論理トレーニング101題」
芳沢光雄「論理的に考え、書く力」
二ーバー「光の子と闇の子」
ゲルナー「民族とナショナリズム」
ホブズボーム「20世紀の歴史」
柄谷行人「トランスクリティーク」、「世界史の構造」
「東大の数学入試問題を楽しむ 数学のクラシック鑑賞」
「大学基礎数学 キャンパス・ゼミ」
「東京大学教養英語本I」
いくつか、いい高校だ、とほめています:
灘、
浜松西(ノーベル賞受賞者の天野浩先生の出身校ですね)
私立武蔵
櫻蔭
「はじめに」に親切に明示してある通り、高校生や保護者が知っておくべき勉強の指針と筆者が考えていることのエッセンスをまとめてあり、講演ないし対話の記録なので、たいへん読みやすいのですが、自伝エッセーシリーズの派生商品にすぎず、情報の新しさと深さがやや足りないと思いますので、星三つ。
面白い点は以下:
文科系でも数IIIまで、理科系でも世界史を勉強することを推奨しています。同感です。実社会でも結構使います。
「総合知」の獲得を推奨しています。こういう教育を公立高校が施して、受験でも実社会でも成功する生徒を輩出できることは、親の所得に関わらずにやる気のある子に教育を施して国家や社会を強くしていくために重要です。埼玉県にはまだ有力な私立中高が少ないから浦高は成功しやすいですが、公立の中高一貫教育校を増やして、また骨太の教育を施し続けて、公立校にも良い人材を輩出して欲しいです。
池上彰、山内昌之、宮家邦彦、柄谷行人を褒めています。著者と共著のある人が多いようです。
浪人を一年以上する人は、仕事が遅そうだから採用したくない、だから、同一の大学を目指して一浪以上するな、とのこと。
独自性の強い作問力のある大学(早慶上同等)の受験には、それ専用の準備が必要だから、東大京大志望者は気をつけろ、と言っています。確かにこれらの大学入試問題には相対的に独自性がありそうですが、加えて、少数科目で競って選抜するため総合的学力差を発揮しにくいから東大京大合格者が不合格となりやすいのだと思います。それはともかく、独自性とは、本書で紹介されているように、重箱の隅をつつくような勉強が必要であること(早稲田)だとすると、ガッカリします。誰もが準備すべきである、骨太の問いをして欲しいです。
面白そうな推薦図書が多数、例えば:
野矢茂樹「論理学」、「論理トレーニング101題」
芳沢光雄「論理的に考え、書く力」
二ーバー「光の子と闇の子」
ゲルナー「民族とナショナリズム」
ホブズボーム「20世紀の歴史」
柄谷行人「トランスクリティーク」、「世界史の構造」
「東大の数学入試問題を楽しむ 数学のクラシック鑑賞」
「大学基礎数学 キャンパス・ゼミ」
「東京大学教養英語本I」
いくつか、いい高校だ、とほめています:
灘、
浜松西(ノーベル賞受賞者の天野浩先生の出身校ですね)
私立武蔵
櫻蔭
2018年6月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
在校生や卒業生にとっては嬉しい一冊であろう。母校が本の題名になっているのだから。
浦和高校を目指している中学生、保護者の皆さんは、この本を読めばよい。
不運にして浦和高校に入学を許されなかった者、あるいは地域の進学校に入学できなかった者は、以下のレビューを読んでみるのもよいかもしれない。
著者と年齢が近い。
私は体格も発想も幼い少年で、十代の頃はテストとか受験とかいうものの重要性を全く理解していなかった。
中学生になっても、小学生の時と同じように学校が終わり帰宅するとランドセルを放り出して遊びに行くという気持ちだった。
帰宅してまで、教科書やノートを開くのはまっぴらごめん。だいたい教科書に書いてあることを覚えて何になるという間違った考えを持っていた。
テストの点は悪くても全然気にならなかったので勉強に対する苦手意識、危機意識もなかった。自分の興味関心のおもむくままに行動していて、それが結果的に知的好奇心を満たしていたのだなと後になって理解した。
また、もともと身体が丈夫な方でなかったので、何もしてなくても夕方になると疲れる。中学生の時はよく寝ていた。
こんな生活態度では学力の向上は望むべくもなく、地元の公立入試は当然失敗し、都内の私立高校に入学した。私の「受験に奇跡」(p.102)は起きなかったわけである。努力をしていなかったので大きな失望もなかった。
高校生活のスタートは衝撃的な出来事で始まった。
どう見てもひげ面のおじさんが「おい、みんな集まれ」。彼は机をくっつけた上の椅子に座っていた。「牢名主」然としていて、姿は「チョウラン」「ボンタン」(死語?)、学生服を広げると、裏地には見事な龍の刺繍、内ポケットからタバコを取り出して皆にすすめる。受け取っている連中の服装髪型も似たり寄ったりで危険な目をした男たちもいた。私の番がきた。「僕は・・・」「何だと俺のタバコが吸えないっていうのか」とすごまれる。「あっ、いただきます」と私。
「カツアゲ」の被害に遭わない知恵も身についた。財布には大金を入れないこと。彼らも一々脅して巻き上げるのは効率的でない。要領の良い男は「カンパ」と称して、少額を効率よく集金する。私も何度かカンパしたことがある。
もっとも戦略的、分析的に考えて行動するのも疲れるので、そのうち自然体で接するようになった。すると何故か被害にあわなくなった。
彼女らの何割かは眉毛がなかった。緊張を強いられる「ツッパリ」「ズベコウ」との生活で自分も一遍に歳をとったような気がした。眉毛のない彼女らの何割かは「パー券」と称するパーティー券を売りつけようとする。これは数千円する。さすがに買えない。詳細は解らないが何処ぞかの資金源となる。
彼女たちとも普通に会話をするようになったし、彼女らと話すのは嫌ではなかった。たわいもない話題で時々見せる彼女らの表情は少女らしかった。それでも要注意人物であることには変わりがない。ソックスから「パー券」を出し、もう片方からカミソリを取り出した時には驚いた。二枚刃にすると傷口がくっつかないとカミソリを見せながら説明する。感心して聞き入ってしまった。
彼ら彼女らの武器はカミソリだけではない。学生鞄の取っ手を長くして振り回す。角には「くの字」にした鉄板が入れてあり、ヌンチャクやチェーンを忍ばせてある。
高校生同士の河川敷での決闘でこうした武器が使われたのかは知らない。新聞には出たが重傷者はいなかったと思う。それなりのルールがあったのであろう。翌日、警察から逃げ切った男の話を興味深く聞いた。警察は護送車も使い高校生を連行したそうだ。彼は塀に飛び乗り、ぎりぎりのところで捕まらなかったという。
流血のけんかを教室で見たことがある。けんかといっても勝負は一瞬にして着いた。「眼をつけた」とか「肩が触れた」とかいう類である。けんかの流儀を初めて知った。鼻血の出方が尋常ではなかった。
校内で暴走族のウィンドブレーカーを身につけていた男たちもいた。ある日、「学校近隣にバイクを止めている生徒は校庭に入れなさい」という放送があった。教室の窓から見ていると暴走バイクが校庭にズラッと並んだ。浦和高校に勝てそうなのは、けんかと暴走バイクレースだけかもしれない。
思い出したエピソードは、まだまだ沢山あるが止めておく。
高校生活が365日いつも危険であったわけではない。「危ない目つき」をしたクラスメートの大半は学校から去った。私のクラスからは2年生への進級時に10人が辞めた。
また環境にも慣れ、気の合う友達もできて、「受験刑務所」(p.12)とは対極の自由な校風をそれなりに楽しんでいたのかもしれない。ただ無事に卒業したいと強く願っていたのも事実である。
米国のピッツは神童で、12歳の時にラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』を読破し、多くの間違いを見つけたという。彼は家庭環境に恵まれておらず、学問の世界に浸ることが現実世界から逃れる方法だったと想像できる。後にピッツは家を出ることを決意し、シカゴでラッセルに会い、神経生理学者のマカロックと組んで、神経回路と論理回路を結びつけた有名な論文をものにする。
私の興味関心は、中学生から続く、天文、望遠鏡の自作、超能力、UFO、相対性理論にあった。その関心がだんだん宇宙論、量子力学、哲学、心理学、へと向かっていった。帰宅後は相変わらず学校の教科書は開かず、こうした本を開いては物思いに耽っていた。
学校での系統的な数学学習は高校二年生で終了していた。おまけに「君たちに微分積分を教えてもしかたがない」ということで、まともに教わった記憶がない。微分積分は後に独習した。微分と積分の関係が理解でき、この計算法を発見したニュートンだったかライプニッツだったかに感心したことを覚えている。
私の欠点は、基本原理が解ると、それで満足し、練習問題は全くやる気がしなくなってしまうことだ。物理も化学もそうである。基本原理の理解には多少頭を使い感激もあるので面白い時もある。練習問題は問題を読むのも面倒であった。これではだめである。ミスも多いしや知識の定着も不完全で、根気や記憶力も鍛えられない。
過日、人工知能の本を読んでいて「偏微分」のことを知った。本書にも数学の大切さを説く中で偏微分の話が出てくる(p.23)。あのラウンド記号である。
微分積分を少し復習し、何冊か数学の本を求めて偏微分の項を見た。私のとって一番イメージしやすかった説明は、『大学初年級でマスターしたい物理と工学のベーシック数学』(裳華房)であった。練習問題は相変わらずやる気がしない。学生だったらダメであるが、知りたいという好奇心に免じて許してほしい。
私は学校の授業でもぼーっとしていることが多く、予習復習もほとんどしたことがないので、頭の4分の1程度しか使ってこなかった。意外とこういう人も多いのではないかだろうか。
本書の中で中高の教育内容の無意味な重複があるという指摘がされている(p.109)。私もそう感じていた。中学校の内容を完全にマスターしていたら相当な物知りである。もう一度高校生をやり直せるとしたら工業高校や農業高校、高専などで専門的な学習をしてもよいなと感じている。
また中学生の時に、天文の知識を得たいという思いだけで高校の地学の参考書を購入し天文の部分を読んでいた。ほぼ理解できていたと思う。この経験や、後の微分積分の独習から、例えば、中三の夏休みに中学の残りと高校三年分の数学の基本を一気に教えてしまうことも可能であると思った。もちろん興味や関心のある生徒と、適切なテキスト、指導者が前提となる。
中高一貫校を希望して、それが叶わなかった生徒には、「高校数学の復習本」や「微分積分の啓蒙書」の通読をおすすめする。
語学は本気でやらなければ身につかないということに十代の頃から気がついていた。シュリーマンの『古代への情熱』を読んでいたからである。努力するとはどういうことかが理解できる。私は怠け者であるので、未だに語学を本気で学習したことがない。本気で学習したらどうなるかということを自分自身で実験してみたいという気持ちはあるが駄目かもしれない。
十代の時に一日に何時間も勉強する人がいると聞いて、卒倒するほど驚いたことがある。それほど暢気な私であったのだが、本書にも東大入試のための勉強時間の記述がある(p.128)。もう驚かないが、何時間も集中して勉強できるということが一つの資質であることは間違いない。
本書では、「総合マネジメント能力」という言葉が何度かでてくる。受験勉強で培った「総合マネジメント能力」は企業や官庁の実社会でも役に立つという。私のささやかな経験からも「総合マネジメント能力」が正に必要であった。
同じ立場で仕事をしている場合、学歴や学校の成績を意識することなど全くなかったし、そんな余裕もなかった。
ただし私の場合、受験勉強をしてこなかったので「総合マネジメント能力」は実際の仕事の中で身につけていった。その結果、社会人としてのスタート時点で、劣っていた面が多々あったかもしれない。
ヴィトゲンシュタインの紹介がある(p.58)。ヴィトゲンシュタインの伝記と『論理哲学論考』は持っていた。彼もラッセルと関係がある。おぼろげな記憶だが、小学校で教えたり家の設計をしたりして彼の人生そのものも波乱に満ちていた。
漱石でも鴎外でも彼らの作品よりも彼らの生い立ちや人生そのものに関心があり伝記などを読んできた。もっとも興味深い作家は二葉亭四迷であった。伝記により生き様を知り何かを学ぶことができる。『二葉亭四迷伝ある先駆者の生涯』(講談社)など。
「語りえぬものについては、沈黙をしなければならない」。似たような表現が出てくる小説を思い出した。モームの長編『人間の絆』と鴎外の短編『妄想』である。
「思考の鋳型」を学ぶ哲学(p.25)という表現は、外交官や情報分析官として活躍した著者らしい小見出しだと思った。「国際水準の哲学の力」(p.26)も同じである。
私は小・中学校の道徳の時間が好きだった。何か特別な指導法があったわけではない。テレビを見せたり副読本を読ませたりするだけの授業でも好きだった。直ぐに答えが出ない問題が世の中の真実に近いと思ったし、自由に編集された副読本によって興味関心の幅が広がった。最近、道徳が教科化されがっかりした。
ザメンホフを副読本で知り、もっと知りたいと思い神田に本を探しに行った。秋葉原めぐりとともに古本屋めぐりの楽しさを知ったのはその頃である。言語学に興味を持ち、辞書を買うのも好きになった。大人になってからの愛読辞典は『日葡辞書』であった。現代の辞書にはない変な言葉も載っていて感心した。
高校生になり哲学の本を読み出したのは、何かもっと根源的なことを知りたいという素朴な好奇心からだった。デカルトの『方法序説』は面白いと思った。カントの『道徳形而上学原論』は無理があると思った。ラッセルの『哲学入門』はよかった。デュラントの『哲学物語』も面白かった。
本書の構成はうまくできている。第1章が生徒への講演の再構成、2章が浦高生との質疑応答、3章が保護者への講演の再構成、4章が学校長との対談である。
第2章の質問に、こんなものがあった。
「(前略)佐藤先生はいろいろな思想を学んでいて、いろいろな考えを知っていたりすると思うのですが、自分自身のお考えというか、たとえば人生についてどう思われますか。あとは、どういったことに生き甲斐を感じておられるのか、(後略)」(p.89,90)
根本的なよい質問である。私も知りたい。
回答は、これも著者らしいと感じた。内容は本書で確かめてほしい。
私だったらどう答えるか。二つ浮かんだ。長い「読書と思索」生活の結果がこれかよと笑われそうなのでここには記さない。
人生や生き甲斐をどう思うか、つまり何を信じて生きるかという宗教的な問題を含んだ真摯な問いである。何かを信じて生きるのも何も信じないで生きるのも人それぞれである。答えを焦ってはいけない。
聖書は中学生で初めて読んだ。高校生になってからは文語文でも読んでいる。大人になってからは仏典にも親しんだ。ご先祖様との関係で祝詞も聴いて育っている。
ヨガやインド哲学の本も読んでいた。1975年頃は『ノストラダムスの大予言』に夢中だった。
本書には、カルトやオルグ、洗脳についての記述がある(p.60,61)。若い人には大切な視点である。私がカルトに走らなかった理由は、「相対性理論」や「量子力学」の研究分野にも驚くべき世界があることを知っていたからである。また、ある分野に関心を持ち、読書を始める時は複数の本に目を通すように心がけていた。
本書を読むと、元情報分析官の面目躍如、「受験指導の神様」と呼ばれるようになってもおかしくないカリスマ性を感じる。逆説的だが、佐藤氏を絶対的に信奉しそうになったら違った意見にも目を通した方がよい。その上で何を信じるかを決めても遅くはない。
答えを焦ってはいけない。哲学や倫理の根本問題は、死ぬまで答えが見つからなくてもよい。小鳥や野に咲く花はそんなことを考えないで生きている。
そうはいっても、くよくよ悩んだりするのが人間の常である。そんな時は、とりあえず「鰯の頭も信心から」で、ご先祖様の写真や身近なお守りを見つめ、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせてみるのもよいかもしれない。お守りがなければ小石でも役に立つ。西欧の芸術家だったか、「棒きれ」を信奉していた人物もいたように記憶する。
「七歳までは神のうち」という言葉がある。神の領域から人間に領域に入った八、九、十歳頃、あるいはもっと上でもよいので何に夢中になったか思い出してみてほしい。私は「天文の本」と「望遠鏡、顕微鏡」だった。こうした本やモノは処分しない方がよい。
長いこと生きていると疲れたり体調が悪くなったりする時もあるものだ。そんな時、こうした本やモノに触れていると元気が出てくような気がする。本書で名前が出てきたユング(p.45,123)にも中年の危機があったように思い出す。ユングの伝記を読んでみるのもよいかもしれない。
私は特定の宗教を信奉していない。強いてあげれば、山本七平の「日本教」、芥川の短編『神々の微笑』にも似たような感覚がある。それと『方丈記』の最後のほうの記述、「不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ」という宗教的心情に近い。
それから『ファウスト』よりは、『出家とその弟子』に感じるところがあった。これも阿弥陀仏だったか。
今思い出した本がある。『私は信ずる』(現代教養文庫)を高校生の時に熱心に読んでいた時期がある。
若い方には、豊かな読書や体験により、それぞれの信じる道が見つかることを願っている。くれぐれも投げやりになったり焦ったりすることのないように。
知らないことを知ることは楽しい。独学の楽しみを知れば貧乏でも一生退屈することはない。
教養本だけが独学ではない。高校生の時に『ブロック建築の実際』とかいう本を読んでいた。望遠鏡の土台の自作でブロックを扱いたいと思っていたからである。ネットもホームセンターもない時代、知識は人に聞くか、本で調べるしかなかった。
読後にブロック建築に詳しくなり、世間で施工されているブロック塀がいかにいいかげんか目の当たりにしている。頑丈にするにはきりがないだろうが、本の施工例の写真には基礎の部分に横に鉄筋が入っていて、そこに「Jの字」に曲げた縦の鉄筋を入れて基礎と塀の部分が一体になるようにしていた。必要な部分には横の鉄筋も入れて接合してある。
法令でどうなっているかは知らないが、今でもブロック塀に関しては、鉄筋をただ突き刺している場合が多いのではないだろうか。
あの当時から高いブロック塀はいつ倒れてもおかしくないと思っている。高いブロック塀がある細い道は、運まかせで覚悟を決めて通ることにしていた。
大阪の事故は本当にやるせない。
こうした本を読んで建築学に興味を持つのもよい。今はすっかり忘れてしまったが耐震偽装の件があって「構造計算の入門書」を読んだことがある。日本は有難い国で、知りたいことは、ほぼ全てが日本語で読める。
余談をもう一つ、原発事故が起きる前に『核兵器のしくみ』(講談社現代新書)という本を読んでいた。題名は物騒だが、原子力という専門の基礎知識を、丁寧にわかりやすく解説した本だった。事故後、直ぐにこの本を読み直した。そのおかげで今後起きることを健康被害も含めて、ある程度正確な知識として予想することができた。だから割と冷静でいられた。
元素の周期表が載っていて、カルシウムとストロンチウム、カリウムとセシウムが似た性質であることがわかる。したがって人体がストロンチウムをカルシウムとして、セシウムをカリウムとして吸収してしまう。ストロンチウム90は骨の中でベータ崩壊を起こし半減期は28、8年。セシウム137はベータ線のほかにガンマ線も放出する。
ベータ崩壊やガンマ崩壊が何故起きるのかも含めて素人が疑問に思うことは過不足なく説明された秀作であると感じた。高校生にとっても物理学や化学への関心が広がるおすすめの一冊である。
趣味や教養の読書による新しい知識は、人生を豊かにしてくれる。仕事や受験に役立たなくてもよいではないか。それが長い目で見れば国家の品格となる。幅広い知識が多くの国民に共有されることの重要性をかみしめたい。社会の平和や安定を考えるとき、競争原理だけが世の中をよくする仕組みではないような気がする。
本書の最後の方に「ヤオコー会長」や「ノーブレスオブリージュ」の話が出てくる(p.200,201)。ほっとして優しい気持ちで読了することができた。
浦和高校を目指している中学生、保護者の皆さんは、この本を読めばよい。
不運にして浦和高校に入学を許されなかった者、あるいは地域の進学校に入学できなかった者は、以下のレビューを読んでみるのもよいかもしれない。
著者と年齢が近い。
私は体格も発想も幼い少年で、十代の頃はテストとか受験とかいうものの重要性を全く理解していなかった。
中学生になっても、小学生の時と同じように学校が終わり帰宅するとランドセルを放り出して遊びに行くという気持ちだった。
帰宅してまで、教科書やノートを開くのはまっぴらごめん。だいたい教科書に書いてあることを覚えて何になるという間違った考えを持っていた。
テストの点は悪くても全然気にならなかったので勉強に対する苦手意識、危機意識もなかった。自分の興味関心のおもむくままに行動していて、それが結果的に知的好奇心を満たしていたのだなと後になって理解した。
また、もともと身体が丈夫な方でなかったので、何もしてなくても夕方になると疲れる。中学生の時はよく寝ていた。
こんな生活態度では学力の向上は望むべくもなく、地元の公立入試は当然失敗し、都内の私立高校に入学した。私の「受験に奇跡」(p.102)は起きなかったわけである。努力をしていなかったので大きな失望もなかった。
高校生活のスタートは衝撃的な出来事で始まった。
どう見てもひげ面のおじさんが「おい、みんな集まれ」。彼は机をくっつけた上の椅子に座っていた。「牢名主」然としていて、姿は「チョウラン」「ボンタン」(死語?)、学生服を広げると、裏地には見事な龍の刺繍、内ポケットからタバコを取り出して皆にすすめる。受け取っている連中の服装髪型も似たり寄ったりで危険な目をした男たちもいた。私の番がきた。「僕は・・・」「何だと俺のタバコが吸えないっていうのか」とすごまれる。「あっ、いただきます」と私。
「カツアゲ」の被害に遭わない知恵も身についた。財布には大金を入れないこと。彼らも一々脅して巻き上げるのは効率的でない。要領の良い男は「カンパ」と称して、少額を効率よく集金する。私も何度かカンパしたことがある。
もっとも戦略的、分析的に考えて行動するのも疲れるので、そのうち自然体で接するようになった。すると何故か被害にあわなくなった。
彼女らの何割かは眉毛がなかった。緊張を強いられる「ツッパリ」「ズベコウ」との生活で自分も一遍に歳をとったような気がした。眉毛のない彼女らの何割かは「パー券」と称するパーティー券を売りつけようとする。これは数千円する。さすがに買えない。詳細は解らないが何処ぞかの資金源となる。
彼女たちとも普通に会話をするようになったし、彼女らと話すのは嫌ではなかった。たわいもない話題で時々見せる彼女らの表情は少女らしかった。それでも要注意人物であることには変わりがない。ソックスから「パー券」を出し、もう片方からカミソリを取り出した時には驚いた。二枚刃にすると傷口がくっつかないとカミソリを見せながら説明する。感心して聞き入ってしまった。
彼ら彼女らの武器はカミソリだけではない。学生鞄の取っ手を長くして振り回す。角には「くの字」にした鉄板が入れてあり、ヌンチャクやチェーンを忍ばせてある。
高校生同士の河川敷での決闘でこうした武器が使われたのかは知らない。新聞には出たが重傷者はいなかったと思う。それなりのルールがあったのであろう。翌日、警察から逃げ切った男の話を興味深く聞いた。警察は護送車も使い高校生を連行したそうだ。彼は塀に飛び乗り、ぎりぎりのところで捕まらなかったという。
流血のけんかを教室で見たことがある。けんかといっても勝負は一瞬にして着いた。「眼をつけた」とか「肩が触れた」とかいう類である。けんかの流儀を初めて知った。鼻血の出方が尋常ではなかった。
校内で暴走族のウィンドブレーカーを身につけていた男たちもいた。ある日、「学校近隣にバイクを止めている生徒は校庭に入れなさい」という放送があった。教室の窓から見ていると暴走バイクが校庭にズラッと並んだ。浦和高校に勝てそうなのは、けんかと暴走バイクレースだけかもしれない。
思い出したエピソードは、まだまだ沢山あるが止めておく。
高校生活が365日いつも危険であったわけではない。「危ない目つき」をしたクラスメートの大半は学校から去った。私のクラスからは2年生への進級時に10人が辞めた。
また環境にも慣れ、気の合う友達もできて、「受験刑務所」(p.12)とは対極の自由な校風をそれなりに楽しんでいたのかもしれない。ただ無事に卒業したいと強く願っていたのも事実である。
米国のピッツは神童で、12歳の時にラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』を読破し、多くの間違いを見つけたという。彼は家庭環境に恵まれておらず、学問の世界に浸ることが現実世界から逃れる方法だったと想像できる。後にピッツは家を出ることを決意し、シカゴでラッセルに会い、神経生理学者のマカロックと組んで、神経回路と論理回路を結びつけた有名な論文をものにする。
私の興味関心は、中学生から続く、天文、望遠鏡の自作、超能力、UFO、相対性理論にあった。その関心がだんだん宇宙論、量子力学、哲学、心理学、へと向かっていった。帰宅後は相変わらず学校の教科書は開かず、こうした本を開いては物思いに耽っていた。
学校での系統的な数学学習は高校二年生で終了していた。おまけに「君たちに微分積分を教えてもしかたがない」ということで、まともに教わった記憶がない。微分積分は後に独習した。微分と積分の関係が理解でき、この計算法を発見したニュートンだったかライプニッツだったかに感心したことを覚えている。
私の欠点は、基本原理が解ると、それで満足し、練習問題は全くやる気がしなくなってしまうことだ。物理も化学もそうである。基本原理の理解には多少頭を使い感激もあるので面白い時もある。練習問題は問題を読むのも面倒であった。これではだめである。ミスも多いしや知識の定着も不完全で、根気や記憶力も鍛えられない。
過日、人工知能の本を読んでいて「偏微分」のことを知った。本書にも数学の大切さを説く中で偏微分の話が出てくる(p.23)。あのラウンド記号である。
微分積分を少し復習し、何冊か数学の本を求めて偏微分の項を見た。私のとって一番イメージしやすかった説明は、『大学初年級でマスターしたい物理と工学のベーシック数学』(裳華房)であった。練習問題は相変わらずやる気がしない。学生だったらダメであるが、知りたいという好奇心に免じて許してほしい。
私は学校の授業でもぼーっとしていることが多く、予習復習もほとんどしたことがないので、頭の4分の1程度しか使ってこなかった。意外とこういう人も多いのではないかだろうか。
本書の中で中高の教育内容の無意味な重複があるという指摘がされている(p.109)。私もそう感じていた。中学校の内容を完全にマスターしていたら相当な物知りである。もう一度高校生をやり直せるとしたら工業高校や農業高校、高専などで専門的な学習をしてもよいなと感じている。
また中学生の時に、天文の知識を得たいという思いだけで高校の地学の参考書を購入し天文の部分を読んでいた。ほぼ理解できていたと思う。この経験や、後の微分積分の独習から、例えば、中三の夏休みに中学の残りと高校三年分の数学の基本を一気に教えてしまうことも可能であると思った。もちろん興味や関心のある生徒と、適切なテキスト、指導者が前提となる。
中高一貫校を希望して、それが叶わなかった生徒には、「高校数学の復習本」や「微分積分の啓蒙書」の通読をおすすめする。
語学は本気でやらなければ身につかないということに十代の頃から気がついていた。シュリーマンの『古代への情熱』を読んでいたからである。努力するとはどういうことかが理解できる。私は怠け者であるので、未だに語学を本気で学習したことがない。本気で学習したらどうなるかということを自分自身で実験してみたいという気持ちはあるが駄目かもしれない。
十代の時に一日に何時間も勉強する人がいると聞いて、卒倒するほど驚いたことがある。それほど暢気な私であったのだが、本書にも東大入試のための勉強時間の記述がある(p.128)。もう驚かないが、何時間も集中して勉強できるということが一つの資質であることは間違いない。
本書では、「総合マネジメント能力」という言葉が何度かでてくる。受験勉強で培った「総合マネジメント能力」は企業や官庁の実社会でも役に立つという。私のささやかな経験からも「総合マネジメント能力」が正に必要であった。
同じ立場で仕事をしている場合、学歴や学校の成績を意識することなど全くなかったし、そんな余裕もなかった。
ただし私の場合、受験勉強をしてこなかったので「総合マネジメント能力」は実際の仕事の中で身につけていった。その結果、社会人としてのスタート時点で、劣っていた面が多々あったかもしれない。
ヴィトゲンシュタインの紹介がある(p.58)。ヴィトゲンシュタインの伝記と『論理哲学論考』は持っていた。彼もラッセルと関係がある。おぼろげな記憶だが、小学校で教えたり家の設計をしたりして彼の人生そのものも波乱に満ちていた。
漱石でも鴎外でも彼らの作品よりも彼らの生い立ちや人生そのものに関心があり伝記などを読んできた。もっとも興味深い作家は二葉亭四迷であった。伝記により生き様を知り何かを学ぶことができる。『二葉亭四迷伝ある先駆者の生涯』(講談社)など。
「語りえぬものについては、沈黙をしなければならない」。似たような表現が出てくる小説を思い出した。モームの長編『人間の絆』と鴎外の短編『妄想』である。
「思考の鋳型」を学ぶ哲学(p.25)という表現は、外交官や情報分析官として活躍した著者らしい小見出しだと思った。「国際水準の哲学の力」(p.26)も同じである。
私は小・中学校の道徳の時間が好きだった。何か特別な指導法があったわけではない。テレビを見せたり副読本を読ませたりするだけの授業でも好きだった。直ぐに答えが出ない問題が世の中の真実に近いと思ったし、自由に編集された副読本によって興味関心の幅が広がった。最近、道徳が教科化されがっかりした。
ザメンホフを副読本で知り、もっと知りたいと思い神田に本を探しに行った。秋葉原めぐりとともに古本屋めぐりの楽しさを知ったのはその頃である。言語学に興味を持ち、辞書を買うのも好きになった。大人になってからの愛読辞典は『日葡辞書』であった。現代の辞書にはない変な言葉も載っていて感心した。
高校生になり哲学の本を読み出したのは、何かもっと根源的なことを知りたいという素朴な好奇心からだった。デカルトの『方法序説』は面白いと思った。カントの『道徳形而上学原論』は無理があると思った。ラッセルの『哲学入門』はよかった。デュラントの『哲学物語』も面白かった。
本書の構成はうまくできている。第1章が生徒への講演の再構成、2章が浦高生との質疑応答、3章が保護者への講演の再構成、4章が学校長との対談である。
第2章の質問に、こんなものがあった。
「(前略)佐藤先生はいろいろな思想を学んでいて、いろいろな考えを知っていたりすると思うのですが、自分自身のお考えというか、たとえば人生についてどう思われますか。あとは、どういったことに生き甲斐を感じておられるのか、(後略)」(p.89,90)
根本的なよい質問である。私も知りたい。
回答は、これも著者らしいと感じた。内容は本書で確かめてほしい。
私だったらどう答えるか。二つ浮かんだ。長い「読書と思索」生活の結果がこれかよと笑われそうなのでここには記さない。
人生や生き甲斐をどう思うか、つまり何を信じて生きるかという宗教的な問題を含んだ真摯な問いである。何かを信じて生きるのも何も信じないで生きるのも人それぞれである。答えを焦ってはいけない。
聖書は中学生で初めて読んだ。高校生になってからは文語文でも読んでいる。大人になってからは仏典にも親しんだ。ご先祖様との関係で祝詞も聴いて育っている。
ヨガやインド哲学の本も読んでいた。1975年頃は『ノストラダムスの大予言』に夢中だった。
本書には、カルトやオルグ、洗脳についての記述がある(p.60,61)。若い人には大切な視点である。私がカルトに走らなかった理由は、「相対性理論」や「量子力学」の研究分野にも驚くべき世界があることを知っていたからである。また、ある分野に関心を持ち、読書を始める時は複数の本に目を通すように心がけていた。
本書を読むと、元情報分析官の面目躍如、「受験指導の神様」と呼ばれるようになってもおかしくないカリスマ性を感じる。逆説的だが、佐藤氏を絶対的に信奉しそうになったら違った意見にも目を通した方がよい。その上で何を信じるかを決めても遅くはない。
答えを焦ってはいけない。哲学や倫理の根本問題は、死ぬまで答えが見つからなくてもよい。小鳥や野に咲く花はそんなことを考えないで生きている。
そうはいっても、くよくよ悩んだりするのが人間の常である。そんな時は、とりあえず「鰯の頭も信心から」で、ご先祖様の写真や身近なお守りを見つめ、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせてみるのもよいかもしれない。お守りがなければ小石でも役に立つ。西欧の芸術家だったか、「棒きれ」を信奉していた人物もいたように記憶する。
「七歳までは神のうち」という言葉がある。神の領域から人間に領域に入った八、九、十歳頃、あるいはもっと上でもよいので何に夢中になったか思い出してみてほしい。私は「天文の本」と「望遠鏡、顕微鏡」だった。こうした本やモノは処分しない方がよい。
長いこと生きていると疲れたり体調が悪くなったりする時もあるものだ。そんな時、こうした本やモノに触れていると元気が出てくような気がする。本書で名前が出てきたユング(p.45,123)にも中年の危機があったように思い出す。ユングの伝記を読んでみるのもよいかもしれない。
私は特定の宗教を信奉していない。強いてあげれば、山本七平の「日本教」、芥川の短編『神々の微笑』にも似たような感覚がある。それと『方丈記』の最後のほうの記述、「不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ」という宗教的心情に近い。
それから『ファウスト』よりは、『出家とその弟子』に感じるところがあった。これも阿弥陀仏だったか。
今思い出した本がある。『私は信ずる』(現代教養文庫)を高校生の時に熱心に読んでいた時期がある。
若い方には、豊かな読書や体験により、それぞれの信じる道が見つかることを願っている。くれぐれも投げやりになったり焦ったりすることのないように。
知らないことを知ることは楽しい。独学の楽しみを知れば貧乏でも一生退屈することはない。
教養本だけが独学ではない。高校生の時に『ブロック建築の実際』とかいう本を読んでいた。望遠鏡の土台の自作でブロックを扱いたいと思っていたからである。ネットもホームセンターもない時代、知識は人に聞くか、本で調べるしかなかった。
読後にブロック建築に詳しくなり、世間で施工されているブロック塀がいかにいいかげんか目の当たりにしている。頑丈にするにはきりがないだろうが、本の施工例の写真には基礎の部分に横に鉄筋が入っていて、そこに「Jの字」に曲げた縦の鉄筋を入れて基礎と塀の部分が一体になるようにしていた。必要な部分には横の鉄筋も入れて接合してある。
法令でどうなっているかは知らないが、今でもブロック塀に関しては、鉄筋をただ突き刺している場合が多いのではないだろうか。
あの当時から高いブロック塀はいつ倒れてもおかしくないと思っている。高いブロック塀がある細い道は、運まかせで覚悟を決めて通ることにしていた。
大阪の事故は本当にやるせない。
こうした本を読んで建築学に興味を持つのもよい。今はすっかり忘れてしまったが耐震偽装の件があって「構造計算の入門書」を読んだことがある。日本は有難い国で、知りたいことは、ほぼ全てが日本語で読める。
余談をもう一つ、原発事故が起きる前に『核兵器のしくみ』(講談社現代新書)という本を読んでいた。題名は物騒だが、原子力という専門の基礎知識を、丁寧にわかりやすく解説した本だった。事故後、直ぐにこの本を読み直した。そのおかげで今後起きることを健康被害も含めて、ある程度正確な知識として予想することができた。だから割と冷静でいられた。
元素の周期表が載っていて、カルシウムとストロンチウム、カリウムとセシウムが似た性質であることがわかる。したがって人体がストロンチウムをカルシウムとして、セシウムをカリウムとして吸収してしまう。ストロンチウム90は骨の中でベータ崩壊を起こし半減期は28、8年。セシウム137はベータ線のほかにガンマ線も放出する。
ベータ崩壊やガンマ崩壊が何故起きるのかも含めて素人が疑問に思うことは過不足なく説明された秀作であると感じた。高校生にとっても物理学や化学への関心が広がるおすすめの一冊である。
趣味や教養の読書による新しい知識は、人生を豊かにしてくれる。仕事や受験に役立たなくてもよいではないか。それが長い目で見れば国家の品格となる。幅広い知識が多くの国民に共有されることの重要性をかみしめたい。社会の平和や安定を考えるとき、競争原理だけが世の中をよくする仕組みではないような気がする。
本書の最後の方に「ヤオコー会長」や「ノーブレスオブリージュ」の話が出てくる(p.200,201)。ほっとして優しい気持ちで読了することができた。
2018年3月16日に日本でレビュー済み
職業柄、小生はある程度生徒達に高い意志と目標(=「進学校」への
進学)を持って勉学にいそしむよう伝えることが多い。この本は受験のあり方、
「エリート」とは何かを問いかけてくれる。学ぶことがいかなる意味を持ち、
そして社会を生き抜く適性の持ち方とう学ぶことは多い。
進学)を持って勉学にいそしむよう伝えることが多い。この本は受験のあり方、
「エリート」とは何かを問いかけてくれる。学ぶことがいかなる意味を持ち、
そして社会を生き抜く適性の持ち方とう学ぶことは多い。
2021年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「自壊する帝国」、「国家の罠」など佐藤優さんの著書が好きで読んできました。
佐藤優さんの母校である浦和高校、そして子どもの母校ということもあり、手に取ってみました。
佐藤優さんの話は、何を言いたいのか、子どもが通っていたこともあり肌感覚で浦和高校の良さが伝わってきますが、現在進学実績を伸ばしている私立の「受験刑務所」のような学校の方が良いと考えている方には、あまり伝わらないかもしれません。
浦和高校の良さは、生徒をタフにさせる伝統行事はもちろんのこと、生徒、先生方、保護者、OBが本当に学校を愛しており、また地域の方々も浦和高校を誇りに思っていただいていることが、公立伝統校ならではの強みだと思います。
なかなかこんな学校はないと思います。
その中で生徒は、全力で勉強、部活、行事に打ち込み高校生活を謳歌しています。
また県内トップ校のため、青天井でレベルの高い生徒が入学してくる学校であることも、浦和高校の強みです。
ほとんどの生徒が塾に行かず(行く暇がない)、部活後に学校に残り、多くの生徒が教え合いながら勉強しています。
そうした環境を作ってくださる先生方が浦和高校にはいらっしゃるので、生徒は3年間の学校生活で大きく伸びていきます。
佐藤優さんの母校である浦和高校、そして子どもの母校ということもあり、手に取ってみました。
佐藤優さんの話は、何を言いたいのか、子どもが通っていたこともあり肌感覚で浦和高校の良さが伝わってきますが、現在進学実績を伸ばしている私立の「受験刑務所」のような学校の方が良いと考えている方には、あまり伝わらないかもしれません。
浦和高校の良さは、生徒をタフにさせる伝統行事はもちろんのこと、生徒、先生方、保護者、OBが本当に学校を愛しており、また地域の方々も浦和高校を誇りに思っていただいていることが、公立伝統校ならではの強みだと思います。
なかなかこんな学校はないと思います。
その中で生徒は、全力で勉強、部活、行事に打ち込み高校生活を謳歌しています。
また県内トップ校のため、青天井でレベルの高い生徒が入学してくる学校であることも、浦和高校の強みです。
ほとんどの生徒が塾に行かず(行く暇がない)、部活後に学校に残り、多くの生徒が教え合いながら勉強しています。
そうした環境を作ってくださる先生方が浦和高校にはいらっしゃるので、生徒は3年間の学校生活で大きく伸びていきます。